13 青毛のエル
読みに来てくださってありがとうございます。
例の件で考え込んでいても埒が明かないので、頑張って書き始めました。
よろしくお願いいたします。
「おはよう!」
翌日の朝、食事を終えたばかりのリュディヴィーヌとアルトゥールの元に、レーニエが元気よく入って来た。
「おはようございますっ!」
「おはようございます。朝から随分と力が有り余っていらっしゃるのね」
元気よく返事したアルトゥールとは反対に、リュディヴィーヌは朝からぐったりしている。それはそうだろう。夜明けと同時に窓の下から響く、騎士団員たちが鍛錬する声や物音で、リュディヴィーヌは寝不足なのだ。アルトゥールを守るために些細な音でもすぐに起きてしまうリュディヴィーヌにとって、起きてはいられないほどの音量だった。
「そうだったか、悪かったな。だが、ここにはここのルールがある。あんたたちのためにそれを曲げるわけにはいかない」
「ええ、それで結構です」
リュディヴィーヌがアルトゥールの着替えを手伝う姿を見たレーニエは、「まだ一人で着替えられないのか?」と言った。
「どうして?」と言ったアルトゥールに、レーニエが「お子ちゃま」という言葉を放てば、アルトゥールの頬がぷくっと膨らむ。リュディヴィーヌは思わず抗議した。
「貴族は一人で服など着ないでしょう?」
「ああ、そうか。騎士服は一人で着るものだから、つい」
悪気はないのだろう。ただ、生活が貴族寄りというよりも騎士寄りになっている人なのだと思えば、常識だのなんだのと言うのも嫌味のように思われて、リュディヴィーヌはそれ以上言わなかった。
「さあ、行こうか」
リュディヴィーヌは朝食の前に、既に乗馬服に着替え済み。昨日会ったばかりのレーニエが女性の着替えの時間など気にすることもなく突撃してくる可能性を予見していたからだ。もっとも、目が覚めてしまったことをマノンに気づかれ、いつもより早めに起きたので、時間を持て余して先に着替えていたということもあるのだが。
先を歩いていたレーニエが、ふと後ろを振り向いた。眉間にしわが寄っている。それはそうだろう、リュディヴィーヌたちとレーニエの間には、30メートルほどの距離ができているのだ。
「レーニエ様。女性と子供の歩幅に合わせようという紳士的な思想はお持ち合わせではないのでしょうか?」
リュディヴィーヌはたっぷりと嫌味を込めて言った。レーニエは「ああそうか」とつぶやくと、頭をガシガシと掻いた後で「はあ~」と大きなため息をついた。
「そんなゆっくり歩いていたら、ここじゃ死ぬぞ」
レーニエの言葉に、リュディヴィーヌはアルトゥールの手をぎゅっと握り締めた。
「いいか。ミルトゥ辺境伯領ってのはな、北の守りだ。領地の三分の一は、いつ、どこから侵入があるかわからない。ここは一番南側。つまり領内で一番安全な場所ではあるが、ゆったりと歩いていたら暗殺者からも狙われやすくなる。ここにいる間だけでも、必ず俺の側に付け。貴族らしく優雅に歩くな。命の方が大事だろう」
王都にいて、それも防御魔法に守られて安全を確保された邸の中にいたことで、リュディヴィーヌは建物の中ならば安全だとどこかで気が緩んでいたのかもしれない。
「ごめんなさい」
「わかってくれればいい」
小走りになりながら、リュディヴィーヌとアルトゥールはレーニエについていく。小走りになりながら、リュディヴィーヌは尋ねた。
「もしかして、窓の下で鍛錬していたのって……」
「ああ。夜中もリュディヴィーヌ嬢とアルの部屋の下には警備をつけたが、鍛錬という名目があれば、あのあたりで騎士たちがうろうろしていても不自然じゃないだろう? 俺は昼間側にいられるが、俺がいない間は他の連中にも守らせている。先に言わなかったのは、悪かった」
どうやらレーニエなりに、リュディヴィーヌとアルトゥールのことを気遣ってくれているようだ。故土場が足りない、貴族らしさを知らないだけで、悪い人ではないのだと思えた。
むしろ、かなり気を配ってくれているのだと。そうなると、別の疑問がリュディヴィーヌの心に生まれる。
「辺境伯家の邸や騎士団に、アンジェリーヌ様の防御魔法を使っていないの?」
この国では公爵家、侯爵家、伯爵家が領地を任される「領主」となる。子爵はその下で働く貴族階級であり、男爵は言わば代官・村長としてそれぞれ小さく区切られた地域を治めて税の回収をしたり問題が起きた時に報告するのが、この国の貴族システムとなっている。
