第89話「再会」③
妖姫ティアマトに付き従う巨人ゴモラvs.謎の覆面闘士パンサー。
空気を蹴り宙を舞うように飛び跳ねながら、パンサーはゴモラに向けて一目散に突き進んでいった。彼女を視認し正体を悟った彼は、心底忌々しそうに歯を食いしばりながら呟いた。
[誰かと思えばその動き……間違いないな。厄介な相手が来たものよ]
「あ、覚えててくれたの~。嬉しい~」
しなやかな動きで超高速で空を駆けるパピヨン。彼女を見つめる手負の侍、秋津典膳の目には驚きの色がありありと浮かんでいた。
「おい、姉ちゃん! 幾ら何でも一人じゃ危ないぜ! 俺が加勢するからよ」
「あっ、結構でえす。気持ちだけありがたく頂きますね~」
「な!!」
狼狽する彼を眼中にも入れず、空中を変幻自在に動き回るパンサー。ゴモラは全身を固め防御の姿勢を取り、自ら動くことなく彼女を待ち構えた。
「あれえ? 消極的~。腕とかぶんぶん振ればいいのにい」
[お前の強さはよく知っている。神々の作りし最強の戦人形よ。まともにやっては絶対に勝てぬからな]
「まともにやれば? なんか勘違いしてる~。じゃ……こっちからいくね。『草薙・二刀』!!」
パンサーは溜めた全身の筋肉をコンパクトかつ力強く回転させ、2連撃の蹴りを放った。一刀にもう一刀の斬撃が加わり、破滅的な破壊力を産み生み出していく。見るもの全てが唖然とする天地を穿つ斬撃を前にして、ゴモラは僅かに口を歪めて全身に力を込めた。
[やはり強い……だが! 『硬質変化』!!]
祈りにも似た声と共に、彼の体表の色が瞬時に灰色に変化した。そこに凄まじい音を立てて突き刺さる斬撃は、金剛石の如き硬度の表皮に弾き飛ばされ、全く効果はないに等しかった。
「あれ? 昔よりやるじゃん! すご~い!」
[お褒め頂き光栄だな。お前に赤子のようにあしらわれてから、長い時間をかけて研鑽を積んだのだ。それより……お留守だぞ]
ぐいと下から引っ張られる感覚! 気付けば彼女の足を何者かが掴んでいた。それは、先程両断されたはずの巨人の片割れソドムだった。いかなる原理か彼の上半身のみが動き出し、技を打ち終わった隙を見逃さず、がっしりと両腕で捉えていた。みしみしと足に力が加わるのを感じ、彼女は感心したように手を叩いた。
「すご~い。それで生きてるんだあ。巨人ってすごいんだね~」
[学習したのだ。我らに足りなかった部分をな]
[あの時と同じにはさせん! お前を自由にさせては勝ち目はない! このまま粉砕してくれる!]
「おい! 待ってろ! 今助けに行くぞ! フィキラ、飛べ!」
必死に黒龍の背に乗ろうとする典膳の姿を見て、パンサーは小さくため息をつくと、優しく言い聞かせるように言った。
「あのさ、そこのマッチョなお兄さん。ほんとになんにもいらないよ~。ちょっと言いづらいケド……足手まといなんだよね~」
「な!? お前殺されかかってるんだぞ! そんなこと言ってる場合じゃ……」
「殺されかかってるのは、この2人の方だよ~。わたしの“力”が溜まる前に潰せなかったんだからあ。んじゃ、行きますね~。……『降魔・カーリー』!!」
気迫と共に彼女の体内の闇力が噴き上がり、ピンクのボディースーツと共にソドムの手も容易く粉砕された。露わになる彼女の身体と、組み上がる強靭な異形の肉体。呆気にとられる典膳とフィキラを他所に、プリシラは鬼神の如き動きで連続体術を放った。
「惜しかったね~。でもこうなったら勝ち目ないよお。じゃ、そろそろ死んでね~。『百鬼・剣』!!」
「お、おのれ! 『硬質変……グオオオオ!!」
パンサーの目にも留まらぬ高速連打! 蹴りの一撃一撃が鋼の肉体を削りきっていく。僅か数秒の間に100を超える渾身の打撃を喰らい、ボロ屑のように粉砕される巨人ゴモラ。
[ゴモラ!! おのれ……この化け物が!!]
「化け……物?」
その言葉を耳にするや否や、パンサーの顔色が急変した。今までののんびりとした表情とは打って変わり、猛烈な殺意が般若の様に顔を変えていた。同時に冷や汗を流すソドム、それは見ている典膳とフィキラも同様だった。
「てめえ……聞き間違いじゃねえよな? このプリティでキュートなわたしが……化け物だと? 世界一可愛いと評判のこのわたしを? アガナっちの次に美しいと評判のこのプリシラを?!」
「ち、違う!! そういう意味では……」
「黙れ!! このクソブタがぁ!! 奥義『孤月』!!」
[グェポ!!]
