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第60話「セロー皸だらけの穢れなき魂ー」

 精神世界の終焉。特異点。

 高堂亜門と銀龍ハーシルが辿り着いた終着点、光の集まる場所。その中央には2人の人影があった。それは亜門のよく知る美しくも精悍な銀髪の闘士レイと、亜麻色の髪を丁寧に束ねた執事セロの姿だった。2人はは声を荒げ、時に黙りこくりを繰り返しながら、終わる気配の見えぬ“話し合い”を繰り返していた。

「んだからよ、ラチがあかねえだろうが! さっさと結論出せや!」

「だって無理だよそんなの! ボクだって10年間ずっと我慢してたんだよ! なんでここでも引かなきゃならないのさ」

「そりゃわかるけどよ、実際問題どうしようもねえだろうが! それに聞こえたろ? 亜門のバカ、俺らのことブチ殺すとか言ってんぞ。あいつはやるっつったらやるぜ。ただの童貞に見えっけどよ、マジでとんでもねえ殺人鬼だかんな」

「……ああ、ほんと野蛮な人ばっかり! 昔っからシャーロット様の周りにはロクな人がいないよ。でも……嫌なものは嫌! 殺されたってボクの意見は変わらないよ」

「それじゃ話になんねえだろうが! 一回死ななきゃわかんねえのか! このクソが!」

「脅されたって嫌! さっさとこの体を返してよ! 元はと言えばボクのなんだから!」

「ふざけんじゃねえ! こちとら時間ねえんだよ。けど……ぶん殴っても言うこと聞きそうもねえしなあ」

「そもそもさ、キミみたいな野蛮人がいるのがいけないんだよ。さっさと出てって! それでその辺でさっさと死んでよ!」

「んだてめえ! やんのか!」

「フンだ! そんなこと言われても知りません!」

 2人の口論はいつまでもいつまでも続いていた。亜門はハーシルと暫し戸惑いながら顔を見合わしていたが、やがて意を決して彼は彼女たちの方に近付いていった。

「あ、あのですな。ちょっと宜しいでござるか? 大事な話がありまして……」

「うるせえ! こっちは忙しいんだ! 他を当たりやがれ!」

「グェポ!!」

 振り向くや否やレイは激しく拳を振り回した。勢いよく吹き飛ぶ亜門を見て、唖然とするセロとハーシル。

「ち、ちょっとレイ! この人……高堂亜門じゃない?! なんでここに?」

「ああ? 亜門だあ? てめえなんで俺ん中に来てやがんだ! この変態野郎が!」

《まあまあ、落ち着くのだ。これは我の秘術でな……》

「うるせえトカゲ野郎! ハ虫類の分際でてめえも変態か!」

《ハガポォ!!》


 暫しして。ようやく落ち着きを取り戻したレイに、ゆっくりと言い聞かせるように事態を説明する亜門とハーシル。下界の、現実世界で自らに起こりつつある事態の深刻さに青ざめるセロに対し、いつも通り鼻をほじって適当に返すレイ。

