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第58話「幻の大地」

 1月後。スザク国某所、龍の郷。

 高堂亜門は質素な洞窟内で目を覚ますと、即座に外へ出て道端に座り込み、深呼吸を繰り返しながら瞑想を行った。静かに自身の中に根を張り、深く降りていく感覚。彼は自分の中にある靄の中に向き合っていった。とても深く、とても静かに。

 30分後。汗だくになりながら瞑想を終えた亜門は再び洞窟に入り、木をくり抜いただけの器の前で一礼し、作り置きしておいた食事を手早く済ませた。その辺に生えている薬草を丹念に潰し、麦と一緒に煮込んだだけの簡素な粥だったが、噛めば噛むほど全身に栄養が回るのを実感した。裏手を流れる川で食器を洗い終えると、彼は刀を手に取って素振りを始めた。高堂流には9つの基本の構えがあり、そこから多くの派生技が存在していた。その全てを、彼は時間をたっぷりかけて行った。これは彼の日課であり、生まれてこの方一度も欠かしたことはなかった。

 1時間ほどかけてそれら全てを完璧に行うと、次は戦いに必要な動き、体捌きを養うために走り込みを行った。郷の中をくまなく走り込むと、凡そ20キロ程度の距離となる。彼は意図的に緩急をつけながらその行程を進み、すれ違う龍たちと気さくに挨拶を交わした。

《おお、亜門か。精が出るな。毎度のことながらご苦労なこった》

「はっはっは。侍たるもの、体が資本でござりますからな」

《亜門。今日もウチで飯食ってきな。とびきりの熊肉が取れたんだよ》

「遠慮なくご馳走仕ります。後ほどお邪魔するでござるよ」

「亜門さん、今度刀術教えてよ! 俺も刀を習いたいんだ」

「もちろん構わんでござるよ。こう見えて己は厳しいゆえ覚悟して下され」

 にこやかに言葉を交わしながらも、亜門は足を休めない。彼は信仰にも似た一心さで自身を鍛え抜いていった。何が彼をそうさせるのか、それはこの郷の誰にも分からなかったし、彼自身が何も語ろうとはしなかった。彼はただ静かに、その身に何かを刻んでいるだけだった。


 時間がゆっくりと流れ、正午を超えた。昼食を済ませた亜門は、郷随一の実力者たる赤龍アマニの住処へと向かった。

 老齢のハーシルに代わり、実質的に郷の指揮を執るこの男は、龍族全体からの信望厚く、誰しもが彼を次の指導者と見做していた。無論、戦闘における実力は極めて高く、限られた者にしか与えられぬ龍族第一席の座すらも、彼には見合わぬ地位であった。恐らくは彼を上回る龍は、帝席以上の神話級の存在を別にすれば、世界中探しても皆無であると誰しもが考えていた。

 そんな彼は、亜門が到着した時には既に住処の洞穴の外に出て、天を仰ぎ見て涼やかに風を感じていた。その佇まいには普段の粗っぽい態度に隠された、高邁な風格と威厳が込められていた。

「遅れて申し訳ありませぬ。ちと所用がありまして」

《おう。見てた見てた。チャクラの婆さん、話長えからなあ。お前さんも毎日よく付き合ってられるぜ。俺なら半日でギブアップだな》

「はっはっは。とても良い方でござるよ。己は大好きでござる。ただ……毎回出される生肉は正直苦手でござるが」

《ファッハッハッハ! 龍族は料理ってもんを禁じられてるからな。そりゃ人間の口には合わんだろう。まったくお前は人がいいよ。だがまあ……知っての通り俺は人間は大嫌いだ。受けた恩は返すし仁義も通すが、お前に気を許すことはねえ。それだけは忘れんなよ》

 アマニは親密さの中に確かに潜む、獰猛な牙を隠そうともせぬまま、鋭い眼を彼に向けた。流石の亜門も内心でたじろぎながらも、真正面から向き合い深々と一礼をした。

「存じ上げておりまする。口で申したところで是非もなし。この亜門の生き方を以って、全てを示していく所存にて」

《お前のそういうとこ、俺は嫌いじゃねえぜ。個人と種族は別……そう言い切れたらどんなに楽なもんかな。さ、んじゃやるか。まずは基本の確認からだ》

 アマニは四肢の如く大地をぎゅっと力強く踏み締めると、何かを伝えるように天に向けて高く一筋吠えた。すると瞬時に天候が変わり、空がぐるぐると様々な自然現象を巻き起こし始めた。亜門はこくりと頷いて本身を抜き、手慣れた動きで刀舞を舞い始めた。その刀身には青白く輝く龍の力が漲っていた。

