第三話『あったかい』
昨日みたいに青翔と話していると教室に珍しく女を連れてこない緑川が入ってきた。教室の外の廊下で女たちが集って縄張り争いをしているのを見るに、クラスに入らないよう言っているようだ。もちろん緑川と同じクラスのファンもいたが距離をとって眺めているだけ。緑川が重そうに荷物を置いたのを見て声をかける。
「なんだ、ついに女子に嫌われたか?」
「そんなに嬉しそうに言わないでくれる? そんなことあるわけないよ」
「へー、君ってすっごく自信家なんだね」
「……? あれ、君って転校生の……」
「青翔晴だよ」
「あ、青翔ね。可笑しいな、君ってそんなキャラだったっけ?」
「キャラも何も青翔は青翔だろ。きっと昨日は緊張してただけだって」
「……あっそ…………分かった」
緑川は目を細めて下を向くと、ゆっくりと瞼を閉じた。しかめ面で茶色のはねた髪を数度撫でてやるとまた目を開ける。次には全ての女を虜にしてきた微笑みが現れていた。よく知っているあの表情。
「今朝はごめんね、また怒らせちゃった」
「女にモテて、しかも言うことは聞いてくれて、羨ましい限りだよ」
俺はそう言うと緑川の言いつけどおりに緑川から距離を取っている女どもの方に目を向けた。しっかりと躾けされたファンの中には上級生もいる。いや、上級生が我こそはと入り口付近を陣取っているのだ。他の奴らが入りにくそうなことといったらない。明らかに気の強そうな上級生の先輩の方々でも従わせることができる方法、俺もぜひ知りたいね。やはり顔か。
「謝るからさ、そんなにいじけないでよ。ごめんね、いつも除け者扱いさせちゃって」
「別に……。気にしてないから、慣れてるし。んなこと気にしてねぇよ。俺はただ……なんか、やかましいのが苦手なだけだから」
「そうだったね、ごめん」
そう言うと緑川は困った顔をして優しく笑っていた。子ども扱いされているとは分かっているものの、こんな表情、女は見たことないんだろうなと思うとなんだか嬉しい。そんなんじゃ自分が女相手に競っている気がして、それが恥ずかしくて、俺は一度緑川の頭にチョップを喰らわせて椅子にふんぞり返った。緑川が楽しそうに笑いながら頭を触る、そして後ろを見た。
「そろそろ行くね。呼ばれてるんだ」
きっと女のことなんだろうなーと思いながら手を振って見送った。
これで女がいなくなると安心していると、未だに廊下にたむろっている人影が見える。なんだと思って観察していると、どうやらその視線を浴びているのは俺の前方にいる男のようだ。
「…………」
「どうかした朱連? 僕の顔になんかついてる?」
「いや、よくよく考えたらお前も面がいいなって」
「誉めても何も出ないけど……?」
「そうだな、すまん。……いや、後ろにな、お前にあつーい視線を送ってくる奴らが……」
「あぁ、いるね。どうでもいいよ」
そう涼しい顔して言ってのける。視線なんて全く怖くないといった表情で後ろを振り向くと女子の方に手を振ってみせた。ときめき驚く女子たちが耳に障る声を出しながら何処かへ駆けていく音がした。なんでもない顔をこちらに戻してまた笑う青翔。正直絶句した。緑川とは違う、だけど確実なにおいがする。
「お前、絶対にモテるな」
「え、だって興味ないし、勝手にさせとけばいいんじゃないかな? そりゃあ話しかけられたら話はするよ、好きになるかとは別問題だけど」
ケロッとした顔で言い放たれて俺は脱力した。恋愛に対して余裕綽々な奴らの顔を脳裏に思い浮かべながら机に突っ伏して妬みごとを呟く。
「羨ましい……、俺の周りにモテる奴が多いからなお羨ましい……」
「気を落とさなくても朱連だって彼女ぐらいできるって。ただ雰囲気が怖いだけだよ」
彼女という言葉に身体が勝手に反応し、俺は目だけを覗かせてしばらく考えてみた。
「彼女…………ダメだ、彼女つくりたくない……」
「え、それじゃ人を羨んでも仕方ないじゃん」
「なんつーかダメだ、彼女はまだ無理……。やっぱこのままモテなくていい」
盛大なため息をつくと俺は顔を埋めてしまった。
青翔がしばらく黙っているなと思いながらそのままでいると、不意に髪の毛を掴まれ、急いで飛び起きた。
「え、なに、今のなんだ?」
「僕だよ。いや、面白い髪色だなって」
「んー……?」
肩から僅かに見える髪を持ってきてその髪色を見た。相変わらずくすんだ赤褐色みたいな色をしている。これで綺麗な赤だったならまだ救えるところがあるのになぁ。
「これは地毛だよ」
「え、地毛? 朱連って赤毛なの?」
「……まあな。これは天然だし他人にどうこう言われる筋合いねぇからこのままだ。綺麗な赤毛じゃないから変に見えるだろ?」
「そうだねー……」
そう頷くと青翔はもの珍しそうに俺の髪を見ていた。再び顔を埋めて好きなようにさせておく……ふと、あることを思い出してまた顔を上げて青翔を見る。
「小笠原」
「え?」
「ここの担任、小笠原さ、お前になんて言ってた?」
「な、何が?」
「耳打ちしてただろ、お前に席を教えた後。何か変なこと言ってなかったか?」
「……え、えっとー、えーっと…………ちょ、ちょっと待って」
そう言って手を前に突き出すと片手を額に置いて念じるように顔をしかめて黙り込んだ。必死で思い出そうとしている様子。さすがに覚えてないかな……?