「へえ、そうかい。そりゃずいぶんと迷惑かけちまったな。……ま、てめえが俺たちにかけた迷惑に比べたら、ぜんぜんたいしたこたあねえだろうがよ」

「ぐっ! そ、それは……その……」

「ち、ちょっと! なに偉そうにしてんの! この人が噂の殺人鬼でしょ? 機嫌を損ねたらボクたち殺されちゃうよ!」

「お、己はそんなことはしませぬ! ただ……一生意識を取り戻さないのならば、いっそ介錯をと……」

「ヒイイいい! 殺されるぅ! ハーシルさん助けてぇ!」

《……むう。何とも由々しき事態よ。貴様らはこの1月ずっと、こうして議論をしてきたと、そういう訳だな?》

 ハーシルが流れを断ち切るように彼女らに尋ねた。レイはどかりと面倒そうにその場に横になり、実にぶっきらぼうな態度で答えた。

「そういうこった。なんの結論も出てねえけどな。ともかく、俺はこんなところでボヤボヤしてる暇はねえんだ。早くお嬢様を助けに行かねえと」

「そこでござる。ガンジの奴が魔女めを拐っていくのを、己は見申した。レイ殿はあの時既に、セロ殿に乗っ取られていたのこと。果たして他の方々は無事でありましょうか?」

「……知らねえ。けどあのクソがいんだから、ま、なんとかなんだろ」

「ふふ。無知な者とはこんな滑稽だとはね。シャーロットはガンジに渡しておいたから、今頃ミカエル様の元に送られてるだろうさ。それに未確定情報だけど、金蛇屋藤兵衛は既に無力化されているってさ。もうキミらに希望なんて……」

 無言のままに唸るレイの拳は、得意げに踏ん反り帰るセロの顔に炸裂し、彼女は涙を流しながら吹き飛んだ。

「痛いいいい! ほんとにやめてよ! 精神の痛みは芯に来るんだよね」

「うるせえぞこのタコスケ! つうかよ、あれから1月も経ってるんだろ? 下界はどうなってやがるんだ?」

《この郷は外とは時の流れが異なる。実際はおおよそ数日程度しか経過しておらん。安心とまではいかんが、過剰な心配は不要だろう》

「なんだと! 本当か銀トカゲ!」

「こ、これ! レイ殿、流石に無礼ですぞ。こちらの方をどなたと心得るでござるか?」

《グワッハッハ! まあ良かろうぞ。事情は理解した。その上で先に進もうではないか》

 慌てて止めに入る亜門の肩を、ハーシルは優しく掴んで止めた。彼は2人を交互に見遣り、威厳の篭った声でしめやかに告げた。

《ずっと聞いていたが、各々の考え方は交わりそうもないだろう。ならば具体的な解決法は1つだ。要は身体が1つなのに、魂は2つという点に集約される。それならば……我が魂を移してやろうではないか》

「な! トカゲ……さん! そ、そんなことできんのか!?」

「本当ですか! それならボクとしては何の問題もありません」

《腐っても我は帝龍よ。造作もないことだ。だが注意点が幾つかある。まず第一に、すぐには出来ぬ。お前らは霊的に密接に結び付いている。分離状態に持っていく為には、幾ばくかの時間は必要だ》

 ハーシルの厳かな言葉に押し黙って頷く一同。その表情を確認してから、彼は更に踏み込んで言葉を続けた。

《それに、一番重大な点だが……移す身体の問題がある。適当な人間を用意したとて、貴様らが適合するものでなければ意味がない。限りなくお前らに近い血統が必要だ。それはつまり……かつてのミカエルの愚行を繰り返すことを意味する》

「人さらい、か。俺は反対だな。てめえはどうだ?」

「……ボクもです。今の自分の境遇にあれこれ言う気はありませんし、ミカエル様に感謝もしていますが、それとこれとは話は別ですね」

 2人の統一した見解を聞くと、ハーシルは僅かに微笑み、満足そうに頷いた。

《その言葉が聞ければ満足だ。身体のことは我に任せろ。試したい……いや、試すべき素体がある》

「なんでえ。だったら最初から言いやがれっての。ふざけたトカゲだぜ」

「そういう言い方しないの! ヘソを曲げられたらどうすんの!」

「はっはっは。よかったでござるな。何やらよく分かりませぬが、無事収まりそうにござる」

《いや、最後に1つ。今の身体にどちらが残り、どちらが残るか。それさえ決めてくれれば後は単純な話だ。しかし……一番難航しそうではあるな》

 少しの沈黙。ちらりとレイの方を伺うセロだったが、レイは当然の様に真っ先に手を挙げた。

「まあ当然……出てくのは俺だろうな。なんの因果か知らねえが、こうなっちまった以上しゃあねえ。記憶を辿ってみてよく理解したよ。しょせん俺はしょぼいクソ人形だ。テキトーな理由で産まれて、テキトーに混ぜ込まれた、しょうもねえ生きもんみてえだからな」

