8*プリンセスは空を睨む
「篠村、またお前だけになったな」
「……す、すんません…」
十二月後半の、とある金曜日。
今日の天気は雨。寒気が強いので明日の予報は朝から雪。
公立よりも少し早めの冬期休暇に入って一週間程の私立青野高校。
教壇から見える普段の景色は四十人程がこちらを見ているものだが、今日は違う。
いや、今日も違う。
今回の後期試験の補習、三十点以下の対象者が三人だった。
(私の政経はそこまで難しくしていないため平均点ではなく三十点以下と決めている。)
内、二人はテスト当日に欠席してしまった故の補習だ。
つまり事実上本気の赤点取得者は篠村薫ただ一人ということになる。
再テストで二人は合格。
そして今___
教壇からどんなに首を回しても篠村しか見えないのが今の状況だ。
「カオ、分身でもした方がいいっすか?」
「ほう…?」
そんな人体の限界を軽く飛び越えたファンタジーな事が出来ると?
私にそう言っているのか?篠村。
なんて、直接言葉にはなってはいないがヒシヒシとそう言ったモノが伝わる、”出来るものならやってみろ”な視線を吾妻から食らった彼女は、目を左右に泳がせ夏でもないのに一雫の汗を流した。
「す、すんません。カオにはできないっす…」
「分身されて大勢居ても、能力が上がるわけでもないし補習が余計に手間取るだけだ。篠村は一人で十分」
「う…」
「ほら、補習を始めるぞ」
「…お願いしまっす」
こうして二年目、冬のマンツーマン補習が始まった。
***
「よってこうなるなわけだが___」
まただ…
先程からしきりに窓の外を見ている彼女。
黒板から振り返る度にこれでは、教えている意味が無いと吾妻はため息を一つ。
外を見たままの彼女へ近づき、彼女の名だけが記されている名簿の挟まった黒いボードを軽く振り下げた。
「おい」
「めぎゃっ!?」
その薄い板は彼女へ落ち、残念な声を出し頭を抱えて吾妻の方を振り返る。
「私の授業中によそ見とは良い度胸だ」
「ひー!?すんません!」
ジト目を向けられた彼女は顔を青くして即座にピンと姿勢を正した。
「理由だけは聞いてやろう」
と、言うまるで最後通達の様な「理由はあるんだろうな”言え!”」な彼の無表情な声の中に籠められた怒りの雰囲気に彼女の表情は更に引きつる。
「えーと、ソラが気になったんっす」
目を泳がせながら答えるとは、なんて嘘がつけないんだ篠村。
何かを隠しているのがバレバレだ。
…ま、この時期にそわそわとするイベントと言えばただ一つだ。
「…どうせクリスマスの予定でも考えていたんだろう」
「クリスマス?」
どうして?と言わんばかりの真っ直ぐな瞳で問う彼女に、吾妻はやけに重い口を開いた。
「…彼氏と予定があるのだろう?」
「ん?誰の彼氏っすか?」
「……は?」
「へ?」
なぜこうも会話が噛み合ない…。
補習で早くも頭がパンクでも起こしたか?
「いや…”篠村の”だ」
「え?カオっすか?…ってカオ!?ぶはははははっ!!!」
「何がおかしい。夏に会った時一緒に居ただろう」
人は恋に狂うという事があるらしいが、篠村のこれはそれなのだろうか。
驚きの後、盛大に笑い出した彼女に吾妻は内心首を傾げた。
「あーっと、その人はっすねー…んぎゃっ!?」
「おい?!篠村?」
突然の雷鳴と共に耳を塞ぎ机に頭を下げ、思いきり額を打ち付けた挙げ句机の下へ潜り込んだ篠村。
ゴン!と雷鳴の中でもはっきりと聞こえるあり得ない音がした。
仮に石頭だとしてもコブになるぞ…。
しかしこの体を丸めた姿勢一体…
「何の真似をしているんだ篠村」
「かかか、雷だけはカオダメなんっす…」
「音か?」
奇行の理由を一応は聞こうと、吾妻は隣の席に腰をかけ彼女の表情が視界に入る様にした。
「ピカッ、バーン!ってのもそうっすけど、………おへそ取りに来るって言うじゃないっすかー…」
へそ?へそって…胴体に付いているアレだよな。
お腹を両手で押さえて必死で隠す彼女をまじまじと見つめ、自分が思っているそれと同じモノであることを吾妻は確信した。
へそを取られると本気で思っているなんて…
「ふっ…」
「え?笑った…ってか笑うとか酷くないっすか?!」
瞬間おどろいた後、半泣きで彼に抗議したが吾妻は肩を小さく揺らして笑いを必死で堪えるばかりだ。
ひとしきり声も無く笑った吾妻は彼女へ言葉を返す。
「雷もそんな迷信でそこまで怖がってくれる高校生がいるとは思っていないだろう」
「メーシン?ってどんな神様なんっすか?」
「神…?」
はて。神と言ったな…。
迷信=メーシン→メー神と言った所か。
………成る程。
