第77話 ある昼休み~牡蠣フライを添えて~
養成コース一週目も、気づけばもう終盤に差し掛かっていた。
毎日みっちり詰まった講義は、決して楽ではない。座学が中心とはいえ、日がな一日、危険、生存、毒、契約、自然、戦闘……それらの話を聞き続けるのだから、頭も心も疲れる。しかし──飽きる者はいなかった。
それは受講者全員が、この時間が“自分たちの夢へ最も近づける場”だと理解しているからだ。
そして、机上の空論ではなく、実際に現場で生き抜いてきた冒険者──ナカムラが語る内容は、どれもここでしか聞けない実体験ばかり。受講者は、疲れを抱えながらも次々とノートをめくり、メモを走らせた。
そんな厳しい講義の合間に、受講者たちが最も楽しみにしている時間がある。
それが“昼食”だ。
昼休みの食堂には、今日も食欲をそそる香りが漂っていた。
大きすぎず、小さすぎず、楕円形の衣をまとった一口サイズの揚げ物が皿に並ぶ。
見た目はコロッケにも似ているが、中には海の旨みがぎゅっと詰まっている。
──牡蠣フライだった。
表面は細かいパン粉に包まれ、焼き色はきつね色。
衣はサクッと軽く、油の香ばしさが食欲を一気に刺激する。
初めて牡蠣を食べる受講生でも、衣の食感は容易に想像できるだろう。
だが、一口かじった瞬間、その想像は良い意味で裏切られる。
衣の下で、牡蠣の身がふわりと膨らむようにほどける。
弾力というより、とろりとした柔らかい“海のクリーム”。
噛めば潮の香りがやさしく広がり、同時に牡蠣本来の深い甘みが舌に残る。
“濃厚なのにくどくない海のバター”
そんな表現がぴったりとはまる。
レモンを搾れば、香ばしい衣の油はすっと引き、牡蠣の旨みだけが澄んだ味わいで残る。
熱々の湯気にのる海の香りは、ひと口目の特権と言っていいだろう。
飲み込んだあと、ほんのり潮の香りが喉に残り、自然と次の一つへ手が伸びる。
そんな贅沢な昼食を終えたあと、受講者たちには短い自由時間が与えられた。
食堂のあちこちでは、思い思いの時間を過ごす姿が見られた。
机に突っ伏して短い睡眠をとる者、本を読んで過ごす者、外に出かける者。
講義の疲労もあってみな少しだらけた雰囲気だが、それぞれの時間を過ごしていた。
そんな中で、最も平凡と言われる青年──アルトは、一人テーブルに残って配られた資料を見返していた。
「覚えないといけないことが多いなぁ……冒険者って、こんなことまで考えて動いてるんだ」
資料をめくる指先は真剣そのもの。
彼は体格に恵まれているわけでもなく、戦闘経験もない。武器を握ったこともほとんどなく、学問に秀でているわけでもない。
だが、目の奥には確かな真剣さが宿っていた。
以前、毒竜が都を襲ったとき──
街の人々が逃げ惑う中で、たった一人立ち向かった冒険者の話が、アルトの胸に深く刻まれている。
恐怖に震えるだけだった自分。
家族を守る力がなかった自分。
あの日の悔しさが、いま彼をここへ連れてきている。
そんなアルトに、すっと影が差した。
「熱心ねぇ、アルト。そんなに眉間に皺を寄せなくても死にはしないわよ?」
笑いながら声をかけてきたのは商家の娘、ローレンスだった。
「ローレンス……君は、あの話全部理解してるみたいだし、すごいよ。
僕には初めてのことばっかりで、どこから手を付ければいいか……」
弱々しく言うアルトに、ローレンスは肩をすくめる。
「そんなわけないでしょう。冒険者なんて“何も考えてないで動いてる連中”も山ほどいるわよ。
でも、そういう感覚だけで生き残れる人は成功して、慣れもない人は──消える。それだけの話」
あっさり言う割に、言葉の裏は鋭い。
アルトは思わず苦笑した。
「君の家、商家なんだよね。学ぶことに慣れるみたいですごいな」
「まあね。うちは代々、“一家につきひとりは新しい商売を作る”って決まりがあるのよ。私は冒険者ビジネスがいいかなと思って、応募しただけ」
「冒険者……ビジネス?」
「素材の扱い、依頼の流れ、需要と供給、人の動き……全部商売の種になるわ。小さいころから勉強づけだったし、こういう分析は得意なの」
ローレンスはそう言って、アルトの資料にちらと目を落とす。
「で? どこが分からないの。投資だと思って説明するわ」
強気な言い方だが、口調はどこか楽しげだ。
アルトが質問すると、ローレンスは丁寧に、そして的確に補足していく。
商人として養われた思考が、冒険者の座学でも生きているのが分かった。
すると横から、湯気の立つカップが二つ、そっとテーブルの上に置かれた。
「はいどうぞぉ、お勉強の友に紅茶とフルーツですぅ」
コリーが柔らかい笑顔でティートレイを抱えていた。
「サービスですよぉ。教え合うのって一番身につきますからねぇ。昼休みも有効に使うなんて、えらいえらい」
そう言って、手を振って去っていく。
アルトとローレンスは顔を見合わせ、少し笑った。
その二人の様子を見たほかの受講生が、急に資料を開きはじめたのには、アルトもローレンスも気づいていた。
「なんか……みんな、急に勉強し始めた?」
「誰かが頑張ってると、周りは焦るものよ。いい傾向じゃない」
ローレンスはそう言って紅茶を一口飲む。
アルトは、ほっとしたような、でも少し照れくさいような表情を浮かべて資料を開き直した。
食堂の端でその光景を眺めていたナカムラは、腕を組んで静かに息をついた。
「ふむ……いいもんだな。講義以外の時間で学べることも多い」
冒険者は一人で生きる仕事ではない。
仲間とのつながり、知識の共有、互いへの理解──
そうしたものが、命を守る場面は何度もある。
もし、このメンバーの中で将来一緒に組む者が出るなら、
今日みたいな昼休みの積み重ねが大きな支えになるだろう。
ナカムラはそんな思いを胸に、静かに食堂を後にした。
──昼休みはただの休憩じゃない。
ここにも確かな“学び”がある。




