第四話『星空』
休日を挟んだ月曜日、嫌な授業を保健室でやり過ごして帰ってくると青翔が目を輝かせて俺を待っていた。
妙にニコニコしていてなんか気持ち悪かったけどあえてそれには触れずに席に座る。用があるなら早く言ってほしい。
俺は急かす視線を青翔に送ったがその気持ちは受け取られていないみたいだった。
「……な、なんか聞いてよ。妙にご機嫌だな、何かあったかとか……」
「なんで俺の方からわざわざ聞かなきゃならん」
「僕の方から一方的に話しちゃうと思うから」
「好きにしろよ、聞き流してやるから」
「え、待って、何で聞き流すの? 最近あれだよね、ちょっと扱い酷くない?」
「慣れた」
「わーお……」
こいつと一週間ほど一緒にいて、俺は完璧に慣れていた。ちょっとのじゃれ合いぐらい普通だし少し酷いことを言っても笑ってすむ。
これが他の奴じゃこうはならないから困るんだ。今まで付き合ってきた友人曰く、近づきがたい雰囲気が俺には常に漂っているらしい。
同じクラスの緑川や勝は荒いことなんてする[[rb:性質 > たち]]じゃないから青翔みたいな奴がいると嬉しくなるものだ。
「勝手に言うから聞いてて。今日はバスケ部の見学に行くんだけど、前に約束した通り付き合ってくれる? あと顧問も紹介してほしいね。それと昨日さ、前に言ってたバスケの試合の動画を見たんだけど……」
「あ、ごめん。その動画、見てないんだけど」
「この前教えて何回も言ったじゃ~ん。もういま観るか、そうしよう」
青翔は俺の肩に腕をまわすと携帯を取り出して動画を探し始めた。色々なスポーツの選手が画面に映る度に、妙に細かい説明を熱心にしている。
俺はそれを軽く聞き流しながら動画を眺めている。するとどうやら眠気がまだ残っていたらしい。俺はたまらず青翔の体にもたれかかった。
俺に比べてこいつは本当に元気だな……。
「ね、今のシュート見た? つか寝てない?」
「寝てない寝てない……。いやー、昨日ちょっと徹夜でゲーム付き合わされて眠気が……」
「あぁ、緑川か」
「2人用のゲームだから寝させてくんねーの。ごめん、帰ったらちゃんと見るから……」
俺は青翔から離れると身体中が重く感じて机の上に倒れた。瞼が自然に閉じては無理矢理開ける。さっき保健室で寝てここまで歩いてきたのに、睡魔が再来してしまったようだ。手探りで鞄の中から目薬を探す。
「大丈夫?」
「ねみー」
「なら付き添いをしなくても大丈夫だよ、1人でもいいから」
「嫌だ、それは行く」
「なんで」
「んー……行きたいからー……」
目薬を差し、両頬を一発叩いてやる。やっと視界がはっきり見えた気がした。とりあえず立ち上がって背伸びをすると、廊下にある手身近な水道で顔を洗ってくることにする。
冬場の冷たい水を手で掬うだけでも顔をしかめてしまう。それを顔にぶっかけると頭の中のスイッチが全て切り替わったが気がした。
「つーんめてぇ! あー! 目ぇ覚めたわ、完全に……!」
顔についた水を払い、濡れた前髪を掻き上げてやる。髪を耳にかけて深く息を吐いていると背中から誰かに抱き着かれた。
「朱連みっけた!」
「わー天君に見つかっちゃったー」
そう言いながら濡れた手を天の首元へと押し付けてやると、天は大袈裟に悲鳴をあげて俺から離れて座り込んだ。首元を何度も触り、やっと自分に起きた状況を理解するとむくれながら起き上がる。
「なんで手濡れてんの、ビックリした! つーか朱連の髪形面白い! 中学もそんな髪形だったよね!」
「あーそうかも。それに比べてお前たちは全く変わってねぇよな」
「そうだね。髪を染めたぐらいかな?」
