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邪神伝説

作者: 紅龍亨

1 エピローグからのプロローグ


「終わりから始まる」

 彼は静かに語りだす。

 銀色の眼差しが深い闇に包まれたピラミッド型の山を見つめ、闇の中でもはっきりとわかる銀色に輝く瞳が麓にある無人の神社を映す。

 銀色の瞳に銀色の髪、喉元に楕円形の輝きを放つ青紫の光。

 人の姿をしてはいるが、その姿はその色以外ははっきりとしない。

「だが、始まりは終わりに続くための道筋に過ぎないからこそ、お前はどの始まりを選び、何を終わりに導く?」

 見えない表情が笑っているとわかる。

「さあ、終わりの物語はかくも語られる」

 静かに言葉が綴られている。

 その言葉は言葉という音は失われ、喉元の光が強まり彼の姿は透き通る。

 言葉は音となり、旋律を生み出し宵闇を包み、そしてありうる世界の認識をずらしていく。

 変わらない世界は変わらないままに、人は何も知らないままに、意識が騙られる。

「ここから先は、お前の話だ」

 銀色の光が揺らぎ消えていく。

 人の形も消えた時、しゅんは目を覚ました。

 町の光を眼下に見ながら闇に溶ける黒髪をなぜる。

 琥珀の瞳が町を映し、息を吸い込み謳が紡がれた。

 静かな鎮魂歌が町を包み込む。


 それは彼の者達の物語。

 彼の者達に騙られる物語。

 彼の者達が騙る物語。

 そして、語り出される物語。

 そして、今も世界の片隅で綴られる物語。

 今、新たに綴られようとする物語。

 人には騙られる物語。

 これはそんな物語の一篇に過ぎない。


「あの山には、炎の神様が眠っているんだよ」

 そう語ったのは祖母であった。

 馬風山まふうざんなどと名付けられていた山なのになぜ炎の神様なのか、そう訪ねて見たが祖母も知らないようで、炎の神様は時々淋しさに洩らす息が馬をも吹き飛ばす風となるのだという。

 この付近は恵まれた大地で、人々は豊かに暮らしていたが、他所からの侵略者が攻めて来た時、一匹の竜となり人々を救い、山麓の木へと姿を変えた事があり、人々はその竜は神様の化身であるとして御神木として社を建てた。

 それ以来、炎の神様は豊穣の神様であり勝負の神様として奉られ、知る人ぞ知る神様なのだよ。

 都会から外れた小さな町の町起こしの一端としての話は、ホームページに載せた山の写真によって違う方向に向かった。

 山は自然物としては不自然なほどにピラミッド型をしていて、オカルトブーム時に言われていた日本のピラミッドとして有名になり、炎の神様の話も歪められて魔物扱いをされてしまった。

 馬風山は魔封山と漢字を変えられ、登山列車を整備されてしまった。

 頂上に社が設けられ、日本のピラミッドとして観光地になり三年、祖母は変えられた神様を悼みながら亡くなり、先日登山列車の横転事故が起こり、一人死亡、一人の意識不明、一人の行方不明という結果になった。

 事故の原因は不明であり、事故現場が見晴らしのいい草原であったにも関わらず、一人の行方不明者は現在も見つかっていない。

 そのためか、よりオカルト系の話が広まった。

 それは、亡き祖母には報告できないぐらいに腹立たしい事だった。

 そして、この六月の終わりに転校生が五人も来るらしい。

 こんな次期に、不自然な転校生はあの事故と係わりがないのだろうか、わからない。


「…ご飯!」

 階下からしてきた匂いに、布団を吹き飛ばして竜兵りょうへいが起き上がる。

 ぴんぴんと寝癖で逆立つ栗色の長めの髪はそのままに、クリクリとした碧の瞳を瞬かす。

 随分と小柄な子供で、百五十もない細いちびっこである。

 小学生らしき子供は大きく背伸びをし、ベッドから跳ね起きる。

「重い、竜兵!」

 布団は投げ返してきたのは逆サイドの壁側のベッドの少年だ。

 こちらは高校生らしい少年で、クセのある漆黒の髪を自然に流している。

 寝起きだからというか、機嫌の悪そうな琥珀の瞳が竜兵を見る。

「おはよー、隼」

 悪びれる様子もなく、竜兵は布団を叩きつけてきた隼に声をかける。

「…お早う」

 何か文句を口にするのを諦め、隼はベッドに腰かけて竜兵を見るばかりだ。

「頭ぐらいとかせ」

 ボサボサの頭を示すと、竜兵は髪を手櫛でなぜつけるが、クセはそのままだ。

「来い」

 ベッドの隣を叩くと、竜兵は大人しくベッドに腰かけると、隼は櫛を取りゆっくりと髪をとかす。

 仲の良い兄弟のようだが、隼はがっちりと頭を押さえ込んで力任せに頭をとかす。

「固い髪だな。後、着替えろ。今日から学校だろうが」

「そうだった」

 思い出したように、自分のベッドの壁にかけられている制服を見る。

「着替えて、身だしなみは整えろ」

 隼も自分の制服を取り、竜兵も制服に着替える。

 サイズはかなり違うが、同じ新しい制服だ。

「先、行く」

 ネクタイを掴み出て行く竜兵に、、脱ぎ捨てられているパジャマを丸めていた隼がため息をこぼす。

「ガキか…」

 呟きながら、隼は落ちていたネクタイを拾う。

「ん?青の…こっちは竜兵のじゃねえか」

 紺色のネクタイのラインの色を見て、隼はネクタイを手に部屋を出る。

 部屋を出ると吹き抜けから下の部屋、リビングが見えるので覗くと、竜兵がテーブルに突っ伏している男に話かけているのが見えた。

 背中だけでも大男とわかる男で、手入れのされてない薄茶の髪をしているのがわかる。

 この家の主である村井猛むらいたけしだ。

 大学生でありながら登山ライターだというから、忙しいと潰れる事もよくあるらしい。

 竜兵に声をかけられて手だけで返事をしているようだ。

 二階は三部屋並び、隼と竜兵は真ん中の部屋を使っている。

 左の階段側の部屋の二人はすでに起きているだろう。

 一人は自分から家事全般を引き受けているので、朝食の匂いがするからわかるし、もう一人の方は家が剣道道場とかで朝練の習慣があるらしい。

 逆の右側の部屋の方は静かだが、多分まだ寝ているのだろう。

「竜兵、義人よしとを起こせ」

 そう声をかけると、竜兵は見上げてくる。

「わかった」

 元気良く返事をすると、竜兵はすぐに二階にかけてくると隣の部屋に突入していく。

「どわっ」

 妙な声がしたと思うと、竜兵が部屋の外に放り投げられる。

「ああ、もう…」

 竜兵の後からもう一人が出てくる。

 隼と体格の変わらないような少年で、明るい色彩の髪は背の中ほどまで伸ばしていて、やや褐色の肌をした混血らしき少年だ。

 寝起きらしき紺色の目が竜兵から隼に向けられる。

「お早う、義人」

 隼が普通に挨拶をすると、義人はかくんと頭を傾げてから頷く。

「義人、おはよー」

 竜兵が声をかけると、義人は頷きながら部屋に戻っていく。

「隼、竜兵、お早う。ご飯だよ」

 リビングから明るい声がかけられて、二人は下に目を向ける。

「はよぉ」

 竜兵が声を返すなりひょいとリビングに降りる。

「階段を使いなさい」

 同じ制服の上にエプロンをした少年が竜兵をたしなめる。

ろうおはよー」

 竜兵は気にせずに声をかけてから、自分の席につく。

「はい。お早う」

 狼は静かに返してご飯を用意する。

 百七十弱の背丈でしっかりとした体格ではあるが、全体的に細いうえに柔らかな物腰のためか女性のようにも見える。

 明るい茶色の髪は自然に流し、大きめの瞳は淡い翠で、長めの前髪を押さえるためかバンダナを額に縛っている。

「あ、早よ」

 リビングの窓から入ってきた少年がリビングのメンツを見回して声をかける。

 ジャージ姿で百八十ほどの体育会系の少年ではあるが、長めの髪は薄紅色をしていて、きつめの瞳も同じ薄紅色なのだ。

「お早う。臣人おみと

 竜兵が声を返す。

「臣人、着替えておいでよ。学校に遅れるよ」

 狼に言われ、臣人はまず風呂場に汗を流しに向かう。

「あ…ご飯か」

 一人大学生の猛がようやく顔をあげる。

 細目をようやくのように開き、目の前に置かれた朝食に目を止める。

「はよぉ」

 制服に着替えた義人が髪を束ねながら降りてくる。

「お前は遅いだろ。義人」

 同じく制服に着替えた臣人が声を返す。

「ん、俺は別に急がない」

「初日ぐらいは急ごうよ」

 狼が声をかけると、義人は空いてる席につく。

「いただきます」

 早々に朝食に食い付いた竜兵は、気にせずにいる。

「ん?竜兵、お前のネクタイ、違わないか?」

 義人が狼や臣人のネクタイと見比べて示す。

「あれ、本当だ。一年は青だよ。緑じゃ二年」

 狼が隼を見ると、ネクタイはしておらずに持ったままだ。

「そうだ。竜兵、こっちがお前の。そっちは俺の」

 投げると絞め直す。

「義人、ネクタイは?」

「持ってる。学校までにはつける」

 ポケットから赤いラインのネクタイを出して見せる。

「今日から学校だったな」

 一人大学生の猛が五人を見渡す。

「猛の分のお弁当も作ったよ。今日は大学?」

「暫くは休学することにした。色々とやる事できたし、仕事もあるし…」

「学費のために書いてるんだよな…本末転倒もいいとこだな」

 臣人が言うが、猛は暢気にしているのみだ。

「まあ、学校に行けるのは幸せだよ。世界じゃ、学校がない地域も存外多い」

 義人の物言いに、全員が目を向ける。

「ん?」

「学校のないトコもあるのか?」

「結構、あっても通うのが大変とか…日本は恵まれているのに、学ぶ意味もわかってないよな」

「義人…お前って、ドコの生まれだ…」

「知らん。とりあえず、国籍は日本でエジプト」

 ニヤリと笑う。

「急がないと本当に遅れるよ。学校まで、結構歩くでしょう」

 狼が弁当をベッドに置く。

「随分と大きさが違うね」

 猛が積まれた弁当を見る。

「ん~、結構、食べる量が違い過ぎるから」

 狼が朝食の量を示す。

 山盛にご飯を抱えるように食べる竜兵に対して、臣人と狼は普通というぐらいで、義人はあまり食べる気がないのか竜兵の皿に押し付け、隼は二口三口摘まむ程度、猛はコーヒーだけだ。

「猛、朝ご飯あるよ」

「朝はあんまり、食べないな」

「義人もあんまりだよな…というか、お前等大丈夫なの?」

 素朴な疑問のように、臣人が義人と猛を見る。

「一応生きてるよ。ちゃんと、消化できる。が、まあ以前とは違うよな…一気にはな」

「水分は普通にだよね」

 二人は曖昧に答える。

「まあ、お前等以上に、竜兵の体のドコにその量が入っているんだ」

 軽く自分の倍は食べているのに、義人の分も平らげているのだ。

「竜兵は良く食べるから気持ちいいけど…ちょっと心配になりそう…」

「竜兵はあれから食うわけ?」

 義人が訊くが、竜兵はきょとんと見てくるのみだ。

「元からか…お前は」

 隼もほぼ食べないためか、竜兵の皿がさらに山盛となるだけだ。

「人数分作って、足りてない…」

 狼が竜兵を見て呟く。

「隼、今日はどうするんだ?」

 臣人の問いに、コーヒーを口にしながら少し考える。

「町の情報が欲しいな…この数日は認識をずらすだけだったからな。病院には一応見張りを置くぐらいでいいだろ。あいつは愛良あいらを必須とは思ってない」

「念のためだね。今日は僕と臣人だね」

 狼が言う。

「あいつはあまり朝は動く事はないから、放課後からでいいだろ」

「学校では自由?」

 竜兵が訊くと、隼は少し考えるように頭を傾げる。

「一度集まるか、学校に馴染むのはいい。今日の昼に屋上でいいか」

「わかった。お弁当、一緒だね」

 竜兵が言うと、隼は頷く。

「俺等は学年が違うから、それでいいんじゃないか」

 年長の義人が頷く。

「それじゃ、昼に」

 隼が言うと、四人が頷いた。


 二年D組。

 隼は静かに教室内を見回した。

 ごく普通の学校、ごく普通の教室。

 唯一、隼だけが真新しい制服なだけだ。

 まだ冬服のブレザーの時期だが、数人はセーターやカーディガンなどの軽装だ。

牧村まきむら隼だ」

 黒板に名を書くと、隼は編入したクラスを見つめているだけだ。

 三十名ほどか、二年ともなると体格的にちぐはぐに見える。

 竜兵ほど極端に小柄な者は居ないが、やけにでかい奴が居た。

「牧村は後の空いてる席でいいな」

 急遽用意されたらしき机と椅子を示す。

「わかりました」

 隼は人の間を抜ける中、じっと見てくる連中を見て歩くだけだ。

 編入生が珍しい事もあるだろうが、ゴールデンウィークが終わった直後、町で大きな事故の直後の編入生はより珍しいのだろう。

「ん?」

 興味ではない敵意に近い視線に、隼は視線をわずかにずらすだけで確認した。

 窓側の席、自分と体格的に同じぐらいの少年で、これといった特徴はなさげな少年だ。

「確か、田中だっけ…」

 ぽそりと口の中で呟く。

 編入する前に下調べをしたので名前ぐらいはわかるが、田中という特徴のない人物というイメージであったが、なにやら憎まれているようだ。

「ふむ」

 小さく頷き、席につくと隼はぐるりと教室内を見渡して田中に視線を止める。

「そのうちでいいか」

 ぽそりと呟くだけであった。


「あ~疲れた」

 コンクリートの上に腰をおろし、臣人は息を吐く。

「この時期に一年で編入は目立つね」

 狼もやや疲れた表情を見せる。

「一年は大変そうだな」

 義人は暢気に一年生トリオを見る。

「三年はどうよ」

 臣人が訊く。

「ここ、そこそこな進学校なだからか、すでに受験オンリーな感じで、他人に興味無し?というか、俺はこうだからな」

 義人は自分の束ねている髪の束を掴んで揺らす。

「受験か…でも、お前はすでに行く大学が決まってるよな」

「じいさんのコネ的に、教授のトコに行くだろうな。民俗学部だから、それほど倍率は高くないんだけどね」

 しれっとした表情で言う。

「俺、高校生かと訊かれた」

 竜兵が弁当を広げながら言う。

「あ、うん」

 全員が静かに頷く。

「俺はこの髪もあるが、名前と出身で訊かれた」

「仙台で伊達だもんな…でも、実際に末裔なんだろ」

 義人が笑いながら言う。

「そうだけど分家の分家だよ。本家の政宗公とは血は繋がってない」

 力説するが、教室では誰も聞いてくれない。

「それでいてハーフだしな」

 義人が臣人の赤毛を示す。

 伊達政宗に憧れて剣道を始めたドイツ人が父親を思いだす。

 聖地巡礼と仙台を旅行中、伊達の名前の剣道道場を見つけた父親は、弟子入りしたあげくに母親を射止めたという話を、砂を吐くしかないノロケ話を子供の頃から聞かされ続けた。

「本名がゲルルクのくせに、日本名を政人にしたぐらいだぞ。俺が政宗と名付けられるかもしれなかったらしいし」

「そうだと、今頃、面白かっただろうな」

「やめてくれ、伊達政宗の末裔ではないのに、ドコまでミーハーだと言いたい。伊達の苗字は誇りだが、政宗はない」

 臣人は自分を抱き締めて身震いする。

「有名人の末裔筋は大変だな。お前の家に縁の品はないのか?」

「うちの本家の方に手紙はあるらしいな。なにせ政宗公だし。でもうちには何もないぞ。だいたい、道場だってじいさんが戦後に土地があるからで作ったもんだしな」

「政宗公は筆まめだしな。見てみたいな。じいさんが生きてたら喜びそうだな」

 軽い調子で言う義人を、狼と臣人が表情を曇らせる。

 義人の祖父、佐々木正義ささきまさよしは先日の事故の唯一の死亡者だ。

「大丈夫だ。じいさんはそうゆう事を気にしない人だったから、今頃、暢気にしているだろ」

 唯一の肉親が軽く笑う。

「考古学者だったんだろ」

「そう。今回は魔封山の調査に来てたんだよな。まあ、じいさんは調査中に死ぬのが本望みたいな事をよく言ってたからな…本当、今まで良く生きてたみたいな事があったから、事故で亡くなるとは思わないよな…」

 妙に遠い眼差しで呟く義人を全員が微妙な表情になる。

「お前のじいさんって…」

「いや~、無茶をよくしてたからな。銃撃は日常茶飯事な時もあったし…まあ、そんなじいさんだから俺みたいのを拾ったあげくに、養子にしたんだろうな…じゃなきゃ、ないだろ。変な遺跡で拾ったガキを連れ帰るなんて」

「お前、本来は外人だっけ」

「アジア系ではあるんだろう。パッと見でハーフかなぐらいの見た目だし」

 自分の髪を見る。

 エジプトの遺跡で拾われ、そのまま祖父にお持ち帰りされたらしい。よって、戸籍的には親子だが年齢的にじいさん呼びしていただけだ。

 のちに、自分を拾った遺跡が不明だったり、見た目が何人かわからなかったり、色々とあったらしいが気にせずに育てた祖父とその友人の上倉かみくら教授の性格上、悲しくても悔やみはしなそうだ。

