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11「黄金色の公女」

 ヨシフは巨体を揺すりながらゆっくりとロボから離れて権左の正面に向き直った。


 二メートル近い体躯の大男はさすがに風格があった。


 ひょろりとしているわけでも無駄に肉がついているわけでもないのだ。


「あなたが亜人村の凄腕猟師ちゃん? なんでもクマをとるのが得意だって話よね。痺れちゃうわン」


 妙な抑揚をつけて喋る目の前の男の筋肉はその口調の奇怪さとは裏腹に均整が取れて肉厚な筋肉の塊であることが服の上からでもわかった。


 無駄がないのだ。視線はおどけているようでいてこちらの戦力を推し量るように、素早く足の爪先から頭のてっぺんまで舐め上げるように見つめ続けている。


 権左の身体にダメージはないかを油断なく観察していた。


「おまえが黒鷲傭兵団とかいう匪賊の首魁か。とっとと村から出てゆけ。俺も無意味な殺し合いがしたいわけじゃない」


「ま、不作法だったのは詫びるけれど、あなたもうちのもんをかなーり徹底的にやってくれちゃったみたいじゃない。アタシも一党を率いる大将としてこのままじゃ面子が立たないのよねェん」


「なにがいいたいんだ」


「妥協案よ。あなたがアタシたちの嚮導役(道先案内人)として山に入ってくれるのなら、今回の件はイーブンとして命だけは助けてあげるわン」


「命だけってのはどういう意味だ」


「もちろん、今回のクマ狩りの景気づけも兼ねてパーッと部下たちのねぎらいもしてあげなきゃねンってことよん。いわせないでよ、もう。要するに、この村の女たちにアタシのカワイイ部下たちにご奉仕させるってことなのよン。ん。もちろん妥協案としてリュチカちゃんはお役御免にしてあげるわ。じゃなきゃあなたは納得しないでしょう?」


「話にならねぇな」


 権左が目を細めて右足を前に出すとヨシフの瞳からからかうような光が消えた。


「ゴンザちゃんといったかしら? 人生においてときには妥協も必要なのよン」


「数で押し切れると思ったら大間違いだ」


「なにか忘れているようだけど。こっちのお爺ちゃんはどうなったって構わないってワケ?」


「……あ」


 しまった。ロボは腰痛と神経痛で床に伏したままなのだ。おまけにヨシフたち暴漢の手によって膝を刺され青息吐息である。権左は唇を歪めて呻いた。


「交換条件だ。クマ撃ちは俺がついてゆく。その代わり、リュチカさんとロボ爺の身の安全は保障しろ。でなきゃ、ここでおまえたちと刺し違えるだけだ。悪いなリュチカさん。せっかく助けたってのに」


「いいえ。わたしだけ生き残るくらいなら、せめてあの男に一太刀浴びせとうございます」


 権左は瞬間的に命を捨てる決心をした。だが女ながらもリュチカが同時に肚を決めたのには内心舌を巻いた。


「ロボ爺も悪かったな。詫びといってはなんだが三人いっしょにあの世行きだから寂しかないってとこで手を打ってくれ」


「ふ。ゴンザよ。老い先短い儂に気など使うなよ。存分に暴れてやれェい」


「アンタたち、正気なの……?」


 ヨシフの声音にいぶかるような色が混じった。


 まさか三者が三者同様に命を捨てて理不尽に立ち向かう決心を決めるとは思わなかったのだろう。


「へ。団長。こんなやつらのいうことなんざ真に受けても仕方がありやせんぜ……! 一斉にかかってふんじばっちまえば。ことは簡単ですぜ」


「その小娘と爺さんを外に出しておやり。村の外まで毛ほどの傷もつけるんじゃないわよ」


「団長……?」


 男たちはヨシフの指示に首をひねりながらも最終的には従った。権左はむずがって腕にすがりつくリュチカの頭をぽんぽんと撫でると、自分は絶対に死なないとだけ伝え家屋に残った。


「アタシとしては銀月さえとれれば問題はないのよね。アンタみたいな死にたがりと抱き合ってくたばろうってつもりはまだないワケ。それはそれとして、舐められっぱなしじゃ部下たちに示しがつかないから、ま、今回だけはアンタひとりで我慢してあげる」


