第80話 海のフルコース
冒険者養成コースも折り返しに入り、体を使う訓練が続いたせいか、受講生たちの表情にもわずかな疲労がにじみ始めていた。
そこでナカムラが提案したのが――小休止を兼ねた「釣り」である。
その朝、全員はギルド裏の馬車に乗り込んだ。揺られながら街外れの道を進むと、次第に風が湿り気を帯び、遠くから潮を打つ音が聞こえてくる。
視界が一気に開け、海が姿をあらわすと、受講生たちから歓声が漏れた。
「うわ……広い……」
「海って、もっと黒いと思ってた……綺麗なんだねぇ」
白い波が寄せては返し、渚には小石の弾ける音が涼しげに響いている。
馬車を降り、ナカムラが手を叩いた。
「今日は釣りをしてもらう。罠は使わず、網も無し。竿一本で魚を釣る。……効率は悪いが、魚の動き、気配を読む練習にもなる。何より――食料確保の勉強にもなる」
それを聞いた数人が、食欲と興味の混ざった顔をした。
竿は竹を細く裂いて束ね、しなりを持たせた素朴な作り。糸を通し、小さな針を結ぶ。餌の切り身を針につけ、海へ落とす――言葉にすると簡単だが、実際にやると案外難しい。
「あ、糸が絡んだ……」
「ハーネス、なんでそんな早くできるんだ?」
「手先は得意なんだ」
ハーネスとリィベルは器用に餌をつけ、さっさと針を投げ込んでいたが、荒っぽいライカや、不器用なアルトは苦戦している。
「ライカさん、そこは結ぶんじゃなくて“巻く”んですよぉ」
「アルト、入れすぎだ。糸が切れる」
先に上手くできた者やコリーが丁寧に見て回り、ようやく全員が仕掛けを海へ投げ込むことができた。
最初の数分、受講生たちはただ海を見つめ、竿先の小さな揺れに集中する。
だが、魚が餌をつついた瞬間、世界は変わる。
「……あ、なんか動いた!」
「引け! もっと強くだ!」
「えっ、これくらい!?」
慌てて竿を上げれば、餌だけを取られて空振り。
竿を揺らしすぎれば、魚が警戒して寄りつかない。
そんな中、最初に結果を出したのは――
普段ほぼ口を開かず、気配すら薄い元兵士のドルンだった。
「ん」
ぼそっと呟き、迷いなく竿を引く。
糸の先で何かが暴れ、しぶきが散った。
「おぉー! 一番乗りですよドルンさん!」
コリーが駆け寄り、魚の口から針を外して桶へ放り込む。赤い鱗が日の光を反射し、ぱしゃりと跳ねた。
「どうも」
ドルンは特に誇るでもなく、淡々と次の餌をつけて海へ戻った。
そこから潮の流れが変わったかのように、受講生たちの竿が次々としなっていく。
「き、きた! やっ……重い!!」
「わーっ、暴れてる!」
「やば……なんだこれ、細長い! 蛇!?」
「魚ですよぉ、落ち着いてくださーい!」
派手な色をした魚、細長い魚、巨大な口をした魚――さまざまな形が次々と海から飛び出す。
そして今日いちばんの大物を釣り上げたのは、アルトだった。
「な、何これ!? 丸い……ボールみたいな……」
手のひらの倍ほどもある、ぷくりと丸まった魚。
リンがぽつりと呟いた。
「毒魚。食べると死ぬ」
「えっ!?!?!?」
アルトが竿を放り投げそうになるのを、コリーが慌てて止める。
「大丈夫ですよぉ。毒のある魚も、ちゃんとした人が捌けば食べられますからぁ。でも勝手に食べるとほんとに死ぬので、絶対に捌かないように」
そう言ってにっこり笑う横で――ナカムラはもう調理場の準備を整えつつあった。
海辺に簡易の台を設置し、拾った流木で火を起こし、炭を組む。
桶の魚を見て、ナカムラは手際よく包丁を走らせた。
魚を〆て、剥いで、切って、焼いて、揚げる。
あっという間に、海のフルコースが出来上がる。
「はーい、そろそろ皆さん、ご飯の時間ですよ。こちらに来て座ってくださいねぇ」
コリーの声に反応し、それぞれ集中していて気づかなかった空腹感が一気にこみ上げてきて、足早に調理場に集まる。
最初に食べることを勧められたのは刺身だ。
大皿に並べられた薄造りは、まるで牡丹の花。
一切れを口に含むと――コリッ。
弾力が歯を押し返し、噛むほどに潮の香りと淡い甘みが広がる。
生きていた魚がそのまま味になる瞬間だ。
続いては揚げたての天ぷら
雪のように軽い衣を噛むと、
サクッ。
ふわり、と身がほどける。
「なにこれ……衣ってこんな軽くなるの?」
「魚の味が、なんか甘い……!」
揚げたての湯気に混じって、海風が匂いを運んでいく。
そして串に刺さったままの塩焼き
炭の香りが移り、皮は香ばしく、身はほろりとほぐれる。
ほんのひとつまみの塩だけで信じられないほど深い味が出る。
そして――
フグのテッサが目の前に出される。
透明な花びらのような薄切りが皿に広がる。
海辺の光を受けて青白くきらめく様は、もはや芸術だ。
一枚を舌に乗せると、ほのかに弾力を残しつつ、ふっと消える。
噛むたびに淡い旨みが湧き、塩と柑橘が後味を締める。
海風と汗のにじむ身体が、その上品さをさらに引き立てた。
受講生たちは皿を前にして、ただただ感嘆のため息を漏らすばかりだった。
「……これ、店で出されたら高いんだろうなぁ」
そんな呟きとともに今だけの贅沢を味わう。
海は静かで、波の音だけが一定のリズムで流れている。
訓練の日々ではあまり見られない受講生たちの緩んだ笑顔がそこにはあった。
「……こういうの、悪くないな」
「釣りって、こんなに楽しいんだな」
「また来たい……」
海風が吹き抜け、炭の香りと魚の匂いが混じる。
釣って、食べて、笑って。
たまにはこんな時間があってもいい。
こうして、海の幸に満たされた一日は、受講生たちにとって忘れられない思い出となった。
そしてこの小さな休息が、また次の週の厳しい訓練へ向かう力にもなっていくのだった。