《おし。んじゃ炎、雷、氷の順だ。やってみな》

「はっ!」

 亜門はその場をぐるぐると回りながら、刀の先に力を込めた。そして、その口から不思議な言葉を、龍の使う言語をしめやかに発した。

「いくでござる。まずは……《炎》!!」

 その言葉に反応し、即座に刀から小規模の炎が湧き出した。亜門はそれと同時に切り込みを行い、更に演舞を続けた。

「次は……《雷》!! そして……《氷》!!」

 一連の演舞の中で、刀の先に次々と現れては消える稲妻と氷。そこまで舞い終わると、彼はふうと軽く一息付き、アマニの方を向いて構え直した。

《……悪くねえ。基本はしっかり身に付いているな。よくもたった1月でここまで達したもんだ》

「ありがとうござります。何とか『龍言語』のイロハは掴んだつもりでござる。これも全てアマニ殿の薫陶の賜物にて」

《ファッハッハッハ! だろ? 俺は叔父貴と違って教え上手だからな。ほんの触りとはいえ上出来だよ。さ、次は応用だ。お前自身の技に『龍言語』を乗せてみな》

「御意!」

 そう言って亜門は次々と技を繰り出し始めたた。彼がかつて収めた、高堂の侍の技を。人間の修練の成果に偉大なる響きを乗せて。

「では……高堂流『炎凸戦弓《炎》』!!」

 上方への鋭い突きに炎が宿り、空に紅蓮の軌跡が浮かんだ。だがアマニは渋い顔で首を横に振った。

《まだまだ。典膳の技はそんなもんじゃなかったぜ。いいか? 口を酸っぱくして言うが、龍の力は大きく分けりゃ2種類。全ての力を無効化する『始祖の力』と、自然を味方に付ける『龍言語』。前者は龍刀を使えばお前でも既に行使出来るが、後者はそう簡単じゃねえ。お前自身が世界と一つになる必要がある。とは言え、時間さえかければ習得可能だ。深く自分の根を下ろす感じでやってみな》

「御意。確かに……自然と一体になったような感じにござる。何より迅速で実用性があり申す」

《龍の力は、闇術のように天変地異を起こすほどのバカげた力はねえ。ま、俺くらいになりゃ別だけどな。だがその代わり龍力は即攻と即滅が可能で、人間の武技と非常に相性がいい……って、600年前に典膳は言っていたぜ》

「は! 畏まりました! 修練に励みまする」

 荒業は2時間に渡って繰り広げられた。汗びっしょりになりながら自らの身体に龍言語を馴染ませる亜門に、それを厳しくも何処か温かい視線で見守るアマニ。この1月間ずっと繰り広げられてきた光景だった。龍が人に技術を伝える。それは過去には頻繁に見受けられた光景だったが、現在においては有り得ないものだった。しかし、亜門は素直に教えを受け入れ、アマニも全面的に心を許しはしないものの、真摯にそれに応えていた。

 やがて、数時間後。修行が終わり全身の汗を拭う亜門に、アマニは穏やかに話しかけた。

《まあいいだろ。その練度なら実戦でも問題なく使える筈だ。お前にならアマニ流初段をくれてやってもいいぞ。フッハッハッハ!》

「誠に光栄にござる。して、己の他には誰が?」

《んなのいるわけねえだろ。俺が人間に何かしてやること自体が数百年ぶりだ。……にしても、何故そうまでして力を求める? 昔ほど戦の多い時代でもねえし、そもそもお前に勝てる人間なんざ現世にはいねえだろうよ》

 亜門は直ぐにはその問いに答えず、とても澄んだ遠い目をして、流れる雲に視線をやった。

「……己には、どうしても倒さねばならん敵があり申す。勝たねばならん戦があり申す。そして……守らねばならん、取り戻さねばならん仲間があり申す。その為には、己自身が強くならねばなりませぬ。力も、そして精神も」