「どうでもいいコトなんだよ。生まれは、俺は俺だからな」

 軽い調子で言うだけだ。

「生まれ、か」

 狼は全員を見渡して呟く。

「狼は旧華族の家柄だもんな」

「古いだけだよ」

「呉服屋の若旦那だしな」

 義人がニヤニヤ笑いで言う。

「呉服屋は僕より姉さんの方がいいと思う。正直、家事は好きだけど、着物の良し悪しがわからない」

 狼は真面目な表情で言い切る。

「狼は着物、着れるの?」

 竜兵が弁当から顔をあげる。

「一応…でも、苦手かな…どうにも女性の帯はきついかな…」

 狼は苦笑いをするばかりだ。

「静岡県の水瀬呉服は有名だろ。同い年の男が居るのは知らないが」

 臣人が狼を見る。

「仙台にウチの店あったっけ?」

「デパートで何年か前に、旦那さんが亡くなったとかでやらなくなったって聞いたな」

「十年近く前だよ。父さんが生きてた頃は、各地のデパートに卸してたようだけど」

「女しか居ないとか聞いた事もあるんだが」

「昔はよく間違われたよ。今はさすがに間違われないけどね」

「顔だけ見たら…」

 義人が呟くのを狼が笑顔で黙らせる。

「竜兵は北海道のドコだっけ」

「日高。馬の産地」

 元気に答える。

「牧場だっけ、いかづち牧場?」

「森田牧場だよ。おじさんのトコに世話になった」

 弁当を分けて貰ってご機嫌に答える。

 母子家庭なので、親類の牧場で世話になっているのであった。

「雷って苗字は珍しいよな…」

「そう?」

 気にした様子もなく、義人からの弁当も食べる。

「隼も母子家庭だっけ?」

「うん。そうだ。竜兵、これも食え」

 隼の余りもペロリと平らげる。

「隼も義人もそれでも多いの?」

 二人の女子用の小さな弁当箱を見て、狼が渋い表情を見せる。

「ん~まあ、食べれない訳じゃないが、食べる気もないんだな…うまいけど、胃が重いような感じ?」

 義人が苦笑しながら答える。

「俺は元から食わんからな…」

 隼は本当に食べれないようだ。

「それ以上小さくなると子供用になるけど」

「いっそ、弁当いらなくね」

 臣人の言葉に、二人は真顔で考える。

「少なくても食べて、食べる事を忘れたら困るでしょ」

 狼が言うのを二人は頷く。

「で、お前はまだ食うのか?ドコに入っているんだ?」

 臣人が竜兵に見られて弁当を分けていた。

「竜兵…さすがにそれ以上大きな弁当箱はないかな…ちょっと、食べすぎな気がする」

 よく食べるのはいいが、さすがに引くほどの食欲は注意したい。

 一番小柄な竜兵のドコに入っているかは、本当に不明で腹がふくれるということでもないらしい。

「隼、あれ、誰だろ?」

 不意に竜兵が校庭を示す。

「なんだ?」

 隼だけではなく、全員が覗き込む。

「ずっとこっち見てる」

 竜兵はずっと弁当を食べていたが、校庭からの視線も気付いていたようだ。

「あの二年生か?」

 義人が竜兵の示す少年を見た。

 二年生なのは隼だけなので、隼に尋ねたのだろう。

「田中か…ずっと気にされていたが、なんだ?」

 隼が覗き込むと、田中はこちらの視線に気付いたのか校舎に入って行く。

「初日から嫌われた訳?」

 義人がからかうように訊くが、竜兵はかくんと首を傾げる。

「隼だけじゃないよ。俺達全員?」

「編入生が嫌い?ドコの閉鎖的な状況」

 義人は面白げな表情を崩さぬまま、田中の背を見送る。

「まあ、どうでもいいな。俺は馴れ合いをする気もないしな」

「だからって、ほっとくのか?」

 臣人も見送りながら訊く。

「文句があるならそのうちに来るだろ」

 しれっと言うと隼は弁当を片付けて立ち上がる。

 隼がその態度だと他の学年の四人がどうこう言う事もないので、放っておく事にした。


「牧村、放課後にどっか行かね」

 ホームルーム終了とともに、隼に話かけて来る。

 一瞬 、視線の中に人が居なかったので考えかけたが、やや下の方に声の人物が居た。

 竜兵よりは背丈はあるが、それでも百六十ぐらいしかない。

 ガキ大将がそのまま大きくなったような感じの少年。

「鹿島…」

「俺の名前、ちゃんと知っていたか」

 鹿島はにっという笑顔で隼を見上げた。

「鹿島」

 もう一人、今度は百九十はある少年が近付いて来る。

 鹿島とは幼馴染みの少年で、このクラスでは有名なトリオのメンツだ。

「佐竹」

 隼が視線を移し、最後の一人に目を向けると、やや不機嫌そうな田中を見る。

 鹿島と佐竹は普通に接してくるが、田中だけは不機嫌そうなのがわかる。

「田中…」

 隼が示すと、田中を見た二人はばつが悪そうに顔を見合わせる。

「いや、田中も…」

「用がある」

 佐竹がなんとかとりつくろうとするが、隼は静かに言うとカバンを取り出て行く。

「お前、…その…」

 田中が呼び止めるが、隼はチラリと視線だけを向けただけで、すぐに立ち去る。

「田中、お前さ」

 教室内では鹿島と佐竹に何か言われているらしいが、気にもせずに出て行く。

「隼」

 玄関で待っていた竜兵が声をかけてくる。

 狼と臣人も居るが、二人は軽く視線を合わせたぐらいで出て行った。

「わざわざ待ってたのか」

「一応、みたい。隼はどうする?」

 靴を履き替える間は大人しく待つが、校舎の外に出ると隼のまわりをウロウロとする。

「隣を歩け、鬱陶しい」

 隼は視線で動きを追いながら言うと、竜兵は大人しく隼の少し後につく。

 元々視界に入らない背丈ではあるが、やや斜め後に付いた竜兵に無言のまま見た。

「何?」

 竜兵はかくんと首を傾げて訊いてくる。

「なんか、見づらい…」

 微妙に覗き込むような形になるので、竜兵が首を傾げているのもわかりにくい。

「ん、どっちにしても、俺の背丈だと顔見て会話しないからドコでも一緒」

 三十センチ差のため、立っていると互いに疲れるので出会ってからずっと前を見て会話をしている。

 顔を合わせての会話は座っている時ぐらいだ。

「まあ、いいか…」

 隼は少し考えてから、前を向き歩きだすと竜兵は小走りに着いて行く形となる。

 二人の歩幅にも差があるので、隼が普通に歩くと竜兵はその倍は早く歩く事になる。

 横に居るならわずかでも頭が見えるので合わせようとするが、やや後に居るためにまったく見えないので合わせようがない。

「隼、ドコ行く?」

 声をかけてくるので着いて来ている事がわかるぐらいだ。

「ん、ある神社」

「戻ってきた」

「そう。今なら人も居ないだろ」

 隼は通りかがったコンビニに目を向けると、新聞記事をざっと見て頷く。

「一週間で静かだね」

 隼の視界を追い、新聞を同じように見て言う。

「そうなるようにしたからな」

 自分の喉元に触れて、隼は苦々しい面で言う。

「まあ、先日のスキャンダルで話題性はそっちにいったしね」

 竜兵の言葉に頷きつつ、隼はチラリと視線を周囲に向ける。

 自分達に注目している者は居ないが、記者らしき人間の姿がたまにある。

 二週間前に起きた登山列車横転事故自体は単なる事故であったが、それなりに名の知れた考古学者が亡くなった事と、見晴らしの良い草原であるにもかかわらず八人もの行方不明者が居た事が話題性を呼び何日も新聞や雑誌を賑わせ、オカルト的ニュースとして人の好奇心を刺激した。

 しかも、行方不明者の内、五名はなぜか一週間後に山麓の無人神社の御神木の下で見つかり、唯一の女の子は意識不明な状態。

 その翌朝に二人が何度も探したはずの山頂で見つかり、未だに一人は行方が知れない。

 意識のある六人は行方不明の間の一週間の記憶がなく、なぜその場所で見つけられたのかも不明なのだから、オカルト的にはまだまだニュースになっておかしくないが、彼等が退院した三日前にはパタリと話題がなくなった。

 六人の生存者も意識不明の少女の事も一切話題を失い、すでに発表されたはずの八人の情報も一切人の記憶には残っていないかのような感じだ。

 そのためか、オカルト雑誌の記者がまだ粘っているぐらいで、一般紙の記者は今は居ない。

 彼等も今はまだなんとか残っているぐらいで、何を取材するかも忘れているような感じで、うろついているというのが本音のようだ。

「隼、あの人」

 竜兵が離れた所を指し示す。

「ん?」

 竜兵の示したのは軽く三百メートル先の交差点だ。

「あの人、オカルト雑誌だよね」

「そうだな。まだ居るのか、暇か」

 余り聞かない雑誌の記者であったが、直接に会った時にオカルト的な話ではなく、魔封山の事柄を知っているかのような口振りで接触してきた。

「匂いが変?」

 竜兵が首を傾げているのを、隼は気にする様子はない。

「さて、覚えているとは思わないが、さっさと行くぞ」

 隼は人の中に紛れて行く記者の姿を見送りつつ、神社の方に向かう。

「うん」

 竜兵はふと後に視線を向けたが、首を傾げてから隼の後に続く。

「竜兵?」

 一瞬の意識のズレに声をかけるが、竜兵はかくんと頭を傾げた。

「わかった」

 竜兵の行動に、隼は別に気にした事もない。

「あの木はもう木?」

 竜兵の問いに隼は視線だけを向けた。

 暫し視線を合わせただけで、竜兵はこくんと頷く。

 後は言葉を交わす事なく歩く。

 傍目にには、年の離れた兄弟といったところか、隼と竜兵では似てないので子供が着いて歩いているだけにも見える。

 まあ、竜兵が制服姿でも背丈から高校生には見えないだろう。

「?」

 ふと後に目を向けた竜兵に、隼は足を止めた。

「なんだ?」

「ん~違う?」

 背後の人を見ていた竜兵は眉根を寄せるが、ふるっと頭を振る。

 隼も後を見ると、人の多い通りには同じ制服の者も多いためにわかりにくい。

 見知った顔もあるが、それは隼の記憶が知る者で知った者ではない。

「クラスの」

 竜兵は見る事なく言ってから、その方向に視線を向けた。

 竜兵に向こうも気付いたのか、軽く手を振るだけだ。

 隼はそれを見るだけで、歩きだすと竜兵も小走りに追いかけた。


 神社は無人の小さな社と物置があるぐらいで手入れのされてない狛犬に鳥居、その奥に大きな古い御神木があるぐらいだ。

 御神木は人が入って隠れるぐらいに大きな虚があるぐらいに大きく古い。

「暗いし、地面」

 竜兵だとすっぽりと入りそうな虚を覗く。

「入るなよ」

 隼はいち早く虚に近づいた竜兵に声をかけると、自分は社に向かう。

 ごく普通の社だ。

 多少の修繕の後があるぐらいで、かなり古い社だとわかるぐらいだ。

「鍵はなしか」

 中を覗くと、賽銭箱があるのが見えるぐらいだ。

 迷いなく扉を開けると、隼は奥に覗き込む。

「祭壇か…」

 鏡が置かれた祭壇を見て首を傾げる。

 神道の祭壇にしては黒い岩をくり貫いただけのように見える。

「いや、岩の方がそうか」

 どう見ても岩を囲むように社が作られ、鏡をらしく置いてあるだけだ。

 喉元に手をそえた隼はじっと岩に目を止めた。

「隼、どうした?」

 竜兵も社を覗くと、ピタリと止まった。

「ん、んん?」

「竜兵?」

 隼は動きを止めた竜兵に目を向けた。

 全身の毛を逆立てた猫のように、竜兵は岩を見据えて牙を見せている。

「ふむ」

 隼は奥の岩を見て、竜兵を放り投げた。

「へっ?」

 ぽんっと社の外に転がると、竜兵はきょとんと隼を見てくる。

「竜兵、お前は御神木の側に居ろ」

 隼の言葉に素直に社から離れた。

「こんなトコに時空石か…御神木がそうだからか…いや、この社…」

 埃の積った床をなぞり、隼は社の内部を見渡す。

 外側は普通に神社の装丁だが、内側は見かけよりも古いというよりも、見せかけている。

「盟約者か…この」

 隼は社の内部に足を踏み入れようとした時、背後で声が上がった。

「何?」

 御神木に登りかけていた竜兵が鳥居の方に目を向ける。

 鳥居をくぐってきたのは三人。

 同じ高校の制服だが、ネクタイで二年とわかる。

「社に何してるんだ!」

 声を荒げた少年は隼に駆け寄る。

「た、田中」

 小柄な方が止めるが、田中は怒り肩で隼に詰め寄る。

「誰?」

 隼は渋い表情に、竜兵はただ田中を見上げる。

「牧村と…誰?」

 鹿島が見て一瞬目を丸くしたが、すぐに目を輝かせた。

 自分よりも小さな高校生というのを見た事がないのか、近付いてきた竜兵に見上げられている事に気分が良いらしい。

「…先輩?」

 竜兵が鹿島を見上げ、佐竹を見るのに数歩下がる。

「俺は鹿島、こいつは佐竹な」

 竜兵の行動に気付いた佐竹が、竜兵の視線に合わせるようにしゃがむのを、竜兵はかくんと首を傾げて見た。

「お前、何をしているんだよ」

 田中が声をかけたのは社から出た隼で、隼は渋い表情で見るだけで、扉は閉じ中を隠すように対峙する。

「町の散策」

「それでここ…面白半分で来るトコじゃない」

「た、田中」

 佐竹が止めようとするが、田中は隼に詰め寄るばかりである。

「ここが、どうかしたのか?」

 隼は小さな社を見上げる。

「ここは」

「済まない。牧村」

 隼に掴みかかろうとするのを佐竹が止め、鹿島が詫びを口にする。

「田中のばあちゃん、ここの巫女で観光化に反対していたんだよ」

「魔封山が馬風山だった頃か」

 隼の言葉に田中は表情をさらに歪める。

「お前、なんだ?」

「山に関しては佐々木教授の調べた事だ」

 隼の口にした名前に、田中のみならず鹿島と佐竹も言葉を失う。

 先日の事故唯一の死者である佐々木教授の名前は、町の人間には鬼門だ。

「お前、佐々木教授の…」

「俺は違う。俺も事故に遭ったんだが」

 何かを探るように訊くと、三人は一瞬目を細めて隼を見つめて目を見張った。

「あれ?お前、あれっ、行方不明だった…」

 鹿島が今気付いたように隼を見回す。

「ふむ」

「本当に思い出せないんだね」

 竜兵が不思議そうに見上げた。

 三人の方は隼と竜兵を見て、混乱したように見るばかりだ。

「わかった。忘れていい」

 隼が息を吸うと三人を見回し小さく謳う。

 微かな音に反応してか、三人はピタリと動きを止めた。

「隼、どうする?」

 竜兵が訊くと、隼は田中を見る。

「末裔なら、盟約を刻まれている可能性がある…か」

 隼はすっと手を上げると指を鳴らす。

「あ、あれ?」

 鹿島が静かに辺りを見回した。

「何が…」

 佐竹がきょとんと見るばかりで、田中は隼を見てからバツが悪そうにするばかりである。

「牧村、お前はなんなんだ?」

「なんでもない」

 隼の瞳が一瞬、銀色に光ったと思うと三人はまた動きを止め、隼から目をはずすと神社から出ていった。

「隼、どうする?」

 竜兵が訊く。

「神社自体には意味はないかもな。神社は単なる形で封印でもない。ただの出口だ」

「出口か…入口は? 」

「山そのものかもな…ここの墓標は静かに眠れればいいだろうな」

 隼は神社を見てから、神社を後にすると竜兵もついて行く。

「隼、神社は放っておいていいの?」

「墓守が開かない限りはない」

 隼が言うと、竜兵は首を傾けてから隼を見上げた。

「あいつがそう?」

「どうだろ。あいつは違うかも…ばあさんがそうなのかも知れないし、違うかも知れない…血筋じゃなく魂の問題だからな」

 隼の言葉に竜兵はかくんと首を傾げた。

「でも…血筋もあるよね…近いよ。匂い」

 ふんふんと鼻を引くつかせる竜兵を見て、隼は渋い表情をさらに渋面にする。

「まあ、神社の中に入らなければの話だ」

 隼は少し考えてから呟く。

 神社を見てさっさと町中に向かった。



2 忘れた神の物語


 昔昔、神様が居た。

 神様はたくさんの願いを叶えてくれ、神様を慕う者がこの地に社を建ててくれた。

 神様は人間を守っていてくれた。

 だけど、人間が神様を忘れたから神様が居なくなった。

 そして、神様は人間を見捨てた。


「うん」

 呼ばれた気がして辺りを見回すが、誰の姿もない。

 ハデに染めた髪をなぜつけ首を傾げるが、少年は周囲を改めて見回す。

 暗い路地裏には人の姿はなく、何一つ物音もしない。

 新月のためか明かり一つない道は通り慣れたはずなのに、いつも通っているはずなのにまったく未知の場所に迷い込んだようだ。

「なんだ?」

 明かりを求めてスマホを取り、誰でもいいからと電話をかけるが、通じたのは誰でもなかった。

「…誰だ?」

「お前は、神を信じるか」

 その声は男ではあるのだろうが、遠く機械を通したように不鮮明な音に聞こえる。

 それなのに内容ははっきりと聞こえた。

「か、神…」

 掠れた声で応えると、少年の背後に気配が揺らぐ。

「そう、神です」

 勝手にスピーカーとなったスマホと背後で同じ声がする。

 少年はそれを認識した時、振り返りたくもないのに体が勝手に振り向いていた。

 背の高い男が立っていた。

 漆黒の闇よりも深い闇をまとった男。

 唯一の白の顔には赤い筋が刻まれ、開いた目は血のごとき真紅。

 その瞳を見た瞬間、少年の意識は暗転した。


「うん?」

 ぱちくりと大きな碧い瞳を瞬かせる。

 新月の夜は闇が深くて遠くまでは見渡せないが、竜兵は鼻をひくつかせて辺りを探る。

「竜兵?」

 隼が呼ぶと、竜兵は闇を見据えたままに視線を向けた。

「竜兵」

 隼は視線の動きを追い、遠くを見るように闇を見据え、喉元に指先を当てると何かを口ずさむ。

 銀色の輝きは一瞬で、目を閉じると再び目を開く。

「ダメだな。行くぞ」

 声をかけると、竜兵も視線を外して隼の後に続く。

 二人が来たのは喫茶店だ。

 ややクラシックな作りのドアにレジェンドと店名が飾られている。

 カランと鐘の音に店内に居た男性が顔を上げた。三十代目前といった背の高いガタイの良い男性で、人当たりの良さげな顔立ちは森のクマさんといったところだ。

 レトロな雰囲気の店内に対し、ポップなエプロンがまったく似合ってない。

「マスター、こんばんは」

 さらに店の雰囲気と似合わぬ竜兵の態度に、マスターの井上銭士いのうえぜんじは軽く手を上げた。

「まだ誰も来てないのか?」

 隼が店内を見回すが誰もう居ない。

 この喫茶店に通うようになって一週間ほどだが、客が居たためしがないが、経営は大丈夫なのかと心配になってくる。

「うん。まだ来てないね」

 井上は二人にカウンター席を勧める。

「猛ぐらいは来てると思ってたが」

「無理かな…あいつは昔からルーズだからな…」

「それで山登りは大丈夫なのか?」

 大学の登山部の先輩だという井上に、隼は素朴な疑問を口にし、竜兵はメニューを見つめている。

「まあ、山に居る時は頼れるんだ」

 何か遠い眼差しになったのを、あえてスルーした。

「パスタ」

 唐突に竜兵が注文を口にするのと、カランと鐘が鳴るのは同時で、竜兵は入って来た狼と臣人をチラリと見ただけでメニューに目を落とす。

「どれだけ食う気だ」

 臣人が声を上げると、メニューから視線を上げた。

「オムライスとハムサンド」

「その前に、パスタの種類は?」

 その問いに竜兵はメニューを見て無言で隼を見る。

「却下」

 隼の言葉に目を丸くする。

「マスター、パスタ類はなしで」

「足りない」

 隼に懇願するように見るが、無視をして狼と臣人に席を勧める。

「隼君達は何を?」

 ぺたんとカウンターに伏せる竜兵はあえてスルーで、井上が三人に問う。

「僕は…クリームパスタで」

「俺はカレーで」

「俺か…コーヒー」

「ご飯食べなさい」

 隼が言うと、井上が言い切る。

「…ト、クラブサンド」

 尤も軽いものを選ぼうとして、井上が目を見張ったからか違うものを選ぶ。

「俺はカツ丼」

「それはちょっとメニューにないな…って、いつから居たのかな。義人君」

「仕方ないか、竜兵と同じハムサンド」

 竜兵の隣に腰かけた義人が言う。

「猛はどうした?」

「家に居なかったぜ」

 勝手に水を準備して義人が言う。

「そう?出掛けているのかな?」

 狼が小首を傾げる。

「そういや、あいつは大学に行ってるの?」

「休学するみたいだけど」

 心配そうな井上に、義人がさらりと応える。

「そう…カレーは臣人君だね」

 用意できた物からだしてくる。

「猛はご飯食べないのかな?」

「いや、一応食べるけど」

 丁度入って来た猛が答える。

 朝とは格好が代わっているので出掛けていたのだろう。

「猛、何にするんだ?」

「えっと…」

 全員の前にある物を見てから、簡単に食べれるサンドイッチを頼む。

「とりあえず、病院は平和かな」

 臣人がまずといった感じで言うと、狼も簡単に病院の様子を説明する。

「俺は大学の方に行ってたけど、これといった情報はないな」

 義人は自分でも食べながら竜兵の口にもハムサンドを押し込んでいる。

「民俗学には何もないか?」

「じいさんの資料の一部しか見てないから、教授の資料から何から調べると…何年かかるか…」

「この魔封山に来たのは?」

「三年前には依頼はあったんだよ。ただ、その頃は外国で仕事してたから、今回来たのは…時間が空いたのと…俺が来たかったからかな…」

 義人は一月ほど前の事を思い出すように、眉根を寄せる。

 それは偶然なのか、久しぶりに日本に戻ってきた祖父がゴールデンウィークに休みができ、旅行に行く話となった。まではよくある事だろう。

 考古学者の祖父とその祖父に育てられた義人が、一般的な観光地などに興味なく、なぜか祖父の仕事机の上にあった資料の一番上にあった魔封山の資料に目をつけたのが義人だ。

 旅行イコール遺跡巡り的な思考を持つ義人がそれに興味を持たない訳もなく、この地に来たのも当然といった感じである。

「そういや、お前等はなんでこんなトコに?」

 義人以外は一人旅でここに来たのだ。

「俺は招待券だな。ウチの門徒がドコからか貰ってきたらしくてさ、ようは一人分だけだから男は一人で旅をするがモットーな親父がここぞとばかりに俺を旅に出したんだよ」

 臣人が言う。

 何より武士道を勘違いしているような父親を思い出すだけだ。

 男は一人旅をするもので日本に来た父親にすれば、同じ日本国内は心配もなかったのだろう。

「僕も招待券だな。一番のお得意様からの頂きもので、僕以外は暇がなかったんだよね…まあ、どうやらこっちの方に居る親戚の娘さんと会わせたかったみたいだけど、その前にあの事故にあったんだ」

