6 悲劇
読みに来てくださってありがとうございます。
リュディが動き始めます。
想像すると凄惨なシーンがありますので、苦手な方はお戻りください。
よろしくお願いいたします。
その日までは大きな問題もなく、王城は静かに日々を重ねていた。次第に大きくなっていくアンジェリーヌ妃のお腹を、リュディヴィーヌは「リュディは特別!」というアンジェリーヌ妃の一言で触らせてもらえた。
「リュディがシルヴェーヌのお腹の中にいる時に、わたくしも同じように触らせてもらったのよ」
「そうだったんですね」
「ええ、優しくてかわいい子が産まれますようにって、祈りながら触らせてもらったわ。それから、生まれたらわたくしと仲良くしてねって」
「では、今のわたしは、その時のお望みに適っているのでしょうか」
「ええ。リュディも、この子が生まれたら仲良くしてあげてね」
「もちろんです!」
だが、一見穏やかな日々は、アンジェリーヌ妃が産気づいたという情報が走った瞬間から大きく揺れ動き始めることになる。
偶然、リュディヴィーヌはその場に居合わせた。最初に異変に気付いたのは、リュディヴィーヌだった。本の整理をしながら横眼でアンジェリーヌ妃をちらちらと見ていたリュディヴィーヌは、アンジェリーヌ妃が時々、見せたことがないほど緊張をはらんだ表情をする瞬間があるのに気付いた。リュディヴィーヌは、アンジェリーヌ妃が何かの痛みに耐えているように思えた。すぐそばにいたクラルティの袖を周囲からは見えないように少しだけ引くと、クラルティもさりげない様子で顔を近づけてきた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「アンジェリーヌ様の表情が……」
クラルティははっとした。整理していた本をアンジェリーヌ妃の元に運ぶ、その流れでそっとアンジェリーヌ妃に近づくと、小声で声をかけた。
「アンジェリーヌ様、失礼します」
クラルティはさっと魔力スキャンを行った。
「アンジェリーヌ様、お気づきですか?」
「え、ええ。やっぱり、これがそうなのかしら……」
クラルティはぎゅっとアンジェリーヌ妃の手を握った。そしてリュディヴィーヌにそっと耳うちした。
「お嬢様、マルティーヌ様を呼んでください」
アンジェリーヌ妃が最も信頼する侍女の名前を聞き、リュディヴィーヌはすぐに理解した。何事もなかったかのようにマルティーヌに近づくと、クラルティの言葉を伝える。目だけはっとした様子で、だが体の動きはいつも通りにして、マルティーヌは目でアンジェリーヌ妃に「了解」の合図を送ると、静かに部屋から出ていった。アンジェリーヌは小声でクラルティに命じた。
「クラルティ。リュディを連れて一回ここから離れなさい」
「いいえ、医師として、私はここにおります」
「痛みが強くなれば、魔力をコントロールできなくなる。そうなったら、この防御魔法は維持できない」
クラルティとリュディヴィーヌは理解した。アンジェリーヌ妃は、二人の命を守れる保証がないと言っているのだ。
「魔法使いに代理を頼まなかったのですか?」
リュディヴィーヌの言葉に、アンジェリーヌ妃は小さく首を横に振った。
「この部屋だけはどうしてもわたくし以外の防御魔法を入れたくなかったの」
リュディヴィーヌは、アンジェリーヌ妃らしくないと思った。いつも沈着冷静な人だったのに、どうしてこんなに意固地になっているのだろうと不思議に思えた。
「自分の巣は、自分で守りたいのよ」
それは、母性本能の一つの表れなのだろうか。13歳になったばかりのリュディヴィーヌには分からない。ただ、アンジェリーヌ妃の望みに従いたい、従うべきだと思った。
「アンジェリーヌ様。わたしたち、お父様がいらっしゃる宰相執務室で待機するのは構いませんか?」
「ええ、それなら。わたくしの防御魔法が効いている内に移動してくれる?」
「マルティーヌ様たちが戻り次第、移動します。クラルティもお城にいますから、何かあったらすぐに連絡してくださいね」
「わかったわ」
マルティーヌが、ひそかに待機させていた産婆を連れてきた。貴族の出産を数多く手掛けており、その身元はアンジェリーヌ妃の実家であるミルトゥ辺境伯家が確認している女性だ。
「行ってください」
マルティーヌに促され、リュディヴィーヌはアンジェリーヌ妃をそっと抱きしめた。