《迷いのない眼だ。1月前とは大違いだぜ。よくは知らんし興味もないが、どうやら決意を決めたみてえだな》

「本当にお世話になり申した。この御恩は返そうとしても返しきれんでござる。何かあらば遠慮なく申して下され。この高堂亜門、万難投げ打って郷のために命を捨てる所存でござる」

《口じゃ何とでも言える。俺は人間を信じねえ。叔父貴はお前のことを大層気に入ってるし、郷の皆も認めてるが、俺は違う。今まで何度も人間に裏切られてきたからな》

「それは……申し訳ありませぬ! この高堂亜門、皆を代表して謝罪したく存じまする!」

《ファッハッハッハ! 何でお前が人間を代表してんだよ。だがまあ……お前はインギアを救ってくれた。あいつは俺の幼馴染でな。あんな性格だからダチも少ねえが、俺にとっちゃ掛け替えのねえ仲間だ。人間にとってどうかは知らんが、龍にとっての仲間は絶対よ。だから……信用はしねえが感謝はしてる。それだけ忘れんな》

「は! 肝に銘じておく所存にて」

 再び深々と一礼し、亜門は偉大なる赤龍に敬意と信義の意を示した。アマニは大きな口をにっと僅かに歪め、牙を剥いて気持ちよく笑った。

《ま、次来るときはインギアも居るだろうし、嫁さんの顔でも見せに来いよ。人間の寿命は短いんだから、早いとこお前も身を落ち着けろや》

「あ、あ、あ、当たり前でござろう! 己とて秋津では名の知れた侍でありますれば、女子の1人や2人朝飯前にござる!」

《はいはい、っと。ほんっと腕に見合わないヘニャり具合だぜ。じゃ、叔父貴に挨拶してこいや。先に行っててくれ。例のブツも揃ってるからよ》

 そう言って飛び立とうとするアマニに向け、亜門は再度深々と一礼をして見送った。彼の表情は晴れやかで、なんのてらいもなく前を向いていた。それは、全てを受け入れているようにも、同時に全てを諦めているようにも思えた。


 数時間後。郷の最奥地、ハーシルの住処。

 2人の巨龍が息を潜めて何かを話し合っていた。その表情は真剣そのもので、特に郷の長である銀龍の目は真っ赤に充血し、語気には空気を裂くほどの力が込められていた。

《だから、なんとかならんのかと言っておる! お前の力で状況を変えられぬのか! 何の為の第一席か!》

 雷の如く降り注がれる叱咤の声に、真紅の巨龍アマニも顰め面で負けずに言い返した。

《そうは言うがよ、叔父貴。こればっかりは本人の問題だぜ。いくら俺らが言ったところで、ダメなもんはダメだろうよ》

《ええい! 埒があかん! 人間の女1人どうとでもならんのか!》

《この前迷い込んで来た女……覚えてんだろ? あの時の亜門の狼狽えっぷりったらなかったぜ。目え見て話せねえし、ガチガチに固まっててこっちが見てらんねえよ。こりゃ嫁なんて遠い先の話だろうぜ》

《何ということだ……龍の力を受け継ぐ人間が、よもや子孫を残せないとは。ああ、可愛い亜門や。何と可哀想に。何という悲劇だ。我の力が未熟なばかりに……》

 大きな目に涙を溜めて、心底気の毒そうにハーシルは言った。アマニは呆れたように両手を上げて、やれやれと深くため息をついた。

《つうかよ、あいつ思い人がいるみたいだぜ。長い目で見てやりゃ……っと、噂をしてりゃ来たみてえだな》

《何! あやつめ、1人でちゃんと準備は出来たのか? 誰が手伝ってやったのか!?》

《ったく、最初の威厳はどこ行ったんだか。まるで孫を見る目だぜ。……おい、亜門。入っていいぞ》

 アマニの鋭い声が響き渡り、暫ししてから亜門がゆっくりと部屋に入って来た。ハーシルは更に涙を流しながら、顔を近付けて彼にせっついた。

《おお、我が可愛い亜門や。出立の準備は出来たか? 何か足りんものはあるか? 帝龍ハーシルの名にかけて何でも用意してやろうぞ》

「ありがとござりまする。全て事足りました。全てはハーシル様のお陰でござる」

《なあに、良いのだ良いのだ。可愛いお前のためなら、この身削られても惜しくはないからな》

(ったく、よくもまあ手懐けたもんだよ)

