表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジルヴォンニード  作者: 名雪優花
Animasions;serendipity.
7/27

始まりは時の線路-Ⅶ




 その距離は200メートルわずか。しかし現在手にしている拳銃の性能を鑑みれば、その射程は3分の1にも至らない。魔力解放の行使に頼るのも一つの手だが、それだけの処置で照準を補うのも心許なかった。

「……この距離じゃ届かないか、っと」

 拳銃での狙撃を諦め、アルスは自動小銃による遠距離射撃に移行する。亜空間から引きずり出すように召喚したのは、StG44――惜しくも魔力の概念を伴わないが、アルス自身の魔力による補正抜きにしても、最大300メートルの射程を誇るStG44ならば狙いの余地は充分にある。

 しかし、飛行機との距離が縮まっていく都度に差し迫るこの焦燥の正体とはいかなるばかりか。相手はたかが4機――だが今のアルスにとってはされど4機、だ。

 余計な思考は停止してとっとと撃てば良い話なのだが、自身の内に秘めていた志も信じられる者も不確かな彼にはあまりに酷な請け合いだった。

 ――なにグズグズしてんだよ、さっさと撃てよアルキョーネ! 心底の己が強く叫ぶ。手に汗が滲み、何より震えが止まらない。

 彼の指示通りに後方で先行きを見守っていたイリヤも、彼の異変を察知したのか困惑しつつあった。先の糾弾が、自身が彼を固めた枷になったのかと。

「おい、どうしたんだよ! 早く撃――いや、撃つな!」

「え、ええぇッ!?」

「いま装填してる弾薬、クルツだろ? それだと反動デカくてこっからじゃブレちまう! それにあの戦闘機、みょうちきりんな黒いのぶっ提げてっけど爆薬か何かじゃねえのか!?」

 イリヤは咄嗟にアルスの構えるStG44の銃口を塞ぎ、徐々に距離を詰めていくねずみ色の鷹を指差しながら、悲鳴に近い喚声をあげた。アルスは唐突な指摘に動転するあまり、4キロあまりの小銃を落としかける。

 此方へ低空飛行で進攻にかかる戦闘機の中で、とりわけ速い1機――機関砲が2門搭載されているところを確認すれば、Yak-9UTだろうか。

 大戦中で最も妙妙たる威力と航空性能を発揮したYak-9Uを基盤として近年より初飛行されたものの、我が軍による襲撃を受けて以来、姿を消したと思われる当時の革命兵器の再来による動揺もあっただけに、アルスの募る焦燥はより強まっていった。

 もはやイリヤに、戦争に関してどれほどの知識があるかなどと疑問に思う暇はない。これまでには経験しえなかったリスキーな賭けだ。

「爆薬!? じゃあ、どうしたら……キミに聞いたところで何も変わんないか、でも知ってるなら教えてほしい、あの機体に搭載されてる武装ってどんなのがある?」

「ヤークウーテには大抵、前らへんとこに機銃は八個ついてる! とうぜん威力も半端じゃない、一回の総射で軽くこの広場が吹っ飛ぶくらいのな!」

 無理難題かと思われたが、予想外にもイリヤは的確かつ冷静にデータを汲み取っていき、これにはアルスも緊迫とした状況下、舌を巻く。

「型はこっからだとよく見えねえが……おしっと、結構ボロくて多分、試作型かプロトタイプだと思う! プロトタイプならモーターカノン搭載で相当ヤバいぞ、撃つならせめて中心部におびき寄せてからのほうがいい!!」

 瓦礫を高台代わりによじ上ってイリヤは声高に答酬する。アルスは改めて、先程この少年に糺された理由を看取できた。犠牲は常であると感ずるな。己が行の果てに、その有無が分たれる。イリヤはきっと、そう伝えたかったのだと。