大地から天まで引き裂かれんばかりの凄まじい上昇蹴りにより、一瞬で消滅させられるソドム 。震え上がる典膳とフィキラの前にふわりと降り立ったプリシラは、いつもの和かな表情に戻って言った。
「あれえ? どうしたの~? 変な顔して、具合でも悪いのかな~?」
修羅の顔を僅かに残しながら、彼女はゆっくりと降魔を解いた。ボディースーツは破れ露わになった肌を、彼女は恥ずかしそうに手で押さえた。
「いやあん! 見ちゃダメだよお。お嫁に行けなくなっちゃう~」
典膳は呆れと恐怖感のごちゃ混ぜになった心の中に、今まで感じたことのない新しい感情が芽生えるのを感じた。だが、それが表面化するのは先の話。今はまだ、それは畏怖と呼べる感情でしかない。
それと同時に、プリシラの中で不明瞭な感覚。何かの疼きが、彼女の中心を支配していた。今まで味わったことのない感覚に、彼女は胸を押さえ顔を顰めた。が、それはすぐに終わった。気付けばいつもの日常が広がっていた。変なの。彼女はそう思い、顔を上げて目の前を見た。
1つの戦いが終わる頃、もう1つの戦いは静かに、しめやかに終わりを告げようとしていた。
「くらえ! ……『ソル』!! ……『ビエント』!! ……『マグナ』!!」
激しい術の嵐。神々の長たるティアマトの気迫とは裏腹に、その術は謎の術士パピヨンの結界を貫くことは出来ない。彼女は見下すようにちらりと一瞥すると、結界の中から複雑な術式を構築し続けていた。
「まさか……禁術?! バ、バカな! そんなものは陛下にしか使えぬ筈! 何故お前などが……」
「知らなかったか? 儂は……天才なのじゃ。貴様になど触れ得る存在ではない。己の罪を噛み締めて死んでいけい! ……禁術『コキュートス』!!」
瞬間氷が、爆ぜた。ティアマトの周囲を包み込むように発した超低温領域。それは原子すら凍るほどの悪魔的な破壊。慌てて全闇力を結界に費やすティアマトだったが、連鎖的に破壊力を増す氷室に全身を覆い尽くされてしまった。
「お、おのれ……やはり妾はお前には勝てない……のか……アガナ=ハイドウォーク!」
首から上を残し完全に凍り付いたティアマトに、パピヨンは指をパチンと鳴らして術を停止させた。そしてゆっくりと蝶柄の仮面を脱ぎ捨て、アガナは美しく妖しく微笑んだ。
「言うまでもなかろう。儂には戦うべき理由がある。貴様とは比較にならんわ」
「ずっと……ずっとお前はそうだ。師である妾をあっという間に乗り越え、易々と引き離していった。美しさもそう。お前が現れるまでは、妾こそが神々の随一の女と呼ばれていたのに……」
「今だから言うがな、貴様は儂の憧れじゃった。餓鬼の頃、貴様の姿を始めて見てから、儂は心惹かれていたのじゃ。こんな美しく強い女性になりたいと、心から思った。あの頃の貴様は……今と違い本当に美しかった。外見も、中身もの」
「……」
「最後のチャンスをやろう。降参し、神の地位を捨てて生きると約束すれば、命だけは助けてやるわい。さもなくば確実にここで死ぬ。貴様の得意な選択肢じゃ。さあ、どうする? 10秒以内に決めよ」
ゆっくりと緊迫した時間が流れた。だか5秒もたたないうちに、ふうとティアマトはため息をついて首を横に振った。
「OK。分かったわ。妾の負け。もう逆らわないから許して。これでいい?」
「うむ。儂が去ればこの氷はすぐに氷解する。何処へでも行くといい。だが……最後に1つ聞くぞ。その首のネックレスに刻まれた固有術式、それは何じゃ? 一体何を狙っておる?」
「!! ええい! ばれては仕方ない。……『首輪』!!」
「ぐっ!!」
掛け声と同時に、後方で人間の、かつてアガナが心底から愛したソウタの呻き声がした。彼の首には闇力が集まり、濃縮した術が締め上げていった。ティアマトは勝ち誇った顔をして、醜くアガナに喚き立てた。
「ヒャッハッハッハッハ! さっき仕込んでおいた術が早速役に立つとはな! さあ、形成逆転だね。術を解かねばお前の愛する男が死ぬよ!」
アガナは目を細め、静かな眼差しでソウタを向いた。苦しみのたうつ彼を見て、彼女の中に膨大な闇の濁りが巻き起こった。
