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ジルヴォンニード  作者: 名雪優花
Animasions;serendipity.
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記憶の花よ辻風と散れ-Ⅰ


 


 人の気持ちに敏感な君は、僕の穢い心を誰よりも先に見抜いた。

 その鋭さも愛しいからこそ、僕は苦しい。生身で肉を削がれても何も感じないくらいには、君の冷えた眼差しが痛い。

 まるで麻酔を射たれたかのように、心臓以外の全ての痛覚が遮断される。弱火で炙られたように、命の焔が少しずつ小さくなっていく。

 自業自得だ。君を追いつめたのは僕、泣かせてしまったのも僕。

 何一つ幸せと呼べるようなことをしてやらなかった、最低で屑な僕のエゴ。

 ひとつ喜べるのは、君が僕を前に明確な怒りを表してくれたこと。当然なのだけれど、僕の気持ちを察して意識すらされないよりは、ずっとずっと幸福だ。

 こんな不謹慎なことばかり考える僕だから、今よりさらに救いようのない過ちを犯そうとしているんだなーー

 

 嗚呼、こうしてまた君の意識が遠のいていく。

 

 


 町から少し外れた通り。雨の跡が乾いていない石床の上で、イリヤは自身を落ち着かせるように長針の柄を握りしめた。

「お前、ティカルっ、お前、生きてたのか!?」

 頭が回らず視界も白くチカチカと、焦る余り声が声になっていないのが自分でも分かる。彼はイリヤにとって、決して、決して忘れてはならない男だったからだ。

 ティカルと、そう呼ばれた少年は白衣をはためかせ屋根から飛び下りた。襞状の長布と赤いロープが細やかにしなり、腰から伸びた鞘が金糸雀の色に閃いてーー彼の身の丈をはるかに超える大剣が姿を現す。

「聖剣抜刀ーーあんたは誰の事を話している?」

 琥珀の色をした眼光が、困惑に眉を寄せるイリヤを感慨なさげに見下ろした。どころか、自分などまるで最初から眼中にないように。

「……おまえ、本気で覚えていないのか?」

 イリヤは呆然と突っ立ったまま剣撃のみを受け止め、自身からは何の一振りも繰り出せずにいた。

 シラを切っているのか、それとも他人の空似なのか……目鼻立ちとやや低めの声質どれもまさにイリヤの知るティカルという人間そのものを示している。しかしあのような大振りの剣に見覚えはない。現時点における判断材料は少なすぎた。

「だから何の話かと聞いている」

「俺だよ俺! イリヤだ! 最初に会った時、ユーノと一緒に俺を勧誘してきただろ!」

 こちらを鬱陶しげに凝視する彼の目はエイドのような虚構を湛えた瞳とはまた違う、胸の内まで渡っていくようなおぞましい冷たさを秘めている。イリヤは一瞬汗を光らせるも、それでも怯まず彼を見据え続けた。

「ユー、ノ……」

 冷ややかな形を双眸を崩さずも、ティカルの動きがわずかに鈍る。記憶の糸を手繰っているというよりは、何かしら言い淀んでいる、言葉を選んでいるような様子であった。

「覚えてんだろ? はっきり思い出せ! 俺と! お前は!」

 彼の様子から確信を得たイリヤは借問を畳み掛ける。

「……その男は、もう死んでいるはずだ」

 金色の切っ先がイリヤの手元からあっさり離れる。すると箔が剥がれたように、ティカルの大剣はみるみる粒子に覆われ、それは中肉中背の少年が握れるほどの一振りに収まった。

「ーーは?」

 彼の言葉が飲み込めず、イリヤは瞬時に固まる。握っていたはずの柄の感覚がなくなり、指をすり抜け煉瓦に落ちた長針は乾いた音を立てて術式の残りかすと消えた。

「旅人殿、彼は危険です! 此処は一旦下がって……」

「待ってくれデュース、こいつは!」

 デュースはイリヤの肩を掴むが、イリヤはその手を制しティカルに歩み寄る。

「この話はもう終わり。悪いけど君に用はないんだ。僕は僕自身の使命を遂行する」

 しかし彼はイリヤの言葉を一蹴して、再度デュースへ刃を向けた。

「使命って、あんた……」

 イリヤが言い終わらぬうちに、彼はーー“聖剣使い”のティカル・カンリフは、腰下の長布と赤いロープにその一振りと同じ輝きを放つ術式を纏わせて隣の男に斬りかかる。

「デュース・トレイシー……君は、知ってはいけない禁忌に触れてしまった」

 乾いた唇が細やかに動く。すると立っていたはずの空間が布のように裂け、気付くとイリヤは二人の次元から完全に意識を断たれてしまっていた。

 

