第4話 賑わう村
潮風が吹き込む小さな漁村の片隅に、ひときわ人の声で賑わう食堂があった。壁は打ち寄せた流木や村の木で組まれ、床はごつごつとした石。どこか不揃いで素朴だが、その手作り感が不思議と落ち着きを与える。奥のキッチンでは、薪のはぜる音がぱちぱちと響き、煙が立ちのぼる。薪火ならではの柔らかな赤。鉄鍋の底をじっくり温め、魚を煮る匂いが空間いっぱいに広がり、鼻先をくすぐる。
客席には、年季の入った木の机と長椅子が並び、そこに村人たちが肩を寄せ合うように腰掛けている。漁から帰った男たち、子どもを連れた母親、そして年配の人々。誰もが大皿に盛られた魚料理を前に笑顔を交わし、声を張り上げて談笑している。
テーブルには、煮魚、焼き魚、揚げ魚――ありとあらゆる魚料理が並ぶ。魚の脂が薪火に落ちて香ばしい煙をあげ、汁物の湯気はほのかに海藻の香りを漂わせる。皿を持つ手は止まらず、湯気の向こうから聞こえるのは「うまいぞ!」「もっと食え!」という朗らかな声。
ナカムラがこの村に来る少し前には無かった活気が取り戻されつつあった。
「この焼いたフグが一番うまい!これより美味い料理はないから食べてみろ」
「お前、そんなこと言ってるけど、最初は無理矢理口に突っ込まれてたじぇねえか」
「やかましい、今は一番うまいから、それでいいじゃねえか!」
「店長!俺にも焼きフグくれ!」
はじめてしばらくは、村のごく一部の村民しか近寄らなかった食堂も、賑わいを聞きつけ、立ち寄る人が増え始まる。出稼ぎに出ていた若者も噂を聞きつけ、戻ってくる。なんせ、村人の困りものだった丸く膨らむ毒魚が、村の名物になっているのだ。漁をする人も少しずつ増えはじめ、食堂は大忙しである。
「店長!この魚も毒があって、どうやって食べていいか困ってたんだが、何か方法あるか?」
「うーん、これは俺の知っている魚だとゴンズイってやつだな。フグと比べると簡単だから、すぐに出せるぞ、食べてみるか?」
「本当か!?頼むぜ。こいつ凄い数の群れで移動したりするからな、食べられるようになるなら大歓迎だ!」
ゴンズイとは、ナマズのような見た目をした、ヒレに無数の毒を持つ魚である。しかし熱処理をすれば毒は分解されるため、フグと違って素人が捌いても食べることも出来る。
運ばれてきたのは、汁物だった。ふわりと立ちのぼるのは潮の香りと香ばしい出汁の香り。中に入っているのは、見事にさばかれたゴンズイの切り身。見た目は地味ながら、火を通した身は白くほぐれ、見るからにふっくら。
まずは汁をひと口。海藻と魚の骨からじっくり煮出した出汁に、ゴンズイ独特の濃厚な旨みが溶け出し、口いっぱいにまろやかさが広がる。まるで上品なクエ鍋を思わせるような、奥行きのある味わい。続いて身をすくって口へ運ぶと、その食感に驚かされる。淡白で柔らかいのに、ほんのりゼラチン質を含んでいるせいか、舌に吸いつくようなしっとり感。噛みしめるたびに甘みがじわりとにじみ出てきて、ついもう一切れと止まらなくなる。
さらに、村で採れた野菜を一緒に頬張れば、さっぱりした甘みと濃厚な魚の旨みが重なり合い、湯気の向こうから思わず笑みがこぼれる。派手さはないが、ほっこりとした温かみを感じられる一品が出来上がる。
「こいつはうめぇ!店長、これ俺でもつくれるかなぁ?」
「フグはやめといたほうがいいが、ゴンズイなら誰でも出来るぞ、ヒレは死んでも毒が残ってるから注意しろ、よく熱するのが安全に食べるポイントだ」
「よっしゃ、家でもやってみるぜ」
この食堂の賑わう理由の1つがこれである。村人がどう扱っていいか困る魚を持ち込み、それを店長が料理する。自分達でも出来るかどうかまで教えてくれるため、目に見えて村の食料事情は解決していった。
「店長!こいつはどうだ?」
「それは、キタマクラだ、食べるとこがない。今すぐ海に捨ててきてくれ」
時には食べることが出来ない毒魚もいる。そういったものの見分けがつくことで安全に食べられるようになっていくのだ。
塩焼き、汁もの、煮付け、刺身……。
食堂の匂いに誘われて、子どもたちが覗き込み、大人たちが杯を傾ける。ナカムラは調理を続けながら、ふと心の中でつぶやいた。
(俺の免許が、こんな場所で役に立つとはな……。他にも色々な食材を見て、調理してみたい。)
食堂のざわめきに混じり、ナカムラの胸の奥で新たな探求心が芽生えていった。こうして――村人にとってただの厄介者だった“毒魚”は、次々と食材へと変わり、ナカムラの食堂は村の希望そのものになっていったのである。