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第88話「灰の聖女」①

 運命の日から10年後。東大陸の西端、ビャッコ地方。

 神聖なる都パルポンカンが位置するここ東大陸は、神々が普段住まう西大陸にはない文化や特産品に溢れ、独自の発展を遂げてきた地域だった。中でもここビャッコ地方は、満潮時には西大陸から徒歩で移動できる立地にあり、神々のお膝元とも呼べる特別な地域だった。その渡航地点。ワルサ海峡沿い。2つの大軍が向き合って対峙していた。

 一方の軍は神々の一族。ペレ=シーロメイン率いる奴隷兵の軍団。神々の絶対性の元に従軍を強要される、意思なき者たちの集団だった。同じ神々の白き甲冑に身を包んだ彼らの目には、揃って暗い闇が宿っていた。

 もう一方の軍団には、逆に統一性など1つもありはしなかった。主に人間を中心とした集団だが、その中には龍族もいれば、神々の末端らしき高貴な服装をした者もあった。それだけではなく男女も混在し、何やら素性すら分からぬ輩も混じっていた。ただ彼らの士気は極めて高く、対照的な目の輝きが敵を真正面から捉えていた。

「さあて、と。遂にここまで来たな。お前らテンション上がってるか?」

 髭面の山賊の如き隻腕の男が、一歩前に出て偃月刀を掲げて叫んだ。腹に響く鬨の声から間を置くことなく、配下の一同は歓声を以て応えた。

「もちろんだぜリーダー! 俺たちゃ気合いブリバリだ!」

「神々なんざクソ食らえだ! 俺らが今までどれだけ倒して来たと思ってんだ!」

《龍族も異存なしだ! 共にこの山場を越えようぞ!》

「私らは神々の系譜なれど、お前らと気持ちは同じだ! 高い所から身下ろす連中の支配を終わらせるぞ!」

 多くの声を背に受けながら、彼は強面を崩してにっと笑い、気持ちのいい表情を見せた。

「だよな? 生まれた日も場所も、種族も歴史も違えども、俺ら『ガリアン』の進むべき道はただ一つ! この先のスザク地方、神々の長たる者の住処……神都パルポンカンのみだ! 見ろよ、敵さんも必死だぜ。ありゃセラフの一角ティアマトの懐刀、海禍のペレだ。アレさえ仕留めりゃあのババアを丸裸にできる! ……あ、裸ってもそういう意味じゃねえぞ! これは言葉のアヤってやつで……」

「んなの分かってんぞ! さっさと戦わせろ!」

「腕だけじゃなく遂に頭まで腐っちまったか?!」

「うるせえ馬鹿が! そろそろ行くぞ! 野郎ども、出撃だ!!」

 喧しく騒ぎ立てるガリアンと自称する集団に、川向かいの神族ペレは不快と侮蔑の入り混じった嘲笑を向けた。

「何という下品な奴らだ。こんなものに神族が追い込まれているとは。これだから西大陸の温室育ちは好かん」

 それは独り言と言うにはあまりに大き過ぎた。彼女を取り巻く警護の眷属たちは、有力者たる彼女の機嫌を損ねぬよう慎重に答えた。

「仰る通りで。しかし……この10年間で奴らによって討たれた神族は数え切れません。現に今も奴らは西大陸を打ち抜き、本拠地たる東大陸に牙を剥こうとしています。油断はなさらぬ方が賢明かと」

「……誰に向かって物を言っておる?」

「!!」

 ペレの顔が不意に醜く引き攣った。と同時に海面から水流が腕のように湧き上がり、眷属を包み込むとそのまま海中へと引きずり込んでいった。尋常ならざる神族の力を見せ付けられ、その後誰も口を挟む者はいなかった。奴隷にされた人々も、一様に諦めの暗い視線を落とすばかりだった。

