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私の愛した小さなあなた  作者: 香田紗季


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18/26

18 新しい名前

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 邸の中で使用人たちに守られる中、リュディヴィーヌとアルトゥールは話しあいながら、ミルトゥ辺境伯領に向かうための準備をした。ガルデニア公爵家を想起させるような思い出の品は持っていけない。大切なものほど、この邸に置いていかねばならないのだ。


 その一方で、リュディヴィーヌは新しいジュエリーボックスを用意させた。何を入れるのかとマノンに聞かれたリュディヴィーヌは、「秘密」とだけ言って笑った。


「アル。相談したいことがあるの」


 まだ他の家族が偽りの葬儀から戻る前に、リュディヴィーヌがアルトゥールに声をかけた。


「相談?」

「ええ。わたくしたち、一度ミルトゥ辺境伯の所に行っているでしょう? 髪の毛や瞳の色を魔法で変えていったけれど、私たちの顔を覚えている人がいるかもしれない。そうなると、死んだはずの私たちがどうして生きてミルトゥ辺境伯領にいるのかっていう話になってしまうと思うのね」

「確かに」

「アルは、ミルトゥ辺境伯の所に行ったら、何をするつもりだったの?」

「僕は……騎士団に入れてもらうつもりでいたよ。平民として、入団試験から受けるつもりなんだ」

「騎士団に?」

「今回のことで、僕は今まで守られてばかりだったってことを思い知らされた。リュディが死んじゃうんじゃないかって、本当に生きている心地もしなかった。王都に戻ってきたら剣と軍馬の訓練を始める予定だったし、せっかくなら自分の身だけじゃなくて、リュディも守れるようになりたいんだ」

「わたくしを、守ってくれるの?」

「だって、僕はリュディの夫なんでしょ?」

「そう、ね」


 リュディヴィーヌは、苦い気持ちを押し込めて微笑んだ。


「それでね。まず、髪と瞳の色は、前回ミルトゥ辺境伯領に行った時とは違う色にしなければいけないと思うのだけれど、一つ問題があるの」

「問題?」

「ええ。髪や瞳の色が本来のものとは違うように見せる魔法は、2週間ほどしか使えないの。そして、ミルトゥ辺境伯領にわたくしたちは魔法使いを連れていけないし、ミルトゥ辺境伯領に派遣されている魔法使いたちは前線にいることが多いから魔法をかけてもらうこともできない。そうなると、魔法薬を飲むことになるの」


 リュディヴィーヌは、平民でも手に入れられる安価な魔法薬をアルトゥールに見せた。


「これなら、一般的な平民の家庭でも月に一度買えるほどの値段。髪を染めると痛むから、これを月に一度、飲みます。瞳の色は、目薬タイプの魔法薬があるからそれをさすのよ」

「僕が騎士団に入ってしまったら、どうするの?」

「見習いでも休みの日はあるはずよ。休みの日にわたくしと落ち合って、薬を飲んだり点眼したりしましょう」

「わかった」

「ただ、この魔法薬にも困ったことが一つだけあるの」

「なあに?」

「黒髪か赤髪しかないの。高いものならいろんな色があるのだけれどて……」

「いいよ。リュディ、僕たち向こうではどういう関係っていう設定にするの?」

「年の離れた姉弟なら、アルも無理がないと思うの。実際に、そう思っていた期間が長いでしょう?」

「そっか」

「それから、名前も変えないといけないわ」

「名前を……?」

「ええ。色を変えても、顔の形で人を見分ける人もいるわ。名前まで同じだったら疑われる可能性があると思うの」

「そう、なんだね」


 10歳のはずなのに、自身とリュディヴィーヌが死にかけたあの一件以来、急に大人びた瞬間を見せるアルトゥール。その姿にリュディヴィーヌは、心が痛む。あの一件がなかったら、アルトゥールはもっと子供時代を無邪気に過ごせただろうに、そう思えてしまうのだ。


「ねえ、リュディ。名前を交換しない?」


 アルトゥールが何かを考えながらリュディヴィーヌに提案した。


「名前を交換? どういうこと?」

「ヴィーゼルに飲み込まれた東方のある国の宰相に、リュディガーっていう人がいたんだ。初めてその名前を聞いた時、リュディみたいだなって思ったんだよね。僕がリュディガーになれば僕はリュディって呼ばれることになるな、そうなったらうれしいなって。そう思って、何かの時に使えないかってずっと覚えていたんだ」

