第一話『訪れ』
何処からか、水の垂れ落ちる音がした。
俺の頭の奥で響く、鈍い痛みがあった。
誰かに、抱きしめられている……そんな気がする。
あったかくて、どうしようもないぐらい寒い。
痛くて、怖くて、真っ暗で……。
こんなにも簡単に、手の中のものが全てすり抜けてしまうのなら、いっそ……。
苦しむぐらいなら最初から、こんなもの全て、全部が全部、なかったことになればーー
あの子の手がぶらんと、垂れている。
震える、震えている。
脚の痛みに、温かなあの人の青白い、美しい肌に、艶めかしく光る茶色の粒に……。
私はそのどれにも恐怖の叫びを出せず、思い出を握りしめて、ただ……震える。
許してください……。
どうか、許してください。
この愛らしい目が一生開くことなく、私を見ることなく、朽ちていくことを望んでしまったこの私を、罪深きこの臆病者な罪人を――!……お許しください。
私にはこの十字架が、重すぎたようなんです。
悲劇の幕が開く音が雪崩れ込んでいく。
小石が軽快に転げ回る。
嘲笑うかのように転げ回る。
潰れた車体に襲う水の冷たさ。
人の冷たさ。
十一月の初めごろ、ヨモギ町では初雪が平年より遅れて観測された。
その日も町は変わることなくいつもの平凡を過ごしている。
それと同じように、俺の日常も何一つ変わることがないと信じていた。
あの男が、俺たちの前に現れるまでは。
誰かに俺の肩が触れられている。
その振動はまるで分厚いゴム越しに与えられるような、とても微弱に感じられた。
……揺れが次第に強くなっている。
次第にはっきりと揺さぶりを感じられるようになってきて、俺の頭の中でようやく思考のスイッチが入る。
なんだよいったい……。誰かが俺を、起こそうとしている……のか?…………やべっ!
その考えの意味をおぼろげに理解し、俺は慌てて腕の中に埋めていた顔を上げた。
だが時すでに遅し。
恒例の、鬼教師が机の前で両腕を組んで佇んでいる景色が、俺の目に映った。そいつは鋭い目つきで俺を睨み、眉間に深くシワを寄せている。
そこでやっと、自分はまた居眠りをしていたという事実を明確に把握した。
この鬼教師が俺に言ってやりたいことは大体分かる。
たった数カ月の担任と生徒の関係だとしても、他の奴らと比べればけっこう濃厚な付き合いだ。
なんどこいつに怒鳴られたことか……。
こんな学習能力のない俺だから、今更こんなところで弱気になれるわけがない。すみませんなんて死んでも言わん。
俺も返しに担任鬼教師のウザったい目に視線を合わせ、凝視してやった。
「SHR中に寝るとはいい度胸だな、上西……」
「しょーとほーむるーむちゅう以外ならいいですか?」
「屁理屈を言うな。いいから話を聞いておけ、大切な話だ」
「はぁ……そうすか」
鬼教師、小笠原は珍しく俺を怒鳴るだとか別室送りだとかにしなかった。
俺に注意だけすると、小笠原はのっそのっそと熊のように教卓に戻って行く。
その後ろ姿を俺はしっかりと視線で刺してやった。
小笠原は俺たちに向き直ると眉間の皺を残したまま話し始めた。
「えー急な話だが、このクラスに転校生が来ることになった」
先ほどまで張りつめていた緊張感のあった教室が、小笠原のその発言により一瞬で破壊された。
驚きをそのまま言葉にしたどよめきがクラス中にばらまかれていたが、俺はそれに参加しなかった。
俺は転校生の話よりか、小笠原が俺に怒鳴らなかった理由についての方に関心がいっていたのだ。
こいつが傍にいるだけで元気を著しくなくしてしまう数名の男子生徒の話を思い出し、俺はその理由について合点がいった。
ただの気の弱い転校生への配慮か……。
『生徒指導室の番人』と学年の連中に囁かれて早半年。今まで生徒指導室に引きずり込んできた生徒は数知れず……。
強面で、どう見たって粗暴で偉そうなくせに、生徒の気持ちを汲んでくださる時もあるんだなー。ちょっとだけ感心した。
納得がいったところで気を抜けば、耳に入ってくる驚きと疑問の声。それに俺は特に何も感じなかった。
どうせ俺には関係ないことだし、学校から帰って何をするか考えている方が有意義じゃないだろうか。
適当に声を聞き流していると、女の耳障りですり寄るかのような声が流れてきた。
「転校生だって、緑川君」
「どんな人なんだろうね、女の子かなぁ?」
「え? んー、どうだろうねぇ」
「健二君は、もし女の子だったらどんな子がいい?」
「どんな子、かぁ……。うーん、そうだなぁ……」
まただ……。
SHRの段階ですでに、女子が緑川に声をかけるというクラスの当り前が起こっていた。
話しかけられている緑川は、にこやかにそれぞれの女子に頷きや同調の色を見せてはいる。
……いやたぶん、華麗に受け流しているだけだとは思うけど。
緑川の四方の席を席替えと言う死闘の末に見事手にした女子の目はぎらついていた。学年、いや学校一のモテ男、緑川健二と親睦を深めるチャンスを逃がしたくはないのだろう。
どうせ聞いてくれてないのによく喋るものだな……あさましい。相槌だけで喜んでらぁ。
俺がその様子を遠目から見守っていると、不意に俺の方へと緑川の視線が向けられた。
緑川はにっこりと笑顔を浮かべると椅子を傾かせ、持ち主のいない席に腕を置き、俺の方へと顔を向けた。
「転校生だってさ、朱連。興味ある?」
「あるように見えるか」
「そうだろうね。誰が来たって構わないよね」
「……あぁ、そうだな」
