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ジルヴォンニード  作者: 名雪優花
Animasions;serendipity.
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幽世に堕つクレプシドラ-Ⅳ




 アルスの大人げない抗弁によって無事マーサを撃退できたというもの、イリヤはこれからの事を考えてはひたすら憂鬱な思考に走っていた。

 彼曰く、カールスルーエはいまだ戦渦にさらされていないと聞く。ドイツの南部に位置する辺境都市でナチスの目にも触れられておらず、国防の隠れ蓑として最適だという。

 しかし問題として、肝心の駅構造はいかにして機能しているか、が挙げられる。

 その問題に対してアルスは「さしてそこいらの駅と変わらない」と応じていたが、彼のノープロブレムは信用ならない。地元で発行される為替手形と同じくらい。

「こうして食ってる間もエイド達は俺らのコト追ってくんのかな……だったら早えーことカールスルーエとやらに出発しとかねえとヤベーぞ……オイ聞いとんのか死神さんよォ?」

朝から店を食い潰す勢いでサンドイッチの山を頬張るアルス……と、そんな彼よりはまだ健全だとタカをくくり、クレームブリュレの挟まれたホットサンドを齧るイリヤ。

 さらにアルスが畳み掛けるようにスパゲッティまで注文し始め、豪勢に盛られた麺の皿をズルズルと激流の勢いで平らげていく。見ていると此方の胃酸が逆流してしまいそうだ。

「まだ食うかよ……つうか汚ねえなオイ」

 そういやこいつ4分の1日本人だっけ……と、ロシア系台湾圏のイリヤがさっそく文化の違いを思い知らされて、呆れるように椅子にもたれ掛かって頬杖をついた。

「ふも?」

「(ブン殴りてえこいつ……)あのさあ、向こうはお前がカールスルーエに拠点置いてるっつーコト認知してんのか?」

 エビを口に含みながら聞き返す死神の間抜けな態度に殺意を覚えながら、イリヤは出発先の現況を聞くとともに今後の彼の予定についても尋ね始めた。

アルスは未だにキーマンとしてのイリヤの力を知らない筈だ。エイドを退けた際に鈴の一振りで彼の記憶を寸断している。しかし引き際といえエイドはイリヤが術式を行使する一部始終を視認していたに違いない。

不本意であるがもし万が一の状況に見舞われた場合、黒衣の死神を呼び出し彼の力を借りざるを得ない事態となるだろう。そうとなれば、まずは連絡先を聞いておいて損はない。

「バイト仲間のマーサはともかく、エイド達はおそらく知らないハズだよ。拠点の場所は向こうで特定されてるかもしれないけど、オレが其処にいるとまでの情報は行き届いてないと思う」

 平らげた皿を脇に置いてアルスは1枚の紙切れとペンをおもむろに取り出し、こまごまと走り書いていた。連絡先の住所だろうか。

「それにオレもあっち(ベルリン)に滞在してたもんで、しばらく軍には顔出してなくてね。カールスルーエの近況がどうなってるのかは正直分からないよ」

「やっぱりな。ウマい話にゃウラがあるってそれなりの覚悟はできてたケドよ……でも一番は穏やかな旅をしたいに尽きるのがホンネってモンだ」

 差し出された紙片をふてぶてしく受け取り、イリヤは両腕を頭に置いて欠伸をする。

字は人間の性格が出ると伝わるが、nとrの区別がつかないくらい乱雑に書き殴られた字からは到底目の前の爽やかな物腰の男と結びつかない。

「だったらあらかじめオレが裏手に回って片付けとくけど、どうする?」

「おう、ナニをだ!?」

 全身の毛が危険信号を知らせるように逆立っていくのを感じた。ゼッタイに乗ってはいけない船に乗りかかった気がする。終末列車の意味が違う。

「ほらほら。やっぱそんな暴徒にホイホイついてくよりボクちんをお供につけといた方が安全な旅路を約束できるのねん」

「どっから出てきたのキミッ?!」

 ひょこっと出てきた影に瞠目したアルスが椅子から転げ落ちる。不審がったイリヤが隣の席を見やると、そこでマーサがスプーンを銜えながら手を振っていた。

「ここでマサ夫くん、めげずに再登場! なのね~ん! 腹ごしらえでたまたま通りかかっただけなのねん。別に他意はないのねん」

 彼が片手に握るのは……握るのも苦になりそうな特大のパフェ。飲食店に勤務する人間の朝はこんなにも重いのだろうか。チョコがけのプレッツェルが食する者に多大なプレッシャーを誇示している。アルスがぬぐっていたのは決して涎でないことを願いたい。