「それは……!」


 リュディヴィーヌは顔が知らず知らずのうちに赤くなるのを感じた。リュディガーという名前にすればリュディと呼ばれることになる。それがうれしいなんて、本家本元になるリュディヴィーヌにとってはまるで愛の告白をされたようで恥ずかしくなってしまったのだ。


「『リュディガー』になりたいの?」

「僕がリュディって呼ばれるための名前は、僕の知識ではリュディガーしかないんだ」

「アルが、リュディになるの?」

「そう。そして、リュディが『アル』って呼ばれる名前にしたらどうかな」

「え……」


 アルトゥールがにこやかに言った。


「そうすれば、僕たちの本当の名前を、常に感じながら生きていけるから」


 リュディヴィーヌは、アルトゥールを見た。何のためらいもなく「大好き!」と言える最後の年頃だろうか。「青春」より少しだけ早くやってくる「思春期」がくれば、この無邪気な言葉は聞けなくなる。


 違う、とリュディヴィーヌは心の中で叫んだ。


 大人になってからの13歳の差はそれほど問題とはされないだろう。妻が13歳年下なんていう例は珍しくもない。だが、23歳のリュディヴィーヌと10歳のアルトゥールが書類上夫婦であるとはいえ恋愛感情を持つのは人の道に外れていると思うし、なによりもリュディヴィーヌにとってアルトゥールは「大事なお預かりもの」であって「恋愛対象」ではない。愛している。それは間違いない。それが恋愛・性愛といったものとは質が違うのだ。


 一番の問題は、リュディヴィーヌとアルトゥールが、実際には「結婚」できないことだ。今はまだ、その理由をアルトゥールに明かすことはできない。


(生まれてからずっと姉だと思って甘えてきた人が「妻」だと知って、一生一緒にいられると喜んでいるだけなのよ)


「リュディ?」


 思いにふけっていたリュディヴィーヌは、アルトゥールの声に現実に引き戻された。


「僕が『リュディ』で、リュディが『アル』になるの、いや?」

「そうじゃないわ」


 リュディヴィーヌは、微笑んだ。


「アルって呼ばれる名前、どんなものがあるかしらって考えていたのよ」

「うん! あのね、僕、候補に考えていた名前があるんだ」

「候補に?」

「あのね、アルシーア。どうかなあ」

「アルシーア?」

「そう。南の方にある国の、薬草や治癒の女神様なんだって。なんだがリュディに似ているような気がしたんだ」


 ああ、とリュディヴィーヌは心の中で大きなため息をついた。


 アルトゥールは、自分の命を救ってくれたリュディヴィーヌに対して、女神を敬うような盲目的な愛を感じているのだと気づいたのだ。


 いずれやってくる別れの日を思うと、リュディヴィーヌの心は痛んだ。子離れを決意する母親の気持ちがこれなのだろうかと思い、自分のアルトゥールに対する感情はやはり「母性愛」であって「恋愛」ではないのだということを強く意識した。


