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第72話「友だち」

 一夜が明けて朝。一同は街の広間に佇む美しき魔女シャーロットの目前へと集まって来た。

「おはようございます! お揃いですね、皆さん。さあ、作戦会議を始めますよ!」

「……お嬢様。その……ずいぶんお元気そうでなによりですが、なんかあったんですかい?」

「そんなことはありません! 私はいつもこんな感じです。そうですよね、リース?」

「う、うん。そうかも……しれないけど……ねえ?」

 明らかに今までにない極度の笑顔を見せる彼女に、仲間たちは逆に不安を覚えた。中でも従者レイは大きく吐き捨てるように舌打ちをすると、厳しい詰問の視線を藤兵衛に飛ばした。

「……おい。こりゃどういうこった? ブキミなくれえに上機嫌じゃねえか。てめえ……昨晩なんかしたろ? 正直に吐きゃ腕一本ですませてやる」

「は、はて? とんと身に覚えはないわ。濡れ衣を着せるのもいい加減にして欲しいものじゃのう」

「てめえ……チョーシ乗ってんじゃねえぞ!」

「お止めなさい、レイ。私のだん……藤兵衛に暴力を振るっては。それはよくないことです。実によくありません」

 一気に真っ赤になるシャーロットの表情から全てを察し、レイの拳が鋼の如く滾り始めた。

「……そうか。どうやら命はいらねえみてえだな。言い残すことは?」

「ヒ、ヒイイイイイ!! わ、儂はただ……」

「うるせえ!!」

「グェポ!!」

 そんな遣り取りを微笑みながら見つめる光術士リース、対照的に何も目に入らず漠と立ち尽くす高堂亜門。彼の頬は痩け、視線は虚で、廃人の如くブツブツと意味のわからないことを呟き、時折気色悪く笑っていた。

「お、おいリース。ところで“アレ”はどうしたんだ? どっか頭でもぶつけたのか?」

「……さあ。本人に聞いて。昨日からずっとあんななの」

「己は……これは夢? それとも……いや、まさかあんな事が現とは……しかしあの感触は………」

「気持ちわりいんだよ童貞! さっさと正気に戻りやがれ!」

「グェポ!! こ、この痛み……やはり現実!? なら至福の時は今も……いや、しかし………」

「……こりゃダメだ。重症だぜ。あいつはほっといて、とりあえず会議だ。みんなお嬢様んとこに集まれや」

 流石のレイも諦めきって深くため息を深くついた。リースはそんな亜門を微笑ましく見つめながらも、じれったそうにぼそりと呟いた。

「もう。あんなんで“コレ”じゃあ、この先どうなっちゃうのかしら」


 彼らは額を突き合わせ話を始めた。この1年間で得た情報、様々な事象を共有しようとした。

「北の本部筋と連絡取れたんだけど、今んとこ連中の目撃はないみたい。“闇”が多量に発生している事例もないようね」

「東大陸内も同様じゃ。儂の情報網では敵の一味は確認出来ぬ。思いもよらぬ僻地か、可能性は低いが他の大陸に逃げたやもしれぬの」

「己も……確認出来ませんでござる……」

「連中は『楔』を持ってやがる。現れりゃ必ずヤバいくらいの闇があふれるはずだ。お嬢様の探知にも引っかかってねえ。あのまま消えちまったんじゃねえか?」

「可能性としては考えられますね。ハイドウォークは神の系譜。海を渡ることは原則的に出来ませんから」

 沈黙。持ち得る情報からは何も手掛かりはなく、途方に暮れる一同。重苦しく沈む空気を察して、藤兵衛はキセルに火を付けながら、進まぬ話し合いから少しだけ視点を切り替えた。

「そもそもの話じゃが、奴は本当にハイドウォーク家の者なのかの? あのルシフェルとか申す者は実在するのであろうか?」

「可能な限りの文献を漁ってみたのですが、その名は我が家の家系図に確認出来ませんでした。可能性としては2つ。彼が出生を偽っているか、あるいは……歴史から消された存在であるか」