 狼は困ったように答える。

 人と合う前に山に登ってみたら、墜ちたのだから仕方ないだろう。

 退院前にその話は姉から聞いたが、その話は丁寧にお断りしておいた。

「俺は、なんとなく」

 竜兵はしれっと答える。

「なんとなく?」

 義人が聞き返すと、竜兵はかくんと首を傾げる。

「んと、なんとなく旅行に行く事にして、おじさんと旅行代理店に行って、パンフレットがあった」

「うん。お前は本当に高校生か」

 臣人が空笑いするばかりだ。

「猛は近所だからか、隼は?」

「俺はそこにあったからだな」

 隼はあっさりと言う。

「そこ?」

「お袋のファンレターにあったのか、この町の誰かが送ってきたのか、旅行券が送られてきた」

「隼のかあちゃ?」

「俺のお袋は絵本作家だ。民俗学的な話を描いたりしていたから、魔封山の話でも描いてほしいのかと思っていたから、お袋も行こうと思っていたようだが〆切が…」

「…ああ、〆切な…」

 猛も軽く言うが、〆切というセリフに同意している。

「で、俺が代わりに来てみた。チケットがあの日だったからな…で、山に行っていた」

 隼が夜の町を見る。

「そんな話訊いた事ないな。佐々木教授がなかなか来ないのがわかって、旅行会社にはツアーがあるとは言うけど、一人旅の話はあったかな?」

 この町の商工会に席を置くだけに、井上は五人の話に首を傾げる。

 観光としてツアーがある事は聞いているが、一人旅用の話は聞いた事がない。

「ふむ」

 隼は軽く頷き静かに考えるように目を伏せる。

 半分ぐらいしか食べてないクラブサンドの残りは竜兵の口に押し込んであった。

「隼?」

 臣人が嫌そうな顔で見る。

「呼ばれたのかもな…俺等は盟約を果すために、神との対話のために、彼が望んだ世界が今なのかもな…忘れられた神の時代」

 隼の言葉に井上以外は目を伏せる。

「俺等は、間違いなのかも知れないが、俺等が生きた意味を彼等にわかってもらうために、か」

 臣人は盟約の言葉を握り締めるように呟き、全員が渋い表情で見ていた。

「…コ、コーヒーでも飲む?」

 井上が六人に話かけると、竜兵以外は頷いた。

「コーヒーは苦いから、オレンジで」

「わかった。俺は難しい事も何もわからないけど、君達は君達のできる限りの事をすればいい」

 コーヒーとオレンジジュースを用意して、子供達に大人として語る。

「そうか」

 隼はコーヒーを口にしつつ、軽く頷いた。


「マスターは、俺等の事は知っているんだっけ?」

 臣人が何気なに訊く。

「僕達の事を詳し教えた訳じゃない。が、先輩は僕が…僕達が人間じゃない事は知っていて変わらない人だからな…信用できる」

 猛が静かに言う。

 この町に住むようになったのは、井上が居たからだ。

 両親を亡くしてから、怠惰な生き方をしていた頃に井上と知り合い、登山や今の大学にも入った。

 幼い頃の知り合いというだけで面倒をみるようなお人好しは、いきなり人間じゃなくなったという後輩と、その後輩の仲間をもあっさりと受け入れたほどだ。

「まあ、人間じゃないなんて事、信じているかはわからないがな」

 軽いノリで言った事を信じているかはわからない。

 単に中二的な事を言い出した後輩に話を合わせてくれているだけかも知れない。が、いい人である事は確かだ。

「そうだよな。俺だって、今の状態じゃなけりゃ信じないどころか、遠巻きに見るわ」

 臣人が苦い表情で言う。

「うん。まあ、そうかも」

 狼も渋い表情で言う。

「隼、嫌な匂い」

 竜兵が鼻頭にシワを寄せ、鋭い牙を見せる。

「嫌な匂い?」

 隼が聞き返すと、竜兵はすんすんと周囲の匂いを探るのを、全員が静かに竜兵の行動を見守る。

 竜兵は闇の中でも目を輝かせ、弾かれたように走りだす。

 その後を狼と臣人が素早く追う。

「…隼?」

 義人が見送りつつ声をかけると、隼は少し考えるようなそぶりをみせながらも後を追う。

「俺等も行ってみる?」

 猛を見上げると頷くので、義人も後に続いて行く。


 小柄ではあるが竜兵の足は早く、みるまに走って行くのを、狼と臣人は闇を睨み据えながらも追う。

 体重が軽いからか、障害物を気に止めずに走り、竜兵は気付くと電柱の上で辺りを見回している。

「竜兵」

 臣人が声をかけると、竜兵は匂いを追いながら身軽に電柱の上から飛び降り、狼と臣人を見上げてから近くの路地に視線を向けた。

「そこ?」

 バンダナの上から額を押さえながら、狼が路地の方に目を向けた。

 新月の中、街灯のない暗闇を気に止める事もなく路地を見据える。

「人?」

 その姿を確かめると、臣人が先に動く。

 暗闇でも平然と踏み出し、臣人は青く光る左目に集中するようにすると闇の深い所に人の足が見えた。

 人の目どころか、カメラの目でも暗い格好の少年などは見えないだろうが、臣人も離れている狼も少年の姿を確認していた。

「臣人」

 竜兵も近付いてくるが、臣人は竜兵を止めるようにして手で制した。

「お前は、見るな…」

「何?」

 竜兵の方はよく見えてないのか、すんすんと匂いを探るような仕草をするのを、背後から狼が押さえて路地の所まで引き戻す。

「ん?」

「別に、気を使う必要ないだろ」

 遅れてきた隼が言うが、狼は複雑な表情になる。

「年は一緒なのはわかっているが、見かけでついな」

 臣人が苦笑する。

 頭一つ小柄な竜兵を無意識に子供扱いしてしまう。

「で、やっぱか?」

 義人が訊くと臣人が小さく頷く。

「でも、匂いは…」

 すんすんとまだ匂いを探る。

「間に合うかは、だ」

 隼は無造作に路地に足を進める。

「隼」

 臣人が場所を譲るように路地の入口に移動する。

「時間は経っているが」

 隼は少年を覗き、その霞んだ瞳を見ると息を吸い込む。

 ほぼ視力も聴力も失っていた少年が、暗闇で見たのは銀色の輝き、聞いたのは静かな鎮魂の謳。

 ピアノに似た高らかな音が、彼の意識を深淵に落とした。

 次に目を醒ました時には、全てを忘れているだろう。

 神の影を刻み込んで消えるだけだ。


「神は居ない」

 茶を飲みながら隼が言い切る。

「神は居ないよな」

 臣人も茶を片手に言う。

「神様ね…」

 義人がどうでもよさげに言うだけだ。

「魂を狩るほどのか、あいつかね」

 そう付け足すように言うと、竜兵が口を尖らせている。

「やっぱり、彼は戻らないんだね」

 狼がため息とともに呟く。

「僕や義人とは違い、彼は盟約者だったから」

 猛が苦い表情で山を見る。

「仕方ないな。俺等と違って、あいつは盟約の元に魔人に乗っ取られたんだよな」

 義人は自分の腹に手をあて、息を吐く。

「あいつ…奥山誠おくやままことは、もう戻れない…戻らない。魂は消えてなくなった」

 隼は淡々と言うだけだ。

 行方不明の一人の名を口にしつつ、六人はかつての暗闇を見た。

「神は、どこにも居なかった」

 臣人が小さく呟く。

「だから、僕達は神様を忘れた」

 狼は自分の額に触れる。

「神が絶望をしなかったから、僕達が生きた」

 義人は腹を擦りながら口にする。

「眠りは、俺達を選んだんだけど…」

 竜兵は自分に言い聞かせるように呟き、室内のメンツを見回していく。

「彼等は、彼は、そのために俺は甦った」

 隼は喉元に触れ、銀色に変化した目を閉じる。

「我等は、神にはならない…彼等は神であろうとしただけ、神になりたかっただけ」

 喉元に青紫のアザが浮かんで消え、目を開くと琥珀の瞳が全員を映す。

「俺達は人間のままで、神を倒せばいい」

 竜兵の言葉に狼と臣人は苦笑し、義人と猛は複雑な表情を見せる。

 隼はわずかに口元をほころばせた。


 闇に煌めく銀色。

 その光を中心として旋律が響き、その旋律に合わせるように光は明滅している。

 もし、その光を見上げる者が居たのならば、その幻想的な光は様々な物語を創りだされるだろう。

 新月の夜に謳う銀色の月。

 一枚の絵画のような現象は、誰の目にも映る事なく朝日に時を譲る時間まで続いていた。


 闇よりも深い闇は、人の目にはつかないが獣はおのずと闇を避けていった。

 闇が獣を退け、月のない夜を侵食していき、世界を書き換えるように暗く暗くしていく。

 流れるのは全てを凍りつかせるような不協和音。

 夜の闇が支配を書き換えて、侵食していくモノを拒む事はできない。

 もし、その歪んだ闇を感知してしまった者は、狂った世界をさらに歪める事だろう。

 それは、朝日をも呑み込むようであるが、辛うじて日の光が勝った。


「神様…」

 何かを見た者が居た。

 それはどちらを見たのか、彼はそれを見てしまった事を誇りに思った。


 ネクタイを締めて隼は欠伸をして洗面所を出る。

 入れ替わるように臣人が入ってくる。

「はよ」

 汗を拭いながら、臣人は隼を見て軽く手を上げる。

「ん」

 眠そうに手を上げ、隼は場所を譲る。

「大丈夫か?」

「俺はな…所詮は器だ」

「違うだろ。お前は隼だろうが、器な訳じゃない」

 臣人の言葉に、隼は軽く頷くだけであった。

「隼、お早う」

 リビングでは猛がテーブルに突っ伏し、狼は気にせずに朝食の準備をしている。

 二階から竜兵が義人を引きずってきていた。

「狼、ご飯」

「うん。お手伝いしてくれる」

「わかった」

 親子のようにキッチンの方に向かう。

 義人は席に座り込み、隼に気付くと軽く手を上げるだけであった。

 隼も席に着くと、猛も顔を上げて二人を見る。

「ご飯だよ」

 臣人も途中で捕まったのか、お盆を持っている。

「おー、お早う」

 義人が箸を手に取り挨拶をする。

「義人も朝は弱いですね。何か夜更かししてるんですか?」

「じいさんの遺品整理だよ。色々あるから、正直面倒がな…相続問題があるよな…やばい借り物もあるし、本当、面倒…」

「なんだ?やばい借り物って」

「借り物は借り物。数億はする歴史的遺産とか、国際問題になりかねないからさ」

 乾いた笑いをしながら義人は遠い眼差しをしていた。

「いや、それ本当にシャレにならないよな」

「借りパクしたら、そりゃもう国際問題」

「しないでください」

 狼が念押しする。

「ギリシャは早めにしないと、本当、面倒くさそうだな。エジプトもな…」

 義人は面倒な面持ちで二階を見上げ、心底面倒そうにため息をつく。

「お前のじいさん、本当に優れた考古学者だったんだな…いや、名前は知ってはいるけど…ガキの頃はテレビに出てたよな」

「俺がガキの頃は日本に居たからな。幼児を連れて外国は大変だったんだろ」

 義人はただ静かに笑うだけだ。

 小学生になる頃には、一緒に諸外国を巡り歩いていたために、まともに小学校は通ってない。

「遺産相続って、お前、大丈夫なのか?」

 猛が二階に目を向ける。

「まあ、教授も手伝ってくれるし、手続きはほとんどやってもらっているから、俺のやる事はほぼサインするだけだな」

「そうか、年上だから手伝える事は手伝うけど…まあ年上としても未成年だがな」

 猛が義人を見るが、義人は軽い調子で手を上げる。

 猛は一軒家に住んでいるが、まだ未成年なのだから正式な後継は無理だろう。

「学校に遅れるから、そろそろ」

 狼が時間を見て全員を急かす。

「俺はもう暫く手続きで低一杯だから、何かあったら電話してくれ。でも、今日は坊さんが来る日か、夜は教授の家で済ます」

 カレンダーを見て義人が言うと、狼は頷く。

「もう一月過ぎか、じいさんの葬式に出れなかったんだよな」

「俺は、その頃は死んでたんじゃないかな」

 初夏でも暑い日だったので、事故の三日後には葬式だったらしい。

 初七日には出たが、葬式には出ていないために色々とあるようだ。

「わかった。まあ、お前の力が必要な事はほとんどないだろう」

 隼の言葉に義人は苦笑するだけだ。

「後片付けはやっておくよ」

 猛が言うと、狼は軽く頷いて皆と出て行く。


「牧村、お早う」

 声をかけられ、隼は鹿島に目を向ける。

 佐竹はすぐ後に居るが、田中の姿がない。

「はよっ」

 おのずと田中の姿を探してみたのに気付いたのか、鹿島がバツが悪そうに近付いてくる。

「昨日は悪かったな。田中、来てないか…」

「?」

「朝早くから出ていったんだと、まだ来てないよな」

 佐竹が言うと、隼は自然と田中の席に目を向けた。

 早く来ている訳ではないが、学校に来てから田中の姿は見ていないし、田中の机にはカバンはない。

 まだ来ていないのかもわからない。

「そう、か…」

 隼がわずかに表情を曇らせる。

「牧村が悪い訳じゃないし、田中も悪い奴じゃないから、許してやってほしいんだが」

 鹿島が言うのを、隼は軽く頷き気にする様子も見せない姿勢に、鹿島達は嬉しそうに見ていた。

「昨日今日でか…あの神社に縁が深い田中か…」

 隼は嬉しそうな二人を横目に、少し考えるように山の方に目を向けた。


「山里愛良の具合は?」

 猛の問いに、白衣姿の青年がカルテ片手に状態を説明を始める。

「変わらないか…」

「彼女の状態は眠っているだけですね」

 ざっくりとした説明に、猛は渋い表情でカルテを見る。

「眠っているだけ?しかし」

「ええ、彼女は眠っているだけですが、彼女の心臓の動きは弱い」

「仮死状態にでもなったのか?」

 体温の低さ、心臓の鼓動、呼吸も一時間で確認する限り数回しかしないのだ。

 そして一週間経った今でも食事を必要とせず、排泄も確認していない。

 現代医学ではありえない状態、例えるならば人間としての一日の眠りを一年に引き延ばしたかのような状態というところだ。

 ただ一つ、彼女がただ眠っているだけではないとわかるのは、その胸元に浮かび上がる紋様。

 逆星に二つの輪を組み合わせたような紋様だけが、今の時を示すように淡く輝いている。

「邪神姫…現代に甦りし古き神、忘れられた神の娘が顕れた理由…そして、旧き人類の盟約、面倒になりそうだな…」

 猛がしみじみと言うのを、白衣の青年は複雑な表情で見てくる。

「面倒で済む訳ないでしょう。彼女はこのまま監視下に置かれますが、彼等の方は大丈夫なのですか?」

「ん?大丈夫だよ。彼等は、その盟約を彼等に預けたから、人間の味方だろう」

 猛がそう言うのを疑うような視線を向けるが、猛が首から下げているペンダントを見て口を閉ざす。

「監視下に置いているのならいいですけどね」

「おこがましい事だと思うんだがな…神様を使うなんざ」

 苦笑いを顔に張り付け、猛はカルテを返す。

「村井さん?」

「大丈夫、彼等の事は僕が責任を請け負っているからね。何があっても僕がどうにかするから、君達は彼女を守っていてね。報告もしておくから」

 ひらひらと手を振って出て行く猛を、やや胡散臭そうに見送る。

「まあ、報告はするけどね…」

 小さく呟きつつ、猛はスマホを取り出す。

「もしもし村井です。例の件の追加報告を…はい」

 怪訝な表情を見せスマホをきると、ため息混じりに前を見た。

「本当、面倒な事になりそうだ…」


 静かな音が唇から零れる。

 謳い続ける隼を竜兵は病院を眺めたまま耳を傾ける。

 隼は目を閉じたまま謳い、その音を自分で聞きながら音を調律していく。

「隼、今の変」

 ふと竜兵が言うのを、隼は目を開けてやや不満そうに竜兵を見た。

「耳のいい奴だな」

「隼の音はわかりやすいから」

 竜兵が立ち上がると、隼の座っていた枝まで揺れる。

「静かに動け、俺はお前みたく頑丈じゃねえんだ」

 自分よりも高い枝に立つ竜兵を見上げる。

 地上数十メートルの木の上で、病院を眺めていた竜兵は体の位置を変えながら、病院の周囲を見回す。

「竜兵?」

 隼も起き上がると、病院の周囲に視線を向ける。

「何かあったか?」

 隼の視力ではわからないが、竜兵の方は木の上をちょろちょろと移動しながら見回す。

 暫く放っておくと、竜兵はピタリと動きを止めて一点を見据える。

「ん、今…ダメかな…」

 隼の事を気に止めず竜兵は首を傾げる。

 少し考えるように隼を見てから、また病院の方に視線を戻す。

「竜兵?」

 隼が名を口にすると、竜兵は病院に目を止めたままで意識を向けた。

「隼のクラスメイト」

「俺の…」

