15「雪嶺の戦い」
「あなたひとりで彼らを相手にするというのですか?」
アリエルは目を丸くすると権左の手にしているナナカマドの杖と、背負っていた三十年式歩兵銃を不思議そうに見た。
「棒術によほど自信があるのですか」
「ンなもんはない。とにかく俺を信じてくれ。少なくともアリエルが相手にする数を十人以下にはできると思う」
権左はアリエルの剣の腕を見たわけではなかったが、どうにか彼女が傭兵たちの背後に舞われれば牽制程度にはなると考えていた。
「わかりました。あなたの信頼に応えてみせましょう。それに領民のため命を懸けるのは貴族としての務めです」
アリエルは瞳から強い意思を放射させながらすぐさま行動に移るため身を起こした。
権左は雑嚢から小袋を取り出すとアリエルに向かって投げ渡した。
「これは……?」
「オオカミやコウモリの糞とか火薬とか……いろいろ混ぜてある。とにかく配置に着いたらこれを焚け。狼煙の合図で攻勢に出る」
「二面作戦というわけですね。わかりました」
アリエルが傭兵たちの背後に回るまで時間がかかる。
四肢を伸ばして筋肉をほぐし攻撃に備えた。
権左は手袋から手を抜くと、右、左と交互に強く揉んであたためた。
トリガーを引く指がぶれないようあたためたのだ。
雑木林を出て身を低くし、ジリジリと間合いを詰める。
双方の距離が三百メートルを割り切ったところで、射撃を開始した。
日露戦争において最も命中率が高い距離を「決戦射撃距離」といったがその距離は約三百メートルとされた。
だが、これほどの近距離は権左にとってはずしようのないもってこいの間合いだ。
襲撃にまったく備えていなかったわけではないらしいが、これほど遠方からの攻撃は寝耳に水だったのだろう。
この世界の通常の弓の射程範囲は平均して五十メートル前後である。
異様なまでの射撃音を甲高く木霊させて飛び来る銃弾に頭蓋を撃ち抜かれ、黒鷲傭兵団の男たちはあっという間に三人を失った。
離れている場所で男たちが右往左往しているのがわかった。権左は素早くボルトハンドルを操作して狙いを定めると、ようやく槍を手に取った男と、こちらの存在を発見して騒ぎ出した男の脳天を撃ち抜いた。
あっという間に五人ほどをあの世に送った権左は立ち上がって正常に立つと右手をいきり立つ男たちに向けて手招きをして見せた。
「さあ来い蛮人ども。クマ撃ちの鉄砲の腕、冥途の土産に味わってゆけ」
あまり遠方から殺し過ぎると警戒し過ぎて穴から出て来なくなる可能性がある。
権左は斜度のキツい雪面に立ったまま不安定な体勢で傭兵たちが接近するのを待った。
銃器の恐ろしさを知らないのか、それとも自分だけは弾に当たらないと思い込んでいるのか。
七人ほどが周囲に広く散開して押し包むように権左へと迫ってくる。
手にはそれぞれ丸盾を掴んで雪に潜るように身を低くしている。
銃弾で頭や胸などの急所さえ隠せば数で圧倒できると踏んでの行為だろうが、東京砲兵工廠の小銃製造所提理で天才有坂成章大佐が開発した三十年式歩兵銃の前には無力だった。
大きく息を吐き出して冷たく澄み切った山の空気を肺一杯に取り込んだ。それから挿弾クリップで五発の弾丸を弾倉に補充すると、雄たけびを上げながら真正面から突っ込んで来た男たちを見据えた。
距離にしてすでに五十メートルまで近づいている。相手の表情まで視認できた。
――そう焦るなよ。順番に地獄へ送ってやるからな。
権左はぎしりと軋んだ音を立てボルトハンドルを押し込み構えをとった。
「ぶっ殺せ!」
大きな斧を掲げて見上げるような大男が雪の上を疾走してくる。権左が丁寧にトリガーを引くと、男の額にぽっかりと赤黒い穴が開いて血煙が純白の絨毯を鋭く叩いた。
手にしていた丸盾が吹っ飛んで虚空に舞った。
傭兵たちが仲間の死に気づく暇も与えず薬莢を排出すると、一発、二発、三発とよく引きつけて射撃した。
脳天を撃ち抜かれた三人の男たちは得物を放り投げながら転がるようにして雪の斜面をすべってゆく。
ほんのわずかな隙さえあればいい。愚直に突っ込んでくるしかない傭兵たちは、権左からしてみれば山の獣たちよりも知恵がない。
最初は丸盾に身体を隠しつつ接近することを意識しているのだろうが、仲間が紙人形のように吹き飛ばされるたび、自制心をなくして顔を上げる仕草は無思慮としかいうほかなかった。
