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第二話『いつも通り』

 夜中に手放した意識が何処かに飛んでいたかと思えばふとした頃にそれは戻ってくる。

 目を開けるといつもの天井があった。朝の4時半、いつも通り。

 抱き締めていた大きなクマのぬいぐるみを横に退けて俺は立ち上がる。ぬいぐるみを部屋の隅の収納スペースにしまい込み、昨日読んでそのまま床に散らばせた漫画を本棚に戻す。

 長い右側の髪だけに軽くブラシを通し終えると俺は階段を降りてリビングに向かった。

 朝早くのリビングダイニングは冷えこんでいる。最近急激に寒くなったしそろそろ暖房をつけることも考えようか。

 緑川も勝も、どうせ6時半まで起きないんだから俺だけ我慢しとけばいいかと思って今まで我慢してきたけど、昨日は初雪だったし本格的に冬が来ちゃったからもうそろそろいいかな?

 ……足元が寒くて凍えそうだ。足湯があればいいのに。

 暖房のスイッチを入れると俺は台所に向かい、今日の朝食と弁当の準備を始める。

 誰もいない部屋の中で俺が料理をする音だけが妙に響いて聞こえた。

 ある程度の家事が終われば時刻は6時半だった。

 未だに降りてこない2人をそろそろ起こしに行こうか、どうせまた徹夜して寝落ちしてしまったのだろう。

 お盆に2つ、コーヒーが入ったコップを乗せて、俺は階段を上ると手始めに勝の部屋のドアを開けた。

 机に突っ伏して眠っている勝の手にはペンが握られていてた。相変わらずのお勉強にご熱心だったらしい。

 俺は勝の肩を軽く揺すった。

「勝……。まーさーるー」

「う、んんっ…………。わ、かった……しゅれん……おきる、から……」

「眠気覚ましのコーヒー置いてくから。無理すんなよ」

「んー…………わかってるー……」

 そう気の抜けた返事を勝は返して体を小さく埋めた。

 布団から毛布を引っ張り出してかけてやると、勝は少しして顔をひょっこりと出し、眠そうな目でコーヒーを飲み始めた。

 さすがにもう起きただろうし次は緑川を起こしに行こう。

 半開きのドアを開くと思った以上に眩しい光景があった。

 緑川はベッドに入りながらゲームに興じていたらしく、俺の方に気づくと笑顔で手を振ってきた。

 あまりにも酷い有様に怒りとかを通り越して呆れ果ててしまっていた。

 いつものことなのだ、この男が寝ずにゲームをしているのは。こいつ、勉強はいつしているのだろうか。毎回テストで学年二位の勝に謝るべきだ、あんなに頑張ってるのに。

 俺は一度お盆を机に置くと緑川の被った布団を奪い取った。

「いつ起きたんだ?」

「え、寝てないけど?」

「……寝ろ! このゲーム中毒者!」

「酷いなぁ……。3日前には寝たよ、2時間」

「お前いつか体壊すから! もうこれ没収するぞ!」

 俺が強引にゲームを取り上げると、緑川は機敏な反応で起き上がった。

 大好きなオモチャを取り上げられた子供そのものの表情を浮かべた緑川。

 奪い返そうとする手をかわして軽く肩を叩く。

「お願いだから5時間は寝てくれ。今日はゲーム禁止だからな」

「えー、朱連のケチ。まあいいや、コーヒー頂戴」

「ん」

 あくまでゲームを取られまいと警戒しながら俺は緑川にお盆を突き出した。

 緑川はコップを取るとベッドに座ってコーヒーを飲み始める。

 こういうときに意外と素直に言うことを聞いてくれて助かる。

「飯はできてるから降りてこいよ」

「分かったー」

 ゲームは後で部屋にしまっておこう。俺はリビングに降りると食事の準備を始めた。




 やっぱりなかなか降りてこない2人をリビングに引きずりおろして俺は朝食を食べ始めた。

「今日は出るの誰が最後だ?」

「俺。ギリギリで出るから俺が戸締りでいいよ」

「朱連、今日は一緒に学校行こうよ。ゲームできないから暇だし」

「お前いつの間にか女率いてるからヤダ」

「じゃあ勝手について行くよ」

「あっそ」

 軽口をたたき合いながら、テレビを見ながら。朝食を済ませて食器を洗い終えるとさっさと服を制服に着替える。リビングに行くとそこにはすでに緑川がいて、俺を待っていたようだった。

「いこっか、朱連」

「だな。行ってきます」

「行ってきまーす」

「あー、行ってらっしゃーい……」

 勝に見送られて俺たちはハウスを出た。防寒具をつけてなかったから首元が寒く、肩をすくめる。小さく身震いをして息を吐くとそれは白い霧となって空に消えた。

 寒さに縮こまっていると、首になにやら暖かいものが巻き付いてきた。

 首を包む紅色のシンプルなマフラーには見覚えがある。俺は緑川の方を振り向いた。

「朱連にはやっぱり赤が似合うね」

「…………そりゃあどうも……」

 俺はマフラーを軽く手で触ってまた前を向いた。マフラーをつけただけなのに、なんだかすごく温かかった。

 マフラーを綺麗に巻きなおすと耳までふんわりと温もりが感じられる。マフラーで隠れて笑みを零した。

 しばらく歩いていると公園の前を横切ったところで前方に女たちの群れが見えた。嫌な予感がして歩く足を遅くしたが無駄だった。今度は後方から上級生の女の先輩が近づいている。