 隼も病院の方に目を向ける。

「田中か?」

 隼の視力ではわからないのか、竜兵に訊くと首を傾げるだけであった。

「わからない。そう思っただけ」

 竜兵はひくひくと鼻をひくつかせる。

 目よりも鼻の方が頼るように空気を探る。

「よくわからない」

「まあ、仕方ないか…調べるか…」

 隼は病院を見て、竜兵に視線だけを向けると木の上から無造作に降りる。

 軽く十メートルはある木の上から音もなく、なんの衝撃もなく軽くジャンプでもしたかのような調子で降り立った。

 遥か上で竜兵が覗き込んでいるが、気に止める事なく歩き出した。

「いってらっしゃい」

 竜兵は手を振って木の上に座り直す。

「謳うほどでもないか…」

 人の立ち入らない森の中を歩きながら、隼は喉元に手を当てて調整するかのように言葉を紡ぐ。

 森を抜ける頃には言葉を止める。

 わずかに銀色の煌めきが零れるが、隼は森を出た日の光に目を細めただけだ。

「狼か臣人でも…」

 スマホを探るがすぐに手を止めた。

 病院の方から来た人物に目を向けた。

 今日は結局学校を休んだ田中が、スマホ片手にふらふらとおぼつかない足取りで近付いて来るのが見えた。

 制服姿でカバンも持っているから学校帰りに見えるが、ふらふらとした足取りやその表情はまるで酔っぱらいだ。

 スマホを見ている訳ではないのか、ただ手にしているだけだが、田中は誰かと会話をしているかのように口元が動き、頷いては歩く方向を変えているように見える。

 隼は木の陰に身を寄せ、田中を見据える。

 スマホの画面は黒いが、受信はしているのかチカチカとランプは点滅している。

 田中の動きを注意深く見ればその点滅に合わせて、会話をして頷いているのがわかった。

「居た。田中!」

 その声に身を隠すと、バタバタとした足音とともに鹿島と佐竹が駆けて来た。

 隼には気付かなかったらしく、二人は田中の腕を掴むが田中の方は二人に目も止めず、ただふらふらと歩いて行くだけだ。

「田中、田中って」

 鹿島がぶら下がるように田中を止めようとするが、田中は二人が視線に入ってないかのように歩き続けて行くだけだ。

「おい、田中、どうしたんだよ。お前、学校に来ないでどうしたんだよ」

「家にも帰ってないだろう。お前、どうなんだよ」

 二人は田中を止めるが、田中はやはり止まらない。

「田中!」

 鹿島が声を張り上げるが、田中は二人を振り払う。

 ふらふらと歩いているようで、田中はただの一振りで二人を払いのけてスマホをチラリと見て、また歩きだす。

 隼は三人を見つめ、項垂れる二人に目を止め、喉元に手を当てると息を吸い目を閉じた。

 そのまま小さく音を紡ぎだすと、田中の周囲に銀色の光がまとわりついた。

 鹿島と佐竹は気付かなかったのか、田中はその光に目を止めると、何かに怯えるように身をよじる。

 人の耳には心地好い音楽。

「た、田中?」

 佐竹が心配そうに田中を見るが、田中は振り払うように、音から逃れようとするように身をよじる。

「音楽?」

 鹿島が音に気付いて辺りを見るが、近くには音を奏でるものはない。

 ピアノのような音は穏やかな旋律であり、けして不快な音ではないのに、田中は耳を押さえて音から逃れようとするばかりだ。

 隼は木の陰に身を置き、静かに音を紡ぎ続ける。

「田中、おい、田中!」

 佐竹は身動きを止めた田中を止めるが、隼は音を止める気はなく、銀色に輝く光は隼の唇から零れていき田中を絡め取る。

 いや、田中の周囲に渦巻いていた黒い靄をほどく。

「田中、大丈夫か?」

 鹿島が覗き込むと、田中はスマホを落とした。

「あ、あれ、鹿島?」

 はっきりと鹿島と佐竹を見ると、田中は二人を見比べるように視線をさ迷わせるが、すぐに自分の立ち位置を見て頭をひねる。

「こ、ここ、ドコ?」

「ドコじゃねえよ!お前、昨日から何してたんだよ!本当、心配してたんだぞ」

 鹿島が腕を掴んで揺さぶるが、田中は頭に?マークを浮かべるだけだ。

「俺…何してた訳?」

 心底不思議そうに二人を見る。

「お前、本当にお前は…」

 二人は何かを言いたそうではあるが、いつも通りの田中に安堵したように息を吐いていつも通りにバカな会話を始める。

 何事もなかったかのように、いつも通りに日常に戻っていった。


 三人が歩きだすと、隼は木の陰から立ち上がる。

 喉元から手を離し、琥珀の瞳で三人を見送りゆっくりと田中が居た場所に近付き、銀色の光の欠片を掴むと黒い靄を拾う。

「これ、あいつの力じゃねえな」

 光とともに靄も四散する。

 わずかに銀色の光の方に靄も隼の中に消えた。

「これは…もっと上位の神の欠片か…」

 目を細めた隼は手を祓い、歩きだす。

「隼?」

 その声に肩越しに視線を向けると、猛がこちらを見て手を上げてくる。

「猛、か…」

 隼の方は猛を見ると少しだけ体の向きを変えるだけだ。

 小走りに近付いてくる猛をぼんやりと見ながら、口の中で何かを呟き、すぐ側に来た猛を見上げる。

「どうしたんだ?お前は竜兵と見張りだったろ」

 猛は周囲を見回すが、すでに処理を終えた場は何もないため、猛は不思議そうに首を傾げるだけだ。

「猛は、何をしてたんだ?」

 猛の来た方向に目を向ける。

 田中と同じ方向、病院の方からやって来た事を訊いてみるが、猛はチラリと病院の方を見るがなんでもないと答えるだけである。

「…まあいいが、猛」

 隼がじっと見るが、猛は視線を反らす事なくその視線を受け止める。

「いいが、お前がなんでもいいが、俺はいいが竜兵には…」

「わかっている。僕は君達の味方だよ」

 細い目をさらに細めて猛は笑いかける。

「様子は?」

「変わらず…あの子は、眠る事で止めようとしているのかな…すでに封印は解かれ、世界は変わっているのに」

「自分が世界に居る事を赦せないだけだろう。義人と猛が死んだ事もあるんだろ」

 そう言いつつ猛を見上げると、猛は苦い表情で笑みを歪めた。

「自分でコントロールができるなら、大丈夫だ」

 隼はふいっと視線を外す。

 猛は言う事がないのか、隼を見るだけで家路につく。

「盟約は、果たされなければならない」

 そう呟くと、隼は森の方へと戻っていく。

「契約は今でも存在するか…お前達は、ドコまで彼の願いを受け止める。彼は俺達を赦してくれた」

 その言葉に答える者は居ないが、隼は自分の影を見ると、その影が揺らぐ。

「お前は、あの子の影に居るといい」

 そう呟くと、影は応えるように揺らめき、元の影に戻るだけだ。

「隼、どうした?」

 ひょこっと顔をだす竜兵に、軽くため息をつくだけだった。

「大丈夫か?」

 かくんと首を傾げると、軽く頭をなぜてやる。



3 風の印


 竜兵が目を開けると、周囲で女子が笑顔で覗き込んできた。

「?」

 寝ぼけた表情で女子達を見上げ、自分の頭に触れるとぴたっと動きを止める。

 クセのある長めの髪は綺麗に透かれ、シュシュでまとめられているのがわかる。

 クスクスと笑っているはクラスの女子達で、編入早々竜兵を弟のように可愛がっているメンツだ。

 その辺の女子よりも小柄な竜兵は遊び相手として最適らしい。

「お前、そこまでやられて寝てるかよ」

 呆れたような声に竜兵が前の席の男子を見る。

 編入直後から女子のオモチャ状態の竜兵が気にいらないのか、事あるごとに絡んでくる彼を見上げる。

 臣人と同じぐらいだからか見易い。

「三田君、何、一緒に遊んで欲しいの?」

 女子にからかわれた三田は、竜兵を睨みつけて前を向く。

 髪のシュシュを外し、竜兵はクラスメイトを見回す。

「雷君、もう外すの?」

「俺はいらないよ」

 なでつけられた髪をクシャクシャと戻す。

「可愛い」

 そんな仕草も、見た目が幼児なためか女子からは好評なようだ。

 三田だけじゃなく、クラスの男子が舌打ち混じりに見てくる。

「お前、本当、男かよ」

 ぼそりと言う三田を睨みつけるのは女子で、竜兵は呑気に見ているだけだ。

 男子の喧嘩にはならず、竜兵は一切気に止めずにいるうえで、女子が竜兵を庇うので喧嘩にはならない。

「喧嘩はダメだよ」

 喧嘩を売られているはずの竜兵がそう言うのだから、女子は静かになり三田も黙る。

 授業のチャイムに教師が入ってくると、完全にいさかいは止まる。

 竜兵は教科書を取りだして前を見る。

「あれ、誰?」

 教壇に立つ教師を見て呟く竜兵を、三田が不思議そうに見てくる。

「英会話のブライアン先生だよ。お前、会った事ないのか?」

「ブライアン?」

 まだ一週間も経ってないために全教科を受けてはいないが、外国人の教師を見た覚えがない。

 編入時には職員室に行った事があるが見た事がない。

「匂いも知らない」

 すんすんと鼻を動かすが、一度も嗅いだ覚えのない匂いがするだけだ。

「はっ?」

 竜兵のセリフに三田は不信そうに見てくる。

「いつもは居ないの?」

「はっ?」

 三田は今度は心配そうに見てくる。

「毎日、来てるぞ」

「そう…なの、か?」

 竜兵はまだ鼻をひくつかせてブライアンを見る。

 見た目が幼いとはいえ子供ではないのだから、三田は心底不安そうに見るだけだ。

「匂いの知らない奴はダメ?」

 ぽそりと呟く竜兵に、三田はもう後を見る事はなかった。


「英会話の授業、あるな」

 臣人が答える。

「一年は週一だよね。二年から増えるんだっけ?」

 狼が隼に訊く。

「ん」

 玉子焼きを食べながら考える。

「ブライアン先生」

 竜兵が名を口にする。

「ブライアンか…居ないんじゃねえ」

 さらりと言うのは義人だ。

「居ないの?」

 竜兵は義人の弁当の残りを貰いつつ訊く。

「だって、英会話の授業自体ないだろ」

 しれっと言う義人に、一年組が見る。

「ないな」

 隼も同意する。

「ない?じゃあ、英会話の授業はいつからあるんだ?」

 臣人が年長の二人を見る。

 一年の授業には確実に英会話の授業がある。時間割に英会話の文字があるのだから間違いないだろう。

 だが、二年三年の時間割には英会話の文字はない。

 その不自然さに誰も気付いてない。

「でも、ブライアン先生?は、違うよ」

 竜兵は 自分の鼻を示す。

「僕は視た事がないな…」

 狼は自分の額をバンダナの上から押さえる。

「俺はわからんしな…」

 臣人は茶を口にしながら頭を捻る。

「そのブライアン先生?は、見ればわかるよな」

「そりゃ、唯一の外国人だし、見ればわかるだろ」

「なら、隼が見ればいいんじゃねえの」

 コーヒー牛乳のパックを握り潰す。

「まあ、一年だけってのもだしな…あいつなら竜兵達を覚えているだろ」

「半月も経たずに忘れたら、どんだけって感じだろ」

 臣人がいやいやと手を振る。

 とてもでもないが、そんな敵は嫌だ。

「まあいい。早めに済ませるか」

 隼は残りの弁当は竜兵の口の中に押し込む。

「いや、残飯処理じゃないんだから、食べれないなら残してもいいよ」

「もったいない。後、俺食べたい」

 狼の言い分に竜兵の方が言う。

 残り物でも食べるだけ食べたいらしい。

「英語の教師は職員室に居るのか?」

「ああ。そのはずだな。他の教科のように専用の準備室はないぞ」

 義人が言うと、二人は早々に屋上から出て行く。

「俺等も付いてく?」

 臣人はまだ残る弁当を竜兵から隠す。

「必要ないかな…というか、ぞろぞろと行って目立つのもどうかと思うし」

 狼が止めると、臣人も頷いて納得顔で、竜兵は弁当を食べるのに忙しいようだ。

「まあ、大丈夫でしょう」

 狼も呑気に弁当を食べる。


 隼と義人は職員室へと向かうと、途中で三人組に出会った。

「牧村…」

 田中がドコかバツが悪そうに見るが、隼は気に止める事なくチラリと見たぐらいで、義人はオロオロとする鹿島と佐竹を面白げに見ているだけだ。

「なんか、よく覚えてないが、その、わ」

「なんの事だ?」

 しれっとした表情で田中を見てから、視線を外すなり義人が前に出る。

「ちょっと聞きたいんだが」

「えっ?あ、三年?」

 義人のネクタイを見て少し下がる。

「あ、俺は佐々木義人。考古学者の佐々木正義の孫みたいなモノなんだが」

「へっ?」

 田中が義人を見て青ざめるが、義人は気に止める事なく三人を見るだけだ。

「なんで、ウチの学校に…」

「仕事と好奇心は完璧にこなしたいだけだ。魔封山の事は話たい時に話は訊くけど」

「ア、ハイ」

 田中は義人を見てコクコクと頷く。

「お前、田中だっけ?お前の家がじいさんの葬式を手配してくれたんだよな」

「えっ、その、そうです」

「そっか、で、この学校って英会話の授業ってあるのか?」

 突然に話を振られて、田中のみならず鹿島と佐竹も目を丸くする。

「ウチには英会話の授業はないが、佐々木先輩は英会話をしたいのか?」

「英会話?必要ないけど、俺は外国生活の方が長いから英語の方がなじみ深いが」

「なんで英会話の事訊くの?」

 鹿島のつっこみに、義人はしれっとする。

「いや、外人の先生が居るなら、話のもいいなと、日本語より英語の方が話やすいしな」

「外人の先生も居ないぞ」

 佐竹が言うが、田中は少し考えるように視線を外す。

「……」

 隼をチラリと見てから、義人は田中の首に手を回して隅っこに移動する。

「えっ、佐々木先輩?」

 佐竹が心配そうに言うが、義人はそんな事は気にせずに田中を連れていく。

「そうか…で、田中、外人は居るんだよね」

「あ、ああ」

 コクコクと頷く。

「ブライアン先生だろ」

「ブライアン先生は英語の先生?」

「スクールカウンセラーだよ。鹿島達は知らないかもだけど…」

「スクールカウンセラー…職員室に居るの?」

「いや、普段は…」

 困ったように田中は首を傾げる。

 考えるように眉間にシワを寄せる姿に、義人は田中を離した。

「?」

「そうか…ん、そのウチ会うだろ。何人にしても、話が合う人だといいな」

「そうですか?」

 不思議そうに言う田中に、義人はしれっとした表情で見るだけだ。

「さて、隼」

 義人は隼を見ると、隼はあっさりと方向を変えた。

「隼、どうする?」

「スクールカウンセラーが外人ってのも変だろ」

「少なくとも、田中を使っていたのはそいつだろ。魔人じゃないにしろ、見逃す通りはないな」

 隼の言葉に、義人が頷く。

「カウンセラーか、三年は世話になってそうだな」

 そこそこに進学校なので、三年には色々とストレスがあるはずで、カウンセラーの世話になっている者も居る事だろうと思う。

 編入してきた時から、三年の教室はどうにも居心地が悪い空気があったものだ。

「とりあえず、俺が調べておく。一年トリオには、英会話の授業は気を付けるように言うべきだろ」

 義人が言うと、隼も軽く頷くだけだ。


「スクールカウンセラー?」

 義人を不信そうに見てくるクラスメイトに、義人は気に止める事なく笑顔で先を促す。

 編入して来て以来、まともに会話した事のない義人の問いに、どうしたらいいのかという表情だ。

 義人の方は一切気にする様子もなく、ただにこやかな表情で見ているだけである。

「いや、スクールカウンセラーが英会話の授業をしているとか聞いて」

「はっ?」

 心底不思議そうに義人を見てくる。

「ん?一年に聞いたんだけど、違ったか?外人って聞いたから話のもいいなと思って、事前に予約的なモノは必要?」

 軽い調子で訊く義人を不信そうに見つつ、少年は首を振ると窓の外を示す。

 彼が示したのは職員室の横にある部屋だ。

 L字型の校舎は互いに見えやすいようになっている。

「えっと…あそこは生活指導室?」

「普段はあそこに居る。別に予約とかはいらない」

「へえ」

 義人は室内を覗こうとするが、角度が悪いのか見えない。

「ふむ」

「ブライアン先生はいい先生らしいけどな…まあ、俺は見た事がないけど」

「へえ」

 頷きながら、義人は席についてノートを取り出す。

 やや興味を持ったらしい少年が覗き込むが、ざっと走り書きしたのは日本語ではなく覚えのない文字だ。辛うじて理解しようとするなら、ラテン語であるとわかるだろうが、少年は首を傾げると気味悪そうに義人から離れて行くだけだ。

