第三十話『解け』『異物』
『解け』
ハウスから歩いて約十分程度のコンビニエンスストア。
ポーカーに負けた罰ゲームに飲み物の買い出しにきたのだが、駅付近にあるコンビニだけあって、この時間になると品数はあまり残っていなかった。
気の抜けた店員の挨拶を横流ししながら欠伸と共に店奥へ歩く。
「俺、雑誌読んでるから」
「ん。好きにしろ」
そう言えば表ののぼりに『おでん』ってこれ見よがしに宣伝してあったな。折角だし買って帰ろう。
リットル単位の飲料水をカゴに数本入れながらぼんやりそう考えた。ついでにお菓子でも買っていけば喜ぶかなと追加でカゴに投入。
店内は全くと言っていいほど人がいないので、無論待つこともなくレジに直行した。数キロはあるカゴをレジへ乱雑に置く。
雑な金髪で大学生ぐらいの、ギャル風な店員と目がばっちり合い、向こうは慌てて目を逸らした。
「…………あと、おでんください」
俺の注文に店員は肩をビクッとさせながらも、マニュアル通りの返答をしてくる。
とりあえず四人分のおでんを掬い終わり会計でもしようかとしたところで、レジの上の商品に雑誌がぽんっと一つ追加された。
「……なにこれ。プロレス?」
食い入るように俺は雑誌の表紙に印字されたタイトルを凝視。そして横に立っていた奴を細い目で見つめた。
「なに、これ。お前の趣味?」
「買って」
「テメェで買え」
「持ってない、金」
「…………後で返せよ」
レジが終わったその場で雑誌を奴に与えてやり、商品を持って外へ出る。
気温が一気に氷点下へ変化し身震いした。
俺が歩くと、奴は買ったばかりの雑誌を読みながら後をついてくる。よくそれで転ばないなと思いながらもとりわけ注意しなかった。
クリスマスイブと言えど時間帯も時間帯で、住宅街は静まりかえっている。賑わいの一つさえ感じられない聖夜は、何とも言えない一抹の寂しさを感じさせ、思わず俺に何かを話したくさせた。
「プロレスなんかに興味あんのか」
「違う」
奴は雑誌から目を離さない。
俺も後ろから追ってくる声を感じつつ前だけ見て話しを続けた。
「じゃなんで」
「勉強」
「なんのだよ」
「……別に」
やはりと言うべきか。奴はまたそう言う。
『別に』。その言葉が奴の口癖で、なにを思っているのかそれでいつも会話を終わらせようとしてくる。
都合が悪いのか話す気がないだけなのか。表情が読めないだけあって掴みどころがない。
要するに――つまらん人間。
「……そうだよ」
「ん?」
「つまんない奴だよ、俺」
「えっ……」
心を読まれたのか。そう思った。顔を見せたらもっと読まれそうで振りかえられなかった。
「俺、あんたの望むような反応、何一つできないから」
何か否定しないといけないと思った。そんなことを思ってないと言わないといけないと思った。でもできなかった。
それはほとんど図星と同じだった。
「だから――」
奴の言葉は止まらない。坦々とした口調で畳み掛ける。
「だから、俺の事なんて放っておいて。気に掛けなくていい。そういうのいらない。中途半端に親しくされても邪魔なだけ。あんたにそういうことされると、自分がもしかして意味のある存在なんじゃないかと勘違いしちゃうから。……馬鹿みたい。俺はどうせ生きていても仕方ない、そう……――――」
「こんばんわ」
後方から声をかけられた。