「いいわね。アルがリュディガー、わたくしがアルシーア」

「うん!」

「それから、これも話しておくわ」


 少しだけ、リュディヴィーヌは声を固くしていった。


「アルが騎士団に入るのなら、わたくしは騎士団のメイドになります」

「リュディがメイド?」

「ええ。ただ、わたくしとは姉弟であっても、他の人の前ではわたくしに近づいたり、親し気に接したりしないでほしいの」

「どうして?」

「わたくしは病弱という設定にします。役に立たない姉のせいで苦労したことにしてほしいの」


 リュディヴィーヌは二人の「設定」を説明した。


 両親を失ってから各地の親戚を頼り続け、各地を転々としてきた。

 だが、姉は病弱で働けないからどこの家でも厄介払いされて、王都に流れついた。

 露頭で困っている二人を、王都から帰ろうとしていたレーニエ様たちが見つけた。

 主を失って消沈していたエルが弟を気に入ったこともあって、騎士見習いとして働かないかと声をかけられた。

 働くと言うほど働けないかもしれないが、姉も手伝い程度でよいのでメイドとして雇うということになった。


「どう?」

「レーニエ様は、それでいいって?」

「まだ話していないわ。わたくしがメイドになると言ったら、反対なさるでしょうね。何もできないくせにって」

「本当に、それでいいの?」

「ええ、いいの。とにかくアルは、病弱なわたくしを迷惑に思っている、そういうふうにふるまって」

「どうして? そんなことしたくないよ」

「ふふ。そうしておいた方が、アルの、いえ『リュディガー』のためなのよ」

「本当に?」


 アルトゥールの目が、疑いを持っていると告げている。


「ええ、短期的には納得できなくても、10年、20年後の未来に今日のことを振り返れば、正しかったって思うはずよ」

「……わかった」


 アルトゥールは不満げに言った。


「でも、リュディは僕の奥さんなんだからね!」 


 心に楔を打ち込まれたように痛みが走った。心臓に「症状」が出てしまったのか、アルトゥールの言葉に衝撃を受けたのか、どちらなのかわからない。リュディヴィーヌはただ静かに告げた。


「アルのことを愛しているからこそ、こうするのよ」

「うん」


 葬儀から帰宅した家族、それに「二人の遺体を王都まで守りながら運んでくれた」ことになっているレーニエたちが戻ってくると、リュディヴィーヌは先程の「設定」を説明した。


「公爵令嬢だったお前に、メイドができるのか?」


 バヤールの声は固い。


「病弱で何もできない姉が、初めて仕事をするという形にしていますから」

「どうしても働きたいって言うのなら、俺の側で侍女をしてくれてもいいんだが」

「わたくしは、できるだけレーニエ様たち辺境伯家の皆様のお傍にいない方がよいと思うのです」

「どうして?」

「いくら色を変えても、このままの顔では目立ちます。それにミルトゥ辺境伯領に滞在中はアルと三人でいる時間も多かったことですし、わたくしがレーニエ様のお傍にいることでわたくしの正体に気づくものが必ずいると思うのです。

 念には念を入れて、わたくし、天然痘にかかってあばたが残る顔に見えるようにお化粧します。両親と死に別れたのも、天然痘だったことにすれば……」


 確かに8年ほど前、天然痘でシティス侯爵領の一部が壊滅状態に陥ったことがあった。


「本当に、それでいいのか?」

「はい」


 バヤールの声に苦しみが感じられた。シルヴェーヌはただうつむき、兄パトリスはそんな母を支えている。兄嫁は身重であることを理由に今回の葬儀には参加していない。いや、させなかったのだ。情報が洩れる可能性を一つでも減らすために。


「平民らしい服が必要でしたので、マノンの私服をもらいました。マノンに新しい服を仕立ててやってください」

「マノンを連れて行かないのか?」

「あら、だって貧しい平民娘に侍女がいたら変でしょう?」

「わかった」


 バヤールはそう言うと、指をパチンと鳴らした。突然どこからともなく人が現れ、レーニエは思わず剣の柄に手をかけ、そしてその人物の顔を見て「え?」と間抜けな声を出した。


 そこには、リュディヴィーヌと瓜二つの女性がいた。


「リュディの影武者となるように育ててきたが、ようやく一人前になった。まだ15歳だが、リュディの真似をすればシルヴェーヌでさえ間違えるほどに仕込んだのだよ。リュディが考えた『設定』については、この者との打ち合わせも必要だろう」

「お父様!」

「この者の存在を知るのは、今この部屋にいる者と、ガルデニアの騎士団のごく一部のみ。他言無用ぞ」

「彼女を危険にさらすようなことは」

「お前が危険にさらされるのを、父として黙ってみていることはできない。彼女は、我が家で『四十雀(メサンジュ)』と呼ぶ者だ」


 「四十雀」……それは、クロティルド妃の持つ「鷲」と同じような、ガルデニア公爵家の秘密の業務をこなす者たちだ。騎士団の中から選ばれることもあるが、この娘のように将来の影武者として幼い時から育てられることもある。


「『四十雀』はガルデニア公爵家に絶対の忠誠を誓っているし、その忠誠に報いるだけのものを彼らには用意している。なによりも、彼女たちはプロだ。リュディを守るだけではなく、ミルトゥ辺境伯領とここをつなぐ連絡役にもなる」


