10「大立ち回り」
麓まで下りてきたとき権左は村を覆う空気が変わっていることに気づき、権左は握り締めていたナナカマドの杖を無意識に構えていた。
昼どきだというのにどの建物からも煮炊きする炊煙が上がっていない。
浅くなった雪を踏みしめながら家々に身を隠しながら慎重に近づくと、朝方まではいなかった人馬のざわめきを敏感に察知し胸奥がぞわりと嫌な空気で満たされてゆく。
「やめてっ。お爺ちゃんをイジメないでェ」
「っざっけんな! わざわざこんなド田舎に出張ってやってんのにロクな食い物も出さねぇたぁどういうつもりだっ。ああん?」
――なんなんだ。俺は夢でも見ているのであろうか。
見るからに野卑な男たちが数人がかりで囲んで村の老人を蹴りつけ、奪ったであろうイモをかじっていた。
老爺は権左がよく知るものであった。彼は天気のいい日は軒先に椅子を出し、日向ぼっこと孫をかわいがることが生き甲斐の無害な老人だ。
権左のあとをついて回っていた五、六歳くらいの少女がさらに小さな妹を抱き寄せたまま抗議の声を上げている。
しかし少女が泣き喚けば泣き喚くほど男たちは面白がって地べたに丸まって頭を抱える老爺の腰を蹴りつけるスピードをアップさせた。
「おイモはあげたでしょおっ。なんでお爺ちゃんを蹴るのぉ!」
「うるせーっ。団長の命令でこちとら欲求不満なんだァ。こんくれぇしねぇと気分が晴れねぇんだよ。黙ってオモチャになってろや、クソが!」
「あたしたちはあんたたちのおもちゃじゃないもんっ」
「ああん?」
男が老爺を蹴るのをやめて少女のほうに向き直った。
「や、やめ、やめてくだされ――孫は、孫だけは堪忍してくだせェ」
権左は老爺が再び顎を蹴り上げられるのを見て家の陰から飛び出した。
ナナカマドの杖を振り上げ地を蹴って跳躍した。
ゆっくりとこちらに視線を移した男の顔はまだ少年といっていいほど年若いものであった。
権左は手にしたナナカマドの杖を力を込めて振るった。
肉を打つ重たげな音が鳴って男の顔面に杖の先端がめり込んだ。
「ゴンザ!」
老爺に肩を貸していた少女が権左の姿を認めると煉獄で天使に出会ったかのような晴れ晴れとした表情を面に出した。
「なにをしやがんでぇこの野郎は!」
「おれたちを黒鷲傭兵団と知ってのことか!」
「ナマスに刻んでやらぁな!」
男たちが瞬時に抜剣したとき権左は手加減という言葉を脳裏から抹消した。
怒りに燃え狂った三人の男たちが真正面から押し包むようにして突っ込んで来た。
帯革に括ってあった山刀を引き抜くと真正面に突っ込んで来た男の手首に思うさま叩きつけた。
「あいっ」
奇妙な悲鳴を上げて男が仰向けに倒れた。
権左が放った斬撃で手首を叩き落され地べたに吹っ飛んで七転八倒した。
権左は素早く右足を突き出して男の顔面を踏みにじった。
男は無防備な鼻梁を靴底で踏み躙られくぐもった絶叫を上げた。
「死ねぇ!」
ナタのような身の厚い剣を振りかぶった男が突進してくる。
権左は単調な横薙ぎを身体を半回転してよけると男のガラ空きになった首のうなじ部分を山刀で割り払った。
ザッと真っ赤な血潮が噴き出してあたりに霧を作った。
よろめいて横倒しになる男をバックキックで蹴り飛ばすと残ったひとりに向かった。
男は黄ばんだ乱杭歯を剥き出しにして手斧を振り下ろしてきた。
権左は身を低くしてかわすと、素早く男に足払いをかけて転倒させた。
