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私の愛した小さなあなた  作者: 香田紗季


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19/26

19 蛹化の始まり

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 リュディヴィーヌが「アルシーア」、アルトゥールが「リュディガー」と名乗るようになって半年。


 リュディヴィーヌは騎士団の厨房で働くようになっていた。


 顔にあばただらけの自分ではみんな気持ち悪いと思うのではないか、とリュディヴィーヌは確認したが、「天然痘から生き残った者は二度と天然痘にならないから、騎士団内で天然痘が流行しても必ず食事を作れる人が必要だ」と言われてそのまま配属された。おそらくお菓子作りが趣味だったことを覚えていたレーニエが配慮してくれたのだろう。


 アルトゥールは到着した翌日に行われた、年に一度の騎士団の入団試験に無事合格して騎士見習いとなった。騎士団員用の寮に入る時にはリュディヴィーヌに十秒ほど抱き着いていたが、「設定」をリュディヴィーヌにささやかれて、慌てて離れていった。レーニエは毎年一人新人の騎士見習いから近侍見習いを選んでいたこともあり、今年の近侍見習いにはアルトゥールが選ばれた。レーニエは自分の見える範囲にアルトゥールを置いてくれたのだろう。体力づくり、戦術についての講義、剣や馬の扱いのほかに近侍見習いの仕事があって毎日忙しくしているようだ。


 二人がいるのは、かつてエルと引き合わされた邸ではない。北部の前線とその邸の中間にある、ミルトゥ辺境伯領中枢の町マヌカだ。この町は許可証を持つ者しか入れない。いわゆる「町」ではなく、ミルトゥ辺境伯家の城だけがある。そう、城。カントリーハウスではない。城でなければ「砦」と呼ぶのがふさわしい。実際にマヌカの城は、王都を守るための北の要塞として100年前に作られたものであった。


 マヌカ入城許可書を渡されながら、「軍事機密もあるため、来客は基本的に南にある別邸で対応するのだ」とレーニエが教えてくれた。城の中に騎士団や行政府があり、ミルトゥ辺境伯家の人々の居住区域がある。騎士団の騎士や行政府の役人、そして辺境伯家の使用人のための寮は城内にあるが男女別になっており、入退室を管理する寮監もいる。


 休みの日になると、アルトゥールがリュディヴィーヌの所にやってくる。と言っても、十日に一度という頻度だ。姉弟ということであっても女性使用人用の寮の中には入れないため、建物の外にある「面会小屋」と呼ばれる小屋にある個室を借りて会うことになる。マヌカに来てからリュディヴィーヌの体調は悪化していたが、アルトゥールの前ではそれを一切悟らせなかった。 


 初めの三か月は、面会小屋に来るたびに、アルトゥールはリュディヴィーヌに会えたことを子どものように喜んでいた。


 だが、次の三か月でアルトゥールのはしゃぎっぷりは少しずつ落ち着いてきたように感じられる。「はしゃいではいけない」とリュディヴィーヌが何度も注意したこともあるだろうが、騎士団に入って精神と肉体を鍛えられ、自立することを学び、一歩ずつ大人に近づいているのだろう。


(もしかしたら、わたくしがそばでべったりしていたせいで、アルは甘えたこのままでいたのかしら?)


 月に一度、この部屋で魔法薬を飲む。黒髪とこげ茶の瞳を維持するために必要なことだ。


「お約束のフロランタンよ。食べる?」

「ん」



 生意気な返事だと思いながら見ていると、アルトゥールは一つ手に取り、もぐもぐと食べ始めた。一瞬顔がぱっと輝いたが、慌てたようにその笑顔をひっこめ、むすっとした表情で食べている。二つ目に手を伸ばそうとして、アルトゥールはその手を膝に戻した。


「あら、一つでいいの?」

「寮で食べるから、持っていく」

「そう」


 きっと世の中の母親は、子どもの成長を喜ぶとともにこんな寂しさを味わっているのだろう。わが子をこの腕に抱くことはないこの人生において、アルトゥールを育てることで「母」を経験させてもらえたのだと、リュディヴィーヌは心の中でアルトゥールはじめ多くの人に感謝する。


「次から」

「なあに?」

「次から、月一でいい、姉さん」


 リュディヴィーヌの顔がわずかに固まった。


「姉さんが病弱だから、様子を確認するために会っているだけだろう? この半年、姉さんは何の問題もなかったじゃないか。それなら、面会は月一でいいかなって」

「リュディガー?」


 アルトゥールに、ここでの名前で呼びかけた。扉の向こうで聞き耳をたてられてもよいようにしているだけなのか、それとも本当に親離れが始まったのか。


「じゃ、そういうことだから」


 何も言えずに固まったままのリュディヴィーヌいや、「アルシーア」を置いて、「リュディガー」は部屋から出た。持っていくと言っていたフロランタンはと一緒に置き去りにされたようで、リュディヴィーヌの心は痛んだ。


