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第十六話『夕焼け』

【過激な表現アリ】

 苦しい、首が誰かに締め付けられているかのように息苦しい。

 脳裏に初めて死を感じたあの時の記憶が滲む。それと同時に人の手首に爪を立てた時の名残、生々しい肉の感触が、溢れた血の温もりが蘇った。

 奴の身体が動くたびに顔を隠していたフードが揺れた。切れ味の悪い刃物で乱暴に肉を削がれたような、骨まで見える悍ましい、奴の顔がチラつく。奴の真っ暗で、闇のように窪んだ二つの穴を俺は睨みつけた。

 まるで死神のような奴の風貌にヒンヤリと汗が滲んだ。意識が遠のき、頭の中がボンヤリと霞んでいく。

 視界がノイズのように歪み、悲鳴のような耳鳴りが頭の中に侵入していった。

 それに混じって、徐々に違う音が現れていく

 闇に反響して、糞餓鬼の小馬鹿にしたわらい声が聞こえる。女のひそひそ話がはっきり耳に届く。男の怒鳴り声が降りかかる。そこかしこに誰かの視線が、俺に突き刺さっている。

 俺を憐れんでいる、

 俺を嘲笑ちょうしょうしている、

 俺を軽蔑けいべつしている、

 俺を隔離している、

 俺を殺そうとしている、

 俺を壊そうとしている、

 俺を…………。

 俺を腫物の扱いして、関わろうとしない大人たち。身勝手に、言葉を巻き散らす、周りの子供。どんなに信じてみても、最後には俺を裏切る人間。

――そんな奴、いなくなればいい。全部壊してしまえばいい。俺を理解してくれないのなら、初めから、気に入らないモノは全部、壊せ。

 俺をそんな目で見るな、可哀想かわいそうだなんて言うな。じゃあどうすればいいんだ、教えてくれよ。

 俺は何をすれば可哀想じゃなくなるんだ。

 黙ってないで、見てないで、答えてくれ。

 声にならない言葉が掠れた息となって喉ものと通り過ぎて闇に溶ける。闇に現れた大きな鉄の塊が振り上げられる残像。

 視線と声がより一層、俺の死を悦ぶかのように大きくなった。

 薄く目を閉じて、手の力を抜き落とす。一筋の温もりが目から溢れて落ちた。

 誰でもいいから、俺に道を示してくれたら……俺は、それで……良かったのに。

 腹に叩き付けられた容赦のないリアルな衝撃に、俺は目をひん剥いて声をあげた。


「かはっ! がっ、うげぇ……! い、ってぇ!」

 本物の痛みに目を覚まして飛び起きれば、そこはハウスのソファの上だった。どうやらみぞおちに一発、情けのないかかと落としを喰らわせた人物がいたらしい。

 目を泳がせると隣に勝が仁王立ちして俺を見下ろしていた。犯人はこいつ以外いねぇ。

「なにしやがる、おいっ……!」

 刺すような痛みはなかなか引かず、動けない。俺の言葉だけの応戦に、勝は鼻で笑った。

「朱連が凄くうなされていて、しきりに首を触っていたから可哀相だなって思って」

 首……。そういえば、誰かに首を絞められた夢を見てたんだっけか。

 未だに誰かが首を触れているような錯覚を感じて、俺は思わず自分の首元に手を置いた。

「そりゃどうも……おかげで寝起きは最悪だ。頼むからもっと丁寧に起こしてくれよ」

「あれぐらいしないと朱連は何時も起きないじゃん。あぁでも、ちょっと強すぎたかな、ごめんね。お詫びに俺が紅茶でも淹れてあげるよ」

 すらすらと謝罪の言葉を、とりわけ悪びれた様子もなく言ってのける勝に何も言えなくなった。

 しかも、ご丁寧に可愛らしくウインクまで決めてくる。ここまでいくと怒ろうとした俺の気分も削がれるというものだ。

 これ以上言葉で何か言っても容易にかわしていくだろう。

 それにまあ、勝の淹れた紅茶は絶品だから、それを飲みたくなったという理由が無きにしもあらず……。

「それなら……ま、まあいいけど……って、そうじゃない! おい勝、青翔は何処だ!」

「ん?……あぁ、彼なら外に出かけたよ。何やら用事があるらしくてね」

 用事……間違いなく志緒の捜索のことだ。確かに志緒のことは心配なんだけど、青翔自体あまり外に放り出すには危うい事情を抱えている。なにか問題が起きてからでは遅い。二人とも危険になるのは避けたかった。その為にはとりあえず、青翔だけでも見つけ出さないと……。