「あんなカス共など私にかかればゴミ同然! ハイドウォーク家を始めとした、腰抜けの日和見主義どもに分からせてやらねばならん! この世界の支配者が誰かということを、陛下の後を継ぐのはティアマト様であるということをな! 者共、配置につけ! 死んでも奴らを通すな!」

 神の横暴の前に、言葉を向けられる者はいない、今までも、そしてこれからもその筈だった。だが、目の前にいる者たちはどうか。今彼らがこうして立ち向かっている状況自体が、世界の理の大きな矛盾と言えはしないだろうか。

 ペレは奴隷の支える輿に悠然と乗り込むと、進撃の旗を振りかざした。それを合図に後方の部隊が一斉に術を構え始めた。これは彼女の必勝の構えであった。海を挟んで陣を引き、敵の進軍を制御。その上で術部隊が遠距離攻撃を繰り返し、隙を見て前方部隊が突撃する。眷属の術は三隊に分けて時間差で連続し、敵に隙を与えないうえ、突撃部隊は失っても惜しくない奴隷達。それでも近付く者達には、彼女ならではのとっておきの罠が隠されていた。この戦法により、この海峡を突破できた者は歴史上いなかった。彼女は絶対的な自信を持っていた。女帝ティアマトにも認められし、誇り高き戦闘の一族。彼女がその集大成たる自分自身に疑問を持つことはなかった。そう、今日この日までは。

「……よし! 情報通りの古臭え戦法だ! 全軍散開!! 龍騎兵部隊、右舷左舷から同時に突破! 2人とも……頼んだぞ!」

 それを合図に、二つの人龍部隊が同時に飛び立った。左舷の一隊を率いるは、威風堂々たる体格の半裸の侍と、全身を見事な漆黒に染めた巨龍だった。

 誰が見ても分かるほどに屈強極まる男だった。上背や筋肉もさることながら、特筆すべきは全身から湧き出す精悍なる闘気。強い意志の込められた瞳の奥には好戦的な光が宿り、長髪を乱雑に括って腰まで垂らし、掲げた大刀は怪しき輝きを放っていた。

 そんな彼が跨るは偉大なる黒龍。10メートルにも達する巨大を苦もなく動かし空を掻き分け、悠然たる漆黒の瞳は敵陣を焼き焦がすほどに見つめていた。闇夜を思わせる程の漆黒の鱗は光を吸収し、世界の闇を喰らいつくさんばかりであった。

 侍は片手で酒をかっくらいながら、乱雑に腰に巻いた“罰”と書かれた赤黒いマントを風になびかせ、偉大なる相棒と軽く目を合わせてから、覇気を剥き出しにして叫んだ。

「おし、てめえら行くぞ! あいつらに先越されんなよ! 頼むぜフィキラ!」

《当たり前だ! てめえこそ負けたらタダじゃおかねえぞ! 気合い入れてけよ典膳!》

「へっ。誰にもの抜かしてやがる! 俺こそは金島で最強と呼ばれた侍だ! 負け知らずの秋津典膳とは俺様のことよ。なあ、龍鳳!」 

 不敵に笑う彼が語りかけるは、一際目を引く長身の侍。やや後退の始まった頭皮から無理矢理に髪を集め、鍛え上げられた筋肉の上から地味な侍装束を礼儀正しく着込み、岩石のような顔に親しみのある表情を忍ばせ、その瞳には優しい色が多分に含まれていた。歴史に名を残す秋津典膳の右腕、高堂龍鳳は彼の言葉に深く頷くと、丸太のような腕を組みながら呆れ顔で返した。

「今は秋津島、でござろう? 自分の名を冠しておきながら困った男にて。金島の格言にも『いつ如何なる時も絶好たる機会は一瞬』とあり申す。何としてもここを落とすでござるよ」