「そら、どうも」


 権左はヨシフが顎をしゃくると銃剣と山刀をその場に置いて床に憤然とあぐらをかいた。


 こうなればもうまな板の上の鯉だ。


 すでに権左が表にいたヨシフの部下たちを幾人も殺傷していることは知れている。


 それが証拠に外の様子を見回ってきた傭兵たちは権左に向かって抑えようのない憎しみを込めた視線をさきほどから間断なく浴びせ続けていた。


「にしても、ゴンザちゃん。あなた度胸があるのかないのかよくわからないわねェ。あれだけアタシの部下を殺しまくっておいて、ますます気に入っちゃうじゃないのン」


 ヨシフはそういいながらも野生の肉食獣のような瞳で権左の頭をジロジロと嘗め回すように凝視していた。彼は床に置いた権左の山刀を手に取ると物珍しげに細部にいたるまで検分しはじめた。


「この剣でアタシのかわいーい部下たちをぶっ殺してくれちゃったのね。ふぅん。それにしてもコレ、よーくできてるわン。キチンと切っ先の峰側が斜めに落としてある」


 権左の持つ山刀――フクロナガサは出刃とよく似た片刃の刃であるが、ほかと違う特徴として先端の峰側がわずかに傾斜して作られていることにあった。


 これはマタギが猟に使うフクロナガサは主として筒状に曲げた柄の部分に棒を差し込んで熊槍として使うことを想定して作成されているからだった。これを俗にスベリドメと称していた。


 フクロナガサを槍として使う場合は刃を下側に向けて突く。


 だが柄の長い熊槍として使う場合はどうしても先端がわずかに下がってしまうのだ。切っ先が下がると毛皮がと脂肪が厚いクマに致命傷を与えるのにはどうしても不十分である。一撃でクマのような大型獣を仕留められないのは反撃を喰らって死ぬことを意味した。


 それを回避するために切っ先にはスベリドメが作られ、これによって熊槍は獲物を突いたときすべらずに深く埋没させることが可能となるのだ。


「こーんないい武器を持っていたんじゃ、そりゃアタシの部下たちもかなわないわよねぇ。にしてもやってくれるわァ。八人も殺してくれるなんて――酷いじゃないのよン。立場上、制裁しないわけにはいかなのよねェん」


 陰惨な私刑がはじまった。


 ヨシフが「待て」をしていた犬コロたちに「ヨシ」とエサに飛びつく指示を下すと、すぐそばでいきり立っていた黒鷲傭兵団の忠犬たちは無抵抗な権左に飛びかかった。


 刃物は使わないがそれだけに原始的な暴力本能を引き出すシンプル過ぎる制裁だった。


 男たちは座ったままの権左を蹴り飛ばすと争うようにして目を剥いて殴る蹴るの暴行を加え続けた。


 ――少なくとも殺されることは確実にない。


 ヨシフは権左を銀月という怪物グマ狩りに使う格好の猟犬であると認識しているらしい。


 いくらこの男たちが屈強でいくさ慣れしていたとしとしても、素人だけで厳冬期の冬山に入るのは自殺行為である。


 また、銀月の噂が本当だったとしたら土地の猟師はどれほど大金を積まれても山に入るなどという愚かなことはしないだろう。


 こいつらは結局のところ腕ずくで案内人を立てるしか道はないのだ。


 権左は床に四つん這いになって颶風のように荒れ狂う暴力に耐えた。


 両腕を立てて身を縮込める防御法は見た目は惨めであるが理にはかなっている。


 人間の背面というものは打撃に滅法強いのだ。


 顔といい足といい腰といい散々に殴られ蹴られているが、衝撃は厚い尻肉や固い背に吸収され前面から喰らう攻撃よりもずっとダメージは少ない。


 痛みは痛みであるが耐えられないというほどではない。


 そのうち男たちは自分たちの蛮行に酔いはじめたのか、ついには得物に鞘をかぶせたまま権左を執拗にいたぶりはじめた。


 ヨシフは止めようともせずに甲高い声で笑い声を上げた。権左の着ていた衣服は破れて血が滲み強い痛みが間断なく襲い出す。


 押しては返す波濤のような暴力はいつ果てることなく続いた。


 権左は蹲ったままジッとこらえて暴風が過ぎるのを待つ洋上の難破船と等しく無力だった。


「ようっ。これで懲りたかよ。おれたち黒鷲傭兵団の恐ろしさってやつをよう!」


「そうやって亀みてぇに丸々しかねぇのならハナからいきがるんじゃねえやな!」


「団長のお達しがなけりゃ、たたっ斬ってるところなんだぜ!」


「慈悲ぶけぇおれたちに感謝してもらいてぇくれぇだぜ!」


 鼻孔から鮮血があふれ酷く息苦しい。黙ったままでなんの反応も見せない権左が気に入らないのか、アバタ面の男が怪鳥の鳴くような声で叫んだ。


「け。もしテメェがくたばってみろ。あの亜人の娘っ子をテメェの屍の前で這いつくばらせてうしろから嫌ってほどかわいがってやるからな! 薄ぎたねェ亜人風情じゃむしろよろこんじまうかもしれんがな」


