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ジルヴォンニード  作者: 名雪優花
Animasions;serendipity.
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始まりは時の線路-Ⅵ



「さっきの行動の意図は何だ」

 張りつめた殺気を迸らせてイリヤは、苦々しげに眉を寄せたアルスを睨み据える。

「……邪魔者は完全に仕留めないと気が済まない性分でね。気に食わないと思った瞬間に指先が銃把に滑るのさ」

「こりゃあ驚いたぜ。実直な好青年かと思いきや人の迷惑にゃお構いなしのとんだ便佞野郎だったとはな」

 あまりにも身勝手な言い分に絶句してしまいそうだったが、イリヤは苦笑しながら続けた。

「あんた、とんだ最低野郎だよ。今まで見てきた奴らなんかよりずっと」

 お前は命の重みなんてちっとも分かりゃしないのな。まあ死神なんだから当然か。

 声を震わせながら、静かに諭す。アルスの戦う姿を見て目に焼きついたのは、熾の集塊が禍々しく飛び火するような戦乱の地。記憶に貼りついてやまない、忌々しき業火の里。

 それを思い起こさせる死と悪夢の標致物。こんな鉄面皮を自分の旅に同行させていたという事実に、ただ言うだけ野暮な吐き気がこみ上げてくる。

「……人を殺す事に対してそんなに理由が必要なのかい?」

 苦悶に満ちた表情で答えるアルスの心裏には不審を懐くが、血も涙もない横着の権化に糾さねばならない事が多すぎた。

「お前みたいな道徳の観念の薄い奴らが跋扈してるから、罪のない人間がこんなクソみてえな戦いに巻き込まれたり駆り出されたりするんだろ。そんな人間たちがどんな思いで戦ってるのかも知りもしないで」

 お前の無意味な殺戮が、お前たちを動かしてる奴らの唱える平和から遠ざかっていると知りもしないで。

 死神を視線で咎めるイリヤの眼は昏い怒りの炎に呑まれていた。射竦められたように肩を張ったアルスは自らの立場を危うくするとも知らないでなお失言を続ける。

「世界の平和を心から望むっていうんなら、その世界に人間なんか別にいなくても良いって事だろ?」

「……だからってそれで解決すんのかよ。人を脅かして、挙げ句嬲り殺しにしてそれで済まされるってんなら、この世界はあまりに救われねぇじゃねーか! いくら、いくら人間が嫌いだからって!」

 殴ってやりたい衝動に駆られて拳が不規則に震えを刻む。あんなに狂暴な力を見せつけてきた兇徒に一発食らわそうなどと、我ながら据わった度胸だと自負していた。

 何をしでかすか分からない突飛的で、何をやるにも衝動的なこの死神は、人の思想と理念から真っ向にかけ離れた生物だと理解していても。

 それでも心の隅では割り切れない気持ちがあった。先ほどまで自分に向けられたあの笑顔はまがい物だったのか。先ほどまで見せていた自分への優しさもすべて、自分を欺くための演技に過ぎなかったのか。

 彼の瞳の揺らぎを見れば、迷っている様子も窺えるが……気遣わしげに言葉を選んでいるようにも思えて、イリヤにとってはなおさら、腸が煮えくり返るような逡巡に過ぎない。

「ああ。オレは人間が憎いさ。自分たちの生きた証を高らかに掲げて、他の生物の領域を侵して王様気取りでいるあいつらが憎い。死んで詫びろとすら思ってる」

 イリヤを見据えるアルスの眼差しが迷いから覚悟の念に変わったのは気のせいではないようだ。もうどう思われようと構わない。そういった覚悟が見受けられた。

「たしかに嫌いだよ。人間も、オレのような異形の立場を排斥して富を貪り尽くす人間どもも、そいつらがうまくやっていけるような世界も、何もかも全……」

「そんなのただの八つ当たりじゃねーか! 自分の受け入れられない現実を自分の都合の良いように捻じ曲がった解釈をしてるだけじゃねーか!」

 アルスの言葉を遮って声高に叫び散らす。とうとう我慢の限界が訪れたようだ。自己中心的で自分勝手で、駄々をこねる子供よりも質の悪い男に、怒りが体中を横溢していくのをひしと感じる。

 こんな奴が軍隊の中に。こんな奴がこの戦争に。先の醜鼻を極めるばかりに繰り広げられる血の遊戯を思い出し、もはや眩暈すら覚えた。

「そうは言うけど、人の生まれた意味にはこれといって科学的な根拠がない」

 何を言うにも、まずは人類への否定から。自分の事を棚に上げていく彼の眼は仄かにヒトへの絶望と、嘆きの色を帯びていた。

「そんな彼らの命に何の価値がある? 銃弾ひとつで飛び散る命が、どの面下げて地球を我が物にしているんだか。さも自分達が創ったかのようにこの世界を、飼い犬のように――」

