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第78話「南海に散る」

 南海の死闘、最終局面。

 刀を握り締める高堂亜門と牙を剥く赤龍アマニに相対すは、大艦隊と一対の人龍。悠然と空を舞う彼らに、2人は歯噛みして鋭い視線を送っていた。

《間違いない。あの漆黒の鱗、貌、爪牙。秋津の龍の頭……帝龍ムワーナだ! 消息不明と聞いていたが……よりによって闇に堕ちるとはな!》

 特にアマニの怒りは尋常ではなかった。真紅の鱗をどす黒く浮き上がらせ、呼吸は荒く噴き上がるような気炎を吐いていた。だが、そんな彼を宥めるように、さっとその背を撫でたのは光術士リース。彼女の光に満ちた手のひらは、彼の怒りごと暖かく包んでいるようだった。

「はい、そこまでよ。何がどうなってるのかは知らないけど、そんなんじゃやれることもまともにできないわ。行くのはいいけど、くれぐれも冷静にね。わかった?」

《……お前の言う通りだ。確かに気張り過ぎだな。それは反省するよ。だが……許せんものは許せん!!》

「あたしたちが敵を一掃したタイミングで、あまりに芝居かがった登場。まず間違いなく敵の罠よ。取り乱したら負け。真実を見極めて。さもなくば、あたしたち全滅よ」

 リースは努めて冷静に言い放った。彼女には確信があった。敵は、精神面からこちらを崩そうとしている。そうでなければ、この超常たる戦場に人間を寄越したりはしない。だが、そうなると一番心配なのは彼だった。刀を掴んだまま何も発しない亜門。その眼には静かながらも狂的な色が浮かんでいた。

「ねえ、亜門くん。……大丈夫? やっぱり一度下がった方がいいんじゃない? せめてクソ狸に相談してからとかさ」

「仰る通りですが、殿とはここ数日連絡が取れませぬ。恐らく龍の郷に特有の、時空間の乱れが作用しているのかと。この状況で己は……敵の出方を探らねばなりませぬ。何故典膳公の姿を持つ者がこの地に現れ、侍衆を引き連れ、明確な敵意を持ち己に向かうのか。リース殿はお下がり下され。己が孤剣にて撃ち払いますゆえ」

「そんなこと出来るわけないじゃない! 確かにもう符はほとんど残ってないけどさ、あたしのこと信じてないの?」

「そ、そんなことはありませぬ。ですが、現時点で敵は秋津国の侍たち。これは己の問題でござる。戦人形たる己が歩んできた道のりに起因するところ。故に……」

 がばり、と彼の言葉を遮って抱き付くリース。真っ赤になって身動きを取れぬ亜門に、彼女は涙を浮かべながら言った。

「そんなこと2度と言わないで! ……亜門くん。君は人形なんかじゃない! 絶対に違う! あたしが好きになったのは、強くて優しい君という人だから!」

「え?! ……え、え、え、えええええ?!!」

「忘れないで。あたしが隣にいるから。いつだってあたしは君の側にいるから。君の傷はあたしが治すから。だから、あたしを信じて。そして……必ず戻ってきて。約束よ」

「リース……殿」

 それは、とても力強く、それでいて本当に優しい抱擁だった。彼らはお互いの魂ごと抱き合い、包み合っていた。リースの大きな目は涙で溢れ、亜門は震える手をきつくきつく抱きしめたい。

 時間にしたら数秒であったろうか、その時は突然やってきた。艦隊から雨のように降り注いだ矢は、緩慢にゆっくりと円の軌道を描き、2人を避けるように綺麗に甲板に突き刺さった。アマニがふうと小さく龍力を収滾らせる中、亜門は目を閉じたままぼそりと一言呟いた。