南部を統括するガルデニア公爵家、東部を統括するシティス侯爵家、西部を統括するグリシーヌ侯爵家、そして北部を統括するミルトゥ辺境伯家。この四家が大領主であり、その内側にグライユール伯爵家、トレミエール伯爵家、ミュスカ伯爵家があり、王都を含む一帯が王家直轄領となっており、いずれの地域も農業生産を奨励し、小さな国土ながら食料自給率は100パーセントを超えている。いずれも、領主たちの経営手腕が優れているからだ。
領主たちが優れているからこそ(軍事面を除いて、だが)、領主をしっかりと守らねば領の経営が傾く。アンジェリーヌ妃の防御魔法が完成した後、すぐに領主のカントリーハウスとタウンハウスに設置されたのは、そんないきさつもある。
とはいえ、誰でも魔力があるわけではなく、会ったとしてもリュディヴィーヌのように微々たるものしかない領主もいる。その場合は王城の魔法使いが領主の邸に派遣され、アンジェリーヌ妃が作り上げた防御魔法を展開できるようになっている。
それは当然、ミルトゥ辺境伯家にも適用されているはずだ。それがあれば暗殺者を恐れる必要もないのに、なぜ暗殺者をそれほど心配しなければならないのか、リュディヴィーヌには分からなかった。そういえば、邸に入る時も防御魔法は展開されていなかったし、防御魔法に弾かれずに入るための「認証」もなかったことに、今更ながら疑問を抱く。
「ああ、確かに王城から魔法使いが来ているよ。でも、うちは魔力より武力だからね、自分のことくらい自分で守れっていうこともあるし、来てくれた魔法使いには前線で出た負傷者を守ってもらっている。派遣された者がみんな、それを選ぶ。なぜかわかるか?」
「騎士や兵士を守るため?」
「そうだ。生きていれば、まだ前線に立てる。国を守れる。でも、死んでしまったらそうはいかない。野戦病院が安全であればストレスも少ないので、回復も早いんだ」
「わたくし、随分思い違いをしていたようね」
「例えば?」
「大将さえ生きていれば再建できると思っていたけれど、実働部隊がいなかったら、いくら大将が大声をあげても何もできないのね」
「そういうことさ」
「今も前線で戦っているの?」
「ああ。国境のあたりにはどこにも属していない山岳民族がいくつかあって、今は彼らとの交戦が多い。ヴィーゼル帝国と接している部分であっても、油断はできない。まあ、ヴィーゼルに下ってからは小競り合い程度が多いが」
「ヴィーゼルと小競り合いがあるの?」
「あっちはこっちのことを完全に信用しているわけじゃない。武力は少しずつでも削いでおきたいんだろうな」
「騎士団長のあなたがわたくしたちの対応をしているのはいいの? わたくしたち、一刻も早く帰った方がよさそうね」
「どうなんだろうな。今は一つ下の弟が団長代理で前線に出ている」
「そうなの。心配ね」
「あいつは大丈夫だ。俺と違って、魔力持ちだからな。すごいんだぜ、剣に火魔法やら氷魔法やらまとわせて、いろんなことができるんだ」
「すごい! 僕もできるようになる?」
アルトゥールがもしっかり聞き耳を立てていたらしい。小走りしながら、目をキラキラさせてレーニエに尋ねた。
「10歳じゃ、魔力があるかどうかも分からないからなあ。まあ、魔力検査まで待てば魔力の質も分かる。それまでに自分一人でできることを増やす、それが一番さ」
「はい!」
何を思ったか、レーニエは突然アルトゥールの手を取ると、ひょいと肩車をした。ガルデニア公爵邸では、肩車などしたことはない。はじめは目を丸くしていたアルトゥールだったが、まるで5歳児のようにキャッキャとはしゃぎ始めた。
「リュディヴィーヌ嬢、あんた、アルを女の手だけで育てただろ?」
「わたくしが一日中一緒にいたの。だから、護衛はいたわ」
「でも、そいつらはこんなふうに遊んでやりはしなかっただろう?」
「ええ」
「上品で、よくしつけられたお子様だよ。だけど、それだけじゃ自分の身を守れねえぞ」
「それを、これから」
「ああ、そうだな」
悔しいと思う気持ちと、喜ぶアルトゥールを見て年齢相応の男の子だったのだと安心する気持ちが入り乱れる。リュディヴィーヌは、少し早まったレーニエの歩調についていくため、自分も歩みを速めた。こんなに早く歩いたのは、人生初めてだ。王都の人が見たら「完璧な淑女」が小走りになる姿に、目が飛び出るくらいに驚くだろうなと思うと、なんだか笑いが込み上げてきた。
