7. 冥土にダイブ
「では、僕が使っている井戸に行きましょうか」
なんてことないかのように小野が言った。
「え、ここの井戸からじゃなくても行けるんですか」
「ここは守りが固すぎます。見つかったら、まず間違いなく不法侵入でつかまりますよ」
「小野篁の子孫でも?」
「冥界に通ってるという主張が通るとでも?」
「・・・やばい、私。普通に丸め込まれてた」
「丸め込むだなんて人聞きの悪い」
いつの間にか梅子は、冥界というテーマパークに行くくらいの気持ちになっていた。井戸を通ることにも違和感や抵抗を感じていなかった自分に驚く。冥界なんて半分も信じていないけれど、小野はどこかには連れて行ってくれると言うのだ。せっかく京都まで来たのだから、どこへなりと物見遊山のつもりでついていこうと梅子は思った。
「その井戸はどこにあるんですか」
「近くだけど、境内からは一旦出ますよ」
山門を出て左に曲がり、またすぐに左に曲がって細い通りをしばらく歩く。
「ところで、冥土通いの井戸というのは、冥界に行くだけの一方通行です」
「帰れないじゃないですか」
「大丈夫、帰り専用の『黄泉がえりの井戸』というのがあります」
「それもこの辺りにあるんですか?」
ふいに小野が立ち止まって左手を差し出した。
「こちらです」
「あ、看板に ”黄泉がえり之井” って書いてありますね。でも、ここも入れないんですよね」
「そこでこれを使います」
小野がジャケットの内ポケットから、手のひらサイズの鏡を取り出した。
「鏡ですか」
「鏡です。魔鏡といいます。六道さんの井戸がすっかり有名になって、冥界に行くのに困難をきたすようになってしまったので、閻魔様が作ってくれたらしいです」
「どうやって使うんですか」
「鏡面に光を当てて反射させると、ほら、そこの壁を見てください、冥土通いの井戸が映ったでしょう?」
「本当だ、さっき隙間から覗いて見たまんまの井戸だ。でも、これじゃ中に入れないですよね」
「壁に映すとこうだけど、道路に映すと」
「え! 真上から見た井戸が映ってる。見える角度が変わるの、なんで? グーグルマップの3Dみたい、すごい!」
「閻魔様謹製ですからね」
「初めて閻魔様を尊敬しました」
「それ、絶対向こうで言わないでくださいよ。不敬で就職できなくなりますから」
「冥界でも不採用とか、ヤメテクダサイ」
「ああ、すみません。NGワードでしたね」
「イイデス、ダイジョウブ、デス」
「なんで片言なんですか。それより、ちょうど今、人の姿が見えませんから、さくっと入りましょう。僕に続いてください」
小野は魔鏡をポケットにしまった。しかし、道路には井戸が映ったままだった。
「飛び込もうと思わずに、歩いてここに踏み込めばいいです。蓋が見えますが気にしないでください」
小野が、道路上に映った井戸の真ん中に足を乗せた瞬間、ふいっと姿が消えた。梅子は慌てて後を追った。
落ちる!
落ちてる!
落ちるとき!
落ちれば!
落ちろ!
梅子の頭の中に変な『落ちる活用』が浮かんだが、それほど急降下ではなかったので怖いという感じはなかった。ずいぶん時間がかかるんだな、と思った頃、足の裏が平らな床をとらえた。
「ここは?」
梅子がいるのは二十畳くらいの殺風景な部屋で、大き目の机と椅子、それと並んだ応接セットを中心にして、四方を本棚と乱雑な書類棚に囲まれていた。窓はなく、どこにつながっているのか分からない二つのドアが、書類棚の合間に埋もれるようにあった。
カチリ、と音がして一つのドアが開いた。
「冥界へようこそ」
いつの間に着替えたのか見慣れない格好をした小野が、ワゴンを押しながら入ってきた。
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