「えっとね、あいつの見た目はあんなんだがいい奴だからあまり気を張るな……だって」
「…………うえー……?」
なんだ、あいつ意外と良い奴じゃん。……あぁ、だめだ、騙されるな、俺は何度あいつに生徒指導室に連れて行かれたと思っている。相手が転校生だからだ、きっとそう。成績なんてそこまで悪いわけじゃないのに授業態度がダメだからって夏休みに補習受けさせる奴だぞ、俺に恨みでもあるのかよ。これは罠だ、あいつの仕組んだ巧妙な罠……。
「どうかしたの?」
「え、ううん! ま、まあ気に食わん奴だが、たまにはいいこと言うんじゃねぇかあいつ!」
「あれ、どうかしたの……? まあいいよ。それより、今度バスケ部に連れてってね」
「いいけどさ、指はどれぐらいで治るんだよ?」
「こんなのすぐ直るよ~。テーピングしとけばこれぐらいどうってことないって」
そう言うと青翔はしっかりとテーピングをした指を出した。そういえばこいつ、元はバスケ部だったんだし、あれぐらい慣れっこだろう。いますぐに部活を見に行っても問題なさそうだ。だがあいにく今日は水曜だから部活はないんだけど。
「じゃあ来週ぐらいに」
「僕はもうすぐにでもやりたいけどね」
「そんなに好きか?」
「運動してると気分が晴れるんだよ」
まあ分からんでもないな。体を動かすと爽快で嫌なこと全部忘れられる気がするし。俺も頭がモヤモヤし始めたら近くの遊歩道に走りに行く。ストレス発散のためと言うべきか、とにかく走るのが好きだ。運動部とかには入る気はないんだけど。
「今日はさすがに無理だけど、見学したくなったら何時でも言えよ。どうせ俺、放課後は暇だからさ」
「朱連は部活入ってないの?」
「生粋の帰宅部だぜ。ダラダラしないでさっさと帰る」
「そうなんだ……。じゃあ……あ、SHR始まるよ」
「あ、おう」
青翔が何かを言いかけた気がしたが、その時は何も言わずにいた。SHRが終わった後、なにか言いかけたことでもあったかと聞いてみたが青翔はなんでもないと返されてそれ以上のことは聞かなかった。とりあえずは次の授業の準備でもしようか。
六時限目の授業も終わり、机に身体を伸ばして脱力していると、頭を誰かに突かれた。顔は上げずにそのまま返答する。
「はーい」
「朱連、今日は暇?」
「いつでもヒマー」
「それはよかった。今日は緑川と俺とで帰ろうよ」
「ん、分かった」
そういえば今日って今月何度目の水曜だっけ……。11月の初めのほうだから確かー……あ!?