「……レイ。それは……」

「だがよ、俺はクソみてえにゃ死なねえぞ。お嬢様の使命のために生き、そんで死んでく。俺の生きる意味なんざ昔っからそれしかねえ。身体なんざどうでもいいさ。とにかくサクッとなんとかしてくれや」

「……レイ殿」

「キミは本当に……本当にそういう奴なんだね。ずっとキミの中にいて、何度も何度も死にそうな目にあって、魂まで削り尽きそうな闘いを経ても、キミはまるで変わらない。この10年でボクは……」

 セロは何とも言えぬ複雑な表情でレイを見つめた。だがレイはそれをめんどくさそうに振り払い、その場にごろりと胡座をかいた。

「ああ、うっせえうっせえ。おい、トカゲの旦那。そいつはいつ頃に始められんのか? 申し訳ねえがこちらも急ぎでね。なるべくなら早めにお願いしてえんだが」

《うむ。ここからが我の出す条件だ。一連の術には危険も伴う。我とて老齢の身、命の危機すらあるやもしれん。時間も、龍力もふんだんに使う。それを貴様らの為に使ってやるのだ。ならば我の望みも聞くのが筋であろう?》

「それは勿論です、ハーシル様。ボクは自分の身体で生きていければ何でもしますよ。レイもそうでしょ?」

「異論はねえ。なんでも聞いてやっからさっさと言えや」

 そこで古龍は大きく笑った。実にふてぶてしく、実に不敵に。2人が顔を見合わせる中、ハーシルは全身に力を漲らせ、言葉の一つ一つに威容を込め始めた。

《二言はないな? 我との盟約を反故にするは即ち、東大陸の全龍を敵に回すと同じ。その覚悟があるならば言おう》

「うるっせえなあ。さっさと言えや。もったいぶっても何も出ねえぞ」

《グワッハッハ! まあそうだが、問題はセロだ。全てを懸けてもいい、その言葉に異はないのだな?》

「……ええ。そのつもりです。覚悟しています」

《よろしい。では条件だ。我はな、ここにいる亜門のことを実に気に入っている。此奴はな、我がかつて信じた人間たちと同じ眼をしているのだ。強く、しなやかで、鋼の如き魂を携えている。我は亜門を身内のように思い、此奴の為なら何でもしてやりたいと思っている》

「ったく、相変わらず男にだけはモテやがんな。女とはマトモに会話もできねえくせによ」

「そ、そ、そ、そんなことはござらぬ! レイ殿が存じ上げぬだけで、落とした女性の数は数えきれぬほどですぞ」

「ほう。そりゃ立派じゃねえか。後でリースによく言っとくわ」

「え?! ええ!! そ、それだけは勘弁して下され! 後生にござる!」

 レイの茶々に翻弄される亜門。楽しそうな和気藹々とした雰囲気。ハーシルはそれを暖かく見つめてから、彼らにどこか羨望の眼差しを向けるセロに視線を向けた。

《まああちらは放っておくとして、結論から言おう。我からの願いはただ一つ。貴様らは亜門を助けよ。こいつの望みを叶えよ。即ち……シャーロット=ハイドウォークを奪還してこい。これが我の条件だ》

「な?! ま、まさかそんなことをボクが? ミカエル様を敵に回せと? そんなこと出来るわけがない!」

《出来ぬならここで朽ちてゆけ。即座に亜門が介錯してくれようぞ》

「な……」

 空気がひりつき場に緊張が走る中、口籠るセロにハーシルは牙を剥いて大きく笑った。

《グワッハッハ! まあそれは冗談だが、ここからは貴様の考え方次第だ。何もセロ自身が敵対する必要などない。神々より『真名』を授かりし者は、敵対した瞬間に“相克”により即座に塩の柱と化す。つまり、お前はレイがシャーロットを奪還する間、再び眠りについておればいい。何もミカエルを傷付けることもない。シャーロットさえ取り戻せればそれでいいのだろう、亜門よ?》

「勿論にござる。個人的にはいけ好かぬ魔女だが、此度の件は全て己の責任。必ずや奪還せねばなりませぬ。セロ殿、心配せずとも己は別に、下らぬ兄妹喧嘩には毛ほども興味ありませぬゆえ」