「さて、どうするかな…俺は転校生だしな…」

 ざっと走り書きしたノートを読み直し、義人はさらに何かを書き込む。

「ん、まあ、それでいいか」

 ノートを閉じ、授業のチャイムを聞きながら一人納得していた。


「ふむ」

 扉の前で義人は室内をうかがう。

 これといった音は聞こえないので少なくとも 先客は居ないのだろうと思う。

 放課後になると同時に来たので一番乗りか、単に毎日生徒が来る場所ではないだけの事だろうが、誰も居ないという訳ではないと思う。

 扉には指導室とだけ書かれている。生活指導室と進路指導室が同じらしく、 普段はスクールカウンセラーが待機していて、生活指導時も同席しているらしい。

 まあ、進路の相談にも対応してくれるらしいから、三年はスクールカウンセラーが進路指導相手という認識の者も多いらしい。

「ふむ」

 もう一度頷くと、扉をノックする。

「どうぞ」

 そう声が返ってくるのを待って、静かにドアノブを回す。

 やや狭く感じられるのは両側の壁が資料棚で埋まっているからか、少なくなくとも長居したくはない部屋だ。

 まん中にテーブルとパイプ椅子のセットが置かれ、窓側にパソコンが乗った机、その前に背を向けた男が座っている。

 回転式の椅子のまま振り向いた男は、やけに痩せているんだがと思う外人。

 年は五十代か、薄くなった金髪を無理に撫で付けたような頭、細い顔に線で描いたような顔、スーツが体に合ってないためかより痩せているように見える。

 この人に進路指導を受けようと思うだろうか、などと失礼な事を考えつつ、義人は軽く会釈をして室内に入り、うながされるままにパイプ椅子に座る。

「えっと…君は三年に編入してきた佐々木君だよね」

 流暢な日本語でそう話をしてくる。

 内心感心しながら頷く。

 見た目と違い、しっかりと生徒を把握しているようだ。

「なんの用かな?」

「あ~、まあ、俺は今頃編入してきたから、どうにもクラスに馴染めないかな…と」

 一切思ってはいないが、そう話をしてみる。

「君は、それほど気に止めているようには見えないけど、心配事ができたのかな?」

 義人は表情を変えず、ブライアン先生を観察する。

「まあ、俺は転校自体は慣れてるから、それでも周りは気になるよ。あの事故でじいさんが亡くなって居場所がないしさ…あんま、腫れ物なのは、な…」

 クラスで浮いているのは単に受験勉強の問題な気もするが、義人が佐々木正義の孫という事も知られている。

 何人かに、直接お悔やみを言われたりこそこそと噂されているのは知っている。

 大多数が、義人を迷惑に思っているのは知っているのだ。

 町では思い出したくもない悲惨な事故。

 色々とマスコミに報道されたり、取材に迷惑をした者も居るだろう。

 町が呼んだ有名な教授が亡くなったというだけでもストレスなのに、その孫がやって来たのだからストレスも多いだろう。

 本人は気にしてないが、周りはそうもいかない。

「俺は別にじいさんが亡くなって悲しいけど、この町のせいとか思ってないし、じいさんも恨みはしないよ。そうゆう意味じゃさっぱりしたじいさんだし」

 実際、本気でそう思っている。

 拾われてこの方、義人は独特の死生感を教えたられてきたので、祖父が亡くなって悲しいと思う事と、事故の事は気に止める事は別なのだ。

 死んだ事よりも、魂の在り方に重きを置く義人には、事故で死んで悔しいなどという感情はまったくない。

 たらればやもしもなどという考えはなく、例え目の前で殺されたとしても、憎む気などないと思う。

 相手を憎む事でもしもが起きる訳でもないので、現実は現実で受け止める事が当然なのだ。

 その後、憎むというより相手を赦すかは状況次第という感じだ。

 理不尽に殺人なら相手を止めるが、今回のような事故を恨むという感情はない。

 他人から見れば冷たい人間のように思われるだろうが、祖父がそのそう教えられてきたのだから仕方ない。

「ふむ…君は、周りが心配という事かな?」

「まあ、俺は平気ではある。でも、俺を勝手に可哀想という奴に限って、ん~勉強が進まないのは俺のせいみたい。な」

 義人は考えるように言うと、ブライアン先生はうんうんと頷いている。

 うまく説明ができないという調子で話をすると、全てを理解をしているという表情で頷いている。

「俺も、受験まで一年もないし、この学校に来たのは単に世話になる家の都合で意図的なモノはないし、正直、俺は友達ができないのはいいんだ」

「本当に?君は本当に一人で平気なのかい?」

「俺は、でも、俺のせいで誰かが悲しいのは…な」

 単にいい例えが思いつかなかったので、適当に言葉を濁す。

「そんな事はない。君が悪い訳ではないのだから、心配しなくていいんだよ。君は大丈夫だ」

 ブライアン先生が義人の肩に手を置く。

 義人は表情をわずかに変え、ブライアン先生を見上げる。

「そう、君は大丈夫なんだよ。そう、誰もが君の事を理解してくれるようになる」

「そう、です…か」

 ブライアン先生が肩を掴む手に力を込めると、意識がどこか遠く感じた。


「義人、お帰り」

 竜兵の声に義人は我に返ってきた。

「義人?」

 覗き込んできた竜兵を見下ろし、軽く頭を振る。

 ブライアンと話ていたのは覚えているが、途中からの記憶がない。

「俺、今、帰ってきたのか?」

「義人、どうしたの?」

 不思議そうに聞いてきたのは狼だ。

「俺が」

 義人は表情を曇らせ、リビングの席につくと狼がお茶を置く。

「どうなんだ?」

 臣人がどこか気遣うように訊くと、義人はより渋面を曇らせ茶を口にする。

「くっそ、油断してた訳でもないが、隼、俺に何かあるか?」

 まずは自分を示す。

「いや、何も」

 隼は目を細めて注視するというより、チラリと見たぐらいで判断した。

「そう…か、まあ、俺はいつでも処分するばいいだけだしな」

「義人は義人の匂い」

 のしっと背中に乗った竜兵が言うと、義人は小さく笑う。

「で、そのブライアン先生はどんな人?」

 話は聞いていたのだろう猛が訊く。

「見た目五十代、英語圏の人間じゃないだろ。日本語は上手いけど、ときどき発音がな…多分、ロシアかその辺りの出身だろうな」

「そうなのか、ロシア人?」

 臣人が首を傾げる。

「白人の区別がよくつくな…ブライアンってのは偽名?」

「そうでしょうね。身分詐称している人が、素直に本名な訳ないでしょうし、アメリカ人に見せたかったのかな?」

「多分、学校に潜り込むためだろ」

「学校?」

 竜兵が首を傾げると、義人は一緒に同じ方向に首を傾けつつ、隼を見る。

「学生はある意味使いやすいうえに簡単だしな」

「まあ、ロシア人がスクールカウンセラーってのもありかもしれないが、やっぱスクールカウンセラーというとアメリカの方が普通。それに英語が普通なら生徒の勉強にもいいだろ」

 義人は当然という風に説明する。

「それに、ロシア人よりアメリカ人の方がどんな人種が居ても気にしないしな」

「ブライアンは偽名、身元バレで奴がどんなモノかわかるぐらいだろ」

「人間なのかい?」

 猛の問いに義人は少し考えて頷く。

「人間じゃないなら、俺がわかるだろう。俺の経歴は知っているみたいだが、俺がお前等とつるんでいるとはないらしいな」

 一年トリオと隼を示す。

 正直、このメンツとつるんでいる時点で不自然だろう。

 学年が同じ三人ならともかく、出身も違う学年も違う隼や義人がのに普通に昔馴染みさながらに、名前を呼び捨てにしているうえに、昼食をともにするという事もありえない。

 同じ下宿で暮らすからという事になっているが、この関係からともに暮らす事にしただけだ。

「ん~俺の話をまともに聞いて、受け止めるだけならカウンセラーっぽいよな」

 首をひねりながら言う義人に合わせるように竜兵も首をひねる。

「お前の話というか、死生感は普通じゃないよな」

 臣人が眉を寄せていた。

「ん、大丈夫。俺はよくわかってるから、じいさんの教えがぶっ飛んでいるのはわかってる」

「あ、うん」

 狼が苦笑いをするばかりだ。

「でも、あの男は受け止めるだけ受け止めて、同意したぞ。悲しいを理解してないは悲しいが普通だろうに、あいつは悲しいを理解しないは普通みたいな感じだったな」

 義人は思い出した事を言う。

「えっと…悲しいを理解しない事がいいって事?」

 臣人が首を傾げる。

「うん。まあ、それでいいかな」

「言っていると訳わかんなくなるな」

 猛が頷く。

「そうだ。あいつが受け持った生徒を探って、その後から記憶がないか?」

「生徒は?」

「田中の他に数名、知っている名前も誰か大事な人を亡くしたって奴だな」

 義人は紙とボールペンを取ると、思い出した名前を書き出す。

「田中はばあさんを亡くした」

 一番上に書いた田中の名前の横にそう書き足す。

「で、この中村ってのは隣のクラスだが体育は一緒で知っている。ずっと休んでるから聞いた話だと、火事で弟が亡くなっていた」

 義人も体育を休んでいるので、話をした時に親しい者を亡くした者同士でそんな話を聞いた事がある。

「この名前、知っているな…」

 隼が二年の名前を示す。

「この名前、僕のクラスの人かな」

 狼も見て頭をひねる。

「たしか、こいつは親友が亡くなったという話を聞いたな」

「後何人かの名前も、ちょっと覚えがあるな」

 隼が名前を見て言う。

「高校生にもなると、身内の誰かが亡くなってるよな…俺だってイトコが亡くなってるし」

 臣人が言うと、全員が思い出すように頷く。

「俺は居ないよ」

 竜兵が言う。

「葬式とかの経験は?」

 狼も意外そうに訊く。

「俺もじいさんしか身内は居ないが、葬式はよく出たな…知人の葬式だけで百件」

「多いな…僕も、両親が初…」

 少し言いづらそうに猛が呟く。

「あ、うん…」

 狼が困ったように頷く。

「親の葬式は、ご愁傷さま…」

 臣人も言葉を選ぶが思いつかなかったようだ。

「親も葬式は出た事ないな…母方の親類は元気すぎだからな」

「父方は?」

「俺私生児。父親は知らん」

「そうだっけ、ごめん」

「気にはしない」

「俺も一緒、とうちゃは生まれる前に死んだ」

「前に聞いたから、後、明るく言う事じゃないぞ」

 臣人が軽く頭を叩く。

「で、結論として、身近な人が亡くなっている奴がターゲット?」

 義人が名前を書き出した紙に話を戻す。

「でも、それでどうするんだ?」

「基本、あいつ以外は、ようは宗教団体みたいなモノと考えていいと思うぞ」

「えっ、勧誘?新興的なモノなのか?」

 臣人が意外という表情で聞き返す。

「ある意味、どの宗教より古いだろ。しかも、実害あり」

 義人が嫌そうに頭を振る。

「本物であればあるほど、実害がデカイよな…実害レベルが宇宙規模とか、どんな厨二…」

「臣人、それはいろんな意味でイタイ」

 狼が青ざめた表情で言う。

「わかってる。俺だって、設定が自分につくとか思わなかった」

 心底嫌そうにぼやいた。

「諦めろ。盟約者とかいう段階でアウトだから」

 面白げに言う義人に、二人はより一層暗い表情となる。

「盟約者としては、僕と君も人の事を言えないかと…」

「猛、設定なんざ突き抜ければ吹っ切れるもんだぞ。俺は、設定的なモノがありすぎるから、今更だからなんとも思わん」

 堂々と言い切る義人を、狼と臣人の二人が真顔で見つめる。

「さて、くだらん話は置いておいて、暫くは義人はブライアン先生とやらについていてくれ」

「わかった」

 義人は軽く頷く。

「でも、親しい人を亡くした人を集めてどうするんだろう…そんな人の悲しみを癒すとか…ないね…」

 狼が自分の考えをあっさりと否定する。

「そんな人道的な神は邪神じゃないな」

 臣人の言葉に、狼も頷く。

「ん~そうなると、何が目的で人を集めている?」

「別に目的はないかも。ようは宗教団体みたいなものだから、人を集める事はあるだろ」

 隼は当然のように言う。

「それもそうか…人が入信しないと彼の神を覚えている訳ないものな」

「既存の宗教に統合されたり、単純に悪魔信仰として残ってる場合もあるしな」

 隼は事故後に調べた世界中の宗教を検討して、元ネタになったモノを簡単に説明する。

「まあ、宗教と考えると、同じだね…一応はご利益的なモノもあるし」

 多少言葉を濁す。

「平たく、こっち来るな…をリアルで言う事になるだけだよな…言っちゃ悪いが、逝くなら一人で逝ってくれだよな」

 臣人がうんざりとした表情でぼやいた。

「義人、田中はもうブライアン先生?とは合わないだろうから、田中に接触しないように見張ってくれ」

「面倒な」

「あまり俺の存在は知られたくはない。ただの人間なら問題はないが、クラスによっては前回の二の舞だ」

「やり合いたくねぇ」

 臣人が心底から声をあげる。

「あの時は墓標だからよかったけど、アレみたいのが町中って、怪獣大決戦?」

 狼が青ざめた表情で震える。

「そうなる前に、いろんな意味でお帰りいただこうか…どこへかは知らんが」

 ニヤリと不敵な笑みを刻む隼を、竜兵以外が思わず視線を外した。


「ブライアン先生、こんちは」

 軽い調子で義人が声をかけると、ブライアンはにこりと人の良い笑顔で迎え入れてくれた。

「佐々木君、今日も話を聞きに来てくれたのかい」

「ああ、やっぱクラスでは居づらい気がして、ご飯を一緒にしていいかな」

 購買の袋をかかげると、ブライアンは少し考えるような仕草をするので、義人は表情を曇らせる。

「迷惑か…そうだよな…突然は…」

「嫌、他にも人が来るが、いいかな?」

 呼び止められたところで、義人は少し考える素振りを見せるが、すぐに頷くと室内に入る。

「他のって、この前聞いた奴等?」

「そう…君同様に悲しい子達だよ」

 その言葉にわずかに顔を伏せる。

「…そう、か」

 それだけを口にして、それ以上は何も口にしなかった。


「義人、大丈夫か…」

 屋上からでは窓ぐらいしか確認できない。

「大丈夫とは思いますが、操られるとかはないですよね…」

 やや心配そうに狼も下を見る。

「大丈夫」

 竜兵はあっさりと肯定して、二つ目の弁当を食べている。

「竜兵、それ義人の弁当だよね」

「貰った。弁当はしっかりし過ぎだろうから、って言ってた」

「それもそうだな。下宿暮らしでもそうなのか?」

 臣人が首を傾げる。

「まあ、あいつはそうゆうトコは計算高い。人心を読むのは上手い。場馴れしているから、相手の手の内が知れれば、義人の手の上だろ」

 隼がさらりと言う。

「そうだね」

 狼が頷く。

「あの時も、あいつが支えだったな」

 臣人が静かに言う。

「義人は俺等よりも、場数を踏んでるだけに、操られるのも手立てにしてそうだよな」

 隼の言葉に三人も頷く。

 軽い言動の大半は計算ずくなのが義人だ。

 生まれた時から大人相手に生きてきただけに、義人は世渡りが上手い。人の顔色を伺うのが上手い。

「探りは義人の得意分野だ」

 竜兵がさらりと言うのは、信用しているからの言葉だ。

「さて、義人がドコまで食い込めるかな…」

 残ってる弁当は竜兵に押し付ける。

 竜兵は普通に食べながら頷く。


 田中は変わりなく鹿島や佐竹と行動をともにしていて、ブライアン先生の事はよくは覚えていないらしい。

 鹿島達は田中を心配してはいるのだろうが、これといった行動はなく、いつも通りに接している。

 いい友達関係だとわかる三人を眺めていると、鹿島がこちらを見てくる。

「牧村」

 佐竹に田中を任せて声をかけてくる。

 田中はまだ困ったように隼と目を合わない。

 田中が隼に突っかかっていたのはブライアンの影響だったのだろう。今、ブライアンの影響がなくなったためか、普通に人の良い彼は隼に悪いと思っているだけのようだ。

「なんだ?」

「放課後、ちょっといいか?」

「放課後?」

「少しでいいんだ。俺だけだし…その、お前って佐々木先輩と知り合いなんだよな?」

「義人?」

 普通に名前で呼んだからか、一瞬、鹿島は頭を傾けてから頷く。

「…まあ、いいが」

 田中ではなく鹿島がなんの用かはわからないが、田中の事なら聞いておいた方がいいと思い、軽く頷くと鹿島は安心したように息を吐いていた。

「じゃ、後で」

 鹿島は安心したように言うと、二人のトコに戻り授業が始まるまで話していた。

「まあ、田中の様子は大丈夫か…このまま二人に任せていいか」

 ヘタに自分が介入するより、友人二人に任せておく方がいいと判断した。


 ホームルームが終わるやいなや、鹿島は隼の元に特攻してくる。

 有無を言う間もなく連れてこられたのは、学校から少し離れた喫茶店。

「いらっしゃいませ」

 知った顔がどうしたものかとこちらを見てくる。

「マスター、奥の席借りるよ」

 鹿島も馴染みなのか、店主の井上に声をかけて奥のボックス席に隼を引っ張って行く。

 井上が何かを言いたげであったが、隼は口元に指を立てて見せると、井上はこくりと頷く。

「お水。注文は後でかな?」

 席に着いた直後に水は運んできた井上に鹿島が頷く。

 隼は水に口をつけ、鹿島の方に向き直る。

 鹿島は水を一挙両得にあおり、少し言いづらそうに隼を見るが、深呼吸をして隼に向き直る。

「お前、なんだ?」

 そう問われても、隼は水に口をつけたままで止まる。

「えっ…と、それに俺はどう答えろと?」

 答えようのない問いに、隼は不思議そうに鹿島を見るだけで、鹿島の方も考えるように隼を見る。

「なんだが、なんだで、なんだろ…う?」

「いや、もう何を言っているのか…俺がなんだと訊かれてもどう答えろと?」

 同じ事を聞き返し、隼は鹿島を見るが、初っぱなから滑った鹿島は頭を抱えている。

「牧村…」

「あ、ああ」

「お前、と、佐々木先輩は元からの知り合い、か?」

「もっと軽く話せ」

 変な句切りで会話する鹿島を落ち着かせるように言う。

「あ、うん。その、な…」

 鹿島はそれでも緊張した面持ちで向き直る。

「俺と義人はこの町で会った」

「それって、事故の時…」

 義人が来た時の事は知っているらしい。

「えっ、でも…」

「お前は、何か知っているのか?」

 微かに隼の瞳が銀色を帯びると、鹿島は静かに隼を見つめていた。

「別に忘れている訳じゃない。記憶をずらしているだけで覚えていない訳ではない」

 隼の言葉に鹿島は暫く自分の頭を押さえていた。

「そう…だ。牧村隼…事故にあった一人、なんでお前の事を忘れて…」

「気にするな。で、お前が何があるんだ?」

 隼の言葉に鹿島は決意したように隼を見る。

「田中の事、お前は何かを知っているのか?」

「なんで?」

 隼は銀色を帯びた瞳で見つめる。

「田中がおかしくなったのは、ばあさんが死んだぐらいからだったけど、ああもはっきりとおかしく思えたのはこの前だ」

「それで、なんで俺だ?」

「お前、佐々木先輩の知り合いで、事故の真実を知っていると思ったから…お前が事故の当事者なのをなんで忘れてたかわからないが…」

「そこは気にするな」

 隼が強く見据えると、鹿島は軽く頷く。

「何か飲むか?」

 そう言うと、鹿島は軽く頷いて井上を呼ぶ。

 コーヒーを頼むと、来るまでの間は黙りこんでいた。

「はい。コーヒー」

 井上は二人を見てからカウンターに戻る。

「事故は、偶然だったのか?」

 コーヒーを握り、そう訊ねる。

「…どうゆう事だ?」

「田中のばあさんは、開発には反対していた」

 鹿島はチラリと井上を見ると、井上は視線を外している。

「それは聞いている。それで、事故が偶然じゃなかったらどうだと?」

 隼は鹿島を見ると、鹿島は少し考えるように視線を外していった。

「それは、ばあさんが言い残していた言葉を思い出したんだ…山で事故が起こるって、ばあさんは神様の怒りで人が死ぬって、だから、佐々木教授が亡くなったのは…」

  「そんな訳ない。あの事故は偶然にすぎない」

 隼ははっきりと言い切るだけだ。

「山の神が人を殺す。あの山に神は居ない」

「でも…神は、ばあさんは神は眠りの中に、風が荒れれば世界が荒廃するって」

「封の元が風なのはそれか…この模様に見覚えは?」

 隼がナプキンに卍と十字を組み合わせたような模様を書いて見せる。

「祭の提灯、古い提灯にはこんなのがあったな」

 鹿島の言葉に、隼は渋い表情になる。

「そう…か、お前はブライアンを知っているんだよな。あいつは、いつから学校に居る?」

「ブライアン先生?そういや、いつから…俺等が入る前から居るはずだが」

「そう…か」

 隼は銀色の双眼が煌めき、隼が軽く謳いだすと、鹿島の目がどこか不安定に揺れる。

 そのまま揺れる目が数度瞬くと、自分が何をしているのかわからないといった風情で見回す。

「俺は…」

「話は終わった。なんの心配もいらない。田中も、この町もなんの心配も、な」

「わかった」

 隼の言葉をそのまま受け止め、鹿島は大人しく店を出て行く。

「マスター、コーヒー代は」

 カウンターに居る井上に声をかけるが、井上はどこか遠くを見ているかのようにしている。

「あ、そうだった」

 隼が指を鳴らすと、井上は隼を見て頭を傾げた。

「あれ、隼君…鹿島君は?」

「悪い。俺の術は音であるからこそ、聞こえる範囲全てに通じるんだ。まだ区別はできない」

「えっ…と?」

 よくわからないという表情で井上が首を傾げた。

「気にするな。でコーヒー代はつけておいてくれ」

「あ、うん。それはいいけど」

「じゃ、また」

 隼は軽く頷いて、早々に店を出て行く。

「何か、あったのか…」


 家に着くなり、隼は台所に足を向けた。

 台所では、六人分ににしても大量の食事を用意する狼が居た。

「隼、お帰り」

 気付いた狼が声をかけると、隼は小さく頷く。

「ご飯はまだだけど、竜兵じゃあるまいし、何か用?」

 寸胴にカレー粉をいれて、狼はサラダのためかレタスを取り出す。

「簡単に、あの山には守護があった」

 隼の言葉に狼は首を傾げ、自分を示す。

「守護?あの墓標に、彼等以外に何かあったの?」

 狼は少し考えながらバンダナの上から額を押さえる?

