第十一話 出航の日
翌朝。
凪島の空は雲ひとつなかった。
春の陽射しが海を照らしている。
いつもと同じ朝。
なのに、
蒼真には世界が少し違って見えた。
父の言葉。
海鏡
黄泉の門。
おのころ島。
昨日まで神話だったものが、今は現実になっている。
◇
「本当に行くのかい?」
朝食の席で千鶴が尋ねた。
「行く!」
蒼真は迷わず答える。
千鶴は少しだけ微笑んだ。
「そうだろうねぇ」
「止めないの?」
「止めても行くだろう?」
図星だった。
「それなら」
千鶴は立ち上がる。
そして棚から小さな包みを持ってきた。
「これを持っていきな」
中には勾玉が入っていた。
深い藍色。
海のような色をしている。
「これは?」
「結城家の守り石」
「神守の証だよ」
蒼真はそっと受け取った。
不思議と温かかった。
まるで、誰かの手のぬくもりが残っているように。
「父さんの?」
「そう」
千鶴は頷く。
「最後まで持っていたものだよ」
蒼真は勾玉を強く握った。
胸の奥が熱くなる。
◇
昼前。
三人は港へ集まった。
蒼真。
陸。
潮。
そして小さな漁船。
「本当にこれでいくのか?」
「俺の船を馬鹿にするな」
陸が胸を張る。
「じいちゃんの代から使ってる」
「神様の道だろうが何だろうが行ける」
妙な説得力があった。
潮は呆れている。
「多分理屈じゃないんだろうな」
「聞こえてるぞ」
「最近本当によく聞こえるね」
陸は不思議そうだった。
姿はまだ見えない。
けれど声は聞こえる。
しかも日ごとにはっきりと。
「なんでだろうな」
陸が首を傾げる。
潮は少し考えて。
「近づいてるからな」
「何に?」
「神話に」
その答えに誰も笑わなかった。
◇
出向の直前、
港は一人の老人がやってきた。
村上源蔵。
陸の祖父だった。
島では有名な元漁師。
昔から鳴門海峡を知り尽くしている人だ。
「じいちゃん?」
陸が驚く。
源蔵は黙って船を見る。
そして、
「行くんだな」
そう言った。
蒼真たちは固まる。
「知ってるんですね?」
蒼真が尋ねる。
老人亜hゆっくり頷いた。
「結城の坊主が残したものだろう」
父のことだ。
「親父と会ってたんだ……」
「何度もな」
源蔵は海を見る。
遠く鳴門の方向を。
「二十年前」
「わしらは一度だけ道を見た」
蒼真の心臓が跳ねる。
「道?」
「海の上に現れる光の航路だ」
潮が息をのんだ。
その反応を見て、
蒼真は確信する。
本当だ。
「その先に島があった」
源蔵が続ける。
「じゃが、上陸はできなかった」
「なぜ?」
老人は目を細める。
「守りてがおった」
風が吹く。
その瞬間、
潮の表情が変わった。
「まさか……」
何か思い当たったらしい。
だが言葉にしない。
「今回ならいける」
源蔵は蒼真を見る。
「結城の血が戻った」
「神守と舩守が揃った」
「そしてーー」
老人の視線が潮へ向く。
初めて。
まっすぐ。
潮へ。
「海の巫女もいる」
蒼真と陸は同時に振り返った。
潮が固まっている。
「え!?」
蒼真が声を上げる。
「海の巫女?」
源蔵は当たり前のように頷いた。
「見ればわかる」
「昔から変わっとらん」
潮は完全に固まっていた。
「じいちゃん、見えているのか!?」
陸が叫ぶ。
「若いころはな」
源蔵は笑う。
「今はぼんやりじゃ」
そして、
潮へ向かって頭を下げた。
「久しぶりじゃな」
潮の瞳が大きく揺れる。
「……源蔵さん」
その声には、
長い年月を超えた再会の響きがあった。
蒼真は気づく。
潮はだだの案内役じゃない。
もっと大きな秘密を隠している。
神様たちが彼女を特別扱いする理由。
父が彼女を頼れといった理由。
それがまだ明かされていない。
「行け」
源蔵が言う。
「道はもうひらいておる」
その言葉と同時に、
鳴門の方向から青白い光が立ち上がった。
海の上に、
一本の光の航路が現れる。
神話へ続く道。
蒼真たちは顔を見合わせた。
そして。
船が静かに港を離れる。
おのころ島へ向けて。
運命の航海が始まった。




