午前二時、地球発
遠い星。いつから人は届かない夜空の星に向かって手を伸ばしてきたのだろうか。
絶対に届かないと分かっているその輝きに、人は魅せられ、自らその地へ赴こうという試みを繰り返してきた。試みは幾千年、幾万人の犠牲を必要とした。ただ、手に入れられないその輝きのために。
今、俺の眼前にはその輝きに満ちた星たちが広がっている。
星はその存在自体が罪深い。
人はその星たちに惑わされてきた。星をも自分のものにしようとする業の深さが、人類そのものの存在すら脅かしている。
そして、俺は今から地球を出発する。
「ちょっと、人の話聞いているの?」
自分の話を聞かない俺に、不満であることを隠そうともしないまっすぐな言葉を由美子は投げてきた。
「あぁ、聞いてるよ」
俺は深くも考えずに答える。短く、簡潔に。
「うそ、何も聞いてないでしょ。こんなに大事な話をしているというのに」
俺の上辺だけの答えに由美子は満足しなかったようで、俺の肩を揺さぶって自分の方を向かせようとしている。回転いすの上に座っている俺はいとも簡単に、由美子と正対してしまった。
「あなたのことなんだから、ちゃんと聞いてよね」
両手を腰にあて、頬を膨らませながら咲由美子サポート員は俺を注意する。会議室の蛍光灯に照らされた白い肌は先程まで眺めていた星たちの、青白い病的な輝きとは違っていた。
「ちゃんと聞いてますよ、由美子ちゃん」
「あぁ、もう。また、私のことを『ちゃん』付けする。その言い方はやめてって言ったでしょ!」
由美子は膨らませた両頬を更に赤くさせ、俺のことを睨みつける。しかし、身長が一四〇cm程しかなく、回転いすに座った俺よりも少し高いという背丈で、三つ編みのお下げをしている女の子が、そのようなことでこんな風に怒っているのを見ていると、どうしても、『ちゃん』をしたくなってしまう。これが保護欲というものかもしれない。
しかし、俺はこの子にすらもう会えなくなる。
「分かったよ、悪かった」
俺は両手を上げて降参した。
「分かればいいのよ、分かれば」
俺の改まった態度を見て、満足そうに由美子を頷いていた。その満ち足りた顔や大袈裟な仕草は実に愛らしい。やはり、この子は由美子ちゃんだ。
「それでは、最終確認するわよ」
俺の一人合点を知ってか知らずか、由美子は事務的な口調になり始めた。あぁ、いよいよなんだな。俺の関心は再び、真っ暗な星たちの世界へと移っていった。
「桐峰拓斗さん。あなたは本日午前二時のシャトルで地球を出発します。シャトルへの乗船や大気圏突破の際の注意点は改めて述べる必要はありませんね」
俺は黙って首肯した。当たり前のことをいちいち確認してはいられない。
「はい、結構です。では、あとは最終意思確認だけです。桐峰拓斗さん、あなたは第三十二次アンドロメダ星系方面派遣隊として志願するのは、あなたの意志ですか?」
意志も何も関係ない。地球は俺にとって、いや、俺たち人類にとって住めない星になってしまう。その予測がはっきりとした形で示されてから、もう何年になるのだろう。人類はまず隣人を恨んだ。戦争で、恨む相手がいなくなると、次は別の住まいを捜し始めた。同胞の捨て身の結果を待ち望んでいる。
「もちろん、そうだ」
日付が変わり、暗闇の星よりも明るい蛍光灯の光が照らす会議室に俺の声は響いた。
俺は第三十二次アンドロメダ星系方面派遣隊に選ばれた。隊とついているが、行くのは俺一人である。大学の研究室で宇宙物理学を専攻していた俺にこの通達が来るのは時間の問題だった。
選ばれたことを報告すると、研究室の指導教官は俺にお祝を言うと、意気揚々と大学総長のもとへと俺を連れていった。次期総長争いの材料として、俺は非常に役に立つようだ。俺の両親も、俺が帰ると涙を流して喜んだ。「人類の希望の光であり、我が家の誇りである」と父は俺と固い握手と抱擁を交わした。俺が父と熱い抱擁を交わしたのはこれが最初で最後だった。
要するに、俺は人柱に選ばれたのだ。
この先、人類が生き残るために、俺はその先鞭をつけるのだ。これまで三十一人がやってきたことを俺がつなぐのだ。ちなみに、もう第三十五次派遣隊まで決まっており、先輩である三十一人は帰ってきていない。