「いい加減にしろよ死神ッ!!」

 錦上花を添えたような綺麗言に反吐が出そうだった。

 少し一目置けば呆気なくボロが出る。今まで接してきた連中もそうだった。心底から信じかけていた男がナチスの手先だと知っても、なお疑わなかった自分が愚かしくて堪らない。

 ナチスの輩に、悪意の権力者どもに、良心を求めてはいけないと誰にでも分かりえた条理なのに……なのに、この悪辣な策士の口車に乗った自分が果てしなく許せなかった。

 だからこそ、死神に向けるイリヤの眼差しは怒りよりも縋る気持ちの方が大きい。いっそ違うんだと言ってくれ。何もかも嘘なんだと言ってくれ。そうすれば少しでもお前を認めることができるのに ――そんな哀願が喉を衝くが、堪えて吐き出さなかった。

「う……ご、ごめ」

「お前のやってる事は戦争じゃなくて殺戮だ! 人が世界を創るとか壊すとか! そんなのお前ひとりが決めて解釈する問題じゃねーだろ! 人間だって、自分達の領土を侵されないようにお前達みたいな無法者から必死に住処を守って生きてる、要は同じじゃねーか!」

 アルスの胸倉に掴みかかり、イリヤは激しく反証を唱えた。見苦しいのは承知している。しかし許せないでいるのだ。アルスのヒトの命に対する認識の甘さが、そして無意味な虚勢で己を傷つけている自覚の足りなさが。

「わ、わかってる、わかってるけど――」

「悉く俺を失望させやがって……お前の願った世界ってのは、そんな虚無に満ちた世界なんだな。可哀想に」

 こいつは気づいていない。俺の気持ちはおろか、自分の涙にさえ。そんな奴が社会の和に溶け込むなんて荒唐無稽な話、到底ある筈ねえよな。

 心の底でせせら笑う。沸点を越すどころか、抑えきれない熱でビーカーごと割れそうだ。そんな煮え滾った感情とは裏腹に、心の奥底は氷のように冷えている。この男への憤怒に、身体がついていけていないという何よりの証拠だろう。

「人の死んだ数だけ地球は救われる……お前が言いたいのはそういうもんだろ? 勘違いも甚だしい! それで人を些末に扱いやがった奴のせいで死んだ命はどうなる? ナチスってのは殺戮を草刈りみてえに思い込んでる脳味噌垂れ流しのイカレポンチしか存在しねぇのか!? どうなんだ! お前は少しくらい屠った分の命だけ遺族の嘆きが敷衍してるっていう可能性を省みろ! それこそお前達にとっての火種みてえなもんだろうが!!」

 自棄糞のように訴えかけたところで不毛だが、これで満足するのかといえば無論そうもいかない。彼はなりふり構わず銃弾のようにアルスへ畳み掛ける。

「誰も些末に扱うなんて言ってないよ! オレがナチスの独裁政治に肩入れしてるって前提なんだろうけどオレはそんな奴らとは違う!!」

 イリヤの駁撃に対し、アルスはただ空しいばかりの抗弁をもたらすばかりであった。

「黙れ! 何がどう違うんだよ! お前の甘言を真に受けてノコノコ着いてきた俺が馬鹿だった! 戦争は国絡みの生存競争に過ぎねぇ。そこに正義も何もなくて、残されるのは血に飢えた悪鬼たちの呻きだけだ!」

 いくら理不尽な指弾を受けても引かないアルスの顔を至近距離にまで寄せ、イリヤはひたすら駁し続ける。瞋恚の炎を白桃の眼に宿らせながら。

「綺麗事だけならなぁ、誰にだって言えんだよ。安易に死ぬとか殺すとか、そういう人として守るべき筋道を軽んじた言葉で上辺を濁してくんな! お前が説こうとしてんのは俺がこの世で一番大っ嫌いな偽善なんだよ!!」

 強く揺さぶった反動でアルスに尻餅を着かせる形となったが、それでも構わず血を吐くような勢いで、徒爾も甚だしい辨駁を続ける。その様は泣訴にも等しい。

「そんなの、数えきれないくらいあるのに……オレはどうなるのさ。これでも死ぬ思いでやってるのに、キミはオレの行いが徒労だったとでも言うのかい? キミの嫌がるこんな矛盾の多い世界だって、元はといえばキミたち人間が創ったものなんだよ? 何で人間でもなんでもないオレにばかり責任が……」

「わかってるよ。お前個人の問題じゃないことも。お前自身苦しみ続けてることも。でもだからこそ納得出来ねんだ、答えてくれよ。人を食い物にして至福を肥やすナチスの連中を何で認めた! 何で総統の暴走を見逃した! どうしてお前が……悪魔の横暴に肩入れしたんだよ! どうして人間なんかに頓着しないお前が!」

 振り絞って発する声は絶望よりなお深い失意に震えた。不毛、無益、そんな言葉では形容できぬほどの蕩尽が心中を駆け巡る。ただ空しい。こんな幼子のような迷い言に柳眉を立てている自分が何よりも。