緑川はそれっきり何も言わずに微笑むと、また前を向いて女子の言葉の中に戻った。
一瞬だけ緑川と話していた女子の敵意を向けられながらも、俺は椅子にふんぞり返って外の景色を眺め続けた。
力強く大胆に教室のドアが開かれ、騒がしかったクラスは一瞬のうちで静寂を取り戻した。
知らぬ間に教室の外にいたらしい小笠原が、一人の見覚えがない男子生徒を後ろに連れて教室の中に踏み入っていく。
落胆の声と小さな黄色い悲鳴で少しだけ教室がざわつく。
教卓の前に立つ小笠原は「こいつが転校生だ」と言い、適当なチョークをその男子生徒に渡した。
それを受け取り転校生は名前を書き始めた。
転校生は髪を金髪に染めていたが手入れをしっかりしていないのか、とても黒ずんでいてずさんだった。
後ろ髪は乱雑に切られてとても短いし、なぜか前髪だけ異常に長い。そして髪をわざわざ左側に流して耳にかけている。しかも晒された両耳には青いピアスまでもがついていた。
この学園の校則がいくらゆるいからと言って、ここまでしている奴もそうはいない。
それでもこの男の髪型にあまり違和感を与えていないのは、こいつの顔が整っているからだろう。
あれじゃ女子の声が色めいていたのも納得せざるをえない。
そんな奇抜な見た目のせいか、その男子生徒の表情が俺には数段暗く感じた。
「青翔、晴です。ハクマ町の学校から来ました……」
暗い……声がとてつもなく暗い。
その見た目と表情のギャップにクラス中がなんとも言えない驚きに包まれたことだろう。
反して小笠原の態度がいつも通りだった。
「分からないことがあったら遠慮なくこいつらに聞いてくれ。青翔、お前の席はあの赤い髪の奴の隣だ」
小笠原は俺の方を指差し、次にその隣の持ち主のいない机を指す。
何が赤い髪の奴だ。名前で言え、名前で!
俺は不満を視線でぶつけるが、小笠原は気付いてわざとスルーした。
それどころかワザとらしく転校生に耳打ちまでして、俺を煽っているのか?
転校生はおずおずと俺の方まで歩み寄り、俺に一礼すると恐る恐る自分の席に座った。
どうせ小笠原になにか変なことでも吹き込まれたのだろう。転校生は俺の方へ遠慮がちな視線を向けてきていた。
我慢しようと思ったが、どうしても視線が居心地が悪くて、俺は転校生のことを睨みつけた。
体をビクッと震わせて、転校生はおびえた様子ですぐさま違う方へと視線を逸らす。
「睨んじゃダメだよ、朱連」
「うるせぇ」
緑川がおちょくるように言うその言葉を俺は突き飛ばして再び外を見た。
そのままSHRは進められ、気が付けば次の授業の準備時間になっていた。
転校生は四方八方をあっという間に人に――主に女子に――囲まれる。それらは壁を成して転校生の姿を外部から遮断した。
居場所がなくなった俺と緑川はその場から避難し、俺らとは遠くの席に座っていた勝の席の周りにいた。
「転校生君、人気者だね」
「始めはチヤホヤされるものだよ。青翔……だっけ? 結構暗い子みたいだし」
適当な席に座っている緑川は頬杖を突きながらその光景を荒んだ目で眺めている。言葉の節々から緑川のやさぐれた感情が漏れていた。
そんな緑川を面白がるかのように勝はにやにやして言う。
「緑川、もしかしてちょっと悔しいのかい?」
「まさか……そんなことあるわけないよ」
そう笑い飛ばした緑川は勝の頭を手のひらで小突いた。
どう見たって気にしている。笑顔に陰りがあるし。
緑川は人当たりもいいし、顔の造形なんて完璧とさえ思えるほどなんだから、そんなに気にしなくてもいいはずだ。
あそこに集まっている女子なんてすぐに戻ってくる。
……まあ、緑川はそれが分かっていても面白くないんだろうけど。
緑川健二という男はそういう奴だ。
学業もスポーツも文句なしの学年一、誰も敵わない。
モデルとかアイドルでも緑川ほど顔のいい奴はそういないんじゃないだろうか。
つまりこいつは完璧なんだ、どこを見ても。
そこまで恵まれていながらも、いや恵まれているからこそ、緑川は願望がデカい。
誰よりも一番になりたい。だなんて、そんなの欲張りすぎはしないか。
そう思っていながら、それでいて努力を嫌う。自分の思い通りにいかないと拗ねてしまう。
それが滅多にはならないにせよとても面倒くさい。
誰でもいいから面倒を見る俺の立場にでもなってくれ……。
「そんなこと言って、本当は気にしてる癖に。素直じゃないね」
完璧に拗ねモードの緑川に勝は陽気に言ってあげる。
この場に勝がいてくれたことに俺は心の中で感謝した。
俺から言わせてもらえば緑川はガキだ。
それに対してこの望月勝は大人と称すべきだ。
勝は学園一のチビでよくバカにはされるが、その見た目に反して中身はずいぶん大人びている。
俺ですら勝が誰かを怒っているところを見たことはない。挑発はいつもやんわり受け流す性質らしい。
そりゃあ友達関係で友情が深まれば多少尖ったことも言うだろう。勝ももちろんそうだ。
だが勝の場合その気の許せる友人の枠がとても狭いらしい。
勝は俺ら以外の他人にはそういった尖った言葉を一切口にしないのだ。じゃれあいの一つもこいつにはありえない。
それと先生との関係も良好で、とても世渡りがうまい奴なんだろうが……。
俺はあまりこいつのことを好きじゃなかった。
何が気に食わないかって、それは自分のことを全く俺に話してくれないことだ。
気の許せる友人のはずなのに。
俺が不満を心の中で愚痴っていると、緑川は急に立ち上がってドアに寄っかかっていた俺の隣に立った。大きなため息を吐いて、転校生のいる方を眺める。
