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私の愛した小さなあなた  作者: 香田紗季


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16 そして、目覚めた力

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 先頭をガルデニア公爵家の護衛騎士が馬で進んでいく。次いで一台目の馬車が、ミルトゥ辺境伯家の騎士を引き連れて渡り始める。三台の馬車の外見は全て同じ仕様になっているため、どの馬車にリュディヴィーヌとアルトゥールが乗っているかを敵方は誰も知らないはずだ。


 橋の手前で一台目の馬車が渡り終えるのを待っていた二台目の馬車が、同じようにガルデニア公爵家の騎士を先頭に、後ろにミルトゥ辺境伯家の騎士を後ろに進み始める。三代目の馬車が進み始める。ミルトゥ辺境伯家の騎士の後ろには、更に予備の馬が二頭ついてくる。一頭はもちろん、エルだ。


 三台目の馬車が橋を渡り終えたその瞬間、三台目の到着を待っていた二台の馬車と三台目の馬車の間に、矢が一斉に射かけられた。


 三台目の馬車を引いていた馬が悲鳴を上げて後足立ちになりながら止まった。護衛の騎士たちが二つに分断されたしまったことに気づいたリュディヴィーヌは、レーニエの位置だけをカーテンの隙間から確認した。レーニエは二台目の後ろについていたらしく、地面に刺さった矢でできた境界線の向こう側で指示を出している。後ろのカーテンも薄く開けると、エルが鼻息を荒くしているのが見えた。アルトゥールに危険が迫っていることを理解して、怒っているようだ。


「アル、レーニエ様たちと分断されたわ」


 アルトゥールはクッションをかぶったまま頭の動きだけで理解したことを示した。


「そう、しゃべってはだめよ」


 まだ、動きはないが、今のうちにアルトゥールを座席の下に隠した方がいいかもしれないとリュディヴィーヌが思った時だった。


 御者が「お嬢様!」と叫ぶのと同時に馬車が大きく揺れた。左に大きく傾いた馬車はそのまま横倒しになり、リュディヴィーヌはカーテンにくるまれたアルトゥールを抱えたまま、その身を下になった左側の扉に激しく打ち付けた。


 馬車の窓にはめられたガラスは粉々に砕け散り、リュディヴィーヌは雨のように落ちてくるガラスで何か所か切ってしまったようだ。座席は外れて中身が飛び出し、リュディヴィーヌとアルトゥールの姿を隠すようにのしかかっている。あの鉄板入り座席の重みからアルトゥールを守るべく、リュディヴィーヌは四つん這いの姿勢になって、その背で座面の落下をなんとか食い止めている状態だ。


「アル、大丈夫?」


 腕の中、カーテンにくるまれたアルトゥールにささやくように確認すると、芋虫のようにくねくねする。大丈夫なようだ。リュディヴィーヌはわずかに動く首を回して馬車の中に展開していた防御魔法を確認した。問題なく展開している。


 だが、窓ガラスが割れたということは、外から干渉される可能性がある。リュディヴィーヌたちの部屋の認証を書き換えた人物がこの防御魔法を通過できるように外から認証を書き換えれば、無防備になってしまう。この状態ではもう、アルトゥールを座席の下に押し込むことはできない。リュディヴィーヌは馬車の防御魔法は、室内だけではなく、外からの攻撃を跳ね返すようにしなければいけないと思いながら、座席下から落ちてきた短剣を胸に忍ばせ、長剣を手元に手繰り寄せた。


 御者と馬がどうなったかわからないが、少なくとも馬のいななきも聞こえなければ、御者の声も、剣のぶつかる音も聞こえない。最初の衝撃の時に御者は吹き飛ばされてしまったのかもしれない、とリュディヴィーヌは思った。御者は大丈夫だろうかと耳を澄ましても何も聞こえない。防音魔法で周囲の情報を遮断されている可能性もある。


 さて、どうすべきか。


 その時、アルトゥールが布の隙間から少しだけ顔を出した。


「ダメ。ガラスが飛散しているから。細かいガラスが目に入ったら大変よ」

「リュディ、大丈夫?」


 心の底から心配している声だった。


「大丈夫。レーニエ様や騎士たちが来てくれるまで、なんとか耐えましょう」

「うん。リュディ、僕にできることがあったら言ってね」

「ええ。その時はお願いするわ」


 肩に諸々の重みがかかって苦しいが、得意のアルカイックスマイルを繰り出す。アルトゥールが布の中に引っ込んだのを確認すると、はっと息を吐いた。


 何か音が聞こえないかじっと耳をそばだてるが、何も聞こえない。リュディヴィーヌにとっては気の遠くなるほどの時間が過ぎた。汗がにじむ。飛散したガラスを含んでいる可能性があるので、目に入らぬように気を付けながら汗をぬぐった。


