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拝啓 徳川家康殿

作者: 司馬 雅

出品作品ですが、落選した作品です。

読んでみてください。

 私の名は、司馬 雅。55歳。何の変哲もないサラリーマンだ。

 郊外にマンションを借り、妻と三人の子供。傍から見れば、平凡ながらも幸せな家庭だろう。

 しかし、その実態は冷え切っていた。妻との会話は、もう十数年ない。私の居場所は、北側の4.5畳間。物置小屋同然の部屋だ。


 食事も、洗濯も、すべて自分で行っている。仕事から帰れば、リビングの明かりに目もくれず、真っ直ぐこの城に籠る。子供たちが食べていようが、途中で買ってきた弁当を城で食べている。下宿人だ。


 そんなある日の夜だった。部屋の押し入れから物を取り出そうと、片付けながら探していると、一冊の本が目に入った。

 子供向けの伝記シリーズ、『徳川家康』。

 息子が小学生の頃、夏休みの読書感想文のために買ってやったものだ。


 パラパラと、懐かしくページをめくる。

 人質時代の苦労、信長、秀吉への臣従、そして関ヶ原の天下分け目の戦い。


 いつの間にか私は、子供のようにその物語に読みふけってしまっていた。

 忍耐、策略、そして天下統一。

 私のちっぽけな人生とは、あまりにもかけ離れたスケールの大きな生き様だった。


 その数日後、いつものように部屋でスマホをいじっていると、Yahoo!ニュースの速報が目に飛び込んできた。


【速報】米国の科学者チーム、タイムリープ装置の開発に成功


「ふーん、すごいな~」。他人事だった。まるでSF映画の話だ。

 私のささくれた日常には、何の関係もない世界の出来事。そう思っていた。


 数週間後、そのタイムリープ装置の被験者を、全世界から数名、ネット公募でランダムに選出するという記事を見つけた。どうせ当たりっこない。


 宝くじさえ、当たったことのない私が、ほんの出来心で、スマホの画面をタップして応募ボタンを押した。


 名前と年齢、簡単なアンケート。それだけだった。


 そして、忘れた頃に一通のメールが届いた。


「おめでとうございます。あなたはタイムリープ被験者に当選いたしました」。


 心臓が跳ね上がった。

 詐欺か? 何かの間違いか? しかし、文面に記載されたリンクに飛ぶと、そこには米国政府機関と開発企業のロゴが入った、本物としか思えない公式サイトが広がっていた。

 慌てふためく私を追いかけるように、詳細を記入するための書類がメールに添付され送られてきた。


【渡航希望年】

【渡航希望場所】

【接触希望人物】

【渡航目的】


 様々なシチュエーションが頭を駆け巡った。恐竜の時代? 未来の世界? しかし、どれもピンとこない。決めかねて部屋を見回したその時、机の上に置かれたままの『徳川家康』の本が目に留まった。


 咄嗟に家康に会いたい。


 天下を取り、二百六十年以上続く泰平の世の礎を築いた男。彼は一体、どんな景色を見ていたのだろう。何を考え、何を想い、あの孤独な頂に立っていたのだろう。

 私は、まるで何かに憑かれたように、申し込みフォームに文字を打ち込んでいた。


【渡航希望時代】慶長10年(1605年)頃。将軍職を秀忠に譲り、大御所として駿府に隠居した直後。

 まだ体力も気力も充実しているはずだ。

【渡航希望場所】駿府城下

【接触希望人物】徳川家康

【渡航目的】直接お会いし、お話がしたい。


 すぐに返信が来た。しかし、その内容は私の希望を打ち砕くものだった。


「司馬様。ご希望の時代への渡航は可能です。しかし、対象人物との直接の接触は極めて困難、かつ危険です。あなたは、言葉も風習も異なる時代の、完全な不審者です。運が良くて牢屋、最悪の場合はその場で斬り捨てられる可能性が非常に高いでしょう。我々が推奨するのは、あくまでその時代の空気に触れ、歴史を『傍観』し、静かに帰還することです」


 無情な現実だった。確かにそうだ。

 私のような冴えない中年が、天下人の前にひょっこり現れて「話がしたい」など、通じるはずがない。

 諦めかけたその時、ふと、一つの方法を思いついた。


 会って話せないのなら、手紙を書いて渡せばいいじゃないか。


 私のこの、どうしようもない人生の悩み。妻との関係。生きる意味を見失った男の、魂の叫び。

 それを、あの家康に聞いてほしかった。いや、読んでもらいたかった。

 未来人からの手紙など、戯言だと思われるかもしれない。それでもいい。

 この気持ちを、どこかにぶつけずにはいられなかった。


 私は、タイムリープ機関にその旨を伝えた。

 担当者はしばらく渋っていたが、私の熱意に押されたのか、

「あくまで自己責任で」という条件付きで、当時のものに近い和紙と筆、墨を用意してくれた。


 慣れない手つきで、筆を握る。

 何を書けばいい? 悩んだ末、私は正直に、自分のすべてを書き連ねることにした。


「拝啓 徳川家康様


 突然このような書状を差し出す非礼、何卒お許しください。

 狂人の戯言と笑われるのを承知の上で、この手紙を書いております。

 どうか、どうか最後までお読みいただき、その後で破り捨てるなり、お好きになさってください。

 私は、あなた様がこの世を去ってから、四百年後の未来を生きる者でございます。

 信じられないと存じますが、他に我が身の上を説明する術を知りません。


 我が世は、あなた様が築かれた泰平の世とはまた違う、物質的には豊かで便利な時代です。

 しかし、私の心は、まるで戦国の荒野のように荒れ果てております。


 私は、一つの家庭を築きました。妻と三人の子に恵まれました。

 しかし、いつからか妻との言葉は途絶え、食卓を囲む温かさなど、遠い昔の夢物語。

 我が家の中の小さな城に籠り、孤独な日々を送っております。


 人を治め、国を築くどころか、私はたった一つの家庭すら、安泰に導くことができませんでした。

 天下統一という、途方もない偉業を成し遂げられたあなた様からすれば、私のような男の悩みは、道端の石ころほどの価値もないことでしょう。

 されど、あなた様も一人の男として、孤独ではございませんでしたか?