いくら日本ではあらゆる物に神が宿っているという、八百万の神という考え方があると言っても”迷信”を神と捉えるのは…篠村だけだろうな。
呆れを通り過ぎていっそ清々しいというか、何だかもう感心さえしてしまう吾妻は、彼女の考えていることが割と深く読めてきている事に気付いているだろうか。
「篠村、迷うに信じると書いて迷信だ。神ではない」
「へー。神様じゃないっ!?んっすかぁ!!!」
再び閃光と共に大きな音を立てた雷に篠村は机の下でビクンと体が動いて頭頂部を打ち付けた。
「っ痛〜ぅ…」
「……」
二度も頭を強く打ち付けるとは、学習能力が…いや、なんとも言い難いな。
「メーシンでも何神でもいいから雷止めてくれー!」
やっぱり何やら勘違いをしているような気が拭えない吾妻だが、痛みを発散させる叫びだと捉えておくことにした。
外に視線を向けると、先程よりも雨が激しさを増して一層校舎を打つ音が大きくなった。
今朝テレビで見た天気予報だと昼から夕方まで雨が激しくなると言っていたな…。
灰色雲に覆われた空を見上げ、吾妻が情報を頭の中でよみがえらせていると再び大きな雷鳴が轟いた。
先程の一鳴よりも光と音の間隔が短い。
どうやらこちらへ近づいている様だ。
「ふぎっ!?」
…おまけに篠村の嫌いな雷も今頃から鳴ると聞いていたな。
彼女の三度目のあたまゴチン!を残念そうに横目で眺めた吾妻は鼻からため息を零し口を開けた。
「おい、篠村。そろそろそこから出て来い。時間までは補習するぞ」
「ま、マジっすか?」
立ち上がり、再び教壇へ登ろうとする吾妻へ目を点にして言葉を返す彼女。
「?…私がいつ冗談を言った」
なぜ驚いた様な表情をこちらへ返して来るんだ篠村。
補習中だぞ。
「そうっすよねー…」
雷がダメだと言う彼女の為に授業を切り上げてくれる様な甘さは吾妻に無いと、再度悟った彼女の心境を知る由もない。
「……篠村どうした?」
「へ?」
「顔が赤いぞ。のぼせたか?」
諦めて机の下からおとなしく出て来た彼女の頬はりんごの様に紅い。
暖房の付いているこの教室でそういったことはよくある。
うずくまっていれば尚の事だ。
「そういえば…なんか熱い?っす」
へらっとした微笑みで彼女は答えた。
よくはある…が、おかしい。
表情を音にするなら、”へらっ”ではなく”ニカっ”と笑うのが篠村だ。
これはもしや…。
吾妻は違和感を感じてもう一歩彼女へと近づいて手を伸ばす。
その左手は前髪を無造作にかき分け額に触れた。
「熱い。熱があるじゃないか」
「え?!あ、本当だ…」
言われて気付くとは…まぁ、篠村らしいと言えばらしいがなかなかに鈍感すぎる。
さっきの熱さからして軽く三十八度は越えているだろう。
己の額に手を当て、自身で確かめる篠村は鈍感ながらもようやく体調の異変を認識できた様だ。
だが、このタイプの人間は気付いた途端に悪化するだろう。
「授業を終わる」
「あれ?授業続けるんじゃないんっすか?」
吾妻の心の内を知らぬ彼女はさっきと違う彼の発言に疑問を持つ。
「その熱で補習を受けさせる程、私は鬼ではない。それにもう授業をしても頭に入らないだろう。
今日は金曜だ。土日でしっかり治しなさい。補習は月曜からまた厳しく指導する」
「了解っす」
わーい!やったー!!な心の声が聞こえて来そうな彼女の口調。
自身はまだそこまでの風邪だと気付いていない様だ。
「その熱、自力で帰れるか?」
「ははっ、大丈夫っすよ。カオ、これでも丈夫っすから」
真に丈夫ならば風邪は引かないのだかな…。
「親は呼べないのか?」
「とーちゃんとかーちゃんは幼なじみの家族達とニュージーランドっす」
「ニュージーランド…」
国外か…。さすがにそれは呼び出せないな。
「カオも行きたかったんっすけど…ははっ、こうやってまた赤点取っちゃったんで今日から五日間は貴重品所持者で憧れの一人暮らしっすよ」
寂しいくせに強がっているのが吾妻にバレているとは知らず、彼女は笑顔を張り付けている。
とりあえずそれには触れず、吾妻は次の案を出す。
「じゃあ…彼氏はどうなんだ?」
なぜか口の中に苦いものを感じて、肝心の言葉が出て来るまでに一拍空いた。
…??何だ…?このもやもやと、そして焼け付く炭酸の様なじりじりとしたものは…。
ここしばらく感じていなかった痛みが胃のあたりをまた襲い、手のひらを当てた。
「あー、そー言えばその話してたっすね」
「どうなんだ」
忘れてたと言わんばかりのその口調と、答えになっていない返答に少々イラっとした吾妻は知らぬ内にいつも以上に冷ややかに言葉を返した。
「尋兄ぃは…えーっと…大っきな括りで言うなら幼なじみなんっす」
「………は?」
干支一周分は歳が離れているだろうに幼なじみだと…?