 亜門はハーシルと問答しながらも、苦笑いを浮かべるアマニの方を振り向き、にっこりと快活に微笑んだ。

「アマニ殿。今すぐとは決して申せませぬが、己はいつか必ず貴殿の信頼を勝ち取りとうござりまする。人間とは捨てたものではないと、信を置ける者もおるということを」

《はいよ。期待しねえで待ってるわ》

《アマニ! 何だその口は! 折角亜門がこうも言ってくれているというに……》

「い、いやハーシル殿。アマニ殿だけでなく、本当に皆様にはよくして頂き、この亜門感謝の言葉もありませぬ。いつか必ず戻って来ますので、その際は必ずお礼を致します。誠に有難う御座いました!」

 ハーシルは大きく微笑んでその声を受け入れると、胸元から小刀を取り出してふわりと彼の元に投げた。それは亜門がフィキラから受け取った刀。人から龍に託された、かつて確かに存在した信義の証。

「おお……こ、これは! 何という輝きにござるか! 以前とは桁が違いまする!」

《郷の全ての龍の力を注いだからな。我の力もたっぷり注いでおいたぞ。これを我と思うて大事にするがよい》

《あんたそれで死にかけてたろうが。ったく、自分の歳を弁えねえんだから。……おい、亜門。不本意ながら、俺もちょっとだけ協力してやったぞ。これは俺ら龍の力の結晶だ。この地上で、こいつ以上に龍の力が注がれた武器は存在しねえ。これを与える以上、お前はもう二度と敗北は許されねえからな》

《こら! そんな重圧を与えてどうする! 心配せんでもの、亜門や……》

 そこまで言いかけたハーシルの言葉を遮り、亜門はにっこりと快活に笑って力強く答えた。

「はっはっは! 心配ご無用にて。己には高堂から受け継いだ技と、皆様から頂いた魂がありまする。それらが合わされば、敗北など万に一つもあり得ませぬ。秋津の格言にも『鬼神の目に蛇宿らば金棒明日を穿つ』とあり申す。安心してお寛ぎ下され」

《おお、何という益荒男ぶりよ! 何という猛々しき宣言か! いつの間にこんな大きく強く……いかん、鼻水が垂れそうだ。アマニ、手拭いを持って来てくれ》

《勝手にどうぞ、っと。……んじゃ達者でな。前も言ったが、この郷の時の流れは下界とは若干異なる。ここで暮らした1ヶ月間は、外じゃせいぜい数日ってとこだ。お前の守りたいものに手が届く可能性は、ごく僅かだが残ってる筈だぜ》

 亜門は納得したように朗らかに頷いた。しかし彼はその場を立ち去ることなく、しかと2人を見据えて、覚悟を決めて言った。

「最後に……一つだけ我儘があり申す。どうか己に、例の術をかけていただけませぬか?」

《……ダメに決まってんだろ。前も言ったが危険すぎる。お前が勝手に死ぬ分には構わねえが、叔父貴に責任感じさせる訳にゃいかねえよ。大人しく諦めな》

 取りつくしまも無くアマニは即答した。だが亜門は諦めず、その場で額を地面に強く強く擦り付けた。

「どうか! どうかお願い致しまする! 仲間の命がかかっておるのでござる! レイ殿を救わねば、ミカエルの手から魔女めを救うことは出来ませぬ! どうか己に『精神投影』の術を!」

 アマニは土下座する彼の姿を見て、小さく舌打ちをしてから立ち上がった。その両腕には無比の力が込められ、今にも彼に向けて振り下ろさんとしていた。だが、次の瞬間、アマニの巨体は突如として巻き起こった豪風により壁まで吹き飛ばされた。

《……止せ、アマニ。詳しく聞かねばならん。亜門よ、今お前は“ミカエル”と言ったな? となると、お前のずっと言っていた“魔女”。それはもしや……ハイドウォークに連なる者のことか?》