「へいへい。ったくいつもマジメなこって。ま、信頼してっからよ……兄弟! じゃあ行くぞてめえら! 連中を血祭りにあげてやれ!」

 血気盛んな左舷が狂気を帯びて敵陣に稲光のように襲い掛かる中、対する右舷の部隊は実に落ち着き払っていた。

 部隊長であろう細身で小柄の男は、優しげな表情の中に強い意志を秘め、緑色の大きな瞳を見開いて皆を見つめていた。彼は大きく一字“罪”と書かれたフード付きの白いマントを背にだらりと掲げ、黒龍フィキラと同等のサイズの銀色の巨龍に悠然と跨って、静かに言い聞かせるように言った。

「いいかい、みんな。これは大事な戦いだ。でもくれぐれも無理だけはしないでくれ。ぼくが先陣に立って斬り込むから、援護してくれるだけでいい。なあに、あの典膳と一緒ならきっとうまくいくさ」

「あの野蛮人が、ですかい? あいつら下品すぎて付いてけませんぜ」

「これ。其方こそ慎むがよい。朕ら『ガリアン』の力の源は、謂わば共鳴の力ぞ。あの様な下賤の者とて手を取り合う必要があろう」

 部下の1人がそう言うのを、副官らしき金髪の男が顔を顰めて諌めた。輝くほどの純白のローブに身を包んだ、骨と皮だけとしか形容できぬほど酷くやせ細った男は、厳しい表情を人々にも己自身にも向けていた。そんなやり取りを聞きながら、偉大なる銀龍は愉快そうに牙を剥き出しにした。

《貴様が一番失礼だろうに、ナンディンよ。流石は元神族といったところだな》

「そういう嫌味は聞き飽きましたぞ、ハーシル殿! 神と呼ばれたかつての朕はとうに死にました。今はただ友のため、仲間のため、何よりこんな愚かな朕に命を下さった偉大なる聖母アガナ様のため、身を粉にしてに戦うだけの存在です。その為なら……この命など要らぬ所存!」

「ま、まあまあ。そんな固くならないでよ、ナンディン。あの時はあの時、今は今だからさ。……さて、遅れる前に行かなきゃね。後で典膳に何言われるか分かんないから」

「ふっ。田舎の小僧だった其方が、よもやこんなに立派になるとはな。其方には返しきれぬ恩がある。朕は必ず報いよう。では行こうぞ……ソウタよ!」

 一同を見渡し、マントを翻してにっと微笑むソウタ。だが、そこに込められていたのは1つの感情だけではなかった。彼は部隊を率い、撹乱するように天を駆けながら、鋭い視線を敵陣に向けた。術士の列が構える動きを具に捉え、彼は思考する。この10年間で彼が手にした“力”を惜しみなく発揮していく。

(あの構え、詠唱方法……術は『ソル』だな。発動までは30秒といったところか。狙いは10秒ごとの時間差での発動、と。ずいぶんとカビの生えた戦術だね。……ならば!!)

 彼は目の前で闇力を高めると、簡易な四角形の術式を形成した。それに倣い、彼に従う部隊100名も同じ術式を構えた。敵の術部隊とは異なり、即座に発動していく風の術式『ビエント』。

「狙いは後方! 典膳たちの進む道を作るんだ!」

「うむ! 全部隊、隊長の指示に従え! 朕に続けい!」

「はっ!!」

 一つ一つは小さな規模だった術の風は、部隊全ての力を合わせる事で鎌鼬のように吹き荒れ、やがて嵐と化して襲い掛かった。敵術師達は術発動直前の隙を突かれ、見事なほどに無残に戦列が崩れていった。