「キミの言おうとしていたこと……なんとなく分かった気がする」

「ん? 急にどしたんだ」

 呟いてアルスは真円の地上絵に立ち止まり、4機の追撃を待つ。幸い、後方の3機は汎用型兵器で、あれらは後回しにしても始末できる相手であった。

「まだだ、まだ撃つな――よし、そこだッ!!」

 イリヤの助言とともに、指先を引鉄に滑らせる。シーズンシュタット――狙撃を開始する。

「Sturmgewehr――展開する!」

 灰の鷹に向けて穿たれた弾丸は碧の軌道を描き、群がる彼らを一網打尽に焼き尽くす。

「やった、か……?」

「いや、新手が来たみたいだよ」

 無尽蔵に増殖するホムンクルスがそうであったように、ソ連の空挺部隊はどこまでも執念深い。国絡みで何があったのかと聞きたいところだが、無用な穿鑿でまた彼の逆鱗に触れるような事は避けたかったので、今は口を噤んで打開策を見つけ出すしかない。

 どのみちドラハテンまで同行するのだから、今こちらの傍で通過した特急の路線を辿れば、少々の爆撃は凌げるかもしれない。

「ウィーリンガーウェルフ……こうなったら一か八か」

 イリヤの手を引き、アルスは駆ける。ちょうど線路を引かれていたのが救いだった。

 特急といえど走行途中の列車に飛び乗る事ぐらいは、アルスの天性の運動神経をもってすれば造作もない。問題は道床と枕木の敷き詰められた不安定な足場を走らされるイリヤの持久力だ。身も心もすでにくたくたな彼にとってアルスの更なる危行は罰ゲームにも等しい。

「いてっ、だから引っ張んなっつたろ!」

「ごめん、もう少し耐えて!」

 イリヤの怒声におののきながらアルスは彼を右手で抱え、左手で頭頂部に掴まってぶら下がった後、車体の底を蹴って甲板の上に着地する。

「っ、にしてんだよ!」

「! ご、ごめん……」

 安堵の溜息をつくと今度はイリヤから腕を叩かれ、思わず反応も声も小さくなる。一瞬の予断も許せぬ状況下、慣性の法則で生じた突風が二人をさらに焦燥へと誘った。

「車内にいる人達まで巻き込んだらどうするつもりだ!?」

「……そう、だね」

 こういった人命に関する思考の捻子が切れているために、イリヤでなくとも自身を咎める弾劾の声は大きい。しかし彼からの非難ほど今のアルスにとって耳に痛いものはなく、親に叱られた子供のように黙って頷くことしかできない。

「謝ってる暇があったらあの飛行機の空爆から車両を遠ざけられるように頭使え! お前の脳ミソは人の神経を逆撫でさせるためだけにあんのか!?」

 これまで戦乱による被害など見向きもしなかった彼にはイリヤの指摘など自身の意識から遥かに遠い所にあったが、胸の内の孤独から逃れるためにも、多少の同調は不可欠だ。

「本当に、ごめん。――Feuer,Sturmgewehr」

 静かに立ち上がり、StG44を構え直す。爪の先まで意識を同化させて、StG44の一部に溶け込み、――目標を掃射する。

「オレに楯突いた輩は、一匹残らず――皆殺しだ」

 太鼓の〆より重い打撃音を発し、魔力を伴ったその鉄塊は四方に飛散し、散り散りになった弾丸はまるで岩の礫を思い起こす。隕石のように衝突していく砂礫はまばらになった機体とともに車道の外へと乱離する。