「前者はありえねえかと。あの信じらんねえ術系統に加え、なにより途方もねえ闇力。ありゃマジもんでしょ」

「考えても答えは出なそうね。とは言え……ほんとこれからどうするの? まだ敵の様子を伺うしかないのかしら?」

「実に困りましたな。敵の居場所が分からない以上、動き始めるまで待つしかなさそうでござる。なるべくなら先手を取りたかったところでありますが」

「……いや。奴らの狙い、その見当は付いておる」

 はっきりと断ずる藤兵衛の言葉に、一同の議論は止まり一斉に彼の方を向いた。

「ああ?! かまってもらいたくてテキトーこいてんじゃねえぞ!」

「ふん! 貴様とは頭の出来も何もかもが違うのじゃ。そもそも、奴らは何故あんな事をしでかした? 神都を犠牲にしてまで手に入れたかったものは何か? 逆算すれば話は単純化しようぞ。理由は知らぬが、奴らが求めるのは、常に変わらず『楔』と呼ばれる存在じゃ。そこまではよいな?」

「確かにそうでござる。連中の行く先には必ず『楔』があり申した。己らと目標は同じにて」

 亜門が正気を取り戻したのを確認すると、藤兵衛は新しいキセルに火を付けて、ゆっくりと噛み締めるように話を続けた。

「ふむ。その上で話を進めようぞ。『楔』について儂らが分かっていること。まず、あれは闇力と強力無比な術を秘めた結晶である。闇の眷属どもはあれに集い、そして伝説の魔女アガナ=ハイドウォークに関係している。儂らが歩んで来た道のり、手にした『賢者の石』やアガナの記憶からも明らかじゃ。更に、あれは何故か東大陸にしか存在しない。儂の知る限り、他の地域では耳にした事もないわ。最後に、これは不確定情報じゃが、あれが全て崩壊すれば東大陸は崩壊する。以上で間違いないか、シャルよ?」

「ええ。その通りです。委細は不明な部分が多いのですが、その認識で相違ないかと」

「うむ。では、そこから導き出される結論は何か。あくまでも儂の推論じゃが、連中の狙いはアガナ=ハイドウォークが持ち得た、何らかの“力”じゃ。儂があそこで手にした固有術式は、通常のものと比べて余りにも強大かつ異質じゃ。連中は東大陸を滅ぼしてでも、その力を狙っておる。そう考えるのが自然じゃろうて」

 シャーロットと藤兵衛が頷き合う中、レイは不服そうに腕組みをして言葉を挟んだ。

「ちっと待てや。そりゃ変だぜ。だって石コロはぜんぶてめえんとこに集まってんだろ? 連中の狙いがそうだとしたら、真っ先にてめえを狙うはずじゃねえのか?」

「それは違います。藤兵衛に与えられた“力”は、『楔』のほんの一部。今際の際にお祖父様が仰っておりました。『楔』はあくまでも切っ掛けに過ぎない。全ての『楔』が断ち切られることで、世界と引き換えに“偉大なる神の実り”が手に入るであろう、と」

「……怪しいことこの上ないでござるな。おい魔女よ。其方の祖父とやらは信じられるのか? まともな話とは思えぬが」

「んだてめえ! お嬢様を信じやが……?!」

 突っ掛かる亜門にレイが拳を振り上げる中、すっとその間にリースが入った。彼女は思い詰めた面持ちのまま2人を止めると、意を決したように強く顔を上げた。

「……亜門くん、実はあたしも同感なの。アガナ神教にも言い伝えがあって、これはもうかなりの厳封事項なんだけど、この際もういいわ。この話はあたし自身の任務にも繋がるから。……信じて聞いてくれる?」

 リースは声をやや上ずらせながらも、意志の込められた強い口調で言った。一同はそれに呼応するように無言で大きく頷いた。

「あたしの任務は大きく2つ。1つは知っての通り、ミカエル=ハイドウォークの監視。理由は……彼が50年前にあたしらの国を荒らし、貴重なアガナ様の遺品を奪った重罪人だから」

