表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/107

第89話「灰の聖女」②

 神々の聖地、神都パルポンカン。

 飛石に囲まれた天空の都から、不思議な術にて彼らガリアンの様子を伺う一対の目あり。暫し食い入るように見つめた彼女は、額の中央に浮き出た眼術を解除すると、狂ったようにけたたましく笑い転げた。

「アヒャーッヒャッヒャッヒャ! こいつは愉快だねえ! まさかとは思ったが、こんな御誂え向きな状況になるとは」

 狂気に満ちた笑みを浮かべたのは、セラフの一角ティアマト=ミミン。その向かいの椅子に座るもう1人のセラフ、重戦士ジャハイムは鉄兜の下で苦虫を噛み潰した。

「オレには貴様の悪趣味に付き合う暇はない。何か用があるのではなかったのか? 速やかに言え」

 ティアマトはドレスのスリットから見せ付けるように生足を振り上げると、しなやかな動きで机に踵を叩き付けた。

「用件は1つよ。あのイキのいい連中、妾に頂戴な」

「『奴らを討て』とは、オレが陛下より直々に受けた命令のはずだが?」

「あっそ。だから何? ちょっと代わってくれるだけでいいの。問題ないでしょ?」

「断る。貴様が何を考えているか知らんが、神々の王たるゼハル様の命は絶対のはず。おまえは指を咥えて見ていればいい」

「あら? アンタそんなマジメだったっけ? 妾の知るジャハイム=シャリンガー“将軍”は、絶対にゼハル様に従う訳ないんだけどね。そもそもアンタのお仲間が……」

 轟音。彼女の言葉ごと突き破るような、ジャハイムの豪槍の一突き。座っていた椅子も、周囲のテーブルや家具を薙ぎ倒し、唸りを上げて彼女の喉元へと槍が伸びた。が、確かに心臓を捉えた筈の攻撃は空を切り、刃先はそのまま壁を破壊して闇夜に弧を描いた。

「やあねえ、短気な殿方って。落ち着いて話もできないんだから」

「……お得意の幻術か。下らんな。兎も角、貴様の言うことに従う理由はない。さっさと失せろ」

「理由? ああ、そんなこと? それなら……ちゃんとあるわよ。貴方が大好きな“命令”がね」

 ティアマトははだけた懐から巻物を一枚取り出して、乱雑にばっと広げた。そこに書かれている文言を見て、鉄兜の下のジャハイムの顔色がみるみる変わっていった。

「な! こ、これは連名書!? しかも貴様とラーだけでなく……ガブリエルまで!」

「そうよお。セラフ4家のうち3家が承認すれば、天帝陛下の命とて覆せる。ご存知の通り、妾たちの絶対のルールでしょ? 『ガリアンなる反逆集団の掃討は、ティアマト=ミミン及びミミン家が指名する者に一任する』っと。はい、て訳でアンタは用済みね」

「……10年前から行方不明のラーはさておき、あのガブリエルがこんなことに与するとは思えん。貴様……謀ったな」

 怒りに手を震わせるジャハイムに、ティアマトは嘲笑しながら投げキッスをした。

「そうねぇ。あのバカは知らないけど、少なくとも“ハイドウォーク家”は承認してくれたわよぉ。ま、どうでもいいじゃない。世の中はすべて結果だからさぁ」

「……実質的に、貴様が神々の全権を握ったという訳か。回りくどい真似をするものだ。しかし、命令とあらば仕方ない。オレは帰るぞ。後は好きにしろ」

「言われなくても。あ、そうそう。アンタの新しい役目はパルポンカンの警護だから。せいぜい妾のためにキリキリ働いて頂戴ねぇ」

 バタン、と吹き飛びそうな音を立ててジャハイムは退出した。ティアマトは懐のキセルを取り出すと、術式で火をさっと起こし、気だるそうに煙を吐いた。

「便利ねぇ。あの売女が残してくれた遺物、弱き人間が力を使うために残された権現。でも……それを神々が使えばどうなるかしらぁ? 自分が産み出したもので、心底愛する者を傷つけ奪い、奪われる気持ちはどんなかしらぁ? ああ……想像しただけでたまらないわぁ!! 早く御出でなさい、アガナ=ハイドウォーク! あの美しい顔を憎しみと苦痛で歪めさせたら……ああああああぁぁぁぁ!!!」