「どうかした、朱連?」

「別に」

 半ば諦め気味で大きなため息をつくと、マフラーを解いて緑川に押し付ける。それを取り逃がして緑川は慌てて拾い上げていたけど俺は待たなかった。再び1人で歩き始める。

「え? 朱連、なんでっ……」

「あ、緑川君! おはよ、今日は早いんだね」

「おはよう健二君!」

「ねえー聞いてよ緑川ー! 私ね、昨日ねー!」

「…………」

 緑川を囲って各々の言いたいことを次々に発するやかましい女たち。また同じパターンだ。うんざりする、前から変わらないこの光景。場違いな俺は早足で歩き、後ろを振り返ることなく校舎へ向かった。

 今日はとても寒い。チラチラと雪は降り始める。




 クラスに行くとそこには十六夜がいた。朝早く学校に来るのはこいつの場合珍しい。なんだか熱心に携帯を見ているようだ。

 俺が気になって画面を覗こうとすると、すぐさまそれを察知した十六夜に殴られそうになり、すれすれで拳をかわした。

 いきなり殴ってくるだなんて、もやしのこいつにしては驚きだな。

 避けはしたけど別に当たっても痛くなかっただろう。

 俺が冷静だったのに対して予想以上に取り乱している十六夜は思いのほか面白かった。キッとした目で睨みつけられても怖くない。少し余裕を持って話しかける。

「なんだよ、朝早くからやけに暴力的だな」

「お、おまっ……お前が、なに、勝手に覗こうなんて……!」

「いやお前が熱心に画面見てたからなんだろなーって思って」

「プライバシーの侵害だ!」

 まだ食って掛かろうとする十六夜は席を乱暴に立ち上がって俺の胸ぐらを掴もうとしたけど、俺は軽くかわした。

 さすがに今まで見たことのないほど取り乱した十六夜に俺は軽く引いていた。嫌味とか言う気も起きない。

「えっと、まあ俺が悪かったって……。だから吠えるな、いい子だからそこでお座りしてろ」

「…………」

 今にでも噛みつかんばかりに全身の毛を逆立てる様子はまさに犬。心なしか首に掛かっている赤いペンダントが首輪に見える。

 けどまあ……なんだかこれ以上関わっていたら本当に噛まれる気がした。

 そそくさと十六夜のそばを離れようとすると、不意に誰かに腕を掴まれて引き戻されてしまう。

 驚いて振り向くといつの間にか十六夜の横には新が座っていた。

「おっはよー、朱連ちゃん。こんなに朝早いなんて珍しいじゃん」

「えっと、あー……おはよう……」

 自分でも笑顔が引きつっているのが分かる。新は本当に最高のタイミングで邪魔しにくるのが得意だなちくしょう。俺がここから離れたいと分かっているならさっさとその手を放せ。

 俺の心境を知ってか知らずか、新は含みを持った笑みを浮かべている。

「まあそこらへんに座りなよ」

「いや俺は……」

「遠慮しなくていいから」

 俺はなんとか新の腕を振り解こうとするが思った以上に力が強くて戸惑った。

 身長や体格的にも俺は小柄な方だからこういった力勝負だけならめっぽう弱い。

 なかなかその場から逃げられず、仕方がないから大人しく座ろうかと考えていると、俺の腕を掴む新の手を誰かが覆った。その瞬間に腕の拘束は嘘のように解けていた。

「ごめんね、朱連が困ってるから」

「……なぁに、気にしてないよ、転校生君」

 新の手を持っていたのは青翔だった。青翔はお人好しそうな目で俺の方を見ている……けど、手を掴まれている新の表情は穏やかじゃない。静かな緊張感が肌を刺激して体が動かない、青翔を見つめ返すしかない。優しげな瞳がそこにはる。でも……

「おはよう朱連。……? ボーっとして、何かあった?」

「え…………あ、何も、なにも……ない。……おはよう、青翔」

「うん」

 青翔は心の奥底から嬉しさが溢れ出した笑顔で頷くと固まる俺の腕を掴んだ。体がビクッと反応した。何故だか分からないけど、怖かった。

 目の前の青翔という男が昨日とは別の、顔だけ同じで、違う、なんだか違和感が、こんな奴だったけ、あれ、なんだろう、俺の気のせい、こいつは誰……?

「席に座ろうよ、ボケッとしてないでさ」

「え、うん……」

 青翔に引っ張られ、俺は自分の席に座った。頭の中に漂う霧が晴れぬままに、チラッとそれを見るたびに濃くなっていく疑心。

 耳に言葉が入ってこなかった。ただ、こんな不安はなかったことにしようと、そうすることにした。

 昨日のことは思い出さない、それでいい、これが正解だから。大丈夫、普段通りやればいいよ。

 上西朱連はごくごく自然に笑った、いつも通り。隅にある気持ちは積もっていたとしても、それは見えないように。それが、いつも通り。


 新は立ち上がると十六夜に振り返った。そこにある、無機物のように存在する目玉が自分のことを覗き込んでいるのを確認する。笑顔に含みを持たせ、飴に歯を立てた。

「なあ、屋上へ行こうか」

 十六夜の目が電源を入れられた機械のように、瞬く、瞬く。遅れて、十六夜は本当に楽しそうに笑う、楽しくて楽しくて仕方がないと。

 そして、それは新も同じ。新は2人を見つめていた。やっぱりいつもの通りに笑っていた。


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