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おっさん異世界でフグをさばいていたら伝説になる  作者: 北真っ暗
2つ目の伝説

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第70話 夢を見れないなら

 夕暮れ前の冒険者ギルドの食堂には、静かな時間が流れていた。

 昼間の喧騒が過ぎ、窓から射す橙の光が木のテーブルをやわらかく照らす。

 皿を片づける音が遠くに響く中、一人だけじっと座っている男がいた。


 鎧の肩口は擦り切れ、腰の剣は長年の使用で鈍い光を放っている。

 歴戦の冒険者であることは明らかだった。だがその目は、どこか焦点を失っていた。

 彼は湯気の消えかけたカップを見つめ、ただぼんやりと息をしていた。


 その様子を見かねたのか、カウンターの向こうからナカムラが声をかけた。

「ずいぶん静かだな。何か、気に病むことでもあったのか?」


 男はゆっくり顔を上げ、言葉を探すようにカップの縁を指でなぞった。

「いや……夢って、なんだろうか」


「夢?」

 ナカムラが眉をひそめる。

「寝ても何も見えないんだ。ただ真っ暗な闇の中に沈むだけで。

 戦って、勝って、仲間と笑って……そんな光景さえも見えない。

 気づいたら、何のために生きてるのかもわからなくなってた。」


 その声は淡々としていたが、自分を責めるような影があった。

 ナカムラはしばらく黙って聞き、やがて静かに立ち上がると厨房の方を指さした。


「……ちょっと、こっち来てみるか。」


「え?」


「厨房だ。鍋でも振ってみろ。」


「俺が……?」


「いいから。」


 男は不思議そうな顔をしながらも、言われるままに厨房へと足を踏み入れた。

 狭い空間には湯気が立ちこめ、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 ナカムラは手際よく包丁を握り、まな板の上でリズムを刻んだ。


「ほら、この野菜を切ってみろ。」


 男はぎこちなく包丁を手に取った。

 刃の重みが手に馴染まず、思うように動かせない。滑りやすい野菜をぎこちなく刻む。


「むずかしいな……」


「だろう? 何でも最初はそんなもんだ。」


 ナカムラは笑い、鍋の火を整える。

「次は、炒めろ。焦げつかせるなよ。」


 言われた通りに鍋を振るが、すぐに焦げた匂いが立ちのぼった。

 男は眉をひそめ、鍋を置いた。


「……俺は戦いしかやってこなかった。夢も、理想も、気づいたら全部置いてきた。

 何をやっても上手くいかない気がする。」


 ナカムラは黙って鍋を引き取り、軽く具材を入れて炒めはじめた。

 金属音が心地よいリズムを刻み、香りが空気を満たしていく。

 その手つきは、まるで魔法のようだった。火加減ひとつで色が変わり、香辛料の香りが踊る。

 見ているだけで、心が少し温まるような光景だった。


 やがて、皿の上には色とりどりの野菜と肉が並び、湯気を立てる。

 ナカムラは仕上げにスープを注ぎ、全体を絡めた。

「ほら、できた。」


 皿が男の前に置かれる。

 見た目の美しさに、男は息をのんだ。

 作っているときの音、色彩、香り――そのすべてが、五感を刺激していた。


「……すごいな。」


「食ってみろ。」


 スプーンを取り、ひと口。

 舌に触れた瞬間、甘みと辛みが重なり、心の奥に何かが触れた。

 遠い昔の焚き火の匂い。仲間の笑い声。

 忘れていた記憶が、ゆっくりと浮かび上がってくるようだった。


「……うまい。」


 思わず口からこぼれた言葉に、ナカムラは静かに微笑んだ。


「なぁ、自分で見れないものは、仕方がないんだよ。」


「……?」


「夢が見られない? それでいい。

 自分の中で上手くいかない時は、誰かに見せてもらえばいいんだ。

 料理が下手なら、俺が作る。

 お前の夢が見えないなら、誰かが代わりに見せてくれるかもしれん。」


 男は言葉を失った。

 その声は穏やかで、それでいて確かな熱を帯びていた。


「俺は料理人だ。食わせて、満足してもらうのが本業だ。

 けど、この世界には“夢を見せる”のを本業にしてるやつもいる。

 絵を描く者、歌をうたう者、剣を振るって誰かを救う者……。

 世界は広い。まだお前の知らない景色が、いくらでもある。」


 ナカムラは皿を拭いながら言った。

「諦めるには早いさ。今お前が見えないのは、夢がないからじゃない。――まだ見つかってないだけだ。」


 男はしばらく黙っていた。

 手のひらを見つめ、深く息を吐く。

「……夢を、見れるようになるだろうか。」


「知らん。」

 ナカムラは笑った。

「けど、今日の飯の味を覚えてるなら、それで十分だろ。」


「……え?」


「腹が減った時、この味を思い出せ。

 “またあの味を食いたい”と思ったら、それがもう、お前の夢の一歩だ。」


 男は顔を上げた。

 窓の向こうから射す光が、金属の器に反射してきらめく。

 不思議と、胸の奥が少しだけ温かかった。


「……感謝する。少し、楽になった気がする。」


「礼はいい。また近くに来たら、稽古をつけてやるさ。」


「……頼む。」


 湯気の立ちこめる厨房で、男はわずかに微笑んだ。

 焦げついた鍋のような心が、少しだけ輝きを取り戻していた。


――夢は、まだ見えない。

 けれど、誰かが見せてくれるなら。

 いつか、自分でも見られる日が来るかもしれない。


 そう思えたことが、何よりの救いだった。

 料理も人生も、ひとつのきっかけで変わるものなのだろう。

 湯気の奥で、男はほんの少しだけ、明日の自分を思い描いた。

いつも読んで頂きありがとうございます。

次回より少し展開が変わってきます。

今後ともお付き合い頂けると幸いです。


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