「お前の言ってることは全部、目の前の惨事を平然と見過ごせる下衆な人間の懐く幻想と何ら変わりはしねえ。そして俺も……自分じゃ何にもできない。できない俺自身が何よりもずっと許せない。でもな、お前の優しい言葉は俺にとっちゃ刃物も同然なんだ……これ以上、自分じゃない誰かのせいで後悔なんてしたくない」

 アルスの肩を掴む手に力が込められる。食い込んだ爪から彼の血が滲む。

 先の人形兵器によって引っ掻かれたらしき傷に掠っていて眉を顰めるも、彼は気づかないふりをしてイリヤの震える視線を見据えるばかりだった。

「……たしかに人間なんてクソ食らえだと思ってる。滅んじまえばいいって、ずっと思ってた。けどキミのことだけは友達だって信じてるよ……!」

 そういって反論するアルスの眼に、先刻の濁りはない。代わりに迷いの念が感じられる。

「どうして会って間もない人間にそんな上っ面だけの世辞が述べられる! お前のその薄っぺらい戯れ言を俺に信じれとでも吐かすのかよ……冗談じゃねえ!」

 イリヤはとうに彼の迷いを見透かしていた。この孤独を脱却するためなら今の考えを捻じ曲げてでも弁解して、免除してもらおうという魂胆さえ。

「……分かるわけねぇよな? お前達の国が起こした戦争で全部失くした俺の気持ちなんか。家族も、家も、故郷も……何もかも奪われた人間の気持ちなんか」

 木も、人も、家も、道も……何もかもが燻されて、茜色の空とともに猩々へ呑み込まれていく。そんな惨憺たる光景を目の前で繰り広げられて、思い出すだけで気が狂いそうになる。

 なのに醜鼻と醜悪を極めた晩餐の主催者は嗤っていた。泣き崩れるイリヤの前で、先ほどのアルスと同じように恍惚と悦楽に溺れた表情で。沈痛に震えおののくイリヤの手を踏みにじったその者は、彼の母なる聖地であるスターラヤルッサを植民地とした。

 皮肉にも、ソ連の強豪勢力が特に集中している領域にその市の名が記されていた。

「失ったものなんてそんなの……オレにだってあるよ」

 唇を噛みしめながらアルスは呟いた。端から流れる血を見た時は、さすがにイリヤも手を引きそうになる。迷いまよった逡巡の結果が、弥が上にも吐き出す事となった心の内になろうとは。

「あるからこそ、オレは今だって人間が憎い、オレにもっと力があったら、今すぐ滅ぼしてやりたいよ」

 決して強い語気ではないが、震えながらに声を絞り上げていた。

 力に敗れ、力を渇望する者の気持ちは、この男でなければ斟酌はできた。己の無力を嘆いて、力に喘ぐのは、遠い記憶の再生を心願うイリヤとて同じだ。

「そんな奴が、どうしてナチスなんかに……」

 だが自分も所詮は人間。だからといって軍に加担しているでもなく、あまつさえ戦争の渦中に入り込んだことすらない。

 結局は無知な子供でしかないのに、戦乱に巻き込まれたという被害意識だけで、使えもしない力を所望するおこがましさといったら。

 それはアルスの招いた誤謬と、イリヤの感じた誤解よりも悲惨だ。

「……オレだって、入りたくて其処にいる訳じゃないよ」

 否定しながら鼻をすする音に名も知れぬ違和感を抱きながらも、イリヤは声を絞る。がなり立てるように責めるのはそろそろ止めにして、軽い説教で済まそうとした。

「結局のところ偽善だけがすべてを救う。でもそんな腐れきった概念で、腐れきった世界を這いずりまわるぐらいなら……俺は間違いなく有意義な死を選ぶね」

「だからってオレまでも疑うの? 確かに図に乗ってたと思うし、会って間もないけどオレはキミの事信じてるよ! キミを傷つけようだなんてこれっぽっちも――」

「うるさい! なら言い破ってみろよ、証明してみろよ! お前自身の言葉ではっきり言え! 何でお前が泣くんだよ、泣きたいのはこっちだってのに!」

 泣いているのかといえば語弊はある。しかしアルスの弁明ははてしなく涙声に近い。

「……だって、キミがひどいことばっかり言うから」

「俺だってこんな事したいわけじゃない! お前を否定したくないし、お前と出会わなければなんて微塵とも考えたくない、だから頼むよ! せめて“オレを信じて”とだけでも言ってくれ! でないと……」

 戦闘機が唸りを上げるのを聞き咎めたのはイリヤだけではないらしい。込み入った状況下でも、アルスの眼つきにやはり狂いはなかった。が、先刻とうって変わって彼の面持ちに覇気がない。

 さすがに言い過ぎてしまったと後悔するが、今はそれどころではなく、徐々に此方へ接近しつつある戦闘機を睥睨する他無い。

「おい、あれ……」

「わかってる。――今日はどうにも横槍が多いな。イリヤ、少し下がってて」

 手錠から変換して一対の拳銃を構え、イリヤに避難を催促する彼に、もはや皮肉も笑顔も無かった。

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