「リース殿……かたじけのうござる。ですがご安心下され。今の己は世界一の大商人の懐刀。約束を守らんでは示しがつかんでござる」

「……はあ。そうね。きっとクソ狸も許しはしないわ。じゃあ行ってらっしゃいな。できるだけ早く戻って来てね」

 ニッと微笑むリース。亜門は彼女の後頭部に添えた右手に僅かに力を込めると、華奢な体をそっと床に下ろした。

「アマニ殿は後方で状況を見つつ、彼女を守って下され。先ずは己が行くでござる」

《おい待て。俺も行くぞ。俺はあのバカに用があるのだ。事の真相を確かめねばならん》

「はあ。ですが正直なところ……今のアマニ殿では戦力に成り得ぬかと」

《冗談も休み休み言え。この俺が……使い物にならんだと? どの口がほざくか!!》

 怒りに打ち震えるアマニの迫力で、大気は裂け海が嘶いた。しかし亜門は動じない。死地に魂を置く侍に脅しなど通用しない。

「御意にて。先程のお話では、敵は龍族の弱点たる“龍人”を実戦投入しているとのこと。見掛けでは分かりませぬが、船団の彼方此方から怪しき気を感じまする。あの巨龍も含め、アマニ殿が間違って手を出せば即死でござろう?」

《……ああ、そうだ。派手にぶつかることは出来ん。つまり……後方にて戦況を伺え。必要とあらば援護しろ。お前の言いたいのはそう言うことだな?》

「察しが早くて助かるでござる。己の役目はあくまでも斥候、典膳公の名を語る者の正体を探ることにて。秋津の格言に『蟷螂とて根を齧れば大木も腐り落ちる』とあり申す。正面からぶつかる愚は犯しませぬ」

《ったく……侍ってのはいつの時代もそうだな。偉そうに御託を垂れて、結局は自殺紛いの特攻をするだけじゃねえか。我儘にも程があるぜ》

「はっはっは。己は死にませぬ。必ず戻ると約束致しましたゆえ。破ったら何をされるか、考えただけでも恐ろしいでござるよ」

《フッハッハッハッハ! 大した女をモノにしたものだな。分かった。リースのことは俺に任せろ。ムワーナが本格的に出張って来るまで待つとする。だが……くれぐれも深追い禁物だぞ。お前は既に龍族に連なる存在、さっきも伝えたが間違えて龍人を斬れば即死だろう。それに……典膳の名を語る眷属、奴からは危険な匂いがする。恐らくは敵の主力だ。注意しろ》

「委細承知!」

 と言うや否や、亜門は翼をはためかせ、一直線に艦隊へ向けて飛び立った。彼の飛行雲を目で追いながら、アマニは考えていた。不吉な予感に蓋をし、小さくなりつつある人間に、龍族が信じた男に目をやる。

《必ず……必ずだぞ。俺はお前を信じるからな》


 艦隊。幾つもの旗が風でなびき、それぞれの家紋を示していた。秋津中の名家が一堂に会し、恐るべき夷狄を紂するべく集まったこの集団は、一人の男の求心力により成立していた。

 艦隊の中央に位置する、黒地に金の三日月を描いた紋を掲げた巨大な船。甲板には整然と漆黒の甲冑を纏った兵士達が並ぶ中、一人の若い男がにやにやと笑みを浮かべていた。茶色の髪をカラフルな糸と一緒に複雑に編み込み、金銀混ぜ込んだ侍装束の背には橙の三日月。すらりと整った容姿からは想像つかぬほど邪悪を秘めて、男はにやにやと口を曲げた。彼はそのままどかりと椅子に座ると、傍に侍る影の如き全身黒装束の男に親しげに話しかけた。

「お、釣れた釣れた。このまま逃げられたらどうしようかと思ったよ」

「仰る通りで。ただ、こちらの損害も甚大でしたが」

 黒装束の男は表情を隠したまま頷くと、近付きつつある高堂亜門に油断なく視線を向けた。

「そんなこと親父に言ってくれよ。俺っちは無関係だし、あっちの事情なんて興味もねーし。俺らとあいつらは、あくまでもただの協力関係でしょ? その辺は自己責任でお願いないとさ。ね、ハンゾウ?

 ヘラヘラと笑いながら男は答えた。ハンゾウと呼ばれた暗部の男は深々と頷くと、そのまま沈黙を保った。

「しっかし、ちゃん亜門本当に来るかね。これには俺っちもびっくりだよ。なんか空飛んでるし。マジうけんな。ははは!!」

「“あれ”は……虎炎様の知る高堂亜門ではありません。龍族の力を受け継いだ、極めて危険な生命体です。油断すれば我らとて、皆殺しにされてもおかしくありません」

「ヘーキヘーキ。俺っちあいつのことよく知ってっから。それが出来る男なら、今頃あんなとこでプカプカ空浮いてないっしょ。義理だとか忠義だとか、んな下らないことに囚われたアホ中のアホよ。高堂家のゴミどもなんざ、所詮は俺ら藤原家に利用されるだけの存在っしょ」

