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第69話「世界変革の時」②

 激戦続く神の都パルポンカン。仲間たち集いし城壁の広場。

 光術の防御壁に集中するリースの背後に、突如として出現した“彼”に気付いたのは、彼女の美しい横顔にたまたま目を奪われていた高堂亜門だった。それは、完全に偶然の産物だった。だが、その後に放たれた強烈な術式から彼女を救えたのは、全くの偶然だったとは断ぜられない。その事態は一行の中で、十分起こり得る可能性の一つとして勘定されていたものだったから。

 空間ごと切り裂くような広範囲の刃の術を、リースを抱えて咄嗟に回避した亜門。そう、それはあまりにも突然で、疾風の闘士レイですら気付きもしない一瞬の出来事だった。

「お? さすがは典膳んことの末裔、ナイスな勘じゃねえの。やっるう」

「……其方がミカエルとやらでござるな。その術は……『転移』?! まさか殿と同じ術を使うとは!」

「へえ。なんか面白いことになってんな。ま、俺にゃ関係ねえが。……『ビエント・グランデ・カトルセ』、んでもって……『メタースタシス』っと」

 男から放たれる複数の術式は即座に発動し、巨大な4枚の風の刃を産むと同時に空間内を移動させ、亜門たちを全方位から取り囲んだ。

「な、何でござるかこれは?! いつの間に死角を……」

「亜門くん、あたしはいいから逃げて! このままじゃ2人とも殺されちゃう!」

「他所で力使ってる分、ヌルい術で悪いな。だがおまえらにゃ十分だろ。んじゃ、女庇って美しく死んでくれや。キャハハハハハ!!」

 同時に襲い掛かる風に、亜門は刀を振るい術を撃ち落そうとするが、苛烈かつ全方向からの攻撃に全く対応しきれず、全身をズタズタに切り裂かれた。

「ぐぅっ!!」

「あ、亜門くん! よくも……許さないわ!!」

「リース、どいてろ! 俺がやる! てめえは術に専念しやがれ! 『紅蓮』!!」

 叫び声と共に放たれるレイの超高速の突進。誰であれ確実に回避しきれない速度、呼吸だったが、男は軽々とそれを回避した。正確に言えば一瞬で、別の場所に自らを『転移』させた。そして拳が空を切り体勢を崩したレイの背後から、無数の炎の術式が注ぎ込まれた。

「ごおおあお! て、てめえ……自在に肉体を転移するだと!?」

「ザコには用はねーから。そこのガキ女を殺すだけでしまいだ。大人しく退いてろよ」

 燃え盛るレイを他所に、へらへらと余裕の笑みを浮かべて男は告げた。唖然とするリースの前に、立ちはだかる漆黒の巨悪。実力差は歴然、主力の2人は重症。ならば……どうするか。どうするべきか。

 しかし、彼女に迷いはなかった。彼女だけではなく、彼ら全員には歴とした覚悟があった。この極めて不利な状況においても、自らのやるべきことを遂行する鋼の如き猛き覚悟が。

「最初に言っとくけど、あたし……死んでも術は解かないから。殺すなら好きにして。まあ無理だろうけど」

「OK。んじゃ殺すわ。内臓ブチ撒いて……っと!」

 嘲笑しながら術式を構築する彼の胸元に、凄まじい闘気が叩き付けられた。彼は余裕でそれを回避したが、術を阻害され不快そうに眉はぴくりと動いた。そこには、消炭の如く全身を焼き尽くされながらも、不断の意思を示す闘士の姿があった。

「『滅閃』!! へっ。なかなか当たんねえもんだぜ。ミカエルの姿のくせに、ずいぶんキマってんなあ、おい?」

「んだよ、マジ面倒だぜ。あれで生きてるとか、どうやったら死ぬのおまえ?」

「生憎、己らは命などとうに投げ捨てておりますゆえ。高堂流『乾坤一擲・炎』!!」

 次に向かいしは、研ぎ澄まされし刃。龍の力を帯びし高堂亜門の渾身を、彼はため息をついて肩をすくめ、すかさず背後の足場に転移した。

「ゲッヒョッヒョッヒョッヒョッ! 貴様の狙いは見え見えじゃて。何故なら、儂と貴様は同類じゃからのう。……見えた! 右上の岩じゃ、虫よ! 亜門は待機して次の動きに備えい!」

「へっ。ガラだけのわりにゃ使えんぜ。『滅閃』!!」

「くっ! マジかよ!!」

 闇より作られし金蛇屋藤兵衛の瞳が捉える、敵の狙いとその動き。着地点を正確に打ち抜かれ、初めて彼の身体に損傷が負わされた。直前に術で威力は大幅に抑えられたものの、胸から滲む血と共に、彼の顔色は怒りと屈辱で露骨に変化していった。

