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ジルヴォンニード  作者: 名雪優花
Animasions;serendipity.
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幽世に堕つクレプシドラ-Ⅰ




 戦渦の混相から辛うじて秩序を保っている箱庭の理想郷で、

 それぞれが掲げる願いと。

 それぞれに生じた傲りと。

 それぞれの背負う過ちと。

 それぞれを動かす償いと。

 幾度の戦いの果て、鍵主たちはそれぞれの代償を払い、想い叶わぬまま朽ち果てる。




 路地裏を通る背を見かけると死角から突きたくなるような衝動に駆られるのは、長年と裏社会に身を窶してきた故の悪癖だろうか。

 手ぶらであるにもかかわらず、背筋のざわめく感触は今となっても拭い去れない。それが己の性だと嘆息するも、じきに祖国で開かれる時計塔の竣工式があった事を思い出し、その足は物憂げにドラハテンの駅へと進み行く。


 それは遠い記憶だった。彼がまだ人間だった頃の。

 枯葉色の霞む世界で見つけた、たったひとつの灯火――彼は必死に掴み取ろうとしていた。

「いか、ない……で」

 手を伸ばしかけた先の背は母を追っていたと理解しつつも、最期を笑って見送ってくれる者の胸に抱かれて眠りたい。そう思うのは人としてきっと悪しからぬこと。

 けれど彼は事情が違う。ヒトである為の条件をほとんど捨ててしまったから。

 自然と涙が零れ出てきた。それは自身への憐みだろうか。届かなかったモノに対する嘆きだろうか。

 ともあれ、少年は過ぎ去っていった。自身ではなく、母の方向へと。

 たとえ血の繋がりに抗えぬとしても、それでも自分を選んで欲しい。そう思うのは我儘ではない、きっと我儘ではない。

 人なら誰しもが同じことを望む。そう彼は信じていたから。




 第二譚『幽世に堕つクレプシドラ』




 平穏無事とまではいかないがある程度の山を越えて下車に至ったイリヤ達は、日暮れも近いため最寄りの公園で宿を立て一泊過ごす事とした。

 長旅には訳がある。車掌研修などというのは建前でしかない。

 自分にはもうひとつやるべき事があった筈だ。その目的が主題とも断言出来るほどに。

 ――亡き恋人の紛い物を、すべて殺さねばならない。

 殺さねば、故郷が窮地にさらされる。悪魔の遺物が世に解き放たれる。それだけだ。

 製造されたのは12体の少女型人形兵器『十二宮環』――しかし彼女達を単に始末するだけでなく、生産元であるモスクワの『赤の広場』にある、時計盤の発動を止めなければならない。

 カギとなるのが共鳴展開『ジルヴォンニード』の発動。

 各国各地のキーマンを探し出し協力を仰ぐのは無論、発動に要する碑文をすべて見つけ、問答に対する正解を見いだす必要があるのだ。

 恋人を模した愛玩人形を壊し、碑文の謎を解き明かし、時計盤の原子核融合を食い止める――三つの過程を経て初めて故郷の平穏が約束される。

 もう二度と、ナパームの暴雨を前に膝を曲げなくて済む。

「あのニーチャンが言ってた時計盤のアレって、もしかしてクレムリンのことか?」

 火起こしに悪戦苦闘するアルスの傍らで薪を拾い上げるイリヤは、ふと生じた疑問を口にする。列車での戦闘以来、気がかりで仕方がなかったのである。

 鉄道敷設に携わる立場としてモスクワを訪れた回数など枚挙に暇がないが、クレムリンの宮殿においては例外的に無関係者の人間が立ち入る事さえ禁じられている。

 そういった経緯も相まってソ連の情勢に縁のないイリヤであるが、巷では時計盤が据え置かれたと聞く。厄災の死神を物ともせず怯ませる時報があるにもかかわらず、その仕組みが公共用として設けられた正規の機構であるとは考えられまい。