「……やってみい。彼奴は他人じゃ。好きにすればよかろう」
「ああ? ハッタリかますのもいい加減にしろ! 調べはついてんだ! お前はこいつのせいで全てを失った! 違うか!」
ソウタは苦しみながらも、ただ一点、アガナのみを見つめ続けていた。そして彼はようやく目が合うも、だがすぐに彼女は目を逸らした。
「儂の道は、儂が選んだ意思の帰結じゃ。此奴は何も関係ないわ!」
「お前ほどの天才が哀れなことよ! つまらぬ愛ゆえに身を滅ぼすとはな!」
「ふん! 欲に振り回され、本来持ち合わせた素晴らしき資質を失った愚か者に何が分かる! 儂は……既に一生分の幸福を貰ったのじゃ! それで仕舞いじゃ! もう何も関係ないわ!」
「うるさい! うるさい! うるさいぃぃぃぃ!! お前に妾の何が分かる!」
「知らぬ! 阿呆の考え休むに似たりじゃ!」
「うるさい! もういい! 死ね!! 目の前で愛する男が死ぬ姿を焼き付けろ! 妾の屈辱を思い知れ!」
発動。ゆっくりと『首輪』が締まり、ソウタの首は抉り切れる……訳もなく、アガナ=ハイドウォークがそんなことを放置する訳もなく、その場からふっと搔き消えた。首輪の術がと言うより、大元の術具たるネックレス自体が、彼女の手から一瞬でアガナの元へと転移したのだった。
「お、お、お、お前!! 何をした?! 妾の術は?!」
「『メタースタシス』と。……ほう、中々に危険な術じゃな。一体これを何処で? 『固有術式』は、儂らハイドウォーク家の技術じゃ。何故貴様が持つ?」
「……くっ! さっさと殺せ!!」
「言えぬ、か。まあ想像は付くがの。心配するでない。儂は貴様を殺しはせぬ。じゃが……これならどうじゃ?」
アガナはネックレスに膨大な闇力を込めて術を取り込むと、身動きのできぬティアマトの首筋にそっと手を当てた。ぞわり、と禍々しい闇力と術の奔流が起こり、彼女は背筋に冷たいものを感じた。
「ま、まさか!! や、止めろ! それだけは……」
「そうじゃ。貴様には儂の奴隷として働いてもらうとしようぞ。貴様の一挙手一投足、全て儂に伝えて貰おうかの。不審な動きあらば、即座に『首輪』を解放しようぞ。貴様にとってこれ以上の苦痛はあるまい」
「おのれ……アガナ! 末代まで呪ってくれる! 絶対に許しは……」
「少し黙らんか。この場で首を飛ばすぞ。死にたくないなら黙って儂に全てを伝えい。其方の働き、期待しておるぞ。セラフの一角……ティアマト“様”よ」
「お、お、お、おのれえええええ!!!」
ティアマトの最後の絶叫が、この戦いの終局を告げていた。こうして、世界にとって大きな変換点となる戦いに幕が下りた。
嵐去って。
立ち尽くしたままのアガナの背後から、飛来したプリシラがそっと声をかけた。
「あ、終わったんだ~。こっちも無事終わったよ~」
「プリシラよ。お主……服はどうしたのじゃ?」
「え? え? え?! あ、ああ。あれはね~。ちょっと戦ってたら破れちゃってえ……」
「痴れ者が! これでは正体がバレてしまうではないか! 何のためにあんな恥ずかしい思いをしたのじゃ!」
「(あ、恥ずかしくはあったんだ)ご、ごめ~ん! で、でもさ。アガナっちも仮面外れてるよ~」
「あ! そ、そう言えば! 何故それを先に言わぬ!!」
そんな慌ただしい遣り取りの中、少しずつ近付く足音。引き摺るような、ゆっくりとした足音。聞き覚えのある足音。プリシラははっと気付いて姿を隠し、アガナは何も言わず地面に落ちた仮面を被り直した。
「やっと……会えたね」
「どちら様ですかの? 儂は只の旅人のパピヨンと申します。ここへは偶々通り掛かっただけに過ぎぬ。お主のことなど見たことも聞いたこともないわ」
彼女の顔は、仮面の下は、様々な感情で歪んでいた。これ以上何と言っていいか分からなかった。幾ばくかの時間が流れた。やっとのことで、彼女はその場に埋まりそうになる足を上げた。進むしかないのだ。あの日示された道はもう、とうの昔に終わっているのだから。だが……その時!