思わず振り返ると奴の後ろに真っ白な塊が目に入る。一瞬雪かと錯覚したが、意識をはっきりさせると一本一本が髪の毛だと気づく。遅れて声の人物が新だと認識した。
コートが髪と同じ白で、ぱっと見て背景の冬景色と同化していてなんか可笑しかった。
「奇遇だねぇ朱連。あと……ん、んとー……なんで君?」
容赦なく探るような新の目線に奴は気を悪くしたのか、むすっとした。
「なに。悪いの」
「…………あ、そっか。ごめんねぇ気を悪くさせちゃった」
新は自分の中で何かを勝手に納得し、キャンディーの白い棒を齧りにぃと笑いかける。
そんな新を今度は逆に奴の方が敵意を持った眼差しで睨んだ。
そんな視線を新は軽々しく受け流す。
「ん―……朱連ちゃんは何してたの、こんな夜中に」
「え。あぁ、買い出し」
俺が見せたコンビニ袋の中身を新がしげしげと眺める。
「あ、もしかしてお家でパーティー? いーなぁ……。そだ、俺も飛び入り参加しよっ」
「はぁ!? んなの無理に決まってんだろ。つかテメェなんでここにいやがる。お前の家都心だろ。はよ帰れ。補導されても知らねぇからな」
「それ君が言う? つかえーやん、折角だしさぁ。寂しいこと言わないで、俺も入れて?」
スキンシップがてらに甘えた声で抱き締められ、寒さ関係なしに鳥肌が立った。
「くっつくな気色わりぃ!」
「はぁ。あったか」
「俺で暖を取るな!」
そろそろ蹴り飛ばそうかと足を準備しだしたところで、急に新の身体の存在が消え、それは地面にぶっ倒れていた。
急な事に頭がついてこず、すがって奴の方を見ると、事態の原因がそれだった。奴は雪まみれになり痛がっている新を虫けらのごとく見下し、吐き捨てるように言う。
「うざったい」
「はっ……はは。褒め言葉、どーも」
新は苦しそうに咳き込み立ち上がると服に付着した雪を払う。
「さて、今日はもういいかな。お連れさんが五月蠅いし。それでは~」
新はひらひら手を振ると、なぜか元来た道の方へと戻って行ってしまった。
「なん、だったんだろうな」
声が震えていた。驚きと恐怖だった。
奴は何も答えない。何も答えずにただ、ある程度の距離が出来るまで、ひたすらその背中を監視していた。
「……ボーっとしてないで行くよ」
(いや立ち止まってたのお前っ!)
急にこちらに振り返るヤツに慌てて背を向け、少し距離を開けながら歩き始める。会話はおろか隣を歩くことすら気まずかった。
(とりあえず早くハウスに帰りたい……)
こんなんなら一人で行った方がマシだったかな。相性が悪すぎる。
しばらく無言で歩き続けて思う。
たぶん奴は俺のことが嫌いなのだ。会話だって長く続かないし、さっき構うな的なこと言われたし。
相手は青翔だから、俺がちゃんと面倒見ようと思っていたけれど、結構うまくいかないものだ。
溜息を吐いた。
「あのさ」
「……っ!?」
奴が声を掛けてきた。しかも自分で。今度は何だ、次は何を言われるんだ。頭も身体も身構えることに精一杯で振りかえられない。
そんな俺を待っていたのは想像の遥か彼方を行く、耳を疑う一言だった。
「好きなんだけど」
「…………ぇ」
聞き間違いだろうか。いま好きと聞こえた。……いいや、聞き間違いではないだろう。だが何を好きか、主語は聞いてない。頭の中で勝手に話を広げていくよりも先に、俺は聞き返した。
「何が」
雪を靴底で押しつぶす音が近づいてくる。すると何故だか俺は後ろから抱きしめられていた。
(ま、マジでー……?)