「お待ちしております」
アンジェリーヌ妃は、花のように微笑んだ。
そのあとは、急いで宰相執務室に移動した。リュディヴィーヌのことをクロティルド妃が狙っているという情報はないが、ガルデニア公爵家がアンジェリーヌ妃に近いことは当然知られている。用心は、いくらしても足りないほどだ。
「お父様」
執務室に通されたリュディヴィーヌは、礼儀も忘れて父親に抱き着いた。
「心配するな。あの方なら大丈夫さ」
「本当?」
「お前のお母様だって、3人も産んで、今でも元気だろう?」
「そうですが……」
「心配か?」
「はい」
「この部屋は、王城の魔法使いの防御魔法がかけられている。こっそり、お父様の防御魔法もかけている場所だから、安心しなさい」
「はい」
執務室の奥には、仮眠室がある。リュディヴィーヌとクラルティはそこに身を潜ませた。
時間だけが過ぎていく。リュディヴィーヌは、これまで勉強させてもらったことを復習していたが、ふと思い立ってクラルティに「魔力スキャンのやり方を教えてほしい」と頼んだ。
「お嬢様の魔力であれば……そうですね、適性があるかどうかチェックしてみましょうか」
このフㇽラージュ王国に生まれた子どもは、14歳になると魔力判定を受けることになっている。
「私は、その判定の場で『生体に対する探知』に向いた魔力があると分かり、それを生かせる医療魔力スキャンを行える魔法医を志すきっかけになりました」
クラルティの「生体に対する探知」能力は、他者が持つ能力を判断することもできるため、これを生かした魔法使いや聖職者になる者もいるらしい。
「では、スキャンしますね」
クラルティの魔力が全身を巡っていくのを、リュディヴィーヌは感じた。腹部には魔力機関が存在するが、その魔力機関に魔力が流れていくのが分かる。体がぽかぽかとして、心地よい。まるで春のようなクラルティの魔力に、リュディヴィーヌはすっと目を閉じた。
「お目覚めですか?」
リュディヴィーヌはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「わたし、どのくらい眠っていたのかしら?」
「3時間ほどです」
「わたしの適性は?」
「『癒し』ですね。強いものではありません」
「治癒はできる?」
「病気や怪我を治すことは難しいでしょうね。精神的なダメージをゆっくりと癒すとか、一定のレベル以下に落ち込むのを阻止するとか、そういうレベルです」
「魔力スキャンはできる?」
「スキャンだけなら。その流れで治癒するだけの力は、今のところ感知できませんでした」
「わたしの魔力は、あまり人の役に立ちそうにないわね」
「ですが、毎日一緒にいることで、お嬢様から元気をいただけます」
「わたしも、クラルティのように人の役に立つ魔力が欲しかったわ」
「お嬢様のような魔力こそ、毎日の生活には必要なものですよ」
「う~ん、まだよくわからないわね」
突然、扉の向こうが騒がしくなった。
「お生まれになったようだ。妃殿下がクラルティとリュディに会いたいとおっしゃっているそうだが、行くか?」
「はい!」
父や護衛と共にリュディヴィーヌはわくわくしながら廊下を進んだ。だが、アンジェリーヌ妃の私室が近づくと、心臓がドキドキしてきた。それは、不快な心拍だった。
「妃殿下。宰相閣下とご令嬢がお越しです」
扉の外から護衛が声をかけたが、反応がない。
「おかしいな」
護衛がそっと扉に手を触れると、バチっという音がして体ごと弾かれ、廊下の反対側の壁に体をしたたかに打ち付けた。バヤールには個人の魔力の違いが色として見える。今の魔力はアンジェリーヌ妃のものではないと気づくと、急いで魔法使いとエルキュール王に伝令を出した。
「この防御魔法は、妃殿下のものではない! 触れるな!」
護衛が一斉に剣を抜いた。しばらくすると王城の魔法使いが走って来て、解析を始めた。
「間違いありません、いつもと違う防御魔法と、防音の魔法もかけられております!」
「すぐに解除しろ!」
「はっ!」
魔法使いたちが魔法を解除するため、魔力をそっと注いでいく。やがてパリン、という音がして目に見えぬ魔力錠が割れた。魔法使いたちが他の魔法がないことを確認すると、扉を開いた。
「アンジェリーヌ様!」
