第二十三話『何一つ変わることのない日常』
十一月の中旬ちょっとのこと。
青翔晴と茶木志緒探しで俺はとある大きな廃工場に向かい、そこでゴウと名乗る青翔のもう一つ人格と出くわした。あと志波とかいう気味の悪い餓鬼もついでに。そこで起きたことは……頭の中がごちゃごちゃしていてよく覚えていない。死にそうなぐらい冷や冷やしたことと、首を誰かに絞められた感覚は残っているけど……。
どうやら工場内で気絶したらしい俺は、星野先生の住んでいる豪邸に運ばれた。上条には脅され、先生とは一悶着して、青翔からは……。とりあえずちゃんとハウスに帰れて良かったと思う。
だけどハウスに戻って眠りから目を覚ました俺に待っていたのは、三十八度を超える高熱だった。
風邪なのに無理したからだと勝は鼻で笑われて、緑川から散々に叱られて。
そしてどういうつもりなのか、二人は結託して俺に絶対安静だからと、シェアハウスからはおろか自室から出てくることも許してくれなかった。
信じられないがあいつら、俺が動けない間に家事を分担していたらしい。
緑川が俺に飯を作ってくれていたことは知っていた。なんてったって粥が辛いからな。
でも正直言ってあの勝が家事をするなんて信じられない。滅多なこともあるんだな、鉛筆と箸より重いもの持ったことないくせに。
そうして俺が部屋にこもり風邪を治したおよそ一週間。とりあえず暇だった。
メールでもしようかと思って天と翼、新にメールを送ってみた。
天や新は気分屋だからいいとしても、翼ならなにかしら反応してくれると心待ちしていた。青翔や志緒のこと、なんでもいいから知りたかったし。
そう思っていたら、結局誰からも返信が来なかった。
……俺が何したっていうんだよ。
あの三人にそんなことされた理由も気になったし、なにより青翔や志緒のことを、俺はなに一つ知らなかった。
それが何よりの不安だった。
そうして、不安が増長した結果だろうか、どうやら俺は二階の自室の窓から外へ抜け出そうとしていたらしい。気がついたら勝に二時間に及ぶ説教を喰らわされていた。
そんな俺の状況に緑川は見るに見かねたんだろう。緑川は勝に、変な気を起こすかもしれないから余計なことを朱連に言うなと言いつけていたんだけど、緑川は説教の後に俺にこう教えてくれた。
志緒は学園へ普段と変わらずに来ているし、青翔も星野先生のところにいて、健康面に問題はないと。
それだけでも分かると、俺の肩の荷はすっと消えてなくなった感じがした。二人とも妙な事に巻き込まれたりしなければ、とりあえずそれで俺は良かったんだ。
でも一つのことが片付くと、俺の中で気がかりなことが逆に増えていった。部屋では自分一人の時間が延々と続くからなおさらに。
一つは翼のこと。
翼は自分で考えてちゃんと行動できそうな生真面目人間っぽい奴だ。端から見て問題があるようには見えないだろう。
そりゃ他人なら、それでどうでもいいだろうけど、でも俺は翼の友達だから、皆が知らない翼のことだって当然知っている。
でも翼の存在は知れば知るほどに俺の中で分からなくなっていった。
翼は新のことをどうして嫌いなのだろう。
翼はどうして甘露寺に手なんか貸すのだろうか。
翼は俺のことの何を知っていて、俺のことどう思っているんだろう。
……翼は無表情で辛辣なこと言ったりするしたまに冷たいけど、絶対に良い奴だって俺は信じている。だから危険な目になんて会ってほしくないし、上条なんかに関わらずに、できれば普通の学生でいて欲しい。
俺は翼のこと、友達だって信じているから。
もう一つはあのパーカーの少年志波を雇ったと思われる不良組織。つまりは俺にちょっかいを出して返り討ちされ続けた奴らだ。
上条は青翔――の中のゴウと言う人格――がほぼやっつけたからもう心配ないと言っていた。
でも、心配がなくなるなんてありえない。
散りぢりになった不良どもがまた再結成するかもしれないし、小規模で暴れてヨモギ町南区の治安をさらに悪くするかもしれない。
青翔のことも顔を覚えて仕返しに来るかもしれないし、志緒にまた手を出すかもしれない。
どっかの不良組織がそういう奴らをまとめてくれて、且つ大人しくしてくれるのが俺の理想だけど、そんなの不可能だと思うから……やっぱり気が抜けない。
