第一話 帰ってきた島③
朝。
鳥の鳴き声で目が覚めた。
蒼真はゆっくりと目を開く。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
見慣れない天井。
障子越しの柔らかな光。
そして、かすかに聞こえる波の音。
「ああ……」
凪島だった。
昨夜の出来事を思い出す。
祠。
千鶴。
鈴の音。
白い影。
そして夢の中の少女。
どれも現実感がなかった。
寝ぼけていただけかもしれない。
そう思うことにした。
◇
朝食を食べ終えると、千鶴は畑へ出かけていった。
「今日は島を歩いておいで」
そう言い残して。
蒼真も家を出る。
天気は快晴だった。
空は青く、海も青い。
島を吹き抜ける風は心地よかった。
坂道を下りながら周囲を見回す。
子どもの頃に走り回った道。
小さな神社。
漁具小屋。
どれも記憶のままだ。
いや、
少しだけ小さく見えた。
自分が大きくなったからだろう。
港へ続く道を歩いていると、
「おーい!」
突然、大きな声が響いた。
蒼真が振り返る。
坂の上から誰かが全力で走ってきていた。
短く刈った髪。
日焼けした肌。
背は高い。
そして見覚えがある。
「……まさか」
「蒼真!」
勢いよく肩を叩かれる。
蒼真はよろめいた。
「痛っ!」
「やっぱり蒼真だ!」
満面の笑み。
間違いない。
「陸……?」
「おう!」
岬陸だった。
子どもの頃の面影はある。
だが想像以上に成長していた。
肩幅も広い。
腕も日に焼けて逞しい。
いかにも島の高校生だった。
「帰ってきたなら連絡しろよ!」
「いや、昨日着いたばっかだし」
「そうなのか!」
陸は豪快に笑う。
昔から変わらない。
蒼真は少し安心した。
「暇か?」
陸が聞く。
「まあ」
「なら釣り行くぞ」
「いきなり?」
「いきなりだ」
「断る権利は?」
「ない!」
即答だった。
蒼真は思わず吹き出す。
久しぶりに心から笑った気がした。
陸は満足そうに頷く。
「よし!」
「変わってないな、お前」
「当たり前だろ」
そう言って胸を張る。
本当に変わっていない。
それが少し嬉しかった。
◇
二人は港へ向かった。
防波堤の先端まで歩く。
海は穏やかだった。
波がきらきらと光っている。
「懐かしいな」
蒼真が呟く。
「だろ?」
「昔ここで落ちたよな」
「お前が押したんだろ」
「違う違う」
「絶対押した」
そんな話をしながら歩く。
すると。
陸が不意に首を傾げた。
「ん?」
「どうした?」
「誰かいるな」
防波堤の先。
一人の少女が座っていた。
海を見ている。
白いワンピース。
黒髪。
風に髪が揺れている。
蒼真の心臓がどくりと鳴った。
昨夜の夢。
あの少女に似ていた。
少女がゆっくり振り向く。
そして。
ぱっと顔を輝かせた。
「あ」
嬉しそうな声。
まるで待ち合わせ相手を見つけたような。
少女は立ち上がる。
そして真っ直ぐ蒼真を見た。
「蒼真」
自然に名前を呼ぶ。
蒼真は足を止めた。
「……え?」
「やっと来た」
少女は笑った。
その笑顔は太陽みたいだった。
「待ってたよ」
蒼真の頭が混乱する。
「誰?」
少女はきょとんとした。
逆に驚いたような顔だ。
「忘れたの?」
「いや、初対面だと思うけど」
「そっか」
少しだけ残念そうに笑う。
それでもすぐに元気を取り戻した。
「私は潮」
少女は胸を張った。
「潮?」
「うん」
どこか聞いたことがあるような名前だった。
いや、そんなはずはない。
こんな少女に会ったら忘れるわけがない。
その時。
陸が怪訝そうな顔をした。
「蒼真」
「ん?」
「誰と喋ってるんだ?」
蒼真は固まった。
潮を見る。
陸を見る。
もう一度潮を見る。
潮はそこにいる。
間違いなく。
笑っている。
「え?」
蒼真の声が掠れた。
「何言ってるんだ?」
「だから」
陸は眉をひそめる。
「誰もいないだろ?」
潮は吹き出した。
「あはは」
「見えてないんだ」
まるで面白いものを見るように。
蒼真の背筋を冷たいものが走る。
潮は笑いながら海を指差した。
その瞳はどこまでも澄んでいた。
「ねえ、蒼真」
風が吹く。
潮の髪が揺れる。
「神様って信じる?」
瀬戸内海の青い海が、その向こうで静かに輝いていた。