「興味ない奴に嫉妬なんてしないよ。ああいう奴は眼中にないよ」
「はぁ、相変わらず酷い言いようだな。なら女にも同じ態度とってやれよ」
「朱連、好意を向けられるにこしたことはないんだよ」
「んなこと言ってるといつか刺されるぞ」
「いやまっさかー。考えすぎだよ」
へらへら笑うな、割とガチで言ってんだから。
「意外とありそうで怖いねー……緑川の場合は」
「そうだろ? それで死んでも自業自得だけど……っと、悪い――」
寄り掛かっていたドアが突然開けられ、俺はそこから退いた。
すると現れたのは通学かばんを持った不健康そうな男だった。
俺がその男の顔を見た瞬間、背筋に悪寒が走る。
目の下に印を押されたかのような黒い隈が何時にも増して濃い。
男は死んだ魚のような目で俺を見るとあからさまな舌打ちをしてきやがった。
「そんな所に立つな。邪魔くさい」
「……あぁ? わりぃって言ったじゃねぇか。てめぇこそ遅刻してくんじゃねぇよ」
ぼさぼさの前髪がかかった赤い縁の眼鏡から覗く三白眼が、ギロッと俺をねめつけてぶっきらぼうに言い放つ。
「寝不足だ」
「んなこと、俺が知るか。つーか眠いなら来るな、保健室に行け。気分が悪くなるんだよ」
「気分が悪くなるのならおまえが消えればいい」
「なんで俺がテメェなんかのために……」
俺が掴み掛ろうかと思いながら男に近づくと、それを勝が阻止するように俺たちの間に割り込んできた。
勝は思いっきりため息を吐き、呆れた目をして俺とあいつの双方の顔を交互に見た。
「二人して低レベルな争いは止めようよね。これで何度目だと思ってるんだい? まったく……。仲が悪いなら関わらなきゃいい話じゃないか」
その勝のもっともな意見にも、俺は言い返さずにはいられないほどの苛立ちを、あの男から受けていた。
「俺はこいつが視界に入る度に文句を言わないと気が済まないから無理だ」
「文句を言うなだと……? 俺をストレスで死ねと言うつもりなのか貴様は……」
俺ら二人の反抗に勝は困り顔をして俯く。
「い、いや言ってないけど……。そこまで嫌い?」
勝は言葉を詰まらせながらもあいつの方を上目づかいで見て優しく聞く。
だがそんな勝をこいつはバッサリ切り捨てやがった。
「存在を許さないぐらいにな」
「あぁ……そう。まあ、とりあえず朱連は十六夜から離れようね。彼は次の授業の準備もあるんだから」
「ふんっ……」
勝がそこまで頑張って相手してくれたことだし、俺は素直に十六夜から数歩離れた。
十六夜はすれ違いざまにギロリと俺の方を睨むのを忘れずに自身の席につく。
奴の病気みたいにほそっこくて青白い肌をした手が、着ている真っ黒なカーディガンにより、一層映えていた。
あの今にでも折れそうな手首が骸骨のように動くたびに俺の気分が悪くなる。
俺はすぐさま十六夜から視線を逸らし、視界にそいつを確実に入れないようにと、背中を向けておいた。
緑川が俺に近づくと呆れた様子で微笑む。
「本当に朱連と十六夜は仲が悪いんだね。犬猿の仲以上じゃないのかい?」
「悪くて結構だ。あんな奴……」
十六夜の機嫌をとって戻ってきた勝がふらふらと緑川の下まできて寄りかかった。
「ほんとに君らの言い争いを止めるの疲れるんだけど……。ねぇ、なんでそんなに十六夜が嫌いなの?」
「理由なんて分からん。初めて会った時から嫌いなんだよ、あいつ。生理的にムリ」
俺が十六夜を苦手な理由なんてよく分からないのは本当だ。
あえて理由をあげれば貧相な体をしていて不気味なことに加えて、誰にも関心を持たないまるで死んでいるような性格……だろうか。
仏頂面で下を向いていた俺の額を誰かが指先で小突いた。
指を視線で追おうと顔を上げると、緑川が俺の目を覗き込んでいる。
「あまり機嫌を悪くすると、次の国語の時間で爆発するよ。朱連?」
「げっ……。次、国語なのかよ……。うわぁ、ついてねぇ……」
「あぁ、あの甘露寺先生? そう言えばあの人も嫌いだよね、朱連。いい人っぽいのに」
「うわー休みたい。本当に保健室行こうかなぁ……」
「あ、チャイム鳴ったよ。タイムオーバーだねぇ、朱連。残念」
「ちぇっ……」
いまさら保健室に向かっても教師に捕まるので、俺は仕方がなく自分の席に戻ることにした。
席に戻ると隣に座っていた転校生が少し疲れた様子で背中を丸めていた。
まあ気の弱そうなやつだし、あんな人数に質問攻めをされれば堪えるものがあるだろうな。
そんなら悪戯に髪なんて染めずにおけばいいのになぁ。
性格と見た目が合ってないから興味本位な男子にでさえ絡まれるんだ。
だけどなんだか可哀想になってきた。見るからに疲れている奴を放っておくのもなぁ……。
「おい、お前。大丈夫か?」
「え、あ……はい、大丈夫です……」
大丈夫と言ってるやつほど大丈夫じゃないんだけどな……。
まあ一応声をかけてやったことだしいいだろう。
「あぁそうか。大丈夫ならいいんだ、安心した」
「え、え……」
転校生は少し驚いたように声を上げてきた。
俺、何か変なことでも言っただろうか。
「あぁそうだ、いくら学校が嫌だったとしても国語だけはちゃんと授業出ろよ。ペアがいなくなると面倒だから」
「わ、かった……」
転校生は何のことかわからないにせよとりあえずは頷き、それっきり黙り込んだ。
しばらくして二度目のチャイムが鳴り、それに合わせて教室の前側のドアが開かれた。