「まあね。詳しくは分からないけど、ソ連がイギリスの海軍と締結して土夫たちに造らせたんだとさ。なんらかのエネルギーだとか、供給資源だとか。他の時計台と違うのは、何より時報の音波に異質な揺れがあることだね。ありゃ明らかに術式の干渉が入ってる。キーマンの肉体は他の術式を受け付けないから、あの程度の鐘の音でも十分耳障りに聞こえるよ」

 結婚式などで一般に用いられるチャペルの鐘と大きさに差異はないように感じられたが、言われてみれば鐘を打つ間にモールス信号のような機械的な音の揺れが生じていた事に関しては否めなかった。

 密度の濃い魔力は強い花香をともなうため、キーマンとしては素人のイリヤとて察知する事は容易い。単なる個人的な苦手意識で済めば良い話だが、傷に響くほどの音波となれば別問題だ。

 二人を突如襲った道楽人形――エイドがクレムリンの時計盤に横溢する魔力を認知しているという事は、彼も何かしらの形で時計台の謎に関わってきているのではないかと、おそらくアルスは見立てていたのだろう。

「それになにより……可動してるっつーコトは、時計盤の何らかのエネルギーを利用してとんでもない計画おっ始めるっていうSFまがいの展開はねーよな?」

「おそらくは、と言いたいところだけど可能性は低いよ。だってクレムリンの支配権を所有してるのは東岸部隊だし、指揮権を握っているのは他でもないエイドだから」

 イリヤの言葉を否定しながら、アルスはゴリ押しで擦っていた丸太にようやく煙を通す。彼の話によると、パリで公開処刑の執行人を生業としていたエイドから、手間暇かけて本職を離れ、未知の力に踏み込むような好奇心めいた意思は見受けられないとの事だ。

「あいつはここいら近辺じゃ有名なんだ。なんでも自ら鍛えたギロチンを持って罪人を嬲り殺しにするんだって。誰が呼んだか、付いたアダ名は東の処刑人」

 脳裏で真っ先に浮かんだのは赤の広場に立つ、赤熱とした斧を携える絶対零度のポーカーフェイス。

 各所においても罪人を屠っているらしき彼には感情の機微がなく、英国海軍のとある教授により生み出された人形兵器『十二宮環』への関与も噂になっているらしい。

「最近だと若い女の子を媒体にした十二宮環、っていうモデルがイギリスの海軍で開発されてるみたいだからね。あいつがその人形兵器のお仲間だとしても何ら不思議はないよ」

 そのわりには言葉数多い気がするけどね。アルスのこれまでに対峙してきたソルダートは木偶そのもので、言葉を交わすことは直接無かったという。

 そもそも彼らには声帯を取り付けられてないのではと勘ぐるイリヤであったが、観音開きのように展開された彼らの武装の数々を思い出すだけで眩暈を催し、想像の域を越えるまでのメンタルに達するには相当の時間を及ぼすだろう。

「つーか、話を聞くかぎりじゃ英国海軍ケッコーやらかしてんな。王室お抱えの軍隊なのにそいつの奇行には誰も口出ししなかったのか」

「しなかったというよりは、口出しできるだけの権限を持つ人が誰もいなかったんだ。その教授自体が王室の最高権威だったから」

 もはやイングランドは独裁国家の植民地に近しいとアルスは語る。そういえば亡き恋人のクレルも教授の父を持っていたか……娘の遺体に対面すらしなかった男に抱く感慨など無きに等しいが、彼女の死から半年も音沙汰がないのは不自然であろう。

 彼は娘とイリヤの関係に気付いてはいないだろうが、非人道な人体実験に心を躍らせるようなマッドサイエンティストであった。エイドや王室の教授のように感情の機知が欠落した彼に、娘を思う心など求めるだけ不毛ではないだろうか。

「ロイヤルファミリーもこのご時勢じゃ衰退一直線、っつートコロか。ますます救われねーけど、その辺に関してみりゃナチスもソ連も変わんねーよな」

 アルスがナチ党の一味でないことは既知の事実であるため、口に出すのに躊躇いはない。めくるめく急転する刻の奔流に巻き込まれた被害者のひとりである彼には、むしろ同情の念さえ覚えていた。