「……なるほどね。やっとバラムの言ってる意味が分かったぜ。おまえ……ただのゴミじゃねえな」

「ふん。今更気付くとは情け無い話じゃの。確かにこの唐変木共は、儂の大切な奴隷どもじゃ。さあ者共、ここで確実に奴を潰せい!」

「誰が奴隷だ! このクソが!!」

「グェポ!!」

「はっはっは。やっといつもの調子になり申したな。後はこの痴れ者を斬るのみにござれば」

「何でもいいから早くしてよ。あたしもう疲れたんだけど」

「……不快だな。どの道、早々に終わらせるしかねえが」

 男は遂に、目を剥いた。漆黒の赤に燃える瞳からは、憎悪と悪意が波動の様に伝わって来た。一同は構えを新たにし、闘志を正面から向けた。

「へっ。んじゃやっか。計画通り俺に任せとけ」

「了解にござる。では後ほど」

「任せたわよ、レイ!」

 レイは闇力を集中させ、全身を異形に包んでいった。と同時に亜門は龍の翼を展開し、リースたちを背に乗せ全速力で逃げ出していった。男はそれを見ると再び余裕の笑みを浮かべ、数多の術式を構築していった。

「それが秘策? ただ逃げてるだけじゃんか。んなの俺が許すと思う? 『メタースタシス』っと」

 男は突進するレイを相手にせず転移すると、空を飛び回る亜門たちに向けて無数の術式を構えた。彼がいかに疾く動いたところで、人には限界というものがある。ましてや彼は本物の龍ではなく、他の人員を背に乗せた速度などたかが知れている。男には即座に、彼らをまとめて斬り裂く算段は付いていた。厄介なのはレイの方だが、すぐに『転移』で可能な限り遠方へ避ければいい。藤兵衛の闇人形は、転移箇所の察知こそ厄介だが、本質的に無力な存在であり、位置取りさえ間違えなければ何一つ問題ない。そう、この状況こそ“詰み”だ。

 彼は全てを確信し、ゆっくりと術を放とうと腕を伸ばした。が、そこで強烈な危機感。強烈な闘気が、自身に近付くのを感じる。迫り来るレイの存在を察知し、彼はそちらに術を打ち付けつつ上空へと転移した。

「きゃあああああ!」

 拳は空を切り、その場で悲鳴が上がった。またしても火達磨になる彼女を見て、彼は嘲りの声を上げつつ亜門を追おうとした。

「ギャハハハ! なっさけねえ声。そんなんで俺を殺そうなんて呆れちま……?!」

「呆れんのはてめえだ! 『辻車』!!」

 気付いた時には、足を取られていた。風に乗り高速で飛来した異形に追い付かれたのだ。間違いなくレイは地上で火に塗れている。ならば誰が? 新手か? その疑問を解消する間も無く、彼の身体は固められ地上へと破壊的な速度で落下していった。

「……へえ。こりゃやられたよ。転移できねえや。まさか『降魔』単独で動けるとはな。こんなん初めて見たぜ。この時代の技術も捨てたもんじゃねーな」

「あいにく……俺は特異体質でね。練習のかいがあったぜ。このままヘドをブチまけな!」

「あ、よく見りゃ例の人形か。多重人格を上手く活かしたわけね。けどよ……笑っちまうな。俺は昔から縛られるのは大嫌いでね! ……『セフィーロ・グランデ・デッド』!!」

 男は嘲笑気味に頬を歪め、一瞬で自身の周囲に風刃の鎧を生み出し、異形そのものと同化したレイの腕をも容易に切り裂いた。だが次の瞬間、周囲から打ち込まれる螺旋の軌道。銃撃が四方八方から撃ち込まれるも、彼は舌打ちだけを残して簡単にそれをいなした。

「おいおい、本気かよ? そんなニセモンじゃ俺に傷1つ付けらんねーぜ」

「ホッホッホ。そうじゃのう。それはそうじゃろうて。いやあ、参ったわい。このままではやられてしまうのう」

「……あー、マジ邪魔くせえな。もういいや。とりあえず全部壊滅させてやるよ。禁術……」

「遅いよ! てやあ! 必殺……『キック』!!」

「ああ!?」

 レイの身体を借りたセロの飛び蹴りが、術を行使する隙間を縫って後頭部に向けて放たれた。闇力も技も糞もない力任せの一撃は、容易に回避されて彼女はぐらりと体勢を崩した。