「リュディ、誰か来る」


 アルトゥールがささやいた。リュディヴィーヌは身構えた。


 馬車の右側の扉……今は上にあるが、その扉が開く音がした。ガラスが割れた窓から手を入れて、内側の鍵を開けたのだろう。


 認証を受けた人物か、音が聞こえない間に外から認証を書き換えた人物か。


 リュディヴィーヌは緊張しながら、短剣を胸から取り出した。


「リュディヴィーヌ! アル! 生きているか!」


 まぎれもなく、それはレーニエの声だった。


「はい。何とか」

「今、馬車を立て直すから、それまで頑張ってくれ」


 いつの間にか、音が聞こえるようになっている。リュディヴィーヌは馬車が右向きに押され、本来の左右が取り戻されたことに、肩から鉄板入り座面が滑り落ちていったことで理解した。


「大丈夫か?」


 レーニエが中に入ってこようとしたが、ガラスまみれのリュディヴィーヌを見て動けなくなる。リュディヴィーヌは何とか立膝の状態になると、芋虫状態のアルトゥールを呼んだ。


「アル、大丈夫?」


 アルトゥールは巻かれたカーテンから顔を出すと、まるで池の魚が口をはくはくしている時のように呼吸をした。


「苦しかった?」

「少し」

「もう一回だけ、中に戻って」

「ええ~」

「ガラスを払い落すから」


 アルトゥールをもう一度カーテンでくるむと、リュディヴィーヌは自分の肩を指で払おうとし、それも危険だと思い直した。


 背や肩に降り積もったガラスをどうやって落とそうかと考えていると、レーニエが乗り込んで来てリュディヴィーヌを抱きかかえて外に出た。


「レーニエ様、ガラスがついていて危険なんです、それにまだアルが」

「目を閉じて。ガラスを払い落さないと」


 リュディヴィーヌが言われた通りに目を閉じた。急に体が上下して驚いたが、レーニエがその場でジャンプをして、地面にガラスを落としてくれているようだ。


「敵は?」

「少なくとも、表に出てきた奴らはなんとかした」


 まだ森の中には残っている者がいるかもしれないのだ、とリュディヴィーヌは察した。


「とりあえず、目を閉じたまま顔を洗え。ああ、ここから先はマノンの方がいいな」


 マノンが半泣きになっている。襲撃されたのはこの馬車だけで、あと二台は倒されなかったらしい。


「着替えましょう」

「宿につくまではこのままでいいわ。それより、アルを」

「閣下が、若君にお怪我がないか確認していらっしゃいます。お任せしましょう。顔を洗って、お化粧を直しませんと」


 従僕が川から水を汲んで来てくれた。髪についたガラスの粉から肌を守るために髪を大き目のスカーフでまとめてから、目を閉じて何度も顔を洗った。マノンたちが乗っていた馬車の中で化粧を直すと、もう一度外に出た。


 その時になってようやく、リュディヴィーヌは(アドラー)たちを見た。骨の髄まで食らいつくすと言われるヒゲワシのようであれと育成された特別部隊、鷲。捕らえられた者が一人、動かなくなっている者が七人。よく生きたまま捕獲できたものだ。既に尋問が行われている。リュディヴィーヌは、見ない方がいいかもしれないと目を背けた。


(八人か)


 リュディヴィーヌははっとした。


(八人?)


アドラーは五人一組で動く。一人でも欠けていたら、そいつは近くで見ているはずだ」


 父バヤールにかつて教えられた言葉が、リュディヴィーヌに警鐘を鳴らした。


「レーニエ様! 警戒を!」

「なぜだ?」


 アルトゥールの手を引いて、レーニエが近づく。


「鷲は五人単位で動きます! ここにいるのは八人! 二人残っているはずよ!」 


 リュディヴィーヌの言葉が終わるか終わらないかのその瞬間、矢がアルトゥールの後ろの森から放たれたのが見えた。リュディヴィーヌは走り出した。レーニエが殺気に気づいて後ろを振り返り、アルトゥールが、不思議そうな顔をしてリュディヴィーヌを見てしている。矢の動きと彼らの動きが、全てゆっくりしたものに見える。レーニエの目が驚愕に見開かれた。アルトゥールを引き寄せようとしているが、間に合わない。


