表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/23

16「一騎打ち」

「驚いたわね、ゴンザちゃん。まさかあなたがここまで高度な術を使う魔術師であったとはさすがに想定外だったわン。せめておおゆみ程度は用意しておくべきだったわ」


「クマ狩りに弓を用意して来ないこと自体が俺にとっては驚きだ」


「ふふふ。たかがクマの一匹や二匹剣で仕留められる自信があったのよン。でもダメね。アタシたちはあなたの魔術の前では手も足も出なかった。ねえ。せめて最後くらいは、飛び道具なしの男同士の勝負をしないかしらン?」


「ゴンザさま。その男のいい分を聞く必要などありませんっ」


「あらん。お嬢ちゃん。あなた仮にも騎士階級であるなら正規の一騎打ちを妨げるようなことをうのはおかしくはないかしらン」


「それは……!」


 ヨシフのもっともな論理にアリエルは端正な顔を歪ませ、悔しそうに唇を嚙みしめた。


「ゴンザさま……」


 アリエルにかばわれるようにしてリュチカが心配そうな顔で視線を送っている。


「いいぜ。おまえと俺との一騎打ちってんなら受けて立ってやる」


「ゴンザさま!」


 アリエルが悲痛な声で叫んだ。


 ――おいおい。それじゃあまるで戦う前から俺が負けるみたいな雰囲気じゃないか。


「じゃ、決まりね。もし、万が一アンタが勝ったら部下たちの命は見逃してちょうだい。もっともその場合は峠越えをすることになるから、そちらの騎士のお嬢ちゃんもこの子たちが他領に逃げるのを黙認してもらうだけになるけど、そのくらいの慈悲はあってもいいわよね」


「……わかりました。このアリエル・デュ・ラランド。領主の娘として、その条件を吞みましょう」


「あーら。どっかで見た顔だと思ったら公女さまだったのねン。そうと知っていればゴンザちゃんが上がってくる前に全力で確保してたのにィ。ついてないときはついてないわねぇ」


「ツキがどうこうじゃねぇ。天があんたを見放したんだろうよ」


 権左は三十年式歩兵銃を地に横たえると腰から山刀を引き抜いた。


 ヨシフは大剣を大上段に構えると瞳を充血させて呼吸を長く吐き出した。


 チラチラと舞い落ちる雪が肩に降り積もり、権左の軍装を真白く染めてゆく。


 潮合。


 極まった。


 ヨシフは雄叫びを上げながら真正面から斬りかかって来た。権左は真っ当な剣術を習っているわけではない。地力では誰と勝負してもかなわいないだろう。


 銃を使わないのはともかくまともに斬り合うのは愚の骨頂といえた。


 だが、挑まれて逃げるのは日本男児の恥だ。


 そんなことをすれば日露戦で散っていった幾多の英霊たちに申し訳が立たぬ。


 勝つ。

 ただ勝ってリュチカを取り戻す――。

 歯を食いしばって山刀を握る拳に力を込めた。


 素早く自ら雪面に転がってヨシフの左前方に移った。


 目測が狂ったのだろうかヨシフの大剣は強かに地を打って雪を蹴散らかした。


 同時に権左は右手の山刀を無防備だったヨシフの左脛へと全力で叩きつけた。


 ごぎっ、と。


 刃が筋骨を破壊するもの凄い音が流れた。


 骨が折れ脛を断ち割られたヨシフは天に轟くほどの絶叫を上げ前のめりに崩れた。


 白色の飛沫が霧のように飛び散ってふたりの姿が雪に塗れた。


 リュチカとアリエルの甲高い悲鳴が鳴り渡った。


「やる――じゃないのォ」


 ヨシフは唇から長く朱色の糸を垂れ流しながら、ひとつ大きく呻いた。


 雪煙がおさまったとき。


 権左は仰向けになったまま腕を伸ばしヨシフの脇腹へ山刀を深々と埋め込んでいた。


 ぐ、と力を込める。


 切り裂いた臓物と肉との感触で指先が細かく震えた。


 素早く山刀を引き抜きながら立ち上がってヨシフと正対する。


 ヨシフは満足そうにニッとふてぶてしい笑みを浮かべると、白雪を舞い上がらせてその場に倒れ込んだ。


 残った傭兵たちはヨシフが敗れたことで完全に戦意喪失していた。


 権左が血濡れた山刀を足元の雪で濯いでいると不意に目が合った。


「行けよ。勝負はついたんだ」


 男たちは武器を放り出して喚きながら稜線の向こうへと駆け去っていった。


「ゴンザさまぁ」


 立ち上がると同時にリュチカが勢いよく飛びついてきた。権左はよろめきながらも彼女を抱きとめると、息を深々と肺の底から残らず吐き出して安堵で身体の硬直を解いた。


「信じておりました。必ずゴンザさまが助けに来てくれると。信じていたリュチカでした……」


 くふんくふんと鼻声を漏らしながら胸に顔を埋めてくるリュチカのを抱きしめながら、視線をあたりに巡らせた。


 アリエルと目が合う。彼女は恨みがましい視線で無言のまま権左を睨んでいた。


「再会を寿ぐのは大変よろしいかと思うのですが、ここではなにが起きるかわかりませんから。早く山を下りるのが上策かと存じ上げますよ」


 アリエルは抱き合うふたりを分けるようにぐっと両手で間に押し入った。


「あっ。なにをするんですか! 助けていただいたことに感謝はいたしますが、あなたはいったいどなたなのです? わたしとゴンザさまの間に割って入るなどとは……!」


 リュチカが目を三角にしてがうっと吠えつくとアリエルはふふんと高い鼻を反らし気味にし、今までの一歩下がったような淑やかさとは打って変わってやや高慢な気配すら漂う態度を見せた。


