6*プリンセスは当惑する
廊下の端に現れた自分を呼び止める声は、先程までの話題に上がっていた少女・篠村薫だった。
吾妻は思いもかけない人物の登場に驚く。
何せ、補習の時しか彼女とは面と向かって会話などしないのだから。
「吾妻先生ー!」
何やら急いでいる様で、彼の元へと走ってやって来る。
「廊下を走…なんの真似だ篠村」
声色は全く変わらないが、吾妻が注意の言葉を途中で切る程動揺したのは、彼女が足下で足を折って地に手をついて頭を垂れている…つまり土下座をしているからだ。
いきなり現れたと思いきや、早速の意味不明な展開に彼は彼女の発言を待った。
「ぅおねがいしまっす!先生しかもう頼れる人が居ないんっす!」
廊下に額を付けたまま篠村は切羽詰まった様な声を上げた。
私を嫌っている篠村がそんな事を言うのだ。事情を聞いてみる必要があるな。
「どういう事だ」
「先生がトリック・オア・トリート!でファントムジャックで氷の世界から来た鬼がジュワッと…」
「もういい。とりあえず落ち着け」
あまりに脈絡の無い言葉がつらつらと聞こえて来た為、一度話を切った吾妻だが彼女の興奮した様子は変わらない。
「で、でも!…」
「まず、廊下で土下座は止めろ。状況を誤解する者も居るだろう」
「でもでもわっ?!」
これでは会話しようとも成り立たないな。
そう思った吾妻は彼女の両手を上に持ち上げ、強制的に立ち上がらせて三畳半程の専用個室へと引き入れた。
もちろん、入り口の扉は開いたままだ。
「座れ」
狭い部屋の隅に置かれている折り畳まれていたパイプ椅子を入口側に広げ、そこへ彼女を有無を言わせず座らせた。
そしてデスクの方へと向かい、再び彼女の前へ戻って来る。
「?!」
「いいか、篠村。それを口にしている間に言葉をせめて私が理解出来るくらいにはまとめろ。無くなるまで発言は認めない。いいな?」
吾妻の手によって彼女の口に飛び込んで来たのはふんわりとした甘さのマスカットフレーバーの棒付きキャンディーだった。
あれだけ話が単語ばかりということは篠村は糖分不足だなきっと。
なんて吾妻の考えは彼女に伝わりはしなかったが、氷の世界からやって来た鬼からキャンディーなどという意外すぎるものを与えられ、ただいっぱいの驚きで彼女は大人しくなった。
「ふひ」
彼女が頷くと吾妻はパソコンに向かって作業を開始した。
先程、理事長に呼ばれたせいで彼も今日終わらせる仕事がまだ途中なのだ。
こうして五分程キーボードを素早く叩く音だけが部屋を賑わせた。
***
「先生、話していいっすか?」
「まとまった様だな」
ちょうど吾妻が小テストを作り終えた頃、彼女も飴を食べ終えた。
彼が頷くのを見ると彼女は部屋の入り口を閉めた。
「待て。扉は開けておけ」
「ダメです!誰にもバレちゃいけないんすから!」
「話と関係ある事なのか?」
「はいっす」
あまりに真剣に話す篠村に折れる形で私は扉を閉める事を許した。
「話してみなさい」
「先生、ハロウィンパーティーでカオと一緒に一役演じてください!」
「は?演じる?私が篠村と?」
ハロウィンパーティー。
三年生の受験へのラストスパートをかける為にと十月三十一日に行われる昨年から始まった行事だ。
その日以降、三年生は自由登校へ変わるので下級生との交流も最後ということになるため全校生徒が張り切る。
あまりの驚きに思わず聞いた言葉をそのまま聞き返すという始末の吾妻。
演じるなど保育園に通っていた頃、立っているだけの木の役をした事しか無いのだ。
それくらい彼は今混乱しているが、彼女は構わず頭の中で必死にまとめた話を続ける。
「今回のメインイベントは去年のビンゴに変わって正体当てゲームにしようってことになったんっす」
「演じるのとどういう関係があるんだ」
「先生にその、正体当てゲームの主役を演じてもらいたいんっす」
「断る」
突拍子も無い事を明るく言う彼女に吾妻はスッパリと拒否の言葉を返した。
「えぇ?!そんなぁ!先生しか頼めないんっす!」
とうとう半泣きで吾妻の目の前に迫って来る彼女に彼は一瞬頬を引きつらせた。
「どうして私なんだ。私じゃなくとも成立するだろう」
「それは違うっす!吾妻先生じゃないとダメっす!」
「理由を言ってみなさい」
土下座までして私にこだわる理由が知りたくなった。
「カオがこの高校で知る限り先生が一番学校に居る時と普段の時はぜーんぜんっ見た目が違うっす!」
たしか夏にそんな事を言っていたな。
「で?」
「それに先生は愛想無いし、氷の世界から来た鬼だからこんな行事に参加する感じじゃないって自然に皆から候補に挙げられないタイプだし、謎が深まるっす!」
「……」
氷の世界から来た鬼はともかく、愛想が無い事と行事に関わることはあっても中心へ躍り出て行くことをしないのは、私を表現する言葉としてあながち間違いではない。
だがこうも笑顔で言われると何だかグサッと来るな…。
なんていう吾妻の心情を知る由もない彼女は更に言葉を続ける。
「ちなみにカオは先生が演じるファントムの相棒だか恋人だとか…とにかく台本まだ上がってないんでよく分かんないけどそんな役っす。舞台には一緒に上がって一緒に下がるっす!」
相棒?恋人?なんだそれは…。
「だから吾妻先生お願いしまっす!」
「篠村、お前は良いのか…?」
人の良さそうな彼氏が居るのに、そんな相手を私にさせるなんて…。
頭を再度下げる彼女を見つめる吾妻に夏の終わり以来の胃の痛みが襲う。
「カオはそういう役回りなんで全然オッケーっす!」
成る程。役回り…つまり割り切っていると。
痛むその辺りに、気のせいだと自分に言い聞かせるように左手をあてた。
「あのー、先生?」
「わかった。私がその相手を演じよう。下手でも怒るなよ」
「やったー!…おっと、連絡連絡」
半ばやけくそで引き受けた吾妻とは対照的に、立ち上がって喜んだかと思いきや携帯電話を取り出し、現代っ子らしく素早い操作で誰かへ電話をし始めた彼女を見た彼は職員室へ帰ることにしたらしく、彼女の横を通り過ぎる。
「あ、先生待ってくださいっす」
「何だ、まだ用か?」
首を右に回して顔だけ彼女の方を向いて言葉を聞く。
「身長教えてくださいっす」
「は?」
突然のパーソナルな部分の質問に、吾妻は更に首を限界まで捻って彼女を見つめた。
「衣装は生徒会で用意するんでそれ用に…」
なんだ…いや、成る程。衣装か…。
妙に動揺する心を落ち着かせて、何事も無く返事をする。
「百七十七だ」
「了解っす!じゃ、台本とかは今度、役員の紺ちゃ…秋穂紺(あいお こん)君が届けて、衣装は当日渡しますんで失礼しまっす!」
右手でピッと敬礼した彼女が一礼した後、くるりと身を翻し廊下の角を曲がって姿を消した。
「はぁ…」
嵐が去った気分におそわれた吾妻の深いため息が場に満ちた。
こうして暦はめくられ、来るべき日を迎える。
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