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第67話「死闘の果てに」

 天空に浮かぶ神都パルポンカン底部側面、崖沿いの荒地。そこに、彼らはいた。拳を振り上げて、脚で大地を蹴って、持てる限りの力を振り絞って。

 ハイドウォーク家執事であり、最古参の家中である豪雷のガンジは、主人からの秘術『強制降魔』により正気と呼べる状態を失い、全身に真黒の黒雲を纏いながら怒りの雷を放ち続けていた。一方、魔女シャーロットの従者たる疾風の闘士レイは、銀に亜麻色が混じった短い髪を掻き乱して、風を巻き上げ踊るように空を駆け続けていた。

 ガンジの一撃一撃は鉛のように重く、その拳は鋼のように固く、込められた雷は防御すら不可能な破壊力だった。しかし、その攻撃は今のレイには当てることが出来ない。風と一体になった彼女は世界そのものと溶け合い、頬を撫でる風は暴風と化し、圧倒的な速度による暴力を放ち続けていた。

「ああ、すげえ風が気持ちいいぜ。こんな気分は初めてだ。まずは…… 『桜花』!!」

「ぐうっ!? なぜおどれがそれを使えるんじゃあ!? 『雷纏』!!」

 レイの腕がしなやかに動き、変幻に満ちた拳が舞った。正中線に向けて一発、二発、三発……いや、五発。全く反応出来ずに攻撃を受け、地割れのような音を立てて吹き飛ぶガンジ。レイは体表に張り巡らされた雷を反動でもらうも、痺れる身体を揺らして体勢を整え、心底面倒そうに大きく舌打ちした。

「ちっ。完璧だと思ったがクソみてえな力でズラされて、しかも追撃も遅れるときた。ったく便利な降魔だぜ」

 ガンジは墜落直前に地面を蹴り空を舞うと、狂気に染まる目をレイに向け、激しい憎悪を込めて大きく吠えた。

「おどれ……セロをどこにやったんじゃあ! その身体、その魂……あいつはどうなったんじゃあ!」

「知るかバカ! てめえで見極めろ! んなことよりよ……ずいぶんとお優しい動きじゃねえか。『強制降魔』なんざ使われやがって、ザマあねえな。威力は上がってるみてえだが、それだけじゃ今の俺にゃ勝てねえぜ」

「ぬかせぇえええ!!」

 再び、破壊の風と雷が吹き荒れた。周囲の地形を変化させながら、2人のどつき合いは続いていた。攻撃の重さと速さ、二つの概念が交差し、その結果としてレイの絶風がガンジを押していった。リズムに乗りながら連打をさらに繰り出す彼女に、劣勢を自覚したガンジは両手を突き出して重ね、狂気に包まれた怒号を放った。

「調子に乗るな! 薄汚い人形風情が! 『滅閃・包雷』!」

 ガンジの重ねた掌から、幾層にも雷が重ねて構築されていった。やがてそれは球体の形に膨れ上がり、網のように広範囲に展開されて突進を阻まんとした。だが、レイは止まらない。彼女の拳は風に乗って渾身の溜めを効かせ、留まることなく一直線にガンジへ向けて引き絞られた。

「んなモンで俺を止められっかよ! 今も昔も……俺は退くこたあ知らねえ! 『紅蓮』!!」

 レイの気迫と共に、超高速の風が吹き荒んだ。速度を増すにつれ、彼女の体躯は徐々に楕円形に変化し、そして槍の如く角度を失っていった。やがて閃光と化した彼女は、怯むことなく真っ直ぐに雷球に突っ込んでいった。何層もの雷に晒されて焼け焦げる身体、痺れて動かぬ神経、失われる意識。だが……確実にガンジに突き刺さる暴風の拳。

「ぬううう!! おんどれぇえ!!」

 避ける暇もなく胸元を抉り取られ、弾かれるように崖から落下するガンジ。その姿を横目で見ながら、レイは倒れ込み荒い呼吸を整えていた。

(……クソが。体が動かねえ。だが……手ごたえはあった。『強制降魔』は降魔の宿る心臓付近への呪い。その辺りを吹き飛ばしてやったはずだが……)

[ちょっと! やり過ぎだよ! まさか自分から雷に突っ込むなんて! ボクまで死んじゃうよ!]

(うるせえ! てめえはすっこんでろ! まとめてブチ殺すぞ!)