「おお、無事だったかマサ夫!」

「ちょっとなんで喜んでるの!?」

「ごめんな……ウチの心象ブチ壊しデスサイズが迷惑かけて」

「いやいやぁ。何せアルキョーネ君はウチの店のツラ汚しでもありますし」

「ふたりしてなんでオレが悪いみたいな言い方するの!?」

 イリヤの急激な態度の変わり様にアルスが声を張り上げると、ジト目で見つめ返されて瞬時に言葉を詰まらせた。将来末頼もしい車掌候補の凍てついた眼光は死神をも黙らせる。

「理不尽な理由で生身の人間に発砲するからじゃねーの?」

「っ、それはねー! ……そらオレよりマーサが仲介してくれた方が色々とやりやすいだろうけど何だかんだでキミその子についてこうとしてない!?」

 イリヤの旅先を保障してもらえるのはドラハテンまでという約定だったため、アルスとはこの時点で契約切れだ。この先で別れたとて、お互いに困る点がある訳ではない。

「え、うん。だって俺もともとは車掌実習受けにきた研修生だし……」

「そ、そんな、ネルチンスクなんかよりもっと時給良いトコあるよ! カールスルーエとかカールスルーエとか……」

 正体未だに不詳の自称:死神な国防軍人より同国出身加えてこちらにより良い研修先を提供してくれるマーサの方がはるかに信用できる。その理屈は十二分に理解できた。

「それにロシア語通じる仲人居てくれた方が進捗良いしお前要領悪いから頼りない……」

 しかしここまで不条理な暴言を吐かれては、この先は己の矜持との勝負に傾いてしまう。

「Sie wollen nur mein fluchen zu sagen(キミただオレの悪口言いたいだけじゃん)!!」

 アルスの悲痛な叫びが木洩れ日に包まれたビアガーデンの下、やかましくバインドする。

「いやぁそもそもお前のこと完全には信用してねーワケだし、この際しょーがなくね? 一期一会だっていうじゃん」

 彼の悲嘆はむなしく、対抗心を向けられていることに気付かないマーサは目をぱちくりとするばかりで、イリヤに至っては至極当然であるかのように落ち着いた態度で自身を諭すのであった。

「そ、それはね、出会いと別れはいつ来るか分からないから人との縁は大切にしましょうって意味で……」

「これだから過去の思い出に囚われるアタマのお堅い御仁は話が通じないのねん」

「だろー? 分かるじゃんマサ夫!」

「ソコなに死神イジメに意気投合しちゃってんのーーーッ!!」

「つーか自分のコト死神って思ってる時点でイタい奴選手権の国際チャンピオン名乗ってるも同然だよな」

「そうそう。死神の件に関してボクちんも未だに信用ならぬ点がいくつか存在するのねん」

「ちょっとバイト仲間ならフォローしてェエエエエ!?」

「さっきその仲間とやらにバズーカ飛ばしやがったの誰さんよ?」

 すかさずイリヤがツッコミを入れていくも、屁理屈をこねる死神とパフェのフレーク部分をすくい取るのに夢中で話が頭に入ってこないらしい殺し屋というボケの二重奏が昼前の喧騒に拍車をかけている。というか喧騒の中心として自分達の席が目立っている。

「だってマーサがオレをイジメてくるんだもん!」

「だってアルキョーネが一般人連れ回してたから魂持ってかないか心配だったのねん。あ、サクランボ落っこちた」

「お前ら恥ずかしいから騒ぐのやめとけって! あ~ゴメンねおチビちゃん、このバカ共すぐに鎮めるから待っててね……」

 真後ろの席でぐずついている赤子に手を振りながら、今にもドンパチを再開しそうな勢いでモメ合っているどうにか牽制しようとする。

『アンタどっちの味方だよ!!』

 ……しようとしたが、かえって火蓋を切ってしまったようだ。しかも己の過失によって。

(しーししし、しまったぁしくじったぁあああッ!!)

 一瞬イリヤを睨んだのち視線は互いに向かっていくようで何よりだが、これ以上騒がれると本気で追い出されかねない。一口齧っただけのホットサンドはまだクリームに届いていないというのに。

「分からず屋にはボクちんの納豆マシンガンが火を吹くのね~ん!」

 果たしてアルスとイリヤどちらを指して言ったのか。『シュパーギン』の砲口がアルスの額を捉えているのはやはり独ソ戦だろうか、この都市のど真ん中でおっ始める気だろうか。

「っておいコラコラ! ムカつくの分かるけど流石に都市部で発砲はやめとけ!」

 だとしたら、平穏な旅を目指すチャンスは今度こそ消し飛んでしまう。永遠に。

「チンコの臭いが納豆? 最低なギャグをかます御仁だね」

「最低なのはアンタの脳ミソだよ!!」

 両脚をテーブルに上げて鼻をほじりながら悪態をつく赤髪の死神は真面目に応対する気がさらさら無いようだ。砲口を向けられているとはいざ知らず。

「俺、なんでこんな下品な奴と旅してんだろう……」

 出立1日目にして死神と行き遭うといった幸先の悪いスタートを切り、2日目で死神と彼を知る人間との醜い衝突関係を知り……イリヤの旅はどこまで引っ掻き回される事やら。

「おっと、よ~やくボクちんとぶらりネルチンスク二人旅のチケットを購入する気になったかなぁ? 今ならアルキョーネのお命を供物として捧げればもれなく無料! これ以上におトクなサービスは万国ドコを探し求めてもナイナイアンサーなのねん!」