あいつが教室に入ると隅の方にいた奴のファンが騒ぎ出す。緑川にお熱な女でさえもこの時ばかりはと奴に熱い視線を送っていた。
あいつは入ってくるなり教卓の上に荷物を置いて、黒板にチョークで自分の名前を書きだした。
『甘露寺優太』の名前を書ききると、とびっきりの笑顔で目を輝かせながらこちらの方を向いてくる。
「転校生がいるんだったよねー、ここ。何処なんだい?」
その甘露寺の言葉にクラス中の視線が転校生の方へと移された。
転校生はその視線に驚いて縮こまってしまう。
甘露寺はその反応を見てにっこりと微笑むと、俺の方に視線を注いだ。そしてそれを横にずらし、転校生の方へ。
あいつはワザとらしくこっらに近づいて転校生に声をかけてくる。
「僕は甘露寺優太。よろしく。名前は?」
「あ……はい。青翔晴です……」
「そう。上西君も色々教えてあげなよ」
こっちを見るなと俺は甘露寺を睨んだ。
「ふふっ……」
甘露寺は薄目で俺を見下すと教卓の方へと歩みだす。
「それじゃあ日直の人お願いね~。授業始めるよ」
「けっ……」
俺は甘露寺の態度に心の中で舌打ちをした。
甘露寺優太は俺のクラスの国語科担任で、隣のB組の副担任。今年この学校に来た新人教師だ。
若いし優しくてカッコイイからと女子生徒からの支持が厚い人気教師。
まあ一応こいつの授業は分かりやすいと評判だし、実際そうだと俺も思うが……。
俺はこいつの授業を受けるのが本当に嫌だ。
国語でペア組んで読まされるとき、この席だと隣がいないからあいつと一緒に読まなきゃならない。
女は俺が羨ましいと口々で言う。俺はぜひそいつらと席を変えたい。
「あ、あの……」
「ん?」
不機嫌なタイミングで声をかけられて、思わずドスな声で返答すると、俺に声をかけてきたのは転校生だった。
転校生は背中を丸めると俺から顔を背けて俯いてしまう。
「ご、ごめんなさい……何でもないです」
「はぁ? 早く言えよ、気になるだろ。別にてめぇがなに言っても怒んねぇし」
俺の言葉を聞いて、転校生は顔色を窺うように少しずつ俺の方へ顔をずらしていく。そして急に体をバッとこちらに動かし、意を決したかのように強めに言った。
「プリント、見せてくれませんか? 貰ったんですけど、やってない……です……」
なんだ、そんなことを言うのにわざわざ戸惑っていたのか。
「あー、いいよ。ほら」
「ありがとうございます」
俺がプリントを差し出すと転校生はそれをそっと受け取った。
二つのプリントを照らし合わせ、丁寧に文字を書き写していく。
俺は何をするでもなく、書かれていく綺麗な文字を眺めていた。
本当にこいつ俺と同い年だろうな。なんで俺、こんなに改まった物言いされなきゃならねぇんだ?
丁寧すぎて気持ち悪いなぁ、遠慮されすぎて逆に面倒くさいぞ。
単に俺が怖いだけ?……ならいいんだけど。
誰にでもあんな調子だとさすがに心配になってくるぜやっぱりなー……。
「あの……」
「え。……あぁ、プリントか。どうも」
「ありがとうございます」
「……おう」
転校生は俺と違って結構真面目な奴らしい。授業態度は勝と同じぐらいしっかりとしているといった印象だ。ノートには所々に文字が書き連ねられている。
あぁ、ちなみに俺のノートは真っ白だが。
転校生の人間観察をしてしまっていた自分自身が気持ち悪くなる。
俺は甘露寺の声を聞き流しにしながら、雪がゆるゆると降りていく様子を眺めることにした。
退屈で、どうでもいい授業だ。楽しいことなんてない。
今日は初雪で、木々の葉には雪がうっすらかかっている。
もう十一月。もうすぐ十二月……。
冬はやっぱり嫌いだ。
寒いから嫌いとかではなく、嫌なんだ。
クリスマスなんてものに人は浮かれるかもしれないが、俺はそれが辛くて仕方がない。
思い出したくない……あの…………。
「上西君」
「え、あ……」
不意に何者かに声をかけられ、俺は頬杖をしていた顔を起こして辺りを見回す。
俺の横には慈愛の笑みを浮かべた甘露寺がいて、気が付けば俺の頭をそっと撫でていた。
「雪は綺麗だけど授業聞こうねー、いい子だから」
「……すみません」
甘露寺に言われて俺は大人しく前を向き、授業を聞くふりをした。
まっさらなノートは横に置いたままに、教科書の内容をサラリと読んでいく。
外の冷気が窓から漏れて、ページをめくる指先を凍えさせていく。どうにもそれが冷たくて、俺は思わず自分でその手を握りしめた。
もうすぐ、十二月……。
俺の心の隅に、どうしようもない虚無感が降り積もっていく。そんな気がした。
今日の最後の授業は体育だった。
そんで体育はA組とB組の合同。
この前の授業でバレーも終わったから今日からバスケ。
サッカーほどじゃないけど同じ走る競技としてバスケは好きだ。
導入としては鉄板の二人一組を作ってパス連をすることになったのだけれど、こういうペアはたいてい整列時の前後のペアで組むようになっている。
俺のクラスは男子の人数が一人増えたからペアが一つずれて俺の相手は転校生だった。
「また一緒だな」
「う、うん……」
今度は返事もされず、弱々しく頷かるだけ。
こんな反応をされるのは久しぶりすぎてさすがに困ったな……。
とりあえず適度な距離をとってパス連を始めた。
ボールを投げあう俺たちの間に会話が生まれない。
なぜなら俺たち二人とも変なところにボールを投げたりなんて少しもしないのだ。
近所からは同級生たちのふざけて笑う掛け声が聞こえるというのに!