「では、桐峰さん。出発準備を始めてください」
由美子は淡々と話を進める。俺が選ばれてから身の回りの世話はこいつがやっていた。あまり話したがらない俺に由美子は話しかけてくれた。派遣隊の人間の世話をするのが由美子の仕事である。その業務への使命感からか、俺がどんなに無視をしていても話しかけてきた。天気の話題から、他のサポート員の話まで、俺が興味ないことでもお構いなく話しかけてきた。
「なぁ、最後に一ついいか」
俺は会議室を出ようとする由美子の背中に話しかけた。由美子は俺の方へと振り返ることはしない。
「なんでしょう」
こちらに背中を向けたまま、由美子は立ち止まった。ドアノブに手をかけたまま、いつでも会議室を出る準備をしている。
「これで最後なんだ、もう少し話をしようじゃないか」
「もうすぐ時間ですから」
いつもは俺が嫌がっても話をしている由美子もさすがに乗ってこない。
「もう俺の世話係はおしまいなのか」
俺の言葉を聞いて、由美子の両肩が震えた。由美子の背中が反応した。
「後生だからさ、ちょっとぐらい付き合ってよ」
「後生って、そんなことを言わないで!」
由美子は振り返ると、そのまま下を向き、無言で俺に近づいてきた。俺は動けない。
「後生だなんて、そんな、そんなことを言わないでよ」
俺の前に来るまで我慢していたのだろう。顔を上げ、俺に向かって答えると、由美子の両頬を一筋の涙が流れた。
「なに、覚悟はできてるって」
俺は自分で笑いながら答えていることに気づいた。覚悟はできてる。そんな大層な言葉を俺が使っていることは自分が一番信じられない。自分自身がもっとも信じられない。
「覚悟なんてそんな言葉を使って欲しくない」
もっともだ。覚悟という言葉からはもっとも遠い場所で生きてきた俺が、そんな大それた言葉を使うべきではない。派遣隊に決まった通知が来た時でさえ、それを実感できなかった。ただ、決まっていく流れをまるで他人事用にしか思えなかった。
自分が死ぬことに何のためらいものなかった。
「ただ、一つだけ教えてほしいことがある」
泣きじゃくる由美子の頭を俺は撫でながら、本題を切りだす。
「俺の任務は誰かの役に立つのかな」
出発するまで二時間を切って俺は、自分の行為についてその意味を疑いたくなった。この期に及んで、ようやくである。俺の行動に意味があるのか。今まで、三十一人が帰ってこないこの任務に何の意味があるのか。自ら志願したはずのこの任務に何の意味があるのか。
俺自身、こんな滑稽なことはないと思う。いや、恐ろしく馬鹿げている。
「そんなの、当たり前じゃない!」
由美子が力強く答えることで、俺の呆けた思考は停止させられた。その瞬間、由美子は俺に抱きついてきた。白くて細い腕を、つまらない機械の付いた俺の宇宙服に回した。
「あなたには、私にはできないことができるの。それがどんなに素晴らしいことか、あなたには想像できる?」
空気が悪くなってから、人類は屋外での活動が制限されがちだった。由美子たちはちょうどその制限が最も厳しかった世代で、運動することを厳しくとがめられた。また、環境の変化は人類に新しい病気を次々にもたらした。由美子は身体の成長が極端に遅くなる病気を発症し、俺よりも年上にもかかわらず、幼く見えた。
だから、彼女は宇宙へと行くことができない。たとえ、俺が新しい居住可能惑星に到着し、人類を受け入れる準備ができたとしても、由美子は地球に取り残されてしまう。
「あなたには希望になって欲しいの。人類の希望の星になって欲しい」
俺は抱きついた由美子をそっと抱きしめた。生命維持装置や気圧維持装置などの機械が由美子の感触を俺から妨げている。本当につまらない機械だ。
「希望の星ね、なれるかな俺に」
俺は窓の外を見た。漆黒の空には青白い星の点が散らばっている。俺はじっと見つめながら不思議と、自分は星になれる気がしてきた。あんなに病的なものに自分以外の誰が向いていようか。分厚い手袋で覆われたこぶしに力を込める。
「なれるわ。少なくとも、私にとってはもう、あなたは希望の星なのよ」
こうして、俺は地球を発った。午前二時、星たちは俺を迎え入れた。