 胸の奥から響く執事セロの弱々しい声に、苛立ちを全く隠さず怒鳴りつけたレイ。息をぜいぜいと吐く彼女は、何とか体を支えて闘志を両の足に込めた。

[ヒイイイイ! ほ、ほんとにやりかねないから困るよ。お願いだからさ、早くミカエル様のところへ連れてってよ。あの損傷じゃ……いくらガンジでも立ってこれないよ]

「……もしそうだったら、どんなに楽なことかよ」

 その言葉を裏付けるように、崖下から膨れ上がる膨大な闇力。レイは確信する。間違いなく、ガンジは自らの意思で『降魔』を全霊で発動させた。レイは未だ自由の効かぬ身体に気合を入れ、負けじと闇力を集中させた。

[あ! 来る!! この感じ……まずいよ! 全霊発動してる! レイ、どうするの?!]

(ガタガタぬかすな! やるこたぁ1つしかねえ。俺は奴を……ブチのめす。てめえが持ってる『降魔』の半身、俺に貸しやがれ! その片割れがありゃあ俺も極限まで引き出せるはずだ)

[え?! でもさ、そんなのやったことないでしょ? なんでそんなこと言い切れるの?]

(やらなきゃ殺される。そんだけだ。今はやるしかねえ。理解したか? なら行くぞ! ……『降魔・フェンリル』!!)

[ほんと……キミはいっつもそうだね。少しはボクの身にもなって欲しいもんだよ。……これはガンジから貰ったものなんだ。大切に使ってよ。……『降魔・フェンリル』!!」

 1つの肉体の中の2つの魂が、遂に溶け合った。闇力が滝のように湧き出て、心臓の一箇所に集中していく。2人は今迄感じたことのない高揚感を、興奮を、揺らめきを感じていた。それは肉体だけではなく、彼女らの中心に据えられたものにまで作用していった。2人の耳に声が聞こえる。声というより、音。音色。擦り切れそうな魂の狭間に流れる声。“それ”は響いた。“彼女”は言った。「今こそがその時だよ」と。そして2人は同時に頷いた。予め察知していたかのように、深く、大きく。

 異形と化したガンジが城壁に辿り着いた時、レイは暗い闇に飲み込まれていた。明らかな異変、彼はそれを好機と捉えた。彼の異形は、圧倒的な暴力を産む化身だった。雷神トールはハイドウォーク家の所有する降魔の中でも、紛れもなく最高位の1つ。彼とまともにやり合える存在は、世界でも数える程だろう。彼はそんな自分の力を過信していた訳ではない。この老兵はそこまで愚かではない。だが、自分の力の大きさを自覚し、それに沿って行動し、結果を残してきた自負はあった。

 一方のレイはどうか。作られた“器“に強制的に降ろされた存在。戦闘技術はガンジに与えられたもの。『降魔』とて特殊能力の1つも持たぬ、下級に位置しているものだった。戦いに殉じた年月も圧倒的に彼に劣る。少なくとも、彼はそう思っていた。思わされていた。

 ガンジは空中で両手を広げ、そこを軸に強大な雷撃の槌を形作った。渦巻く力が周囲の空間をねじ切っていったが、その間レイは微動だにしなかった。ただそこに立ち、虚ろに目をやるだけだった。

「……終わりじゃあ。セロよ、どうかワシを許してくれえ。何もしてやれんこのワシを……せめて一思いにしてやるわあ! 『極雷槌』!!」

 破壊が形を成し、地を穿った。そこにある地面ごと隕石のように抉り抜き、絶大な破壊の咆哮が木霊した。破砕の衝撃を受けた一帯は全て崩れ落ち、みるみる地面へと落下していった。ガンジは空気を蹴りながら彼女の姿を目を凝らして見つめたが、そこには生物の痕跡など一欠片も確認出来なかった。彼は目を伏せ奥歯を噛み締めた。が……その時!

「おせえ!!」

 風と、痛打。空を駆けるレイの拳は、ガンジの腹部にめきりとめり込んでいた。即座に自動的な反撃の雷撃が放たれる刹那、レイは神速の動きで拳を引き、彼が気付いた時には既に次の行動へと移行していた。

「ごおっ! (な、何じゃああの速度は!? まるで捉えられん!)」

「見えるぜ。てめえの動きが全て! 俺は……」

[お願いガンジ! もうやめて! 今のボクらは……〕

 獣を取り込んだ異形の姿となった彼女は、閃光の如くガンジを飛び越えつつ、後ろ足で回し蹴りを放った。攻撃は顔面を捉え、またしても反撃の雷は間に合わない。

「ッツ!! おんどれぇ! ゴミ人形の分際で! そんな下級降魔でこのワシに!!」

「……んなのはよ、もうどうでもいいぜ。俺は……レイだ! 他のなんでもねえ、ただのレイだ!! てめえをぶちのめす奴の名前くれえ覚えとけ!」

「じゃかあしい! さっさとセロを返すんじゃあ!」

 再び始まる空中のどつき合い。だが先程とただ1点違うのは、レイが一方的に殴り続けていることだった。ガンジの攻撃は先程より遥かに強力で、一撃まともに貰っただけで瞬時に消し炭になるのは明白だった。だがレイは、全ての攻撃を完全に避け切っていた。その目で、皮膚で、鼻で、全ての神経で風を感じて。