「なんなんだあいつは!」
「奇妙な術を使うぞ、気をつけろ!」
権左はまず逃げようと背中を見せた男の後頭部を狙って撃った。
ダーンと谷間に響くような銃撃音が鳴って男はかぶっていた鋼鉄製の兜を虚空に巻き上げて絶命した。
「そんな――鉄兜ごとだと!」
前盒から弾丸を取り出して素早く装填を行う。権左は怯えに囚われたまま目をつむって剣を振り上げ接近する男たちの胸を淡々と撃ち抜いた。
男たちは分厚い革の胸当てを着けていたが歩兵銃の貫通力の前では紙の鎧と変わりなかった。
権左はその場を動くことなく、岩棚の陰に隠れていた二人の男たちの心臓を的確に撃ち抜いた。
男たちは「信じられない」という表情で斜面を勢いよく転がってゆく。
権左はナナカマドの杖をその場に突っ立てると猛然と斜面を登りはじめた。
雪煙を上げながら驀進する。
歩兵銃を抱えながら突撃すると正面には抜き身の長剣を引っ提げて蒼ざめるヨシフの長身があった。
途切れ途切れのまどろみから覚めると、ムッとするような強烈な獣臭がリュチカの鼻先を横殴りにした。
「あらン? あれだけキャンキャン騒いでいたくせに寝顔はずいぶんとかわいいじゃないの」
リュチカは薄暗い洞穴の中でもそれとわかる生臭い息を吐きかけながら、犬皮を背負ったヨシフが覗き込むように顔を近づけているとわかり、身体を硬直させた。
もう長いこと囚われのままである。リュチカは縛られた手首に食い込む縄のせいで指先まで感覚がなくなりつつあった。
「……そばに寄らないでください。虫唾が走ります」
「ふふふ。安心してちょうだい。ここまで手をつけなかったんだから、今更味見なんてしやしないわよ。でも、どこかで見た顔と思ったら、まさかあなたがあのサロスウルフ族のお姫さまだったなんて。これで、万が一にあの猟師ちゃんが追っかけて来なかったとしても、奴隷市では充分に高く売れるわ。なにせ、生娘ですものねン。せいぜい高値がつくように大事にしてあげるわン。ってことでアンタたち。もしリュチカ姫に悪戯なんてしてごらんなさい。その粗末なものをチョン切って山に捨てるからな」
ヨシフはよだれを垂らしそうな顔でリュチカを見やっていた配下の傭兵たちに告げた。
昨日、帰りがけの駄賃とロボと隠れているところを黒鷲傭兵団に強襲されたリュチカであったが、団長であるヨシフの考えにより貞操を穢されることはなんとか免れていた。
彼は、かつて一度だけ従軍した戦争の最中、族長である父を見送っていたリュチカのことをしばらくして思い出すと、丁重に扱って価値のある財物と見定めたのだった。
「腐っても鯛、よ。峠向こうの貴族たちは名高いサロスウルフ族の姫ぎみと聞けばいくらでも値をつけてくれるに違いないわン。感謝しなさいよねん。そうでなきゃ、あんたはここにいる全員にツッコまれて山に捨てられてたんだからン」
「そうやっていられるのも今のうちです。必ずゴンザさまが助けに来てくれますから」
「フフフ。そうじゃなきゃ面白くないのよォ。それにアタシは銀月狩りを諦めたわけじゃにわよン。あの猟師ちゃんに案内させてクマ野郎の首もいただくわン。傭兵ってのはね。とーっても欲張りなのよん。あの子もあなたが人質なら、いいなりでしょうしね」
ヨシフがゴツゴツした節くれ立った指でリュチカの顎先をつまもうとする。リュチカは油断しきったヨシフの毛が密生した指を思いきり噛み込んだ。
ギチギチと肉が鳴って皮が破れ血が弾け飛ぶ。ヨシフは素早く自分の指を引くと、つ、と流れた血を長い舌で舐め舐め目をスッと細めた。
「リュチカ姫ェ? ちょっと勘違いしてるんじゃない。アタシは、あんたのメス穴なんぞ保全したままいくらでも辱めてやることができるんだからねぇ。……おい、アンタたち。コイツを押さえつけてケツを丸出しにしな! 男の怖さってもんをたっぷり教え込んでやるッ」
妙に作ったような甲高い声が急に野太くなった。リュチカは喉元をグッと締めつけられながら恐怖と悲しみに身体を強張らせ、それでも最後まで視線はヨシフからはずさなかった。
――その蛮行を止まらせたのは洞穴の外から聞こえてきた一発の炸裂音だった。
「団長、仲間がやられましたいっ」
傭兵のひとりがギョッとした顔で外から駆けこんで来る。そうしている間にも、リュチカに聞き覚えのある「あの音」が絶え間なく響いている。
(これは間違いなくゴンザさまの魔術――!)