「同じ欲に囚われた国同士だから、争い合ってるのかもね。同じ目的を持った複数の国が、手段の違いで諍いが起こるなんてよくある話だよ」

「ヒトの醜い争いが地球規模で拡大すりゃ世界の崩壊なんざ目に見えてる、っつーのに?」

「オレとしてはむしろ歓迎だけど、大切な故郷に傷を残すようなことだけは……いくら滅びの定めが決まろうたって、しないでほしいかな」

 曇る死神の表情を受けて、イリヤもまた復興段階にある故郷の村を想い馳せた。アルスほど極端な厭世思想は持ち合わせていないが、帰る場所を失くしてなおこの世界に存続の意味を見出せるのかは判然としない。

「スイスにあるんだ。オレの家。オレが生まれてすぐになくなっちゃったけどね、空襲で」

 含ませるように呟いた彼は満天を見上げた。その横顔に一瞥した後、イリヤはいつからこの戦争は続いていたんだろうと疑問を抱く。

「そっか。悪かったな、俺の愚図な御国様のせいで」

「ううん。爆撃してきたのはソ連でも、ましてや連合国でもないよ」

「……どういうことだ」

 アルスは余った木の棒で、イリヤの足下に簡素な中欧の地図を刻む。その隣に卍を添えたことで、彼の言いたいことをあらかた察してしまうネガティブな自分に不快を抱く。

「こーゆーこと」

 笑いながら、ハーゲンクロイツからスイスへの矢印を書きしたためる。スイスの地図はいとも簡単に殴り消されてしまう。戦慄したイリヤはとっさにアルスの方へ顔を上げた。

「理不尽なもんだね、戦争ってのは。自分の守りたかったものをなし崩しにする国に、嫌でも付き従わなきゃなんないから」

 軍の狗を名乗るアルスは中立国の農夫だったという。幼少から隣国の軍隊に属していた彼は、皮肉にも初陣がスイスへの侵攻であった。

 世界のすべてに投げやりになった彼は、他人の意見や行いに無意識に同調していくようになり、やがてその軽薄な性格から軍内でも孤立していった。しかしそんな偽善的な態度を美化することなく自分へ親身に接してくるアルスは、本当に何者なのだろう。

「もちろんオレは戦わなかったさ。上司の命令無視してシャフハウゼンまでスツーカで飛んで、避難をうながしたけど手遅れだった。オレが来た頃には焼け野原になってたんだ」

 自嘲気味に話す彼の目に映っていたのは、きっと自分の見た光景と同じ終焉の焔だったのだろう。今でも鮮明に思い出せる茜色の景色。空が赤いのは決して夕映えだからではない。

「……俺たちは同じ連中に故郷を消し炭にされた、似たモン同士ってワケか」

 初めての旅立ちにしてはあまりに波乱と紛擾の連なりだ。同じ闇を背負った同志が傍にいるのにも関わらず彼に同調する気になれないのは、自分の過去に起こった出来事を未だに整理づけていないためだろうか。あるいは、まだ“ある”ものだと妄信しているからか。

 それはアルスとて同じであった。屍を踏み倒しながら進んだ先が果てのない生き地獄だったなどと、当時幼い彼には想像に堪え難き結末であろう。

 死を司る彼にとって人の死の芳香はあまりに甘く、むせかえるような血と硝煙と死臭によろめきながら足を進めていく毎日の業苦は、流れ落ちた死体を嬲り続けていくことでしか和らぎはしない。

「数奇な運命だね、オレ達」

 徐々に灯っていく焚き火を見下ろしながら苦笑した。春先といえど、夜の冷え込みは下手をすると風邪を引く。油断ならない寒暖の差でこの火を朝まで保たせるには心許ない。

「……薪、とってくるよ」

 立ち上がった途端に気をつけて、と声をかけられる内はまだ自分の力について気付かれていない段階だろう。少し安堵したイリヤは振り返ることなく藪の奥へと進んでいった。

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