 ハーシルは、見たこともない真剣な表情をして亜門に尋ねた。帝龍と呼ばれる男のあまりの迫力に、彼は思わず唾を飲み込んだ。

「い、如何にもにござる。魔女めの名はシャーロット=ハイドウォーク。神々の一族の生き残りにして、ミカエル=ハイドウォークの双子の妹、そして何より……己の大切な仲間にござる!」

《……奇貨、どころの話ではないな。これが運命の導きというものか。するとやはり、あの女はプリシラの……》

「い、如何なされましたか? 己は何かまずいことでも……」

《いや。何もまずくない。寧ろ全霊の感謝としか表現出来ん。すぐに術の準備をする。文句はないな、アマニ?》

《無論だ。全く話が変わった。ったくよ、最初からちゃんと説明しろバカ! 道理でおかしいと思ったんだ。叔父貴、俺も出る準備しとくぜ》

《いや、それはまだ早い。正面から向かえば“あいつ”のことだ、即座に撤退するだろう。今はまだ我らが戦列に加わる訳にはいかん。ともかく今は亜門の援護だ。この件は我に任せておけ》

《了解だ。郷のことは俺が受け持つ。さっさとやっちまおうぜ》

「? み、皆様方……何を仰っておられるでござるか?」

 急速に動き始めた舞台の中で、亜門は戸惑うことしか出来なかった。そんな彼にハーシルは厳かな口調で告げた。

《心配するな。こちらにも事情がある。『精神投影』についてだが、使うのは一度きりで、我も同行し危機を感ずればすぐに退く。それが条件だ》

《ち、ちょっと待てよ! 叔父貴も行く?! んなの聞いてねえぞ。流石に今の叔父貴には危険すぎんぜ》

《大丈夫だ。まだ我もそこまで老いてはおらん。そもそもお前は、つい先ほど我に任せると言ったであろうが》

《そりゃ言ったがよ、付いてくなんてのは論外だぜ。叔父貴が死んだらこの郷はどうなると……》

《喧しい! これは我の決定だ。異論あるならかかって来い!》

《……面白え。やってやんよ。そろそろ引き際ってやつを教えてやんねえとな》

《我に糞の世話をされた身で、随分と偉そうにほざくものよ。いいから来い!》

《今はそっちが世話される身だろ? 上等だ!》

 2人の龍の間に、今迄見たこともない程の膨大な龍力が跳ね上がり、燃えるように渦を巻いて大気を揺らした。亜門はその迫力に飲まれそうになりながらも、決死の思いでその間に割って入った。

「ち、ちょっと待って下され! いくらなんでもこんな闘いは……」

《それは出来ぬ相談だ。我とアマニがこうなるのも運命だからな》

《下がってろ亜門! こりゃ俺らの闘いだ! 口を挟むんじゃねえ。……行くぞ!》

「そ、そんな……グェポ!!」

 同時に亜門を跳ね除けた巨龍2人の腕が、爪が怪しく蠢き、渾身の力を込めて振り下ろされた。そして放たれる必殺の一撃……。

《じゃんけん、グー!》

《チョキ! あ! クソ! 負けちまった!》

《ワッハッハ! まだまだ青二才よのう。我に勝つなど1000年早いわ!》

 事態が把握出来ずぽかんと口を開ける亜門に、2人の龍は顔を見つめ合い、同時に弾けるように笑った。

《グッハッハッ! 心配せんでも、龍は掟で互いを傷付け合うことはせん。しかし人間もたまには良いものを作るな。実に公平でいい。なあ、アマニよ?》

《絶対ウソだろ! どうせ予知とか使ったんだろうが! ……まあしゃあねえ。世の中結果が全てだからな。んじゃ、無理だけはしねえでくれよ》

《よし、それでは早速やるとするか。準備はよいか亜門?》

 亜門は柄に添えた手をぎゅっと握りしめ、偉大なる龍の目を真っ直ぐに見つめ、迷うことなく告げた。

「もちろんでござる! ハーシル殿、よろしくお願いし申す」

《うむ。良き返事だ。では始めるぞ》

 ハーシルは大きく頷くと、聞いたこともない難解な龍言語を唱え始めた。それを聞いているうちに、亜門はみるみる意識が朧となり、魂が抜けていきそうな気さえしてきた。そしてそれはいつしか現実となり、彼の意識は身体を離れ、天高く昇っていった。