転校生の野郎、性格に似合わずバスケうまいじゃねぇか。パスだけだけど。
そう思いながら向かってくるボールをキャッチし、ちらっと転校生の表情を覗いてみた。相変わらず暗そうだった。
俺の方からボールを投げてやる、それを転校生が受け取る。
……気のせいか、顔がほころんでいる気がする。
ボールがこちらに放たれて…………転校生が、笑ってる?
綺麗に手の中に納まったボールを床で何度か打ち付けながら転校生の笑顔を今一度思い起こしてみる。
ただの自然な笑みだった。
バスケを楽しんでいるのだろう、意外な発見だ。
あいつも笑えるんだなぁと思っていると、思わず力を入れ過ぎてしまったボールが転校生の指先にぶち当たり、床に当たってあらぬ方向へ転がっていく。それを転校生が追いかけていった。
一瞬、転校生の顔が歪んだのが俺には見え、俺は急いでそいつの近くに寄った。
「大丈夫か?」
「うん……」
転校生はそう俺に背をむけ、ボールを拾い上げて立ち上がる。
指先は伸ばされたジャージの袖に隠れていてよく見えないが、その時だけ転校生がわざわざ向き直って俺の目を真っ直ぐに見つめていたことが妙に気になった。
威圧感すら感じる、力強く細い目。
やっと気づいた。
俺は……いやこいつに関わろうとやってきた奴らはみんな、こいつに怖がられていたんじゃなくて関わることを拒絶されているんだ。
きっと、こいつ自身になにか深い事情があって、だからこんなに性格や髪型に違和感があって……。
だからこそ、放っておけるわけがない。こんな目をした奴を。
「……指見せて」
「っ!」
俺は転校生の返答も聞かず強引に、隠されていた左手を掴んだ。
怪我をしていて、それを隠しているに違いない。
俺がそれを自分自身の目で確認してやろうとすると、不意にすごい力で手を払いのけられ、驚きで動けなくなった。
薙ぎ払われた手を、俺は茫然と見つめる。
まさか……あの転校生に俺が容易に手を振り払われるなんて。
俺が気を緩めていたとはいえ、あの転校生にここまで力があるだなんて想定外だった。
こいつ、何なんだ……?
俺は訝しむ視線を転校生の方へとずらした。
そして、切羽詰った表情で、額に玉の汗を浮かべながら、声をあげて息をするあいつの顔を見たから、その時、何となく分かってしまった。
こいつは何が怖いのか、どうして俺に触られることを拒んだのか。
その理由を全て知ってしまった気がした。
どうにもいたたまれない気持ちになってしまい、俺は転校生から視線を外して小さく呟いた。
「ごめん……。でも、保健室行こう。その方がいい」
「…………」
どうにも返事をしない転校生に、俺は今度こそ大きくはっきりと、また、威圧的に言い放った。
「来い」
「は、い……」
俺の強い言葉に気圧されたか、転校生は震える声で了承した。
俺は先生に転校生が軽い怪我をしてしまったことを伝え、二人で保健室に向かった。
保健室には1人だけ先生がいた。
その人は四十歳越えのおばさんなんだが、それなりに話したことがあるから若い方の先生よりは接しやすい。話の分かる人で安心した。
「すんません、星野先生ー。突き指したんで氷くださーい」
「あら上西君、珍しくサボりじゃないのね」
「見たらわかりますよね……。付き添いですよ」
「はいはい。じゃあそこの椅子に座ってなさい」
星野先生はそう言うと保健室の奥にある冷蔵庫の方へ向かった。
俺は転校生を近くの椅子に座らせ、俺もその横に座る。
転校生は椅子の端に座り、出来るだけ距離をとろうとしている。
それが少し悲しかったのと同時に、癪に障るけど、そんな気持ちを悟られないように俺は出来るだけ声を落ち着かせて質問してみた。
「……強引に連れて来てすまん。怪我はしてるか?」
「突き指を、少し……」
「うん、分かった」
タイミングよく星野先生が氷を持ってやってくる。
ふと横目で転校生を見ると、先生の方をジッと見つめていた。
それは俺に向けた目と同じ目。
警戒心の強い猫がするかのような鋭く刺さる目線。
拒絶をワザと言葉にしていないのだろうか、それを言う勇気がないのか、よく分からない。
でも、こいつが人を信用していないことはこれだけで見て取れた。
「星野せんせー、俺がこいつの面倒見ますんで大丈夫ですよ。突き指ぐらい氷があれば十分なんで」
「じゃあそうしてくれるとありがたいわ。でも一応見せてくれる?」
「……はい」
転校生は躊躇こそしたが、おずおずと自らの右手を差し出した。
星野先生はその指を触ったりすることはなく、眺めていた。
転校生も限界だったのか、次第に手が微弱にも震えだしていく。
それを悟った星野先生はそっと顔を上げた。
「もう痛くないなら冷やしていれば大丈夫よ。……私は奥に引っ込んでるから適当に帰りなさい」
「はーい」
星野先生は胸元のポケットから眼鏡を取り出しそれをかけると奥の方へ行ってしまった。たぶんこれから仕事でもするのだろう。
左手首の大きな腕時計を確認したが、今さら授業に戻っても中途半端な時間になりそうだ。
これなら授業サボろうかなぁ。あ、でも転校生がいるな。
「……怪我は平気か?」
「これぐらいは、平気……」
転校生は自分の指を見つめていて、俺のことはやはり見ようとしない。
