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第十三話『青翔晴という存在』

 青翔を抱きしめてみれば、その体は非常に冷えていた。

 どれだけ長い時間ここで一、人俺を待っていたのかと考えるだけで胸が締め付けられる。

 早急に何処か屋内で暖房施設が整った場所に行きたかったが、良い場所が思いつかなかった。

 あいにく金なんて一銭も持ち合わせていない。カフェに寄るとか、そんなこと不可能だ。

 始めは駅の構内にでも行こうかと思っていた。だがこれから青翔と話すであろうことはとても重要なことだ。誰かの耳に入りかねない公共施設の利用は諦めることにした。

 できれば何処か静かで閉鎖された空間がいい。

 そう考えた結果に導き出された答えが俺の住んでいるシェアハウス。

 これから行く場所のことを青翔に伝え、立ち上がってもらった。とりあえずハウスに向かおうと一歩、足を前に出した。

 なんてこともない。ただ普通に足を前に、歩く為に出しただけだったというのに。まるで足元に張っていた薄氷が音もなく割れてしまったかのような……腑抜けて崩れ落ちる自分の脚。

 一瞬、本気で自分がそのまま崖から落下してしまうかのような浮遊感を覚えた。

 サッと頭から首筋を伝達する冷気。

 気がつけば、俺はその場に跪いていた。

 そして、自分の身体が地面に接触している当り前に、アホみたいにホッとしていた自分がいる。

 青翔は慌てて俺のもとに駆け寄り肩に手を置くと、何度か俺の名前を呼んだ。その声に惚けていた意識を引き締める。

 氷に額を触れられているような感覚が未だに残っていた。

 青翔が眉を潜めて俺を見つめている。

 その瞳の色は優しげだった。

「朱連さん?……顔が赤いようですけど、調子でも悪いんですか?」

 その言葉にゆるく頷くと、俺は両手で青翔の服を掴んだ。何度となく腕や体に力を籠めて立とうとしたが、一向に体は自分の言うことを聞かない。

 最後には諦めてヘロヘロと尻をついて座り込んでしまった。

 下唇を噛み締めて地面に残る自分の雫の点々とした跡を見つめる。青翔の服を握っていた手に力を込めて覇気のない声で口ごもった。

「立てない」

「え?……手伝います、手を握ってください」

 伸ばされた両手をすがりつくように掴むと腕に力を入れる。引っ張られた勢いで立ち上がることに成功すれば、身体に纏わりついた雪をほろった。

 再度歩みを再開しようかと思ったが、先ほど無残にも転んだ自分の情けなさを思い出し一歩が踏み出せなくなる。

 俺は青翔に向き直ると頭をさげた。

「ごめん、青翔……。ハウスまで、ちょっと、肩かして……」


 二度にもわたる要求に青翔は戸惑いながらも快く了承してくれた。

 ここまでずっと走って青翔を捜索してきたツケが、今頃になって回ってきたらしい。

 体力の消耗が激し過ぎて歩くこと、立ち上がることすら苦行になっていた。

 だから青翔に担ぎ上げてもらっている自分がとても情けなく思え、青翔に面目が立たなかった。今現在、物凄い迷惑をかけていることだろう。

 肩をかしてもらった間際。恥ずかしくてあまりにも消えいりそうな声でお礼を言ったものだから、それが青翔に伝わったのかも分からない。

「ですがどうしてそんな状況で外に出てきたりなんてしたんですか? あ……僕の……せいですね。すみません」

「いやいいんだ。こっちこそすまん」

 折角青翔を助けに来たつもりだったのに、こっちが助けてもらうことになるなんて。本当に俺って言う奴は……格好つかない。

 俺は肩をがっくりと落として、深い息をマスクの中で充満させた。

「歩きますから」

「……お、おう」

 遠慮深く引きずられる半身に合わせて地面につけた足を這わせて動かす。幸い土だらけに敷き詰められた公園に氷はなかった。

 スタートはカメの歩み並みに恐ろしく遅くて動きも危なっかしかったが、時間の経過が慣れを生んでくれた。