 バヤールにそう言われてしまったら、リュディヴィーヌには拒否できない。


「彼女の名前は?」

「名前ではなく、数字で呼んでいる」

「名前を付けても構いませんか?」


 リュディヴィーヌの言葉に、バヤールの目が大きく見開かれた。


「愛着が湧くと、危険な任務を命じにくくなるぞ」

「わたくしは、わたくしの周りにいる全ての人を大切にしたいのです」


 まっすぐな目でバヤールを見つめれば、バヤールは「好きにしなさい」とだけ言い、目の周りを手で覆った。


「レーニエ様、出発は明日ですか?」

「ああ。葬儀直後に出るのも長くここに居すぎるのもよくないだろうから」

「かしこまりました。今日中に準備は整えます」


 リュディヴィーヌは、自分の影武者である「四十雀」を手招きした。そして、そっと耳うちした。


「あなたは、自分の名前で呼ばれたい?」

「いいえ、私は生まれた時から名前を持たず、数字で呼ばれてまいりました」

「そもそも名前がないのね」

「はい」

「では、わたくしがつけてもいいかしら」

「お嬢様のお望みどおりに」

「あなたは……リディアよ」

「リディア……」

「ええ。わたくしたちは主従関係ではなく、お友だちになるのよ。いいわね?」


 それが命令になることも理解せずにリュディヴィーヌはにこりと笑い、そしてゆっくりと立ち去った。


「17。お前も行け」

「は」


 同じ顔をした二人が部屋から消えた後、バヤールはレーニエの手を取った、


「アルとリュディを、頼みます。必要な経費はガルデニア公爵家に請求してほしい」

「いいえ、不自然な支出だと思われる可能性がありますから、やめておきませんか」

「それも、そうだな」

「どうしても必要なことが起きたら、その時には連絡します」

「いろいろと、すまない」

「いえ、二人を危険にさらしてしまった責任がありますから」


 バヤールは、リュディヴィーヌの右足小指に発症したもののことをレーニエには伝えていない。リュディヴィーヌの判断に任せることにしている。


「リュディは、本当に体が弱くなってしまったようなのだよ。メイドが無理だと思ったら、強制的に他の仕事に変えてくれると助かる」

「承知しました」


・・・・・・・・・・・・・・


 翌朝、レーニエたちは出発した。


 最後に見たリュディヴィーヌとアルトゥールの姿に、家族は息を飲んだ。

 

 平民が着る服。


 黒髪になったリュディヴィーヌとアルトゥール。二人とも姉弟の設定に合わせて、瞳の色もサファイアの色から平民によくある焦茶色になっていた。


 リュディヴィーヌにいたってはあばただらけのメイクを施し、顔を隠すようにスカーフを頭からかぶっていた。


 裏口から出る二人を見送ることもできず、邸の中で黙って抱き合って別れた。マノンは号泣していた。


 二人が乗り込んだ荷馬車が見えなくなると、バヤールはリュディヴィーヌの部屋に入った。そして机の上に小ぶりなジュエリーボックスがあるのに気付いた。


 不用心だと思った。公爵令嬢が身に着けるようなジュエリーは、物によっては平民の暮らし十年分になるようなものもある。それを机の上に出したままにするとはリュディヴィーヌらしくない。


(持っていこうとして、部屋を出る直前に持って行くのをやめたのか?)


 買い与えたジュエリーはメイドには不相応な物ばかりであり、持って行っても盗まれるだけかもしれない。だが、必要なときに換金できる。せめていくつかは持ってほしかったとバヤールは思った。


 なんとなく、蓋を開けた。カギはかかっておらず、ボックスの中に鍵と小さく折りたたまれた紙があった。そして、紙の下には小指ほどのサイズのサファイアが一つだけ入っていた。買った覚えはないのに、見たことはあるような気がする。


 紙を開くと、書き出しに「お父様へ」とあった。慌ててバヤールはそのメモのようなものを読んだ。


「またサファイアが手に入りましたら、リディアに運ばせます。いつかアルに資金が必要になった時に、使ってください。このことは、アルには内密にお願いします」


 バヤールはメモを握り締めた。そして、中央に置かれたサファイアにそっと触れた。リュディヴィーヌの悲しみと慈しみが流れ込んでくるように感じて、バヤールはしばらく顔を上げることができなかった。


読んでくださってありがとうございました。

次回は、思春期に入ったアル改め通称リュディガー君の反抗期。

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