「御意。その為にわざわざ虎炎様にまでご足労頂いておりますから」

 虎炎と呼ばれた若い男は、ヘラついた態度を崩さず、親指を上空に立てて言った。

「見ての通りっしょ。ちゃん典膳もあの通りこっち側。ちゃんと“改造”してくれてんでしょ? ま、見ものだね。信じるものを全て失って、守るべきものも振るうべき刀も、全て失った憐れな侍の末路をさ」

「は。全ては藤原家のご意志のままに。……そろそろ動く頃かと。虎炎様、ご準備を」

「はいはい。んじゃま、俺っちも行きますかね。ちゃんハンゾウも見てるし、キッチリ仕事しねえと親父に殺されちまうよ」

 狼煙を上げるが如く上空の巨龍が一声鳴き、その背の侍がこくりと小さく頷いた。それと同時に周囲に闇の波動が巻き上がり、艦隊全体を怪しく包み込んだ。そして、虎炎の表情が目に見えて変化した。軽薄な態度は一瞬で消え失せ、秋津国の侍が持つ貴き魂の萌芽が湧き上がった。

「……全艦隊に告ぐ! こちら藤原虎炎にござる。諸君らも承知の通り、我らの地を狙う夷狄が迫りつつある! 敵は強大な力を持った化け物でござる。秋津の未来は諸君らの手にかかっていると言っても過言ではない。骨は拾ってやる。代わりに魂をここに置けい! 奴を本土に上陸させるな! 主君に刃を向けた侍の風上に置けぬ男……高堂亜門を決して許すでないぞ!」

 彼の弁舌を耳にした侍衆から、歓声が渦のように巻き起こった。異常な程の熱気、間もなくして空を覆い尽くす弓矢の嵐。亜門は海面すれすれに航路を変えてそれらを躱すと、目を細め歯を食いしばり一人唸った。

「これは……野岩家に村雲家、それに皆本家まで! 秋津中の武家が勢揃いではないか! どういうことにござるか?!」

「本当に亜門だ! 高堂の若衆の! 噂は本当でござった!」

「信じられん! 誠に物の怪と化しているでござる! あれ程の侍が、よもや悪霊に憑かれるとは!」

「虎炎殿の仰る通りにござる! 撃て! 撃ちまくれ!」

「み、皆様方!? 己でござる! 高堂亜門に……」

 その言葉は、戦場の狂熱の中に飲み込まれた。四方八方から飛来する矢に、亜門は抵抗することも出来ず、ただ防御し切り払うのみであった。超人的な技量で刀を振るい、空を自在に駆ける彼に、更なる怒声が注がれた。

「見ろ! 己が申した通りであろう! やはり亜門は化け物でござる!」

「藤原家が言うことに間違いはないのだ。高堂はもう終わったのでごさる」

「撃て! 撃たねば殺されるぞ! 化け物に殺されるぞ!」

「ちゃん亜門……見ての通りよ。侍だろうが何だろうが、疑念を膨らませば忠犬とて野良犬に変わる。ま、ちょろっと“ズル”はさせてもらってるけどね。さあ、攻撃も出来ずにどれだけもつかね?」

「何という……まさかこれ程までとは……」

 想像以上の悪意の矢に晒され、亜門の手が僅かに止まった。その次の瞬間、必然の如く数本の矢が彼の翼に突き刺さった。

「ぐっ!!」

 制御を失い落下していく亜門だったが、すぐに龍力を込めて浮上し、今度は遥か上空へと飛び立った。だがそれを迎え撃つは黒き侍。秋津国開祖、秋津典膳の姿を持つ男だった。


 その男は、龍を模した黒尽くめの甲冑を纏っていた。僅かに除く両眼からは表情という表情は消え失せ、意思は虚空に放たれていた。それは、彼を背に乗せる黒龍も同じことだった。巨龍は術式の刻まれた精霊銀の鎖で雁字搦めにされ、すっぽりと被せられた鉄仮面で表情すら読み取れなかった。側から見ればあまりにも異様な光景だが、この場に居る殆どの者達は彼を許容していた。なぜならば、彼はこの5年間、ずっと秋津国を支えてきたから。