「な、何をしておるか似非虫! 儂の指示に従えい!」

「お、おいセロ! 勝手に動くんじゃねえ! 俺が戻るまで待ってろ!」

「……許さないぞ! ミカエル様はボクがお助けするんだ! お前なんかの好きにはさせないぞ!」

「へえ。おまえが例の……。人間にもなりきれない人形風情がよく吠えたもんだ。おまえさ……自分が何だか本当にわかってんの?」

「やめろ! 聞くんじゃねえセロ!!」

 男の邪悪で楽しそうなニヤつきに、セロの表情が瞬間的に強張った。必死で駆け付けようとするレイに向けて、術式の嵐が巻き起こった。ついでとばかりに亜門に術を放ち阻害しながら、彼はセロの顎を掴んで、ぐいと自分の顔の近くに引き付けた。

「な、何言ってるの?! ボクはただの人間で……」

「あっそ。黙ってたんだ。ハニエルもバラムも罪な奴らだよ。ま、幸せでいいんじゃね?」

「お前は……何を……ボクは……!!」

 彼はいきなりセロの唇を奪い、無理矢理に邪悪な闇力を注ぎ込んだ。嗚咽すらも封じられてその場で力を失う彼女。藤兵衛の銃撃もレイの攻撃も転移して回避し、彼はセロをその場に投げ捨てて心底愉快そうに笑った。

「アッヒャッヒャッヒャッ! よかったじゃん。愛しのミカエル“様”に奪ってもらってよ。なあ、おまえが人間で、中にいる奴が人形。本当にそう思ってんの?」

「う、嘘だ! ボクを謀って何になるっていうんだ!」

「人聞き悪いな。俺はただ真実を教えてやってるだけだぜ。ったく、知らないとはいえ、ひでえことするよなあ。本当の持ち主を寄生虫呼ばわりして、当の本人はいい子ちゃんぶるなんざ。よく俺のこと偉そうに言えたもんだよ」

「……くっ! セロ! 聞くんじゃねえ! こいつの言ってることはぜんぶデタラメだ!」

「嘘だ! 嘘だ! ……嘘だああああああ!!」

「アヒャーッヒャッヒャッヒャ! 現実逃避たあ見てられないね。これからもよろしく頼むぜ。“お仲間さん”よ。さて、まずはおまえからだ。絶望の中で死んでけよ。俺は急いでんだ。……『ソル・ウルティマ』!!」

「ふざけんな! 今行くぞセロ……ぐううう!!」

 セロの張り詰めた気が一気に弛緩した。それを見逃すほど男は甘くはない。彼は瞬時に高等術式を構築し、彼女に向けて放った。レイは風を纏い駆け付けようとするが、彼は同時に突風を放ち足止めした。セロはへたり込んで足を動かせず、ただ放心に至るのみだった。みるみる内に熱が放たれ、そして走る死の予感。

「あ、ああ……ボクは………」

「ふざけんな! こんなとこで終わらせられっかよ! クソ商人、なんとかしやがれ!」

「この距離では間に合わぬ! ……ええい、一か八かじゃ! ……『転……」

「……ワシに任せい! 全てのケリを付けちゃるわあ!」

 声が、風と共に訪れた。膨大な闘気が2人の間に割り込むと、死の閃光を真正面から受けた。轟音が鳴り止む頃にそこにあったのは、全身を吹き飛ばされ胸から上だけになった老闘士の姿だった。

「ガ、ガンジ!! ……どうして?!」

 セロの絶叫。彼は全てを失いながらも、不屈の姿勢のまま焼き尽くされ、その場に沈んでいった。涙ながらに手を伸ばすセロに、彼は皺だらけの顔に更に皺を刻み、大きく太陽のように笑った。

「ダッハッハ。セロよ……何ちゅう顔しちょんじゃあ。おどれがどこの何モンだろうと、ワシにゃあ関係ない。ワシはおどれを……いや、おどれらを……」

 そこまで言うと、ゆっくりと彼は崩壊していった。頭部から徐々に塩の柱と化し、風に飲まれる砂のように消え去っていった。セロは絶叫しながら、彼をありったけの力で抱き抱えた。

「いやあああああ! ガンジいぃぃ! 死なないでえええ!!」

「聴こえて……るか? ……レイよ。ボンとセロを……頼んだぞ……おどれらは……ワシの娘じゃけえ。最後に……ワシから……すぐに来るはず……降……」

「ガンジいいい! いくんじゃねえ!!」

 そして、全てはその場から消え失せた。後に残るは泣き叫ぶセロと、心底おかしそうに笑い転げる男の姿だけだった。

「アッヒャッヒャッヒャ! こいつは喜劇だぜ! あの面倒くせえガンジが、よりによってゴミを庇って死にやがった! ああ、面白え。これだから下界は最高だぜ。“裏切り者”にはうってつけの最後だなあ」