「卍と十字の記があったらしい」

「そうか…盟約のために、風の紋様」

 狼はレタスをちぎりながら呟き、隼はそれを見ながら頷く。

「あの山は、墓標であると同時に、交差点だったんだろう。ようは、あいつ等は巻き込まれた奴等の子孫だろうな」

「子孫か…よく生き残っていたもんだな」

 風呂上がりなのか、臣人が冷蔵庫を開けて麦茶を取り出す。

「生きてるだろ。奴等もかつての人類だ」

 隼が冷めた表情で言い捨てる。

「そうだったな…道を違えても、同じ人類だったんだよな…ただの人類の子孫か…」

 臣人は麦茶を飲み干す。

「ところで、なんでカレー?」

「竜兵が食べたいって、トッピングは色々あるから好きにしていいよ」

「全部食べる」

 ひょこっと顔を出した竜兵が寸胴鍋を覗き込む。

「お行儀悪い」

 狼に怒られ、竜兵はあるレタスをちぎるのを手伝う。

「それにしても、彼がなぜ人を?ブライアンは信人しんとにしても、子供を操ってどうするつもり?」

 狼はトマトなどを斬りながら話を戻す。

「彼は何もないだろ。人間の方が勝手に神を名乗り、信人を作っているだけの事だ」

 隼は当たり前の事のように答える。

「まあ、人間に神の事がわかる訳がないか」

 臣人の言葉に狼も頷く。

「そうなると、取り返さないと、彼が盟約以外で復活とか…何が起こるか」

 身震いする狼を、竜兵がポンっと叩く。

「大丈夫」

 軽く言う竜兵に、狼は軽く頷く。

「なんで皆台所に居るんだ?」

 義人が覗き込んで来た。

「詳しい事は義人を交えての方がいいか」

「ん?」

 義人は首を傾げ、ご飯の準備を始めた四人を見る。


「古き盟約を持て、彼の者よ、その名を示して応えよ」

 独特の抑揚をつけた言葉は闇に溶けた。

 目の前にあるのは赤い魔方陣。

 その中央にあるのは古い石に刻まれた紋様。

 半透明の石に刻まれたその紋様は淡く鼓動するように明滅はするが、それ以上の反応はない。

 ただ明滅してすぐに消える。

「足りないのか…彼の者にもっと血を、もっと命を捧げなければ」

 青い目が狂気の色を見せる。

「星渡る翼、偉大なる風の王」

 石を手に取り、天にかざす。

「サザトゥース。大いなる風の神よ。この地に降り立ち、人間にその知恵をお与えください」


「誰も居ない」

 平然とドアを開け、義人は室内を見回す。

 昼食時は何人かが昼食のために居るはずだが、誰の姿もない。

 コンビニの袋は机に置き、義人は辺りを眺めていると視界の片隅にあるメモ帳に目が止まる。

「誰のメモ帳?めっちゃキャラ物」

 この部屋に出入りしているのは今のところはブライアンに相談してきた連中だ。

 正直、可愛いキャラ物のメモ帳など持つ代物ではない。

 義人はまだ二三日しか通ってないためか、他のメンツがどういう連中なのかわからないぐらいだ。

「隼と狼のクラスメイトだっけ」

 スマホを取ると、屋上で弁当中であろう隼に連絡をする。

「隼、誰も居ないんだけど、どうなってるんだ?」

「そうか、狼」

 向こうで会話をしているのか、暫く声が遠いが、少し待つと隼の声がする。

「学校に居ないな。義人、屋上に来い」

 隼に呼ばれ屋上に向かう。

 いつもは弁当に食いついている竜兵も、臣人も弁当を開けずに待っていた。

「隼、どうした?」

 狼は義人に気付いてないのか、屋上から町を見回しているようだ。

 臣人はただ待っているだけのようで、竜兵はふんふんと匂いを確かめている。

 隼は義人を見ると手招く。

 ぐるりと四人の態度を見回すと、隼の傍らに腰を下ろすと、臣人が周囲を探る二人に気遣うように静かに首を振る。

「お前等のクラスの奴は居たのか?」

「居ないな。朝から見てないから、今日は最初から居ないのかもな」

「そうだとしたら、ブライアンは生徒をどうしたいんだ?」

「わかりやすく」

 隼が言葉を区切ると、臣人は嫌な顔になり、義人はわずかに眉をひそめたぐらいだ。

「隼。あっちにやな匂い」

 竜兵がふんふんと匂いを嗅ぐのを止め、隼を見ると隼は静かに立ち上がる。

「何人居たっけ?そいつ等は、どうなるというのはわかりきっては居るが、ブライアンはもう学校に戻って来ないよな」

 義人が言うと、臣人も竜兵も表情を変える。

「少し考えより早かったか」

 隼が言うのを狼が閉じていた目を開けて頷く。

「僕等よりも早かったんだろうね。すでに領域が出来ているみたい」

 狼が竜兵の示した方向を示す。

「領域?人間が領域なんて造れるのか?」

 臣人が首を傾げる。

「領域?」

「墓標の簡易と思えばいい。結界の方がわかるか」

 義人の説明に竜兵は頷いておく。

「結界の方が近いかな…彼ほどじゃないし、多分儀式のためだけのモノだよ」

「でも、全然生け贄が足りないだろ」

「元々、生け贄を必要としない神だよ。彼は盟約の元に存在しているから、標があるなら訪れる。ただ、彼の盟約者は王だからね…単純に足りないんだよ魔力が…人間じゃ何人どころか、何万人居ても」