リュチカは権左がよほどのことがない限り触るな命じた、あの不思議な杖の存在を思い出していた。はじめての出会いのとき、ジゴクソウから自分を救った不思議な魔術が傭兵たちを次々と屠りはじめたのだ。
「ふふん。さてはいよいよお待ちかねのゴンザちゃんかしらね。猟師ってんなら得物は弓矢かしら? 身を低くして雪に潜って接近すればどうということはないわよン」
「それが。なんだかよくわからない魔術で――!」
「なに?」
ヨシフの余裕が現れていた表情が凍る。
リュチカにも理解はできなかったが、このとき権左の操る三十年式歩兵銃は三百メートルからの遠距離で傭兵たちが近づく前に次々と射殺していたのだった。
山野に響き渡るリュチカたちに馴染のない銃声は不吉極まりなく、一発鳴るごとに男たちの心胆を寒からしめた。
ヨシフが鋭く舌打ちをして洞穴の外に出る。そのただならぬ様子から怯えに染まった男たちはリュチカを放り出して雪の斜面が広がる見通しのよい場所へと飛び出していった。
戦況は、一見して理解できるほどのワンサイドゲームだった。
豆粒のような男が杖を操作するたびに傭兵たちはなにもできず雪の中に沈んでゆく。
「な、なんなのよぉ。アイツはいったいなんの魔術を使っているのよォ」
最初の銃声を聞いてから十分と経たずに十二名の傭兵を失ったヨシフは蒼白な表情で徐々に距離を詰めて来る権左をまるでバケモノを見るかのような目で凝視していた。
(ゴンザさまが来てくれた。わたしのことを助けに来てくれたんだ……!)
「誰だ!」
リュチカが後ろ手に縛られたまま驚愕したまま眼下に視線を落としている傭兵たちからどうにか距離を取ろうと動き出した。
同時に裏手の繁みのざわめきに気づいた見張りが誰何の声を立てた。
きらりと朝焼けの光を弾いて銀色の光芒が走った。
同時に背中を斬り割られた男が雪中に沈み赤茶けた霧があたりにパッと舞った。
「こちらです!」
「あなたは――?」
金色の髪を波打たせながらひとりのエルフ女性――アリエルが無警戒なまま突っ立っていた傭兵たちを三人ほど斬り伏せリュチカを守るようにして剣を構えていた。
「黒鷲傭兵団。ずいぶんと私の領民を苦しめてくれたようですが、ここで終わりですね」
「小娘ちゃぁン。ちょっとばっかり腕が立つからってアタシたちを軽く見過ぎじゃないのン?」
ヨシフが丸太のような腕に力こぶを作って大剣を腰から引き抜いた。だが、アリエルは怯えるどころか余裕を美貌に滲ませながらくつくつと笑いを噛み殺している。
「私などを気にする暇があるならば、すぐそばに迫る凄腕の狩人に注意したほうがよろしいのでは」
「くっ――」
ヨシフの瞳。絶望の色が濃かった。
「私に狩られるか、それとも彼に狩られるか。ええ、そうですとも。悪党といえど、せめて最後くらいは選ばせてあげましょう。それがせめてもの供養ですからね」
権左は急坂を駆け登りながら未だ勝負を棄てずに突貫して来る男たちに敬意を払った。
距離はもう三十メートルもない。
落ち着いて小銃を操作し、深く息を吐き出しながら狙いを定める。
男たちの吐き出す息の白さまで漂ってきそうな近距離だ。
万が一の白兵戦持ち込もうと傭兵たちは槍を抱えて突っ込んでくるが、すべて権左の名人的な精密射撃で額を撃ち抜かれ、ただのひとりも到達することができず斃れてゆく。
空薬莢の排出を終え視線を上げると、予定通りリュチカを救出して背に隠すアリエルの頼もしい姿が目に入った。
(これで人質に取られる最悪の愚はさけることができた。あとは全員ぶっ殺すだけだ)
権左が雪を割ってゆっくりと斜面を登りつめると、そこには死人のような顔をした四人の部下を従えたヨシフが長大な剣を下段に構えたままこちらに視線を転じてきた。




