15 橋を渡る
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ガルデニア公爵家の馬車は、リュディヴィーヌとアルトゥールが乗る一台、マノンたち使用人のための一台、そして荷物用の一台の合計三台。
そもそも、今回のミルトゥ辺境伯領行きは、お忍び扱いであった。馬車にはガルデニア公爵家の紋章も装飾もないため、商家のお偉いさんが乗るレベルのものに見える。が、椅子部分には柔らかな素材が用いられ、専用の道具をはめ込めば、フルフラット仕様にもなる。カーテンは地味だが厚地のものが使われ、マルスランの防御装置も作動させている。
三台の真ん中を走るリュディヴィーヌとアルトゥールの馬車の隣には、エルを連れたレーニエが並行して騎乗している。出発前にレーニエが、ガルデニアの騎士たちが開発テストとして携帯している一人用防御装置に興味を示したので、随行してくれているミルトゥ辺境伯の騎士たちにも携帯してもらっている。
最初の危険ポイントにも、二番目の危険ポイントにも、怪しいものはいなかった。二日目も問題はなかった。
三日目の朝だった。宿を出発すると、ミルトゥ辺境伯領と一つ南にある王家直轄地、ブルーエ領の境界線にある川を渡ることになっていた。
「この橋の周辺は森になっている。高い橋ではないが、橋を渡っているところは、森の中からよく見えるだろう。ブルーエの領内ならば向こうは手を出しやすいし逃げるのも楽だろう。奴らは必ず、橋を半分通過したところで攻撃してくるはずだ」
宿を出る前にレーニエから説明があった。リュディヴィーヌとアルトゥールはうなずいた。昨夜のうちに、騎士たちとは確認済みだという。やはり北の守りを担う騎士団長になれるだけのことはある。ただの脳筋などではないのだ。
「問題は、相手が橋を落とす気があるかどうか、だな」
橋を落とす気ならば、橋を何かで壊すか、火をつけて燃やすか。火矢で射かけてくる可能性も想定しなければならない。
「落とす気がなければ、橋を渡り切ったところで囲まれるだろう。馬を狙うかもしれない」
馬を狙うという言葉に、アルトゥールの顔がゆがんだ。
「向こうは、尊き御方は個人携帯型の防御装置がこちらにあることを知らないのだろう?」
「ええ。マルスランは、公費で研究するとクロティルド妃が書類を通して研究開発内容を知ってしまう可能性があるから、ガルデニア公爵家が支援している私費を使って研究していると言っていたわ。あの方には知られていないはずよ」
「鷲がその情報をつかんでいないといいんだが」
「そうね」
「それから、王城にいる『友だち』から、昨夜連絡が来た」
「『友だち』?」
「ああ、『友だち』だ。クロティルド妃が鷲に『熊を狩れ』と命じたそうだ」
「っ!」
リュディヴィーヌは拳を強く握りしめた。
熊。アルトゥールという名は「熊」に由来する。クロティルド妃の「熊を狩れ」と言う言葉は、間違いなく「アルトゥールを殺せ」という命令なのだ。
ミルトゥ辺境伯領で、不用意にアルトゥールの名を出してしまったところを、潜んでいた耳の良い鷲に聞かれたのだろう。これまでずっと、王都の邸ではアルトゥールのことを「アベラール」の名でやり過ごしてきたというのに。
ミルトゥ辺境伯家の者なら安心だと油断した自分を、リュディヴィーヌを責めた。
「リュディヴィーヌ嬢。過去のことはどうしようもない。俺も出自のことをしゃべってしまった。今、我々た注力すべきであるのは、過去の失敗にくよくよ悩むことではなく、アルを守りきることだ」
「はい」
馬車の中で朝のやり取りを反芻していたリュディヴィーヌは、馬車が森の中で止まったのを感じた。小窓を空けて御者に声をかける。
「どうしたの?」
「ミルトゥの団長閣下が、待機せよと」
ミルトゥ辺境伯領とブルーエ領の境界にある川までやって来ている。この先に橋があり、そこを越えると王族直轄領ブルーエ領となる。
森の中に身をひそめるようにして、一行は向こう岸を注視する。リュディヴィーヌも馬車の中からカーテンを少しだけずらして、スコープを覗き込んだ。馬上のレーニエも同じようにスコープを使っている。
「いるわ」「いるな」
リュディヴィーヌとレーニエが同時につぶやいた。レーニエが馬車の扉を開いた。
「こちらは風下だが、火薬のにおいはしない。火矢を使うつもりはないようだな。だが必ず、襲撃される。襲撃されても、絶対に馬車の外に出るな。俺たちが駆らなず食い止めるから。いいな?」