(……クソがぁ! 全く当たらん! これは本当に……)

 ガンジの顔に焦りが見え始めた。敗北の2文字が頭をよぎる中、彼は迷いを掻き消すように両の手を握り合わせ、レイの方に向けて突き出した。

「もはや一刻の猶予もないわ! こいつで終わらせちゃる! 『球雷網!』!」

 空間が歪み、心臓の奥から闇が溢れた。闇はみるみる形を変え、ガンジの周囲に無数の雷塊を作り出した。破壊の息吹は渦のように巻き上がり、彼の周囲を意思を持つが如く回転を繰り返していた。竜巻を思わせる雷の網は、絶対的な防御壁となりレイの動きを阻んでいた。

「なるほどね。そいつがてめえの切り札か。よくもまあそんなモン作れるもんだ。芸達者な野郎だぜ」

 レイはその場に唾を吐き捨てて、苛立ちを隠す事なく呟いた。ガンジはふんと鼻を鳴らし、中指を突き立ててそれに返した。

「何とでも言えい。ここ100年でこいつを使ったのは、カリスとシュウ以外じゃおんどれだけじゃ。光栄に思えい」

「あ? 誰だそいつら? 新入りか?」

「……認めたかあないが、今じゃあいつらがウチの最高戦力じゃあ。闘う為だけに作られた最強の黒騎士と、もう1人は……」

 その時、ガンジは明確に口淀み、くっと唇を噛んだ。彼の突然の変化に違和感を感じながらも、レイはしなやかに筋肉を動かし、獣の如き低い体勢を取った。喉笛をかっ切る肉食獣の如く、彼女はただ獲物を狙い鋭い牙を研いでいた。

「……まあおどれが会うこともなかろう。ここで死ぬんじゃからな。ワシの結界の前では、おどれなどカトンボに過ぎんわあ」

「もう一度言っとくぜ。今のてめえじゃ……俺には絶対勝てねえ! ザコは引っ込んでな!」

 雷球は次第に回転距離を広げ、レイの方に近付いてきた。高密度の緊迫感が渦を巻く中、彼女は突如として腹を抱えて、その場で大爆笑をした。とても可笑しそうに、ひどく哀れんだように。

「おいガンジ。てめえセロを救いたいとかぬかしてたな? はっきり言うぜ。てめえじゃあいつは救えねえよ。何をトチ狂って父親気取ってんだか知らねえが、ハイドウォーク家の犬のくせに、ミジメに俺らを引き渡したくせに、よくも真顔でそんなことが言えたもんだぜ。あきれて屁もこけねえな」

「……ぬかせ! おどれなんぞに何が分かる! たかがゴミ人形が何を……」

「見えねえのか? 俺のことを。ならもう一度その目で見てみろ。それとも真実から目をそらしてやがんのか? 実はさっき確信したことがある。俺はな……」

[? ……レイ?]

「黙れええええええ!!」

 雷球が舞った。全てを吹き飛ばす天帝の砲撃。だがレイは笑みを崩さずに、足だけを軽く上下させた。四足獣と化した姿で、とても軽やかに。とても美しく。

 刹那、両者は同時に動いた。無数の雷球は更に細かく分岐し、面での制圧を試みた。しかし、レイはその隙間を、人1人通れぬほどの細き道を、稲光のようにジグザグに駆け抜けた。そして放たれる一撃、勝負を決定付ける深く重い一撃。腹部を刺し貫かれ蹲るガンジに向けて、更に一撃! また一撃! レイは閃光の大輪を咲かせ、彼の体を微塵に削り取っていった。

「……ぐ! な、何故じゃあ! 何故ワシが……おどれなんぞに……」

「後でゆっくり考えな。俺はここで……てめえを超える! 『百鬼・獣弾』!!」

 更に加速する閃光は、あまりの早さに同時に発生しているようにすら映り、やがてガンジを繭のように包み込んでいった。避けることも防御すら出来ずに、彼は蠢きながら、両腕を削り取られながら、静かに自らの敗北を悟った。

