幽世に墜つクレプシドラ-Ⅲ
「ただいま~……なにをやっとんじゃいグリムリーパーァアアアアアアアア!?」
梟の囀りが響きわたる黒天の下、その寂莫を破るように、少年の奇声がドラハテンの街中に轟いた。
暇なのは分かるが、無柳の慰めに逆さターザンをチョイスするこの男の感覚とだけは一生分かり合える気がしない。死神の奇行に目をひん剥いたイリヤは薪を落とし、さらに尻餅をついて踏んづけた薪のせいで背中から派手に踏ん反った。
「あたっ!」
「やあ。遅かったねイリヤ。これで日誌のネタになったろ?」
木々の間に両足を蔓でくくりつけてぶら下がるアルスは何食わぬ顔で、固まったまま立てないイリヤを迎え入れる。どうやら薪を切らすまでの間、自身がノートの一頁を前に筆が進まないでいたのを察していたらしい。
しかし自らの異様な行動を異様と自覚していない死神と出会い、たった一日で一生分の肝を冷凍して産地直送された気分だ。
「やあ、じゃねーよてるてるリーパー! お前は俺に何のアピールがしたいの! 日誌とかじゃなく怪談書に載せられたいの!?」
「ごめんゴメン話のネタがなくてついハッスルを……」
「その気合をムダ遣いすんじゃねぇ! 傍から見れば首吊ってるようにしか見えねーよ!」
日誌にはこのように書き記すしかなさそうだ。行き会ったガンスリンガーの死神は身を張って雨乞いをする変態であったと。
「つーかなんださっきからテントに立ち込めるこの異様なニオイは……魚の焼き焦げた臭いとイチゴのかをひが同居してるような――」
「あ、そろそろ炊けたかな」
「炊くッ!? さか、な……で何炊いてやがんだコンチキショオオオッ! こっちは腹空かせて胃袋のニャンコ様がにーにー鳴いてるっつーのに劇薬調合たァずいぶんと良い身分してんじゃねーかグォルァアア!?」
「んー? いや、ふつうにブリを飯ごうに炊いただけ……」
「さか、炊、魚を、飯ご……」
波乱の連続ですっかり心労をきたしたイリヤは任侠のような口調でまくし立てながら、その勢いとともに飯ごうのフタを強引に取る。
するとおっかなびっくり、よもや人の食す物体と思えぬような、物体としてこの世の摂理に包括していいのかさえ迷うような汚物が土の器に、じつに堂々とした存在感を放っている。もしシェフが人間であれば人類の威光という威光を見事にドブへと捨てたまさに料理界の最高傑作といえよう。
ただし底辺を甲とした場合、に限るが。
「うおぉっ! くさ……ぶぅええ、ってどーして丸ごとゴボーンいっちゃうかなァー! な~~~んで崩れた身やら骨やらコメに絡まって鎮座してらっしゃるのかなァー!? 下ごしらえ失敗してやる気失せたのか知んないけどさァ? でもフッツーに調理すりゃこのまっピンクの甘ったるぅいスープ? についての説明はつかないよねェアルスくーん!?」
慣れないツッコミを酷使したイリヤの前頭葉に言語を司るだけの力はすでになくなっていた。隙あらばしゃもじで殴りかかることも辞さない彼の剣幕にもどこ吹く風のこの死神には何を言っても無駄だということを改めて痛感させられる。
「そうそう、いちご煮スープのつもり」
そして、彼が何やら致命的な勘違いをしていることも。
「ぶぶっ、……いちご煮は、苺煮じゃねえ……ましてブリ一本でダシ取れねぇ……くそ
う、どーっすんだこれ! お前責任もって全部食えよな!」
「魚の香ばしさと苺の甘い香りがいい調和してるじゃないか」
どうやら知識以前の問題だったらしい。選挙権を得るためだけの義務教育はもういいので、まずこの男に社会教育の何たるかを基礎からみっちり説き伏せる必要があるみたいだ……その役目、自分は御免こうむるが。
「もはやデスマッチだから! もはや骨付きジャム以外の何モンでもねーから! 怪我人に煮崩れブリのジャム仕立て食わすなんざ良い度胸してんじゃねーか責任者呼んでこいキョルアアァ!!」
「ちょっと火加減誤ったかな……」
「火力で解決するようなシロモンじゃねーって以前に食ったら地球圏突破待ったなしの自覚ぐらいしろメシマズグリムリーパー!!」