 幼き頃、人質として過ごされた日々。強大すぎる主君の下で、息を殺して耐え忍んだ歳月。そして何より、愛するご子息や奥方様との悲しい別れ…。その時、あなた様の心は、張り裂けそうにはなりませんでしたか。誰にも言えぬ重荷を独りで背負い、夜明けを待ったことはございませんでしたか。


 天下を治める戦も、たった一つの家庭を守る戦も、男が背負う心の重さという点では、同じではないのでしょうか。私は、その重さに耐えきれず、逃げ出し、引きこもってしまいました。


 あなた様は、いかにしてその重荷を乗り越え、前を向かれたのですか。

 いかにして、人の心を掴み、天下という大きな家族をまとめ上げられたのですか。。

 家族という、一番身近な他人と、どう向き合われたのでしょうか。


 答えをくだされとは申しません。

 ただ、この四百年後の世に、あなた様の生き様に光を求め、こんな惨めな男が一人いたということだけ、知っておいていただきたかったのです。


 四百年の時を超えて 敬具


 司馬 雅


 ほぼ愚痴でしかない下手くそな文字で綴られた手紙を握りしめ、私はタイムリープ装置に乗り込んだ。


 目を開けると、そこは活気と土埃に満ちた駿府の城下町だった。

 侍、町人、商人。誰もが力強く、自分の足で大地を踏みしめて生きている。

 私は、用意されたみすぼらしい着物姿で、その風景に圧倒されていた。


 家康は、時折、鷹狩りのために城を出ると聞いていた。私はただひたすら、その機会を待った。

 数日が過ぎ、ついにその日が来た。城門から出てくる厳かな行列。

 中央の馬上で、周囲に鋭い視線を配る小柄ながらも威厳に満ちた老人。間違いなく、家康だ。


 心臓が口から飛び出しそうだった。警護の侍たちの槍が、森のように見える。怖い。逃げ出したい。

 だが、ここで逃げたら、私はまた、物置小屋の日常に逆戻りだ。


「今しかない…!」


 私は覚悟を決め、行列の前に飛び出した。


「申し上げます! 申し上げたき儀がございます!」

 叫びながら、懐から手紙を取り出し、地面にひれ伏して掲げた。


「無礼者めが!」


 瞬く間に、屈強な侍たちに取り押さえられ、腕を捻り上げられる。首筋に、冷たい刃の感触がした。

 ここまでか。馬鹿なことをした。


 その時、凛とした声が響いた。

「待て」


 家康だった。馬を寄せ、私を見下ろしている。

 その目は、私という存在の奥の奥まで見透かすような、深く、静かな光を宿していた。


「そのほう、何者じゃ。その書状、こちらへ」


 侍の一人が私の手から手紙を奪い、家康に手渡す。

 家康は無言でそれを受け取ると、「その者を捕らえておけ」とだけ言い残し、行列と共に去っていった。


 私はそのまま牢に放り込まれた。明日には打ち首か。だが不思議と、心は穏やかだった。


 やるべきことは、やった。


 どれほどの時が経っただろうか。二日、あるいは三日。

 死を覚悟していた私の前に、一人の役人が現れた。

「出よ」とだけ告げられ、外に出されると、そこには見慣れたタイムリープ機関のスタッフが立っていた。

 強制送還の時が来たのだ。


 現代に戻った私は、ぼんやりと自分の部屋に座り込んでいた。夢だったのだろうか。

 スタッフの一人が、そっと私の前に一枚の和紙を差し出した。


「司馬様。これは、向こうの世界の、本多正純と名乗る方からです。大御所様からの伝言だと」


 震える手で、その和紙を受け取る。そこには、力強い筆跡で、こう書かれていた。


「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」


 そして、その下に小さな文字でこう添えられていた。


「されど、己が鳴きたいとあらば、鳴くための種を蒔くが良い。待つことと、諦めることは違う」


 涙が、溢れて止まらなかった。

 家康は、私の拙い手紙を読み、その魂の叫びを、確かに受け止めてくれたのだ。


 私はゆっくりと立ち上がり、十数年ぶりに自らの足で、物置小屋の扉を開けた。

 リビングの明かりが、やけに眩しい。ソファでうたた寝をしている妻の姿が見える。


 深呼吸を一つ。

「…ただいま」


 妻の肩が、ぴくりと揺れた。

 私の、止まっていた時間が、今、静かに動き始めた。鳴くための種を、蒔くために。

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

この話は、何かの公募で、出品した作品です。

落選はしたものの、結構気に入ってる、作品なので、掲載しました。


「面白い」「続きが気になる」、と思って頂けたら、


ブックマークや★評価をつけていただけますと大変、嬉しいです。


よろしければ、ご協力頂けると、幸いです。


引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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