 イリヤは呆気にとられる事もなくただ悟ったように消散していく機体の残骸を見下ろす。このように悪夢の集塊を撃ち墜としてくれる人間がもし、あの時の故郷にいたならば。

 しかし考えていても仕方がない。自身の無力を嘆くより先に、機銃掃射に続く気弾の来雨から身を守る術を見出さなくては。

「っ!?」

 ――新たな来客が、気弾の流星群にまぎれて歪力の一打を振り下ろしてきたらしい。

「甲板が……触れてもいないのにッ!」

 イリヤとアルスの間を狙ったかのように擲たれた一撃は、ゼラチンもかくやといった具合で、鋼鉄の白板にもはや穴にも近い裂け目を作り上げていた。

 ふと、感情の伴わない瞳が此方を凝視しているような錯覚をひしと感じ取る。気弾の出所を探り、辺りを見回すアルスの視線は此方には向いていない。

 瞬間、背後から物々しい冷気を感じ、振り返ると無機質な色を宿す双眸と目が合った。

「ご機嫌よう、死神。かのような地にて貴公と再び会いまみえた事、この身に余る光栄だ」

 無機質な視線の正体。その矛先はアルスに向けられたものらしく、ありがたみの何一つ感じられない薄情な唇が動くと、アルスはぴたりと足を止め、大空に鎮座する磁器人形を物言わずに見上げた。

 重々しい質量を伴った赤い外套を翻らせ、幽鬼の如く形おぼろげに汽笛の真上へ着底する男の素顔はローブの頭巾で隠れてはいるが、その寒々とした榛色の樹脂は遠目からでも覗える。

「見え透いたお世辞をどうもありがとう処刑人。人の傲慢と悪意に呑まれたこのご時勢、アンタはパリでずっと打ち首晒してればよかったのにね」

 StG44を召還し、榛色のレジンに厭味を当てこすりながら手錠を変換する。ドライゼとボルクハルトの同時召喚は術者に相当の負荷を伴うが、赤い外套の男とは初戦でないため、片手で丸め込めるような相手でない事を重々と理解していた。

「魂の管理人気取りな殺人鬼がよく言うよ。お前に心などあってないようなもの、どうせそちらの子供と一悶着起こして自身の守るべき確かな意志が消えつつある……といった所だろう?」

 男の背丈をも超える剣斧が一閃すると、無骨な鋼刃がイリヤの方へと差し向けられる。攻撃形勢でないと分かるとアルスはしぶしぶとイリヤを庇う手を引いた。

「相変わらず口が減らないね。煉獄の大塔頭も所詮はアカの肥溜めに過ぎないっていう証明かい? お互い軍に飼われている者同士、甲板を這いながら風穴開け合ったって仕方ないと思うんだけどな」

「ふん。笑わせる……だが元帥より直々のお達しだ。貴公の討伐命令がソビエト全土の軍部に言い渡されている。お前の命数も尽きたな、アルキョーネ」

 ぴくりと、アルスの目尻に皺が寄せられる。風向きに逆らって流れる打撃と、陥没する足場に気を取られたうえに本名まで呼ばれ、焦慮に心身を削ぐあまり派手な舌打ちをした。

「その名で呼ぶなって、最初会った時から、警告したよね……?」

 後退しながら展開の構えを取り、ボルクハルトの偽装甲を解いた。黒塗りの鍍金が剥がれ、朴訥とした厚みをもった造形が姿を現す。

「嫌いなんだよ。自分の名前」

 今や産廃となった木造カスタム。これぞボルクハルトの真骨頂。

「Um sustenance sieben Sterne……」

 しかし詠唱の終わらぬうちに凶荒なる切っ先が一閃、前方に展開していたアルスの装甲を硝子もかくやと打ち破る。男の振りかざした一撃には熱気が宿り、赤熱した刃先から、魔力が横溢した際に生じる粒子が降りていた。

「どちらにしろ怪物である事には変わるまいて」

 口の端のみを吊り上げた冷笑。初めて露にした笑みは荒涼とした大地のような乾きを帯び、砂塵のように瞬時と消えた。

 アルスの開けた弾痕と男の振り下げで生じた亀裂のせいで、車体は大きく傾き、足場もより不安定となった。機尾を掴んでじっと耐えるイリヤを手招きし、背を抱きながら廃莢を飛ばす。