「あのお兄様が!? 北大陸で盗人紛いのことを?! そんなことが……」

「事実よ。残念だけどね。彼はアガナ様の力の源を求めていたようだわ。そして、重要なのはもう一つの任務。これはね……実はあんたにも関係してるわ。……金蛇屋藤兵衛!」

 リースが何かを振り切るように指差した先には、呑気にキセルをふかす藤兵衛の姿があった。彼は突然集まった視線に驚き、慌てて両手を横に振った。

「な、何じゃ急に! 何故ここで儂の名が出て来るのじゃ?!」

「あんたさ、10年前に北大陸に来たでしょ。その時、ある貴族を騙くらかして奪い取ったものがある。……そうよね?」

「……」

「黙ってるなら代わりに言うわ。それこそが、アガナ神教の信仰における最重要の遺物……『アガナの遺骸』よ。あんたの汚い金儲けのお陰で、その貴族は破滅し、神教は教義の拠る術を失った。全てあんたのせいでね!」

「………」

 藤兵衛は、何も言わなかった。何も言おうとしなかった。細く鋭い目を更に細め、何処か穏やかな視線でリースの目の奥にあるものを捉えていた。だが彼女は、彼の態度に苛立ちを隠し切れず、思い切りテーブルをバンと叩き付けた。

「なんとか言ったらどうなのよ! もう調べはついてるの。知らぬ存ぜぬは通用しないわよ!」

「リ、リース殿! 話が逸れておりますぞ。少し落ち着いて下され!」

「成る程……ガリアの娘じゃったか。失念じゃったわ。道理で儂の記憶の中に、お主の顔がある筈じゃて」

 ぼそり、と極めて優しい声で藤兵衛は呟いた。一度はその態度に呆気にとられたが、リースはすぐに再び怒りを剥き出しにした。

「あんたに……あんたなんかに……パパの何が分かるっていうの!! すべてあんたのせいでこうなったのよ! パパが死んだのも……ぜんぶ! ぜんぶ!!」

「言い訳はせぬ。全ては儂の責じゃ。憎むなら存分に憎んでくれて構わぬ。ただ……今は作戦についての話を続けようぞ。皆が心配して見ておるわ」

「……そうね。確かにその通りだわ。この話は後にしましょう。……つまりね。アガナ様の死後、遺体は北大陸に安置され、その強大すぎる力は東大陸に封印された、と言われてるの。そして伝承では、それら全てを集めた時、封印を全て解いた時、アガナ様が復活されると共に、伝説の都ロウランが現れる。これが北に伝わる御伽噺。子供でも知ってる下らないお話。でも……それは部分的には真実の可能性がある。現に北大陸は……数年前にも遺骸を求める眷属の手によって、崩壊寸前まで追い込まれたから」

 思いもよらぬ事実に一同はざわめいた。中でもシャーロットは手を震わせながら、顔を突き出してリースに尋ねた。

「本当……なのですか? やはりお兄様は……ああ、なんということでしょう。本当に申し訳ありません」

「シャルちゃんのせいじゃないわ。ただ……事は既に謝って済む次元じゃないの。国が大打撃を食らったのは真実。かつては世界最大の都と呼ばれた場所だったのに、400年前の龍戦争と50年前のミカエルの襲来、そして今回の襲撃でめちゃくちゃよ。多くの信徒が死に、パパもその時に……死んだわ。けど、不幸中の幸いは、アガナ様の遺骸は既に国になかったこと。あのクソ商人に奪われたお陰でね!」

 リースは再び藤兵衛を指差し、唇を震わせて怒気を込めながら叫んだ。しかし、彼は無表情だった。ただ深く眉間に皺を寄せながら、静かにその場で佇んでいた。

「おい。話はわかった。てめえが昔っからどうしようもねえクソだって事実はさておきだ。その遺骸とやらは今どこにあんだ? 今の話だと、敵はそれを求めてんだろ」

「……言えぬ」

「あんた! よくも……」

 勢いよく拳を振り上げたレイよりも先に、リースの小さな手が彼の頬を捉えた。乾いた音が場に鳴り響き、真っ赤になって息を荒げるリース。だが藤兵衛は顔色一つ変えずに、何処か穏やかに彼女の目を見つめていた。

