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第二十五話『思えば、想われ』

 青翔と俺の間でちょっとしたいざこざがあったけれど、俺の学園生活がそれで大きく変わるということはなかった。

 暴行魔事件は(俺が犯人なので当り前だが)煙一つ残さず影を潜めた。学園内で事件についてはあっさりと忘れ去られ、教師が小うるさく注意勧告をすることも無くなった。

 甘露寺も星野先生も、俺が何かしでかさない限りは普段通りで、淡々と仕事をこなしている。

 志緒と緑川の仲は相変わらずで、志緒とは目が合ったりする程度で特別なことは起きなかった。

 学校には新や天もいる。

 翼は新曰く、珍しく重度の風邪を引いているらしい。学校に来ていない。まあもうじき戻ってくるだろう。

 なんだか色んな出来事があったハズなのだけれど、一息つけば、それがまるで白昼夢の物語であったかのようにまた、代わり映えのない日常の中に溶け込んでいた。多分、それもいつものことだった気がする。

 その中で、唯一変わったことといえば――。

「朱連!」

 名前を呼ばれて思わず振り向いてしまえば、寝癖だらけの金髪を携える男が、俺の背中に抱き着いてきた。

 相当頑張って走って来たらしく、男の全体重を身体にかけられている。

 ぜぇぜぇと息を切らして、耳にこしょばゆい。

「なんだよ青翔、俺なんか忘れ物したっけ」

「違うよ……。ただ、一緒に……学校に行こうと、思っただけで……」

「あー、そっかー。なるほどなー」

 と頷きながら俺は青翔を背中に乗せたまま再び歩き出した。

「ちょっ、一回待と、重いでしょ、それに足に雪はいった……って、置いてかないでよ!」

 雪山の上を歩く俺の後を青翔はひぃひぃ言いながら付いてくる。

「なーにヘタってんだよ。体力ねぇなぁ」

「さすがの僕でも人間の限界は越えられないってこと……」

「まあそうじゃねぇとお前なんだって話だしな。じゃ、せいぜい頑張れよ」

「うわ今でっけぇ雪入ったっ! って、ちょっとは止まってよ! 朱連のアホンダラ! オニ! 悪魔!」

「あーはいはい、知ってる、知ってる」


 こいつが転校してきた時期以前のことを思えば、なんだか状況が全く別なものにすり替わっているように思える。

 青翔は四六時中俺と一緒にいる。

 毎朝俺を起こしに来て、俺に時間を合わせ、学校を出る。夜になれば漫画を読みに部屋を訪ね、その日の宿題を俺にさせてから帰る。

 宿題は俺が嫌がっても無理やりさせるものだから、俺がいつも授業の直前に緑川から写させてもらっていた宿題が、前日に見事終わっていた。

 青翔は頭がいいようだ。そんでもって教えるのも上手い。俺が分からないところをスラスラと教えてくれる。授業はいつも流しで聞いている俺だが、最近では授業を理解できるようになっていた。

 恋愛感情を持たれるのは困るのだけれど、なかなか便利なので離れてもらっても困るような。このままの距離感で、これから先も一緒にいられたら、すごく楽なんだろうな。

「あ、朱連ネクタイ曲がってる。貸して」

「んー……」

「カーディガン段違いなの気づきなよ。だらしない」

「えーマジー?」

「マジまじ」

 こんなにも飽きずに世話を焼いてくれるのは、俺が単に好きだから、だろう。けど、俺はなんだか自分に兄が出来たような心地だった。


 校門を通り過ぎた煉瓦道の上を歩いていると、後ろからやってきた人物に青翔の肩が小突かれた。青翔はすごい剣幕で振り返ったが、ぶつかってきた人物の顔を認めるとすぐさま穏やかな顔に戻る。