「な、なんだこれは!! 人間風情が何故ここまでの速さで術を使える? こんなことはあり得ぬ!」

 ペレの驚きは当然のことだった。こんな技法は彼女ですら見たことも聞いたこともない。次々となぎ倒される兵を見て、ペレは大きく舌打ちをし、すぐに自らの術を構え始めた。

「ええい! 順番は変わったが、結果は何も変わらぬ! 奴らを消し飛ばすぞ!」

 その気配はソウタも感じていた。彼は朋友たる銀龍に素早く目配せをし、阿吽の呼吸で次なる行動へと移った。

《よし、そろそろ我の出番だな。タイミングは貴様に任せるぞ》

「恐らくは高位術だね。海の高鳴りが聞こえる。海流を操り一網打尽にするつもりだろう。残された時間は少なそうだ。すぐに対応してくれ、ハーシル!」

《任せろソウタ! 神だろうが何だろうが、練り上げた龍の力の前には全て無力よ! 『絶唱・凝』!!》

 銀龍が放つ独自の言葉は、自然の摂理を捻じ曲げる闇の疼きを、即座に訂正する真力を秘めていた。それは龍という種族の頂点たる存在のみに許された、限定対象の全ての力を無に帰す能力。反則的に強力無比ではあるが、反動で彼はその場から身動き1つ取れずにいた。

「な、何故闇力が使えん!? まさか忌まわしき龍族の……お前ら何をしている! すぐに忌まわしきケダモノを撃ち滅すのだ!!」

 闇の罠が発動せずに、ペレは冷や汗を滴らせた。この術は、策は、愛しの主ティアマトにより授けられた秘策。絶対の自身と自負を以て挑んだ戦いで、万が一にも遅れを取る訳にはいかなかった。

(こんなことが起こるはずはない! 下賤な奴隷人形などに! 汚らわしい爬虫類などに! 神々が破れる訳が……)

 だがその強い思いは、彼女の最後の記憶となった。彼女が罵る汚らわしい者たち。その最たる人龍の刃の一閃が、唸りを上げて彼女に近付きつつあったのだ。

「じゃあな、神サマ。お前らがゴミ扱いして殺してった奴らに、天地が終わるまであの世で詫び続けろ! 『流・《絶》』!!」

 気迫の声と目にも止まらぬ薙ぎ払いが同時に過ぎ去り、ペレの素首は宙に飛んだ。余りに呆気なく、全ては終わった。どさりと膝を付き、跪くように力尽きる彼女の姿は、この場における戦闘終了の合図に等しかった。

「ペ、ペレ様がやられた! 退却だ!!」

「ティアマト様の陣まで下がれ! 早くしろ!」

 眷属達は我先にと逃げ惑い始め、奴隷兵は何が起こったか分からずに戸惑うばかりだった。その時、混乱極まる戦場に悠然と現れた隻腕の男が、高らかによく通る声で宣言した。

「さあ、戦いは終わりだ! もう俺たちに戦う必要はない。俺たちに立ち向かうなら、殺す。従うなら、受け入れる。2つに1つだ。選べ!!」

 いきなり突きつけられた選択肢に、彼らは誰も何も言うことが出来なかった。だが、それも仕方のない話。彼らには今まで、隷属と服従の日々しかなかったのだ。何を選べばいいか、何を信じればいいか、どう動いていいのか、それすらも分からなかったのだ。

 そんな混乱しきる彼らの上から、一陣の風が巻き起こった。ふわりと彼らを包む、優しい風。皆の見上げる先には、全身を力に漲らせた銀色の巨龍と、その背に乗る優しい目をした男があった。

「やあ、みんな。はじめまして。ぼくの名はソウタで、ぼくらはガリアンという軍団です。以後お見知り置きを」

 戦闘の際の苛烈な印象からは程遠い、礼儀正しく穏やかな物腰に、人々は目を見開いて静かに彼の姿を見つめていた。そんな彼を微笑みながら見守る典膳の部隊。

「へっ。またアイツはよ、いつもいつも美味しいところをもってくぜ。ソウタのくせになあ」

「典膳。お主に足りぬのはああいう所にござる。物腰こそ柔なれど、ソウタは一角の人物ぞ。よく見て学習せよ。さもなくば一国一城の主とは成り得ぬわ」

「うるせえ! んなのわかってら!」

 典膳と龍鳳の小競り合いを他所に、ソウタは堂々と、それでいてやや照れ臭そうに言葉を続けた。

「そうなんだよ。彼の言う通り、ぼくはそんな大層な人間じゃない。皆と同じ仲間と、家族と……愛する者がいて、それらを全て失った、只の1人の人間だ。ガリアンにいる連中は、そんな何処にでもいる奴らの集まり。人も龍も、中には神サマだっているけど、志は1つ。今の神々の支配を終わらせること。暴虐と理不尽の歴史に終止符を打つこと。ただそれだけなんだ」