 そうやってやっとのことで公園から出ると、道に沿って歩みを進めていく。

 ブラックアイスバーンの道路に足をつけていくのは恐ろしかった。何度か足を取られてその度に青翔の身体に助けられた。進行速度は既に振り出しに戻っていた。

 遠目にぼんやりと見慣れた制服の色が点在していた。きっとうちの生徒だ。

 もしかしたら今日は土曜日だったか。午前の授業を終えた奴らが居残った後で、帰宅途中だったりするのかもしれない。

 ひとたびの疾風が体を襲うために今にでも崩れてしまいそうな衝撃を受けた。忙しなく息をマスクに吐きつけて隣に身体を預ける。

 徐々に太陽の光が雲間から見え始めている。

 足首まで絡みつくふんわりとした水っぽい重みに足を取られ続けていた。踏み潰した踵から入り込んだ水雪が指を凍結させる。

 沸騰しそうなほどに脳が煮立ってめまいがした。

 ぼんやりとした冬の世界が爽快な青空の下に果てしなく広がる。目に刺ささってくる放出された輝きに深く目を閉じた。

 この状況を見られて、他人からどう思われるかなんてことをわざわざ気にする思考回路が今の自分にはなかった。それ故に俺は目の前に迫っていた知人の存在に気づくことが出来なかった。

 急に歩みを止めた青翔が霧のような声で呟いた。何となく聞こえただけで、内容自体は分からない。

「朱連さん……」

「ん……? なんだ」

「あ、の……」

 俺は目を固く閉じたまま続きを促すが、どうにも青翔の言葉は歯切れが悪かった。いくら待とうが青翔は決定的なことを話さず、俺は投げやりなため息を吐いた。

「だからどうしたんだよ青翔……」

「何してるの」

「えっ?」

 どこかで聞き覚えのある声に怒気が混じったものが聞こえてきて、俺は目をゆっくりと開けた。目の前にいたのは見紛うことなき、深緑色のマフラーの持ち主。

「みどり、かわ……」

 傍らにいる小動物のような女子生徒も、俺のよく知る人物だった。志緒は俺と目線が交わると礼儀正しく一礼をした。

 緑川は険しい表情で青翔の方を睨む。

「何をしているのかって聞いてるんだけど。……ねえ、朱連は風邪ひいてるから安静にしてなくちゃいけないのに、なんで君なんかが朱連と一緒なの?」

 いつにもなく、緑川はハッキリと怒っていた。常に笑顔で、好青年という印象を欠かさないこいつが、他人には滅多に見せない本当の感情を露わにしている。

 思いがけない事態に頭が真っ白になった。

 少しだけ、寒気を感じる。

 青翔は俺の腰に置いた手にそっと力を入れて自分のところへと引き寄せる。

 俺の反応とは対照的に、青翔の態度は不思議な程にどっしりと構えていた。

 見上げた青翔の引き締まった表情。前髪から覗く黒曜石の瞳が獣を纏って尖る。

「すみません。僕が我が儘を言ってしまったばかりに、朱連さんの身体に負担をかけてしまいました」

「……とりあえず、朱連は僕が責任を持ってハウスに連れて帰るから。君は家に帰りなよ」

「いえ、それは無理です」

 青翔は即答した。緑川はその素早過ぎる回答に一瞬言葉を詰まらせるがすぐに調子を取り戻す。両腕を組むと口をさらにへの字に曲げて応戦した。

「その理由は」

 意義のはっきりとした単純な質疑に青翔は黙する。

 青翔の肌から伝わる緊張感だけで、自分が押し潰されそうで。咳一つ。その存在すら許されない、そんな糸が張り巡らされて息が詰まる。

「理由は――」

 横から細く息が吸い込まれる音がしたかと思えば黙視の時が再び動き始めた。

「朱連さんには、僕がハルの為に伝えなくてはならない事実があります。それを告げるまで、僕は朱連さんの隣を離れるわけにはいかないんです。なので、貴方の要望を却下します」

 青翔の声で、これほどまでに他人行儀に突きつけられる言葉は初めてだ。

 これは、薄々感じていたことなのだが……。この男はついさっき俺が東屋の軒下で会った青翔とは、決定的に違う。あの時の青翔が、こんなにも堂々と緑川の前で言葉を発せられるとは思えない。