 リュディヴィーヌの目の前で、アルトゥールの背中に矢が刺さった。アルトゥールの目が大きく見開かれ、そのまま倒れていった。


「いやあ~!」


 あと一歩、足りなかった。地面に倒れたアルトゥールを抱き上げたリュディヴィーヌが、アルトゥールの目を見つめる。その目から、体から、力が抜けていく。


「アル、しっかりして!」


 リュディヴィーヌの鳴き声が響く。


「医師を! 森にまだ二人いる! 追え!」


 レーニエの声に、騎士たちが森へと飛び込んでいった。念のために随行させていた医師が駆け付けたが、リュディヴィーヌがアルトゥールを離そうとしない。


「リュディヴィーヌ! 抱きしめたままでは、アルが死んでしまう!」


 いや、いやとうつろに繰り返すリュディヴィーヌから無理やりアルトゥールを奪い取ったレーニエは、医師に見せた。医師は矢がまだ刺さったままの背中を見た。そして、流れ出している血の色を見て首を振った。


「猛毒が鏃に塗られていたようです」


 レーニエがアルトゥールの小さな手を強く握りしめた。


「アル、アル」


 リュディヴィーヌが、幽霊のように青い顔でただアル、アル、と繰り返している。


「もう、長くないでしょう。あと数分かと」


 リュディヴィーヌは、アルトゥールを抱きしめた。流れ出す血で服が赤く染まっていく。


「いや、いや、いやあ~!」


 リュディヴィーヌの叫びと共に、うっそうとした森の中に、まるで太陽が出現したような光が溢れた。そのまぶしさに目を焼かれまいと、誰もが目を閉じた。


・・・・・・・・・・・


 痛かった。思うように話すことも体を動かすこともできない。すぐそばにリュディがいるのは分かるが、目を開けてもぼんやりとしか見えない。


 ただ、リュディが泣いているのは分かる。


(リュディ)


 心の中で、(アルトゥール)はリュディを呼んだ。


(リュディ、大好き。姉様じゃないって知って、いつかはリュディと結婚できるってわかって、僕がどれほど浮かれていたか、リュディは知らないよね? 

 レーニエ様とリュディが仲良く話していると、なんだか胸のあたりがむずむずして、見ていられなかった。リュディが手紙を書いている間にマノンにそう言ったら、それは初恋ですね、って言われたんだ。

 僕は、リュディと一緒に生きたかった。二人で遠乗りに出かけたり、おいしいものを食べたりしながら、僕がおじいちゃんになって、リュディがおばあちゃんになってて……でも、ダメみたいだよ)


 何かが僕の魂を体から引き離そうとしているのが感じられた。


(リュディ、さよ……)


 心の中でそこまでつぶやいた時、リュディが何か叫んだような気がした。それと同時に、寒くてたまらなかった体に温かいものが流れ込んできた。背中や胸の痛みがすーっと消えていく。温かくて、安心できる場所。リュディの腕の中で眠りに落ちる瞬間に感じる、あの幸福感と同じものがある。


 アル、もう大丈夫よ。 


 まるでガラス窓を三枚くらい隔てて聞くくらいにかすかなリュディの声が聞こえた。


(リュディ?)


 だけど、もうその声は聞こえない。僕はただ、その幸福感に包まれて、深い眠りの底へと沈んでいった。だから、何が起きたのか、その後どうなったのか、僕は目が覚めてレーニエ様から話を聞くまで、何一つ知らなかったんだ。


読んでくださってありがとうございました。

あれ? リュディって魔力少な目じゃなかった?

はい。そうです。リミッターがかかっていたんですね。

なぜリミッターがかかっていたか、次回久しぶりに登場する魔法医クラルティさんが説明してくれます。

それから、ヒゲワシ。一度絶滅したらしいです。ヒゲワシは正確には「アドラー」ではなく「ラマガイエ」と呼ばれるらしいのですが、アドラーの方が鷲のドイツ語として知られており、イメージしやすいと思いましたので、アドラーのまま使っています。両翼を広げると3メートルにもなり、子羊を捕まえて上空から落として食べていたとか。まるで東方見聞録に出てくるロック鳥のようです。

気が変わったら「鷲」のフリガナが「ラマガイエ」になっているかもしれません。

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