 体をくねらせて虫の様に地面をのたうつティアマト。快楽と背徳の絶頂に浸る彼女の姿からは、神などという称号に値するものは何一つ感じられなかった。夜が深まるに比例して、彼女の狂宴は深みを増していった。


 所変わって。西大陸東端、小さな村。

 町の端の小汚い民家から、大声で泣き叫ぶ子供の声が聞こえてくる。村人たちは心配そうに入口の前で列をなしていた。

「ほんとに大丈夫だか? あんなもんを信頼して」

 気難しそうな村の年寄りが、眉間に皺を寄せながら集まる人々に言った。

「知らね。けんどゼンボウんどごじゃ金払えるわけね。ここまでほっだらがしにしたあいつが悪いだ」

「んだんだ。自業自得だ。けんど子どもに罪はね。あんな泣いぢまって、まんずショコが可哀想だ」

 口々に噂する彼らは、自らに降りかかる絶望に慣れきっていた。迷信深い民衆にとって、病とは神がもたらした呪いにしか過ぎない。決して向き合うことなく、ただ無条件に受け入れることで精神の安定を図っていた。「仕方ない」、「運が悪かった」、「神のご加護がなかった」。そんな風に声に出して。

 隙間風すさむ家の中には、粗末な布団の中で1人の女児が荒い息を吐き続けていた。高熱にうなされ意識も朦朧とする中、彼女の目には部屋の隅で祈り続ける父親の姿とは別のもう一つ、自らの横で微笑みを見せる見知らぬ女の姿を確認した。

 美しい女性だった。今まで見たこともないような整った顔立ちと、香り立つ気品のようなものが感じられた。しかし身にまとう衣装はぼろぼろで、変色した情けない灰色をしていた。

「おねえちゃん……だあれ?」

 女児は漠のままに問いかけた。父親のゼンボウは、弱々しい声に目から涙を流しながら答えた。

「ショコ。心配するでね。おめの病気を治してくれる人だ。『灰の聖女』なんて呼ばれてる、とんでもねえ名医だとか。な、せんせ?」

「心配要らぬ、ショコとやら。後のことは……全て儂に任せよ」

 灰の聖女は美しく微笑むと、すぐに“施術”に移った。彼女の手から不思議な光の波動が吹き荒み、ショコの体をみるみる包み込んでいく。

「おお!! なんだべこりゃ?! 光が広がっていくだ」

「頼むから静かにせい! 気が散るわ」

 その光は、数分に渡って彼女から発せられていた。息を荒げ続ける灰の聖女。そして、一際眩く輝いた光がふっと尽き消えた時、奇跡は起こった。

「……あれ? 体が軽いよ。痛くない?! わたしどうしちゃったの?」

「ショコ!! 無事だったんか! ああ、なんて奇跡だ! 信じられね!!」

 涙を流してる抱き合う2人。灰の聖女はその光景を小さく笑顔で、ほんの少しだけ寂しそうに見つめると、静かに腰を上げて家を出ようとした。

「ち、ちょっと待ってくれ聖女様! まだお礼が……」

「そんなものは要らぬ。儂が勝手にやっておることじゃ。此奴の病はな、元はと言えば栄養失調に起因するものじゃ。儂に払う金があらば、美味いものでも食わせてやれい」

「な、なんという高潔な……おら忘れねえだ。聖女様にして頂いたこと、おら一生忘れねえだ」

 泣き崩れるゼンボウにふっと微笑み、彼女は家の扉をくぐろうとした。だがその背後から、澄み切った幼き声が聞こえた。

「おねえちゃん、ほんとうにありがとう! どうかお名前を教えて!」

「儂に……名前などありはせぬ。お主らがどう呼ぼうと勝手じゃが、儂はただの旅人。それだけじゃて」


 パルポンカン付近。ハイドウォーク家特別駐屯地。

 家長のガブリエル=ハイドウォークは、怒りと絶望の淵に瀕していた。彼は余りの衝撃に、手に持つグラスを思い切り絨毯に叩き付けた。ビクンと怯える使用人達を気にかけることなく、彼はありったけの声で叫び声を上げた。