 わざわざこの疑問をまとめる必要はないほどに、俺の回答は頭の中にあった。きっと、青翔は…………。

「却下、ね……」

 緑川は目を細めるとゆるゆると頭を振った。次に陰に満ちた表情で俺を見つめ、瞳をいったん閉じると白い霧を細く長く吐き出す。まん丸に輝く冷たい二つの宝石が瞬いた。

「朱連に怪我まで負わせておきながら何をのうのうと言っているか知らないけど、これ以上朱連に害を与えるのなら許さないから」

 両者が譲り合う余地を感じさせない、まさに水掛け論の状況。静かに敵視の視線がぶつかり合う。

 俺が何とかしないと、俺が原因みたいなものだから……。

「な、なあ!」

 ようやく俺はそこで声をあげることができた。

 あまりにも大きすぎたひと声に、全員の視線は一斉に俺へと向けられる。少し戸惑いながらも遠慮がちに口をあけた。

「俺のこと差し置いて、あまり……勝手に話を進めるなよ」

「朱連……。安静にしていておいてねって言ったじゃない。早く家に帰って休もう」

 そう言って伸ばされた手から顔を背けて拳を握りしめた。

 自分が今、一番やるべきことを何度も思い出す。俺がここに来たのは、青翔を助けようと思っていたからに他ならない。

 緑川が俺のことを本当に心配してくれている気持ちは痛いほど伝わってくる。だけど……。

「いや……ごめん、緑川。心配してくれるのは、本当にありがたいけど……。青翔のことの方が、重要、なんだ」

 意識の端に捕らえた、凍えた手を温めるかのような大きな吐息が白く広がる。次にはいつもの笑顔があった。やんわりと目を細めると口元をマフラーに沈める。

「……うん、分かってたよ。ちょっと意地悪したかっただけだから、気にしないで。……志緒」

 俺は明後日の方向を向けていた顔を志緒の方へと動かした。名を呼ばれて小さな体が携帯電話を両手で握りしめたまま跳ね上がる。

「は、はい」

「タクシーは?」

「言われた通りに……もう呼んでいます」

 オドオドとした言葉と同時に、タクシーが俺たちの横で停止する。それを見て緑川は満足そうに頷いた。

「そ。じゃあ君たち二人、短い距離だけど乗ってもらおうか。その様じゃハウスまで歩いたら日が暮れちゃうからね。志緒、君もハウスまで来てほしいんだ。助手席で構わないかい?」

「大丈夫です」

「ありがとう」

 都合よく現れたタクシーに緑川と志緒は乗り込んでいく。

 頭の中で先ほどの二人の会話と表情とが混ざり合う。直感に似た違和感が思考を惑わしていた。

「朱連さん……?」

 惑うばかりに足を止めて静止してしまった俺を青翔が覗き込んでいた。

 しばらく、睫毛が不思議そうに柔らかく揺れ動くのを見つめる。意識を違うところへ持っていくことによって頭の中にあった疑惑を、小骨の引っ掛かりと同程度のものとして忘れ去ることにした。

「……いや、気にするな。さっさと乗ろう」

 俺は青翔に支えてもらいながらタクシーの後部座席に乗り込む。次に青翔が入ってきてドアを閉めた。

 既に行先は把握済みなのだろうか。前触れもなくタクシーは急発進をすると、険しい冬の坂道を登っていった。人の出歩く様子のない殺伐とした駅前の通りを走り抜け、住宅街へ侵入する。

 ここまで空っぽだと、まるで世界に自分たちだけが取り残された気分だ。

 近所迷惑なガキ共が雪合戦をしながら遊びまわる景色は、俺の地元なら馴染みの光景だった。

 だけどこの澄みきった青空の下に輝く宝石のような世界には、人の息遣いの一つも存在しない。

 皆、暴力事件を恐れているのだ。

 町民を不安に陥れるのは正体の掴めない犯人だけじゃない。

 やられた側の不良組織の奴らだって黙っているほど賢明な御判断は不可能だろう。苛立ちを覚えた荒くれ者が何をしでかすかなんて、神様だって分からない。

 ……根本的な原因を引き起こしたのは、間違いなく俺だ。

 巻き込まれたことに俺も楽しんでいたにせよ、多くの人に迷惑を掛けた。良心だってあるから、申し訳ないという気持ちだってある。

 ……でも、後悔はしていない。俺は、俺の目的のためにならいくらでも……。

 俺は助手席に座る志緒の横顔を視界の隅に映して眉間にシワを寄せた。胸の奥でざっくりと針が暴れる。

 荒っぽくブレーキが踏まれ、体が前に勢いづいて傾いた。霜がかった窓に手を置いてそれを拭い去る。『シェアハウス 平和』と書かれた板を抱えてそびえ立つ一軒家が、俺たちを出迎えをしてくれていた。