イリヤの怒号が静けさの闇に大銅鑼のごとく轟いた。突然のすさまじい誤報に驚きあげた梟たちは、そのショックでぱたぱたと地面に引き寄せられて命ごと転げ落ちていった。
「ったく、今日は散々な目に遭ったぜ畜生……やべーニオイのぷんぷんするニーチャンから処刑宣告されるわ、マズい飯食わされるわ、おまけにマズい飯作った死神はボケの塊だわ、せっかくの一張羅がフィッシュジャムくさいわ……」
愚痴は徐々に嘆きへと変わり、地にへたり込むイリヤをアルスはただ不思議そうに眺めるだけだった。むろん、パーカーの中に着込んでいたカットソーまでもが犠牲になって寝つけなかったのは云うまでもない。
スリンゲ公園の異臭騒動がようやく鳴りをひそめた翌朝、支度を終えたイリヤ達は早速ドラハテンの駅舎まで向かう手筈を整えた。テントを折り畳んだ途端に甘ったるい生臭さが鼻腔を掠めてしまったのは、この際気のせいという事にしておく。
「ったくよ~誰かさんのせいですっかり使えなくなっちまったもんだぜ、どうしてくれんだコレかなり高かったんだぞ……」
憂鬱げに掴んだビニールを見つめながらため息をついたイリヤは、背後で薪を片付ける黒衣をじろっと睨む。常識の欠片もないおちゃらけた笑顔はイリヤの神経を逆撫でするのに充分事足りていた。
「あはは。ごめんごめーん、次からは気を付けるって。そうだな、今度はミソ煮でも挑戦してみよっか」
「ぜんっぜん反省してねえじゃねーか! 少しは懲りねぇか死神! トサカ頭!!」
「コキョ! コーキョキョキョ! キョルキュルグォグァアアーーーッ!!」
ご丁寧にニワトリの顔になったアルスは、奇声を張り上げてイリヤの鼓膜を破りにかかる。……どうやら端正なのは顔だけらしい。イリヤはぷるぷると震えて、拳の上げたり下げたりを繰り返す。
「便乗されっとかえってムカつくーーーっ!!」
旅人の叫びが朝日に映える木々の下、虚しく谺した。
死神との旅路は今日も前途多難である。
「すまないがここはもうじき廃線になる。軍のオエライサマが出兵に駆り出す兵士たちの輸送に利用するんだとさ」
真っ先に突きつけられたのは、自分たちがとてつもない無駄足を踏んだという現実だった。暗にこの不躾なグリムリーパーとの波乱続きながらも乗り越えた24時間が泡に返ることを意味している。
当然イリヤが堪えられる筈もなく、隣の長身を見上げ歯軋りを立てる始末であった。
「アールースーっ!?」
「オレは知らないよ!」
理不尽な形で矛先の向かったアルスが間髪入れずに切り返す。彼にとっても正規の鉄道事業組織によるドタキャンは不測の事態だったらしい。
「それで折角来てくれた所をすまないが、年若い子が戦乱に巻き込まれないよう考慮した上でチミにはカールスルーエの駅舎へと移ってもらう」
「は、はあ……カールスルーエかぁ……遠いっすね」
距離的にも気持ち的にも。あからさまに肩を落としたイリヤに、アルスはさりげなくフォローを入れる。
「それは丁度いいね。カールスルーエといったら国防の私有地だ」
現時点でアルスはナチスの傘下ではない。正規のドイツ国防軍はほとんどベルリン、ミュウヘンから隔離され、郊外に出払っているという。
「じゃあナチスに出くわす可能性は低いってコトか?」
「うん。それにあそこの裏街道にはオレの同胞の軍部がある。ミュンヘンにある本部から独立してるし、正確には支局みたいな扱いになるけど、その支局の間近にカールスルーエの駅があるよ」
成る程、これほどナチスを毛嫌いする自身にとって好都合な条件はない。あの髑髏の軍帽も、鉤十字架の腕章も、二度と目にしたくなかったものだ。スターラヤルッサを焦土にした元凶なんて。
「おや、ずいぶんと詳しいんだねチミは」
意外そうに見上げる駅員の視線に、アルスは照れ笑いで返した。
「え、まあ、いちおう軍のハシゴやってるんで……」
しれっと自虐するアルスの変わらない飄々ぶりに、イリヤは今日もまた戦慄する。
(皮肉すぎやしねーか!?)