「ふざけるな! 何故こんな命令が下ってやがる!? 何故ハイドウォーク家の印が押されている?! 何処の馬鹿がこれをした!」

 その声の向かう先には、若い男がいた。へらへらと笑みを浮かべ、彼は長い金髪を手で捻りながら、豪奢な服の袖で頭を擦り上げた。

「あー、それ俺。ま、んなこと最初からわかってて親父も呼んだんだろうけどさ」

「やはりか。お前……自分が何をしているのか分かっているのか、ルシフェル!!」

 彼らの間にあったのは怒りと無感情。2つの感覚には、親子の間には、埋めようもない溝があった。

「んなギャンギャン言うなよ、親父。どうせ大した話じゃねえからさ、俺が代わりにやっといてやったんだよ。手間を減らしてやったんだからさ、むしろ褒めてくれよ。な?」

「ふざけるな!! お前の適当な行動のせいで全てが狂ってしまったのだ! よりによってあのティアマトに与する結果となってしまうとは! やはりお前なぞ出来損……」

 そこまで言いかけて、はっと我に帰るガブリエル。目の前の男は、ルシフェル=ハイドウォークからは、笑みと目の光が消えていた。やがて彼は小さくため息をつくと、やる気なさそうにぱちんと指を鳴らした。と同時に、彼の周囲には複数の術式が巻き起こった。

「ルシフェル!! お前は何をしようとしている!? ……バサラ! 早く来い! ルシフェルを止めろ!」

「無駄だよ、親愛なる“御父様”。バサラの奴はガンジが縊り殺しちまったよ。ほんと勝手な奴だよなあ。後できっちりシメとくよ。だけど結果として、もう俺らを止める奴は何処にもいなくなっちまった。……なあ、“バラム”?」

「……」

 ルシフェルの呼びかけに応じるように、闇の中から漆黒のローブを被った男が形を成した。その瞬間、ガブリエルの背筋がぞわりと背筋った。その男の闇は、ガブリエルがよく知るものと同一だったから。事態は深刻な地点まで到達している。そう直感した彼は、全身の闇力を、神々の一族でも随一と謳われたその力を、最大出力で発した。

「お前が何を考えて、どう動こうとしているのか……それは後でゆっくり聞かせてもらおう。だが今はお前を止めるのが先だ!」

「ははは。手合わせかよ。子供の頃以来だな。ずっと俺なんか構ってくれなかったもんな。じゃあ……試させてもらうぜ。……『イエーロ・クアトロ』!!」

 宣言と共に、ルシフェルの術式が即座に発動した。彼がアガナより盗んだ術式の原理は、この10年間で深く厚く研ぎ澄まされ、高速の致命攻撃を可能としていた。だが吹雪が矢のように四方から襲いかかる中、ガブリエルはふっと口角を曲げた。その展開をまるで分かりきっていたかのように、皮肉な笑みを浮かべて。

「……成る程な。アガナの研究成果か。変わっていない。お前は……いつもあいつの猿真似だ。子供の頃からずっとな。固定術式『レフレクシオーン』!!」

 一声叫んだガブリエルの周囲に、紫色に光る鎧の如き磁場が巻き起こった。漆黒のローブの裏地に刻まれた固定術式は、ハイドウォーク家に代々伝わる秘伝であり、アガナの作り出した術理の基礎となる概念。限定された印を物質に刻むことで、即座の術発動を可能にしていた。彼の衣服から発動した術は、降りかかる術式を全て逆方向に曲げ、そのままルシフェルに向けて跳ね返した。だが彼は微動だにせず、指をくんと上に立てて術そのものをかき消した。

「ほう。流石に昔のままではないか。だが、その術もアガナの真似だろう? 情けない男だな。まあ今に始まったことではないが」

「……それ、煽っているつもり? 俺にそんな手が通用するとでも?」

「いや。お前に掛ける言葉はない。最初からな。あの日、忌子を生かした俺の過ちだ。大人しく死んでいけ。……禁術『コキュートス』!!」

 猛烈な氷結の儀。全てを凍り尽くす白銀の嵐。ガブリエルの視界に映るのは、約束された絶望の未来……の筈であった。だがその時、彼の視界の端に映ったのは、件のローブの男。彼は深い闇の中から顔を出して、嫌らしく歯を剥いて微笑んだ。その姿は……彼がよく知るあの男、彼が最も嫌悪する同族の……。

(き、貴様はラー!! と言うことは全て最初から……まずい!!)

