第12話 旅立ちの日
朝焼けに染まる空の下、村の広場には人の気配がすでに満ちていた。漁へ出る男たちの掛け声や、朝食を用意する母親たちの談笑。それらの中に混じって、ナカムラとコリーは旅立ちの支度を整えていた。
荷物といっても大したものではない。ナカムラは、自分が元の世界から身に着けていたバックパックを、コリーは食料と水袋、簡易な調理道具、そして小さな背嚢。
本来であれば、武器や防具なども着込むべきなのだろうが、ナカムラにとって自分の武器は包丁であり、技術である。いまさら鎧を着こんでも、冒険者の真似事にもならない。
「本当に行ってしまうのだな」
カマヒが渋い顔をして立っていた。いつもは海で日に焼けた穏やかな表情の男だが、今日ばかりは寂しさにも見える表情となっている。
「ああ。俺がここに残れば、村は安泰かもしれない。だが、スキルのことを知ってしまったからな。確かめたいんだ、俺自身の可能性を」
ナカムラはそう言って肩を竦める。言葉は軽くとも、その瞳には決意が宿っていた。カマヒはしばし黙り込んだのち、深いため息を吐き、隣のコリーに視線を向けた。
「お前も本当に行くんだな」
コリーは小さく頷いた。旅装束に身を包んだ姿は、以前のか弱い娘からは考えられないほど凛々しく輝いている。
「私、決めたんです。ナカムラさんを支えるって。あの人が危ないとき、私の魔法が少しでも役に立てるなら……」
声は震えていなかった。その真っ直ぐな眼差しに、カマヒはついに抗うことを諦めたように目を伏せる。
「ああ、気を付けてな。」
「はい!」
旅立ちの準備を進める中で、ナカムラとコリーは村人一人ひとりに挨拶して回った。
「ナカムラさん、あんたのおかげで俺たち、あのフグってのを恐れずに済むようになった。都で何をするにせよ、俺たちは忘れねぇよ」
網を担いだ漁師が、力強く握手を交わしてくる。
「食堂のおかげで村に活気が戻ったんだ。帰ってきたら、また美味しい料理を食べさせてくださいね」
子どもを抱いた母親が笑顔で言う。
どの顔も、以前の疲れ切った表情ではなかった。魚を捨てるしかなかった村が、いまでは料理と旅館で賑わう。ナカムラがこの村に持ち込んだ技術が、確かに根を下ろした証だった。
最後に、食堂に寄り、リリーに会いにいった。
「店のことは、私に任せてください。」
「頼もしいな」
ナカムラは微笑み、頭を撫でる。リリーは子犬のように嬉しそうに目を細める。
「けど、たまには賄いつくりに帰ってきてくださいね」
リリーがからかうように付け足す。
その後、商人を訪ねた。以前から干物の取引を続けている中年の男だ。
「おぉ、ちょうどよかった。次の商隊で都に向かう予定です。」
「助かるよ。俺たち二人、道に詳しいわけじゃないからな」
ナカムラは感謝を込めて頭を下げる。商人は快く頷き、
「礼なら結構です。フグの干物で十分稼がせてもらってますよ」
と笑った。
そうして、すべての準備が整った。村の出口には、多くの人々が見送りに集まっていた。手を振る子どもたち、涙を浮かべる母親たち、そして男たちは黙って腕を組み、その姿を見送る。
「行ってきます!」
コリーが高らかに声を上げると、村人たちの声が一斉に返った。
「気をつけてな!」「必ず戻ってこいよ!」
ナカムラは深く一礼し、馬車へと足を踏み入れた。揺れる車輪の音が次第に遠ざかり、やがて村の家並みは小さくなっていく。コリーは振り返り、村の姿を見つめながら、小さな声で呟いた。
「故郷とのお別れか……なんか寂しいですね」
ナカムラは彼女の言葉に目を細める。
「そうだな。俺にとっても、ここは忘れられない場所だ」
二人を乗せた馬車は、朝日の中を進んでいく。新たな旅路へと向かう、その第一歩を踏み出したのだった。