でも前みたいに会話に変な感じはしないのは気のせいだとしても良かった。
「そっか。そう言えばさー……パス上手かったなーお前。バスケは得意なのか?」
「バスケは部活で、前……」
「お前、バスケやってたの?……意外。ここのバスケ部ってなかなか強いけど、お前は入部するのか?」
「…………分からない」
「ふーん……じゃあ今度、俺がバスケ部の見学に連れてってやるよ」
「え……?」
「指の怪我が治ったらな」
俺はそっと転校生の頭に手を置いた。
細い目から覗く瞳がジッと俺のことを見つめていて、この手は振り払われることはない。
純粋な喜びが溢れた眼差しに恐怖の色は微塵も感じられなかった。
こんな目をしていてほしい。
なにひとつ信じられない孤独感は人生を灰色に染めて狂わせるほどの代物だ。
そんな人生、誰も歩むべきじゃない。
転校生の目を優しく見つめ、俺は語りかけるようにして言った。
「大丈夫だ」
「え?」
「大丈夫、お前を傷つける奴なんてここにはいない。だから、怖がるな」
「……ありがとう」
そう言うと転校生は視線を指の方に戻して目を閉じる。その仕草はどことなく綺麗だった。
素直なお礼の言葉に胸が熱くなり、小恥ずかしくなって俺はすぐ頭から手を退かせる。
なんとなくジッと座っているのもむず痒くなって、俺は勢いよく席を立った。
カーテンを開け放ち、そこに現れたベッドに横になった。
突然の俺の行動に思わずついてきてしまった転校生の顔が視界の端に見える。
俺はそれに背を向け、布団を抱きしめて目を閉じた。
「適当な時間になったら起こしてくれ。俺寝るから」
「え、えっ?」
「もう今更戻っても意味ねーしサボる。お前はどうする、ここにいるか?」
「ぼ、僕は……」
さすがに答えを出し渋っている。
授業態度を見る限りいたって真面目な生徒であることには間違いない。
授業をサボるなんてことしたがらないだろうと、だからいなくなってくれるだろうと、思っていた。
「ここに、いたい」
「……え、あ、そう」
予想外の答えに気の抜けた返事と共に思わず転校生の方へと体を起こした。
転校生は向かいのベッドに座り、少しだけ口角を上げて微笑んでいた、ように見える。
「あの……名前、教えてくれますか?」
「え? あ、あぁ……上西朱連だけど」
「朱連……。分かった、ありがとう」
「えっとー…………お前の名前は?」
「え? 僕、青翔晴だけど……?」
そう言って転校生こと青翔は不思議そうな顔をした。
今日自己紹介したんだから俺が名前を知っているのは当たり前のことだろうから驚いているのだろう。
「あ、あぁー、うん……。青翔だったな。すまん、度忘れしただけだから!」
素直に名前を覚えてなかったなんて言えず、俺は適当にいいわけをした。
青翔に嘘が悟られないように俺は布団の中に潜りこんで顔を隠す。
「いいのかな、サボって……」
「いーのいーの! 星野先生やっさしーから!」
「そういう問題……ですか?」
「そういう問題! おやすみな!」
「あ、はい」
今度こそ眠れると思い、俺は瞼を閉じた。
少しだけしか体育に参加してないにせよ、日ごろの疲れとかその他諸々で眠気を作り出すことが俺には容易だった。
静寂の中で意識がゆっくりと落ちていき、いつの間にか、俺は完全に眠りについていた。
また誰かに肩を触られている。
今朝のSHR前の時とは違い、意識を取り戻すのは早かった。
すごく眠かったが無理に布団をめくって上半身だけ起き上がらせる。
まだ意識がボーっとしている。
頭を掻きながら眠気に負けないように何度も強く目を瞑っては開いてみた。
まだ寝ぼけてはいるが、座っていたら二度寝してしまいそうな気がしたので、よたよたと俺は体を動かしてベッドから降りる。
俺を起こしに来たのであろう。そこに立っていたのは緑川だった、ジャージは着たままで。たぶん授業がさっき終わったのだ。
「おはよ、いい夢は見られた?」
「いや、別にー……」
俺はぼりぼりと頭を掻いて適当に返答する。
ふとあることを思い出して辺りを見回したが、周囲には俺と緑川以外、誰もいなかった。
「なあ緑川、青翔はどこ行った?」
「青翔?……あぁ、転校生のことか。知らないよ、ここに来たときにはもういなかった」
「そーか。ん~……」
俺は眠気覚ましに一度背伸びをした。
気分がスッキリしたような、どこか曇った感情が残っているような。なんだかおさまりが悪い。
「朱連が人の名前覚えるなんて珍しいね。何かあった?」
「何かって……別に」
「別に、なに?」
追及してくる緑川の言葉に少しイラッとして、俺は緑川に目を合わせず、何も答えなかった。
カーテンを全部開けて、使用したベッドを綺麗になおす。
それも終わってしまい、再び緑川と向き直った俺は床の何処かを睨みつけながら投げやりにさっきの質問に返答した。
足のつま先が一定のリズムで床のタイルを叩く。
「青翔は……少し話して、そんで仲良くなった。悪いかよ」
「なに不機嫌になってるのさ」
「……ジャージ着替える」
緑川のことを後回しに、俺は星野先生に一声かけて保健室を出た。
授業が終わる少し前らしく、廊下には誰かが歩いている感じはしない。静かだった。
俺たちはもう、互いに何も言わずに教室に向かった。