 ハウスに入るなり青翔は何の前触れもなく俺の手首を掴んできた。ずんずんと中へと踏み入った青翔の表情はうかがい知れない。

 何度も名前を呼び放すように言ってみたが、こちらの方にまるっきり関心を向けようとはしなかった。

「部屋は二階にあるよね」

「あ、あぁ……」

 あまりにも強引で妙な行動に戸惑いながらも俺は頷く。その返答と同時に青翔は動き始めた。

 半端ではない引力に身体を半分持って行かれそうになる。右腕の痛みを感じて小走りに青翔の動きについていった。

 ロングコートが邪魔をして青翔の階段を上る速さについていけなかった。足の表を段差の壁に強くぶつけて俺は体制を崩してしまう。俺が伏したのは幸いなことに、二階の冷えたフローリングの上。

 ギリギリ間に合ってよかった。青翔のあの勢いなら階段の途中で倒れようが引きずりかねない。

「朱連の部屋は……どこ?」

 俺が転んだことはあまり気にも留めずに青翔は辺りを見回しながら聞いてきた。コの字型に吹き抜けを取り囲むように置かれた部屋の扉がある。

 俺は壁に手をつけながらなんとか起き上がった。

 少しはこっちの心配もしてほしかった……。

 息を切らせながら返答する。

「右曲がって、突き当り……」

「そうか、ありがとう」

 特別なねぎらいの言葉もかけずに青翔は俺の手首を掴んだまま急発進。

 鍵を掛け忘れた自室に放り込まれれば急に手首の枷が解放された。

 生まれた加速で体が大きく後ろへと後退する。散らかしたまま放置していた漫画に足を取られて盛大にすっ転んだ。

 ……また、違う青翔だった。

 中から直接錠がかけられる乾いた金属音が響く。

 扉の前で立ち竦んでいる青翔は顔を俯かせて表情をあまり見せようとしなかった。

 俺がなにか声を掛けようとしたところでそれを青翔が遮る。喉仏がゆっくりと往来して、言葉が発せられた。

「朱連さん。もう気づいていますよね……僕のこと」

 前髪から微かに覗いた揺れ動く瞳を見つめながら、俺は新鮮な空気を気持ち一杯に吸い込んだ。冷気で肺を満たせば静電気のように素肌で弾ける雰囲気を感じる。

 溜め込んだ空気の割合には到底釣り合わない声量で、俺は核心を突いた。

「青翔。お前……多重人格者、なのか……?」


 張り裂けそうな沈黙の嵐がその場を吹き抜けて行った。

 俺はただただ青翔の表情を食い入るように見つめる。

 一定速に鈍重な歯車が動く機械音がその場の時を刻み続けた。何度目かのその時、慎重に青翔が俺の方へと顔を向ける。

「僕ですら核心は持てていません。一度も、誰にも、僕自身を診てもらったことなどないですから。

 ですが僕は、この青翔晴の身体の中で確実に、複数人の意識を確認しています」

「それじゃあ……」

 青翔の度重なる性格の乱れ、口調の変化や微かな違和感。その全ての答えが今、説明された。

 今の俺には到底信じきれない現実が、突きつけられていた。

「ほ、本当に、お前は……」

「はい、恐らく青翔晴は解離性同一性障害であると僕は考えます。

 僕はその中でも自我の強い人格だと思います。なので僕は個々として存在する自分のことをトウジと名付けるに至りました。

 それと僕は朱連さんのことは薄く記憶しています」

「俺が……お前に直接会ったのは、何度目だ」

「お話したのは、今回で初めてです」

 緑川と対面して平然さを失わずに発言をしていたのは、このトウジと名乗る男だろう。転入していた初日、また俺が共に学校生活を過ごした人格とは全く別だ。

 トウジは俺の知る青翔とは違い、顔つきにまるで生気を感じさせない。魂の抜けた人形や機械のように、感情の起伏を言葉に出そうとはしなかった。

「わざわざ朱連さんと面と向かってお話したかったことはこの事実。それと僕と、他のみんなに起こりかねない危機をどうか朱連さんに救ってもらいということ」