「あぁ、そうだっけか。つーか気になるんだけど、なんで翼まで金髪なんだ? あいつ真面目だしそんなことするイメージないんだけど」
「俺が染めよって言ったら染めてくれたんだ。翼も意外と気に入ってんだよ、あの髪色」
「へー……」
俺以上に金にうるさいのに天と一緒になって髪を染める理由なんて今まで知らなかったけどそういうことだったのか。一週間の予定を週末しっかり決めて、勉強も部活も一生懸命なあいつらしくないなとは思っていたが。
「……転校生君はいない?」
「あいつ? 教室に置いてきた。お前こそ翼は? 新もいねぇのかよ」
「新は最近昼になると何処かに消えるから知らない。翼は部活のミーティングだってさ」
「俺んとこ来る?」
「行く!」
そう言うと天は俺の腕を掴むとA組の教室へ俺を引きずった。ドアを開けると久しぶりに見る異様な光景が広がっていた。
教室の一角に人の水たまりが出来上がっていた。たまに広がったかと思えば密集し、人の移動がたびたび見受けられる。
わらわらと人の頭が動き、歓声が上がったかと思えば口々に話し、悲鳴が聞こえれば恐ろしい女の社会が露わになる。
原因の1つは、いつも自由気ままに校内を歩く緑川と勝が教室にいること、もう1つは俺が青翔を1人にしておいたこと。
女を引き連れた緑川と勝、俺がいないことにより容易に近づくことを許された青翔がこんな惨事を引き起こしているのだ。
「ねえ、俺たちあの中心に行かなきゃならないの?」
「俺の席占領されてんだけど……」
このクラスになんで規格外にモテる男が2人も、しかも前後の席でいるんだ。なんで俺の席はあいつらの近くなんだ、なぜ俺の周りの奴だけモテるんだ。世の中の不公平さに俺は目を覆うしかなかった。
「俺もうさ、辛いんだけど……」
「安心して、朱連のせいじゃないから」
「なんで俺だけ……」
「朱連、あれを基準に考えないで。あれは可笑しい」
自分の席に近づける様子ではなかったので、適当な席で座ることにした。天から新のいつも持っている飴を貰い、それを舐めながら時間を潰す。
「そういえばさー、朱連って彼女できたことあんの?」
「え?」
「いや、あまりにも羨ましがるからどうせ彼女いない歴は年齢とイコールなんでしょ?」
「…………」
「あれ、違う? 朱連って彼女いたの? うっそー、ありえないわ」
「ま、まあいたよ、昔……」
そんなのもう1年ぐらい前のことなんだけど……俺はそのことについてはあまり思い出したくなかった。そんな俺の心を見通せるわけでもない天は興味津々に体を乗り出してきた。
突きだされた頭を手で押さえて大人しく座らせる。
「聞かれても何も答えんぞ」
「えー」
「頼むから聞かないでくれ。これだけは本当に思い出したくない……」
頭を抱えるとそのまま机に寄り掛かる。
思い出そうとする感情とそれを阻止して自分を守ろうとする感情がゴッチャゴチャに入り混じって頭の中を荒らす。
軽い頭痛のような感覚に襲われ、小さく唸り声をあげながら目を閉じる。
その時、誰かに片手を覆われ、包み込むように握りしめられる。
その手が天ではない気がして目をうっすらと開けると、それは青翔だった。
奥の方に見える女たちがこちらに、俺に刺すような視線を送ってくる。顔が引きつった。
「つらそうだね」
「いやー……平気」
「だといいけど、無理しないでよ」
「君ってよく朱連といるよねー……。そんなに朱連を気に入ってんだ?」
「え? あぁ、そうだよ。僕は朱連のこと大好きだからね!」
自分がなにか凄いことでも言っているつもりなのだろうか。胸を張りながら声高らかに宣言するその言葉はクラス、いや廊下にも響いたのではないだろうか……?