「……」

「さて、逃げたゴミどもは捕らえられたな。おまえとも遊んでやりてえが、俺も立て込んでてな。仇討ちだろうと何だろうと、あいつらを殺した後でゆっくり付き合ってやるよ」

「な!? こ、これは……行く手が阻まれておるでござる! ……ええい、……斬れぬ!」

「切れ目を探すしかないわ! ココノラ、ビッツ。あたしに捕まって! 必ず亜門くんとレイが何とかしてくれるから!」

 男の前方の空間には、いつの間にか強大な術壁が構築されていた。湾曲した空間の捩れに阻まれ、亜門たちは行くも退くも出来なくなっていた。男は満足そうに頷くと、彼らに向けてゆっくりと術を向けようとした。だがその時、天から真紅の流星が舞い降りた。“それ”は術空間を容易く切り裂くと同時に、音を立ててセロの心臓に突き刺さったのだ。

「っ!! こ、これは……」

「あ?! 『降魔石』だと? しかもこれは……」

「……なるほどね。そういうことかよ。ただじゃ死なねえってか。おい、クソ商人。最後の策はちと待てや。俺を信じろ。……ガンジとセロを信じろ」

「ふん! 好きにせい。儂は行っておるぞ。此方も時間が無くてのう。……さっさとあの阿呆をぶちのめすのじゃ!」

「ったりめえだ! 行くぜセロ! 今こそ……1つに!! ……降魔『フェンリル』全開だ!!」

「うん! ガンジ……見ててね。……『降魔・トール』!!」

 みるみる異形へと変化していくセロの身体。畳み掛けるようにそこへ舞い戻るレイの降魔。暴風と稲光が凄まじい規模で同時に巻き起こり、戦場全体を崩壊せんばかりに揺らしていった。不審は不穏へ、そして微かな焦燥となり、即座に術を放とうとする彼の視界に、凄まじい閃光が走った。咄嗟に空間転移で避けたものの、彼の手からは血が滲み術式は跡形も無く崩壊した。攻撃を当てられた事実に感心する暇もなく、彼は次なる閃光を視界の隅に捉えていた。

「……ずいぶん早えや。でもよ、それだけじゃ何も変わらねえぜ。俺は逃げるだけでいいからな。……『メタースタシス』!!」

 発動しかけたその時、彼の全身に違和感。動きが、確実に鈍い。というより、動かない。腕の先から痺れが広がり、咄嗟の反応が遅れる。そう、これは……電撃!!

「ああ?! こりゃまさか……『トール』?! まさか2つの降魔を同時に取り込みやがったのか? こんなこと……」

「ボクの中に、確かにガンジが残っている! お前なんかに……お前なんかにボクらは負けはしない! ……いくよ、レイ!」

「へっ。ずいぶんと景気いいこった。まあ俺のやることはなにも変わらねえが……だいぶムカついてはいっかんな。セロ、降魔を俺に合わせろ! ……多重降魔『滅閃・重』!!」

 気迫と共にレイの拳が怪しく蠢いた。それは、かつての彼女のどの技とも違い、闘気を風と稲妻に変換させ層のようにして纏い、螺旋状に複合回転していた。その威力は、男が咄嗟に展開した防御用の7層の術式を容易く打ち破り、彼の胸元に渾身の破壊を打ち込んだ。

「ぐ、ぐおおおおお!!」

 その破壊力は凶悪そのものだった。撃ち込まれた衝撃は多重に内側から体組織を破壊し、骨の髄まで衝撃を伝えた。彼は血反吐を吐きながら50メートル以上吹き飛ばされ、地面に激突して土煙の中で見えなくなった。更に追撃を試みようといきり立つセロを、レイが心中で制した。

「やめとけセロ! これ以上は意味ねえ。いったん退くぞ」

[なんで!? 絶好の機会じゃない! ここを逃したらガンジの仇は討てない!]

「うるせえ! トーシロがガタガタぬかすな! さっきのはマグレだ。絶対に2度目はねえ。さっきあいつに触れた時、俺にはわかったよ。ありゃ……マトモじゃねえ。あんな深え闇に触れるのは生まれて初めてだ。間違いなく、奴には“その先”がある」

[で、でも……間違いなく効いたでしょ? ボクらが協力すれば……]

「そもそもだ。アレ食らって原型留めてる時点でヤバすぎるぜ。あのわけわかんねえ転移能力に加え、『降魔』までされたら即オダブツだ。ともかく今は退くぞ。いいな!」

[そ、そんなの知らないよ! ボクはミカエル様を救わなきゃ! ガンジの仇を討たなきゃ!]