「……とりあえず、まあ、座れ」

 俺は後ろ手でベッドを叩くと、トウジは頷きそれに従った。俺は青翔の抜け殻のように空虚な瞳を仰ぎ見る。

「…………落ち着いて、ゆっくり話してくれ。俺が理解できなくなるから」

 青翔は素直に目を閉じると機械的に柔らかく頷いた。本当に、アンドロイドかなんかじゃないのか。

「朱連さんと学校生活を過ごしてきた人格は現在の主人格で、僕は区別のためにハルと呼んでいます。

 そのハルは二日前の夜中から急に精神の安定が図れなくなりました。現在はほとんど姿が見えない状況です」

「二日前……」

 青翔の取り乱しながら叫んだ言葉が思い出された。

 気が狂ってしまう……。

 確かにあの日の青翔は可笑しかった。きっと、あのことが原因だったのだろう……。

 俺は瞼を強く瞑った。

「想定外でしたので、僕が対処するよりも早く、特に力のある人格に身体が乗っ取られました。僕にはその後の記憶がありません。

 気がつけば一日が既に経過していました。そして僕は家のそばにある駅に停まったヨモギ町行きの終電に乗っていました」

「んっと……つまりそれは家出したってこと?」

「そうです」

 俺はコートを脱ぐとそのポケットから携帯を取り出した。青翔から送られたメールの受信時刻に刻まれた日付は一時。

「そして、助けを求めてこのメールを寄こした……と」

「おっしゃる通りです」

 そう言うとトウジは饒舌だった口を固く閉ざした。もっとも重要な部分には自ら触れようとはしない。まだ何か気にかかって言えないことでもあるのだろうか。

「それで俺に、なにを頼みたいんだ」

 トウジは視線をずらして口を堅くつぐむ。しばらくすると言い辛そうに言葉を発した。

「……朱連さんには常々迷惑をかけてしまって申し訳ありません。

 ……お願いは、僕が話した力のある人格、その出現を抑制してくれればと思いまして」

「抑制って……。俺、薬みたいなもんじゃないんだけど」

「もちろんそのようには思っていません。

 ただ、僕やハルにとっても朱連さんはとても大きな存在です。

 朱連さんがハルを拒絶しない限り、精神の安定は図れると思います」

 大きな存在。トウジ……いや、青翔晴という人間にとってはなくてはならない存在。それが俺だと言いたいのか? 

「な、なんか勘違いしてねぇか。俺、そんなに、大層価値のある人間性なんて、ないぜ」

「他の人がどう思おうがこれが僕の意見です。

 お願いします、もう一人のあいつにこれ以上この体を乗っ取られてしまったら……取り返しのつかないことになるんです」

「取り返しのつかないことって?」

「朱連さん、十回目の連続暴力事件……。自分がしたのではないのなら、犯人は誰だろうかと……思いませんでしたか?」

「そりゃあ……思ったけど」

 ……どうして、青翔はこの話を振った?

 自分に関係のないことなら、こんな時にわざわざ話題に出すことなんてありえない。

 そう考えてみれば容易にトウジの言わんとすることが、透けて見えてくる。

 俺は体を後ろへ退いた。頭を激しく横に振りながら、トウジの何も映さない瞳を祈るように見つめる。

「青翔…………やめろ、言うなよ。お願いだ。何も、言わないでくれないか……?」

 俺の願いは届かずに、青翔はゆったりと口を開いた。

 額に滲んできた汗がスッと顎の輪郭を通り過ぎる。

 嘘だって、言ってくれ……。今の言葉は冗談だって、いつもの、俺の知っている青翔みたいに笑ってくれ。

 お前が、連続暴力事件の『模倣犯』だったなんてデタラメ、俺に信じろって、そう言いたいのかよ……。

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