「と、とは言っても……キミが約束を守ってくれる保証なんてないじゃない。そう、適当なこと言ってるだけでしょう! そうに決まってる!!」

《……図に乗るな、小娘!!》

 天地割らんばかりの轟音と共に、ハーシルの瞳孔が縦に大きく見開かれた。怪しくも苛烈な眼力に心身共に飲まれ、セロは震えながらへたりとその場に座り込んだ。

《我を誰と心得るか! 龍族帝席、五大龍の一角たるハーシルぞ! 龍族はお前ら人間とは違い、自らの言葉には死を待って臨む。その我に向かい、よりにもよって適当だと? 馬鹿を申すなら命を懸ける覚悟を持て!》

「あ、あの……ボ、ボクはその……」

「まあまあ。ハーシル殿。言葉のあやというやつでござるよ。秋津の格言にも『溺れる藁人形は川を流れる』とあり申す。彼女も混迷の極みにある模様。多少の無礼は己の顔に免じて許して下され。この通りでござる」

 膝を付き、深々と地に頭を擦り付ける亜門を見るや、激怒の彼は即座に満面の笑みに戻った。

《可愛い亜門がそこまで言うなら仕方がない。では条件を飲むということでよいな?》

「……は、はい。でも、一つだけ条件があります。ミカエル様には手を出さない。それは当然ですが、彼に会ったら一度だけボクに代わって下さい。ミカエル様にどうしても伝えたいことがあるのです」

「わあったわあった。好きにしな。じゃあ、いいんだな? 一つに戻るぞ」

「うん。気は乗らないけど、今までよりはずっと希望が持てるよ。それじゃ……いくよ」

 セロはレイの背中におぶさると、2人の体はゆっくりと交わっていった。同じ形、同じ色の2人が、静かに溶け合い、そして一つの形を作り上げた。そして、彼女らの世界は静かに崩壊していった。


 亜門が目を覚ますと、そこにはいつもと変わらないレイの姿があった。祠のほとりでうんと伸びをする彼女。だがそれは今までのレイとは少しだけ異なっていた。美しい銀髪は薄っすらと亜麻色に染まり、目付きも優しさを増し、まるでセロの姿が混じり合ったようだった。

《良き姿であるな。やはり“あいつ”の写し身か。とても懐かしき気配がするぞ》

「ほう。これが本来のレイ殿にごさるか。何やら一層美しさを増したようでござるな」

「あ? ケンカ売ってんのか? 俺は俺だ。何も変わら……うっ!」

 突然胸を押さえ込んで呻いたレイ。亜門は心配そうに駆け寄った。

「ど、どうしたでござるか?! まさか上手くいかなかったのでは?!」

「いや、なんか変だと思ったらよ、付いてんだわ。パイオツがよ。……ほれ」

 肌着を下ろしていきなり豊満な乳房を見せつけたレイ。亜門は驚天動地の表情で、腰を抜かして指を指した。

「な、な、な、なにをなさるか!! ご乱心なされたか!?」

「うるっせえなあ。まあ邪魔くせえ胸はさておきよ、下の方もなんか変なんだ。ん……っと、やっぱ自分じゃよくわかんねえや。亜門、ちと見てくれや」

「そ、そ、そ、そんなこと出来るわけがなかろう! な、な、な、何を申しておられるのか!」

[そうだよ! いい加減にして! ボクの身体を適当にいじらないでよ!]

 頭の中から甲高い声が場に響き渡った。レイの中に溶け込んだセロの声が、不思議なことに外へと漏れ出していたのだ。

「うるせえなあ。減るもんじゃねえだろ。ちったあ大人しくしてやがれ」

[キミがそんなんだからいけないんでしょ! ボクの力も貸すから、さっさとシャーロットを取り戻して。ただ絶対に約束は守ってよね!]

