Ⅵ
王の命の砂時計が刻一刻と落ちていくのを感じながら魔女は走った。
長い幽閉生活で萎え切った足は震えて、何度も何度も転ぶ、だが、その度に魔女は歯を食いしばって立ち上がり再び走り出した。
案内をしてくれている女性も手を貸してくれ、彼女に引っ張られながら魔女はただ、王の下を目指して走る。
切れる息。震える身体。破れるのではないのかと疑うほど心臓の鼓動は速くなっている。
今の魔女に、憎しみはない。悲しみも苦しみも、恋した気持ちもない。
あるのはただ、一つ。
王に逢いたい。
その気持ちだけだった。
息の仕方がわからなくなるぐらい苦しい。感覚は朧でただ、女性と繋いだ手だけが魔女を繋ぎとめている。足を止めることはできなかった。
早く、早くしないと消えてしまう。あの、魔女に畏怖を与えた瞳が永久に閉ざされてしまう。
「魔女!大丈夫!」
走る速度は落とさずに女性がこちらの様子を心配するのに魔女は黙って頷いた。
「………答えなくてもいいから聞いて」
「………?」
切れ切れの息をしながら魔女は前を走る女性の背中を見つめる。女性は前に向きなおすと走りながら静かに口を開いた。
「後悔はしないで」
「え………?」
「魔女も王も後悔ばかりしていたでしょ?立場とか偏見とか言葉足らずだとか鈍感とかしがらみとかですれ違って後悔して泣いてばかり………ちっとも幸せではなかったはずだわ。王は泣いてないけどいつだって幸せとは程遠い顔していらっしゃった」
もう、時間はないからと泣きそうな声が呟いた。
「これが最期だから。全部のしがらみや誤解なんかを解くのは無理でもせめて、新しい後悔はしないで。わたくしが貴女を王に逢わせるから、どんな邪魔が入っても絶対に逢わせるから、だから、後悔しないで」
優しい、優しすぎる声。繋いだ手が強く握られた。
「わたくしは………わたくし達はあまりに子供だった。だから、大人に見つかったら遠ざけられて、魔女に何もできなかった。貴女に外を見せてあげたい。そう思ってたった一回、貴女を連れ出しただけでもう、魔女に逢えなくなった」
その言葉に遠い日にほんの一時だけ出逢った金髪の少女の姿が蘇る。黄色い可愛らしい花を髪に飾ってくれて屈託のない笑顔を向けてくれた少女と目の前の女性が一致した。
「お、姫、さま………?」
前を走る女性は確かにあの時の少女の面影を宿していることに魔女は気づいた。
子供が大人になるぐらいの時間が流れたのだと、実感した。
「友達が泣いているのに何も出来なかった。………いまさらだと言われても仕方がないかもしれない。言い訳はしないわ。でも、もう、貴女に後悔で辛い涙は流させない」
魔女は答える代わりに手を強く握り返した。
景色が変わる。見事に整えられた庭を抜け、建物に入る。すれ違う従者や騎士達が目を見開き、止めようとするがそれら全てを女性は無視して走りぬける。
建物の奥へ奥へと走っていく。背後で何度か追いかけてくる声が響いたが女性が懐から取り出した小さな包みを振り返りもせずに投げつけると例外なく悲鳴に変わり、追っ手は足止めを余儀なくされていた。
そんなことを何度も繰り返し、豪華だが同じような廊下を幾度も走りぬけた先に一際立派な扉とそしてその扉の前に集まる数人の人々の姿を見つけ、女性はようやく足を止めた。
「ついた………」
女性の声に魔女はゆっくりと顔を上げる。
翡翠色の瞳が何かを覚悟するように前を見据えた。