 色黒で黒髪。確か違うクラスのバスケ部のはずだ。

「よぉハル。まーだその赤髪の子、口説いてんのか? 毎度のことながら頑張るよな~」

「……わざわざどうも。そして邪魔するな」

「あーすまんすまん。あんたも頑張れよ」

 そう笑ってそいつは俺の肩を叩くと、そのまま別の集団の中へと消えて行った。

「バスケ部か」

「大正解。……あいつさ、めっちゃ僕と朱連のこと、冷やかしてくるんだよね」

「はーん……大変だな」

「あいつがちょっかい出して来たら、問答無用で僕に言ってくれて構わないからね」

「あー……う、うーん……分かった」

 実は、青翔に聞きはしなかったのだが、俺の悪口を言っていたらしいクラスメイトがこの前俺に、泣きそうな顔して土下座謝りに来たのだが……。奴の身に何があったのかは聞いていない。が、その次の日から、普段は何ともないクセに、俺と目がチラリとでも合うと萎んだ風船のようになってしまう。前は睨まれていたのに。

 俺は思わず青翔の横顔を見た。

(まさかとは思っているけど……)

「うっわー。今日一時間目から国語かぁ……いやだねー」

 この人格の青翔が、とは言わないが、確実に俺の周りの人間をなにかしらの力で捻じ伏せているような予感がする。

 よほどのことじゃない限り、青翔の前で妙なことを言うのは止めよう……。

 そう心に決めた、今日この頃。




 そんな今日の放課後。

 俺は図書室に本を返却し、さっさと直帰するつもりだった。

 オレンジがかった斜光で染まるタイルが延々と伸びている廊下。

 そこで偶然、部活服を着た青翔とばったり出くわした。

「よお青翔、部活か」

「――あ、朱連。うん、そう」

「ふーんそっか。がんばれよ~」

「あ……うん。じゃあ」

 なんとはなしに適当に声を掛けて横を通り過ぎる。何歩か歩くと、突然青翔に呼び止められた。

「あ、あの……ねえ朱連」

「――ん?」

 振り返ると、窓から差し込む夕暮れの光がちょうど目に入り込みささった。片手でその光を遮って青翔の方を見ると、なんだがぼやけて見え、表情が読めない。廊下はどこまでも長く、真っ白く見える。

「今日、金曜だよね」

「え? うん、金曜で間違いないけど……」

「明後日ってさ、日曜じゃん」

「んー? まぁ……」

 声が妙に緊張した感じに高くて、話の流れがなんだが変で。どうしたんだろうかこいつ。学校でいつも見せる、嫌にまっすぐで無鉄砲な明るさの青翔は何処に消えたんだろうか。

 俺が食い入るように青翔の事を見つめると、ふと目があった青翔の瞳がすぐさまそらされた。青翔は肩に掛けたタオルの端を弄り黙り込む。

 とても長い沈黙の中。突如青翔が学校中に響きそうなほどの大声で言った。

「に、日曜日に!」

「……あ? にちよう?」

 夕日のせいとか関係なしに頬の赤い青翔はタオルで顔を覆った。なんだか湯気が出てきそうなぐらいの茹でタコ状態だった。

「あ、いやあの、今週の日曜にさ、僕その、部活なくて、だからあのそれで……、朱連は……どう?」

「え? いやどうって、なんもねぇけど」

「あ、えっとそれは……空いてるってことでいい?」

「あーうん……別に、そういうことじゃないか」

 ……やってしまった。そう思いながら言った。

 よくよく考えたら、俺は今デートに誘われているんだろう。しかもこれじゃあ間接的にデートを承諾していることにならねぇか?

 青翔に変に勘違いされているのではないかと考えると、俺もなんだか恥ずかしくなってきた。

(なんでもいいから、は、早く終わってくれ……)

 俺は全身から込み上げてくる熱に手汗を出しながら、精一杯願い続けた。


 青翔が一歩こちらへと近づいた。

「え、えっと、それなら……――」

「……あ」

「よーハル。何してんだよ。早くいかねぇと先輩に怒られんぞ~」

「え、えっ!? え、あ、うん……え?」

奥の廊下からやってきたのは朝、煉瓦道で見たバスケ部の奴だった。そいつはキョトンとした顔で、固まった俺と青翔の顔を交互に見比べる。そして青翔の肩に手を置いた。

「はぁ……。ハル、部活中に口説くの禁止って言っただろ。ほら来なさい、部活動続行ー」

「あっ……」

 一度は呼び止めようかと思ったが、青翔は目をまん丸く丸め、無言で口を金魚のようにパクパクさせ、バスケ部の奴に引っ張られながら消えて行った。

「あ、あれ……? いいのかなぁ……」

 なんだかよく分からない消化不良に襲われながら、俺は仕方がなく家路に着くことにした。




 その日の夜、そーっと青翔の部屋を覗きに行ってみることにした。そしたらベッドと壁のとても狭い隙間で体育座りをしている青翔がいた。

 ベッドの上へ乗り上げ、青翔の名前を呼んでみたが、どうも反応が薄かった。顔を上げる様子もなく項垂れるだけ。

 落ち込む理由も分からないでもない。

 でも普段元気な奴を思えば可愛そうだと思うし、慰めてやりたいけれど……どうやって?