 セイリュウ国との戦乱が終結し、何も得る事もなく、失った物の大きさだけが秋津国を支配していた時代。無明の混乱だけが広がる最中、突如として彼は首都キョウに現れた。数多の肖像画に描かれた、秋津では子供でも知らぬ者のいない国父、秋津典膳の姿に瓜二つの若者として。

 男はカリスと名乗り、国務を司る藤原虎月の紹介を受けて、国家の宗家たる秋津家へのお目通りを許された。だが家中の反応は真っ二つに別れた。只の空似であるという多数派と、典膳公の生まれ変わりであるという少数派。

 だが圧倒的な力の前に、単純な数などは容易にひっくり返る。実質的に現在の秋津を支配する藤原家の庇護を得た彼の前から、1人また1人と異論を挟む者は消えていった。しかし、ここ秋津は侍の国。高貴なる魂を持った戦士の集団。権謀だけでは、昂る彼らの気を誘導する事は出来ない。裏舞台での激しい動きと同時並行して、歴史の舞台ではとある事態が勃発していた。

 この国には龍がいた。かつて秋津島が金島と呼ばれた時代、神が降り立つ遥か以前より、この島には人と龍が共存していた。そして、秋津典膳が黒龍フィキラと友を結んだ事により、いつしかこの国において龍は神聖を象徴する存在となっていった。400年前の龍戦争においても、世界で唯一この島だけは戦火を免れ、侍と龍は不可侵の盟約を基に、独自の共存体制を確立させていた。

 そんな龍族が、5年前のある日、突如として人間に牙を剥いた。秋津国に生きる誰しもが耳を疑う報。だが、何かに駆り立てられるように、彼らは秋津国南部のヤマト郡に進攻し、瞬く間に人々を蹂躙した。その知らせに疑念を持ち、幾人もの名の有る侍が交渉に赴いたが、誰1人として帰還した者はいなかった。その間にも龍の脅威は広がる一方で、絶望が広がるこの国に、1人の若き侍が降り立った。

 カリスは戦場に赴くと、幾多の龍を単身撃破し、その報せに国民は大いに沸き立った。やがて疑念の声は彼を褒め称える歓声に掻き消されていき、やがて彼が頭目たる帝龍ムワーナを拿捕するに至ると、全ての声は英雄譚へと誘われた。

「ある日、典膳公が夢に出て来た。『お前は私の生まれ変わりだ』と。『お前の力で秋津を救ってくれ』と」

 カリスはいつも朴訥な、着飾らぬ口調で短く語った。多くの名士達が彼を訪れその言葉を待つ中、ある日英雄が放った言葉に人々は驚愕した。彼らからすれば、信じ難い話が展開されていつた。

「この国の内部に裏切り者がいた。その裏切り者と龍族が手を組み、この紛争は引き起こされた」

 最初は誰もが半信半疑だった。秋津国にとって、“その男”の名は、死を以て伝説と化した、言わば侍の象徴の如きものであったからだ。しかしこの国の頂点たる藤原虎月がその言葉を支持し、更には帝龍ムワーナの自白もあり、世論は大きく一方に傾いていった。更に3ヶ月前、闇に包まれし邪悪が秋津の大地を支配すると、裏切り者の存在を疑う者は極一部となった。この日以降、龍族は晴れて秋津国の民の敵となった。そして、憎むべき裏切り者の存在もまた。

「裏切り者の名は、高堂亜門。大陸の龍と手を組んで先代龍牙殿とその実子龍心殿を殺害し、その身に龍の力を宿した化け物だ」


 運命の日。

 高堂亜門は降り注がれる刃と悪意の視線を振り切り、漸く船団から離れた小島に離脱した。精神的な疲弊もあり肩で息をする彼の前に、その男は現れた。漆黒の、龍を模した甲冑を被った侍。秋津典膳の姿をした男は、悠然と黒龍の背に乗り一直線に彼の元へとやって来た。威厳すら漂わすその佇まいに圧されながらも、亜門は刀を抜いて彼に向き合った。カリスも龍鎧から鋭い目を輝かせ、龍の背から飛び降り静かに刀を抜いた。