《……よし、成功だな。我も数百年以上使っていない術なのでな、正直ちと自信がなかったわ。ワッハッハ!》

 脇を見ると同じように意識体となったハーシルの姿があった。ただその姿は年老いた龍のそれではなく、美しい光沢に富んだ銀色に包まれ、それは力と若さに満ちた彼の全盛期の姿だった。

「は、ハーシル殿? そのお姿は?」

《お、気付いたか? 我も若い頃は、こんな感じでブイブイ言わせたものよ。思念体には現実の姿など何の意味もない。お前も中々にいい男ぞ》

 その時、亜門は自分が年若き頃の姿になっていることに気づいた。これは、先の大戦に向かう前の自分だった。彼が一番戻りたい時間、全ての後悔の前にある姿。彼が戸惑いを見せる中、ハーシルはひょいと彼を掴んで背に乗せ、一気に飛び立った。

《思念体とはいえ、人間を乗せるのは年振りだ。さあ、行こうではないか。お前の“仲間”とやらの中へ》


 龍の郷の奥地。

 普段は龍族なら誰であっても入ることを禁じられ、禁忌と呼ばれる地。穏やかな郷とは全く異なり、下界の淀んだ空気が流れ込む爛れた場所。そこに建てられた小さな社。その中に“それ”はいた。

 人間の、人の形をとりながら、それはぐじゅぐじゅと形を変えて、一定の姿を定めてはいなかった。常時苦しそうなうめき声が垂れ流され、それは苦痛と悪夢の狭間で蠢き続けていた。

 社の外にはハーシルの作った強大な結界が確認できた。ここは龍の郷、長である帝龍が作り出した結界は誰にも破られることはない。逆に言えば、それほどまでにしなければ、“それ”の暴走を止めることが出来なかったことを意味していた。錯乱しきった“それ”は時折暴れ出し、そのほとんどが無軌道な暴走だったが、時に龍に危害を与えることすらあった。折を見て処分せんと彼らが考えていた矢先、高堂亜門が現れた。

 “それ”を目にして、彼はすぐに思い当たった。そして亜門は彼らに乞うた。深々と頭を下げ続け、必死に救いと慈悲を求めた。その結果、“それ”はこうして隔離され、1月間誰からも触れることのない空間で苦しみ続けていたのだ。

 亜門は毎日欠かさずにここに通った。そして、ほんの僅かに感じられる仲間の姿を確認し、呼び掛け、笑い飛ばし、励まし、怒り喚き、揺さぶり、泣き、ひたすらに復活を信じ続けてきた。だが、月日が経過しても状況に変化は見られず、逆に悪化の兆しすら感じられた。最近ではもう身動きすらせずに、その生命活動さえ危ぶまれるようになった。

 そして今、亜門とハーシルは“それ”の枕元に立つ。人としてあるべき姿を保てずに、ただ蠢き続ける“それ”を見て、亜門は1人考える。この一月間ずっと考え続けた結論を、彼はもう一度、自分に言い聞かせるように繰り返した。

「もし己が失敗したならば……恐らく治す手立ては零にござる。ハーシル殿の結界により緩和されておられるが、本来ならとっくの昔に崩壊していてもおかしくない状態とのこと。ハーシル殿もアマニ殿も、口を揃えてそう言っておられた。だから……誠に勝手ながら……手遅れとあらば己が責任を持って介錯致しまする。きっと意識あらばそう仰られるはずにて。誇り高き闘士の其方なら、きっと。……しかし、己は決してさせませぬぞ! レイ殿、待っていて下され! 必ずや己がお助けいたします!!」

 そこまで宣言すると、亜門は目の輝きを爛と広げた。一寸の迷いもなく、そのままに前を向いて、しっかりとレイに向き合った。それを見て満足そうに頷いたハーシルは、亜門を背に乗せたまま勢いよくその中に、ぽっかりと開いた精神の穴に飛び込んでいった。


 神代暦1279年9月。

 龍と人は手を取り合い、闇と呼ばれし存在の為に命を懸けんとしていた。かつて、世界で起こった悲劇をなぞるかのように。悲しき輪廻の糸を螺旋へと変えるために。

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