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私の愛した小さなあなた  作者: 香田紗季


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10/26

10 馬とミルトゥ辺境伯家

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

「アル! 手を洗っていらっしゃい!」


 ガルデニア公爵家の中庭に、リュディヴィーヌの声が響いた。


「待って、リュディ姉様!」


 10歳になったアルトゥールは広い中庭の向こう側にある馬場から走ってくると、用意された桶の水で手と顔を洗い、リュディヴィーヌに抱き着いた。


「まあ、そんなふうに抱き着いたら小さい子どもと同じですよ」

「いいんだ、僕はリュディ姉様の前では一生小さい子どもだよ!」

「もう、困ったさんね」


 リュディヴィーヌ自らの手で焼いたフロランタンが、中庭に用意されたテーブルの上の皿にたくさん載せられている。アルトゥールはリュディヴィーヌの前に立つと、両手を広げた。抱っこの催促だ。


「アルったら。仕方がないわね」


 アルトゥールを抱き上げて膝の上に座らせた。背中を預けてリュディヴィーヌを見上げる仕草がかわいくてならない。


「あ、フロランタン!」


 テーブルの上にあるものを確認したアルトゥールの顔が、パッと輝いた。母のシルヴェーヌはこの笑顔を見ると、アンジェリーヌ妃がまだ嫁ぐ前によく見せていた笑顔に似ていると言って目頭を押さえてしまうが、リュディヴィーヌはアルトゥールのこの笑顔が大好きだ。アルトゥールの笑顔につられてリュディヴィーヌも笑顔になる。


「ええ、約束通り、作ったわよ」

「やった! 僕、リュディ姉様のフロランタンが一番好きなんだ!」


 執事がいつもより少しだけ渋みを出した紅茶をカップに注いだ。スライスアーモンドをキャラメリゼした甘めのフロランタンには、あえて少しだけ渋みを出した紅茶を合わせる。それが、ガルデニア公爵家流である。


 フロランタンを一つ手に取ると、リュディヴィーヌはアルトゥールの口に近づけた。アルトゥールの口が開き、もぐもぐと食べ始める。食べやすいようにとスティック状にカットされたフロランタンをもぐもぐしているアルトゥールは、まるでうさぎのようだ。一つ食べ終えて紅茶を飲むと、アルトゥールは目をキラキラさせながら報告してきた。


「あのね、リュディ姉様。僕、今日の乗馬のテストに合格できたよ!」

「まあ! 頑張ったわね!」

「うん!」


 今日のテストは、通常の乗馬が一通りできるようになったことを確認するためのものだと聞いている。合格だと教師役から認められたら、次は軍馬を使った訓練に入ることになっているはずだ。アルトゥールの身に何か起きた時に自分の身を守れるようにするために、まずは馬で逃げること、次に戦いながら逃げることを教えなければならない。そう考えた結果組まれた、アルトゥール専用のプログラムだ。


「いよいよ、アルも剣を持つようになるのね」


 軍馬の訓練と同時に、真剣を使った訓練も始まることになる。リュディヴィーヌは二つ目のフロランタンをもぐもぐしているアルトゥールを見つめながら、この10年はあっという間だったな、と感慨にふけった。


 アルトゥールは目を離せない子だ。すぐに風邪をひくし、いたずらして怪我をすることも多かった。好奇心旺盛で、分からないことはとことんまで質問攻めにした。10歳の誕生日を迎えてから、ようやく体調を崩すことも少なくなり、活発さは残したまま、少しだけ周囲を見ることができるようになってきた。


 生まれたその日に、王城から逃げるようにしてアルトゥールを連れてきた。この手に抱いた命の温もりと重さに、体が震えた。あの日から随分成長したが、リュディヴィーヌにとっては小さくてかわいいアルであることに変わりはない。


 1歳の頃に高熱を発して熱性けいれんを起こした時には、この世の終わりだと感じたし、二か月に一度は熱を出して2週間はベッドの住人になっていた。そんなアルトゥールが、子どもから大人になるためのステップを確実に踏んでいる。それが、リュディヴィーヌにはうれしくてならなかった。


 この国では、人生を15年単位で区切って考えている。


 生まれてから15歳までが「玄冬」。できないこと、分からないことが多いために、苦労しながら学ばねばならない年頃だ。


 16歳から30歳までが、「青春」。体力もあり、知識も技術も身に着け、それを生かして大人として羽ばたいていく年頃だ。


 そして、31歳から45歳までが「朱夏」。人生で最も気力体力知力が盛んな時期とされている。


 最後は、「白秋」。様々なことを経験して、落ち着きを持ち、深謀遠慮に長け、職人ならば卓越した技などを身に着けた人物に大成していく時期とされている。


 長生きすればするほど、「白秋」の季節は長い。「白秋」を充実したものにするためには、「玄冬」の時期から努力を重ねなければならない、それがフㇽラージュの考え方だ。


 「玄冬」の季節にあるアルトゥールは、乾いた砂が水を吸い込むように、様々な知識を吸収し、できることを増やしている。よい教師を選べば、この能力を「朱夏」の時期に生かせるだろう。