さっきまで俺のこと嫌いなんだろうと思っていた相手に抱き締められている。こんな信じがたいことはない。
「俺さ、あんたに惚れてるみたい」
消え入りそうな声で呟く奴の声。
好きの意味を確信した時、不思議と先ほど感じていた驚きはなくなっていた。
青翔は俺のことが好きである。
その事実だけがあって、俺はそれを素直に呑みこんだ。
奴はそれから何一つ言葉を発しなくなった。背中に掛かる奴の重みが時間の経過と共に増していく。流石に重くなってきた。
「……おい、青翔。青翔?」
え、なにこれ。何で俺こいつにさっきからずーっと抱き締められてんの。意味わかんない。なんでこいつ一方的に告白しといて俺に何も言ってこないの。なんで俺無視されてんだよ。
「おいせい――――っ!?」
「すぅ……」
「…………え」
寝てる。
もうすぐ日付を跨ぐっていう時間帯に玄関の戸が開く音がした。
「あ、二人が帰ってきた~。お迎えに行ってくるね、緑川」
買い出しに行くぐらいなら三十分ほどで終わるというのにこんな時間がかかったのだからきっと何かあったのだろうな。
内心ワクワクしながら玄関まで二人を迎えに行く。
「やー遅かったね。なに買って来てくれた――」
「――フンっ!」
玄関の朱連に声をかけたと同時に、青翔が朱連に柔道の背負い投げのごとくフローリングの床に叩き付けられた。
なんともデカく痛そうな音がした。床は割れてないだろうか。
「うわぁっ! ちょっ、なに青翔床に投げつけてんのさ!」
「しらね。死んどけ糞がっ」
今まで聞いたこともないほどに冷めきった声で言い捨てる。朱連はコートを脱ぐこともなく俺の横を通り過ぎていった。
玄関には技をかけられながらもなおいびきをかいて爆睡する青翔と、俺。
「え、えー…………」
(俺にどうしろと……)
その後、苛立つ朱連の面倒全てを緑川に任せた。朱連は単純だから緑川の話術で簡単に何時もの調子を取り戻し、最後はソファに寝転んで寝落ちしていった。
「……ねぇ、何で朱連怒っていたの」
「なんか駅からハウスまで爆睡した青翔を一人でおんぶして帰ってきたみたい」
「買い出しに行って爆睡とか可笑しくね」
「ねー。ふっしぎー」
「んー……とりあえず袋の中身出して」
「うん。あ、勝の好きなお菓子。パス」
「わ、ナーイス」
菓子が入れ物ごと緑川から俺の手の中へと放物線を描き飛び込んでくる。
(しかしまー……青翔晴って男は読めそうで読めない奴だ。まさかただの買い出しでああなるとは。まぁそうじゃないとゲームとして面白くないんだけどさ。俺ももっと観察しないと……)
ばりっと景気よく蓋を開け、中身を食す。ボリボリとした食感がなんか癖になる。
(あとで録音したの聞いてみーようっと)
胸が躍った。
『異物』
「……ボーっとしてないで行くよ」
青翔晴と自分は明らかに不一致だ。自分は他の何者かであった気がする。
俺が自分であると認識した時、身体は既に小学校中学年程度であった。それはどう考えても可笑しいと分かっていた。
生物のスタートと言うものは普通赤ん坊からで、そこまで歩んできた人生があるわけで。
その分の記憶がごっそり抜けている自分という存在は、初めから本来いるべきではない『異物』であると認識していた。
異物は異物らしく生きようと思った。
異物の自分は人としての価値がない存在だから、出来るだけ人と関わらないようにしようと思った。
人の顔色を窺うようになった。息を殺して空気になろうと努力した。
そしたらなんだか、人が何を考えているか分かるようになっていた。
嘘じゃない。表情筋一つの変化で読み取れる。目の動きで分かる。心の声が確かに耳へ、そう聞こえてくる。
(相変わらず、いらない子ね)
(早く事故でもなんでも死んでしまえばいいのに)
(存在自体邪魔)
どうせ自分はそんなもん。
心が読めても俺は悲観したりしない。現実をただ率直に眺めるだけだった。現状を変えようとせず、そう思えなかった。
笑える。俺は欠損人間だ。鈍いのは五感だけじゃない、人としての大事な何かだ。
世界は灰色だった。
「青翔、――――」
初めてその名前を呼ばれた時、どこかでチリンと鈴が鳴った。
上西朱連。