「ふざけんな! そんなに金が欲しいっての! まだ儲けようっての! バカみたい! 正真正銘のクズだわ!」

「……例え誰に何と詰られようと、言えぬものは言えぬ。仮にそれがガリアの娘であったとしてもの」

「!!!」

 リースの容赦のない連打が、彼の頬に何度も何度も放たれた。か弱き手が赤く染まり、シャーロットが慌てて止めようとしたその時、ばっと亜門が間に入りその手を掴んだ。

「……リース殿。お気持ちは察するでござるが、一先ずその辺で」

「……なによ! 亜門くんまでコイツの味方するのね! みんな大っ嫌い! なにが大商人よ! なにが神の一族よ! ただのバケモノじゃない! 揃いも揃って自分のことばっかり!」

「リース! 待って下さい!」

 彼女は涙を流しながら勢いよく立ち上がると、そのまま一瞥もせずに走り去った。シャーロットがその背を追っていく中、亜門は真剣な顔で藤兵衛に一礼した。

「殿、申し訳ありませぬ。少々お時間を頂きたく存じまする。必ずリース殿を連れて帰りますゆえ」

「……先も申したであろう。全ての責は儂にある。此度の件は成るべくして成った帰結に過ぎぬ」

「はっはっは。それを鵜呑みにするには、己が殿と過ごした時間は些か長過ぎた様にて。では御免」

 そう言って影のように走り去る亜門。場に残ったのは藤兵衛とレイのみだった。彼は腫れた口にキセルを咥えると、火をつけずにそのまま暫く漠と天を眺めていた。そんな彼の脇に、ことりと暖かな温度が込められたカップが置かれた。

「冷めねえうちに飲みな。口ん中切れてるだろうから酒はダメだぜ」

「……美味いのう。実に滲み入るわ。相変わらず貴様の料理だけは一流じゃて」

「まあな。いいタマネギがとれたもんでよ。てめえも舌だきゃあマシな方だぜ」

「貴様は……行ってやらんのか?」

「あ? ……ああ。お嬢様と亜門がいるからよ。俺が行く必要ねえだろ」

「……そうか。それもそうじゃな。貴様では役に立つまいて」

「かもな。……てかよ、なんでちゃんと言わねえんだ? なんか隠してんだろ? らしいっちゃらしいがよ」

 彼の隣にどかりと座り込み、レイは目も合わせずにカップを一気に空にした。藤兵衛はキセルに火を付けると、目を細めて空を眺め続けていた。

「貴様程度に察されるとは、儂も落ちたものじゃな。これはの……“約束”なのじゃ。遺骸の場所は誰にも言わぬ。即ち、そういう“契約”じゃ」

「そうかい。ご立派なもんだぜ。ま、俺からしたらどうでもいいがな」

「おい。代わりはないのか? 腹が減って堪らぬわ」

「しゃあねえな。もう一杯だけだぜ。特別だかんな」

「うむ。早う持って参れ。星が眩しすぎてどうにかなりそうじゃわい」

 空には満点の星空。瞬く光の渦が、2人の背を透けるように照らしていた。レイは彼にお代わりを差し出して、ぼんやりと星々に目を遣った。

「……1つだけいいか。てめえがなにを考え、どう振る舞おうが勝手だがよ、余計な隠し事はやめろや。たぶんこの話には俺らの行く末がかかってんだ。まあ俺はいいとしてもよ……皆をもっと信頼しろや。こん中にハンパなやつは1人もいねえからよ」

「分かっておるわ。貴様らは……例外なく信頼に足る者じゃ。……そうじゃな。言う通りかもしれぬな。儂は、あらゆることを1人で行うのに慣れ過ぎておるのかもしれぬ」

「はっ! ずいぶん素直じゃねえか。変なもんでも食ったか?」

「ふん! 貴様の作った料理じゃろうが!」

 彼らは顔を見合わせると、声を出して大きく笑った。瞬く星の下、小さいながらも確かに輝く光が2人の間に仄かに宿っていた。


 一方、リース。1人泣きじゃくるリース。

 分かっていた。これが只の我儘であることは。自分は工作員だ。任務に徹し、私情を捨てねばならない。なのに……どうしたというのだろう。なんて情け無い話なんだろう。

「なにやってんだろ、あたし……」

 自己嫌悪で潰れそうになる。いつも強がっていたのに、結局自分はこんなにも弱い人間だったなんて。蹲り、倒れこみそうになる体を何とか抑え込む。だが、既にその心は折れる寸前だった。