男は転がりながら民家の積んであった薪置き場に頭から突っ込んでゆく。
薪の山はガラガラと崩れながら男の身体を滅多矢鱈に打ち据えた。
「オイ、きさまら匪賊はこんな村に押し寄せてなにを考えてやがる。ここには、ヨダレが出るようなお宝なんぞこれっぱかしも存在せんぞ」
権左は男の腹をこれでもかとばかりに蹴りつけて戦意喪失させると襟元をグンと引き無理やり立ち上がらせて尋問に移った。
「や、やめてくれよぅ。おれたちは盗賊じゃねぇ。この村には銀月っていうバケモノをとりに来たんだよう」
「銀月?」
権左が惨めっぽい顔で命乞いする男の横っ面を拳で二度三度打ち据えると、思ったよりもあっさりと目的を白状した。
男たちは黒鷲傭兵団という流賊のようなもので各地で魔獣を討ち取ったりして領主から金銭の報酬を受け取る集団だった。
銀月というのは権左が山で会った男がいい残した言葉の通り、額に月のような銀毛がある怪物グマの異名らしい。
なんでも数日前隣村で銀月が現れ村人を襲って多数の被害者が出たという事実を聞きつけ黒鷲傭兵団は行動を開始したとのことだった。
「それだけ聞けばおまえにゃもう用はねぇ」
権左は男の喉首に手をかけて一気に絞め落とすと荒縄でグルグル巻きにして物陰に放った。
「ゴンザ、怖かったよう」
「怖かったー」
権左があっという間にならず者を片づけると息を詰めて見ていた姉妹たちが腰のあたりに抱きついてきた。
「おまえたち、もう大丈夫だぞ」
「ん。でもそれより、リュチカお姉ちゃんが――」
「リュチカさんがどうしたんだ」
権左の顔からすっと血の気が引いた。
「傭兵たちの親玉がリュチカお姉ちゃんを無理やり連れてったって。妹がいってるの」
「あたし見たよ!」
「きっと酷いことされてるよっ。リュチカお姉ちゃんを助けてあげて」
「――なにもかも、俺に任せとけ。爺さん。あんたは街に行って兵隊にこの村が襲われてることを伝えてくれ」
権左は老爺にくれぐれも気をつけるように伝えると、落ちていたナナカマドの杖を拾ってリュチカの家へと急いだ。
村の広場にさしかかると多数の馬の嘶きが聞こえた。
パッと見ても十数人の男たちが村人たちから奪ったであろう食料を火にもかけず生のまま食っているのが見える。
ここで無駄に争っていても時間が勿体ない。路地を迂回して人目につかぬよう慎重に進むと、リュチカの家の前でたき火をしながら人相の悪い五人ほどの男が声高に無駄口を叩いているのが飛び込んで来た。
――先手必勝だ。
権左は二メートルもあるナナカマドの杖を頭上で旋回させながら男たちのど真ん中に突っ込んでいった。
白昼堂々。
しかも好き放題に追い立てていた村人から反撃を受けるなどと想定していなかったのだろう。傭兵たちはあからさまに狼狽して武器を構えるのが数瞬遅れた。
権左は杖を大車輪のように振り回しながら男たちの頭や胸を打ち据えると、まず、もっとも体が大きく屈強そうな男へと飛びかかっていった。
巨漢相手はロシア兵相手に慣れている。
権左は山刀を逆手に持って巨漢に組みつくと、男が剣を引き抜く暇も与えず首筋にずんと突き刺した。真っ赤な血煙が立ってびしゃびしゃと足元を雪を叩く。
杖で打ち据えられ片膝を突いていた男が立ち上がりざまに剣を振るって斬り上げてきた。山刀を横にして斬撃を受けると素早く左の掌を男の無防備な右耳に叩きつけた。咄嗟の場合は接着面が広い掌のほうが拳よりもよく利いた。三半規管を揺らされた男の一瞬の隙を突いて下腹部を蹴り上げた。