向けられている疑いの視線に全く気付かず彼女は喋り続ける。
「環兄ぃの…宮月環南会長の兄貴で、近所に生まれたカオにとっても生まれた時からの兄ちゃんで。
十三歳離れてるからカオと花を自分の子供の様に甘やかしてくれるんっす。すっげー良い兄貴分なんっすよ?
だから、ぜーんぜん彼氏じゃないっつーかむしろ親?みたいな感じっすね」
少し上体を反らし誇らしげにそう言う篠村。
どうやら本当に夏に篠村の隣に居た人は彼氏ではない様だ。
「だからカオ一人で帰れるっすし、熱あるみたいっすけど全然、大〜丈夫っす!
じゃ、失礼しまーっす!!」
「お、おい…」
どこから湧いて来るのか分からないが自信満々な態度でそう言い切り、勢い良く部屋を出て行った彼女。
「……全く…」
呆れの含まれたため息と小さな言葉を残して彼も教室を出た。
が、その二十分後吾妻の目の前に再び彼女は現れた。
***
ん?あれは…。
仕事を終え、校門から出て右折して五十メートル程。
車中から向かって左側の歩道に青野の制服を着た見覚えのある人影が。
しかし、その様子がおかしい。
電柱にもたれ掛かって、雨の降りしきる中にも関わらず傘が開いたまま地に落ちている。
吾妻は車をその人物の横に止めてパワーウインドウを開け、思わずその人物の名を呼んだ。
「…篠村!」
「……あ、…吾妻…せんせ…」
さっき教室でのはしゃぎっぷりはどこへ消えてしまったのか。
急激に具合が悪くなった様子の彼女は雨に打たれている。
くそっ…教室に居た頃に手を打っておけば…。
吾妻は彼女の今の状況にグッと奥歯を噛み締めて、運転席から勢いよく降りた。
「私の車に乗りなさい送って行く」
そう言いながら自分のスーツのジャケットを彼女の頭にかけた。
「…大丈夫っすよ…道は…分かってるっす…から」
篠村はへらっと笑顔を見せそう言うが、もう一歩だって動けそうにないのは見ているこちらにでも分かる。
傘さえ差す事が出来なくてずぶ濡れのくせに…。
こんな辛そうな時まで冗談を言って明るくしている必要は無い。
「いいから乗れ!」
そう怒鳴った吾妻は、有無を言わせず彼女の右腕を掴み後部座席へ押し込むようにして車へ乗せた。
「ほら、寒いならこれでも着てろ」
運転席に戻り、助手席に置いていたコートも彼女へかける。
「ははっ…先生…が優しい…変なの」
「バカなこと言ってないで篠村、家まで案内しろ」
「そこの国道の三つ目の…信号を左…に…」
「わかった」
車は雨の中、進み始めた。
「おい、篠村次はどっちだ?」
「……はっ………つっ……」
三つ目の信号を曲がった吾妻は再び彼女に問いかけた。
が、返事が返って来ない。
震えて声も出せていないか。更に熱が上がったみたいだな…。
篠村の状態は限界に近い。
早く休ませなくてはいけないが、篠村の案内が無くては家に連れて行くことさえ叶わないのが現状だ。
しかし、ここでどうしようかと時間をかけて留まる余裕も無い。
「……雨なんて降りやがって」
視界に入る幾億の雨粒の向こうの一睨みし、吾妻は新たに定めた目的地へハンドルを回した。