その時、頭の中に鋭い閃光が駆け抜け、脳の隅々に広がる脳細胞の至るところが跳ね起きた気がした。机の横に置いておいた鞄を引きずり出すとそこから乱雑に財布を取り出し、中身を確認した。数枚の札がしっかりとそこに居座ってくれていたことに感謝し、いったん吐息をつくと目の前の男の両肩をガッシリ掴む。まん丸で綺麗な瞳が俺のことを覗き込む。
「今日は肉屋で特売日だ、手伝え、勝っ!」
「い、いいけど……。あ、相変わらず主婦脳だね……」
「今日は緑川もいるしスーパーで買い物もしよう。確かそろそろ菓子も尽きるし……」
「ねえ、朱連」
「ん? なんか用か、青翔」
「……2人、いや……朱連と勝……あと緑川ってさ、もしかして一緒に住んでたりする?」
「…………え?」
「いや、なんか会話的に」
「あ……」
俺は勝の方を横目で見たが、勝は涼しい顔で鼻を鳴らすだけ。俺がシェアハウスに住んでいることを隠したがっているだけで、他二人はどうでもいいと思っているのを思い出す。さっきのは気持ちが高ぶって周りに目を向けられていない俺の責任。勝が止めに入る義理もなかったわけだしバレても仕方がないか……。
「住んでるよ、シェアハウスで……」
「あ、本当? 道理で3人とも仲が良いと思った、接点なさそうだもの」
「おーそうか」
よかった、変な目はされないみたいだ。これでバレたのが女子相手だと思うと怖い。緑川にプレゼントを渡しといてくれとか要求される、断言しよう。緑川が女を連れ込んできたりするタイプじゃないだけ幸運だったな……。そんなタイプだったら速攻ハウスを出ていくわ。
「青翔、君も一緒に帰るかい?」
「あ、俺はいいよ。今日は図書室で……」
「勉強? 結構真面目なんだ」
「いやそんな……」
「勝ほどクソ真面目な奴は他にいねーぞ。お前、1日何時間勉強してんだよ」
「気が向くままに好きなだけ勉強してるよ」
「そんなに勉強してたらいつかは勉強することなくなるぞ」
「色々あるよー。別に授業のことだけ勉強してるわけじゃないんだし」
「え、そうなの」
「へぇ、凄いんだね。勝って……将来は何になるの?」
「え…………。まあ、それなりの企業に勤めるよ」
その時の勝はいつものゆとりを持った態度じゃなくて、目を何処かに泳がせて、返答を詰まらせ、明らかに嘘をついている様子だった。何度か見たことのある、この自分の本当を見せようとしない勝は好きじゃない。いつも一歩後ろに立たれている気がする。俺は一度だってこいつを理解したことがあるのだろうか。
「もったいねぇこと言うなよ。そんなに努力してんならもっと夢持てっつーの」
「え、ヤダ。つか朱連の方は夢がヤバいだろ、だってぱ……」
「うわ、待て待て! それは違うから、あくまでもしもの話だから!」
俺は慌てて勝の背後にまわって口を塞ぎ、身動きが出来ないように捕まえる。勝ぐらいの力じゃ俺の拘束はびくともせず、勝は諦めた様子で肩をおろした。手を放してやると勝は機敏な動きで座っている青翔の後ろに屈んで隠れた。
「勝……体が小さいから綺麗に隠れられるな」
「ありがたい褒め言葉だね貰っておいてあげるよ」
「とりあえず自分の席に戻りなって、SHR始まっちゃうよ」
互いに少しばかり苛立ちながらも席に着くと日直の進行を気だるげに聞き流す。SHRが終わった後、3人で一緒に帰ることにした。
朝と変わらず寒くてクシャミをしたら緑川がまたマフラーを貸してくれたので大人しくつけることにした。やっぱり温かい。そのまま商店街に向かった。
商店街唯一の肉屋は賑わっている、今日が特売日だからだろう。ここの肉屋のおばちゃんがなかなかいい人で、部活帰りの奴らが集団でおばちゃんと話しているのを見かけたことがある。ちょっとした名物みたいなものだ。俺もよくここで肉を買うからおばちゃんとは顔見知り。今日も元気そうに笑っていて安心するわ。
「お前ら今日は何食いたい?」
「コロッケ、俺のはメンチで」
「じゃあ俺はカニクリームでいいかなぁ」
「あーはいはい、中身も指定するのね分かったわ」
俺が並んでいる間に2人はフラフラとお気楽に何処かへ行ってしまった。そう時間も経たずに俺の番がまわってきた。
「おばちゃん久しぶり~」
「あら朱連ちゃん、いらっしゃい」
「まずコロッケ3つね。メンチとカニとコーン。あとねー…………」
コロッケと肉を適当に買い、2人が戻ってこないのでベンチに座って待つことにした。冷えるから揚げたてで熱そうなコロッケを抱きかかえて待つ。
遥か頭上で商店街を覆うガラス屋根。その向こうで小さな白くて丸くて柔らかそうなものが落ちてくる。こちらまで降ることはなくそれは透明な板に阻まれて儚く融けていく。なんだか心の奥からじんわり寒くなって、腕を組む。まだかなぁ……。その時、頬に熱さが押し付けられた。