 食い入るように彼の話を聞く民衆。彼はその様子を満足そうに見回してから、また照れたように少しだけ微笑んだ。

「偉そうなことを言うつもりはないよ。でもね、ぼくらには助けが必要なんだ。戦うための力、兵力。食っていくための食料。後方を支える労働。全て不足しているのが現状だ。だから……ぼくはきみらにお願いしたい。どうか、ぼくらを助けてくれないか? きみらも気持ちは同じじゃないか? 神だか何だか知らない者達に、いいように使われて殺されていく。そんな人生は本当の人生じゃ決してないはずだろう? みんな頼む。どうかぼくらを助けてくれ!」

 彼は龍からひらりと飛び降りると、そのまま深々と頭を下げた。姿勢1つ乱さぬその動きに、人々は自らの内から溢れ出る強い熱い気持ちを感じていた。

 数瞬して。1人の若者が前に進み出た。ボロボロの奴隷服を纏った、みすぼらしい男だった。彼は震える手を握りしめて、ソウタに向かってありったけの気炎を発した。

「俺でも……いいのか? 誰からも必要とされず、奴隷の中でもゴミ扱いされてきた、俺みたいな奴でも本当にいいのか?」

 ソウタは顔をゆっくり上げると、にっこりと暖かく微笑んで彼の目を見つめた。

「誰しも人は使い道はあるさ。あそこの龍に乗ったヒト見てごらんよ。彼なんか東のド田舎のゴロツキだったのに、見ての通り偉そうに部隊長なんてしてるよ。ぼくがきみの居場所は作ってあげる。だから……信じて来てくれ」

「うるせーぞ!! 田舎モンはお前もだろが!!」

「う、ううううう……!! お、俺は……俺は……やるぞ! 死ぬまであんたに付いていく! どうか俺を連れてってくれえ!!」

 上空から囃し立てる声は耳に入らず、男は涙を流して膝をついた。それを合図にしたかのように、多くの人々が一歩、また一歩と前に歩み出た。

「その話乗ったぜ。どうせ死ぬならよ、あいつらに一太刀浴びせてやらねえと気が済まねえ」

「その意気は買うよ。でも、皆で生き残るのが先決だ。理想論なのはわかってるけど、それでもね」

「わたし戦いなんて出来ないけど……それでもいいの?」

「もちろんだよ。女手が足りなくて困ってたところなんだ。喜んで歓迎するよ」

「俺よ……昨年の戦いでお前らの仲間を殺したぜ。それでもいいってのか?」

「これは戦争だ。悪いのは神々だよ。もちろん個人的な諍いはあるかもしれない。ぼくの隣で偉そうにふんぞり返ってる彼も、昔神々に操られてぼくの故郷を壊滅させたんだ。でも、少なくともぼくは許した。まあ時間こそかかったけどね」

「ぐぅ!! そ、それを言われると……」

「ともかく、ぼくらの意思に共鳴してくれるなら、ぼくらガリアンは大歓迎だ。あとは自由にしてくれ。君らの勇気を、ぼくは信じている」

 最後にまた優しく微笑み、ソウタはくるりと振り返った。その背後にはやがて、割れんばかりの歓声が降り懸かられていた。


 その日の夜。ガリアン臨時駐屯地。

 宴席。煌々と照る炎を背景に、飲み、歌い、叫ぶ者たち。戦は終わったのだ。あくまで今日のみの結果に過ぎないが、ともかく今日は生き延びられたのだ。沢山の仲間を手にし、彼らは祝う。明日の勝利のため、明日の明日の栄光のために。