「へいへい、っと。んじゃ亜門……行くぞ。てめえはそれでいいんだな?」

「御意。己に迷いはありませぬ。目的は魔女の奪還のみにて。ただ……己はレイ殿にしかと詫びねば………グェポ!!」

 そう言って頭を下げかけた亜門を押し留めるように、レイは彼の腹部を痛烈に殴打した。そしてレイは、くの字に折れて血を這いずる彼にぐいと大きな手を差し伸べ、にっと美しく、大輪の花のように笑った。

「へっ。これでしめえだ。てめえは俺を助けてくれたしな。ただよ、その先の言葉は……言うべき相手にしっかり言え。いいな?」

「御意……にて。しかし久々のレイ殿の拳は痛うござるな。これなら安心でござる。ハーシル殿、お世話になり申した。この御恩は生涯忘れませぬぞ」

「おっと! トカゲの旦那にも世話になったな。礼を言うぜ」

 レイは身支度を整える暇さえ惜しむように、静かに闘志を燃やしつつ、亜門と2人でハーシルに向かって再度深々と礼をした。

《秋津国の侍と、眷属の闘士か。……懐かしき光景よ。歳を取ると感傷的になって困る。必ずやシャーロットを奪還し、ここへ戻って来るのだ。我は貴様らを信じているぞ》

「それでは、暫しおさらばでござる。また必ず戻ってきますゆえ、その時は朗報をご期待下され」

《我は何の不安もないわ。貴様は我の家族同然だ。いつでも甘えていいし、いつでも帰ってきていいのだぞ》

《やれやれ。無事に帰ってきたかと思えばコレだ。ほんっと甘えよな。……おい、亜門。忘れんな。お前のこたあ認めちゃいねえが、一応アマニ流を背負ってんだ。負けたら地獄の底まで行って説教してやるからな!》

 いつの間にか現れた赤龍アマニが、彼らの様子を一瞥して苦笑混じりに言った。亜門は別れを惜しみながらも、また一歩先に足を踏み出した。滑らかな風が優しく彼らの旅路をさすっていた。


 郷の先、深い森の中。

 疾風の如く駆け抜ける亜門とレイ。全速で進み続けるその姿は、人のそれとはかけ離れた速度だった。

「お、いいねえ。腕あげたじゃねえか」

 ニッと微笑んでレイは言った。亜門はただ会釈してそれに答えると、足を止めずに言いにくそうに尋ねた。

「レイ殿。その……大丈夫でござるか?」

「あ? なにがだ? 身体なら絶好調だぞ。セロの野郎、記憶だけじゃなく俺の力まで奪ってたみてえだな。今度会ったらぶん殴ってやらあ」

「そ、それは何よりでござる。ただ、己が言いたいのはその……」

「ショックかどうかと聞かれれば、間違いなくキてんよ。当然だろ?」

 レイは短くはっきりと返した。言葉もなく黙り込んだ亜門に、レイは続けて言った。

「俺はな、ずっと自分が何者かを知りたかった。ロクな記憶もねえ、どこの何者かも知らねえ、そんな意味わかんねえ生き物だったからよ。フィキラの野郎も言ってたが、俺の魂は相当にブレてるみてえだからな。ただ……事実を知っちまえばなんてこたあねえ。俺は気まぐれから産まれたよくわかんねえ生き物で、クソの塊みてえなモンだった。けどよ、なんつうかな、俺は……知れてよかったぜ。俺という存在の根源つうか、お嬢様をなぜ守らなきゃならねえか、なぜここにいるのか、やっと本当の意味で理解できたんだ。だから……まあよかったよ」

「……レイ殿。心中お察し致しまする」

「へっ。てめえは変わんねえな。まあ正直やるせねえ気持ちはある。ヘドロみてえなモンが胸の中に詰まってやがる。でも、迷いはねえ。俺はお嬢様を守る。ただそんだけだ。今も昔もそれは変わらねえ。そして全てが終わったら……っと、まあいいや、それは」