「そんなら、早く探さないといけないな……」

「あ、だめダメ駄目。朱連はそこで大人しくしていてもらわないと。俺が怒られちゃうだろ」

「……え?」

 思わぬ勝の言葉に俺は多少なりとも苛立ちを覚えた。俺の気持ちを無視して、頭ごなしにダメだからと言われても俺は全く納得できない。無意識に語気が荒々しく尖った。

「はぁ? いったい、誰に怒られるって言うんだ?」

 俺の言葉に勝は眉を寄せて、既に出来上がっていた紅茶に口を付けた。一呼吸を置いてそれを飲み込むと、紅茶のカップの中を覗き込みながら、なにやら難しい顔をする。

「あー、うん……緑川とかだよ。風邪ひいているのに無暗に君を外に出す性格じゃないからね、彼は」

 またこいつに誤魔化されている気がした。嘘を吐くのが下手なのか、それともこれも演技なのか。とりあえず、勝が言葉にした通りの理由で俺を引き留めている訳じゃなさそうだ。

 俺は試しに揺さぶりをかけにいくことにした。勝相手にこんなことをするのは無意味だとは思えたけれど。

「本当のことを話せ。なんで俺を止める」

「何故……? そうだなぁ、他に言うとすれば、青翔晴は、君が危険を冒してまで救う相手じゃないってことかな」

 目を閉じて優雅に紅茶の香りを楽しむ勝は、俺を相手にしてないと言った態度だった。

 また他人の名前を出す。これが自分の意見だと、俺に決して言ってこない。思い返せばいつもそうだった気がする。

 俺は全身に痛みを引きずった体を持ち上げて立ち上がった。こちらに目もくれない勝の顔を俺だけが見つめる。

「なあ勝。俺は他人がどうとか、そういうことを問題にしているわけじゃないんだ。……お前自身が、どう思っているのか……。それを、お前の口から聞きたい」

「へ……へぇ。そうなんだ……」

 それはなんとか言葉に出来た言えるほどのか細い声で、勝は明らかな動揺の色を示していた。

 小刻みに揺れた手によって接触した食器が鳴る。

 伏し目がちに目を閉じて俺を見つめる勝の表情がはかなげに映った。いつもの威厳を感じる、自信が溢れた声じゃない。まるで怖がる子供のようだった。

「……それを言ったら、君はここにいてくれるのかい? 俺の言うことを……聞くの?」

「……俺は――」

 ……この際、どうだっていい、こいつの本心を聞きたい。青翔を探す用なら他に回そう。

 今俺は、こいつの態度が気に食わないんだ。こんなチャンス、もう来ないかもしれないんだから。

「――いいだろう。聴いてやる」

 喜悦きえつの息遣いが勝の表情を大きく揺るがした。泳ぐ大きな瞳がしきりに俺の方を向いては逸らす。

 やはり、俺がそういう答えを出すということを予測していなかったように思える。

 本当に話してくれるのだろうかと疑ったが、勝は意を決して口を開けた。

「……俺はね、朱連のこと大切に思っているよ。だから、危険な目に合わせたくないんだ。数少ない俺の友達だし、大切な人を失うのは、誰だって怖いじゃないか」

「勝……? お前…………」

 今の言葉、まさかとは思うけど……。

 その疑問に勝は無視を決め込むどころか、早口でまくし立てるような言葉で俺の発言を封じた。

「さて、俺の言う通りにここで待っていてくれるよね。それでは朱連、早くその風邪が治るように、頑張って休息をとってくれたまえ。はい、座った座った」

「うわっ、ちょっ……!」

 俺の下まで来れば勝が無理矢理俺をソファの上へと座らせようとする。身体を押されて俺はソファの上になだれ込んだ。

 つーか別にわざわざソファの上で寝させる理由はなんだ。休息を取るなら俺の部屋でいいんじゃないか?

 そうこうしている内に、ガラスのミニテーブルの上に淹れたての紅茶が置かれた。

「これ、紅茶ね。飲み終わったらテーブルの上に置いておけば後で特別に洗ってあげるよ。じゃあ俺は勉強してくるから」

 そう言って勝は紅茶を片付けると早足に階段の方へと逃げていく。ようやく途切れた勝の言葉に俺は思わず声をあげた。

「勝!」

 間違いなく俺の声は聞こえている。なのに勝は足を止めようとしなかった。駆け上がってく音を聞きながら、俺は一人、孤独感を覚えていた。

 その時、天井の方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。驚いて上を見てみれば二階の吹き抜けから勝がこちらを見下ろしている。