 座の中心から少し外れた場所。ソウタの周りには沢山の仲間たちが集まっていた。彼らはソウタという男の人間性を支持し、彼と親睦を深めんと我も我もと詰め掛けていた。彼は少しはにかんで、ゆっくりとグラスを傾けながら1人ずつ話をしていた。

「ソウタ部隊長、おめでとうございます! ささ、今日くらいは酒を飲んでもいいのでは?」

「はは。気持ちは有難いけど、全ての戦いが終わるまでは酒は止めてるんだ。とは言っても、皆に強制するつもりはないよ。そんな事したら典膳が暴れて手に負えないし。あくまでぼくのやり方だから、皆は気にせず飲んでくれよ」

《いやあ、流石は狂える銀龍ハーシル様が選んだ人間。比肩するもののない大器とお見受けしましたぞ》

「別にあいつが自分から選んでくれたわけじゃないけどね。運命の赴くままに生きてたら、結果としてこうなっただけだよ。そんな大したものじゃないさ」

「ソウタ様……いつもながらほんと素敵! 典膳みないた野猿とは大違いだわ。ねえ、この後空いてるらっしゃるのかしら?」

「う、ううん。せっかくのお誘いだけど、ぼくには勿体ない話だよ。申し訳ないね」

 一連の喧騒が落ち着いた後、ソウタはふうと息を吐いてぼんやりと空を見つめた。そんな彼の横にどかりと1人の男がどかりと座った。隻腕で鋭い眼光を持つ男の名は、ガリアンの指導者であるアサイラムだった。

「おっす。またミルクかよ? たまにゃ酒も飲んだらどうだ?」

「はは。早く飲みたいもんだね。アサイラムもお疲れ様。さすがはリーダーだね。素晴らしい指揮だったよ」

「そのことなんだけどよ……やっぱ無理か?」

 2人の間に親密ながらも緊張感を含んだ沈黙が流れた。ソウタは視線を宙に置いたまま、ふっと息を吐きながらにこりと微笑んだ。

「はは。いつものやつね。次のリーダーの話でしょ? 流石に気が早いんじゃないの?」

「いや、遅いくれえさ。俺には時間がねえ。知ってんだろ?」

「……申し訳ないけどさ、そんな大任はぼくじゃ務まらないよ。典膳の方が向いてるんじゃない?」

「それがな、あのバカが1番お前を推してるんだ。人望、統率力、判断力。次のガリアンのリーダーはお前しかいねえってよ。なあ、頼むよ。もう俺には……」

「そんなに……そこまで急ぐほど具合は悪いのかい?」

「今回はっきり分かった。俺はもって……あと数ヶ月だろうな。神々が遊びで刻んだ呪いは、既に俺を前線に立たせてくれねえ。騙し騙しやってきたが、いよいよ無理になってきやがった。なあ、ソウタ。……やってくれないか?」

「……」

 押し黙るソウタの肩を、アサイラムは優しく親愛を込めて叩いた。風がゆっくりと流れていった。そして、ソウタが僅かに口を開きかけたその時だった。

「あんだソウタ!? てめえまた飲んでねンだろ!」

 地響きのような典膳の声が不意に鳴った。びっくりして振り向く2人に、視点が定まらず顔を真っ赤にした大男が近付いて来た。

「おお! 大将も一緒かよ。こりゃちょうどいいぜ。実はよ、俺も考えたんだ。どうすりゃ俺たちが世界をぶん取れるかってか。それでよ、俺は龍鳳のバカにな……って聞いてっか?!」

「う、うん。聞いてる聞いてる。だいぶ酔っ払ってるみたいだね。ま、いつものことだけど」

「そりゃそうだぜ! これが飲まずにいられるかっての! だってよ……大将はもういよいよだって……なのにソウタは跡を継がねえとか言ってよ……俺は悲しいぜ! 俺は……俺はな……オーイオイオイオイ!!」