 2人の明暗を分けたのは、この10年間の過ごし方か。ハイドウォークの重鎮として、裏仕事を一手に引き受けてきたガンジ。戦いの回数こそ無数にあったが、その強さ故に命を懸けるような死闘は一度たりともなかった。

 それに比べて、半身を奪われながらも、毎日血反吐を吐きながら戦い続けたレイ。いつも綱渡りで、死と隣り合わせの10年。その日々が彼女を高みへと押し上げていった面は否めないだろう。

 だが、肝要なのはそこではない。この2人を隔てたのは、彼らの取り得る意識の問題だった。主人に疑問を抱き、また軽視されるガンジと、主人を心から敬愛し、信頼を受けるレイ。そんな2人の拳の重さは比較にならなかった。

 そして……。

「じゃあなガンジ。最後に1つだけ言っとくぜ。俺の名前は……レイだ!」

「ぐおおおおお! レイ……まさかおどれは……!!」

 閃光は更なる輝きをを放ち、闇を完全に切り裂いた。光は解けるように徐々に形を戻し、レイは呼吸を整えながら、力尽き飛石の一角に突っ伏すガンジにぽつりと言葉を放った。

「……あばよ。いろいろ世話になったな」

[まさか……殺したの?]

 その場から歩き去るレイの内側から遠慮がちに、それでいて芯の強い口調でセロが尋ねた。彼女は小さくふっと笑いながら、自嘲するようにそれに返した。

「……さあな。ただ、殺すつもりでやった。そうでなきゃ俺が殺されてた。後のことは俺の知ったことじゃねえ」

[……そう。そうだよね]

「行くぞ。この辺にいるイモ侍拾ってすぐに出発だ。てめえはミカエルに用があるんだろ? 約束は守らねえとな。ちっと飛ばすから覚悟しろよ」

[うん。分かった。……ガンジ、ありがとう]

 風がレイの姿を掻き消していった。後に残るは無残に倒れるガンジのみ。だがその時、ぴくりと微かに彼の体は動いた。だがそれも、すぐに吹き去る風に流されて虚空へと消えていった。間違いなく言えるのは、戦いは終わったのだ。彼の長きに渡る戦いは、この場で幕を下ろした。

 ガンジは何処か満足そうに微笑み、静かに身体を安寧の中に沈み込ませた。失われつつある意識の中で、彼は認識出来ない。自らにそっと忍び寄る足音を。長く棚引いたローブの擦れる音を。邪悪が、戦いを終えた彼を迎えに来ていることを。


 一方、パルポンカン城内。

 3階端の小部屋にて、符による結界を貼る光術士リース。顔は緊張感により張り詰めていたが、幸いにして敵の気配は感じられなかった。彼女はどこかせわしなさそうに周囲を伺い見つつ、指輪に向かって小声で話しかけた。

「……もしもし。あたしだけど。そっちの首尾はどう?」

『転移』の術により指輪から伝わる声。やや短い沈黙の後、潜められた声が返ってきた。

「ええと……これでいいでげすかね? こちらココノラ。リースさんの読み通りでやした。場内はもぬけの空で、実に容易にご命令通りの場所へ符を設置出来たでげすよ」

「やっぱね。あれだけの規模の意味わかんない術式、いくらシャルちゃんの家だからって1人や2人じゃ組めないわ。術者は総出のはずだし、ミカエルはシャルちゃんとクソ狸が、厄介な戦士連中は亜門くんとレイがなんとかしてくれてる。どうやらなんとかなりそうね」

「へえ。その通りでげしょね。して、レイさん。もう一つの“案件”でげすが……」

 恐る恐る告げるココノラの耳に、明らかに苛ついたリースの声が刺さった。

「ちょっと、本気なの? この隙に財宝を掠め取ろうなんて、いくらなんでも無茶じゃないの?」

「おいらへっちゃらさ! ねえ、藤兵衛さん」

 指輪の先からビッツの威勢のいい声が鳴った。それに呼応する様に、リースの胸元から湧き出る小さな闇の人影。

「ホッホッホ。その通りじゃて。宝を目前にして何も奪わずに去る阿呆かどこにおるか! のう、お主ら?」

「そ、そうでげす! 旦那様の言う通りでさあ! ここまで来てお宝を見ずに帰れますかってんだ」

「そうだそうだ! このままじゃご先祖様にも、父ちゃんにも申し訳がたたねえよ! おいらはさっき宝物庫らしき場所を見かけたんだ。すぐにありったけの宝を見つけてやるさ!」