「俺のこんな本心を聞けたのは今まで君しかいない。せいぜい頑張ってくれ。期待している」

 それだけまた一方的に告げると、勝は自室へと戻って行ってしまった。

「……あ、あぁ……」

 勝の勢いに完全に圧倒されてしまった。勝はもう見えなくなったのに、俺はアホらしくそうアホらしく呟いていた、

 なんだか、あのしおらしかった勝は本物だったのだろうかと思えてしまう。

 だけど、勝の思いは多分、本当だったのだろう。でも勝が勇気を振り絞って行ってくれたんだ、信じてやらねばならない。

――期待している。

 俺はその言葉だけで、妙に満足してしまっていた。


 さて……。勝と約束をしてしまった手前、外に出ての青翔捜索は出来なくなってしまった。

 こうなったもう俺以外、外部の手を借りると言う形になるのだが、そういったことで適任な人材はいま暇をしているだろうか。

 というか、俺の電話に出くれる気持ちはあるのか、それすら不透明だ。

 たった一日で俺の周りで色々あったせいで薄れていたが、翼との衝突からまだ一日しか経ってない。それ以後の関係修復のきざしもない。翼からのお見舞いのメールは来るには来たけれど、相変わらず堅苦しい形式メールだったのを覚えている。

 出てくれよ翼……。お前しかいないんだよ、いま俺が頼れるのは……。

 目を強く瞑り、翼が出てくれることを願う。電話の呼出音が途切れるタイミングを待ちわびた。

 十何回目。

 さすがに出てくれないなと諦めて耳に近づけていた携帯を離して電話を切ろうとボタンに指をかざす。

 出てくれるわけがない。だって俺、知らない間に翼を傷つけていたんだもんな……。俺みたいな奴、翼の友達であるはずがなかった。

 躊躇ためらいを感じながら最後の一押しを決めようとした一瞬、画面の表示が通話状態に切り替わった。

「…………う、そ」

 無意識に言葉が漏れる。その画面を見て、自分が何をすべきなのか分からなくなってしまった。

 本当に、翼が出てくれたのか……? もしかしたら俺は別の人に掛けたのかもしれない。だって翼が俺と口を利いてくれるなんてそんな……。

 そんな風に変に身構えてしまった俺に、翼の声をして、俺の名前を呼びかける言葉が届いてきた。

 また思わず声が小さく出てしまう。身体中がゾクゾクと、鳥肌が立って胸が熱くなった。

 俺は恐る恐る携帯を耳元に近づけ、数度口をパクパクとさせた後に言葉を発した。

「あ、あの……翼、だよな?」

 それが俺の精一杯の言葉であった。

 それに反して電話の向こう側はいたって普通の、いや真逆、えらく冷静沈着だった。

『そうだけど、なに』

「俺、その……」

『……朱連、深呼吸』

「え、あ……うん……」

 俺はとりあえず翼に言われるがままに大きく深呼吸をしてみた。それだけで俺の緊張感が完全に解れたわけではないけれど、まともに言葉が話せるようにはなったみたい。

「翼、俺の頼まれごとを聞いてくれないか?!」

 これ以上の沈黙が続くことが怖くて、思わず勢いだけで言ってしまった。その俺の発言に携帯の向こうの翼が黙りこくってしまう。再来した沈黙。

 ど、どうしよう。相手の都合だとか、前置きとか……。ヤバい、完璧に段取りを間違えた……。こ、これ以上なんて、言えば……。

 頭の中がゴチャゴチャで、秒針が静かに時を刻むたびにそれが加速していく。携帯を握っている手の平に滲む汗が気持ち悪くなる。

『朱連が……俺たちに、頼み』

「いや、上条達じゃなくて、お前! 翼だけに頼みたいんだよ」

『それは……俺だけに』

「え!?……う、うん、そうだよ」

『……内容は』

 翼の言葉に、思わず自分の耳を疑った。話しの流れを遮り、遠慮がちに俺は聞いてみる。

「頼み、聞いてくれるのか……?」

『そうじゃないと内容まで聞かないと思うんだけど』

「あ、はい。そうですよね」

『急ぎなら手短に』

 嬉しいと思うよりも先に話題を変えられてその隙を見失う。翼がこの前の件を全く引きずっていないことに安堵あんどして、とりあえずは肩の力を抜いた。頭の中もだいぶ落ち着いてきたし、俺はゆっくりと話し始めた。

「あー……青翔晴と、茶木志緒の捜索をお前に頼みたいんだ」

『そう』

「俺は訳があってハウスから出られなくてな。事が事だし、お前しか頼める奴がいないんだ……」

『あぁそう分かった』

「……本当に引き受けてくれるのか?」

『別に構わないけど。俺、今すぐそっちの町に向かう。見つけ次第連絡するから』

「えっ……あ、あぁ。……あの、翼っ!」

 切られそうな繋がりに俺は無理やり入り込んだ。

『なに』

「……ありがとう」

 数秒の感覚を置いて翼が話し出す。その声はいつもとは違ってひとかけらの感情を感じられた。

『……朱連に、礼を言われる程のことじゃないから気にしないで。じゃあお大事に』

 通話が切られて無音の世界が還ってくる。携帯を握ったまま俺は、大きな窓に広がった焼きつくオレンジの空を見つめて呟いた。

「翼、期待してるぞ……」

 今日の夕焼け雲は一層に赤く広がっていた。

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