 砲口から腐敗臭のただよう機関銃を担ぎながらイリヤに詰め寄るマーサの顔は喜悦に満ちていた。その様子をひたすら青い顔で凝視するアルス。

「どうしょっかな~やっぱ母国のほうがやりやすくていっかな~? それにコイツといるとスゲー疲れるしアンタはアホだけど常識は一応あるっぽいしなぁ。またソ連に戻るか?」

「キミちょっとお互いに失礼なコト言ってるのに気づいてないの!?」

 わざとらしく唸って逡巡するイリヤにすかさずアルスが噛みついた。胡乱げに振り返ると心なしか涙ぐんでいるように思えたが、気づかないフリをする。

「じゃあ逆に聞くけどお前についてくメリットは?」

 座り直したイリヤはギロリとアルスを睨む。

「ふ、風俗が安いとか?」

「よし、行こうぜマーサ」

「あいよー! 1名様のご予約承り~~~ぃ」

 圧に耐えきれずうっかり滑らせてしまった口が、ついシモへと降りてしまっていた。

 そのうっかりを確信した頃にはすでに、イリヤの手がマーサの肩に回っている。どう取り繕っても言い逃れ出来ない状況だ。

「待って待ってゴメンて! ジョーダンだって! だからそのなのねんスナイパーについてくのだけはやめよ? ね、ねっ!」

これといってアルスが彼に執着する理由も理念もないのだが、あれだけ馬鹿にされたまま別れては、自身に対するイリヤのイメージが生涯『自称死神のターザンごっこでスベる変態野郎』で染みついてしまう。

「俺が冗談通じない性格だって知ってて下ネタ乱舞続けようってんならもれなく俺自身の手でお前を粛清せざるを得ねーんだけど、そこんトコはどうよ?」

「すんませんスンマセン! 勘弁してってばも~っ! マーサ! キミからも何か言ってやってよ、てか今ごろこのタイミングでどーしてドラハテンに用があったの?」

 そのイメージが固定される事を阻止したくて、したいあまり、らしくもなくアルスはいつもより饒舌になっていた。

「ははは~ボクちんにもよく分からないのねん! ただふたつ確信できるコトは青いコがチミの用事に付き合う気さらさらナッシングだってコトと、そのコがボクちんからシュパーギン取り上げて今その矛先がチミに向いてるってコトだけなのね~ん」

 マーサの言葉は軽妙なイントネーションでずっしりと心にスパイクを刺していく。

カタカタと震えながらイリヤを見やると、普段は白桃を湛える落ち着いた色合いの瞳孔が冷酷な血の色へと黒ずんでいくのに気付いた。

「おう。正直お前とはアムステルダムの時点でホイ、サヨナラするつもりだったかんな」

 衝撃告白を受け愕然とする黒衣の死神に、無慈悲な砲口が向けられる。

「そ……え。え、え、ええっ?!」

 思わず両手を上げてアルスは叫んだ。

「ウソでしょ、オレたったの2話でお役御免とかいうオチ? そんなまさか、はは……」

 出番に制約などこの世界には無い。実際のところ、ただ出てきたタイミングが悪かったに過ぎない話なのだが今のアルスには言い訳を考えるので精一杯だった。

「は……?」

「あばよ、死神カッコワライのアルスさん」

 ガシャギン、と無骨な音を立て死神への鉄槌を下す種が装填される。筒口から脱いだ靴下のような異臭を醸しながら。

「待ってまってそもそもネルチンスクは――ぎぇびゃアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 粘度を持った悪臭の塊が、死神の鼻の穴にみごと命中する。確かな手ごたえに機関銃を下ろし額を拭うイリヤと、背後で拍手するマーサ。

 納豆ビームの餌食になったアルスは、先ほどのマーサよろしく晴天の向こうまで召されていく。

 彼の姿が見えなくなった事を確認すると、互いに拳を交わし、盛況のセントラルに似つかわしくない嫌な余韻が漂った。

「そんじゃ、行くか」

 シュパーギンを持ち主に返しナップサックを肩に提げると、イリヤは元来た道を探った。

 そんな彼らにあんぐりと口を開けて公衆が振り返っていたが、興味が失せるのも早く注目は数分足らずで去っていった。

「なーのね~~~ん! さてさて、ドラハテンから~ネルチンスク行き~各駅停車、のんびりマサ夫くん号発車しまぁ~す! 次の停車駅は~ハルデルウェイク~、ハルデルウェイクとなりまぁ~す――」

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