 残った酒樽を一気に飲み干して、今度は激しく泣き始める典膳。2人は目を合わせ同時にため息をつき、恒例となった彼の劣悪な酒癖に付き合おうとした。だがその時、彼の背後から狙い澄ました手刀が放たれ、首筋に衝撃を受けて倒れ込んだ。すっと現れて大きく深々と礼をしたのは、緑色の侍装束を礼儀正しく着込んだ、不器量なれど誠実に満ちた瞳を持つ侍。秋津典膳の副官にして無二の親友たる高堂龍鳳だった。

「御二方、誠に申し訳ありませぬ。己らの阿呆がご迷惑をかけまして。ちと思うところがあった模様にて、この龍鳳に免じて納めてやってはいただけませぬか」

「いーよいーよ。誰だって飲みたいときはあらあ。……ふう、ちと俺も飲み直すか。ソウタ、お前はどうすんだ?」

「ぼくはハーシルたちの様子を見てくるよ。なんていうか、ちょっと……心配だからね」

「ああ、“アレ”か。いつも通りだと思うけどよ。ま、こっちは気にせず行ってやんな。見張りは俺んとこで受け持つからよ」

「ありがとう、アサイラム。典膳を頼むよ、龍鳳。それじゃまた」

 静かに立ち上がり、微笑を残して去るソウタ。そんな彼の背に、アサイラムは遠い目を向けて呟いた。

「やっぱ無理か。あいつああ見えて……相当病んでっかんな」


 集落の外れ。密林の中。

 2人の巨大な龍が至近距離で顔と顔を付き合わせていた。1人は銀龍ハーシル。先の戦いで疲れ果てた彼に、汗をびっしょりかきながらナンディンがすぐ側で術を放ち続けていた。もう1人は黒龍フィキラ。力に満ちた爪牙をハーシルに突き付けて、彼は勝ち誇ったように笑っていた。それは会話というより、怒鳴り合いに近いものだった。

《ったく、だらしねえなあ。あの程度でへばっちまうわけ? いつも偉そうにしてんのに、んな情けねえ男とはな》

《喧しい! 貴様と違って我には責任があるのだ! いつも適当に生きおって! 勝手に姿を消したかと思えば、まさか人間を背に乗せて戻ってくるとはな! 恥を知れ!》

《そりゃお前も一緒だろうが! あんなヘナチョコとつるんどいて、俺のことよく言えたもんだぜ》

《ソウタはしかりとした男ぞ! 貴様のとこの阿呆と一緒にするな!》

《典膳を悪く言うんじゃねえ! ありゃ大した男だ。確かにアホだけどよ、おめえに比べりゃマシだ! 昔っからマジメなくせにアホだかんな!》

《五月蝿い! 貴様こそ馬鹿のくせに馬鹿であろう! この馬鹿!》

《うっせ! やるか! このタコ! トンマ!》

「はいはい。お二人ともその辺で。傷が悪化しますよ」

 冷静なナンディンの声。彼の手から放たれる不思議な光は、彼らの戦傷をじわりと癒し続けていた。

《うむ。中々に上手であるぞ。腕を上げたようだな。このハーシル、龍族の第一人者として褒めてつかわす》

《確かにその通りだ。神族とはいえ、貴様のような力を持つ者もおるのだな。このフィキラ、龍族を代表して敬意を示すぞ》

「まったく……よくもまあ飽きずに毎日ケンカばかり。少しはご自愛なさい」

「あ、ナンディンもいたのか。2人の様子はどうだい?」

 そんな彼らの側に、ソウタが笑顔でやってきた。彼は手を上げて挨拶すると、静かにハーシルの側に座り込み、慣れた手付きぇ彼の鱗を優しく撫でた。

「今日も無理させちゃったな。……ありがとう、ハーシル。この10年間きみがいなかったら、ぼくは何度死んでいたか分からないよ」

《フッハッハ! 何も気にすることはない。貴様を守るのは、我の主人たるアガナ様の御命令だからな》

 その名前が出た瞬間、苦しそうにソウタは目を伏せた。その時ハーシルは目を細め彼から視線を逸らすと、何も無い木陰に向けて静かに頷いた。微かに木々が動いたような気がしたが、誰もそれには気付かなかった。ソウタは何かを振り切るよつに顔を上げると、誰が見ても無理矢理な様子で微笑んだ。