俺は女子の方に視線を向けながら呟く。
「バカ、声が大きい……」
俺のかわりに青翔を席に座らせ、まず冷静にさせようとしたが元気の塊なこいつが黙るわけがなかった。
耳に入る俺への好意の言葉に耳を塞ぐが爆音はそんな障害をもろともせずにすり抜けてくる。
「よく恥ずかしげもなく男相手に大好きなんて言えるねー」
「何で? 好きだから別に悪いことじゃないよね?」
「気持ち悪い」
「僕は素直なだけだと思ってくれればありがたいね」
「本当に朱連が好きだよねー……」
「まあね!」
「……青翔、うるさいから、頼むから黙ってくれ。女子がお前と話が出来なくてご立腹なんだよ」
「女子? あー、ごめんね~。僕、朱連と話してたいから!……それでなんだっけ朱連」
「頼む、あとで飲み物でもなんでも奢ってやるから黙ってくれ、マジで」
体の奥底の源から際限なく満ち溢れていると感じさせる明るく生気に満ちた顔。
人の話しを聞けって……、俺は机に突っ伏した。
俺に気を利かせて話しかけてくる青翔の声でさえ鬱陶しく感じてしまう。
こんなにも純粋な好意をぶつけられて、女子から反感を買って、素直に喜べない。羞恥の気持ちが頭のてっぺんまで昇りそうだ。
「…………」
その時、俺は休み時間が終わるまでずっと黙っていた天のことなんて頭の片隅にも置いてなかった。
気がつけば霧のように消えてしまった天は午後の授業を休んだらしい。
そのことは青翔の子守のためにバスケ部の体験をした帰りの放課後、すっかり夕日は落ち、薄暗い、月光と地面の白銀が奥ゆかしく光っていた遊歩道で知ることになる。
校門を抜けて、家路に着こうと歩くがどうも青翔が遅くて何度も振り返っては追いつくのを待つ。
足取りは重たく、周りが暗いけど疲れていることはハッキリと分かる。そしてやっとのことで俺の横に辿り着いた亀。両肩をズーンと落として壁に寄り掛かった。
「疲れたぁ……」
「たかが見学者の分際で調子に乗るからだろ?」
「バスケしてるとスッキリするからつい……。ってか何処歩いてるの、商店街歩こうよー」
「いいけど部活生が多いからやだ。静かなとこ歩く」
「どこ、静かなとこって」
「川沿いにある遊歩道。自然いっぱいだから綺麗だぞ?」
「ふーん……」
青翔はそれを聞くとなにも言わなかった。
たぶん同意してくれていると思うし、俺は迷うことなく遊歩道の方面へと歩く。
それにしてもここの遊歩道は駅から遠いからカップルの影なんてほとんど見えなくていいな。歩いている奴なんて俺たち以外なら数えるぐらいで……。
等間隔に置かれた街灯の光が地面を照らし、道の先の先がよく見えた。
ついこの間見た気がする後姿が、金色の頭が揺れている。
数十メートル先の人影に人目も気にせず呼びかけた。
近所迷惑になるほど薄っぺらい人工林じゃないし、なんにせよあの人影は間違いなくアイツに違いない。
その人影は俺の声に反応すると走ってこちらへ、翼がやってくる。
「珍しい、こんな時間までなに…………? あなたはどちら様?」
「え、僕かい? 僕はこのまえ転校してきた青翔晴だよ~」
「そう。朱連は、何かの帰り?」
「こいつの面倒見てやってたんだよ。バスケ部の見学に行きたいって言うからよー」
「朱連も一緒になってバスケしてくれてね、すっごく楽しかった!」
「ふぅん……。汗かいてない? 使ってないタオルあるけど、いる?」
「いや、さすがにいいわ。ハウスなんてすぐそこだしシャワー浴びられれば問題ない」
「そう」
翼は目を閉じて深く、ゆっくり頷いた。
「翼だっけ、君は部活の帰り?」
「サッカー部」
「あぁ、こいつサッカー部なんだよ。な、キャプテン」
「まだキャプテンじゃないよ」
「でも次期サッカー部で指名きてんだろ? やるじゃねぇか」
「ありがとう。先輩には悪いけどね」
そう言って翼は久しぶりに笑った。
いつも感情を表に出したりすることがないこいつには滅多にないことで、長い付き合いの俺でも一度目を疑った。
そんな俺の視線に気づいた翼はまたいつも通りの鉄の面をして口を開く。
「俺が笑ったら、変……だった?」
「いや、変じゃない。つか……笑ったら本当に、天とそっくりだ、さすが双子だな」
「元から俺らは似てる、大した変わらない。……ねぇ、今日の天、変なとこなかった?」
「え……? 天が変って、そんなことは……」
「天、午後の授業は出なかったから。聞いてみたら屋上で遊んでたって言ってたけど……」
その言葉に違和感を覚えて頭を捻る。
普段なら気ままで何処にでもフラフラ行く天ならあり得ないことでもない気がするのだが……。
喉の奥に小骨が引っかかった気がする、異物感がどうも気味が悪い。天について、翼でも分からないことが俺に分かるはずない。