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広大な厩舎には、既に乗り手が決まっている馬と、誰でも乗っていい馬、そして生まれて半年ほどの子馬たちがいた。厩舎の隣には馬場があり、事情があって騎士を引退したものの、馬の扱いに優れていた者たちを馬丁として馬の調教をしている。
「まずは、気が合いそうだなと思う馬を見つけるんだ」
レーニエの肩から降りたアルトゥールは、一頭ずつ前を歩いた。アルトゥールに興味を示すもの、示さないもの、ふんと鼻息をかけてくるもの、髪の毛を引っ張ろうとするもの、馬もやはり個性があるのだな、と思いながら、リュディヴィーヌはアルトゥールのすぐ後ろを歩いていく。
アルトゥールの足が、一頭の馬の前でぴたりと止まった。神経質そうな黒い馬だ。小さな耳をぴんと立てて、じっとアルトゥールと見つめあっている。
「こいつは青毛だな」
「青毛?」
「ああ。よく黒鹿毛や青鹿毛と間違えられるんだが。青毛は褐色の部分がない。性格としては神経質で、信頼できるまでに時間がかかる。だから、すぐに現場に連れて行かねばならない騎士では、なかなかこいつと向き合えない。結果として、いい馬なんだが主が定まっていないんだ」
アルトゥールは、吸い寄せられるように青毛の馬に近づいた。
アル、近寄りすぎてはだめよ。
そう、リュディヴィーヌが言おうとした時。
アルトゥールはそっとその手を鼻先に伸ばした。青毛の馬が鼻を近づけて、匂いを嗅いでいる。
「アル、お前挨拶の仕方を知っているのか?」
「え? これ、挨拶なの?」
青毛の馬は何度も何度もアルトゥールの手の匂いを嗅いだ。そしてぺろりと舐めた。
「うわ、くすぐったい!」
アルトゥールが身をよじらせる。青毛の馬は柔らかい目でアルトゥールを見下ろした。
「エル」
アルトゥールがそう呼びかけると、青毛の馬は返事をするかのように鼻を鳴らした。
「へえ、この神経質な奴が、アルを認めたってことか」
「この子、今までは何と呼ばれていたんですか?」
「シエル・ノクチュルヌ。『夜空』っていう意味だ。でもだいたいはシエルって呼ばれていたな」
「名前がにているから、僕が『エル』って言ったら、返事してくれたのかな?」
「ああ、そうかもしれないな」
アルトゥールはこれまでシエルと呼ばれていた青毛の馬に向き合った。
「僕の友達になってくれる?」
「ヒヒン!」
「じゃあ、試乗してみるか」
「あ、まだアルは乗馬用のおとなしい馬しか……」
「大丈夫だ。俺が一緒に乗る」
「お、お願いします」
元騎士ということもあるのだろう、馬丁がきびきびと鞍や鐙をつけていく。青毛は繊細で気難しいと言われるが、アルトゥールは本当に心を通わせられるのか、リュディヴィーヌは不安だ。
引き出されたシエル改めエル(予定)は、通常の乗用馬よりもはるかに立派な体躯をしている。厩にはガルデニア公爵家からきた馬車馬がいるが、彼らよりも頭一つ背が高い。
レーニエはふわっと馬の背に乗ると、ほら、と言ってアルトゥールに手を差し出した。リュディヴィーヌが抱き上げると、ひょいと持ち上げられて、レーニエの前にぽすんと収まった。
「わあ、高い!」
アルトゥールの好奇心に満ちた声が響く。馬丁たちが微笑んでいる。
「おい、リュディヴィーヌ嬢を警護しろ」
「もう展開していますよ」
馬丁の言葉に周囲を見ると、馬丁だけでなく、騎士服姿が見える。
いつの間に。
驚きながらも、レーニエの気遣いがうれしいと思う。
「どうやら、ビビりのシエルにスイッチが入ったようですな」
近くにいた初老の馬丁が、リュディヴィーヌに声をかけた。物静かな男だが、おそらくリュディヴィーヌの側で守るように指示されている男なのだろう。
「シエルはいつもおどおどしていて、大柄な騎士が来ると自分だって図体がでかいくせに怖がってしまいましてな。それで主が決まらなかったのです。ですが、公爵家の若君は明らかに小さい。シエルは若君を、庇護対象として認めたようです」
「庇護対象……」
「どんなきっかけであれ、馬が心を開かねば一心同体になどなれません。あの馬は、あれでまだ2歳を過ぎたばかりです。馬の寿命は25年と言われております。若君を守る、いい馬になりましょう」
「ええ、期待しています」
レーニエの手綱で馬場を二周した後、レーニエはアルトゥールに手綱を渡した。そしてアルトゥールの姿勢を正すようにアルトゥールの腹に手を回すと、鐙を使わず、足で馬に合図するようにと言っている。
