第69話 飾らないゼリー
いつものように、静かな午前の食堂。
まな板の上では、野菜を刻む音が控えめに響いている。鍋からは出汁の香りが立ちのぼり、店の扉から差し込む光が湯気に揺らめいていた。
その静けさを破るように、軽い足音が近づいてくる。
ナカムラが顔を上げると、見知った顔がそこにあった。
背に鋼製の槍を背負い、少し照れくさそうに笑っている女――ミナだった。
「今日は、知り合いか……」
ナカムラは軽く息をつきながら、手を止めた。
ミナは、かつてカイルとともにナカムラの最初の依頼を支えた冒険者。
あのときは右も左もわからぬ中、彼女たちの支えがあったからこそ、今がある。いまでは中堅どころとして、ギルドでも名を知られる実力者になっている。
「おひさでーす。話題になってるの、聞いてますよー。」
そう言いながらも、なんとなく落ち着かない様子で腰を下ろす。
笑顔を作っているものの、どこかぎこちない。
「一人なのも珍しいな。……まぁ、本人がいたら出来ない相談なんだろうな。」
ナカムラの一言に、ミナはぐっと肩をすくめる。
「あー、まー、そうなんですけどっ。」
どうやら図星らしい。ナカムラの沈黙が「続けろ」と言わんばかりで、彼女は小さく息を吐いた。
「実はカイルなんだけど、この間、違う女性と一緒にいるところを見かけて……」
そこまで言うと、視線を泳がせる。
「それ見てたら、なんか変なこと考えちゃって。」
恋愛の話らしい。ナカムラは少し困った顔で頭をかいた。
「それで、どうしたいんだ?」
静かに問いかける。ミナは少し唇を噛んでから、ぽつりと呟いた。
「いつも一緒にいるのが当たり前だと思ってたし、なんとも思ってなかったんだけど……他の女の人といるの見たら、なんかやだなぁって。」
どうしていいかわからない感情に、自分で戸惑っている。
長く一緒にいすぎたせいで、気持ちを整理できないようだ。
「でも、仮に私がカイルのこと好きだったとしても、向こうがそう思ってるとは限らないじゃん!?」
声が少し大きくなる。照れと焦りと怒りがまざったような調子で。感情が忙しい。
「とりあえず、自分の想いを伝えないことには、向こうは分からないと思うが……」
ナカムラの言葉は淡々としている。
しかしそれが、彼女にとって一番難しい言葉だった。
「そんなの出来るなら、ここに来ないですよぉ……」
ミナは机に突っ伏すようにして、ぼそぼそと呟いた。
「私、女らしくないし……カイルとはずっと一緒だったし……もし本当に好きなら、もうとっくに告白されてると思うし。」
ナカムラは困ったように息をついた。
こういうとき、もしコリーがいれば何かしら上手く取りなしてくれるだろう。
だが今日は留守だ。仕方なく、彼は聞き役に徹するしかない。
「告白しないのは、お互い様ってことはないか?」
「え?」
「長く一緒にいると、恋愛感情なんてものはわかりにくくなる。あいつも同じように思ってるかもしれんぞ。」
ミナはしばらく考え込む。
しかし次の瞬間、コップをダンッと机に叩きつけた。
「でもさぁ! 私、女らしいとこなんてないんですよ!綺麗な人も可愛い人もいっぱいいるし、私のどこが好きになれるって言うの!?」
その声は、食堂の奥まで響いた。
その勢いに苦笑しながら、ナカムラは立ち上がった。
「まぁ、そういうことなら、ちょっと待ってな。」
そう言い残して、厨房へと引っ込む。
――しばらくして、戻ってきたナカムラの手には、硝子の器があった。
中には、陽の光を受けてゆらめく透明なゼリー。
果実の影がぼんやりと透けて見える程度の、淡い色合い。
スプーンを入れると、わずかに抵抗を感じたあと、ぷるりと震える。
掬い上げたゼリーは、ほとんど無色。
けれど、光の角度によって、果実のかけらがきらりと光を返す。
「見た目は地味だろ?」
ナカムラが笑う。
「けど、食ってみろ。」
ミナはおそるおそる、ひと口すくって口に含んだ。
――驚くほどやさしい。
舌の上で溶けていくとともに、ほのかな甘みと果実の香りが広がった。
最初に感じるのは柑橘の爽やかさ。次にベリーの甘酸っぱさ。
そして最後に、ほんの少し残る果皮の苦み。
まるで、誰かを想う気持ちのように、複雑で、やさしい。
「このゼリーは飾らない。透明なままで、味だけで勝負してる。」
ナカムラは言葉を選びながら続けた。
「見た目で価値を決めるやつには、きっとわからん。でも、ちゃんと味わう人には、伝わるんだ。味は嘘をつかないからな。」
ミナは、もう一口すくって、静かに笑った。
口の中に広がる涼やかな甘さが、心の奥をそっと押してくる。
――伝えることは、飾ることじゃない。
素直に出せば、きっと伝わる。
「それに誰かに獲られる前に、獲ってくるのが冒険者だろ。」
ナカムラが最後に言うと、ミナははっとしたように顔を上げた。
そして、すぐに立ち上がる。
「そうだよね! 冒険者だもん、ちゃんと獲ってこないと!」
その笑顔は、いつもの快活なミナに戻っていた。
出口に向かいながら、彼女は振り返って叫んだ。
「話、聞いてくれてありがとうございます!失敗してソロになったらしばらく依頼付き合ってくださいって、他の人にも伝えてくださいねっ!」
その背中を見送りながら、ナカムラはふっと笑う。
――見た目よりも中身が大事だ。
そんな当たり前の真理を、今日もまた、料理が代わりに伝えてくれたのだった。