すっかり毒気抜かれたイリヤは、真上から振りかかる不穏な気配に気付かなかった。
「なぁのねぇえええええええええ~~~ん!!」
否、あまりにもさりげなくて気付けなかった。
「どちら様なのねぇえええええんッ?!」
唐突な刺客に目ん玉をおっ広げたイリヤは、アルスに伝えるより先になさけない悲鳴を轟かす。明らかにアルスに向けられたと思われる鉄の棒が、イリヤの真横に突き刺さっていた。
「ん? どしたのイリヤ」
「どしたのじゃねェ! 上見ろ! うえ!!」
しかもコンクリート割れてるから! ズッ刺さってるから! 必死な様相で駅舎の屋根を指すイリヤに首をかしげながら、アルスは彼の示した頭上を仰ぐ。
「にゃしししし! 親愛なる我が同志よ、ここで会ったが百年目! なのね~~~ん!」
屋根の上には(おそらくアルスにとって)見知った顔がこちらを指さしてケタケタ笑っていた。檸檬色の長髪がそよ風に揺れて、あどけなさを残した碧玉の双眸を隠している。
始めに投げ飛ばしたものと思われるナイフの切っ先がアルスの目に向いていた。一見すると警棒のようだが、故郷の駅で守衛を勤めていたイリヤはあの警棒の使い道を知っている。赤軍の特殊部隊が用いていた弾道ナイフだ。
「さぁてさて同志アルキョーネ! 今から饗宴の宴といくか? いくよな同志ィ! だったらボクちんからいかせてもらうとするのね~~~ん!」
風評被害の根源であるナチスの上司といい、左遷の元凶となった後輩といい、たった一話で天に召された馬神様といい、斧をしょった能面ソ連兵といい、そして目の前の屋根上でやかましい語尾を引っ提げるパツ金少年といい、彼はつくづく御縁に恵まれていないような気がしなくもない。
当然こちらの都合もお構いなしに、人型ミサイルは二人(正確にはアルス)をめがけ急降下する。納刀状態から一気に抜刀の構えへと移り変わり、重い刺突が足下にのしかかった。
「んな頭痛が痛いみてえな……あいつお前の知り合いなの?」
なんとなく巻き添えが怖かったイリヤは駅舎から距離を置き、少年の奇襲をするりと躱す。アルスは彼の魂胆を見透かしたらしく一瞬睨む表情を此方へちらつかせるが、すぐ本調子に戻って答えた。
「うん。バイト先の……」
「同僚か?」
「厨房」
「厨房ッ!?」
仰天のあまり、主人公として威厳のかけらもない呆けた顔でアルスをぎょっと見上げる。
彼の黒衣を短くしたようなジャケットの下に、無数の刃物が固定されている出で立ちを見渡せば裏社会の人間だと容易に特定できた。
我が祖国の有する特殊部隊『スペツナズ』の戦闘員という可能性も有り得る……が、それ以前にちゃらんぽらんとした頭の弱そうな立ち振る舞いはいくら取り繕っても仕事できなさそうな風体だ。
(バカそ~それにアホ面丸出しで自意識過――)
「おっとそこの青いチミ」
鋭い眼光がイリヤの邪心を見抜いた。
(げえっ! 心読まれた!?)