 

 

第四譚『記憶の花よ辻風と散れ』

 

 

 

 伯父よりドラハテンの研修へ誘われる以前、イリヤはある人形劇団の元に身を置いていた。

 とはいえ舞台を借りるほどの大層なものではなく、せいぜい大衆娯楽として子供達に読み聞かせる程度の、いわゆる地域のボランティアと大差ない規模の集まりである。

 恋人であるクレルと出会ったのはこの縁。ティカルと出会ったのもまた、この縁。

 ソ連のほぼ全域を年単位で回るという、どこまでも過酷で果てしない道のりであったがイリヤの居場所はいつしか彼らの元に落ち着いていた。

 本当は、“あの男たちから逃げられるのであれば何処でもよかった”のだが。

 これといって芸はなく、せいぜい周りの子並みに運動が出来る程度でしかないイリヤにも唯一得意と呼べるものはあった。

「君の歌は朝の光と並べるに心地好い。風と小鳥の囀りに美しく調和している」

 カーテンを開けながらティカルは差し込む陽に目を眇めていた。彼はイリヤに歌の才を見出だし、団の看板息子として引っ張り出したのだ。

「へいへい、口八丁もそこまでにしときな。俺は身を隠したくてわざわざこんな田舎まで来たっつーのに、お前らときたら」

「けれどその歌声は本物だ。籠の鳥にしておくのが勿体ないほどにね」

 前が見えなくなるほどの資材を箱に抱えながら彼はそう言った。イリヤはため息をつきながら箱から幾つかを運び込む。

 ティカルという男は語りの天才であった。

 彼は決して口数多いわけでなく、また群れることを好むわけでもなく。けれど彼の紡ぐ物語は、聞き入った者の意識を現世から切り離してしまうようなーーある種の危険な浮遊感をもたらす麻薬の物語を所蔵していた。

 イリヤは彼の綴った脚本の中で、特に旅人を題材としたおとぎ話を好んだ。

 その旅人は仲間を、家族を、恋人を、大切と呼べる全ての人を亡くしていた。まるで目的を求めるようにさまよっていた旅の途中、死神を名乗る男との出会いをきっかけに、旅人は自身の辿ってきた道を見つめ直すーー

 その旅人に自分を照らし合わせて、けれど少し恐ろしくもあった。もちろん家族などとうにいないし、死神などと名乗る男と実際に会った経験もない。

 しかし、過去に“その物語と該当する人物”と知り合っているような、そんな在りもしない思い込みに惑わされている自分もいたのだ。

 そういったえも知れぬ魔力がティカルのシナリオに内包されていた。

「物語なんて、紙と筆があれば誰にでも書けるものさ」

 そんな彼の答えは決まってこうだ。

「いやいやいや。そんなざっくりとした説明だけで事を成せんのは世界中どこの作家を探してもお前だけだっつの」

 ティカルの言葉を否定しながら磁石のパネルを箱にかき集め、イリヤは荷台に劇で用いる備品を積んでいく。

「簡単な話だろう? 頭のなかで自然と出来上がってくる構想を紙に写すだけの単純な作業さ」

「それが皆々の頭にあるわけじゃないんだって……まず一般人がゼロから脚本を引っ張り出すんだから、最低限の資料は必要になんだろ。それと百聞は一見に如かずっていうし、現地で書きたい題材の実物見に行って、イメージできたのをメモして、それをかき集めて練り固めて本にするまでにどんだけの歳月が要するってんだよ」

 途方も無さげに呟きながらイリヤは荷台の下に腰を下ろす。ティカルはその斜め上に乗って足をぶらつかせながら苦笑した。

「典型的な優等生の答えだね」

 まるでそれらは不要な事とでも言いたげに、彼は眉を寄せて頬杖をつきながら笑うのであった。

 

 そうだ、ひとつの物語の糸を成すには、幾月、幾年もの時をかけて機を織らなくてはならない。

 イリヤの紡ぐ糸はたしかに規則正しい布を織り成していた。しかし、ティカルの示した通りに紡いだはずの糸は途中で解れてしまった。

 当然だ。彼は“いつかの悪夢”が生み出した災禍の海に、クレル達と共に呑まれてしまったのだから。

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