 どんまいだとか、そんな他人行儀なこと俺が言っても余計落ち込むだけだし。落ち込むなよ、なんて無責任もいいとこ。次頑張ろう……って、そんなの俺が、デートに誘ってくれと言っているようなもんじゃないか。…………あ、いやでも……?

 俺は意を決して口を開いた。

「…………あ、あの……日曜って空いているか?」

「え……?」

 青翔はやっと見開いた瞳に俺を映した。

「どっか行きたいところ……ねぇかっていうか、俺ちょうどその日は暇で、街でも行こうかなって思っているから」

「あのっ……」

「一緒に来てくれるか?」

 青翔の答えを聞くよりも前に俺の視界は真っ暗になっていた。あとちょっとだけ汗の匂いがする。俺は青翔に抱き締められているんだと気づいた。

「――いくよ。僕、もっと君のこと知りたい。君と一緒にいたい。君のこと好き。……だから、僕とデートしてください」

 俺は返事の代わりに青翔の頭をポンポンと叩いてやることにした。




 日付はちょうど日曜日、時刻はまだまだ早朝。

 リビングルームで二人の住民が即席のラーメンをすすっていた。

 ……はずなのだが、片割れは持ち上げた麺を箸からどぼどぼとこぼし続け、まともに食べれていなかった。そして何度目かのため息ばかり。それを見てもう片方は顔をひきつらせている。

 見るに見かねたもう片方が机をバンバン叩く。

「ちょっ、あの……ねぇ! ねぇってば!……無視してんじゃねぇよ!!」

「……は! いま、誰か呼んだか!?」

 勝に胸ぐらを掴まれたことにより呼びかけに気づき、青翔は魂が戻って来たかのように目を開いた。

「こほん……呼びました、俺がしっかりと」

 青翔は頭をわしゃわしゃと掻き、腕を組む。

「あ、あぁそうか。気づかんかった。すまん、ちょっと気がチラついていたんだ」

「どうやら本当にそのようだね。どうしたんだい。心ここに在らずって感じなんだだけど」

「実は、上西と今日街へ出掛けることができるんだ。……二人で」

「ブッ!!……あーごめんごめん。なるほど、緊張しているってことか。いいね、まさに思春期真っ盛りのお悩みで」

 勝はなにやら微笑ましいものを眺めているかのようにニヤニヤしながら青翔のことを見た。そんな視線に青翔は頬を少し赤らめながら言う。

「ジジ臭い。そういうお前はどうなんだ」

「俺恋愛なんてキョーミないもーん」

「……もういい」

「でも、愚痴と相談事ならいつでも乗ってあげようか。いつでも言ってくれて構わないよ」

「……興味ないクセに、やけに協力的だな」

「そりゃあ、端から見るだけじゃ足りないぐらいお前達って、面白そうなんだもの」

 白い歯をちらりと見せて勝は無邪気に笑い、再び箸を取った。




 勝は麺をすすりながら、同じく食事を再会した青翔晴という人間をジーと見つめる。

(……つかまず、朱連がこんな厄介そうな奴とのデートを所望した事の方が、俺的には信じられないんですけど。に、しても……)

 次に勝はラーメンのカップに入った汁を口に流し込みながら、これから起きうる周囲の行動を予測してみた。それは数か月後、はたまた数年後、数十年後の未来。

 勝は、無数に枝分かれし、見える筈のない筈の未来と自分とで賭けをすることが趣味だった。賭けるのは自分のこれからの人生。そして勝は、この賭けに自分が負けたことは、今まで一度としてなかった。

 それは勝が、誰よりも、何よりも、負けず嫌いであったから。神にさえ負けたくなかったから。自分の運命が、何物かによってコントロールされているなんてことは、あってはならないという執念からだった。だから自分が勝つためには多くの手段を講じてきたのだった。