 狼の言葉に、臣人が嫌な表情をする。

「結界があるなら失敗で済むか…いや、ヘタするとこの町の人間を巻き込む…愛良に影響が出でもすると本来の神をも…」

 最悪の想像に狼と臣人が青ざめる。

「まあ、普通に止めるだけだろ。最悪、盟約を果たせばいいだろ」

 隼は涼しい顔で言い切る。

「盟約を形にする事は可能か」

 義人が狼を見る。

「えっ、僕…うん、まあ、そうだけどね」

 やや自信なさそうに呟く。

「やるしかないなら、やるだけだろ」

 臣人が静かに言う。

 狼も頷き、竜兵は元からやる気らしい。

「隼、俺は猛を呼んでくる」

 義人が言うのを、隼は軽く頷く。

 そして、次の瞬間には義人以外は屋上から姿を消していた。

「さて、と」

 義人は軽く伸びをして屋上を出て行く。


 4 盟約されし者


 古い祭壇には石が置かれ、ブライアンは地面にある紋様を描き、その紋様の中に数人の子供達を達を立たせていた。

 全員、虚ろな眼差しで立ち尽くしているだけで、自分の意志がないのは見える。

「この人数では足りないだろうが、仕方ないか…あの佐々木義人は惜しいが、時間がないか」

 ブライアンは子供達を見回すと、石に目を止める。

「だが、神が呼んでいるのだから仕方ない」

 首を軽く振り、準備を進めていく。

「そう、我が神よ。今こそこの地に降り立ちたまえ」

「降り立ちのは無理だろ」

 不意にした声に、ブライアンは声の方に目を向ける。

 見馴れた制服のネクタイは二年だが見覚えがない。

 最近編入してきたという少年にしても、まだ授業中のこの時間に、人払いしてあるはずのこの場に居るはずがない。

「君は…誰かな?」

 あからさまに怪しいこの状況ではあるが、いつもの人の良い笑顔を張り付けて訊く。

「いや、見ればわかるだろ」

 ネクタイを緩め、首元を開ける。

「ウチの生徒が、なぜ…授業中だろう」

「同じ事を訊くが、生徒を連れ出して怪しい事をしている訳だ?」

「…お前は、何者だ?」

「ん?」

 物わかりの悪い奴を見るように、ブライアンを見据えていたが、呆れたように息を吐く。

「奴等の天敵だな」

 ブライアン越しに儀式の場を見ていたが、何かに応じるように頷いた。

 ブライアンはその仕草に儀式の場を振り返ると、こっちは見据えのある小柄な少年と、赤髪、バンダナをした三人組が立ち尽くしていた生け贄達を担ぎ上げて撤収していた。

「なっ」

「結界の外に捨てとけ」

 そう言われたからか、三人は、というか小柄な少年が三人の生徒を担ぎ上げているにも関わらず走り、残りの二人も担いだ生徒を連れて走って行く。

「なっ、えっ、なんだ?」

 ありえない状況にブライアンが慌てた声をあげるが、三人は止まる事なくひょいひょいと去って行くのを見送ってしまう。

「お前等、なんだ?」

 残った名も知らない二年生を見据える。

「彼の神の信人が、俺達を知らない?」

「ば、馬鹿な…」

 何か思い当たったのか、あらためて少年を見回す。

 普通の子供にしか見えないが、思い当たる存在がある。

「旧人類だとでも、奴等は滅ぼされたはずだ!我等が神によって、愚かなお前達が滅び、神は我等新しい人類を産み出した」

「アホか、俺達人類は進化論の果ての生き物だ。旧人類は鎖の一つではあるが、神は関係ない」

 喉元に手を当て、口の中だけである言葉を呟くと、その喉元に青紫の光を帯びると、その光は楕円形の石となる。

「来たれよ。旧き神に支えし下僕の獣」

 不意にブライアンが言葉を紡ぐと、その足元に儀式の魔方陣のようなものが浮かび上がったと思うと、その影から巨大な影が立ち上がる。

 ブライアンを囲むように現れたのは巨大な人形、いや、人間ではないのは一目瞭然なのは腕と思われる部分が二対ある。

 一番近いのは類人猿か、それでも三メートルはある毛深い体格に短めの足、太い腕は二対四本とありえない姿をしている。

 首のない大きな頭、その顔は醜悪な猿のようでありながら四つの眼が開かれる。

「喰らえ、神のために血を捧げよ」

 ブライアンが少年を示すと、三体の異形達は少年に鋭い牙を向けた。

「ど、ら、ご、ん、キーク」

 何か間違った掛け声とともに、上空から小柄な人形が異形目当てにキックをかました。

 異形の三分の一もないような体が、上空からとはいえ異形を吹っ飛ばした。

「なんか違った」

 蹴りをした子供は綺麗に着地をし、そう声を張り上げる。

「色々間違えてる」

 戻って来たらしい二人のうち、赤髪の方が声を上げる。

「僕も間違えた。先に」

 その後に居た少年が声を上げた。

「うん、まあ、どうでもいい」

 三人の後で少年が言うが、少年は一歩も動いてはおらず、入れ代わりに三人の一年生が動き回っているだけである。

「なんだ、なんなんだ!」

 ブライアンがヒステリックに叫ぶが、四人は気に止める様子もなく、巨大な異形を前にしても変化はないほどだ。

「気にするな。お前は、ここで終われ」

「とりあえず、悪い事は謝れ」

「あなたがした事の反省は後で」

「黙って、くたばれよ」

 それそれが一気に言い捨てた。

「旧人類といえど、たかが人間、神の僕に勝てる訳がない!」

「んな訳あるか、そいつは神の僕じゃなく、旧人類のはぐれ、神に従った弱い種、異種族に過ぎない」

 赤髪をかきあげ、吐き捨てるように言う。

「まあ、この姿じゃ弱いかも知れないけど、異種族相手なら戻る方がいいよね」

 バンダナをずらして呟く。

「倒す。殴る」

「竜兵、それは単にアホな子だ」

 単語で言い切る子供に声を上げる。

「ああ、結界を強化するから、思い切りやれ」

 喉元の石に手を当てると、その瞳と黒髪が銀色に輝きだすと、高らかに謳いだす。

 綺麗な旋律は人の言葉ではなく、美しいピアノのような音楽だ。

 人がだせるはずのない音楽を、高らかに謳い上げる。

「なっ!」

 ブライアンが目を見開き、周囲の結界を見ると、銀色の光が細かい鎖のように周囲を囲んでいくのが見えるほどだ。

「馬鹿な…三年もかけた私の結界が、こんな簡単に…」

「当然だ。旧人類の王の種族の中でも最上位、魔術の王ビグステロ族だぞ」

 謳っているために語る事のできない隼の変わりに臣人が答える。

 やや銀色の瞳が不満そうに見るが、緩やかな旋律を止める事なく謳い続ける。

「旧人類であろうと、貴様等のようなガキに…」

「ガキじゃない」

 竜兵が声を張り上げると、制服を脱ぎ捨ててタンクトップに短パンという姿になると、その背中から被膜の深緑の翼がひろがり、同色の尻尾が伸びる。

 耳の後辺りから白い角が生え、犬歯が鋭さを増す。

「なっ、小さいままか!」

「うるさい!小さい言うな」

 牙を噛み合わせた瞬間、小さな焔が吐かれる。

 全体的に体格は変わらなかったので、子供のコスプレにしか見えない。

「竜兵、それはこいつ等を始末してからにしろ」

 臣人が声をかける。

 臣人も制服の上着とネクタイは外したが、それは動き易さのためだろう。

 薄紅色の髪の一部、こめかみ辺りに捻れたような一対の金色の角となり、右目はより深い深紅に、左目は鮮やかな青に染まる。

「まあ、この程度なら、すぐでしょう」

 狼は軽くネクタイを緩めただけだ。

 外したバンダナは左手首に縛っておく。

「あまり変わらない…一人、まったく変化がない」

 狼を見据える。

「あっ、僕?」

 狼はまったく変化のない自分を示す。

「僕は隼同様に肉体派の種族じゃないから」

 狼はバンダナを外した額をだすと、その中央、普段から触れている位置に縦に筋が入ったと思うと、透明な水晶のような瞳の縦長の目が開く。

「三つ目族…」

 その名を口にすると、狼は意外そうに見た。

「彼の信人としても、三つ目族の事を知っているなら、彼が生け贄なんて求めないぐらい、知っているはずだろう」

 狼はキッと睨みつけると、額の水晶眼だけがブライアンを見据える。

「僕は、狼。三つ目族長アクセスの盟約者」

 水晶眼が淡く光るのを、ブライアンは忌々しいモノを見るように睨みつける。

「そのような事はない!あの方がたかが人間に、貴様ごときに」

 ブライアンが狼を見たまま異形をけしかけるが、その前に竜兵と臣人が立つ。


 隼は頭上を仰ぎ、謳い方を変えていた。

 銀色に輝く瞳が見えない何かを見据えながら、ただ静かな旋律を口ずさむ。

 時折、指示するように指が動くぐらいで隼は立ち尽くしているだけだ。

 その背後でさらなる影が立ち上がるが、隼は気に止めずに謳い続ける。

 起き上がった異形が隼を狙うが、隼は爪先に光を集めて自分の影を叩く。

 次の瞬間、影が起き上がったと思うと、影は青白い毛皮に赤い瞳の虎へと姿を変えた。

 ただの虎ではないのはその額に伸びる捻れた一本角 でわかるだろう。

 五メートルはある巨体が隼の背を守るように立ちはだかる。

「汝、我が王に仇となるか」

 虎が吠えるが、異形は虎を見据えて襲いかかる。

 隼は気に止める様子もなく、自分の守りは呼び出した虎に任せて謳い続けている。

「ああ、綺麗な旋律だ。我が王、背は守ろう」

 虎がゆっくりと異形に進み出る。

 隼はまったく気に止めず、虎と異形の戦いは背にしたままだ。


「お前、邪魔!」

 竜兵が牙をむき、背中の翼を精一杯に広げるが、一メートルほどの翼は単なる飾りにしか見えないが、竜兵が力強く羽ばたくと風が巻き上がりその小さな翼で体を持ち上げた。

「結界の中でも上手く飛ばない…もっと練習が必要かな…」

 ぱたぱたと翼を羽ばたかせるが、上手には飛べないらしい。

 異形の方は目前でぱたぱたとしている竜兵を見て、四本の腕で捕まえようとするが、ヘロヘロではあるが竜兵は軽くかわしていく。

「うん。あの時みたくやりづらい、竜尾族の力は強いのに、俺は弱いか…」

 ちょこんと降り立ち、竜兵は翼をたたむ。

 異形の腕を軽々とかわし、竜兵はピンと尻尾を立てる。

 翼は邪魔になるからかたたみ、尻尾は立てたまま異形を睨み据える。

 異形はただ竜兵を払うように四本の腕を叩き込む。

「この程度!」

 左腕一本で四本全てを受けとめる。

 体格差も体重差も構わず、竜兵は軽く異形の腕を止めてはるかに太い腕を掴み片手で異形を持ち上げて投げつけた。

 小さな体の全体を使い、竜兵は異形を踏みつけた。

 たいした痛みを感じないのか、竜兵の足を掴むと持ち上げたとたんに四肢を掴む上げられた。

「あきゃっ」

 四肢を引きちぎるために引っ張られるのを、両手足に力を入れて異形の腕から無理矢理に引き抜いた。

「弱い、か」

 竜兵は異形を見て牙を鳴らす。

「焼き尽くす」

 小さな火種を吸い込んだ空気の分か、一気に業火を放つ。

「グアア」

  異形が声を上げるが、竜兵は一気に吐いた焔は消えていきそのままむせた。

「ケホ」

「自分の焔でむせるのか?」

 ブライアンが竜兵を見るが、竜兵は二三度黒煙を吐き異形を見る。

「三分が限度だから」

 ちゃんとブライアンを見て言うと、異形に向き直る。

 異形は焦げた体を払い、竜兵に鋭い爪を突き立てようとするが、竜兵の方は目前で四本の腕をかわして力一杯に殴る。

 ほぼ力任せの一撃で叩き潰した。

「力で俺に勝てる訳がない。旧人類最強だよ」

 距離をとると角が青白い光を帯び、眩い稲妻となり一気に異形を黒焦げにした。

「これでおしまい」

 黒焦げの異形を粉砕して立ち上がる。


「こいつが相手か…」

 臣人が異形の前に立ち、角に触れる。

「有角族の力をなめるなよ」

 臣人が宙で手を振ると、光が一振りの剣となる。

「それにしても、西洋の剣は使いづらいな…刀にならないかな…その方が使いやすいのに」

 臣人がため息混じりに言う。

 両手剣の持ち方が上手くいかないのか、異形を見据えたままで睨みつけた。

「あの時は逃げるだけだったが、今度は殺す」

 異形に一気に斬りかかる。

 四本の腕が一気に臣人に叩きつけてくるが、臣人は剣で振り払う。

 剣自体に雷が走り、異形の腕を焼く。

 少し距離をとって剣を構えるが、どうしてもクセか竹刀のように構えてしまう。

 正眼に剣を構え、やや半身に異形を見据えて剣先を向けた。

「ガァ」

 短く声を上げた異形が臣人に向かってくるのを見据え、臣人の方は剣をわずかに下げて異形の腕をくぐり抜け、その足を薙ぐ。

「あ~、斬れねえ」

 剣の斬れ味というか、異形の丈夫さか、剣はほぼ表層の一枚のみに傷つけたぐらいだ。

「あの時みたく、雷光がまとえねえ」

 意識を集中するが、角にわずかな光が走るぐらいで剣の方には、ピリッと稲光が走る程度だ。

「ああ、もう、雷帝の一族として情けない」

 苛立ちまぎれに剣を構え直すと、一気に剣に雷が走る。

「グォ」

 異形がビクリと反応するが、これといって怯える様子もなく臣人をくびり殺すために腕を広げる。

「ああ、こんなんじゃ様にならない」

 臣人の方は異形の行動など気にも止めず、雷をまとう剣を見つめて吠える。

「有角族は雷神だってえの」

 両手で剣を構え直すのを皮切りに、異形が臣人を捕らえようと突進してくる。

「鈍重なてめえに負けてられるかよ」

 臣人は剣を一気に斬り払う。

 雷光をまとう剣は、異形をなんなく斬りつけていって、青い血が散る中で臣人は剣の雷ごと血を払う。

「あてて…」

 異形が倒れたのを見てから、自分の手を見ると剣にまとわせていた雷で自分の手まで焼いたらしい。

 赤くなった手を見て剣から手を放すと、剣は顕れた時同様に光となって消える。

「戦闘種族がこの程度か」

 自虐的に呟き、焼けた手を払いながら前を向く。


 異形を見上げて狼は軽く息を吐く。

 本来の目よりも額に開く水晶眼の方が見えるために、感覚的にズレているので、常に二重にモノを見ているからか疲れる。

 本来の二つの目を閉じる方が楽だが、水晶眼だけでモノを見る事に慣れていないために距離感が掴めない。

 視覚が特化した眼は、距離も存在も全てお構いなしに見透すため、水晶眼を使いこなせない自分では唐突に地球の裏側を見るはめになる。

 閉じる事がたまにできなくなるので、普段はバンダナで押さえているほどだ。

「あれ、水晶眼はドコ見てるの?」

 両の目は異形を捕らえているが、水晶眼の視界にはなぜか星空が見える。

「ちょっと待って、えっ、何?これ、ドコの銀河?」

 見えている星空が銀河なのはわかるが見た事のある銀河ではないのは、渦巻く星雲で判別できるぐらいだ。

「ガァ」

 唐突な視界に戸惑う狼の事など気にもせず、四本の腕が狼を捕らえるために向けられる。

「タンマ」

 狼が異形と自分の間を阻むように指を自分の前で横に払うと、光の筋が異形を阻む。

「今度はドコ?」

 水晶眼が銀河から離れたのか、それとも銀河の内側に入ったのか、星空の中でやけに大きな赤く見える太陽のような恒星が見える。

「人間の脳の許容量はあるよ。きっと」

 訳がわからないためか、自分の眼に文句を口にするが恒星に視界は近付いているようだ。

「あ、嫌な予感がする。水晶眼って、時間も関係なくなるんだっけ…」

 異形の腕をかわしながら目の前の事柄と眼の中の事柄を比べる。

 脳の許容量が一杯だが、自分以外には見えない事なのだから考えるのは自分だけだ。

「グアア」

「うるさいな」

「なら、俺が相手してやるよ」

 横から押されたと思うと、異形が撃たれた。

「義人」

 制服の上から防弾ベストをはおり、ショットガンを構えている。

「ショットガン…」

「いや、これぐらいじゃなきゃ効かないでしょ」

 義人は異形を示す。

「ま、俺が相手できるのはこの程度の連中ぐらいだがな」

 義人は狼をブライアンの方へと押し出し、自分は異形の気を引くように銃を叩き込む。

「グアア」

 怒りに義人の方に向かうのを見て、狼はブライアンに向かう。

 本来ならば義人が相手できる異形でもないが、ショットガンほどの威力ならなんとかなるだろうし、時間を稼げば竜兵か臣人がどうにかなるはずだ。

「大丈夫、俺は死なないから」

 義人がそう言うのを頷くしかなかった。

 狼はブライアンの前に立つと、ブライアンは苦々しい表情で狼の額、水晶眼を見つめる。

「ブライアンさんとしか呼べないですが、僕は三つ目族の王の代理者です」

 狼はブライアンを見てそう名乗る。

「馬鹿な…我等の神は、貴様ごときに」

「僕は、古き盟約のために生まれた。盟約者として、あなたの存在を認めません」

 ブライアンをまっすぐに見つめ、狼は額の眼を一度閉じる。

「そして、返して貰います。風の印を、それはこの地で存在している墓標を守るための印だったはずだ」

 狼がブライアンの背後にある石を示すと、ブライアンは目を見開く。

「馬鹿な…守るだと、貴様等を我等の神の敵を!」

 ブライアンが吠えるが、狼は静かに見つめているだけであり、石は再び開いた水晶眼に反応するように瞬きだす。

「あ~もう、少しは僕の意思に応じてくれないかな…僕は彼ほどの力はないのに…」

 やはり水晶眼は別のドコか遠い星を見ているようで、その眼は石の紋様に応じてそれを見ていた。

「やっぱりか、この眼に映っているのは、彼なのかね…本当に彼は盟約を忘れてはいないか…」

 独り言のように呟き、狼はブライアンを見る事なく石の方に眼を止める。

「そんな馬鹿な…神は我等のために、我等を導き新しき世界に…」

「あ、うん。それはないから、だいたい彼等はその新しき世界を求めてこの世界に来たのに…そして挫折して今に至るのに…」

 狼の話など聞いてないのか、ブライアンは懐から短剣を取り出して狼に向けた。

「盟約者の血と命で神を求められる」

「いや、それはないかな…彼は、存外真面目だし」

 狼は眼に見えるそれを見つめて呟く。

「今の僕に唱えられるかな…正直、隼みたく音は出せないんだけどね…」

 バンダナを外して喉に手を当てるが、人間とたいして変わらない自分では、隼のような音は出せない。

 かつての旧人類の魔術が全て音で顕される訳ではないが、やはり高位の存在とは音の方が伝えやすいものなのだ。

「昔、彼等の一部は旧人類の皇帝カイザーの声に応え盟約を結んだ。この世界で存在する事を選んだから、僕達と祈りを結んだ」

 狼は水晶眼を見開き、ブライアンをまっすぐに見る。

「あなたの神は僕の友人。返してもらう。僕はかつての盟約をもちて、汝に呼びかける」

 ブライアンではなく、石そのものに呼びかける。

 水晶眼の輝きが徐々に増す中、狼の姿は光で構成されたように輪郭がぼやける。

「応えよ。汝は星渡る風、翼持つ王、全能にして無知なる者の一つのカタチ、汝に我は古き盟約の元に呼びかける。芽吹く命の翼よ、この世界を駆ける風に応えて来たれ」

 狼の声に応えるように石が瞬く。

「我が名は狼。三つ目族の一つにして聖眼王アクセスが器」

 狼が手を石に伸ばすと、石は光を吸い込み激しく輝きだす。

「新たなる盟約を結ぶ。狼の名を刻め、僕が君の翼の止まり木となろう」

 狼が自分を示すと、石が形を変えていった。

 それは一羽の鳥。

 八枚の翼、一角の白い巨大な鳥が空に羽ばたき、天空を巡るとその透明な眼が狼を見つめ、ブライアンを映す。

「神よ…我が神よ…」

 ブライアンは空中でとどまる鳥に、地面を抉る勢いで額をこすりつけるが、鳥の方は気にするというよりも最初からブライアンなど見えてない。

「神よ?」

 ブライアンは頭を上げて鳥に手を伸ばすが、鳥はまったく反応を返さず、狼を見ているだけであった。

「人間の姿は見えてないよ。彼等は存在率が大きすぎて人間の存在率を感知できないから、彼は本来は精神体だから眼は精神しか見えない」

 狼は当然の事として語ると、鳥に光る水晶眼を向けると、鳥はようやく狼に眼を向けた。

『汝が我を呼ぶ者か?』

 それは声ではないが狼の耳か、頭に直接のように聞こえてきた。

「そうです。僕は狼。アクセスの器であった者」

『アクセス…三つ目の王はいないのか?』

「彼の王は、僕に命をくれました。僕は彼の王を倣い汝を呼ぶ者とし、汝の器として存在率を貸しましょう」

『汝は我、我は汝、その存在率を記録する』

 鳥が羽ばたき、そのまま天へと飛んでいってしまう。

「終わりました。もう何をしてもあなたが彼を呼ぶ事はできない」

「でかい鳥だったね」

 ひょこっと竜兵が狼の背後から顔をだす。

 ブライアンは周囲を見回すと、竜兵のみならず臣人も義人もこちらに向かっているし、隼は謳い続けていて、その傍らに角を持つ虎が座っている。

「終わりだな。観念して、この場合はどうなるんだ?」

 臣人が義人を見る。

 隼に訊くにもまだ謳っているので、年上の義人に訊く以外にない。

「ん?さあ」

 義人は項垂れているブライアンを示す。

「彼はこれといって悪さをしてないんだよね。せいぜい身分詐称と未成年拉致…」

「普通に警察じゃね」

「まあ、でも彼は狂信者なんだよね…普通に精神病院行きだろうな…それに、その神様は本当に居て、ヘタすると狂信者が増える結果になりかねない」

「それって…」

「狂信者を見るのは初めてじゃないんだけど、今のこの状態だからわかるが、狂信者の言葉には自分の言葉を相手に植え付ける事ができる奴も居る」

「こいつがそうだと?」

「少なくとも、俺も記憶があやふやになったろ。正直なトコ、こいつを普通の病院じゃ無理、狂信者の病院が出来そうだ」

「彼は僕がどうにかするよ」

 その声に三人が振り返ると、猛が姿を現す。

「猛、よう」

 一人、平然と応えたのは義人だ。

「えっと…どういう…」

 狼が訊こうとするが、猛は笑顔でいるだけだ。

「まあ、気にするな。猛がなんであろうとな」

 義人は自分の持つショットガンを示す。

「個人がこんな武器を用意できないだろう。気にするな。猛がどんな組織と関わっていようと、な」

 義人の物言いに、狼と臣人は不安そうだが、竜兵は平然としている。

 隼は謳うのを止めると、虎の姿は隼の影に消えていくのみだ。

「後始末をしてくれるというならそれでいいだろ。人一人をどうするかなんて面倒だ」

 謳うのを止めると、髪も瞳も元の色に戻り喉元の石も消えている。

 竜兵も翼をしまって脱いだ制服を着ている。

 臣人の角も元の髪に戻り、瞳の色も薄紅色に戻った。

「面倒か…面倒ね」

 臣人はドコか諦めたように呟き髪を適当に流す。

「まあ、被害者が居ないならいいだろ。辻褄は」

 義人がチラリと隼を見るが、隼は視線を無視して狼に歩み寄ってくる。

 狼は閉じない水晶眼の上からバンダナを縛り、隼を見る。

「まだ結界があるんだ」

 上を見るとまだ結界の光が煌めいている。

「まだ終わりじゃない」

 隼の言葉に臣人が目を見張る。

「終わってない?」

 臣人が聞き返すと、隼は狼の方に目を向ける。

「あ、うん。僕は彼を呼んだからね」

 狼が上を見上げると、鳥が飛んでいるのがわかる。

「あの神は、いつまで居るんだ?」

「いつまでだろ…基本契約もなしに呼んで、はい、サヨウナラは無理じゃないかな…神様としても、彼の存在率は世界を書き換えるからね…」

「ヘタに結界を解くと、アイツを世界に放つ事になるからな…」

 心底面倒そうに隼が呟く。

「アレが世界に解き放たれると、どうなるんだ?」

「世界は、滅ぶな」

「存在率だけで色々と圧迫するし…正直、僕では彼の存在率を制御できないからね…彼は僕の存在率でここに居るんだけど」

 狼は困ったように見上げた。

「あの姿はあの石が元?」

 竜兵が訊く。

「そうだけど、あの石は元々は山にあったのか、神社にあったのかはわからないけど、れっきとした盟約のための遺物だから」

 狼が言う。

「本物の信人が本物の遺物を手にした事が、今回の事の成り行きか…」

 義人が目を細めながら神を見上げる。

「神は、どうすれば帰るのかな…」

 臣人が苦い表情で隼と狼は無表情になる。

「彼等は盟約に従うだけ、今回は用があって呼んだのはブライアン、でも僕がそれを横から口を挟んだからか、どうすれば帰るんだろ…」

 狼が頭を捻るのを、竜兵が呑気に見上げる。

「なら訊いてみれば、鳥さんも話を聞けるんだよね」

 当然のように言う竜兵に、狼と臣人が渋い表情で見合わせると、隼の方に視線を向ける。

 隼の方は鳥を見上げて、再び銀色の光をまとうと静かに謳い始めると、鳥がこちらの方に視線を落としたようで、翼をたたむようにして降りてくる。

 よく見ると半透明な体で、向こうの景色が見えるぐらいだ。

「隼、わかるの?」

 狼の呼びかけにも隼は静かに音を綴る。

 隼の音に反応するかのように鳥は同じように音を返す。

 鳥のさえずりのような音に、隼は軽い音を口ずさむ。

 暫くそれを繰り返すのを四人が見つめているだけだ。

「隼、僕等にはその会話はわからないんだけど…」

「旧人類は言葉を持ってないのか?」

「綺麗だねぇ」

「言葉が音だと、どうやって言語を残せるのかね」

 四人がそれぞれに言葉をかける。

 隼は四人をそれぞれに視線を向け、淡々と謳い続けている。

「言葉を紡ぐ必要はない。旧人類は言語を、文字を残す必要もなく言葉を記録し、伝える事ができるからな」

「音が言葉じゃない。旧人類の言葉は想いでしかないのだから、音が言葉じゃない」

 隼は静かに言うと、四人は隼を見る。

 髪も瞳からも銀色の光が消えて元に戻っている。

「俺は想いを謳うだけ、だ」

「彼等は、その想いのために僕等を選んだ」

「新しい未来を俺達に託した」

 狼は額に、臣人はこめかみの辺りに指を触れる。

「未来を選ぶのは俺達、俺達が生きて明日を創るが、願いだよ」

 竜兵は深く考えてないようなセリフを口にすると、義人がぽんぽんと頭を叩く。

「ま、彼等がお前等でいいっていうなら、それでいいだろ。細かい事はおいおい考えていけばいいだろ」

「そうだな。この先、彼等以上にこいつ等と付き合っていくんだからな」

 隼がチラリと上に視線を向けると、他四人もその方向に視線を向けた。

 全員の視線の先に、やけに丸い物体が浮かんでいる。

 生き物なのか、丸い物体が自分の意思があるのか、パタパタとはためきゆっくりとこちらに降りてきている。

「…えっと…」

 狼がその丸い物体を受け止めた。

 その丸い物体はかろうじて鳥と判別できるぐらいのフォルムで、ボールに羽根がついているようだ。

「これって…」

 臣人がしげしげとそれを見回す。

 きょとんと黒い瞳が狼を見上げる。

 羽根をはばたかせると、ボールの鳥は狼の頭上にまで浮かび上がった。

 どう考えても物理的には無理な形が、自身に風をまとわりつかせて浮かんでいる。

 色合いから、先程の巨大な鳥と同じ。

「これ…風の王サザトゥース…偉大なる影の…」

 狼が隼を見る。

「だろうな」

 隼を鳥を掴むと、鳥はパタパタと逃れようとしてか身をよじっている。

「なんかかわいいな」

「うん。かわいいね」

 義人と竜兵が鳥を見るが、狼と臣人は青ざめた表情で隼を見る。

「隼、それ邪神だろ。しかも四大元素を司る最上位種の風の種をまとめる王」

 臣人が鳥を見ながら首を傾げていく。

 隼の手の中でバタバタしている鳥は、単に丸いだけの鳥に見える。

 平たく言うとゆるキャラ的でかわいい。

「かわいいけど、仮にも王のクラスの邪神…存在率だけで地球を滅ぼせ…うん、かわいい」

 あきらめたのか、ころんと隼の手の上で転がる鳥を見て狼が言い切る。

「狼、お前までそっちにいくな」

「でもかわいいよ。で、隼これって…」

「結界の外で、あの石が元でここに顕現できる限度がこれなんだろう」

 隼が鳥を転がしながら答える。

「さっきはでかかったよな?」

「アレは俺の結界の中だからだろう。今の世界は存在率が低いからどうしても一部どころか欠片を顕現させるのが限度なんだろ」

 隼の説明に鳥は転がるのを止め、隼を見てから狼を見る。

「我が新たなる盟約者よ」

「喋った!」

 狼と臣人が同時に身構える。

「馴染んだろう。この体に」

 しれっと隼が言う。

 丸い体を少々動きづらそう感じでコロコロとしながら、鳥は狼を見上げて話かけた。

「新たなる盟約者よ」

「あ、はい。僕が三つ目族の盟約者で狼といいます」

 狼はやや複雑そうに丸い鳥を見て名乗る。

「我が存在はサザトゥース。風の存在にして星を渡るモノ」

「存じています。かつて、我等の皇帝の声に応え、我が王と盟約を結び世界の存在率に顕現せし風の王よ。今また新たなる盟約を結びし事、感謝します」

 狼が頭を下げるのを、鳥はパタパタと小さな羽根をはばたかせて応える。

「かつて、か」

 鳥はかくんと首を傾げたつもりのようだが、丸いためにころんと全体で転がる。

 はじめからかわいいと言っていた竜兵と義人は素直に微笑ましそうに見るが、狼と臣人はなにかに堪えるように唇を噛み締める。

「かつては長い時か…仕方ないか…」

 転がったまま鳥が呟く。

「お前等には時の概念がないからな」

 隼が鳥を立て直して言う。

「さて、新たなる盟約者よ」

 丸い体をさらに丸くして、鳥が狼を見上げる。

「はい」

 神妙な面持ちで向き合うが、その姿に思わずほんわかとした笑みがにじむ。

 本来は存在そのものが世界を吹き飛ばすほどの神ではあるが、そこに居るのはコロコロとしたヌイグルミのような姿なのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだろう。