「……俺も同じ気持ちだよ。初めて意見が合ったな。だが、それは今じゃねえ。俺はお嬢様を信じる。んでお嬢様が信じるあのクソを、あんま信じたくねえがまあ信じてやらねえこともねえ。で、だ。あのどうしょうもねえクズ野郎が言った。策がある、今は退けと。だから俺は退く。てめえも信じろ。俺たちゃ……2人で1つだ。望む望まねえはさておきよ」

[……うん。わかったよ。納得は出来ないけど、今はケンカしてる場合じゃないもんね。だとしたらすぐに行こう。みんなが心配だよ]

 2人の意見は1つになり、同じ身体の中、意識の中、同じタイミングでにこりと笑い合った。だが次の瞬間、レイはキッと目を剥くと、刹那にその場を後にして空中へ跳んだ。その瞬間、先程まで彼女のいた場所に空間の亀裂が巻き起こり、地面がざくりと抉り取られた。

「おっとと! まあ回復早えこと。ウチの童貞侍なみだぜ」

 音を超える速度で飛び回りながら、レイは悪意の中心の方を向いて軽く口笛を吹いた。ほぼ再生を終えた男は、苛立ちを隠すこと無く前面に示し、内から湧き起こる闇の密度を高め続けていた。

「……やられたぜ。まともに殴られたのなんざいつ以来だかな。マジでイラついたよ。あと数分……久々に本気で行くぜ。この空間ごと消し飛ばしてやんよ!」

 強烈な闇力が、男を中心にスザク中から集まっていった。彼から放たれる力は球体に変化し、神都全体を飲み込んでいった。このままでは彼が言った通り、空ごと仲間たちは押し潰されてしまうだろう。見たことも感じたこともない絶望的な力に、内なるセロは冷や汗をかいて見つめるだけだった。

 だがレイは動じない。この程度の窮地で、たかが自分が死ぬ程度の危機では、彼女は決して動じることはない。

「……てかよ、こんなとこで油売ってていいのか? てめえやることあんじゃねえの?」

「命乞いかよ。見苦しいぜ。先程あの商人も、惨めに地に頭をつけてたけどよ。どうやらこの時代のゴミ共は、誇りより命を取るみてえだな。まったく……見苦しいにも程があるぜ」

「ああ、そういや思い出したぜ。そのゴミの親玉からの伝言だ。『あの大物気取りの無能をおちょくって、可能な限り時間を稼ぎ、大技を使わせろ』だとよ。つうわけで、俺の任務は完了だ」

「……!!」

「おっと、噂をすりゃナンタラか。ちょうど“来て”やがるぜ。特別に聞かせてやらあ」

 レイは不思議な色に輝く指輪を男に突き付けた。そこから届く低いダミ声は、嘲笑の侮蔑の色を存分に入り混ぜて、今にも破裂せん闇の中心に突き刺さった。

「ゲッヒャッヒャッヒャッヒャッ! 無駄な努力ご苦労じゃのう。貴様の無能さに心底礼を言うわい」

「つまんねえハッタリはよせや。おまえなんぞに何が出来るっての? ザコがいきがってんじゃねえぞ!」

「ケッヒョッヒョ! 確かに貴様は強い。儂など束になっても敵わんじゃろうて。時に……貴様は疑問には思わぬか? その事実を認識する儂が、何故あの女を連れて来なかったかを。唯一貴様に相対可能な術士、偉大なる神の末裔シャーロット=ハイドウォークがこの場に不在である理由をのう!」

「……!!」

 その言葉の意味を、即座に彼は理解した。と同時に集中し感知すると、城壁の反対側に、彼の預かり知らぬ凄まじい闇力の反応。明らかに通常ではない事態に、彼の顔から遂に笑みが完全に消えた。そう、彼の視線の先にあったのは、言うまでもなく魔女シャーロット=ハイドウォークと金蛇屋藤兵衛の姿だった。

(マジか! あのクソは最初からこれを……なら俺はこんな所で……)

「無駄じゃ無駄。貴様の古ぼけた頭では、この時代を統べる儂を謀る事は出来ぬ。果たしてうかうかしてる暇はあるのかの? ここで虫らを皆殺しにするが貴様の大義か? 貴様には守るべき物があるのではなかったかのう? ほれ、よう考えい」

[だっさ! 引っかかってやんの。今、王城は丸裸で、シャーロットの準備は万端。ぜんぶお前の無能のせいでね!]