 彼らの鬨の声を受けて、満面の笑みをリースに向ける小兵衛。リースは声を出さずに、呆れ切った表情で首を振った。

「やれやれ。じゃ好きになさいな。ただし第一優先はわかってるでしょ? それに……なんかあってもあたし助けやしないわよ。そんな余裕ないもの。それでいいわね?」

「流石はリースさん。分かってらっしゃる! じゃ、あっしらはこれにて。行きますよ、ビッツさん」

「任せろ! あそこの角が怪しいと思うんだよな……」

 通信はそこで切れた。リースは何度めか数え切れないほどの深いため息をついてその場にしゃがみ込んだ。小兵衛は心から愉快そうに笑うと、彼女の肩に乗った。

「中々に順調じゃな。‘本体’の方も含めての。ただやはりと言うべきか、残された時間は少ないようじゃ。嘖々と進めんとの」

「あんたって、ほんっと……いつだってあんたよね。まあいいわ。もう慣れちゃった。とにかくここはあたしに任せて、シャルちゃんをなんとかして。お願いね。あんたしかいないんだから」

「グワッハッハッハ! 誰に物を言っておるか? この儂を誰と心得る? 大陸一の大商人にして、世界の富という富を喰らい、いずれこの星をも喰らい尽くす男ぞ。儂の所有物に手を出すという事は、天に唾吐くと正に同意じゃ! 斯様な不届き者には、天誅として奪うだけ奪い尽くしてくれるわ! 儂は損だけは大嫌いじゃからのう!」

 大きなため息と、響く高笑い。彼らの行く道、帰る道、その全てに闇あり。だがそこに絶望の毛色は存在しなかった。彼女らは知っていた。この男、世紀の傑物たる金蛇屋藤兵衛と、漆黒の聖女シャーロット=ハイドウォークが一緒なら、超えれない壁など存在し得ないということを。


 所変わり、決戦の舞台。

 土煙上がる城壁前にて、シャーロットと藤兵衛は手をきつく握り合い、次なる試練に備えていた。彼らの目には迷いはなく、希望の光が射していた。シャーロットは術式を複数構築し、あらゆる状況に対処しようとしていた。藤兵衛は『賢者の石』による特殊術を無数に発動させ、彼女を全ての面で守る準備を完了させていた。次に敵がどのような動きをしようとも、彼らに油断はなかった。

 だが、思いもよらぬ形で動きがあった。爆炎の跡地から姿を見せたのは、明らかに真紅の瞳に狂気を放つあの男ではなかった。

「……シャーロット?」

「!! お、お兄様!?」

 そう、立っていたのは紛れも無く、ハイドウォーク家現当主のミカエル=ハイドウォークその人だった。見た目こそほぼ変わらぬまでも、その魂から放たれる色は、彼女のよく知る最愛の兄の姿であった。術式で全身を焼かれ、瀕死に近い状態でありながらも、彼は凛と輝く蒼き瞳をシャーロットに向けていた。

「何と! 正気に戻りおったか! 何がどうなっておるのか手短に説明せい!」

「……お前になんざ言うことはないよ。すっこんでなー」

「な、何じゃと!!」

 藤兵衛とミカエルは視線を強烈にぶつけ合った。そんな2人を諫めるようにシャーロットが割って入り、美しい笑顔で兄に向けて言った。

「よくぞご無事で、お兄様! ああ、何と素晴らしいことでしょう!」

「そうも言ってらんないんだよねー。この状況、すげえ詰んでるからさ。手短に言うからよく聞いてよー」

「……はい。畏まりました。このシャーロット、全てを聞き漏らしません」

「ふん! 偉そうにほざきおって。さっさと言えばよかろうに」

 苛立ちキセルをふかす藤兵衛を露骨に無視し、ミカエルはシャーロットだけに向けて口早に言葉を紡いだ。

「見ての通りだよ。俺は……“こいつ”に取り憑かれてる。50年前にゲンブ国でやられちゃってさー。さっきお前の術を受けたのは賭けだったんだ。あいつが防御に力を費やすと。その上でお前が上を行くと。お陰で何とか出てこれたんだ。ずいぶん手荒だったけど、可愛い妹ならすべてを受け入れるよー」

「……やはりそうでしたか。して、先程の方はどなたでしょうか? 凄まじい闇力を感じましたが」

「それがさー……よく分かんないんだよねー。記憶が混同しまくっててさ。この感じだと脳もイジられてそうだね。ただ言えるのは……奴はハイドウォークに連なる者だぜ。間違いなくね。そして……尋常じゃない闇を秘めている。ジイ様の文献とか探ってみたら?」