「取り消せ」


 ゆらりと権左の身に纏う気配が変わったのに気づいたのか、ヨシフはぴたりと笑うのをやめると眉をしかめた。


 落ちた軍帽には割れた額から滴った血液で濡れ奇妙な色合いを帯びていた。


 うつ伏せだった権左が片膝を突き濃密な殺気を孕んだ視線をアバタ面に向けた瞬間、蹴破られた入り口の扉から凄まじい勢いで完全武装した騎士が中へとなだれ込んだ。


「そこまでだ野卑な傭兵ども。ここをどこだと心得る。恐れ多くも侯爵閣下の御膝元だぞ! 命が惜しくばおとなしく武器を捨て降参するのだ!」


 威勢のよい声とともにやけに浅黒い肌をした瞳の大きな女が戸口で剣を高々と振り上げている。


 芝居のような大げさな見得を切るダークエルフの騎士ギルベールを押しのけるようにして、ひとりの小柄な女性が静かな動作で前に出た。


「悪名高い黒鷲傭兵団とその頭目ヨシフ・スタルニコフですね。私はラランド騎士団のアリエルです。いったい誰の許可を得てこの村を横領しようとしたのか、じっくり話を聞かせていただきましょうか」


「ちっ。金竜騎士団のアリエル。厄介ね」


(余計な横槍を。いったいどこのどいつだ?)


 いざ反撃というときに気勢を削がれた感があった。背後からガチャガチャ鎧を鳴らしながら踏み入って来る騎士の足音を聞いていると、ヨシフがふーっと長くため息を吐くのが耳に入った。


「邪魔が入ったわね。てことで、アンタたち。一旦撤収するわよ」


「は?」


 権左が目を点にしているとヨシフはなんのためらいもなく巨体を揺らして一目散に奥の扉へ駆け出した。


 まさか逃げを打つとは思っていなかった金竜騎士団の男たちは、ポツンとその場に立ちすくんだま疾風のように逃げ出してゆくヨシフの背を数瞬だけ目で追い、遅れてギルベールがヒステリックに叫び出した。


「な、なにをしているのだ貴君たち。追え、追うのだーッ!」


 途端に屋内は土足で踏み込んだ騎士たちに踏み荒らされ滅茶苦茶な状態に変化した。


 これならば傭兵たちに占拠されていたほうがまだマシだった……というレベルだろう。


 権左は振り上げた拳の打ち据える場所を見失ったようにモヤモヤとした思いを胸に立ち上がった。


「つ……やってくれやがったな、あの野郎ども」


 特に権左が深く敬愛するリュチカを侮辱したアバタ面の男だけは生かしてはおかない。


 次会ったときは、有無をいわさず殺る。


 そう誓って落ちていた軍帽に手を伸ばしかけたとき、素早く駆け出した金髪の女性が両眼を見開いたまま雷光を浴びたかのように凄まじい形相でその場に凍りついていた。


(この女の顔。どこかで見たことがあるような)


 白人の顔などこの地やってきてから村人と触れ合ったおかげで随分と慣れたつもりであったが、目の前の女性は際立って優美で整ったものだということが理解できた。


 権左の脳裏の中には目の前の少女の記憶が確かにあった。


 が、この村の住人でありはしないし、ロシア人の娼婦は買ったことはなかった。


 権左と金髪の少女の間に奇妙な沈黙が流れた。


「ああ……そんな……神さま……私は、あなたに感謝をすればいいのですか……今更、こんな」


 緑の瞳を持つ妙に耳の長いエルフ族の女は感極まったかのように権左の首へとしがみついてきた。


「なんだなんだ、今度は――!」


「ホルベア……なぜ無事であったのならば、私の元へ戻って来てくれなかったのですか! 酷い、酷いわっ。私がどんなにあなたのことを心配したか……!」


 常時ならばともかく今は傷だらけである。エルフの騎士でラランド公爵の娘であるアリエルは権左のとまどいなどまるで気づかぬ様子でぐいぐいと首に回した腕を締めつけ、圧をかけてきた。長く量のある蜂蜜色の髪は香が焚き込めてあるのかやけにいい匂いがして権左の戦意そのものを根本から萎えさせた。


「ちょっと待て。おまえはなんだ。離れろ」


 なんとか気力を取り戻してアリエルを突き放す。彼女は権左に押されたことが理解できぬような顔をし、それから酷く傷ついた表情で顔をクシャクシャにした。



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