リュディヴィーヌが一番最初に、奥の寝室に飛び込んだ。そして、言葉を失った。
「アンジェリーヌ様……?」
アンジェリーヌが床に横たわっている。白いベッドのシーツはこんなに真っ赤なものだっただろうか、とリュディヴィーヌは思った。アンジェリーヌ妃の傍には産婆と侍女のマルティーヌ、そして乳母になるはずだった女性と赤子が、アンジェリーヌ妃同様にその身を赤く染めて倒れていた。
「これは……」
誰もが息を飲んだ。魔法使いの一人が、どこかに通信を送っている。防音魔法は、中から悲鳴が上がっても聞こえないようにし、事件の発覚を遅らせるために掛けられたのだろう。クラルティはアンジェリーヌ妃の側に走り寄り、脈を診、魔力スキャンを行った。そして、声を上げて泣き始めた。
「侍医を……」
「もう呼んだ」
魔法使いが静かに言った。
「リュディ、これ以上見るな」
父親はリュディヴィーヌの目をふさごうとしたが、リュディヴィーヌは父の手を振り払った。
「王子様は?」
誰もが、黙ったまま微動だにしない赤子から目を逸らした。
「嘘よ」
リュディヴィーヌは、声を上げて泣くクラルティの隣に立った。
「クラルティ、わたしの癒しの力、本当に怪我には役立たないの?」
「治癒にはとても足りません」
「わたし、何の役にも立てていないじゃない」
「そんなことは……」
その時、エルキュール王が取り乱した様子で飛び込んできた。
「アンジェ?」
脚を引きずるようにして、一歩ずつ、アンジェリーヌ妃の体に近づく。
「アンジェ?」
その体を揺らすが、反応はない。体も冷たく、既にこと切れている。
「アンジェ!」
エルキュール王が、アンジェリーヌ妃の赤い体にしがみついて慟哭した。すすり泣きの声があちこちから上がる。呆然と赤子の産着を見ていたリュディヴィーヌだったが、あるべきものがないことに気づいてはっとした。
(王子様の産着に、アンジェリーヌ様の刺繍がない!)
アンジェリーヌ妃は、生まれてくるわが子のために全ての産着に子熊の刺繍をさしていた。それは、「魔力を貯めておく」という実験段階の技術を糸に込めながら防御魔法をかけたものだったはず。母性本能が強かったアンジェリーヌ妃が、生まれてすぐのわが子を守るために作っていたはず。それなのに、わざわざ刺繍のない産着を着せるだろうか?
ふと、ベッドの下から「ふええ」というかすかな声が聞こえたような気がして、リュディヴィーヌはベッドの下を覗き込んだ。そして、大声を出した。
「お父様! 陛下! 赤様がいます!」
エルキュール王と父が慌てた様子で、リュディヴィーヌ同様ベッドの下を覗き込んだ。
そこには確かに赤子がいた。顔は見えないが、手足をばたつかせている。エルキュール王が手を伸ばしたが、届かない。
「誰か、手の届く者はいないか!」
父の言葉に、エルキュール王の護衛騎士の一人がそっと手を伸ばした。そしておくるみの端を何とかつかむとそっと引きずり出した。
おくるみを開けると、果たしてその中に赤子がもう一人いた。
「くまちゃんの刺繍はありませんか?」
「ございます」
「でしたら、こちらの赤様が王子様です。アンジェリーヌ様は、ご自分が縫った王子様の産着すべてに子熊を刺繍していらっしゃいました……王子様を守る魔法を、刺繍一針一針に込めて」
リュディヴィーヌの言葉に、エルキュール王は、護衛兵士から恭しく差し出された赤子を抱き上げた。赤子はまだ目も見えていないはずなのに、エルキュール王と目が合うと、まるでアンジェリーヌ妃のように微笑んだ。
「アンジェと同じ笑い方だ」
ぽつりとつぶやいたエルキュール王の言葉が、その場にいた全員の心に沈み込んでいった。
「髪はアンジェと同じ色だな。そして、瞳はサファイアのコーンフラワーブルー。間違いない、わが子だ」
エルキュール王は赤子を抱きしめたまま、再び慟哭の声を上げた。しばらく泣くと、腕の中のわが子をじっと見つめた。そして、リュディヴィーヌの顔を見た。
「リュディヴィーヌ。すまぬ。この子……アルトゥールの妻となり、アルトゥールを守れ」
読んでくださってありがとうございました。
次回前半はまだ暗さがありますが、後半からは少しずつ明るくなりますよ。
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