「死ぬおつもり……でござるな」

 ハッと振り返ったレイ。亜門の顔が神妙なものに変化しているのを感じ、無理矢理に彼女は笑った。

「なんだ、ずいぶん鋭でえじゃねえか。ま、俺なんざ生きててもしゃあねえしよ。けどな、そりゃぜんぶ終わったらの話だぜ。いつかのてめえみてえに、中途半端なことだけはしねえよ」

「……自ら腹を切る秋津の侍は、皆斯様な目をしているでござる。己とて一度は死を覚悟した身、レイ殿を止めることはしませぬ。ただ……他の方々は全力で止めることでしょうな」

「そうかねえ? 特にあのクソ商人なんざ手を叩いて喜ぶんじゃねえか?」

「確かにそれは否めませぬ。ですが、ひとしきり笑った後に『金にならんことをするでない! 儂に損をさせる気か!』とは間違いなく仰るでしょうな」

「へっ! マジで言いそうだな。『儂を殴ったぶんの慰謝料を払ってから死ねい!』とかも言いそうじゃねえか?」

「はっはっは! 『葬式代を払え!』も確実かと」

「ギャハハ! 絶対言うぜそれも!」

 楽しそうに笑い合う2人。道中は長く、話は尽きなかった。空白の時間が彼らをそうさせたのか、あるいは望郷に似た念がそうさせたのか。暫しの間、彼らの間に穏やかな空気が流れた。だが、このまま道中が平和に進めば、人生とはどんなに楽なものか。そうはすんなりは行かぬのが常道。

 最初にそれを発見したのはレイだった。彼女は鼻をクンクンと鳴らし、不穏の気配を感じるや否や、手を伸ばして足を止めるように合図を送った。

「……いんな」

 亜門は即座に立ち止まると、精神を集中させて敵の気配を探った。すぐにその先に深い闇の気配。何かがこちらに向かっている。人でも獣でもない存在。そう、それは闇の眷属の気配だった。2人は目配せをし合いながら、極めて冷静に短く言葉を交わした。熟練の戦士であり、共に闘った経験も多い彼らには迷いも躊躇いもなく、互いの腕も戦法も知り尽くしていた。

「凡そ100弱といったところですかな。この地形でしたらば……向こうの崖で待ち伏せるのがよろしいかと」

「めんどくせえな。俺はまっすぐ行くぜ。後は任せた」

「委細承知。ではいつも通り……臨機応変にて」

 2人はそれだけ言うと、自然に配置を決めた。一切の無駄な行動なく、彼らは戦闘に身を沈めていった。

 やや長い沈黙の後、獣道を這うように現れたのは、1人の猫背の小男に連れられた、漆黒の甲冑を纏った巨漢の群勢だった。彼は気だるそうに道を進みながら、甲冑兵の方をちらりと向いて1人ぼやいた。

「ったく、何で俺がこんなことを。そもそも龍の住処なんて本当にあるのかよ?」

 誰一人としてその問いには反応しなかった。漆黒の兵士達は自我を持たず、ただ与えられた任務に従事するのみだった。男は小さく舌打ちをし、重い足を何とか前へ進めた。

 彼らが弓なりの岸壁を潜り、更に前方に進もうという瞬間、銀色の疾風が彼らを捉えた。それは正しく暴風だった。兵士達は瞬時に四方へ吹き飛ばされ、男は目を見開いて状況を確認しようとした。が、その時!

「よう。ゴリアテじゃねえか。久しぶりだな」

 レイの快活な声が耳に刺さった、と同時に顔面に突き刺さる痛烈な拳。鮮血を巻き上げながら吹き飛ぶゴリアテ。周囲の兵士達は緊急事態と判断して即座に対応し、レイを必死で取り囲もうとした。だがそれは今の彼女には緩慢過ぎた。彼らは人間ならざる速度で立ち向かうが、そんなものは物ともせず、彼女は雲を引きながら暴風を巻き起こした。

「悪いな。あいにく俺は絶好調でよ。てめえらじゃ話になんねえわ。『草薙』!!」

 そう言うとレイは気迫一閃、敵陣に向けて変幻自在の足技を繰り出した。不可思議な軌道で放たれるレイの長い足は、兵士達をまとめて薙ぎ払い、その威力たるや甲冑ごと体躯を真っ二つに両断する程だった。みるみるうちに減っていく兵士の数。それを目にしてゴリアテは、焦りながらヒステリックに叫んだ。