「ふん! 使えぬ上に人任せとはのう。大した当主がいたものじゃて。のうシャルや」

「……シャーロット。あいつ黙らせて。ちょっとキレそうなんだけど」

「ふふ。ダメです。藤兵衛は私の大切な人ですから。いつもの事ですのでお気になさらず」

 実に深く、心底から抉り取るような深刻なため息をつき、ミカエルは怒りと不快感を露骨に表現しつつ、やっとのことで正気を保った。

「ま、いいや。この話は後でゆっくりね。勿論あのゴミも交えてさー。俺に残された時間は少ないから掻い摘んで話すと、俺の中にいるこいつはさ、明確な目的があるみたいなんだよねー。んで、その為に『楔』から力を引き出し尽くして、最終的に破壊しようとしてると」

「目的……ですか。それは世界の平和に反することです! 私は許すことは出来ません!」

「……どうだかなー。正直、俺には分からないことがありすぎてねー。10年前にも同じ話したよね、確か?」

「はい? そうでしたか? 私には記憶がありませんが」

 ミカエルとシャーロットは同時に同じだけ首を傾げた。弛緩した沈黙が僅かに流れた後、彼は肩をすくめて力なく苦笑した。

「ま、いいや。俺も頭に霞がかかったみたいだし。で、だ。とにかくこいつは、とある極大術を使おうとしてる。その為にあんなポンコツまで引っ張り出してさー」

「例の古の機械かの? 既に偵察済みじゃが、膨大な闇力を集める装置と見た。特に本体に刻まれた『固定術式』、儂の持つ『賢者の石』の紋様と非常に似ておるの」

「……へえ。ただのゴミじゃないみたいだねー。俺の読みだとさー、あれって時空間制御用だと思うんだ。かつての神族が使おうとしてたみたいだけど、はっきり言ってまともじゃないよー」

「そんなもので“彼”は何をしようというのでしょう? 私には全く目的が掴めません」

「さあてねー。俺が言えるのはただ一つだよー。こいつ物凄い強いからさー、俺のことはいいから早く逃げなよ。このままじゃシャーロットだって殺されかねないから」

 沈黙が流れた。深くて長い、深淵を思わせる沈黙。兄妹は事態の剣呑さを物語るように見つめ合っていた。だが、それを切り裂いたのは、やはりこの男だった。

「何を言い出すかと思えば、片腹痛いのう。それが仮にも神々の末裔が申す事か? 実に噴飯ものじゃて」

「……あ? 俺にとってシャーロット以上に大切なものはねーから。おまえ何言ってるか分かってる? あんまナメてっとこの場で消すよ?」

「ふん! やれるものならやってみい。貴様のほざく地点など、既に儂らは乗り越えておるわ! シャルを守り、『楔』とやらを守り、ついでに貴様も守る。これはこの世界の支配者たる、金蛇屋藤兵衛が決めた事じゃ!」

「……傲慢不遜だなー。そんなに物事が上手く進むとでも? 何かを犠牲にしなきゃ大切なものは守れないよー」

「生憎、儂は大陸一の強欲で知られておるからのう。斯様な御託はうんざりじゃ。必要なのは策。彼奴の動向を掴み、常に先手を打つことじゃ。貴様の知っていることを全て話せい! さすればこの儂が最善の妙策を講じてくれようぞ。全て儂に任せい! グワーッハッハッハッハッハッ!!」

 踏ん反り帰り高笑いをする藤兵衛、ぽかんと口を開けて呆れ返るミカエル、くすくすと美しくほほえむシャーロット。そのまま幾ばくかの時間が過ぎ、急に神都とその大地が嘶くように震え出した。

「いけね。もう時間が少ねーな。とりあえず最後にこれだけ言っておくよー。俺の嫌いなマジメな話だけど、聞いてくれる、シャーロット?」

「はい。私はお兄様の言うことならば、どんなことでも聞きます。全てお話下さい」

「ああ、ほんといい子だ。こんなゴミには勿体ないよ。話ってのはさ、俺たちの関係の話だ。大したことないように聞こえるかもだけど、恐らく……ハイドウォークの全てが詰まってる。……やっと思い出してきたよ。それは多分、あの日の“真実“についても繋がる話なんだ」

「? どういう意味ですか? 全く理解出来ませんが」

「実はな……俺とお前は実の兄妹じゃ……」

「おっと、そこまでざあます! ……『幻想空間』!!」

 突如として、ミカエルの身体を桃色の霧が包み込んだ。藤兵衛は咄嗟にシャーロットを抱え背後に飛んだ。特殊な術らしき霧をまともに浴びた彼は、瞬時にぐるんと目を剥きその場に倒れ込んだ。