「痛っ!」


 右足の人差し指に、一度だけ経験したことのある激痛が走った。フロランタンを包んで部屋を出ると、同じ寮に住む若いメイドたちがきゃあきゃあと黄色い声を上げていた。


「ねえ、さっきリュディガー君が来ていたよね?」

「病弱なお姉さんのお見舞いに来るなんて、本当にいい子よねえ」

「顔もいいし、付き合っている人いなかったら声をかけちゃおうかなあ」


 きっと「リュディガー」は騎士団の中でかわいがられているのだろう。本当はもう、自分など不要なのかもしれない。それでも、何かあった時に大事な「アル」を守るために、傍に居たい。この身を盾にして「アル」が生き延びてくれれば、それでよいのだから。


 痛む足を引きずるようにして自室に戻ったリュディヴィーヌは、鍵をかけると右足の人差し指を見た。


 やっぱり……。


 アルトゥールを寝かしつけるために癒しの魔法を使う必要もないのだから、あの日以来、ごくわずかな治癒さえ使っていない。それでも症状は進んでいる。クラルティ先生の言った通りだった。


 リュディヴィーヌは、「リュディガー」との面会の日ごとに報告書を書いていた。今日も同じように書いた……「リュディガー」が少しずつ大人になっている、喜ばしいことだ、と。


 粗末な便箋を折りたたむと、これまた粗末な封筒に便箋と「それ」を入れて封をした。たとえ粗末であっても使用人に月に一度封筒と便箋と筆記用具が支給されるのは、ここが北の辺境だからだろう。情報漏洩を防ぐために全ての手紙は開封状態で集められ、問題ないものは福利厚生の一つとして、辺境伯家が一人につき月に一度まで郵便代を払う。


 リュディヴィーヌの手紙だけは、レーニエに認められた「リディア」の手によって直接運ばれる。三回分の報告書を一か月に一度まとめて運び、戻ってくる時にはガルデニア公爵家の様子や王都の情報などと一緒に、髪や瞳の色を変える魔法薬、そして鎮痛剤が届けられた。


 「リディア」にもマヌカの入場許可証が発行され、ミルトゥ辺境伯家の特殊部隊「蜻蛉(リベリュール)」にも紹介されている。「四十雀」と「蜻蛉」がつながったことを、「鷲」はつかんでいるのだろうか。


「リディア」

「はい」


 どこからともなく、リディアが現れた。


「今月分、お願いね」

「かしこまりました」

「リディア」


 リュディヴィーヌは、今日はもう一度、リディアを呼んだ。いつもと違うことに気づいたリディアが、じっとリュディヴィーヌを見た。


「この手紙だけは、直接お父様に手渡してもらえるかしら?」

「確認させていただけますか? 奥方様や家令殿にお渡ししてはならぬということでしょうか?」

「お母様がどこまでご存じなのか、わたくしにはわからないの。同封したものが何なのかをお父様なら確実にご存じだから、どうすればいいかもお分かりになるはずなの」

「承知いたしました」


 同封されたものが何なのか、リディアは影として見守っているから知っている。


「歩くのに不都合はございませんか?」

「早く歩くのは、これからは厳しいわ」

「松葉杖などはお使いになりませんか?」

「ねえ、リディア」


 三回目。リディアの顔に、明らかに緊張が走った。


「今回の手紙の内容、あなたも読んだと思うのだけれど」

「はい」

「多分、これからあなたはもっと忙しくなるわ。あと半年、頑張ってみたいとは思っているけれど」

「半年……」

「リディアも覚悟しておいて」

「……はい」


 リディアはすっと姿を消した。すぐに王都のガルデニア公爵邸に向かっただろう。リディアは二日あればたどり着く。返事をもらって、5日あれば帰ってくる。


「それまで、何とか頑張らないとね」


・・・・・・・・・・


 10日会えずにいたリュディヴィーヌに会えるのは、アルトゥールにとってご褒美でしかなかった。うれしくて最初の頃ははしゃいでしまい、リュディヴィーヌに叱られた。


 だが、アルトゥールは知ってしまった。リュディヴィーヌが体調を崩していても、面会を絶対に断らないことを。


 アルトゥールの観察眼が優れていたわけではない。騎士団に勤務するメイドたちが、あることないこと教えてくれたからだ。


「アルシーアさんはね、どんなに体調が悪くても、リュディガーさんとの面会だけは絶対に行くのよね」

「体調が悪い? 確かに姉は病弱ですが」

「弟の前では格好つけたいのかしら。時々鎮痛剤を飲んでいるようだけれど」

「鎮痛剤を飲んでいるんですか?」

「ええ、医務部に行けば鎮痛剤を処方してもらえるけれど、使用人には余裕がある時しか買わせてもらえないでしょう? 病弱だっていう話だから、大丈夫かしらって噂になっているのよ」