「……中々の圧。噂に違わぬ大器。2人の帝龍が認めるのも納得だ」

「それは其方の方であろう。感じた事のない濃縮された闇の波動……其方が噂の魔剣士カリスにござるか」

「実に光栄。だが……全ては終わりだ。お前はここで死ぬ」

「随分と舐められたものにござるな。秋津の魂を、侍を甘く見て貰っては困り申す」

「残念だ。今のお前の刀には“それ”は存在しない。俺の後ろを見てみろ」

 その言葉の前から、亜門は全てを察していた。敵の背後から迫り来る艦隊。秋津の侍の誇りを乗せた侍の集団。彼らは口を揃え、“敵”への怒りを放っていた。

「いたぞ! 裏切り者とカリス殿が闘っているでござる!」

「おのれ……龍牙の恩を忘れ、高堂家を滅亡させた悪しき者め!」

「カリス殿、奴に天誅を! 悪しき裏切り者に天誅を!」

「カリス殿! カリス殿!」

 彼らは心底信じていた。信じ込まされていた。高堂亜門は龍族と結託し、身内のない自分を拾ってくれた高堂の家を裏切って、己が家督を継ぐ為に嫡子の龍心を斬り、秋津国ごと危機に追いやったと。そして彼らの全身を包み込む不穏な闇は狂熱となり全土を包み込み、正常な判断を困難にすると同時に、沸き上がる負の感情を数倍にも高めていた。

「皆……何を言っているでござるか。己は……」

 亜門の刀を握る手から力が抜けていった。全ては終わっていたのだ。夢も目標も既に潰えていたのだ。カリスはそんな彼を無機質な目で見下ろしながら、卓越した動きで刀を上段に構えた。

「無駄だ。全ての逃げ道は潰してある。つくづく藤原家は有能よ。ここまでの展開を読んでいた訳だからな」

 男は無表情のまま、氷のように冷たい声で小さく告げた。対する亜門は感情を昂らせ、激しい怒声を放った。

「其方……何が狙いでござる? 己を追い込んだ所で何が変わるというのか?」

「そんなことはどうでもいい。それより、皆の声に耳を傾けてみろ。何も間違ってはいないぞ。お前が一番良く知っているだろう? お前は龍心を斬ったのだからな。自らの主人を、直々に、躊躇いなく斬り殺したのだ。自分の命惜しさに、散々能書きを付けてな。間違っているか?」

「き……貴様!!!」

 事前動作なく放たれた稲光の如き突進。亜門の刃は瞬時に男の心臓目掛けて突き出された。……だが!

「これが高堂の技か。随分と緩いな。『流』!!」

(ば、馬鹿な! 己の刀を片手で……しかもその技は秋津宗家の!!)

 亜門の怒りの一撃は、実に容易に左手で受け止められた。カリスはつまらなそうに、上段に構えた刀を軽く振り下ろした。力はほぼ込められていないが、完璧な呼吸と一才の無駄の無い動きで放たれた刀は、亜門を左肩から袈裟斬りに断裂した。瞬時に僅かに背後に避けたものの、明らかな重傷を受けた傷口からは血がぼたぼたと地面に滴り落ちていった。

「今の技……尋常ではないでござるな。どこで覚えたか知らぬが、完璧な秋津の技にござる」

「説明する必要はない。お前はここで殺す。決して手は抜かん。来い、ムワーナ!」

 天空にて虚な目で戦況を眺める巨龍が、カリスの合図に反応し大きく戦慄いた。急速に動き出す事態に、亜門はくっと歯を噛み締めた。だが、追撃の手を止めたのは、彼方から飛び込むもう1つの巨大な影だった。

《邪魔だムワーナ! 早く逃げろ亜門!》

「ア、アマニ殿!!」

《今の俺たちでは勝てん! 叔父貴の所へ戻らねば……ぐうっ!!》

 赤龍はその身を以て盾となり、黒龍の前に立ちはだかった。アマニは攻撃態勢に入らんとした敵の手を止めつつ、亜門を抱え飛び去ろうとした。が、それを遮ったのはカリス。痛烈な斬撃を彼に見舞いつつ、飛び去らんとする亜門に向けて、ぼそりと呟いた。