声を詰まらせながらもなんとかそれを言葉にする。「それは……なんつーか、変だよなぁ……。でもお前じゃわからねぇなら、俺じゃなんとも……」
「原因は昼だと思う、その時、俺はいなかったから」
「昼……」
「そうだねー、彼、お昼に急に黙っちゃってたからその時なにかあったんじゃない?」
「そうだっけ? 覚えてねー」
両腕を頭の後ろで組んで満開の星空の遥か遠くを見つめる。
奥の方に埋まっているものを探り出そうとしてみるがそんなに簡単に物事は進まない。
視線をいつも通りに戻すと横に翼だけがいなかった。
後ろを振り返ると翼が顔を俯かせて銅像のように止まっていた。
風に流れる髪だけが生きている気がして、それ以外はただ、よりリアルさを探究して作られたマネキンのようだった。微動だにしていなかった胴体の上に乗せられた頭だけが起き上がる。
闇夜に真っ黒な瞳が研ぎ澄まされた刀のように鈍く、光を受け、ギラついて見えた。
重たく閉じられた唇が慎重に開かれる。単語の一つ一つに重みがあり、問いかける声色はどこか優しげで、同時に言葉は貫くように鋭い。
「その時、天といたんだよね。それで……その時、何かを話してた?……なにした?」
「それは……」
「僕が朱連のことを好きかって聞かれたから、そうだって言ったまでのことさ。それだけだよ」
「…………そ」
翼は短く素っ気ない返事を返すと俺と青翔の間を通り抜けて道を歩く。俺が呼び止めようとしたら青翔に引き寄せられて口を塞がれた。
次第に小さく消えていく背中を追おうとしたが無駄だった。翼の姿が暗がりに消えてしまったところでやっと青翔は俺を放した。
「何すんだよ青翔。あれ、どうみたって翼もどっか可笑しかっただろ。なんで追わせない」
「……1人にさせておけばいい」
「俺はあいつの友達なんだよ、様子が変なのに放っておけるわけ……」
「それで朱連が!……僕はただ、朱連が危険な目あったりしたら、自分で自分が許せなくなるから、止めただけ」
珍しく強く訴えかける青翔の気持ちには感謝したいが、それで翼を蔑ろにすることは出来ない。こんなところで争っても何も生まれないし意味もない。
とにかく、こんなところで争っても何も生まれないし意味もないし……。
俺は青翔に背を向けて自分の中で荒れていた波を鎮めた。
「……まあ、しゃねぇよ、もう。今更あいつのこと追えないし。今度あいつが落ち着いた時にでも話を聞くわ」
歩き出した俺の後を青翔は追う。駅まで、一言も会話を交わすことはなかった。軽く一言だけ言って青翔を見送る。ハウスにいる2人がちゃんと飯を食えているか心配で携帯を見ていると、視界の隅に女子の集団が入り込んでくる。
改札を通り抜けていく中に、あの子がいた。妙な胸騒ぎがしてあの子を引き留めようとしたが、すぐにその群がりはホームに向かってしまっていて届かなかった。
虚しく伸ばしていた手をゆっくりと握り、腕を落とす。
駅を出て木枯らしに身を震わせながら上空を見ると、夜空に浮かぶ無数の星々の中にあるちっぽけな輝きを見つけた。
口から飛ばした白い吐息は夜陰に広げて散り散りに消えていく。
「俺は……バカ、だよな……」
一段と冷たい夜の寒さに、俺は両手を握りしめ乾いた笑い声をあげた。
人の行き来がまばらな裏通りのさらに奥、明らかに柄の悪そうな粋がりの若者たちが建物の跡地をたまり場にしている。
そのたまり場の中にいる2人の特徴的な青年たちはその場の雰囲気からは隔離されていた。
荒みきった目をした、たまり場のリーダー格らしき男は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
対して2人組の片割れ、白い髪の男は減らず口を叩きながら余裕の笑みを浮かべていた。
縄張りを荒らしまくって去っていく2人組の背中に殺意すら向けるものの、誰も彼らに手を上げられずにいた。
2人組は適当な裏路地に入ると壁にもたれ掛る。白い髪の男は肩を震わせ、ついに笑いを吹きだすと大きな声で笑い始める。
その声は乾いた空の隅々まで広く響き渡った。
「ふふっ……! いやぁ、久しぶりに面白いものでも見つけられたんじゃないかと思っていたけど、まさかこんな大物が掛かるなんて思いもよらなかった! 嬉しい誤算だよ」
もう1人の男はそんな片割れに目もくれない。ノートパソコンを片手に、周りの状況がどうなろうが他人事だった。画面を見ること、それだけが彼の全てであるかのように。
「とっておきはもう用意済みだ。あいつとはこれっきりで遊ぶのをやめようかと思ってたけど、もっと長期的に遊べそうだね……」
白髪の男、城ノ内新は甘い飴を転がしながら満点の星空の隅々まで目に映しながらほくそ笑む。
「楽しみだね、朱連ちゃん……。俺と遊ぶのは、とーっても楽しいよ……?」