「たしかどっかで見かけたような違うよ~な~、まあ気のせいか?」
――訳ではなかったらしい。
「いや。アナタみたいな音速チャラチャラ貴公子はワタクシ存じないデス」
第一、こんなのが知り合いに居たらアルス一人で手を拱くような事態にはならない。
「ぬぁに! 泣く子も黙るマサ夫の異名を知らぬとはチミ、それでもシベリア鉄道の回し者なのねん!?」
「回ってないしそもそも俺んトコの駅通ってないっす!」
反射的にツッコミを入れて行きながら、マサ夫を名乗る珍客から降る刃の流星を器用に避けていく。なぜかこちらにばかり刃弾が来ているのは気のせいか。
「マサ夫じゃないよ、マーサだよ。ついでにオレ狙ってるのにも関わらず一本も来てないよ」
冷静に指摘を挟んでいく棒立ちの死神。いくらハタ面倒な相手といえど、自分に焦点を合わせてくれないのは不服らしい。イリヤにいたってはナイフが八方塞がりで身動きが取れないというのに。
「びびった、将来ヨメに遊ばれそうな名前だと思ったらどうりで……」
「けど意外と侮れない。彼は西欧で名の知れた殺し屋でね、エイド達の部隊とも関わりがある。それに『暗殺者』の異名を持ってるくらいだからまあまあ強いよ」
膝立ちで装填しながらつぶやくアルスの横顔は神妙だ。ボルクハルトのシルエットが微かに安っぽさを帯びている事に関しては見てみぬフリをした。
「え、こいつそんなに強いヤツなの!? どう見てもポンコツそうな頭してるのに!」
「実際オレよりポンコツだと思うけどね」
「それはたしかに問題だ!」
此方を見つめる眼差しが妙に鋭いのは気のせいだろう。ともあれ、そんな物騒な曰くつきの男と同じ店で働ける彼の忍耐力を心から褒め称えたい。
「もっとも、この場合ボクちんの正体を知らぬ方が何かと都合がよかろう……今ならチミにうってつけの研修スポットを紹介してやるよ~ん」
「まじ!? えーナニソレ教えておしえて!」
「ちょっと待って本気で行くつもりなの!?」
嬉々として目を輝かせるイリヤの食いつきぶりに驚愕し、アルスは彼の顔を二度見した。
「だってお前について行くより面白そーじゃん?」
「なんかだんだん腹立ってきたよ!? ねえマーサ、ちょっと! キミなんでこの子が研修生だって知ってるわけ?! キミいつ鉄道事業に関わってたわけーッ!?」
アルスはいかにも湯気が出そうな勢いでまくし立てた。
「これだから視野の狭いお子ちゃまは困るのねん……今の時代を制するは軍隊、軍隊のアシすなわち鉄道! ボクちんは最強の部隊を作り上げるためなら赤軍のオエライドモに媚売ることもエイドに武器を密輸してやることも辞さんのね~~~ん!」
マーサは指挟みでナイフを構えながら、宙返りで着地のポーズを決める。処刑人ばりの軍国主義を提示するマーサの頓珍漢な思想に、イリヤは固まったまま動けずにいた。
「え。じゃあアンタ、あの赤いやつらの……?」
「その通~~~り! ボクちんは政府に雇われた傭兵であると同時に赤ずきん連中もとい『東岸部隊』とその飼い主、極東軍管区の仲介を担う架け橋も兼任しているのね~ん。いやぁ、モテ男はツラいですね~ん……あり?」
わなわなと震えたイリヤは青ざめた顔で、目の前の金髪に指をさす。マーサはなぜ沈黙が生まれたのかも分からず、ただ首を横に傾げるだけだ。
「ひ、ひ、ひ……」
冷静に考えてみてほしい。この少年が存在するのもまた、ドラハテン駅が戦地のアシに使われ、イリヤの時間を無駄に潰すひとつの要因たりえるのである。
つまり早い話が、彼も元凶のひとりなのである。
「控えめに言ってクズだーーーッ!! アルスーッ! 早いことココは引き下がってカールおじさんトコ行こうぜ! 多分あのヒトついていったらヤバい! おもに俺の旅路がーーーッ!!」
熟考の果て、ハッと我に返ったイリヤは先ほどの自身の危うさを撤回するようにわめき散らす。
「どんな急激な手のひら返し!? ていうかマーサ、キミあんな能面人形とつるんでるとホントに店長許してくれなくなっちゃうよ! ブラックエプロンの座奪われちゃうよーッ!?」
某有名珈琲店を彷彿とさせるような裏事情を吹っかけながらアルスはマーサに、一刻も早く勤務先に戻るよう説得にかかる。
「それを防ぐためにボクちんは一刻も早く軍隊増強して戦争を終わらせ、エイドの鼻へし折って『プランタンボヌール』へ戻る手筈を整えているのであ~る。のねん!」
「そーゆームダに計画的なトコをなんでよりによって前線で活かしちゃうカナー!? キミが抜けたおかげでこっちは毎日毎晩残業三昧だってのにね~ッ!!」
さらっと内紛宣告をやってしまったマーサの失言に、アルスは幸か不幸か気づかない。そんな二人のやり取りをイリヤの隣で眺めていた駅員は、微笑ましげに目を眇める。
「ほほう……ずいぶんと威勢のいい若者が来んなさったねえ」
「元気さ余ってヒビ割れてます駅員さん!」
呑気な駅員のコメントにすかさずツッコミを入れた。駅舎はすっかり暴徒どもの占有地となりかけている始末だというのに。
(にしてもあの二人なんで同僚同士でドンパチやってんだ……?)