「……姉が死ぬぞ」

「!!」

 亜門の手が、足が、身体が瞬時に硬直した。その隙を見逃さず、カリスの凶刃が唸りを上げて彼に襲い掛かった。

「……ぐっ! ど、どういう意味で……」

「説明は要らんだろう。お前に残された最後の家族、その命は俺たちの手にある。逃げれば、殺す。必要なのはたった一つ。ここで俺と闘い、侍衆の面前で……死ね」

《亜門! 惑わされるな! 敵の罠に決まっている!》

 だが、高堂亜門はふっと哀しげに笑うと、そのまま刀を抜いた。アマニはその瞬間、確信した。これから起こる出来事を、避けられぬ運命の輪を。

「それでいい。そうでなければならない。ムワーナ、そいつを抑え込んでいろ。俺は……この男を斬る!」

「出来るものならやってみるがいい。己の名は高堂亜門。偉大なる高堂家の最後の男にして、其方を叩っ斬る者ぞ!」

《待て亜門! ……ええい、離れろ! 冷静になれ!!》

 会話が終わると同時に、超常の侍たちは激しくぶつかり合った。数舜の間に刃と刃が10回以上交わり、血飛沫が派手に舞い上がった。だがその血は全て亜門のもの。目にも留まらぬ乱撃を経ても、カリスは傷一つ負わずに悠然と佇んでいた。

「その程度か。高堂だか何だか知らんが、所詮は愚図の田舎剣法だな」

「はっはっは。その手には乗らぬ。生憎、今の己の主は“そういうこと”の達人にて」

 あからさまで見え透いた挑発が、逆に亜門に冷静をもたらした。彼は乱れた心に一呼吸入れ、刀を首筋まで上げて相手を貫くように構えた。

「最早語るまい。己は……其方を斬る! 高堂流『光円戦弓・《風》!』

 神速の突きが風を巻き上げながらカリスに襲い掛かった。だが彼は顔色一つ変えずにふわりと刀を前に突き出すと、一閃に合わせてそっと刀を前に挿した。刃先の点と点が重なり、その場で激しい衝撃波が巻き起こった。一歩たりともその場を動かずに、凄まじい絶技の交わりにも涼しい顔で、すぐにカリスは刀を引いて上段に構え直した。

(何という技! 己の最速の突きを最も簡単に……)

「出来ぬことを、強き言葉でほざく。失笑の極みだな。技とはこうして使うものだ。『虹』!!」

 カリスの刀の刃先が怪しく煌くと、一瞬の後に7回の斬撃が同時に嵐が起こした。無残にも血と煙にまきこまれる亜門。無様に膝を付き血反吐を撒き散らす彼に対し、カリスは落胆の表情を見せた。

「これで終わりか。俺の買い被りだったな」

「まだでござる! 己は……この場で其方を……斬る! 《龍絶天覇》!!」

 腰に据えた古刀から龍力を滾らせ、亜門は全ての力を解放した。その姿は既に人のそれではなく、龍そのものと化していた。艦上の侍たちからどよめきが起こる中、遠く離れた船上のリースが涙を流しながら絶叫した。

「亜門くん! ダメえ!! それ以上はダメええええええ!!」

「アマニ殿……後はお任せします。どうかリース殿を安全な場所へ……」

《それはお前の役目だろうが! ほざくな! おい! 話を聞け!!》

「カリスとやら……見せてくれる! 高堂の最強の刀を! 高堂流絶義『明鏡止水』!!」

 居合の構えから放たれる、亜門最強の斬撃。いかなる存在とてこの死の刃からは逃れられない。その時、カリスの顔色が初めて変化した。彼は瞬時に同じ居合の構えを取り、真正面から同じ技を放った。

「そうだ。もう一度“それ”を見たかった。俺が人間に付けられた初めての傷。高堂龍心が放った神域の斬撃。それがあれば……俺は更に強くなれる。『明鏡止水』!」

 両者は駆け抜け、斬り、交差し、互いの場所を入れ替えた。全く同じ軌道、全く同じ技に見えた。龍力と闇力も拮抗していた。そして、技の切れに関しては、間違いなく亜門が上だった。本来ならば亜門がカリスを切り伏せる未来も十分に起こり得た。

 だが、倒れていたのは亜門だった。絶望の未来を齎したのは刀の差。カリスの振るう謎の黒刀の前に、亜門の振るう高堂家に伝わる名刀“素戔嗚”、太古の刀匠が鍛えた究極と呼んで差し支えない叡智の結晶は、千年の時を経て秋津の海上に散った。だが!!