 天まで届く程の氷柱を背景に、彼を嘲笑う声が聞こえた。全ての物語は繋がる。そう、それは全ての始まりの鉦の音。


 夜遅く。雨の密林。

 寒さがしんと張り詰める雨の中、灰の聖女と呼ばれる女は1人、巨木の下で雨宿りをしていた。隙間から吹き荒ぶ雨が、彼女の濡れそぼった身体に寒さを突き刺すようだった。彼女は地面に蹲り体を丸めて震えていたが、それは単に寒さからだけではなかった。

(……くっ! 痛い! 神経が焼かれるようじゃ! しかもこの頃はどんどん痛みが増しておる! 一体どうしたのじゃ……儂は?)

 彼女は汗をびっしょりかきながら、痛みの元である両足をさすり続けていた。だが、どす黒い炎のように変色しつつある脚部からは、次から次へと絶望的な痛みが込み上げていた。

(何かの病か。もしかすると……儂は長くはないのかもしれぬな。これも罰ということか。それならまあ……仕方あるまいて)

 彼女は痛みに耐えながら、空をぼんやりと眺めた。黒い雲が覆う中、星一つ見えぬ闇に包まれた空、降り注ぐ痛み、止まらない絶望。

(儂は……こうして1人死んでいくのか。せめて最後にもう一度……いや! 何を申しておるのか! そんなことが許される訳があるまい!)

 彼女の脳裏に浮かぶは暖かな光景。過ぎ去りし日の、もう戻らぬ安らぎ。暖かくて、心地よい感覚。彼女はあの一瞬のみのために生きてきた。そう思おうとして過ごしてきた。

(なのに……なのに! 何故じゃ! 何故迷いを捨てられぬ! 俗世への思いを引きずっておいて、何が聖女じゃ! 反吐が出そうじゃわい!)

 その時、彼女の近くに小動物が寄ってきた。つぶらな目をした子供のリス。彼女は痛みに耐えながら必死で笑顔を作り、優しく手招きをした。だが、その動きにビクンと反応したリスは、くるりと引き返してその場から去ってしまった。

(……そうじゃな。つまりは……そういうことじゃ。今のこの現実のみが、儂に与えられた真実よ)

 雨はどんどん強くなっていった。気温は低下し、いつしか雨は雹混じりになっていった。彼女は更に小さく蹲ると、全身に襲いかかるあらゆる痛みに耐えようと、動かずにただ目を瞑った。

(痛い! 痛い! じゃが儂は……ええい! 考えるでない! 朽ち果てる瞬間までただ何も……)

 そのまま、少しばかりの時間が経過した。いつしか雨は弱くなっていたようだった。それに、何やら暖かい感覚がした。何者かが目の前にいるような、そんな感覚を覚え、不思議に思い彼女はゆっくり目を開いた。すると……そこには………。

「あ、おはよアガナっち。目え覚めた? 雨ヒドかったね~。じゃお茶でも入れよっか」

 そうだった。そこにいたのは、彼女が最も信頼する友人の、とぼけたような暖かい笑顔だった。彼女は自分の体でアガナに覆い被さり、降りかかる一切を防ぎ続けていたのだった。現実を理解して受け入れるまでに、数秒かかった。とても長い数秒だった。彼女は、灰の聖女は、アガナ=ハイドウォークは、溢れ出そうになる涙と感情を誤魔化すように、わざと不機嫌そうな、それでも隠しきれないとても美しい笑みを顔に浮かべながら、芝居掛かった不遜な態度ではっきりと言った。

「……うむ。儂は蜂蜜入りの紅茶を所望じゃ。すぐに立てるようにの……プリシラよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