教室に着くとすでに数人の奴らが着替えを済ませていた。
今から着替えを始めてもなんとか間に合うだろう。
緑川は勝のところに行ったようだ。
俺は自分の机の周りにいる奴らの輪に仲間入りする。
見た目そっくりな双子、そして真っ白い髪をした奴、その三人がいる。
俺が帰ってくるなり双子のうちの弟である朝比奈翼が不安げに俺に聞いてくる。
「朱連、怪我したの?」
「俺じゃねぇよ、ペアの相手の方がちょっとした突き指しただけ」
「そう……よかった」
人が怪我したんだからよかったも何もないだろうが、翼はそれで安心したらしい。
翼は窓側の壁に寄しかかって外の景色を眺め始めた。
前方でビニールが破ける音がしたからそちらの方を見てみると、髪を白く脱色した男、城ノ内新が美味しそうに飴を舐めていた。
新は俺と目が合うと含みのある笑みを浮かべる。
嫌な予感がしたが何処にも逃げられず、新はついに口を開いた。
「相手の方ってあの転校生の青翔晴君? 転校初日から怪我させるなんて朱連チャンもやるねー」
「……わざとじゃない」
「でもさ、朱連チャンはやりかねないよね~? ウザかったら一方的に殴りつけたりしてたらしいじゃん、中学の頃さ。今回もさ、ワザとしたんじゃないのかなぁ?」
「新、お前は殴られたいか?」
「痛いのは俺の主義に反するからさ、そんなに怒らないで? あ、その拳マジかんべん」
新はあくまで余裕そうに俺のことをなだめていた。
飴を転がしながら今も頭の中で楽しそうにしているだろう。
人の神経を逆なですることはこいつの得意分野だし。
そうやって人を不機嫌にしたり辛い思いをさせたり……。
全部、それが楽しくて仕方がないのだろう。相変わらず腹の立つ男だ、これでモテるなんて世の中いったいどうなっているんだ。
今回だけはさすがに苛立ちを抑えきれずに一発殴ってやろうかと思い一歩、新に近づくと、翼の兄である朝比奈天が新の影からにひょっこりと顔を出した。そして純粋無垢そうな笑顔で新の服の袖を引っ張る。
「新~、俺にもキャンディー頂戴。今日はブドウ味持ってきたんだよね?」
「ん? あぁ、もちろん持ってきたよ。ほら」
「うん! ありがとう、新!」
新はポッケの中から二個飴玉を取り出すとそれを天に分けてやった。
なんというか、菓子の持ち込みにも言及しないだなんてここの校則は大丈夫だろうか。一応進学校だからレベルは高いはずなのだけど……。うちの中学校が厳しすぎた影響だろうか。
天は本当に幸せそうにそれを受け取るとさっそくそれを舐めだした。
手に余ったもう一個を見つめて少し考えたが、それを翼のところに持っていく。
「翼、翼も食べない? リンゴ味のキャンディー好きでしょ?」
「飴?……それじゃあ朱連にあげておいて」
「分かった。はい、朱連。これ食べて落ち着いてね」
「…………ありがと」
俺は差し出された飴を素直に受け取った。
まあさすがに今すぐ食べる気は起きなかったのでそれは鞄の中に入れておいたたが。
天の笑顔を見ていたら新へのムカつきも馬鹿らしくなってきて自然と薄らいでしまう。
こんな奴に苛立っていたらそれこそこいつの思惑通りだ。
天に言われた通り、少し落ち着くとしよう
「おい、新。二度とあんなこと言うんじゃねぇぞ」
「……いいよ」
そう返答した新の視線の先は俺ではなく、その隣だった。
誰かいるのかと思って横を見ると、青翔がいた。
今朝にも増して暗さが滲み出ている。
「せ、いしょう……」
「ごめん、荷物取りに来ただけ」
そう言うと青翔は机の横から制服の入った袋を乱暴に取り、そのまま教室の外に出て行ってしまった
さっきの会話をもしかしたら聞いていたのか、本気にしていないだろうか。
そう思えば自然と血の気が引いた。
「あいつ、いつからいた」
「ごめん……分からない」
「うーん、俺の気のせいじゃなかったら始めっからいた気がするけどー……」
「……知ってて、ワザと言ったんじゃねぇだろうな、新」
「偶然、偶然。不幸の事故だって。信じて?」
新はあくまで故意でしたのではないと笑って否定した。
まあ演技の上手い新に聞いたって本心を聞きだせるわけがないから別にどうでもいい。
たぶんワザとだろうけど。聞いてもどうせそんなこと言うと思っていたし。
とりあえず青翔が戻ってきたら話を聞いてみるしかないだろう。
着替えも終わり、帰りのSHRの間の時間帯になってやっと青翔は帰ってきた。
俺の気のせいかもしれないが、表情が曇っている気がする。
それが気になってなかなか声をかけられずにいたけれど、前の席の緑川たちがうるさくなったタイミングで声をかけてみることにした。
周りに聞かれるのがなんだか嫌だったからだ。
「な、なあ青翔」
青翔はこちらに顔を向けることなく、そっぽを向きながら言う。
「なにか、ありましたか。朱連……」
「あの、俺は青翔をワザと傷つけたりはしてないから、信じてくれ……ないか?」
「…………信じてます。朱連は、そんなことしないって……思いたいです」
憂いを帯びた目を細めながら言う青翔は何とも言えない儚さがあった。
「……なあ、まだ会って一日しか経ってないのに、俺のことをどうして信じられるんだ?」
「そ、れは……あの…………」