気が抜けないと言えば、上条の言動。思い出したら寒気がする。あんな奴と学園でまた毎日のように顔を合わせなきゃならないなんて、本当に悪夢だ。
うんまあ、上条だって学園じゃ『甘露寺先生』なんだから、下手なことはしてこないだろうけどさ。にしたって嫌なものは嫌なんだよ。
あとの心配事は……新かな。翼が色々言っていたし。
でも……あれはあれで勝手にやっているし、俺にはたぶん奴の火の粉が降りかかってくることはないと思うからいいか。
一通り考えが出尽くした所で俺は自室のベッドから勢いよく立ち上がった。
今日は俺が工場に青翔達を捜索に行った日から一週間ほどたった月曜日。
風邪も完治したことだし、今日から俺は学園に行くことにしていた。
学園に行けば志緒や翼、上条……。学園の人間ならどんなに嫌な奴でも顔を合わせることになるだろう。
会うのが嫌だからって不登校になるわけにもいかないし、部屋にこもって何かが解決するわけでもない。
とりあえず、またいつもの俺の平和な日常を取り戻せればそれでいい。
……つか、勝の野郎が俺に半ば強引に軟禁まがいなことするから悪いんだよ。
俺はとにかく外の空気が恋しいんだよ。らしくねぇけど授業だって受けたいんだ。暇過ぎて死にそうだったんだよちくしょう。もう今までの平凡で単調な学園生活に素晴らしささえ感じ始めたぐらいだぞ、どうしてくれる。
(勝のヤロー……ぜってー文句言ってやる……)
俺はそう心に決め、力強く自由へのドアを開け放った。
「グッモーニング朱連! 久しぶりだね、恋しかったよ!」
ドアを開けた瞬間にハウス内では見かけない物体が、俺に覆いかぶさってきた。
とりあえず俺の日常はこんなんじゃなかったと思う。
ドアを開けた途端に、なんだか大きくて、四肢の生えた、まるで人間のような、見覚えがあるけど認めたくないモノに抱き締められている。
伸し掛かる重みに足を踏ん張らせながら、俺はこの物体がなんであるのか必死に思考を巡らせた。
とりあえず間違いなく人間だ。しかも体格的にこれはオス……じゃなくて男だ。
そいつは俺よりひとまわりほど大きな男で、頭部から生えている黒みがかった金髪が俺の鼻をくすぐっている。
特徴は耳にある青いピアスだ。
ピアスをしている知人ですら少ないのに、青いピアスだなんて……。青いピアスは青翔晴しかつけていない。
(え、こいつ青翔? 確かに声も特徴も同じ……でも「恋しかった」とかほざいていたぞコレ。いやいやいやいや。いくらなんでも青翔じゃねーべ。見間違い見間違い……)
「え、えーっと……どなた様ですか?」
「え……? なにそれ……もう僕のこと忘れちゃったの!?」
そう言って男は俺から身体を離した。そのときはっきりと男の顔が見えたけど、間違いなかった。
「青翔だよ、青翔晴! 朱連のこと大好きすぎてわざわざ昨日ここに引っ越しまでしちゃったんだよ。それなのに忘れるだなんて……」
こいつは確かに自分の事を青翔晴と言っている。確かに背格好は疑いようがない、完全にあいつだ。
俺は思わず頭を抱えた。
(……どうしよう。これが青翔だと認知したくない自分がいる)
「あー……うん、ごめん。冗談、冗談だから……だから黙っていてくれ」
とりあえずそう言ってやると分かりやすく青翔(みたいなの)の表情は明るくなった。
青翔の機嫌もだいぶよさそうだし、一旦部屋に戻って落ち着こうと一歩俺は後ろに下がった。
すると急に青翔はニコニコの笑顔で俺の右手首を握りしめて、「学校いこ!」と突如言ってきた。そしてそのまま俺を引きずるようにしながら廊下を歩き始める。
「いや、ちょっ、人の話聞けよ!」
青翔は俺の声が聞こえているのかいないのか、俺は手首を締め付ける力に引きずられるしかなかった。
リビングにいる緑川と勝は下りてきた俺たちにまるで目もくれずに格闘ゲームに没頭していた。どんなに呼んでも「んー」とかしか反応してくれない。
(あいつら後で殴ってやる……)
ソファに座る二人の後姿を俺は睨みつけながら、まだ青翔に引っ張られる。
玄関までつくと、神がかり的な早業で俺はあっという間にコートに着替えさせられていた。
ボーっとしていると、ごくごく自然な流れのように右手を青翔に握られていた。