二人の取っ組み合いを直接的に例えると『バイト仲間同士で繰り広げられる内戦』である。冷静になってみるとこの状況は二人の素性を知る者なら……否、誰が見てもおかしい。二人の構えている得物を注視するとちゃんちゃらおかしい事実にさぞ気付く事だろう。
何せ二人が真剣な眼差しで構えているそれは、互いの得物の形をしたゴム鉄砲なのだから。
「術式展開、提示準備! ――と見せかけて必殺・豆まきキャノン!」
「術式展開オープン! ――と見せかけて秘技・ネバネバビーム! なのね~ん!!」
「待ってまってアンタら! 同じバイトの同僚なのになんでそんな仲悪いの!? やっぱ世界大戦て商業界の規模にまで及んでる感じ!?」
これ以上暴れられては鉄道が終戦までどころか未来永劫使いものにならなくなるだろうと危惧したイリヤは、命知らずを承知で互いに得物を矯める二人の間に割り込んだ。
『だって……』
「だって……なんダヨ?」
「元を辿ればそっちのトサカ頭の死神が店のホットサンドつまみ食いしたから……」
「元を辿ればあっちのチャラい暗殺者が転んでお客様に雑巾ぶつけてきたから……」
「どっちも悪〜〜〜い!!」
アルスに至ってはワケがわからな~~~い!! 言い訳の仕方があまりに斬新すぎてイリヤのキャパシティもとうとう枯渇に追いやられてしまう。
ともあれ二人の撃ち合いがここまでナナメの方向で激化しているとなると、もはやドイツ軍と赤軍の確執といった問題はこの際あまり関係ないようだ。
「ふぉっふぉ、最近の若者は元気で大変よろしい!」
「多分おじさんの言う元気とはだいぶ勝手が違うかと思います!」
熾烈な内乱を目の前にしても初老の駅員はなおマイペースに大笑していた。収拾がつかない状況に、イリヤは思わずこめかみを押さえる。
「そもそもアレはマーサが受注ミス起こしたから仕方なく過剰分をオレが処理しただけであって、別に売りモノでもなかったじゃん!」
「だからって店番中にパン頬張りながらレジ打ちするヤツいるぅ~? そっちこそ、モノ食いながらふらっふら歩き回ってるモンだからいっつもジャマなのねん! 仮にそんなバカのつま先に足引っかけても不可抗力であって、ボクちんの不注意じゃないのねーん!」
(こいつらただの小学生だ! ゼッタイに関わっちゃイケない大人たちだーーーッ!!)
「のねんのねんうるさいのね~ん! そんなにキャラ立ちたかったら一話の時点でソッチの青いコにちょっかいかけるが宜しいのねーん!!」
彼の口調が乗り移ってしまったアルスは割り箸と輪ゴムで作られた粗末な得物に、ぞんざいな手つきで落花生を装填していく。さりげなく此方を巻き込もうとしているアルスの姿勢に、思いがけずイリヤは背筋を凍らせた。
「ぁあもうっ! 思い出したら段々ハラ立ってきたのねん! ムカつくからコイツとりあえずボクちんの次世代型フルオートマチック連射式ゴムガンでブッ放すのね~ん!!」
対するマーサは自身の身長を一回り超える木片の銃を黒衣の死神に向け、盛大に気炎を上げた。
「気ぃ短ッ! とりあえずでンなデカい大砲ブッ下げるって、あんたの器は映画館の座席レベルなの!?」
「シ○バニアファミリーの皿以下でしかない彼の器に比べたらまだまだなのねん!」
非常識を以て非常識を制す。油を注いだのはどうやら事のきっかけを聞いた自身に他ならないらしい。
マーサのゴムマシンガンから穿たれた粘着質の巨弾がアルスに命中する……かと思いきや、なぜか全弾イリヤに注ぎ込まれ、臭味を放った塊がみごと顔面にヒットした。
「激くせぇええええええええええええ〜〜〜ッ!! 正直アルスの飯より臭ぇええ〜……」
イリヤは獣めいた金切り声を上げながら、地べたにふんぞり返って悶絶する。此方を見据える若草色の眼差しが禍々しい光を蠢かせたが、一瞬の出来事であった。
「おぉなんと! 最近の若者は片手でマシンガンピストルを連射できるのか!」