「そうでしたか」


 アルトゥールはリュディヴィーヌに会えてうれしかったが、リュディヴィーヌに無理をさせたくないと思った。先輩や同僚たちから、「月に三回も姉さんに会いに行くなんて、お前はまだガキだな」と言われてしまったのが癪だという思いもあった。


 10日に一度しか会えないリュディヴィーヌよりも、毎日四六時中顔を合わせている連中の目や言葉が煩わしく、アルトゥールはリュディヴィーヌと距離を置くことにした。リュディヴィーヌにそう言えば、驚いた様子だった。ショックを受けているように見えた。リュディヴィーヌが動揺したことにアルトゥール自身が驚いてしまい、もらってくるはずだったフロランタンを忘れてしまった。


 もう、取りには戻れない。


 ふと、二度とリュディヴィーヌのフロランタンが食べられないような気がして、体の芯が急速に冷えるような感覚が走った。取りに戻らなければと思ったが、アルトゥールを見かけたことで騒いでいるメイドたちの前をもう一度通るのは嫌だった。しばらく木の陰に隠れて様子をうかがっていると、リュディヴィーヌが青い顔をして面会小屋から出てきた。手にはフロランタンを包んでいたハンカチがある。


 リュディヴィーヌがゆっくり歩く、その歩き方に違和感を覚えた。片足を引きずるように、ゆっくりと歩いていく。顔が時々顰められる。


 リュディヴィーヌが痛みに耐えているという話は、本当だった。無理をさせているのは自分だったのだとアルトゥールは心が痛くなった。


 来月、また会える。その時リュディヴィーヌの体調がいいといいな。


 そう思いながら、リュディヴィーヌが寮に入るのを目だけで見送り、寮に戻った。


「あれ、姉ちゃんのフロランタン、持ってきてくれるって言ったのに、手ぶらか?」


 寮の談話室にいた先輩に声をかけられた。


「姉の体調が悪そうだったので、とにかく早く面会小屋を出なければと思ったら、もらってくるのを忘れてしまいました」

「なんだ、もしかして作ってもらえなかったのか?」

「いいえ、一つは食べてきました」

「嘘ばっかりいうな、ごまかさなくたって」

「嘘なんて言っていない! 僕は姉さんの体調が心配なんだ!」

「やっぱり、なんだかんだ言ってシスコンだな」

「家族の心配をして何が悪い!」


 そのまま二人は取っ組み合いのけんかを始めた。すぐに引き離されたが、双方とも顔にけがをしたこともあって厳重注意となり、三日間の奉仕活動(厨房に薪を運ぶという重労働)を命じられた。


 翌日から三日間、アルトゥールはリュディヴィーヌが厨房で働いている様子をちらちらと見ることができた。喧嘩した先輩はぐちぐち文句を言っていたが、リュディヴィーヌの側に合法的にいられることがうれしかった。手際よく包丁を使って素材をカットしている。体調は悪くなさそうだ。


「お前の姉ちゃん、天然痘であばただらけなんだって?」


 先輩にそう言われて、ええ、と投げやりに返事をしたアルトゥールは、先輩の次の言葉に飛び上がるほど驚いた。


「まあ、なんだ。あばただらけでも、お前の姉ちゃんなら元々は美人なんだろうな」

「何を……」


 その時、レーニエが厨房にやって来た。レーニエは騎士団の全ての部署に、一日に一度は顔を出す。レーニエがリュディヴィーヌに声をかけている。普段うつむきがちなリュディヴィーヌが顔を上げた。顔の作りがはっきり見える。


「やっぱりな。なあ、お前の姉ちゃんが結婚相手を探しているなら、俺、立候補してやるぜ」

「お断りします」


 即座にアルトゥールは拒絶した。


 その場を離れたアルトゥールは、自分が何に怒っているのかわからなかった。冷静に考えたら、レーニエと話をするリュディヴィーヌが微笑みを浮かべたからだと分かった。


 リュディヴィーヌの年齢であれば、アルトゥールよりもレーニエの方が釣り合っている。それに、ここしばらく、リュディヴィーヌの柔らかい微笑みを見ていなかったことに気づく。


 何よりも、あの二人はお似合いなのだ。


 僕ではやはり、リュディから恋愛対象にはみられないのだろうか。


 一か月後、どんな顔をして会えばいいのだろうか。自分の気持ちが「恋」だと知った少年の心には、戸惑いと反発が、ぐちゃぐちゃになって渦巻いていた。


読んでくださってありがとうございました。

アルの思春期始まりでした。

次回、リディアが絡んだ事件が……

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