 その力無き小さな背に、暖かな手が触れる。

「大丈夫ですか、リース?」

 シャーロットの声。憎むべきハイドウォーク家の娘。闇に生きる一族の末裔。そう教わってきた。恨むべき、滅すべき存在と言われてきた。なのに……どうしてこんなに暖かい? 何故こんなにも心の中に入り込む?

「シャルちゃん……ごめん」

「?? 何がですか?」

「さっきあたし……シャルちゃんのことバケモノって……そんなこと思ってないのに……つい勢いで……」

 俯く彼女、力無く座り込む彼女に、優しく響く声。細胞の一つ一つに浸透するような慈愛の反響。

「私は何も気にしません! 確かに私はバケモノですし、つまらない女かもしれませんが、リースがそんなことを思っていないと知っていますから」

「……ううん。違う。あたし……ずっと心のどこかでシャルちゃんを疑ってた。偽善で微笑んでいても、いつか尻尾を出すんだろう、って。嫌らしい目線でずっと見てた。でも……あんたはいつも優しくて、人のことばっかり考えてて、自分が傷付くことなんて歯牙にも掛けないで。それ見てたらあたし……自分が本当に情けなくって」

「……」

「本心ではあんたを信じたい。だから必死に戦ってきた。命だってかけたつもりよ。でも、ずっと隅にそんな気持ちがあって。それで今回、酷いことを……ほんとごめん。謝って済むことじゃないけど」

 シャーロットはきょとんとした顔から一転、優しく和かに、そして美しく微笑むと、いきなりリースを強く抱き締めた。

「!! ち、ちょっと! シャルちゃん?!」

「何も気にしないで下さい。私はへっちゃらです。それより、貴女の心の傷に安易に踏み込んでしまったこと、心よりお詫びします」

「そんなこと……言わないでよ。また泣けてきちゃうじゃない……うっ……ううううう!!」

「好きなだけ泣いて頂いて結構です。何故なら、私とリースは友達だからです。私はずっと一人ぼっちでしたので、友達の何たるかはよく知りません。でも、きっとこういう時、一緒に居られるのが友達だと思うのです。私はね、リース。貴女のことが大好きですよ」

「………」

 2人は抱き合ったまま、暫くの間動かなかった。離れた位置からそれ見守る亜門は満足そうに微笑みながらも、そこに小さな舌打ちを紛れ込ませた。

「ふん。どうやら己の役割はなさそうでござるな。しかし……魔女の分際で中々申すものよ。少しは見直したでござる」


 暫し後。

 一同は再び集結し、今後の話し合いを再開していた。藤兵衛とリースが目を合わせることはなかったが、表面的には先程までの争いの空気は消えていた。

「さっきはごめんなさい。ちょっと感情的になっちゃって」

「はっはっは。己は全く気にしておりませぬ。殿とてそんな瑣末なことで気を害する小さな方ではありますまい。秋津の格言にも『大器たれば砂も宝石も同じ胃の中』とあり申しますからな」

「何じゃその話は! まったく……力が抜けるわい」

 亜門の言葉に顔を顰める藤兵衛と、くすくすと笑うシャーロット。むすっとした顔のままのリースに蜂蜜入りの紅茶を渡し、レイは実にわざとらしく咳払いをした。

「あー……で、クソ商人。とにかく責任とってこの場をまとめろや。言える範囲でかまわねえから、なんでもいいんで手がかりを話せ」

「……止む無し、か。これも必然かのう。詳細は述べられぬが、『アガナの遺骸』とやらがある場所。それは……他でもない秋津国じゃ」

 その言葉を聞き、一同は唖然として顔を見合わせた。特に亜門はがたりと立ち上がり、興奮の面持ちで藤兵衛の側に詰め寄った。

「あ、秋津ですと!? 己の故郷ではありませぬか! 一体何故にござるか!」

「そこはさて置かせてくれい。経過については何一つ話す訳にはいかぬ。兎も角、この事実はこの儂以外世界で誰一人として知らぬ。そして、遺骸の正確な隠し場所はこの世の誰も、この儂とて知らぬのじゃ」