「貴方は……ベロニカ! 何をなさるのですか!?」

「それ以上はいけませんことよ、ミカエル。ともかく今はアタクシに従ってもらうざあます」

「くっ……何じゃこの霧は?! まともに吸い込んでは即座に精神を持っていかれようぞ。ええい、今は退かねば!  『ノヅチ』!!」

 ベロニカは彼を守るような形で前に立つと、そのまま不思議な霧を全身から撒き散らした。僅かに皮膚に触れただけでも強烈な倒錯を感じ、藤兵衛は急ぎその場を離れつつ銃撃を抜き打った。だがそれは大きく狙いを外れ、虚空の彼方へと消えていった。

「ベロニカ! 一体何をお考えですか?! お兄様に何をするのです!」

「前にも言った通り、アタクシには目的があるざあます。その為なら……如何なる不確定要素は排除いたしますわ。……『幻想空間・放魔』!!」

 ベロニカの叫びと共に、霧が色を濃くし、やがて濃い紫色に染まっていった。ミカエルの目付きが一瞬で変わり、邪悪な真紅の眼が霧の中で光を放った。その一部始終を目にしたシャーロットは、眉を顰めぐっと歯を噛み締めた。

「……ふう。ヤバかったぜ。さっきは殺されっかと思ったよ。お坊ちゃんにしてやられたぜ」

「貴方は先程の……! どういうことですか、ベロニカ!?」

 彼はベロニカにちらりと視線をやると、にやにやと小馬鹿にするような笑みを貼り付け、全身から闇力を吐き出した。それだけの行為、単なる降誕に過ぎぬ動きの勢いだけで、藤兵衛とシャーロットは城壁まで激しく叩き付けられた。

「アヒャーッハッハッハ! バカは頭軽い分よく飛ぶねえ。俺はこいつの弱味を握ってるわけ。ミカエルと“あれ”を始末されたくなかったら、さっさと俺を助けるんだぜー」

「……オーッホッホッホ! そうざあます。今のアタクシにはこの男には逆らえませんことよ。さて、そろそろ仕上げといきましょう。グズグズしてる暇はあありません」

「貴方は……何処まで人を馬鹿にするのですか! お兄様を返しなさい!!」

 嘲笑う2人に、シャーロットはふらつく足で立ち上がると、キッと鋭く目を剥いた。だが彼は揶揄うように首を竦め、にやにやと小馬鹿にした笑みを浮かべるばかりだった。

「むーだむだ。そんな怖い顔してもさ。そろそろ俺らはトンズラすっからよ。大人しく頭下げてりゃいいのさ。……そこのゴミみてえによ!」

「!!」

 彼の指差す先には、震えながら土下座を繰り返す藤兵衛の姿があった。痙攣に近い身震いで滝のように涙を流し、額から血を滲ませて何度も何度も頭を地に擦り付ける彼の姿に、男は侮蔑の嘲笑を投げかけた。

「おいおい、見ろよベロニカ。あいつバッタみてえにペコついてやがるぜ! ヒャハハ! マジ笑えるよ」

「ヒ! ヒィィィィィィイ! い、命だけはお助けを! 儂はただの商人でして、あそこの魔女に騙されただけでして……」

「……」

「何ざあますか、あの姿は。女を売ってでも命乞いをするとは、心底情けない男ですこと。美しくないものに興味などありません。シャーロットさんの男を見る目は最低ざあますね。……貴女の相手はしている暇はありません。行きましょうか」

「んだな。行くとすっか。今はおまえらに構ってらんねえ。……『メタースタシス』!!」

「ま、待ちなさい! まだ話は……」

 彼は小さく頷くと、即座に構築した複雑怪奇な術式を発動させた。術式の崩壊と共に、2人の姿は一瞬で空間内から掻き消えた。シャーロットが放った術式も空を切り、彼らが先程までいた場所の地面で無為に爆炎が巻き起こった。そして、彼女の耳には消えゆく2人の声だけが残った。

「アヒャーッヒャッヒャッヒャ! 暫くおさらばだな、お嬢ちゃん。いずれまたな。……必ず」

「シャーロットさん、貴女にはまだ役割があるざあます。それまでお身体をご自愛下さいませ。オーッホッホッホ!」

「貴方は……必ず私が……!!」

 鳴り響くシャーロットの叫び声。だが、そこには既に影も形も残されていなかった。悔しさで地面に拳をを叩きつけるシャーロット。血が滲み、涙が流れそうになる。そんな彼女の手をそっと支えたのは、他でもない金蛇屋藤兵衛だった。