 そして今、勝はまたこの人生の賭けにベットする。それはなんだか勝にとって、退屈で気だるげな人生を歩む人間が、神相手に遊びを興じているような、明らかに他のとは違う自分、という優越感をもたらすゲームだった。

「どうした望月、一人で笑って」

「……ただの思い出し笑いだよ」

(いつ動くか、見物だなぁ……あの二人)

 勝は平らげたカップ麺の入れ物を片付けた。最後に青翔の肩に手を乗せ「頑張って」と言ってから自室に戻る。

 そんな勝の手には盗聴器が握られていた。




 同日、朝の七時半。ハウスに住む一人の男が、上西朱連の部屋を訪問した。男の長髪は、久しくしていなかった睡眠のせいで何時にも増してカーブし、うねっている。

「おっはよー朱連。朝だしもう起き……」

 男がドアを開けるその先に、漫画雑誌が至るところに散乱する、いわゆる汚部屋が広がっていた。そんな汚部屋の隅で分厚い週刊誌を読んでいる赤髪の男、朱連がいた。ドアの開ける音に気がついたのか、男の方へと顔を向けている。

「お、おはよう、お前か緑川」

「……おはよう。珍しいね、休日に朱連が早起きなんて。というか、もしや、もしかしなくても、徹夜してた?」

「うわ、よく分かったな」

 緑川は散らばった雑誌と本を拾いながら、朱連の方へと近づく。

「この部屋の有様を見ればすぐ分かるよ。朱連は偉いもんね、寝る前にはちゃんと部屋綺麗に片付けるもんね。……寝ればの話だけど」

「う……うるせぇな」

 朱連は本で顔を隠す。

「人には寝ろ寝ろ言うくせして、自分は寝てないなんて。俺は寝てたのになー」

「それ今日限定だろ」

「まあね。……それで、何で寝られなかったのか教えてほしいんだけど」

「口が裂けても言いたくない。だめか?」

「んー……じゃあ口を裂けさす?」

 緑川はにっこりと笑うと朱連の目を一直線に見つめた。

 緑川の容赦のない視線に朱連は目を泳がせる。だが終いにはそれに耐えられなくなってポツリと話し始めた。

「じ、実は……」

「朱連、おっはよ~!!」

 大ボリュームな声が二人の空間の中に押し入ってきた。それは緑川のことをよそへ押し退け強引に部屋へと侵入する。

「っ……!」

「っておわっ! なにこの部屋の有様! ここまで酷いなんて、さすがに毎日朱連の部屋に通いつめている僕ですら見たことないよ!」

 侵入者は毎日朱連を起こしに来ている青翔晴だった。

「よ、よお青翔。あの、まあー……色々あってな」

「……青翔晴」

 先ほど青翔に押されて本棚の壁に背中をぶつけた緑川が、ゆったりと青翔の方へと歩み寄る。

「この声は緑川健二……ってなにその髪、酷いよ。櫛で梳かせば? 見っともないから。はい」

「君なんかに言われなくても後で自分のでするよ。っていうか青翔君、君はもう少し注意力を持って行動したほうがいいんじゃない。いまさ、僕のことを押し退けたよね」

「したかもしんないねー。いやー残念だなぁ、覚えてない」

「へぇ……いい度胸じゃないか。よほど死にたいようだ」

「悪いけど、君のような『顔だけ』、なんかに殺られる僕じゃないよ?」

「はぁ? それは、俺に勝ってからの方がいいんじゃない? ま、無理だと思うけどさ」

 青翔と緑川は、お互いで火花を散らせながら、二人で階段を降りて行った。

 そんな二人を見て、朱連は盛大に身体を伸ばして間の抜けた欠伸をする。

「ふぁ~あ……。どうせするっても、ただの格闘ゲームじゃねぇか、ガキ共が」

 去って行った二人を尻目に、朱連は散らかた部屋の整理を始めた。開きっぱなしだった漫画を背表紙まで丹念に整えながら整頓していく。

 そしてはたと手を止めると、外の天気に目を移した。雲の一つない快晴の空を確認して、朱連は心配そうに声を漏らした。

「青翔と……デート…………か」


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