「て、てめえ! 人形のくせに調子乗りやがって! おい、銀角ども! てめえら全員で囲め! こいつを生かして返すんじゃねえぞ」

「あ? どっかで聞いた名前だな。まあどうでもいいけどよ。やるならやってみろや。……できるもんならな!」

 ゴリアテの命令に従い、漆黒の兵士達は統制のとれた動きでレイを取り囲もうとした。だが、そこで今度は斬撃。背後から放たれた痛烈な一撃は、彼らを3人まとめて両断し、更にその切り口からは炎が滾り瞬時にその肉を焼き尽くした。

「『天龍地尾・炎』!! ……ほう、生き物を斬ったのは初めてでござるが、なかなかどうして燃えるものでござるな」

 呑気な顔と声で亜門は言った。燃えカスとなった兵士を見て、レイはひゅうと軽く口笛を吹いた。

「へえ。なかなか面白え小技を身に付けたな。これでフヌケも直ってりゃなにも問題ねえがよ」

「はっはっは。レイ殿こそ以前とは比べ物にならぬ技のキレでいらっしゃる。その節はご迷惑をかけ申したが、どうかこれからの己で判断して下され」

「ハッ! 言いやがるぜ。あ、そこのアホは殺すなよ。いろいろ吐かせなきゃなんねえ」

「それが一番難しいでござるな。レイ殿にお任せします。己はとりあえず……斬るのみにて」

「ギャハハ! てめえにゃこういうのはまだまだ早え。俺が見本を見せてやるからよ」

「御意。では……殺りますか」

 そう言った刹那、2人は弾けるように左右に飛んだ。他の者達には見えないほどの高速の動き。亜門とレイは渦のように回転しながら敵を粉砕し続け、その円は次第に小さくなっていった。

(な、なんてこった! ミカエル様より頂いた実験体が……このままじゃ……)

 ゴリアテがそう思った時には、全ては終わっていた。術で生命を与えられた兵士は全て微塵と化し、残るは息一つ乱れぬ苛烈な闘士が目の前に立っているのみ。余裕の笑みを浮かべる2人を目にして、彼は必死に自分の能力を発動しようとした。

「ハイドウォーク家から名も貰えぬ出来損ないめ! 俺の力を見せてやる! くらえ! 『降魔……」

「うるせえ! 『紅蓮』!!」

 その声が発せらるのは、コンマ1秒ほど遅かった。レイから放たれた神速の一撃がゴリアテを激しく貫いたのだった。レイはかつての技とは比較にならぬ爆発的な速度に自ら驚きつつも、呻き声すら上げずにその場に倒れこんだ彼を見て、あからさまに焦りを露わにした。

「やっべ! 加減ミスった! 殺っちまったか? おい、ゴリアテ! しっかりしやがれ!」

「まったく……己に偉そうに言っておいて、結局はこの様にござるか。一体どうされるお積もりか?」

「だ、だってよ。前と違って体がよ。まさか『紅蓮』を撃てるなんて……おい、死ぬんじゃねえぞ!」

「……ふむ。なんとか生きておられるようですな。ハーシル殿から神都とやらの情報は得ましたが、残念なことに己らは行く術を知りませぬ。彼には生きてもらわねば。少しは反省しては如何か?」

「う、うう……悪かったよ。次からは気をつけっから、許してくれよ」

 2人の闘士の目には、何の迷いもてらいの欠片すらも見えなかった。ただ前だけを見て進むのみ。過去に泥をつける日々はとうに過ぎた。彼らの眼に映るのは未来への希望と、ひたすらに広がる決意の海だけだった。


 大陸歴1279年9月。

 長い沈黙を経て、遂に金蛇屋藤兵衛の最強の仲間たちが、決戦の地たる神都パルポンカンに集いつつあった。

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