 当然といえばそれまでだが、此方側が向かい風に面している事を計算に入れ、敢えて揺動の挙措を取ったのだろう。装甲を剥ぐ他で、外套の男が直接アルスに剣先を触れさせるような動きを一片たりとも見せていない。

 ――何の打算もなく威嚇を繰り返しているとなれば、答えはひとつ。

「圧縮した大気を叩きつけてくるなんて、とんだ悪趣味な野郎がいたもんさ。さっきの連中もお前が動員した軍隊だろ? 人間の尊厳なんてクソほどどうでもいいと思ってるオレに奴らが敵うとでも?」

 斧尖に熱度が集中していたのは、束ねられた大気を短時間で一気に放出した事による過剰燃焼であったらしく、剣風に接した足場が崩れていくのも甲板が融点に達したからだった。

「どうやらオレはとんだ勘違いをされちまったらしい」

 銃把に絡まる鎖から召喚した薬莢を差し換え、魔方陣の描かれた装甲を再び網羅したアルスは解放に向けボルクハルトを構え直す。

「何の根拠も無しに憶測のみで他人にケチをつける……寂しい奴め」

 鼻を鳴らして男は失笑した。

「術式形態、拡張――Пожалуйста страдания навсегда」

剣斧の刃区まで染め上がった深紅を、イリヤはただ凝然と見上げた。食らえば骨のひとつ残ることはなく、避けてもこの車体は今度こそ限界を迎えるだろう。落ちても死にはしないだろうが、もうじき特急はアフスライトダイクの石橋に差し迫るところだ。

 列車の倒壊を見越したアルスは距離を取って斧先めがけボルクハルトの呪弾を食らわすが、逆風に煽られ掠りもせず、弾は虚しく真横に逸れていった。

「痴情に燻された弾はかくも虚しき力となるか。正義の仇敵と謳われた災禍の死神も、所詮は雛鳥も同然よ」

 外套が翻ったと同時に無数の陣が帯の如く男の剣斧を取り巻くと、閃きに応じて八方へ蒼碧の光線を放出する。

「うるさいな。今まで色んな奴と弾幕を交わし合ってきたけども、これほどまでに不躾な男に出会ったのはお前が初めてだよ。エイド」

「どうとでも言え。一匹狼気取りのひよっ子が」

 初戦は真冬の飛空挺における、邂逅までさかのぼる頃。初の空戦で舞い上がっていた時に無数のYak-9Uの来襲に遭い、爆撃と同時に振り返ると自身の前で斧を担いだ男が何食わぬ顔で佇んでいた。 その能面人形こそが、今こうして対峙しているエイド本人である。

「典型的な悪役みたいな外道もいれば、ただ自分が優位に立ちたいだけで相手を意味も無く見下す奴もいる。けれどお前はどちらにも当てはまらない、まるで“あの女”のように人を不快にさせる事しか脳のない駄犬だ。……そういえばカーネスとかいったっけ。外様のお前を失脚させた英国の指揮官とかいうのは」

 ローブ越しに覗く無機質な榛が、初めて沈黙以外の色を見せた。

「その名、二度と俺の前で口にしてくれるな」

 榛の双眸が禍々しく発光すると、振り下ろされた剣斧がみるみる融点を超して、熔けた切っ先が人形の足元に零れていく。

「おい……どう見てもマズいんじゃねーのか、あれ?」

 アルスの肩を掴む手に無意識に力が込められる。大丈夫だよと抱き返しながら、彼は後退りして男の装甲を静かに見据えた。

「開帳――Для того, чтобы перейти на время суда」

 設けられた科刑の場。このまま無事に終点まで辿り着くことは、おそらく無いだろう。融解を始めた剣斧は振り上げされる都度に火花を散らせ、さらなる大気の束をかき集める。

 頭巾の下、ふと露わになった端正なポーカーフェイス……エイドはまるで導線の切れた人形兵器の様に乾いた笑みを押し上げていた。

「さあ始めようか。――血潮も沸き立つ粛清の輪舞を」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