「……考える余地はねえか。くっだらねえ。マジでクソだな。ああ……おまえマジめんどくせえなあ!!」

「ま、そーいうのは後でほざいてくれや。ウチのクソは“こういうの”しかできねえ。クソ商人の言う通りだな。てめえが無能で本当に助かったよ。礼を言うぜ。……おい、リース! もういいぜ! 解除しろ!」

「へえ。思ったより早かったじゃない。ってもあと1分もしないで力尽きてたんだけど。んじゃ、ただの足止めにお付き合い頂きありがとうね。イカしてるわ」

「はっはっは。これだけ殿の絵図通りですと愉快千万ですな。秋津の格言に『遠路行ききとも団子に甘露』とあり申す。其方もよく勉強するでござるよ」

 その言葉が耳に届くと同時に、男は城内へと転移していた。リースはそれを確認すると即座に結界を解除し、光の羽は飛び散り王城を無防備に晒した。既にその時、男は城内に転移し、心配そうに見つめるベロニカと目深に顔を隠したバラムには一瞥もくれず、神都全体に防御壁を張ろうとした。

 だが、それは遅すぎた。

「シ、シャルや。これは……余りにも巨大過ぎるぞ! お主、今までこんな馬鹿げた闇力を振るっておったのか!?」

「ええ。これが今の私の全力です。この一撃で全てを……終わらせましょう!」

 身を寄せ合い両手を銃に添えて、2人は持ち得る力を合わせた。彼女から受ける闇力の圧にミシミシと銃身が悲鳴を上げる中、藤兵衛は全ての闇力を心中の『賢者の石』から引き揚げた。

「おい。聴いておるか? 儂に巣食う不遜な石ころめが。急で申し訳ないが、今この時より家賃は引き上げじゃ! あらん限りを振り絞れい!」

「……来ました! 全闇力を極限密度まで集中! いつでも行けます!」

「合点じゃ! 貴様の絵図など儂には児戯に過ぎぬ。この金蛇屋藤兵衛を舐めるでない! 魔弾『ザミエル』!!」

 理論上極限まで高密度に練られた闇力が銃口で破裂し、行き場を求めるように空間を抉り抜きながら、王城の1点を目掛けて振り下ろされた。発すると同時に銃は粉々に粉砕され、反動で2人は後方に激しく吹き飛ばされた。闇の螺旋は不気味な程にゆっくりと、空間を歪めながら男の多層結界を苦もなく粉々に粉砕し、それだけでは終わらず城内を縦横無尽に駆け巡り、彼らが居る上部を飲み込まんとうねりを増した。

「ど、どうするざあます! このままではいけませんよ!」

「あの威力……排除は無理でしょうね。一度退避をするしかありませんか」

 狼狽えるベロニカと対照的に、冷静に告げるバラム。そして、ミカエルの姿を借りたこの男は、顔を怒りで赤黒く染めつつも、極めて無機質に断じた。

「あー……もういいや。俺らの負けだよこりゃ。術士も城も何も要らねえや。全部切り捨てろ。霊子炉を遮断し、今あるエネルギーを『楔』に集めろ。俺たちだけで行くぞ」

「し、しかし……ここまで尽くしてくれた皆を見殺しにするざあますか?! また機を伺って……」

「んなこと言ってる場合じゃねえさ。このままじゃじきに飲み込まれるぞ。バラム、GOだ。『楔』を限界突破させろ。そのエネルギーで実行する」

「……は。仰せの通りに」

 彼らは迫り来る危機の中、集中して一気に城内中央部の『楔』に闇力を逆流させた。只でさえ過熱気味の『楔』はピシリと不吉な音を立て、崩壊と同時に一気にエネルギーを解き放った。

 轟音。

 王城全体が、けたたましい音を立てて崩れ去っていった。あまりの惨状に藤兵衛は目を丸くして、隣で佇むシャーロットを見遣った。

「な、何じゃ!? これでは……皆殺しではないか! 何とかならんのか、シャル!」

「あれは……私たちの術によるものではありません。彼が中の人々を見殺しにして、『楔』を自爆させたのです。その力を使い、どうやら別次元に逃げた模様です。最初からそれが彼の目的だったのでしょう。人の命を……何だと思っているのですか! ああ、なんという悲劇でしょう……」

 目の前の惨劇に歯を食いしばるシャーロット。だが藤兵衛はそんな彼女の手を強く握りしめると、ゆっくりと言い聞かせるように言った。

「シャルや、気を強く持つのじゃ。後悔なぞ一銭にもならぬぞ。今拾えるものだけを、確実に拾わねばならぬ。お主は女狐と協力し、全力で生き残った者を救えい」

「はい。もとよりそのつもりです。貴方は……どうされるのですか、藤兵衛?」

「決まっておる。儂はあの狂人どもに一太刀浴びせてくれるわ。まだ『魔弾』は生きておる。空間だの転移などは儂の領域じゃ。それでよいな?」

「ええ。そうですね。今は、私に出来ることを真剣に取り組まねばなりません。貴方の言う通りです、藤兵衛。ありがとう。貴方はいつも私を救ってくれます」

「ホッホッホ。それでよい。常に前向きが金蛇屋の社訓じゃて。儂の妻になるのならよく覚えておくがよいぞ」

 シャーロットは複数の術式を構成しながら、漠然と耳の奥に届いた言葉の意味をゆっくりと咀嚼し、理解に至ると同時に顔を赤らめて目を潤ませた。藤兵衛は彼女の顔を見ることなく、キセルをふかしながら魔弾の制御に集中していた。