我ながら捻くれた質問だと思う。
俺にこんなことを聞かれて、青翔は困った顔をして黙り込んでしまった。口を強くつぐんでしまい、視線を色んな方向へ向ける。
「あ、いや……別に、理由はいいよ。そこまで信じてもらえて嬉しいし」
「ごめん……」
「いちいち謝るな。あとさ、今日誰かと帰る?」
「いえ、誰とも予定は……」
「一緒に帰ろうか」
「そんな……僕なんかが、いいんですか。だって、あの人が……」
青翔は遠慮がちに視線を緑川の方へ向けた。
相変わらず清々しく女子の話を聞き流している様子を見て少し羨ましく、憎たらしく思ったがそれはいいとしよう。
「いーんだよ、あいつはどうせ女と帰るんだから。基本一人でさっさと帰ってるんだ、俺は」
「あ……じゃあ、お願いします」
「俺がお願いしてるんだから、改まらなくていいんだよ」
「はい」
ふむ……。なんだか友達ってものにこいつとなった気がするんだけど、どうしてもこいつの丁寧口調は自然になくなりそうにないなぁ。俺の方から何か言うべきだろうな、こういう場合。
「なあ、敬語なんて使わなくていいんだぞ。友達だし、気楽にやろうぜ?」
「友達……?」
「え、ごめん……違うのか?」
「そ、そうじゃないんです!……あの、僕……友達とか、よく分からないん……です」
そう言い青翔は恥ずかしそうに、気まずそうにしながら膝に置いた手を握りしめた。
友達が何か分からない、か。
青翔は子供のように幼げな瞳で俺のことを見つめていた。
それは何処かで見たことがある。気がつけばあの時と同じことを言っていた。
「……じゃ、俺がお前の友達一号。だから敬語は禁止な。友達がどうとか、あまり深いこと考えなくていい」
「……分かった、頑張る」
「あぁ。そりゃあどうも」
日直が教室の前に並び、もうSHRが始まるみたいだ。
俺は一旦会話をやめ、SHRが終わると放課後は一緒に帰ることにした。
校舎の玄関を出て、学校の敷地内にある長いレンガ道を歩きながら俺は青翔自身のことを聞いてみることにした。
「お前の家はこの辺? そんとも都会らへんとか?」
「ハクマ町に……」
「は、ハクマ? そこってここからめっちゃ遠くね? 通学大変だろ」
ハクマ町と言えば人口こそ少ないが金持ちが高台に家を連ねる地域だ。
あの辺には確か名門学校もあったかな。
あそからここへ通うには電車やバスが必要だから、金持ちなら引っ越しをしてしまうのが普通のはずだ。
「通学時間何分ぐらいだったんだ?」
「えっと……1時間半ぐらい」
「それはちーと辛いなぁ。今度安めのアパートとか紹介してやろうか?」
「朱連は、家この辺なの?」
「あー……俺の実家は、違うとこに……。通学とか大変だから、俺は部屋を借りてんだ。俺の今借りてるとこはここからすごく近いし、家賃も安いからあまり迷惑掛からないし」
「そうなんだ。一人暮らしか、いいなぁ……」
「あはは……一人暮らし、ね……」
あれが一人暮らしと言えるのなら世の一人暮らしはよほど大変だろうな。
さすがに青翔には本当のことを言えるわけもないので黙っておこう。
これを知ったらビックリ仰天だよな……。
俺は校門を抜けると青翔を商店街に連れて行った。
この商店街はあまり大きくはないが、いろんな店が揃っている。特に放課後はここで買い食いをするのが一番楽しいだろう。部活帰りの生徒もよくここを通るからボリューミーな食べ物が揃っているし。
「なあ、なんか食べて帰るか?」
「あ……ごめん、無理なんだ」
「ん、そうなんだ……。まあ気が向いたら何処か寄ってみてくれよ。この辺の店はいいところばっかだから」
「うん」
青翔は申し訳なさそうな顔をしたから「あまり気にするな」と強く言っておいた。
俺は駅まで青翔を送ってやった後、来た道を少し戻ってハウスに帰った。
ハウスのドアを開くとリビングの方から「おかえり」と言う声が響いてくる。
俺は靴を脱ぐとすぐにリビングへ向かい、大きなソファになだれ込んだ。
すでそこに座っていたソファの主に頭を軽く叩かれる。
ゲームの邪魔をされて少し気を悪くしたみたいだ。
そいつは一度こちらを一瞥すると、すぐにテレビへと視線を戻した。
「今日はあの転校生と帰ってたよね。一日でそんなに仲良くなるものなんだ、驚いたよ」
「いろいろあったんだよ。つーか朝からすんげぇ眠い……」
俺は目の上に腕を置き、大きく息を吐いた。
上の方からため息が聞こえてくる。
「徹夜であいつのゲームに付き合うからだよ。馬鹿じゃないの?」
「夜中まで勉強してる奴に言われたかねぇーよ」
その時、玄関の方でドアが開く音がする。
もう一人が帰って来たみたいだ。
足音は俺たちのいるリビングで止まり、それに合わせて隣は声を上げる。
「あぁ、お帰り緑川」
「ただいま~。ごめん朱連、ちょっとつめて」
「はいはーい」
俺は横たわっていた体を起こして勝の方へつめてやった。
緑川が俺の隣に座り、大きなテレビ画面に映し出されたゲーム画面を眺めはじめる。
緑川と、俺と、勝。なぜか三人で仲良くテレビゲームをしている光景が出来上がった。
さすがに、青翔が知ったら驚くよなー……。
俺たち三人、揃って仲良くシェアハウスに住んでるなんて知ったらさぁ……。