「あ? てめえも知らねえのか!? なんだそりゃ? 意味わかんねえよ」

「何度も言うが、事の詳細は伏せる。事実のみを告げるのみじゃ。遺骸が秋津国にある事は確かじゃが、何処にあるかは絶対に誰にも分からん。逆説的に言えば、“金蛇屋藤兵衛”であれば、秋津国に遺骸が送られたと知ることが出来る。意味が分かるかの?」

「? ……!! も、もしかして、あんたが金蛇屋を乗っ取られたのって……」

 青白い顔をして立ち上がるリースの方をちらりと見て、藤兵衛は極めて冷静にキセルに火をつけた。

「恐らくの。その可能性は極めて高かろうて。最初から妙だと思っとったのじゃ。機が良すぎる上、番頭のユヅキだけでこうも見事に儂を出し抜けるとは思えぬ。知っての通り、金蛇屋の社員は完全に儂の手中にある。つまり……敵は外部にあった。そう考えるのが妥当じゃろうな。勿論じゃが、様々な偽装工作は施しておる。簡単には事の詳細は割れぬはずじゃ。しかし、時間さえかければ、必ずその可能性の片鱗にはぶち当たろうて」

「で、でもよ。いくらなんでも話が飛びすぎだろが! てめえのお家事情と、今回の件が関わってるなんざ言い切れねえだろ?」

「8年前、儂の前にゼニスと名乗る男が現れた。西大陸の商人と自称する怪しき男は、執拗に北大陸からの荷物の行き先を調べてきおった。その時は適当に誤魔化したが、あの時既に事は進行しておったのじゃ。そして、先の戦の際に、儂はゼニスという男と再会した。姿形も名前も違えども、儂は一度会った者の目は決して忘れぬ。そう……あの日儂を探った男とは、ハイドウォーク家執事、ローブの呪術士バラムに相違ないわ」

「バラム先生が?! では……全ては最初から計算されていた、ということですか? 私たちが現れることも、貴方がオウリュウ国を去ることも」

 シャーロットが不安を顔中に込めて立ち上がった。藤兵衛はキセルに火を付けると、一才の冷静さを崩さずに返した。

「恐らくの。奴の目の奥には狂気が爛々と輝いておった。遂にこの日が来たか、と思ったわ。もう一刻の猶予も許されぬ。儂がこれを受け取った時、その可能性は示唆されておった。そして儂は、ある男に遺骸を託した。心からの信頼に足る、秋津国の侍の中の侍……当時の総司令を務める高堂龍牙にの」

「! お、大殿ですと! ではやはり殿は……」

 亜門の言葉に直接は返すことなく、藤兵衛は微かに目を細めて、静かに内側から言葉を紡いだ。

「その後、龍牙は命を落とし、遺骸の行く末までは確認出来んかった。秋津セイリュウ間の戦争の混乱の中で、そのまま消えていった話じゃ。少なくとも儂はそう思っておった。これが……儂の知る全てじゃ。理解して貰えたかの」

「……宿命、か。あんま使いたくねえ言葉だが、どうやらそうとしか言えねえみてえだな」

 深いため息と共に放たれたレイの言葉に、一同は揃って深く心中で頷いた。それは誰しもが心に思い描いていた言葉だった。特に亜門は何度も深く深く頷くと、目を輝かせて藤兵衛の手を取った。

「やはり殿は大殿と盟友でったのでござるか! 何という巡り合わせでござろう! 己は感激したでござる!」

「ふん。前にも言うたじゃろうが。少しは儂の言うことを信じよ。ただ……1つだけ謝らねばならぬわ。そのお陰で、儂のせいで龍牙は死んだのやもしれぬ。儂があれを託さねば、そう思った事は一度や二度ではない。本当に……申し訳ないことをしてしもうた」