「と、藤兵衛?! 今の言葉、一体どういう意……」

「ふん。今は集中じゃ! 全てが終わったら幾らでも……何度でも言うてやる故、ともかく今は目の前の事態に集中じゃ! よいな?」

「……ふふ。分かりました。これは約束ですよ。商人は約束を守らねばなりませんから」

 今の2人の間に言葉は必要ではなかった。空気すらも湿り気を帯びる暖かな世界の果てで、彼らの指と指はしっかりと絡み合っていた。シャーロットの術によって生まれた皮膜の如き術空間により、落下していく王城の速度が低下していく最中も、光の羽に包まれし2人の世界は静かに輝きを増していった。


 異空間。王都、玉座が設置された部屋。

 謎の技術により空間を移動する彼らは、先程味合わされた屈辱に口を閉じ、ただ全身を震わせていた。部屋の中にはずっと、何処か気まずい空気がただひたすらに流れ続けていた。

「さて。航行は一先ずは安定した模様ですね。目的地までは何とか飛べるかと」

 バラムの冷静な声が静かに響いた。だが男は何も言わない。言おうとしない。目は空の一点を貫き、歯嚙みの音が不規則に鳴り響いていた。

「一安心ざあますね。ともかくカリス達と合流し、後のことはそこから考えればいいざましょう?」

 沈黙。あまりに深い沈黙。男のプライドはズタズタに引き裂かれていた。先程の光景を思い出しただけで、怒りが脳から逆流しそうになる。そんな彼に侮蔑の一瞥を向けてから、ベロニカは自らの思案に暮れていた。

 静かな時間が流れて行く中、やっとのことで落ち着いた男は、隣で侍るベロニカの肩を無理矢理に抱き、狂気の熱を発散させようとした。だが……その時!

「ケヒョーッヒョッヒョッヒョ! 何じゃ、女の肩を借りねば立てもせぬか? 随分と撫で肩の“神”もあったものじゃのう」

 空間の亀裂から颯爽と登場したのは、他でもない金蛇屋藤兵衛。正確に言えば、彼の形を借りた闇力の塊だった。3人は一斉に術式を構えて、この忌まわしき宿敵を迎え撃とうとした。

「おのれ! どこから入り込んだざあます! 薄汚いドブネズミが!」

「そのネズミにいいようにやられた蛆は何処の誰じゃ? いやあ、傑作じゃったわい。愉快痛快とは正にこのことよ」

「……金蛇屋藤兵衛、とか言ったな?」

 男は正面から真紅に染まる眼で藤兵衛を見つめた。闇力が2人の間で渦となり、彼目掛けて巻き上がっていった。常人であれば魂魄抜かれんほどの殺気に晒されても、彼は決して動じない。そう、この男は動じない。

「如何にも。儂こそがこの世界の王、金蛇屋藤兵衛その人じゃ。言わば、現代における神に等しい存在じゃて。覚えておいて損はないぞ。畏れ慄き平伏すがよいわ」

 言い終わるや否や、藤兵衛目掛けて四方から強烈な術が飛んできた。だが彼はせせら嗤いながら、その場でふわりと掻き消えて、空間を移動して部屋の対偶へと転移した。

「な!? 自己転移術『メタースタシス』ざあますか! こんなゴミがまさか……」

「そこの間抜けの真似じゃて。未だ肉体は転移出来ぬが、闇力ならば元より自由自在じゃ。何れ貴様も超えて見せようぞ。要は儂らは“同類”じゃ。何せ同じ“神“じゃからのう」

「……御託は要らねえぜ。用件あんなら言えよ。聞くだけなら聞いてやるぜ」

「それがのう……特に無いのじゃて。強いて言えば、貴様の無様な負け犬面をこの目で直接見てやろうとしただけじゃ。……おっと、少々もよおしてきたわい。ちと失礼するぞ」

 そう言って藤兵衛は着物をたくし上げると、彼らの怒りの視線に晒されながら、堂々と小便をし始めた。男達は眉を顰め、ベロニカは思わず目を伏せて怒り狂った。

「な、なんて下品な男ざあます! 容赦はしませんことよ! ブチ殺してやるざあます!」

「……よせ。奴の挑発に乗るんじゃねえ。きっと何らかの罠だ。あのクソに迂闊に手を出すと痛い目を見るぜ」

「ゲッハッハッハッハ! これは只の小便じゃ。アテが外れてしもうたのう。……ふう、一太刀浴びせてすっきりしたわい。では、儂はそろそろ消えようぞ。闇力が保ちそうもない故な」