「若者をアレの次元と一括りにしないでちょぉおおだぁああああい!?」
顔に張り付いた粘着物を引っ剥がしながら、イリヤは涙まじりの喚声を上げる。
「おっと、申し訳ないのねん」
今からフキフキするのねん。とマーサに顔を差し向けられ柔らかい布を押し当てられるが、その布にも例に漏れずかすかな臭気をほのめかせていた。
「ソレ雑巾だけどネ〜」
「おっとこりゃ失礼! 牛乳拭いたタオル洗おうと拠点を出たら見知った顔がこの駅舎にいてつい襲撃かましたくなっちゃったのねん」
「ついでンなクッセー劇物ブチかましてくる奴なんざ銀河20億年回ってもオメェしか居ねーわ! アルスですら異臭オンパレードの残飯ひとりで片付けてくれたってのによォ!?」
あとチミ一応ソ連の人ならアルスにまざまざと位置情報教えんなよ! と立て続けに突っ込んで喉が限界になってきたところで、イリヤは真後ろから冷え冷えとした凄気をひしと感じ取る。
「……さっきから理不尽な悪口がこっちに飛んできてんだけどさあ」
とうとう堪忍袋の緒が切れたらしいアルスが『スワニルダのワルツ』をBGMに、どこからともなく時空を曲げてバズーカを引っぱり上げてきた。ボルクハルトの塗装にも劣らぬ黒々しい光沢を放っている。
マーサの大砲による乳臭さと比肩するような異臭が鼻孔をくすぐり、不審を抱きながら彼の手元を見上げると恐ろしい事に気付いてしまう。
――砲口が、黒煙を燻らせながら火花のような電流を迸らせている事に。
「キミぶっちゃけオレと行きたくないだけだよね?」
なぜかその照準は、自分ではなくマーサに充てがわれていた。
「バレちまったか……」
彼に自身を撃てないと分かりきっているイリヤは、まるで他人事のように呟く。矛先がなぜ此方に向けられているのか理解できていないマーサは、おもむろに首を傾げるばかりだ。
「ひどいよ! 出てきてまだ1話しか経ってないのに!」
「ごめんな……この話そんなに長くないから1話完結制じゃないとイロイロと尺が、えっ、ア、アルス! ちょ、おおお落ち着けっ! わかった、今のは撤回するから!」
アルスの主張はどこか涙ぐんでいたが、短命小説の定めと言い聞かせるようにイリヤは必死に宥め続けた。イリヤの抗弁も虚しく、アルスの激臭バズーカが火を噴いた。
「48話もあれば充分な方だよッ!!」
激臭弾が禍きオーラをまといながら放出される。跳躍し、駅舎の屋根に飛び移ったマーサは余裕の表情でピースサインを送り反転した。
しかし第一弾が躱されることを当然アルスが見抜けない筈もなく、屋根から木陰に紛れるタイミングを見計らい、渾身の一撃を北のアカもといバイト仲間へと叩き付けた。
「ふー、あぶない……のね~~~んッ!!」
首に提げていた小瓶の紐が取れかけ、慌てて瓶を受け止めながら体を捻らせるも、死神の前には如何なる足掻きも無意味なのであった。
「往生しろ! 無駄なテコ入れで話延ばしてオレの尺引き裂くぐらいならエイドにすり鉢擦られて炒りゴマにでもなっちまえ!!」
ファックサインをかましながら盛大に鼻息を荒らすアルス。とうとうここで我慢の限界が来たらしい。
彼の激臭バズーカが怒涛の勢いで噴火し、悪臭ガスの塊がマーサめがけて一直線に降りかかる。
そのまま斜め上に吹っ飛んでいく様を横目で見届けたあと、アルスはサム戦の時と変わらぬ様子で得物を時空の狭間へと返還する。
「コイツ八つ当たりで人様に発砲しやがったーーーッ!!」
「ふぉっふぉっふぉ。ずいぶんと気合の入った歓迎だね。チミは将来とても優秀な国防指揮官になれるよ」
駅員は拍手を交わすと、茶目っ気まじりな笑顔でアルスを誉め称えた。彼は自身の悪行を省みず、まんざらでもない様子で賛辞に応じていた。
「いやいやそんな~ありがとうございます」
「全力で追い出しちゃってるけど!?」
さようなら、俺のピーストラベル。イリヤはがっくりうなだれながら、木の幹にもたれかかった。