「通常の訓練はしてある。アルがちゃんと指示を出せば、エルは応えてくれるはずだ」
アルトゥールはうなずいた。
「エル、歩こうか」
手綱も引かず、足で腹に合図を送ることもなく、アルトゥールの言葉だけでエルが歩き始めた。
「おい、マジかよ」
レーニエが目を丸くしている。
「エル、トロット」
アルトゥールの言葉に、エルのスピードが上がる。
「はあ?」
間の抜けたレーニエの声が聞こえてくる。一周すると、アルトゥールが大きな声で言った。
「エル、キャンター!」
エルの足から「パカラッ、パカラッ」という音が聞こえ、スピードが一気に上がる。
「おい、なんだよ、もう!」
振り落とされないように慌てて鞍をつかんだレーニエの、悲鳴じみた声が馬場に響く。
「これは……ある意味、運命の出会いですな」
馬丁が「よいものを見た」とつぶやいた後、リュディヴィーヌに言った。
「おいでくださって、ありがとうございます。シエル……いや、エルも、あるべき場所に、共にいるべき人といられる。馬にとって、これは幸せなことです」
「連れて来た甲斐があったならよかったわ」
そう言いながら、リュディヴィーヌ自身も目を見張っていた。アルトゥールがこんなにすぐにエルと心を通わせるなんて、これっぽっちも思っていなかった。馬丁の言葉通りだと思った。きっとエルなら、何かあった時にアルトゥールを守ってくれるだろう。
馬場から厩舎に戻って来たレーニエは、アルトゥールを抱いたままエルから飛び降りた。そして、エルの目の高さにアルトゥールを抱き上げた。
「エル、ありがとう。これから一緒にいようね」
「ヒヒン!」
「完全に、決まりだな」
「はい、これ以上の組み合わせはございません」
アルトゥールが下ろされてリュディヴィーヌに抱き着くと、エルがリュディヴィーヌを見た。
「エル、リュディヴィーヌです。アルのこと、お願いしますね」
エルは頭を突き出した。鼻筋を撫でろと言われているような気がしてなでてやると、目を細めている。
「なあ。ガルデニア公爵家には、馬たらしの術があるのか?」
「そんなこと、あるわけないでしょう。わたくしの持つ弱い癒しの力を感じて、疲れを癒したかったのではないかしら?」
「へえ、リュディヴィーヌ嬢にはそんな魔力があるのか」
「微弱すぎて、治癒にはならないわ。せいぜいリラックスできる程度」
「それでも、家族にとってはありがたい力だな」
「そうかしら。わたくしはせっかくなら、強力な治癒魔法が欲しかったわ」
「ささやかな平和をもたらす魔力じゃないか。そのささやかな平和が、家族には必要だと俺は思うんだ」
「それは……そうかもしれないわね」
「うん、リュディが頭を撫でてくれると、すぐに眠れるよ!」
「なんだ、御夫君はまだ添い寝でねんねか?」
「僕が寝るまでの間だけだよ!」
「レーニエ様、からかわないでくださいませ」
「いや、アルがかわいくてな。つい」
婚約者もいない、結婚の予定もないとレーニエは言っていた。きっと何か事情があるのだろう。
「さあ、手を洗ってお昼にしましょう。さっきからマノンが待っているわ」
「よし、行くか!」
「はい!」
レーニエとアルトゥールが、走っていく。親子というより、叔父と甥っ子のように見える。
冷静に考えれば、家族として過ごした時間がリュディヴィーヌの方が長いが、レーニエとアルトゥールには血縁という強固な結びつきがある。リュディヴィーヌの10年が血縁の前に負けたような気がして、リュディヴィーヌの心の中に猛然と「負けたくない」という気持ちが沸き起こった。
「待ちなさい、離れるなとおっしゃったのはレーニエ様でしょう!」
リュディヴィーヌの大きな声に、アルトゥールとレーニエが丸い目をしてこちらを向いた。だがレーニエはにやりと笑うと「追いついてこいよ!」と言って走り出した。アルトゥールが笑っている。
「お待ちなさいったら、もう!」
言葉では怒っている。だが、リュディヴィーヌの顔にも、笑顔が浮かんでいた
読んでくださってありがとうございました。
馬は毛色で性格の傾向があるとか。
犬も同じですよね。
ちなみに、黒系のポメラニアンは神経質。オレンジ系のポメラニアンは友好的。クリーム系のポメラニアンはマイペースでよく吠える。これが我が家の傾向です。
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