そういう名前で同じ家に住んでいる男。面倒見がいいけど口うるさくてお節介。意外と周りからは好かれている。
ヤツのお節介やきは筋金入りで、俺は何度も邪魔だからそれを突き返すのに、なんと物好きなことに幾度となく話しかけにくる。
人に気に入られているという点では望月勝も同じだが、あいつの場合は俺を利用した別の魂胆があることは目に見えていた。
アイツは違って、何かを得られるわけでもないくせに嫌に必死そう。
初めは弱い俺を助けて得る満足感に酔っているだけかと思った。でもどうやらそれだけじゃないらしい。
観察して気づいた。ヤツの目は優しさと同時に救いを求めている。
……自分と俺を同一視している。
そうすることによって俺を助けた時に自分も救われたと錯覚しようとしている。
つまりはそういうこと。
わざわざどうしてか。確かな理由は分からない。俺を選んだ理由も知らない。
だけどどんな理由であったとしても、誰かにこんなに気に掛けられることは初めてで、どうしていいか分からなくなった。
あんな周りから必要とされているヤツが、自分と言う存在を利用という形だとしても必要としていること。想うと身体の中心がうずうずした。
俺はヤツが好きだった。
その感情は全く自分の気づかない内に狭い心の中に居座っていた。
だけど自分は価値のない人間だから。到底釣り合うとは思えない。いや、そんなことを考えることすらおこがましい。
ちょっとでも希望を持ってしまう自分を殺してしまいたい。
あんなに綺麗に笑える人間が俺なんかを好きになるわけがない。
眠りから覚めるのが怖かった。ヤツの心の声が聞こえてくる度に震えた。嫌われやしてないかと。
ただでさえ狭い俺の感情の部屋は崩壊寸前だった。
そして遂に届いた。
――つまらん人間
あぁ、やっぱりダメだった。
自分ではいけなかったのだ。
初めから分かっていたことながら、全てがどうでもよくなった。真っ黒くなった。
――そうだよ
――つまんない奴だよ、俺
ヤツの期待に応えてやりたいと、ちょっとでも自分を変えてみたいと思っていたのに。そんなの、今じゃ何の意味もない。
深刻な自暴自棄。
そんな状況でもヤツを最優先事項として行動してしまう自分は、よほど惚れたのだろう。
青翔晴の中の、誰が初めにこんなヤツを好きになったんだろう。
その思いを片付けも区分けもせずに俺の部屋に無断で持ち込んで去っていったアホは、今どうしているだろうか。
どうしてこんなに好きになったんだろう。ほんの少ししか一緒に過ごしていないのに。
いっぱい一杯だ。張り裂けそうだ。もう消えてしまいたい。そう、今すぐにでも。
頬に触れた雪が解けて水に変わって流れ落ちていくのが見えた。
異物の自分は、もうそう長く持たないだろう。存在意義がなくなったのだ。そう感じる。
もうココに自分がいなくても大丈夫。いや、異物はいてはいけない。異物が消え去り、青翔晴の身体はこれからも存在し、生きていく。そうじゃないといけない。
結局自分は死ぬ。
恐らく今まさにという死なんて自覚出来ずに、眠りと同時に、それこそ雪のようにとけて消える。
異物なんて取り除かれて然るべき。
頭ではもう諦めているのに、端っこに転がった鈴がもがく。好きだ、好きだ、と。
「あのさ」
ハッと気づいたときには自分は声を発していた。
ヤツの背中に声を掛けたが振り返らない。
自分みたいな奴とは顔を合わせることすら嫌なのだろう。
分かっていながら、異物は愚かにも言ってしまった。
「好きなんだけど」
(あーあ……言ってしまった)
言ってしまってからは後悔、というより落胆しかない。でも言ってしまったものはどうしようもない。
「何が」
やっと声が聴けて、胸が熱くなる。
言うなら、今しかないんだ。
無言でヤツの背中に近づき、両腕で抱きすくめ、呟いた。
「俺さ、あんたに惚れてるみたい」
それだけ言ってしまうと、急に抗いようもない睡魔に襲われて、異物はそのまま目を閉じた。
異物は思った、永い眠りにつけると。
こんな状況で寝てしまうなんて、きっと青翔晴は大好きなコイツにすごく怒られるんだろうなと、異物はしてやったりと不敵に笑う。
そして存在を失った。