 鳥の方はそんな事は気にも止めず、狼を丸い目で見上げて小さなくちばしを開いた。

「お主に我が存在を貸し与えよう」

 厳かなセリフではあるのだろうが、姿が姿なので自ずと笑いがこみ上げてくるのを耐えている。

「ありがたく…感謝いたします」

 狼は頭を下げながらこみ上げてくるものを押さえる。

 怖いはずの存在が、姿形が変わるだけでこうも緊張感がなくなるものか、だが、姿に反してこの存在は自分達を簡単に消し去れる存在だ。

 気分を害するのがどれほど危険かは魂が知っている。

「では、盟約者よ」

 小さな翼を広げて鳥は天を仰ぐ。

 無駄に頭の中で壮大な音楽が脳裏にセルフでする。

「…えっと…」

 臣人がどれほどの時を待つが、鳥はパタパタとはためきはするが飛ぶ事がなかった。

 隼は無言で鳥を見つめ、狼と臣人はなにかを言いたげに見つめ、竜兵と義人を生暖かい目で見つめているだけであった。

「…消えないのか…」

 ぽそりと隼が呟くのを、鳥はどこか困ったように隼を見上げた。

「うむ。ここにこの存在が固定されたようだ」

「つまり、それって…」

 狼が飛ぶ事のできない鳥を見るのを止めた。

 見ていると思わず笑みがこぼれるからだ。

「石というより、ひさしぶりに顕現したためか、馴染みすぎたのか」

「いや、それって、このまま?」

 臣人が思わず声を上げる。

 鳥は飛ぶのを諦めたのか、ちょこんと隼の手の中に座り直す。

「カケラでも邪神だろ。この存在だけでどのぐらいに恐怖があるんだ」

 隼に訊ねるが、隼は無言で見るだけであった。

「隼、この子どうするんだ?」

 ひょこっと竜兵が話に加わる。

「放っておく訳にはいかないだろ。暫くは保護するしかないだろう」

 隼は当然のように言う。

 一瞬狼と臣人が固まるのを、義人はにこやかに微笑んでいるだけだ。

「まあ、大丈夫だろ」

「大丈夫なのかよ」

 しれっと言う義人に臣人が呻く。

「サザトゥース、お前は暫くは俺達とともに居るといいだろ。現在の世界を見ていくといい」

 隼が言うのを、鳥はコクンと頷き転がり落ちかけた。

「無駄にかわいいよね」

 狼が呟くのを、不思議そうに見上げていた。



 5 終わる世界の物語


「お前は、何がしたいの?」

 その問いに隼は応える事はなかった。

 隼の傍らには大型の虎がたたずんでいる。

 いや、隼の傍らではなく虎が居るのは銀色の輝きを宿す隼の傍らであって、立ち尽くす黒髪の隼の元ではない。

「俺は何をできる」

 応えない隼を横目に、銀色の瞳を細めて遠くに目を向けている。

 隼は静かにもう一人の自分を見ていた。

 虎の毛並みをなぞりながら、隼が立ち尽くす自分を見上げる。

「大丈夫なのか、お前は…」

 そう訊くと銀色の目を瞬き、隼を不思議そうに見てから虎をなぜながら軽く笑う。

「お前は俺」

 静かに言うと銀色の輝きを残して消えていった。

 隼は残された虎を見て、虎は隼を見上げて尻尾を振りながら歩み寄ってくる。

「セーガ、お前は俺に従うのか」

 グルっと喉を鳴らして隼に身を寄せる虎をなぜる。

「そうか…それはそうとして、謳うからついて来い」

 隼が言うと、虎は背に乗れというように身を屈める。

 その背に乗ると、ゆっくりと宙を駆けていく。

「隼、ドコに居た?」

 竜兵がパタパタとはためきながら近付いてくる。

 背の翼は小さいので風をまとっても浮かんでいるぐらいで、自由に活動はできないが浮かんでいるだけでも充分らしい。

「お前、日ごとに飛べなくなってないか?」

 プカプカと浮かんでいた竜兵に、隼は静かに言う。

「風は使いにくい、制御をするのは難しい。一気には楽なのにね」

「うん…わかった。飛べないんじゃない。飛ぶのがヘタなだけか…」

 パタパタと翼を動かしているのが、風が上手くまとえてない。

 翼が風を作りだしてはいるが、浮かんでいるが精一杯というより、制御ができないためにゆっくりとは飛べないだけなのだろう。

 実際、制御せずに飛ぶ時は自由に高速で飛べるのだ。

「本当に、上手くいかない」

 気付くとひっくり返っていたりする。

「行くぞ」

 隼は静かに頭を振り銀色の瞳を宙に向けると、ゆっくりと虎が竜兵の元に歩み寄り、その背を向けた。

「乗せてくれるの?セーガ」

 そう訊くと、虎は小さく頷いたようだ。

 竜兵は翼をたたんで、虎の背に乗る。

 竜兵が小さいからか、隼と二人が乗っても余裕だ。

「謳うのはいつもの?」

 竜兵の問いに首を振り、喉元に触れるとまずは小さくさえずるようにピアノのような音がする。

 軽く喉元をなぜ、隼は二三度調整すると息を吸い込み声を張り上げるでもなく、静かながらも遠くまで届く声で謳いだす。

 聞く者の魂に訴えるその音は、暗闇に溶け込み誰の耳にも残りはしないだろう。

「隼」

 不意に竜兵が下を示すと、こちらを見ている人物に気付いた。

 普段は気にも止めないが、隼は謳いながらもその人物に視線を向ける。

 その人物は宙に浮かんでいる巨大な虎を見上げても驚いた様子もなく、不思議な現象であると認識していないかのように隼と竜兵の二人に気付くと、ゆっくりと頭を詫びのように下げた。

 隼はそれを見て謳う音を変えた。

 セレナーデのようなやわらかなピアノの音から、重厚なオルガンのような音に、人間の喉がだせるはずのない音であるのは変わらないが、オルガンの音はさらに深みを増し教会のパイプオルガンによる讃美歌のごとく幾重にも重なる音となる。

 一人の人間が、これほどの音楽を奏でるなどありえない情景を、見つめていた少年は何かのスイッチが入ったかのように興味をなくして歩きだす。

「隼のクラスメイト」

 竜兵が言うのを横目に、隼はまた静かに謳いだす。

 ピアノの旋律は綺麗に夜空を銀色の輝きで飾り、町を包み込むまでの間、人間は宙を見る事なく時が過ぎていった。


「朝ぁ」

 寝ぼけた表情で、匂ってきたご飯の匂いに布団をはね除ける。

 ぼふんと布団自体は隣のベッドの上に落ちた。

「うるさい…」

 ベッドから半身をお越し、隼が着替えている竜兵に目を向ける。

「隼、はよー」

 竜兵は隼を見て、ネクタイを首に巻く。

「竜兵…それは俺のだ」

 アクビ混じりに言うと、竜兵はネクタイを見てから自分のネクタイを探しだす。

 制服に下げておけばいいのだろうが、同室同士が適当に置くのだからダメだろう。

「あれ、ドコやった?」

 竜兵が床を這い出すと、隼は不意に小さく何かを口ずさみ、竜兵を手招く。

「下にあるぞ…ついでで義人を起こせ」

 ベッドから起きた隼に言われ、竜兵は部屋を出るなり隣の部屋に突撃したらしく、隣から義人の呻き声についで挨拶の声がした。

 アクビを繰り返しながら制服に着替え、隼はネクタイを絞めると布団は戻して部屋を出る。

「はよ」

  眠そうなままの義人が出てくるのを見て、隼は軽く手を上げて応えた。

 竜兵はすでに下に行っていて、狼からネクタイの行方を訊いているようだ。

 テーブルの上にはすでに朝食が用意され、狼は隼達を見ると手招く。

 臣人は鍛練が終わりすでにシャワーを浴びてきたらしい。

 いつもはテーブルにいるはずの猛の姿はない。

「猛、戻って来てないのか…」

 義人はアクビをこらえたのか、涙を拭っている。

「まあ、そのウチ戻ってくるだろう。ブライアンがどうなるかは、俺等の知る事でもないしな」

 隼は何一つ気にせずに答える。

「隼、義人、大丈夫?ご飯食べれる?」

 テーブルにつっぷしている義人と、ぼんやりとしている隼を見て狼が声をかける。

 元々食べない方の二人には無理に食べさせる事はしない。

「ん~、俺はコーヒーだけでいい」

 義人は眠そうに答える。

「少し」

 隼は軽く喉元をさすりながら答える。

「そう、無理はしないでよ」

 狼はコーヒーを義人の前に置く、義人は食べなくても死なないので無理に食事は必要ない。

「まあ、無理はしてないが、俺がメシを食うのは人間のフリでしかないが、それでいいんだからな」

「うん…君が死んでいるのはわかっているよ。僕等の前でまで普通のフリは必要ないけど、食べれるのなら食べて欲しいかな」

「そうか…別に、俺は必要ない事は必要ないでいいだろ」

「ご飯を食べるのは幸せだよ。幸せはどんな時も幸せだよ」

 竜兵がのしかかると、義人は小柄な体を普通に支えてはいる。

「いや、言ってる意味がわからん」

 臣人が渋い表情で竜兵を見る。

「いやいや、わかるぞ。メシを食うのが幸せというのは、そういう国は多いからな。うん、まあ、無理狼のメシは好きだから食うのは好きだぜ」

 ぽんぽんと竜兵の頭を叩き、義人は子供にそうするようになぜる。

「そう、ありがとう」

 狼は義人の言葉を素直に受け止める。

「でもさ、お前は死んでて、心臓も動いてないんだよな。食べた分はどうなってるんだ?」

「今更だな。俺にもよくわからんが、俺の体は半分ぐらいは生き返っている状態?なためか消化はしているらしいな」

 隼の方に目を向ける。

「お前と猛は少し違うが、お前達は蘇生をされた訳じゃないからな」

「俺等は死んでたから覚えてないからな」

「誠さんだけが成功したんだよね」

 狼が朝食を並べながら訊く。

「死んだ義人達が盟約者だったから、異種族の奴等がこいつ等の遺体を利用して魔人を復活させようとした」

 臣人が思い出すように隼に訊く。

「ん、そうだったな」

「俺と猛は失敗だったから、俺等は一種のゾンビ?」

「遺体の状況にしても、義人と猛はそれなりに遺体は綺麗だったよな」

「俺が胸部、心臓を貫かれて死んだんだよな」

「猛は首が落とされたんだっけ」

 それぞれの死に方はぼんやりと覚えているぐらいだ。

「誠さんは一番にバラバラにされて食べられたよね」

 あまりにも思い出したくない光景なので、狼はコーヒーを口にしている。

 墓標という異空間で、八人は異種族に追われる事となり最初に奥村誠が食い殺され、義人と猛はそれぞれに少女を庇って亡くなった。

 盟約者としての体は利用されたので、魔人の器にさせるはずが、義人と臣人の方は失敗して死んだはずだがなぜか生き返っていたので、戻ってきたのだ。

「正直、自分がなんで生きてる?のかわからんが、心臓動いてないし、自分の体がどうなっているかはわからんしな」

 軽く笑い飛ばす義人を二人は複雑な表情になる。

 生きていた頃で接したのはほんの半日程度ではあったが、義人の性格は良く理解していた。

 死んだとしても気に止めないというのも、義人らしいと思うので気にしてはいない。

 自分達も人間じゃないのだから、義人がゾンビでも気にする事は自分をも信じなくなる事だ。

 だいたい死んだというなら自分達も一度死んだ事になる。

 愛良を守るために人間を辞め、彼等は旧人類に体を譲り渡すつもりであったが、なぜか自分達が残ったのだ。

「まあ、病院を誤魔化すのは大変だったな」

 心臓が動いてないのに動いてない義人と猛の病院での検査を誤魔化すのが面倒だった。何にしろ人間の記憶は書き換えるのは簡単だが、機械の記録を誤魔化すのは難しいのだ。

 尤も、彼等の記録は記憶を誤魔化したのは隼だが、その後の記録をどうにかしたのは猛の方だ。

「多分、半死人でいいか、だいたい生き返っているのかもわからんし、というのか、生き返れるのか、俺等は?」

「一度その体の術を解いて死んでもらってから、改めて蘇生?」

 隼の答えに義人が珍しく表情を曇らせる。

「俺等の術の失敗がわからないんだよな…解く事も難しいんだよな」

「何がどうして動いているのか、状況も把握できてない。術が上手く解けてもそのままという事もあるからな」

「それ、普通に死ぬって事だよな…」

「完全な解読ができるか、異種族の術は旧人類のそれとはズレているからな…多分、魔人なら解いて戻せるかもしれない」

「いや無理だろ。あいつ等、敵だろ。邪神の子供が俺等の手助けは…」

「普通はしない」

 普通に答えられた声に、臣人はピクリと大きく反応したが、他のメンツはまあ静かに声の主を見る。

 窓の側に立てられた止まり木に居るモノを自ずと見る。

「サザトゥース…」

 狼が静かに鳥と思われるそれに見つめる。

 丸い体躯の鳥はやや不安定な形で止まり木に止まっている。

「魔人はやっぱりわかり合えない?」

 狼が問いにサザトゥースは軽くコロコロと転がるように床を転がり、パタパタと羽ばたいてテーブルの上にのぼって狼を見上げる。

「ご飯はこれで大丈夫?」

 狼はとりあえずのようにお皿を目の前に置くと、サザトゥースはチョンチョンと近付く。

「元々、魔人は邪神が旧人類の力を得るために産ませた落とし子だ。旧人類を滅ぼし、邪神のための世界を創る道具でしかない」

 隼が感情なく語るのを、竜兵は不思議そうに見るだけで何も言わずにご飯を口にする。

「異種族って、邪神に従った旧人類なんだよな…」

「異種族は弱いからこそ邪神についた。旧人類の誇りを捨てて、知性をもなくして従属を選んだ。強さのために尤も原始的な力に魂を売った存在」

 淡々とした調子で隼は語る。

「魔人は世界をも統べる旧人類の力を自分達のモノにするために産ませた子供、その力は母親の種族にもよるだろうが、旧人類と邪神の力をあわせ持つ脅威として、旧人類が共に封印するほどの存在」

 魔人を語る時は少々感情がこもるが、意識的なモノではないようだ。

「旧人類と邪神の戦いは、どちらかが絶滅させる以外に終わらないとされていた」

 皿から不器用に豆をつまんでいたサザトゥースが口を挟む。

「だが、三代目は私達を赦し、明確をもって世界を一度閉じた」

「サザトゥース、お前は四大邪神とまで呼ばれる最高位の神なのに、なんで旧人類の味方になったんだ?」

 臣人がやや不信そうに訊く。

「ん、お主達は盟約者なのに覚えてないのか?」

 かくんと丸い体で転がりそうになりながら逆に訊いてきた。

「僕達はそうであるという事以外は、その魂だけを受け継いだだけだから、なんでかはわからないんだよ」

 狼の言葉にサザトゥースは隼の方に目を向ける。

「私達は元々はこの世界の存在ではない。我々の世界は我等の王によって滅ぶのだろう。今はどうなっているかわからないが」

「それは知っている。お前達はそのために新天地としてこの世界に来て、旧人類と存在をかけて戦ったんだよな」

「それは違う。我々は最初は初代に赦され、この世界に移住する事を認められたのだ」

 サザトゥースは腕のように翼を組んでいるつもりらしいが、小さな翼はひっかかりもしていない。

「初代が殺されたから二代目は邪神殲滅する事を選んだんだよな?」

 隼に確かめるように訊くが、隼も首を振る。

「俺が知るというか、記録を読めるのは三代目の時代の終わりぐらいだ。三代目が俺達人類の誕生を知り世界全てを封印し閉じる事によって今の世界になったぐらいだ」

 隼の言葉にサザトゥースはコロンと首を傾げる。

「そう…か、そう最初は赦されたのだ。我々がこの世界に存在してもなお、初代と十大種族と呼ばれた者達の存在率は揺るぐ事はなかった。だが、我等の王はそれを認めず、初代と十大種族の半分を殺した…我等に気を赦したための悲劇ゆえ、二代目が我等を処分しようとしたのも仕方ない」

「二代目は初代より弱かった?」

 竜兵の問いにサザトゥースは首を傾げる。

「種族の問題があったとしても、彼は強かったが、彼は旧人類には優しかった」

「魔人って…」

「最初は二代目を殺すために産ませたのだ。三代目の時代には我等の変わりに、存在率が小さな彼等を利用していたらしいな」

「そして三代目は…」

「彼は初代に近い性質に、世界が滅ぶゆくだけとわかっていたのか、今この世界のためか、初代の遺志かはわからないが、我等を再び赦し盟約をもって存在率を変えてくれた」

 懐かしむようにサザトゥースは語る。

「私は王の呪縛から解かれ盟約の元にあるべき姿になったのだ。今度こそ、初代の遺志を貫きたいものだ」

 しみじみと語るサザトゥースを静かに見つめる。

 どれほど重々しく語ろうともこの丸い姿では可愛いとしか思えない。

「可愛いけど、ずっとこの姿なの?」

 狼の問いに隼はじっと見つめ、首を振る。

「今回は媒体が本物で、顕現した状況から一部がこの姿となった。彼が意識を持ってたのは運が良かったんだろ」

「あ、うん。力だけが顕現したら、惨劇だよね」

「力だけだと暴走…風の上位種、一部でも軽く世界を壊せるよな…」

 臣人が深刻な表情で呟く。

「まあ、知性が顕現したためか、この姿のサザトゥースはほとんど力を持ってないようだがな」

 隼はコロコロとしたサザトゥースを示す。

「ほとんど、一部のうえに、役にたつの?」

 臣人が意外そうに訊く。

「少なくとも、俺が覚えてない記録を持ち、風の属性の種はほぼ下僕だろうから、丸く収められるかもしれないぞ」

 隼の物言いに臣人は渋い表情になる。

「サザトゥースは大丈夫」

 竜兵が不意に言いだす。

「竜兵?」

 全員が目を向けるが、本人はご飯に夢中なようだ。

「でも、まあ、この姿のままなのは仕方ないから、一緒に居てこの世界の事を学んでもらうのがいいかもしれないよね。この姿なら、間違っても危険生物とは思われないよね」

 狼が姿を示して言う。

「そうだな…逆に人気になりそうだよな…」

 コロコロと動くサザトゥースを見て臣人が呟く。

「そろそろ時間だけど、遅刻しないか?」

 義人が時計を示すと、狼が一番に反応する。

「僕、日直」

「お前は大人しくしていろよ」

 臣人も用事があるのか、素早く出て行く。

「後片付けをしておくからな」

 空のカップを持って義人が言う。

「お前はいつまでも食べてるなよ」

 残さずに食べている竜兵に言うと、隼も苦笑するばかりだ。

「サザトゥース、昼間は静かにしておいてくれ」

 そう言うと、サザトゥースはかくんと頷き、止まり木によたよたと戻り、さらに丸くなった。

「さて、俺等も学校に行くか」

 後片付けを済ませた義人が言うと、隼と竜兵もカバンを取る。


 そして、今日も平凡な日常が始まる。

 次の神が目覚める時まで平凡で平和な日常となるのだろう。


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