アルトゥールが、レーニエに抱き着いた。
「レーニエ様も、死なないで」
「ああ、任せておけ」
レーニエはアルトゥールをぎゅっと抱きしめてその額にキスすると、リュディヴィーヌの手を握った。
「ご武運を」
「ああ。リュディヴィーヌ嬢も、できるだけ怪我をしないようにな」
握られた手にレーニエの顔が近づいたその瞬間、手の甲に何かが触れたような気がした。心臓が跳ねた。
「では、また後で」
扉が閉じられた。
リュディヴィーヌは、三秒数えてから、扉に鍵をかけた。カーテンで表情が窓に移らないのをよいことに、外に向かって一つだけ息を大きく吐いた。そして顔を作ると、アルトゥールの方に向き直った。
「馬車が横転するかもしれないわ。頭をクッションで保護しておきましょう」
見た目よりもはるかに重い座面を二人でなんとか持ち上げると、中は収納庫になっている。ここにはクッションかカーテンの予備の他、数日分の非常食と水、救急箱、金づち、それに蓋つきのバケツなどが収められている。短剣と長剣も一本ずつあった。
馬車の中で救助を待つ間に必要な最低限のものはそろっている。それを確認すると、リュディヴィーヌはアルトゥールと一緒にクッションとカーテンを引っ張り出した。
「どうにもならない時は、アルにはこの中に隠れてもらうこともあるからね」
この収納型座席は、緊急避難できるように、座面を置いた後、中からカギをかけることができる仕組みになっている。座面が重かったのは、鉄の板が仕込まれているからだ。剣で突き刺したとしても、刃は中にまで届かない。
「リュディはどうなるの?」
不安げなアルトゥールに、リュディヴィーヌはその頭を優しくなでてから言った。
「ミルトゥ辺境伯領に来た時に、レーニエ様に何を言われたか、覚えているかしら?」
アルトゥールは小さくうなずいた。
「アルが命を狙われるのは、アルが玉座に一番近い人だから。国王陛下の唯一のお子であるアルは、最優先で守らなければいけないの」
「嫌だ、リュディも」
「アル。わたくしはアルの妻です。アルが生まれて、アンジェリーヌ様が殺されて、お城から逃げ出したあの日、国王陛下に命じられて結婚したわたくしたちだけれど、国王陛下がわたくしに求めたのは、アルを守ることなの。立派に成人して、王妃様の横暴をただし、国王陛下の助けになるような人物にするために、わたくしたちガルデニア公爵家はあるのよ」
「僕が泣いていたらダメ?」
「ダメじゃないわ。でもね、これからは『外側の人』には泣いたり不安がったりしているところを見せられなくなるわ。弱みになるから」
「外側の人?」
なんだか遺言めいてきたことに、リュディヴィーヌは心が痛むのを覚えた。この話は、あと半年したらするつもりだったのに。
「ええ。今は、この馬車の中なら安全よね? ガルデニアのお邸の中も安全。今わたくしが言う『内側』『外側』というのは馬車やお邸と同じで、心の壁の内側か外側かということよ。『外側の人』は、アルにとって安心できない人、危害を加えようということが分かっている人のことね」
「じゃあ、内側の人は、安全な人ってこと?」
「そうよ。今まではわたくしたちが『内側の人』か『外側の人』か判断していたけれども、『玄冬』が終わって『青春』になる16歳までには、アル自身でそれを決められるようにならなければならないわ」
「うん」
「そして、これも覚えておいて。アルが決めた『内側の人』にだけ、つらいとか、怖いとか、そういう感情を吐露できる。だから、アル自身が『内側の人』をきちんと見極めなければならないわ。裏切るために、近づく人もいるのだから」
「人間って、難しいね」
アルトゥールはクッションをお腹に抱えながらつぶやいた。
「ええ。でもそれが、大人になるということよ」
準備ができたのだろうか、御者が連絡用の小窓をコンコンと叩いた。この御者も、ただの御者ではない。ガルデニア公爵家の騎士団で戦闘訓練を受けており、護衛とを兼務している。
「お嬢様、お坊ちゃま、出発します。私が御者台から転落した場合、馬が暴走する可能性がありますので、クッションでしっかり頭を保護してください」
「ありがとう。もう予備のクッションとカーテンで、ぎゅうぎゅうになっているわ」
「では、しっかり手すりにおつかまりください」
ガラガラと馬車が動き出した。川を渡るための橋は、目の前だ。
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