「よくもまあ……厚かましく嘘八百を並べられますね。見たところまだ余力はあるでしょう? お二人共、この男の言葉に耳を傾けてはなりません。彼は人間の業を、醜き部分を掻き集めたような存在であり……ある意味では人心操作の天才です。この手の部分で、私達は決して太刀打ち出来ません」

 業を煮やすように吐き捨てるバラムに対し、藤兵衛は悠然とキセルをふかしながら、垂れた目尻を更に下げ、にやにやと虚仮にした嘲笑を返した。

「よう言うのう。よりによって貴様が、ハイドウォーク家随一の策士様がのう。おい、そこの無能に白塗女。よう覚えておくがよい。彼奴は、バラムと名乗る男は、貴様らには見せぬ一物を抱えておるぞ。儂はよう知っておる。彼奴も別の意味で儂と“同類”じゃ。くれぐれも気を抜かんことじゃな」

「……貴様!!」

 怒りと共にバラムの発した術は、さも当たり前のように空を切った。へらへらと笑いながらふわふわと宙を舞う藤兵衛に、男はバラムを制しながら初めて、彼に向けて真っ直ぐな笑みを浮かべた。

「……おまえのことはよく分かった。どうやらよ、俺達の宿敵足り得る存在らしい。おまえが付いてる以上、シャーロットにはそうそう手は出せねーみてえだな」

「ホッホッホ。儂を謀ろうなど1000年早いわ。微塵も思っておらぬじゃろうにのう。じゃが……ここからは“逆”よ。今日この瞬間を以て、儂らは貴様に宣戦布告する。これからは貴様らが追われる立場じゃ。腹を括って臨むがよい。そこの使えぬ婆と……全く信頼出来ぬ男と一緒にの」

「フッ。まあいいさ。俺らは只の一時的な協力関係だしな。だがおまえは絶対に殺す。必ず八つ裂きにして、腑をシャーロットの前でぶち撒けてから、こんがりと焼き尽くしてやるぜ。蛇を名乗ってんだから丁度いいだろ? ま、せいぜい覚悟しておけよ」

 2人の間に独特の緊張感が流れ、彼らは闘志に満ちた微笑を同時に浮かべた。それを合図にするように藤兵衛の体はぼやけ、輪郭が朧になっていった。

「ふうむ。やはりこの辺りが限界かの。これが最後じゃ。貴様……いい加減名を名乗れい! この金蛇屋藤兵衛、脳髄の片隅に刻んでおいてやるわ」

「な、何という傲慢な言い方でしょう! 答える必要などないざあます!」

「フッ。まあいいぜ。俺の名はルシフェル。ルシフェル=ハイドウォークだ。金蛇屋藤兵衛、か。俺が覚えた数少ねえ人間の名だぜ」

「ふん。くれぐれも忘れぬようにの。では暫しさらばじゃ。……そうそう、言い忘れておった。この通信はの、自動的に消去されるのじゃった。つまり……貴様らはここで終わりじゃて! ケヒョーッヒョッヒョッヒョ!!」

 言葉が途切れると同時に、藤兵衛の身体を構築する闇力が一気に爆ぜた。ルシフェルは顔を歪めて防御術を即座に発動させたが、至近距離での大爆発を全て防ぐのは不可能だった。肉体への損傷こそ皆無だったが、機器や配線を焼かれ、不安定になる室内。慌てて事後措置に追われるバラムとベロニカを一瞥すると、ルシフェルは内側から湧き出る不思議な感覚に襲われて、再びにやりと不適に笑った。

「金蛇屋藤兵衛……か。どうやらこの時代にも骨のある奴はいるみてえだな。懐かしいぜ。……ソウタ、典膳、そして……姉貴」

 それは、天空に浮かぶ城の物語。人間の大いなる夢と希望を秘めた神の都は、闇の一族の内紛にて地に堕ちた。しかし、そこに込められた一抹の希望は残り続ける。人が人である限り、希望が失われることは決してない。少なくとも、ここに集う金蛇屋藤兵衛と愉快な仲間たちはそう信じていた。


 神代歴1279年9月。

 熱波と嵐の国、争いと混迷の国、神と人が交わる国スザクでの冒険は終幕を迎えた。

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