「私は騎士のアリエルです。さ、ゴンザさま。早くゆきましょう。里に下りれば我が力をもってしてあたかい食べものをすぐにも用意させますゆえ。ああ、それと今回の戦功は父上へと私自ら言上いたしますね。さすればかような僻村で不自由されることはもはやありません」


「ちょ――? そんなのぜんっぜん説明になってませんよ! だいたいいきなり現れてわたしとゴンザさまの仲に立ち入らないでくださいっ。わけがわからないですよっ」


「な――! いきなり殿方に飛びつくとは不埒な娘ですね。ゴンザさまが嫌がっておいででしょう。離れなさいなっ」


「嫌ですう。それよりもどさくさに紛れてひっつかないで下さいよ。図々しいですね!」


「はぁ? 図々しいとは、よくもまぁこの私に向かって」


 そんなふたりのやりとりを苦笑いで見ていた最中、権左は背筋に強烈な殺意を浴びせかけられ、瞬間的にその方角へと向き直った。


 今しがた逃げ出したはずの男たちが坂を駆けあがってこちらに逃げて来る。


 異常さを感じ取ったのか、リュチカは権左の背に隠れアリエルは長剣を構えて吹きつけてくるような嵐に似た気配に顔を引き攣らせていた。


 四人の男たちを追って巨大な黒雲が突如として湧き起ったかのように思えた。


 黒い塊は強烈な獣臭と肉が発する熱量を発散させながら地を蹴立ててて追いすがっていた。


「か――怪物」


 アリエルがたまらなくなったのか、震えた声を出した。


 黒の塊、すなわち額に銀色の三日月を浮かべた大グマ銀月は逃げ惑う傭兵のひとりを後方から凄まじい勢いで引っ掻いた。


 巨木に鋭い爪が生えているようなものだ。それを雷光のような速度と過重をもってして叩かれたとなれば、やわな人間の身体では耐えきれるものではない。


 男の頭部はぐちゅりと西瓜を潰すような音を鳴らして爆散した。


 びゅっと噴水のような勢いで赤茶けた血が入り混じった脳漿が白い雪の上に撒かれた。


 ほとんど間を置かず、隣を走っていた男が紙切れを吹くようにして銀月の打撃で真横に吹っ飛ばされた。


 岩肌に激突すると男は手足をあり得ない方向に捻じ曲げながら動かなくなった。怪物はそれを顧みることもせず未だ逃げ続けるふたりへ猛然と襲いかかった。


「ぐ、ぐぞおっ。ぐぞおおっ!」


 最後のひとりが涙まじりで叫びながら剣を構えたが、ひゅっと振られた一撃を顔面に喰らって立ったまま奇妙な呻き声を上げた。


 大グマの頭上から放った一撃は男の額から顎先までまるで野菜の皮を剥くようにして綺麗に剥ぎ取ってしまったのだ。男の顔面はピンク色の肉を剥き出しにしてべろりと皮を垂れ下がらせ別人にした。