「はっはっは。殿は大きな勘違いをしておるでござる。秋津の侍が友から受けた意思は、命に代えても果たす義務があり申す。大殿は果てた。それは歴とした事実にござるが、それについて己や秋津国が一言たりとも因果を問うことはありませぬ。そもそも敵は別におりますゆえ。むしろ己は、友から使命を立派に果たされた大殿を、心から誇りに思うでござるよ」

「そう言ってくれたら幸いじゃ。しかし、龍牙がどこに遺骸を置いたのか、死の淵でどう動いたのか、それは儂には分からぬし、正直見当も付かん。帰国の前に遺骸を送ったとは聞いたのじゃが……」

「秋津は海の向こうにある国と聞きます。となれば、ハイドウォーク家の手は伸びません。私たちは決して流れる水の上を渡れないのです。一先ずは安心かと」

「……そうかのう。ここ1年ずっと考えておったのじゃが、儂には1つの仮定があるのじゃ。ルシフェルが行ったあの仰々しい儀式。あれの意味は一体何じゃったのか。奴が行ったのは、大規模な『空間転移』。そして、その行く先はどこか。あれほどの犠牲を出して、あれだけの危険を冒して、奴は何処に行きたかったのか。想像したくはないが、もしかすると……」

 しん、と一同は押し黙った。もしかして、誰しもがその言葉が口まで出かかっていた。楽観視しようとする者、深く考え込む者、皆それぞれに沈黙に身を浸した。

 だが、それを押し破ったのは、思いもよらぬ方向からだった。

「大当たりだぜ、兄ちゃん。ルシフェルの野郎は既に秋津に到達してんぞ!」

 不意に上空から声が響いた。一行が見上げた先には、天を埋め尽くす無数の影。巨大な生物がプーコランドの空を包囲していたのだった。

「これは……龍族! バルア殿ではありませぬか! かつては己を助けて頂き誠にありがとうございました。礼を言えなかった事をずっと気にかけていたのですが……」

「?? ……ああ、その節はドウモゴブサタシテオリマス。あ、シャーロットちゃんにレイちゃん! また一段とキレイになっちゃって」

「ふふ。そちらもお変わりないようで、バルア様」

「あったりめえよ。俺ァ勢いと速度だけが取り柄だからよ。ところでレイちゃん。あそこの金髪のカワイコちゃんは誰だい? この前はいなかったけどさ」

「ん? ありゃ俺らの仲間のリースだけどよ、あそこの童貞の女だ。手え出すんじゃねえぞ」

「ええ!? ……そうだ! 思い出した! 例の空酔のチェリー侍! 勝手に俺をあんな地獄に呼び出してよ! あのガキふざけやがって!」

「ええい、秋津の男子の前で、一度や二度ではない無礼な所業。この場で叩っ斬ってやるでござる!」

《おい、バルア。そこまでにしとけや。こっちは大事な話があんだからよ》

 ぶっきらぼうなもの言いながら、低く威厳溢れる声と共に、龍の群れが真っ二つに割れた。そして空を分かつ中心から、強大な力を秘めた真紅の焔が大地に降り立った。

《久し振りだな亜門。ちったあ腕上げたか?》

 紅蓮に染まった1人の巨龍が、強大な威と微かな親しみを同時に込めて言った。亜門は嬉しそうに大きく頷くと、彼の元へと小走りで駆け寄った。

「アマニ殿! 一体どうなされたか? この威容は一体なんでござる?」

《バルアのバカが言った通りだ。秋津国が……とんでもねえことになってる。本当は詳しく話をしてる暇はねえんだが、この件についてお前らを無視するわけにもいかねえ。少し時間もらうぜ》

 その声を合図に、龍たちは一斉に彼の元へと舞い降りた。彼らの醸し出す異様かつ剣呑な雰囲気に、一同は深く息を吸い込んで成り行きを見守っていた。


 神代歴1279年11月。

 龍が語る崩壊への序曲は、シャーロットたちの未来への調を奏でていった。

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