「うわっ!」
「はははっ! 驚いた?」
俺に当てられたのはただの缶コーヒーだった。緑川は無邪気に笑うと俺の横に座ってそれ開けて飲む。蒸気が上がるその様子を見て俺は探るように聞く。
「めちゃくちゃビックリした……。どうしたんだ、それ」
「缶コーヒー。寒いだろうし買ってきたんだけど」
「……俺の分」
「飲む?」
「いらない。もう1個持ってきただろ」
「あれ、ばれた? はい、熱いから気を付けるんだよ」
「うん」
俺は緑川から缶コーヒーを貰うと慎重に開けて蒸気を顔に浴びた。寒いのに飲めない、この苦痛はなんだろうか。カップに入れたコーヒーなら息で冷ませられるのに。俺は黒い渦の中を覗き込みながら緑川に尋ねてみた。
「勝は?」
「荷物持ちが面倒くさいから図書館行くって逃げたよ」
「うわ……」
あいつから今日は一緒に帰ろうって誘ったくせに俺が買い物をすると知った矢先に上手く逃げやがってあの野郎。ちゃっかり今日の晩飯のコロッケにありつくし。策士だ、策士。
「お前は……買い物、付き合ってくれるか?」
「俺? 俺は別に大丈夫、いくらでも持ってあげるから安心して」
「うん……」
手の中のコーヒーを握りしめながら俺は小さく頷き体を縮める。さんざん待たされた熱さを飲もうと缶を傾けたが、液体が舌先に触れた瞬間に反射的に傾きを戻した。ヒリヒリとした感覚に肩を深く落として頭を下げる。缶を頭にくっつけて舌のざらつきを口内で確かめた。
「……火傷した」
「猫舌なのに無理するからだよ」
「だって寒いんだよ……仕方ねぇじゃん」
今度は気持ちばかりに缶の入り口に息を勢いよく吹き付けると思いっきり飲んだ。凍えていた体の中を通る熱さを感じて自然と顔が綻ぶ。ちょっと熱いけど満たされた感じがした。
俺が満足げに1人で頷いていると、急に隣に座っていた緑川が俺に身体を傾けてきた。体格的に俺の方が小さいので少し揺らいだがなんとかそれを支える。
いきなりどうしたんだと訝しげな視線を投げかけたが何も言ってこない。
そうしてしばらくそのまま2人でいると、緑川がゆっくり、低い声で話しかけてきた。
「ねぇ朱連」
「なんだよ」
「…………あったかいね」
「……そうだな」
急にそんなこと言われて、これ以上の返しが見つからずに俺は顔を違うところへ逸らした。別にこんなこと、言葉になんてしないけど……たまにはお前とこんな風にして過ごすのも悪くない、そう思う。
望月勝がドアを開けてリビングに向かうと籠に切った野菜を入れるいつもの上西朱連の姿があった。だがその野菜の量はいつものではない。
カットされた葉物野菜の山が数個出来上がっており、その量はサラダと言って済まされる量ではなかろう。
その光景に若干の戸惑いの色を見せながらも望月勝は声をかけた。
「ただいまーってあれ、今日はコロッケじゃなかったの?」
「あ、勝。勉強お疲れ。帰ってきてすぐで悪いけど今日は鍋だからさ、鍋を倉庫から持って来いよ。コロッケもちゃんと出してやる」
「ふーん……ま、荷物持ちパスした罰ってとこか。ちょっと行ってくる」
地下にある、普段は暖房もつけない倉庫に行くことを億劫に望月勝は感じながら廊下を歩いていく。
向かいの方から緑川健二が両腕を腕まくりした状態で歩いているのが見えた。おそらく風呂でも洗っていたんだなと望月勝は察する。
「倉庫に鍋取りに行くの? 寒いから上は脱がないほうがいいよ」
「ありがと。それにしても、いきなり鍋だなんて、スーパーでタイムセールでもやってたのかい?」
「なんか野菜が安売りだったんだって。それで朱連が寒くて寒くて仕方ないから鍋するって言いだしたんだよ」
「そうなんだ……。なんか、朱連もだけど、君もまた随分楽しそうだね」
緑川健二はその言葉にキョトンとした顔で固まったが、すぐに優しげに頬を緩ませる。
「ん? まあね、朱連が楽しそうだから、俺も楽しいよ」
「……あーそうですか」
そう呆れ顔で返した望月勝は倉庫へ向かった。そこはとても寒くて、暗かった。すぐに目的の物を引っ張り出すとリビングに駆け足で向かう。彼も同じく寒かったのだ。
テーブルの中心に大きな鍋を置き、肉や野菜、きのこを入れる。ぐつぐつと煮えた鍋から包み込むような白い蒸気が生み出されて3人の周りを囲っていた。
上西朱連の一声で各々が好き勝手に手をつけ始める。3人にしては大きすぎる鍋でも口々に文句を言い合いながら鍋を食べる。
上西朱連は鍋のつゆを一飲みすると満足げに目を細め、微笑して頷く。
「あったかい……」