 でも、とリュディヴィーヌは思う。


 今のアルトゥールを、「アルトゥール王子」として生かすことはできない。少なくとも、クロティルド妃が生きている間は無理だ。ガルデニア公爵家の養子「アルベール」として生きながら、その力を発揮させてやりたいとは思う。


 もう一つ、問題があった。エルキュール王はクロティルド妃との間に子どもを儲けないと宣言し、それを守り続けていることだ。現在、エルキュール王には子がいない。エルキュール王自身も一人っ子であり、隠された王子であるアルトゥールを除くと、王位継承権第一位となるのは実はバヤールとなる。リュディヴィーヌの父方の曾祖母が、前の王の、年の離れた姉だったのだ。前の王には姉王女一人しかおらず、その血を次ぐのは現ガルデニア公爵家と、姉のアリアーヌがグリシーヌ侯爵家に嫁いで生まれた男児のみ。現状、ガルデニア公爵家の者であるということが、必然的にクロティルド妃とヴィーゼル帝国に対する脅威になってしまっている。


 エルキュール王が退位する頃まで、年上のバヤールが生存しているとは言い切れない。次のガルデニア公爵となる兄パトリスは優れた人物だが、人を押しのけてまで前に出ようとする人物ではない。つまり、クロティルド妃がいなくなれば、アルトゥールが本来の「王子」として立つ可能性があるということになる。


 だから、リュディヴィーヌは、アルトゥールに最高レベルの教育を与える必要があった。あるレベルに到達すると、次のレベルに見合った教師役を手配する。子どもだからと言って中途半端な教育を受けさせるわけにもいかず、かといって子どもに教えることに慣れた者でなければアルが潰されてしまう。教師役を選ぶのもリュディヴィーヌの大切な役割だった。そうやって築き上げた人脈に助けられたことも、何度もある。


「軍馬って、大きいんだよね」


 無邪気に話すアルトゥールに、現実に引き戻されたリュディヴィーヌは「そうね」と言った。


「乗馬の訓練が終わって軍馬を扱うことになると、新しい先生と馬が必要ね」

「先生は、ガルデニア公爵家の騎士団の人から選ぶの?」

「お父様と騎士団長に相談しましょう。ミルトゥ辺境伯家にお願いすることも考えているわ」

「フㇽラージュで一番強い騎馬隊を持っているのが、ミルトゥ辺境伯家なんだよね!」

「正解!」


 二人が話している様子を見ていると、年の離れた姉弟というよりも、母と子にしか見えない。だが、二人は夫婦だ。もちろん書類だけの夫婦だが、二人が夫婦であることを記した婚姻書類は、バヤールが宰相権限でエルキュール王から直接決裁を受け、限られた者しか立ち入れない書庫で保管されている。


 彼らが夫婦であることを、アルトゥールはまだ知らない。いや、知っているのはガルデニア公爵家とエルキュール王と、その周辺のごくわずかな者だけ。アルトゥールはリュディヴィーヌを実の姉だと信じている。兄パトリスの子どもたちの方が、アルトゥールとは年齢が近い。領地にいるパトリスが子どもたちを連れて王都に出てくると、アルトゥールは子犬がじゃれあうように遊ぶ。年の近い友人を用意できないリュディヴィーヌにとって、甥っ子たちの存在は、アルトゥールのためにもありがたいものだ。


 その夜リュディヴィーヌは、アルトゥールが軍馬に乗るための訓練を誰に担当してもらうか、バヤールに相談した。


「まずは馬選びからだな。となると……やはりミルトゥ辺境伯に相談するか」


 最強騎馬隊を持つミルトゥ辺境伯家は、当然のことながら良質の軍馬を産出している。アルトゥールのための軍馬だと言えば、ミルトゥ辺境伯家は喜んで良い馬を選んでくれるだろう。


 リュディヴィーヌは手配を願う手紙を認めた。二週間後に届いた返事には、「相性を見たいので一度領地の牧場に来てほしい」と書かれていた。


「馬のことは、辺境伯閣下の弟レーニエ殿が担当するそうだ」


 バヤールの言葉に、リュディヴィーヌは貴族年鑑の記憶を手繰った。一度も王都には出てきたことがない人物で、確かリュディヴィーヌより3歳ほど年上だったはず。


「ミルトゥ辺境伯家の騎士団長だな」

「では、早速、手配いたします」

「頼んだ」


 この先アルトゥールの人格形成に深くかかわることになる、ミルトゥ辺境伯家のレーニエと出会いは、もうすぐである。


読んでくださってありがとうございました。

次回は、アルの一生に重要な意味を持つ人物「レーニエ」と出会います。

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