「何をしておるのじゃ、シャルや。そんな一銭にもならぬ事は止めい。お主にそういう真似は似合わんぞ。血だの反吐だのは虫に任せればよかろうて」

「……申し訳ありません。少々取り乱しました。しかし……彼は!」

「気持ちは分かるわい。じゃがな、そんな事をしても疲労するだけじゃ。何の意味もなかろう。即ち、それは大損じゃ。そして……お主の損は、即ち儂の損と同意ぞ。儂は損するのだけは大嫌いなのじゃ。分かってくれるかの?」

「……ふふ。その通りですね。誠に申し訳ありませんでした」

 項垂れるシャーロットの頭に、軽く藤兵衛の手が乗せられた。思わぬ彼の行動に、彼女は頬を赤く染めた。和かに微笑む藤兵衛は、優しく撫でながら話しかけた。

「そうじゃ。それで良い。やはりお主は笑っておらねばならぬ。長い間見てきたが、お主は笑った顔が一番美しいぞ。世界の主たるこの儂の側におるならば、それ相応の美がないとのう」

「ふふ。そうですね。ありがとう……藤兵衛」

 2人はきつく、暖かく抱き合った。体温と鼓動が共有され、2人の時間はその場で止まっているようだった。

「それで……貴方には策がおありなのでしょう、藤兵衛? そうでなければ、貴方が簡単に頭を下げる訳がありませんからね」

 シャーロットは暖かく微笑み、彼の耳元にそっと声を寄せた。藤兵衛はにやりと大きく口元を歪めると、高笑いしながら叫んだ。

「グワッハッハッハ! 気付いておったか。無論じゃ! あの狂人どもは儂の事を知らぬ。ガンジかバラムがこの場におらば、先程の話の行く末は変わっておったろうがのう。既に手は打っておる。この屈辱はすぐに100倍にして返してやろうぞ! のう、シャルや?」

「ええ。何としてでも一矢報いましょう。信頼してますからね、藤兵衛」

 2人の抱き合う強さが更に増し、魂そのものが溶け合っているかのように温度が共有された。透き通るような空の下、魔女シャーロットと金蛇屋藤兵衛の戦いはまだ終わってはいなかった。


 神都、地下。

 少年ビッツと商人ココノラはリースから離れ、ネズミのようにこそこそと城内を嗅ぎまわっていた。城内には無数に部屋が設置されてはいたものの、当然ながら全てを確認する術はない。彼らは先ず、リースの指定した場所に符を設置すると、ついでと言わんばかりにその近辺を物色していた。

「おい、おっさん! そっちの部屋どうだった?」

 ビッツが駆け足で部屋から出てきたココノラに駆け寄った。だが彼は彫りの深い顔を分かりやすく曇らせ、腕を竦めて大きくため息をついた。

「ダメでげすね。お宝なんざ何一つありはしませんや。そっちはどうでやすか?」

「おいらもだよ。綺麗な敷布とか不思議な機械はあったけど、宝石なんかはぜんぜんさ」

「やはり……あるとすれば上の階なのでしょうねえ。とは言え、上には化け物がいるでげす。まことに困りやした。旦那様に何と言っていいものやら」

 顔を付き合わせて頭を悩ませる2人。ビッツは壁に寄りかかり、何とか必死で考えを巡らせていた。その時、彼の視界に何かが飛び込んで来た。それは壁際に広がる黒い闇、空間の歪み。視界の先には、穴。黒き穴。何処かへ続いているであろう深い深い穴。

「お、おいおっさん! あそこ見てみろよ!」

「……どれどれ。ほほう、これは……中々に怪しいでげすなあ。とは言え……あっしにゃ狭すぎて入れやせんぜ」

「おいらが行くぜ! 1人でも平気さ! じゃあな!」

「ち、ちょっと待つで……ああ、行っちゃいやした。どうしたものか。とりあえずリースさんに報告せねばなりやせんね」

 ココノラは諦めて呟き、穴の中を覗き込んだ。そこから流れ出す漂う瘴気の如き淀んだ空気に、彼は背筋を凍らせビッツの名を呼んだ。しかし、既に彼からの反応は無かった。不安と恐怖に身震いしつつ、彼は僅かに残ると勇気を振り絞り、何度も何度も少年の名を呼んでいた。


 真実は常に闇の中に蠢くもの。神の一族の命運を賭けた戦いは、佳境へと差し掛かっていた。

 だが彼らはまだ知らない。闇の持つ真の深さを。呪われた一族の歴史を。それを彼らが知る頃には、全ては片付いていることだろう。恐らくは、どちらか一方の命を差し出して。

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