「いってきまーす!」
青翔が特大のボリュームでそう言えば、あっという間にそこはハウスの外だった。
「っ……やっぱ、さみぃなぁ……」
久しぶりにハウスを出て初めての感想はそれだった。
部屋の中はぬっくいから特に意識してなかったけど、なるほど確かに今は冬だったな。うわーもう学校行く気なくしてきたわ。
「寒いの?」
俺の呟きに青翔は反応して振り返りまん丸な目を覗かせた。
(はぁ……強引にここまで連れてきやがって……頼むから黙っていてくんねぇかなぁ)
俺がふいと視線を逸らすと、首の周りと頬を温かな毛糸の塊が包んできた。
「あ? これ……」
それは確かに青翔のマフラーだったと思う。
「ん? マフラーだけど」
「……いらん」
「あれなんで? 寒いって言っていたのに」
「……お前が寒いだろ」
「僕?……あぁ、別に気にする必要ないって」
「いやでも、寒いからこれつけてきたんだろ?……無理すんな、俺が気ぃつかうだろ」
「だから違う。だってほら、僕はこの通り。こーんなに元気なんだし。だからさ、朱連は遠慮なくそれ使いなよ」
そう言うと青翔はワザとらしくその場で両腕を広げて大きく回って見せた。
こいつが今まで話したことのある青翔なのか、今までとはまた別の人格なのか。俺は青翔晴じゃないから分からない。
でも、屈託のない笑顔を浮かべながら、一生懸命に嘘をつく青翔。それは間違いなく俺の知っている青翔晴なんだと、その時なんとなく俺はそう感じた。
「それに大事な朱連がまた風邪ひいちゃったら嫌だしさ。風邪、治ったばかりだし」
「……は?」
「え? 僕なにか変なこと言った?」
「いや……なんでもない」
(ほんとこいつ、どういうつもりなんだ……?)
平気に好きとか大事とか言ったり、いきなり手を握ってきたり……。一々気にしている俺が馬鹿みたいだ。冗談のつもりか? だとしても恥ずかしいと思わないのか、そういうこと言って。
俺がちらっと青翔の方を向くと、青翔は顔をくしゃっと綻ばせて笑わせて見せた。
「ほら、行こう」
「あ……お、おう……」
俺は慌てて首にマフラーを巻くと、青翔と一緒に学園までの道のりを歩き始めた。
近道の路地を抜けて、商店街を通って、それは特に何の変哲もない俺の日常だった。
傍に青翔がついてきているだけで。
ヨモギ学園の前を通る大きな道路。俺たちはそこを横断すべく信号待ちをしていた。
風が積もった雪を巻き上げ、景色がほんのりと白い。空は嫌になるほどの青ばかり。遮る雲がないせいで容赦なく日差しが地に差し込み、雪に反射して、白さがちらちら目に痛かった。
ヨモギ学園のあたりにはぼちぼちと人影が現れだしている。
みんなどことなく寒そうで、肩をすくませポッケに両手を突っ込んだり、みんなで寄せ集まったりしている。
俺は信号待ちをしている間、そんな光景を眺めていた。
俺の方はマフラーのおかげ……とまでは言わないが、どうしてか寒さをあまり感じなかった。
いつものなかなか青くならない信号を気長に待っていると、青翔はふと口を開いた。
「……朱連」
「んー?」
「好きだよ」
青翔は空を眺めながらそう言った。
時の流れが遅く感じられて、前を抜けていった車の音がゆっくりはっきりと聞こえた。
青翔はいたって真面目に言う。
自分は、同じ男のはずの朱連が好きだと。
違う青翔からも同じようなことを伝えられた。どの青翔も、本気のようにそんなことを言っていた。
(心の底から思っていんのかよ、そんなこと……)
どうせ全てこいつの勘違いなんだと、俺は決めつけている筈だった。それが一番、何事もなく終わる考えだったから。
それだというのに、いまさら俺はなにを迷っているんだろうか。
どうしてだろうか。何かが、脅かされる恐怖を感じるのは。
青翔、本当にお前は自分のために精一杯頑張れている。
その一言で俺と青翔との関係が崩れ去ってしまうことさえ厭わない、自分の気持ちを大切に出来る強さ。お前は確かにそれを持っているだろう。
だけど……俺には…………。
「……そーかよ」
俺は、自分の足元を見つめながら、もう、そう笑うしかなかった。
俺は……ずっと願っていた。
何一つ変わることのない日常を。
虫のいい、小奇麗な現実を。