 これが銀月か――。


 権左はクマ狩り遠征で北海道に度々足を運んだが、ヒグマの中でもこれほどの大物はついぞ見ることはなかった。


 ケタが違い過ぎる。


 そう思っているうちにも銀月は男のひとりを両手で抱え上げると、腐臭が漂う大口を開き鋭く尖った牙を胴へと打ち立てた。


「あぐえっ」


 抱え上げられた男は絶叫を上げながら四肢をジタバタさせもがいてみるが、膂力の差は蟻と巨象ほともあるのでどうにもならない。


 男はバリバリと菓子を貪られるように腹を食い破られ赤黒い臓物をぐちゃぐちゃと咀嚼された。


 リュチカはあまりの光景に腰を下ろしたまま動けなくなっている。アリエルはなんとか剣を構えているが斬りかかる胆力はさすがに残っていなかった。


 銀月は四人の男にまるで警戒することなく仕留めた。


 つまりは、かのクマは人間など恐るるに足らずと決めつけ、ある意味まったく無防備な情況で狩りを楽しんでいるのだろう。


 権左が数秒足らずでそう思考を結論付けていると剣を構えていたアリエルが左手で印を結び銀月に向かって聞き慣れない呪文を唱えた。


 それは青白い霧のようなものだった。突如として現れた不可思議な靄はたちまちに銀月の顔面あたりを覆うと完全に視界を奪ったのだ。


 銀月は突然現れた理解不能な現象に困惑し、咥えていた男の身体をどさりと地に落として、ごおう、ごおう、と不快を表す鳴き声を盛んに上げた。


「目くらましの術です。ゴンザさま、今のうちに――」


 その数秒だけあれば充分だ。権左が銃を構えようとすると、惑乱状態に陥った銀月はよりにもよって座り込んだままのリュチカのいる場所へと向きを変えた。


 考える間もなにもない。


 反射的にリュチカに飛びついて抱きしめたまま転がった。


 瞬間、背に熱湯を浴びたような感覚が走った。

 ざりり、と銀月の爪が強かに権左の背を打ったのだ。


 最初はすっと冷気を孕んだ寒さが襲い、それから間もなく火のような感覚が身体中を襲った。


 リュチカを放り投げながら方向だけは定めてトリガーを引いた。


 三十年式歩兵銃は銃声を山野に木霊して銀月の左肩へと確かに着弾した。


 ぐおおおっ、と銀月は異様な唸り声を上げて身体を反転させると、今来た方角へと地響きを鳴らして遁走を開始した。


 硝煙の漂う中、痛みをこらえどうにか立った。

 リュチカが嗚咽を漏らしながらしがみついて来る。


「ゴンザさまっ。お怪我は!」


 アリエルが背に回ってくうっと呻くのがわかった。


「ゴンザさま、わたしのせいで……わたしのせいで。ああっ、こんなに血が……止まらない……なんで止まらないのっ」


 リュチカが背中に抱きついたまま泣き喚いている。アリエルは血の気の失せた顔つきながら、まだしも冷静で羽織っていた外套の一部を裂くとすがるリュチカを引き離して傷口に当てた。


「運がよかったというべきなのでしょうか。皮が破れた程度ですが……とにかく獣の爪の傷跡は放っておけば命取りになりかねません。下山しましょう」


「いや。この程度なら大丈夫だ。リュチカさん。泣いていないで……雑嚢から酒とサラシを出してくれ。治療したい」


 リュチカは泣きながらも権左のいいつけ通り雑嚢をまさぐった。そこにはサラシ布がいくらかは入っていたが、酒瓶は格闘のせいか割れてほとんどが空になっていた。


「軟膏は私が所持しているのですが。雪で洗う……でもそれでは体温が」


 アリエルが消毒方法を思案しているとリュチカが涙を溜めた瞳で叫んだ。


「わたしが、わたしの責任ですから。わたしがお清めします……!」


「な、なにを。リュチカさん?」


 リュチカは権左の上着を素早く脱がせると、血の汚れをものともせず権左の傷口を自らの舌で舐めはじめた。


「馬鹿なっ。擦り傷程度とは違うのですよ。そんな未開な蛮族の方法で」


「……いや。いいのさ。アリエル」


 アリエルは彼女の倫理観もあったのだろうがリュチカの行為に憤然と異を唱えた。だが、本人である権左が受け入れてしまえばそれ以上無理に横槍を入れることもできない。おおよそ傷口の血が舐めとられると、今度はアリエルがリュチカをその場から弾き飛ばして傷口へと薬を塗りはじめた。


「ゴンザさま。このお薬はエルフ族の秘伝で作られておりますゆえ。すぐ、よくなります」


「ま、そうなってもらわないと困るんだけどな」


 権左は応急手当が終わると、素早く立ち上がって固まってしまった手足の筋肉をほぐすような動作をしはじめた。これを見咎めたリュチカとアリエルが蒼白な表情でこれから権左のやろうとしている行動を止めにかかった。


「まさか今からあのバケモノを追うなどとはいいませんよね?」


「後生ですから、戻りましょうゴンザさまっ!」


 銀月は人肉の美味さを骨髄まで知っている。


 かのクマが生きている以上、犠牲者が増えることはあっても減ることはないだろう。


 今、こうして逃げてゆくクマを見てマタギとして権左が逃げるわけにはいかなかった。


「そうもいかないんだ。わかってくれ、ふたりとも」


 ジクジクとした背中の痛みは次第に強まっていたが、権左の瞳に宿った光は輝きを少しも失っていなかった。


 彼の中には黒鷲傭兵団と戦ったときよりも、銀月に対する闘争心が燃え上がった業火のように猛烈にたぎっていた。


「ここからは俺の仕事だ。悪いがふたりがいたんじゃ追うことはできない。先に村へ戻っていてくれ」


 権左は決然といい切るとふたりの女に背を見せた。


 そこにはすべてを拒絶する意思と、なにがなんでも銀月を打ち滅ぼすという信念が揺るぐことなく、ただ、在った。


「ゴンザさま!」


 涙まじりのふたりの声が同時に重なったがもう権左が振り返ることはなかった。


 痛みと疲労はあったがそれらを厭う暇はなかった。


 ひとりのクマ撃ちマタギは深々と新雪に残された獲物のあとを追って静かに深山へと分け入って行った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