「ごめん!! 本当にごめん! あの時、ぼくは……本当はきみを受け入れたかった!! でも、当時のぼくにはそれができなかった! ずっとずっと後悔していた! あれからぼくは……きみに釣り合う男になろうとずっと努力してきた」
「……遅いわ。もう全てが」
「遅くない!! だって……こうして出会えた! またきみに会えた! ぼくはきみに会うために10年間戦ってきたんだ。再び会って……これを渡すために!」
彼は胸元をゴソゴソと探ると、何やら小さい金属を取り出した。古ぼけた、所々欠けた小さな指輪。くすんで錆び付いた、安物の宝石。それを見てアガナの目に迷いと驚きの色が走った。
「それは……儂の好きな東月石? いつか儂が話していたこと覚えていて……くれたのか?」
「ぼくはずっと……ずっときみのことが好きだった! 初めて会った時から、ずっとだ! きみ以外の人なんて考えられない! ぼくは……きみのことを愛している! ずっと変わらない! ずっとずっと大好きなんだ!」
「……ソウタ。儂も……ずっと其方のをことを愛しておる。其方と全く同じじゃ。けれど……それを受け取ることは出来ぬ」
アガナの顔は豊潤な喜びと、それと同じ分の悲しみが覆っていた。ソウタは同じ気持ちを共有できた喜びに包まれながらも、彼女の不思議な態度に思わず声を荒げた。
「どうして!? それならいいじゃないか! これから一緒に過ごそう。何も障害なんてないさ!」
「心して聞けい。ソウタも、そして盗み聞きしている連中もの」
ビクン、と反応するプリシラ。そして神々への反逆者ガリアンの面々。アガナはやや言い澱みながらも、やがてはっきりとした口調で言い切った。
「儂は……間も無く死ぬ。この運命はどうやら避けられそうもない。何年後かは分からぬが、5年が10年か……運が悪ければ年を跨がずして、間違いなくこの世界から消えようぞ」
「え?! そ、そんな!! 嘘だ!!」
「何言ってるのアガナっち! 嘘でしょ!?」
《ア、アガナ様!! 誠ですか?!》
「何ですとアガナ様ああああ!!」
「儂は……何かに蝕まれておる。10年前からずっと。あの日から……治るどころか悪化の一途じゃ。最早陽の射す世界では歩くことさえままならぬ。故に、お主の望むものは与えられぬ」
「……」
「未来のない者のことなど忘れよ。これは運命じゃ。お主には先がある。儂など通り過ぎる風景に過ぎぬ。じゃから……」
「だったら、ぼくが探してみせる!」
強く、はっきりと、真っ直ぐにアガナに向かってソウタは叫んだ。彼女はしんと輝く風景の中、次の句を告げられずにいた。
「ソ、ソウタ……?」
「ふざけるな! 運命だとか、必ず訪れる死だとか、そんなもの聞き飽きた! ぼくは……あれからずっと、“そういうの”に抗って今まで生きてきたんだ! 今回だってそうだ! 大好きな人を、心から愛した人を、死にますハイそうですかと諦められるか! 絶対に救ってみせる! ぼくは1人じゃない。ここには仲間がいる。ぼくは……絶対に諦めないぞ!」
「気持ちは……嬉しい。本当に嬉しい。じゃが、それでも無理ならばどうする? 夢想だけではどうにもならぬことはある。さすれば、無為にお主の時間を浪費させることになる」
「それならそれで、残された時間をきみと一緒に、最高のものにするだけだ! 絶対に後悔させない! きみに満ち足りた生涯だったと言わせてみせる! ぼく自身、きみと一緒じゃなければ絶対に後悔する! ぼくを信じてくれ、アガナ! 絶対に素晴らしい日々を過ごさせてやる!」
「じゃが……」
「でももへったくれもない! いいから来い! ぼくにはきみが必要なんだ! きみはどうなんだ? はっきり言ってくれ。ぼくと一緒じゃ嫌なのか? 世界の状況とか運命とか、そんなことはどうでもいい。今のきみの気持ち、ただそれだけを聞きたい」
「……。………。そんなの……決まっておるじゃろう。お主と一緒におりたいに決まってるじゃろうが! 当たり前じゃ! 愛しておるのじゃ! お主と離れるなぞ絶対に嫌じゃ!」
アガナの絶叫、溢れる涙、そして激しく寄せ合う2人の魂。それを見守る仲間たち。それは、とても美しい光景だった。神々しさすら感じられるその風景に、誰一人として異議を唱えるものはなかった。
神代歴629年。
こうして、全ての意思は1つに集まった。この先に待ち受けるのは、ある意味では帰結に過ぎない。だが意思だけは間違いなくそこに存在する。あらゆる者たちに共通する、光の集う意思。そう、種族や歴史を超えた、輝かしい意思が、この時代、この日に確実にこの場には存在していたのだった。