「まだだ! 高堂は……龍の力はここで終わらぬ! 『龍絶天破・《薙》』!!」

 胸元の龍刀が怪しく光り、折れた刀を補助するように光の刀身が産まれた。亜門は歯を食いしばり龍力を振り絞ると、慣れぬ技に体勢を崩したカリスの体を、上段から神速で切りつけた。鮮血が場に散った。この上なく完璧な手応えを感じた亜門は勝利を確信しつつも、油断する事なく追撃の刃を放とうとした。

 だがその時、彼は手に違和感を覚えた。指先が震えて力が入らず、すぐに震えは足先にまで広がっていった。驚き必死でもがく彼を憐むように、カリスは傷口を押さえながらゆっくりと立ち上がった。

「……そうだ。お前は強い。本来なら俺が負けてもおかしくない。だがそれ故に……その“力”故に破れるのだ」

 カリスの声が、崩れ落ちる彼に冷たく振り下ろされた。同時に、亜門の手が刀が落ちて乾いた音を立てた。全く力が入らず、全身にヒビが入りボロボロと崩れていく身体を、彼は何処か他人事のように見つめていた。

「これは……一体……」

「龍令の1つにして、最大の血の掟。『龍は同族を傷付けられない』。正直、お前がそれに当てはまるかどうか、誰も確信はなかった。だが……賭けには勝ったようだな」

 切り裂かれた鎧の下から、カリスの皮膚が見えていた。鱗の如く光り輝く体表、間違いなく人間のそれではない。そう、これは……龍人!!

「お……のれ………」

「無駄だ。俺は勝つためなら、強くなる為なら何でもする。お前は自らが得た力で死んでいくのだ。運命には逆らえん。このまま無為に死ね」

「………」

「あ、亜門くん! 早く逃げてええええ!!!」

 亜門は崩れゆく体をなんとか繋ぎ止め、残る力で最後の一刀、龍の力が込められた古刀を投げ付けた。だがその勢いはすぐに失われ、アマニを振り払ったムワーナが一口で飲み込んだ。

 それを合図にしたかのように、最後の一線は途切れた。完全に崩壊する彼の体を見ながら、カリスはただ一言、最後に告げた。

「俺はカリス。お前を含む高堂の連中を皆殺しにした男の名だ。絶望の中で死んでいけ。秋津流奥義『皇』!!」

「無念……也」

 一閃。闇夜の如き暗き一撃。絶望的な量の闇力を込めた刀が、崩壊する亜門の体を完全に吹き飛ばした。塵の如く四散した亜門の身体は、音もなく深紅を彩りながら海面に落下し、やがて母なる海の飛沫へと消えていった。

「……嘘……でしょ?」

 遠くから嗎が聞こえて来るのを、カリスは鋭い鈍色の瞳で眺めた。真紅の龍が一直線に後方へ飛び立つ姿を確認し刀を抜こうとするも、一気に膝の力が抜けて、彼はぜいぜいと荒い呼吸をした。

「任務完了確認。救助必要……天膳?」

 気付けば目の前に、仮面を被った闘士が立っていた。見た目は小柄ながらも、放たれる尋常ではない闘気を肌で感じ、カリスは差しのべられた手を取った。

「シュウか。要らん、と言いたいところだが……正直疲れた。すまんな。慣れぬことをするものではない」

「彼……強。正面突破、不可」

「ああ。奴は強い。あの刀技は尋常ではなかった。ここまでやって然るべきだ。俺は勝つためならば何でもする。しかし……アマニを逃してしまうとは。あのまま来てくれれば楽だったんだが」

「真紅……龍……」

 シュウと呼ばれた仮面の闘士は、突然機能を停止したかのように、その場で呆然と立ち尽くすのみだった。彼は諦めて首を横に振ると、漆黒の兜を脱ぎその場で高らかに手を突き上げた。人々は鬨の声をあげて、偉大なる戦士“カリス”の名を湛えた。彼は無表情のまま刀を突き上げると、歓声は更に大きくなった。その声は止むことはなく、どんどん大きくなり、天を穿つ程であった。


 神代歴1279年11月。

 現秋津国最強の侍である高堂亜門は、ルシフェル率いる闇の眷属最強の魔剣士カリスに完全敗北し、秋津国の南海に命を散らした。

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