同時に背後に回っていた男が怒声を上げながら襲いかかってきた。
権左は振り返らずに素早く山刀を逆手で後方に打ち込み、男の斬撃を弾きつつそのまま胸元に突き入れた。
山刀が半分ほど埋没したところで素早く引き抜いた。
驟雨のような赤い血が細かく噴き出し足元の雪を汚した。
都合三人。
短時間で敵を半減できたおかげで権左の精神的立ち位置は非常に有利なものとなった。
のこったふたりのうちひとりが仲間を呼ぼうとしたところで山刀を喉元に投げつけた。
仲間を呼ばれては厄介だ。
狙い違わず投じた山刀は男の喉元へ先端から突き刺さって声を制することに成功した。
無手となった権左を与しやすしと思ったのか。
最後のひとりが手にした剣を腰だめにして突っ込んできた。
権左は身を低くしてからパチパチと火の粉を吹き上げていたたき火の薪を掴み上げて男の顔面に投げつけた。
反射的行動で男は片手を剣から離して顔を覆う仕草を見せた。
権左はその隙を見逃すことなく頭から突っ込んで男の足に飛びつくとたちまちに引き倒した。
そのときにすでに帯革にあった三十年式銃剣を引き抜いていた。
素早く男に跨ると喉元へと銃剣を埋没させた。
四十センチほどの長さがある刃が半ばまで沈んだ。
男は青い目をぴくぴく痙攣させると口元から白い泡を吐き出し絶命した。
――クマなんぞよりもはるかに手応えのないやつらだ。
権左は長く、深く息を吐き出すと落ちていた山刀を拾い上げて入り口の扉を蹴破った。
ロボの右足が血塗れになっているのとリュチカが床に押さえつけられているのを目にした途端、頭の中が紅蓮の炎で燃え上がった。
権左は野獣のような雄叫びを上げると、リュチカを後方から押さえつけていた男の後頭部へと山刀を猛烈な勢いで叩きつけた。
ガツッという頭蓋を叩き割る音が鳴って脳漿が飛び散った。室内ゆえ抜剣していないのが男たちの仇になった。
「おまっ――なにを!」
振り返って無防備に手を伸ばして来た男の指を山刀で払った。
バラバラと斬り払われた指先が血といっしょに床へ転がり落ちる。
権左は自分の手首を抱え込んだ男の顔面へと頭突きを叩き込んだ。
男の軟骨が潰れて前歯がへし折れ絶叫が流れた。
「汚ェ手でリュチカさんに触れるんじゃねぇ!」
怒声とともに未だリュチカに組みついている男の首へ腕を回し満身の力を込めた。男の首は奇妙に半回転してもの凄い音を発して折れた。
残ったひとりがようやくリュチカから離れてナイフを構えた。
権左は右腕に掴んだ山刀へと全体重を込めて男の顔面に振り下ろした。
刃は男の顔面中心部をスイカを割るようにして叩き斬って血飛沫を上げさせた。
「ゴンザさま!」
権左は飛び込んで来たリュチカを胸に抱きつかせたまま右手には山刀、左手には銃剣を構えて油断なく屋内に視線を巡らせた。
ロボの前で血の滴る剣を構えている大男のほかに四人ほど残っている。
もう不意打ちは喰らわんぞとばかりに誰もが鞘から剣を払ってギラギラした瞳から猛烈な殺気を放射していた。
「ふぅん。あなたがアタシたちが探していた猟師ちゃんなのねェ。……スッゴクいいじゃない。その小娘やお爺ちゃんなんかより、ずっとずっとそそるわン」
ヨシフは手にした剣に光る血を長い舌でべろりと舐めるとニッと白い歯を見せた。
権左は押し黙ったまま胸のうちに湧き上がる真っ赤な炎を燃えたぎらせヨシフへと昏く濁った瞳を移した。