「……うん。そうだよね。確かにぼくの為じゃないかもしれない。でも……ありがとう」

「何だ其方ら! まさかアガナ様の御話か!? 朕も混ぜよ! どんな小さな事でも教えてくれい! 朕の人生はかの慈しみの女神、アガナ=ハイドウォーク様より始まったのだからな! 最新たる技術の『術式』も……この素晴らしき奇跡の力も!!」

 ナンディンは興奮を隠し切れず立ち上がり、道化のように舞いながら、自身の手から零れ落ちる光を愛おしそうに眺めた。話を黙って聞いていた黒龍フィキラは、彼らに向けて不思議そうに尋ねた。

《そういや不思議だったんだ。何なんだ、お前らの不思議な術形態は? 俺も長いこと生きちゃいるが、こんなの見たことも聞いたこともないぞ》

《これだから田舎の無知な野蛮人は困る。おい、ソウタ。この悲しい能無しに説明してやれ》

《誰が野蛮人だてめえ! ブチ殺すぞ!!》

「ま、まあまあ。初めはぼくらもびっくりしたんだからさ。あの日から数日後、ぼくらはプリシラに協力してもらってアガナの屋敷に行ったんだ。そこで手に入れたのが、この『術式』。ナンディンに解読してもらった結果、この力は人でも扱える、極めて強力な“技術”だった。もう1つの力は……これはナンディンしか使えないから、彼に説明してもらおうか」

 ソウタの目配せを受けたナンディンは、実に誇らしそうに胸を張りながら答えた、

「うむ。朕が10年かけて会得したのだ、きっかけはアガナ様が最後に見せた秘術。あれは、神々の祖先たる存在のみが使えた、失われた技術に相違ない。あれから朕は文献を漁り、実験と検討を繰り返し、やっとのことでここまで辿り着いたのだ」

《ほう。大したものだ。伊達に大口を叩いている訳ではないな。……そう言えば最近、妙な噂を聞いたぞ。お前と同じ癒しの術を使う女のことを。確か……『灰色の聖女』とか呼ばれていたな》

 フィキラが何となしに言った言葉を受けハーシルの顔色が瞬時に変わる中、ソウタは一早くそれに食い付いた。

「ど、どういうこと?! 詳しく教えてくれ、フィキラ!!」

《な、何だいきなり?! 俺よりも兵たちの方が詳しいぞ。何でも、見返りなしで傷や病を治してくれる、奇特な女だとか。身なりこそ汚いものの、その実絶世の美女と聞くぞ。まあ所詮はつまらぬ噂に……って、おい!!》

 彼が話終わる頃には、既にソウタの姿は見えなくなっていた。怪訝そうに首を傾げるフィキラを、ハーシルはきっと睨み付けた。

《何だあいつは? 頭でもどうかしたのか? てか、何でお前まで怖い顔してやがるんだ?》

《あいつの頭なら……ずっとおかしい。一見誰からもまともに見えるが、ずっと狂ったままだ。10年前からずっとな。あいつに下手な刺激をするな! この阿呆が!》

《うるせえバカ! 知ったこっちゃねえよ! このバカ!》

《何だと!? バカにバカと呼ばれる筋合いはない! ……ええい、今は阿呆に構っている暇はない! すぐに“あいつ”に知らせねば……》

 ハーシルの目には悲しみとも憐れみとも取れる、深緑の光が宿っていた。そう、世界は狂ったままだった。誰のせいでもなく、ただひとりでに。

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